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2017年4月の3件の記事

2017年4月23日 (日)

下呂牛乳もある

ミドルネームという、妙なものがありますが、これにならって、たとえば、本名、田中一郎さんが結婚したら田中田楽狭間一郎とか、山田花子さんが結婚したら山田チリトテチン花子とかにして、田楽狭間とかチリトテチンがファミリーの名前になり、子どもはそれを結婚するまでは受け継いで自分の名字にする、というのもありかなあと思います。さらに、その人がサラリーマンであるなら、サラリーマンネームというのがあって、田中田楽狭間ルードヴィヒ3世一郎とかするとおもしろいのですが、非常に面倒でもあります。どんどん長くなって、自分の名前がわからなくなって「オレダレ?」と思ったらダレノガレ一郎と呼べるようになり、経験値をつめばキリガクレ一郎に改名できるとか、一郎が二郎、三郎に進化していくという、ポケモン状態になったら、わけがわかりません。

ただ、死んだら戒名という新しい名前がゲットできるシステムは昔からありますね。法名というものもあります。戒名と法名はどうちがうんでしょうか? 法名は浄土真宗で、戒名はそれ以外、とよく言われます。どちらも、もともとは仏教徒となった証としての名前だったわけですから、本来は生前に与えられるものですね。今はもっぱら故人に対して与えられるものをさすようです。では、僧侶の名前はどうなのでしょうか。俗名佐藤義清、出家して西行、というのは有名ですが、雨月物語の「白峯」という話では西行が崇徳院の陵墓を訪ねたときに、崇徳院の怨霊から「円位」と呼ばれます。二つの名前を持っていたのですかね。

武田晴信が出家して徳栄軒信玄となります。弟の信廉も逍遥軒と名乗っているので、武田一族は「…軒」が好きだったようです。一方の謙信の号は不識庵ですね。有名な頼山陽の漢詩「鞭声粛々」は「不識庵機山を撃つの図に題す」というものです。謙信が信玄に斬りかかっている絵ですね。ということは、信玄は機山とも名乗ったようです。出家したからには常識的には俗名から離れるわけで、名字もなくなるはずです。武田晴信は正しいのですが、武田信玄と呼ぶのは本来はおかしいことになり、ただの信玄と呼ぶべきです。夏目漱石がただの漱石であるように。朝日新聞に連載している小説では、作者名はただ漱石とだけ書かれています。ところが禅宗の場合はまた奇妙なことになっています。夢想疎石とか太原雪斎とか一休宗純というのは何なのでしょう。まるで姓名のような感じです。一休さんの名前はただの「一休さん」でよさそうなのに、あらたまるとなぜか四字熟語のようになってしまいます。

滝沢馬琴の場合は本名が滝沢解で、ペンネームが「曲亭馬琴」。ということはただの「馬琴」ではないようです。「~亭」「~家」という、落語家にもよくあるのは、それこそファミリーネームなのかなあ。落語家の「林家」や「桂」は関西にも江戸にもありますが、別の家なのでしょうね。「曾我廼家」というのは喜劇系で、「浮世亭」というのは漫才系ですかね。「正弁丹吾亭」というのは法善寺横丁にある料理屋さんです。織田作之助の『夫婦善哉』にも登場する老舗ですが、もともと「こえたご」のある場所だったとか、いやいや「正しく弁(わきま)える丹(まごころ)のある吾(わたくしども)の亭(みせ)」という意味だとか、いろいろな説があるようです。いずれにせよ、食べ物屋の名前としてはインパクトがありすぎです。

「下呂の香り」というお菓子もなかなかのものです。下呂温泉のお土産として有名ですね。これもどういうねらいでのネーミングでしょうか。やはり受けをねらったのでしょうね。何も気づかなかった、というわけでもありますまい。ウニの名前で「バフンウニ」とあるのは、見た感じからつけられたのでしょうから、やむを得ませんが、食べているときに名前を思い出すと、やや抵抗があるかもしれません。おいしいだけに別の名前にしてほしかったと思います。「馬糞饅頭」となると、最初から食べることを目的とした饅頭にわざわざ「馬糞」と名付けたわけですから、これは何らかの意図をもっているような。色や形が似ているにしても、他の名前でもよいはずです。それをストレートに「馬糞」と呼んでしまうのは大らかさなのか、それとも作為がないように見せかける「作為」なのか。

前の希学園十三教室の裏手は波平通りと呼ばれていました。体は鉄腕アトムで顔が磯野波平という「鉄腕波平」発祥の地ということから付いた名前で、これも安易なネーミングですが、そのまま十三方向にまっすぐ行くと、駅前の通りをはさんで「しょんべん横丁」になります。飲食店のあるところの名前としてはいくらなんでもどうかなあという感じがします。酔っぱらいのおっさんたちが線路沿いの壁に用を足していたことからできた名前らしいのですが、こういうことに無頓着な人が多いのでしょうか、それとも露悪趣味なのでしょうか。「ブラック・レイン」のロケ地にもなったところなのですがねえ。

「しょんべん横丁」も焼けましたが、私の郷里の家の近くの「よろず屋」が「焼け店」と呼ばれていました。火事で焼けたことがあるから「焼け店」です。考えたら失礼な呼び名で「〇〇商店」というような正式名称もおそらくあったのでしょうが、みんな「焼け店」と呼び、店のほうもそれに対して抵抗がなかったようでした。ちなみにうちの家は「寺ん前」と呼ばれており、自らもそう名乗っていました。明治の廃仏毀釈で寺が神社に変わってしまったのですが、もともと寺があってその門前の家ということで、そう呼ばれていたらしい。あだ名というか、いわば屋号のようなものかもしれません。

歌舞伎の人たちも屋号を持っています。「音羽屋」とか「成田屋」とか。ご贔屓筋が士農工商の内の商人の扱いにしてもらえるようにと、店を持たせてくれ、そのご贔屓筋の名前を店の名にしたのが屋号の始まりともいわれます。『伽羅先代萩』という芝居に出てくる『一羽の雀が言うことにゃ』というフレーズが手まり歌になっていき、それが効果的に使われていたのが横溝正史の『悪魔の手鞠唄』ですね。マザーグース殺人事件のようなものを書こうとして、アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』にならって書いたのが『獄門島』です。それの発展形で、元の歌を自分で作ったのが『悪魔の手鞠唄』ですが、鬼首村のそれぞれ家にも「枡屋」とか「笊屋」とかいう屋号がついていました。金田一耕助が峠道でおりんと名のる老婆とすれ違うシーンが印象的でしたね。ところがじつは、おりんはそのときすでに死んでいたはず…という、わくわくする展開になっていきます。浅川美智子が鬼首おりんと名乗って鶴瓶とともに毎日放送のヤングタウンに出ていましたが、もはやだれも知らない…。

2017年4月15日 (土)

読書案内の講演会

昨年に引き続きまたしても講演会を行うことになりました。前回の記事以来告知に燃える私としては書かずにはいられません!

ババーン!

『~入試問題から見えてくる~灘中・甲陽学院中・神戸女学院中を目指す低学年児童のための読書案内』

長い! 

この企画は、誰に頼まれたわけでもないのに私が考えたものです。ある日、「はっ」と思いつき、西宮北口の教室長に、「こんなんどうですか」と口走ったところ、あっというまに実現の運びとなり、内心ちょっと焦っているのです。

なぜ西北なのかというと、実は私は西北の教室長とは同期の桜であり(年齢的には少しだけ私の方が若いのではないかという気がしますが)そのよしみで何とか西北に貢献したいと思ったからではなく、「灘・甲陽・神女」だったらまあ西北かなあ、小2と小6の授業も担当しているしなあ、といった事情によります。

国語講師をしていてよく寄せられる質問のひとつが、「どんな本を読ませたらいいですか」というものです。若いころは(いやまだ西北の教室長にくらべたら多少若いかもしれませんが)、何でも好きな本読んだらいいんじゃないかなああれ読めこれ読めなんて言って読書嫌いになられても困るしなあなんて思っていましたが、私もそれなりに年齢を重ね(とはいえ西北の教室長よりはどうやら少し若いようなのですが)、ここいらで一発真剣に考えをまとめておこうと思いました。

実は希学園では夏休み前に読書案内のプリントを配付しており、茶屋町のジュンク堂の児童書フロアにはこのプリントをもとにした希学園コーナーまであるのですが、今回の企画はそういう一般的な読書紹介ではなく、「灘・甲陽・神女志望者限定」の企画です。

この三校限定なのにはもちろんちゃんと理由があります。甲陽コースの矢原、神女コースの竹見にも「こんなんどう?」と訊いてみましたが、灘・甲陽・神女には共通する何かがある、というのが三人の共通見解です。

というわけで、5月20日土曜日です! 

塾生保護者の方、一般生保護者の方を問わず、ぜひぜひお誘い合わせのうえ、お越しください。お待ちしております。

2017年4月 1日 (土)

名字は「ああああ」

略語といえば、「マクドナルド」問題もありますね。東京では「マック」で大阪では「マクド」。「マック」は「~の子」という意味だから、それだけでは「マッキントッシュ」か「マックイーン」か「マッケンジー」か、何の略かわからないのに対して、「マクド」は「マック・ドナルド」であることが推定できるので、略語としてのレベルは高い。大阪の勝ちです。長いことばのどの部分をとってくるかはあまり規則性がないようです。「尼崎」は「尼」で「がさき」にはなりませんが、「池袋」は「ブクロ」、新宿は「ジュク」、「二子玉川」は「ニコタマ」です。では「天下茶屋」は「ガチャ」でしょうか。そこに住む人は「ガッチャマン」と呼ばれる、というギャグを合格祝賀会の劇で使いましたが、あまり受けなかった…。

思いがけない略語というのもあるようです。略語であることを知らずに使っているものは結構多く、たとえば「ボールペン」でさえ「ボールポイントペン」が元の形だとか。「教科書」は「教科用図書」、「切手」は「切符手形」、「軍手」は「軍用手袋」だそうです。よく使う「特訓」も、よく考えれば「特別訓練」の略語です。「割り勘」などは略語だろうなとはわかりますが、元の形が「割り前勘定」であることには気づきにくい。「自賠責」を「自動車損害賠償責任保険」とは言いたくないですね。「電卓」は「電子式卓上計算機」でしょうか。「馬券」も正式には「勝馬投票券」らしい。「食パン」が「主食パン」というのは卑怯な気がしますが、たしかに「食べるパン」ではおかしい。古いところでは「魚雷」は「魚形水雷」、「空母」は「航空母艦」で、四字熟語の中から妙なところをとってきています。

固有名詞では「天六」「上六」「谷九」なんてのもあります。「学習研究社」は「学研」が正式名称になったのかなあ。「関西電力株式会社」の「関電」は「感電」を連想させるし、ひょっとして「関東電力」と思われるかもしれないので、あまりよい略語ではないようですが、やむをえないのでしょうね。英米の人名でも略語があります。ロバートがボブとかボビー、ロブになったり、さらにバートとかバーティーなども短縮形ですね。マイケルもマイク、マイキー、ミッキー、ミックになったりします。日本では名字と名前の一部をとってきて、キムタクみたいにすることがあります。この略し方は一昔前にはなかったのではないかなあ。名前のほうの「タク」はよいのですが、名字は漢字で書いたら「木村」ですから、これを「キム」と略すのは抵抗があったはずです。漢字ではなく音のイメージでとらえるようになってきて登場した略し方かもしれません。マツケンやホリケン、マエケンは従来型、シムケンやタムケンはニュータイプですね。でも、不思議なことに高倉健はタカケン、渡辺謙はワタケンにならずに、ケンサンです。マツジュンとは言うのに、オカジュンと言わないのは、これいかに?

みのもんたをミノモンにしても意味がないので、これはなしでしょうが、勝新太郎のカツシンはありなんですね。何か規則性があるのかないのか。ンで終わらなくても、長谷川京子のハセキョーとか豊川悦司のトヨエツというのもあります。ミスチルは言いやすいが、セカオワなんて言いにくい。エ段の音のあと子音のkが来るだけでもひっかかりがあるのに、そのあとa・oの母音が連続して、さらに実質aに近いwaなのでいわば母音三連発。普通なら略語にならないのに、誰かが通ぶって略したのでしょうね。もともと長すぎて寿限無と変わらないので、略すのもやむをえないかもしれません。でも、セカオザのほうが略語としての品格はありますな、だれも知らんけど。

こういう省略形になっても固有名詞という扱いになるのでしょうかね。固有名詞という概念はどうもあまりかしこくないようで、なぜ普通名詞とわざわざ区別しようとしたのでしょうか。個体につける名前が固有名詞で、種類につける名前は普通名詞とする、という区分はまったく無意味です。「日本」は国名なので固有名詞ですが、「日本人」はどうなのでしょうか。英語なら一文字目が大文字になるから固有名詞とするのでしょう。でも、「サクラ」のように「種類名」は普通名詞なので、「日本人」も普通名詞になるはずです。「アメリカ」は固有名詞ですから「米国」も固有名詞のはずです。では「日米」は? これが固有名詞であるなら「日米関係」という名詞は? 同じく「日本風」はどうなのでしょうね。「日本食」は? これが固有名詞で「和食」が普通名詞であるとするなら、ばかばかしすぎます。

他と区別するために個人を呼ぶものが固有名詞であるとするならマイナンバーとか背番号はどうなのでしょうかね。単なる数字であって名詞ではないとすることもできますが、数字だって場合によっては「個性」をもつことがあります。どこかの学校の先生が「18782+18782=37564」を「いやなやつが二人いたら、みなごろし」とか言って問題になったことがありました。「777」なんてのは好まれる数字ですから、数字にだって個性があるといえます。ましてや自分の姓名であれば個性そのものかもしれません。

ただ「夫婦別姓」を主張する人の理由に、名前は自分の個性だというのがありますが、それはどうもなあという気がします。新しい名字になっても、その人の個性が消えるわけはないでしょう。とってつけたような理由を言うのではなく、名字が変わるのはいやだからだめだ、と言ってくれたほうが、よっぽどすっきりします。夫婦別姓が古くからあった例として源頼朝と北条政子を持ち出す人もいますが、政子は平氏ですから、本来は平政子で、「北条」はいわゆる名字ということになります。一方の頼朝の源は氏の名ですね。頼朝の名字は何だったのでしょう。「源」はあくまで「源氏」の一族であることを表すもので、名字ではありません。叔父の行家などは「新宮十郎行家」と呼ばれましたし、先祖の満仲も「多田満仲」と呼ばれたので、これは一種の名字と見てよいでしょう。住んでいるところやゆかりのある土地の名が名字になるわけですね。ということは「伊豆頼朝」とか「蛭ケ小島頼朝」とかの名字があってもよさそうですが、なぜか「源頼朝」です。名字を名乗らないのは、うちが「本家」だという意識ですかね。清盛の家も平です。藤原氏の場合は多すぎて、どれが本家かわからなくなってしまったのかもしれません。道長の子孫も九条、二条、一条、近衛、鷹司に分かれて、藤原と名乗らなくなります。ということは、いま藤原と名乗っている人は直系ではないということでしょうね。

これは前にも書いたような気がするのですが、夫や妻の名字を名乗るのがいやなら、夫婦別姓ではなく、新たに「ファミリーネーム」を作ればよいのになあ。ただ、変な名字を作る人もいそうです。「ああああ」とか「うん〇」とか。ファミコンでも規制されてたなあ。

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