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2017年5月の2件の記事

2017年5月31日 (水)

コンダラって何?

肩がこらないのでミステリー系が好きなのですが、伊坂幸太郎の『死神の精度』か何かに出ていた「雨男」と「雪男」の違いというのは、なかなかおもしろい。ことばの形式としては同じなのに、全く違う意味になります。ここまでの違いでなくてよいのなら「たこ焼き」と「目玉焼き」のような例がいくつもあります。「たこ焼き」はたこそのものを焼いているわけではないのですが、たこは入っています。一方の「目玉焼き」は目玉を焼いているのではありません。

「ないものはない」が二通りの意味にとれることは前にも書いたと思うのですが、西野カナの「あなたの好きなところ」という曲名は「あなたのよい点」という意味でしょう。でも「あなたが好む場所」ととれなくもない。「歌っていいな」と言うと、歌のすばらしさについてのつぶやきともとれますし、相手に自分の歌を聞くことを強要しているようにもとれます。文に書いたものを読む場合には、あきらかに二通りにとれるものでなくても、一瞬迷うものがあります。「この先生きてはいけない」は、特定の先生が来ることを拒否しているのか。「とんねるずらも同行した」というのは、静岡弁を喋ったのかと思ってしまいます。「青色っぽい自動車」は見た瞬間、「色っぽいって?」と思います。かんちがいと言えばかんちがいですが。

「出汁」を「でじる」と言う人がいますが、それは変だ、「だし」ではないかと思ったあと、でも「出汁」と書いて「だし」と読むのも妙と言えば妙、「出」の部分が「だし」なのだから「だしじる」と読んでもよいのではないかとも思えます。ただ、語感としては汚い感じがあって、自分が言うときには「だし」、読むときには「だしじる」と区別したり。結局その人の心理が「まちがい」にも反映されるのでしょうね。「ひわまり」や「おさがわせ」など、発音しやすい方を選ぼうとする万人共通の心理でしょう。「米朝会談」とあればアメリカと北朝鮮ですが、落語ファンなら思わず「桂米朝」だとかんちがいするのは「思い込み」のせいです。

朝日新聞のだれかの寄稿で、「コーラをどうぞ」と言われて出された麦茶を飲んだら思わず吐き出してしまう、というのがありました。ことばもともに飲んだり食ったりしているのだという結論だったように思いますが、これもコーラだと思い込んでいたからですね。その思い込みの盲点をつかれるとうろたえます。「玉手箱をあけたら煙が出て浦島太郎はじいさんになった。なぜか?」と問われたら、煙の正体を考えますが、答えは「太郎が男だったから」と言われて、「えっ、そこ?」と思います。でも思い込みから外れると、そういう答えもあり、ということに気づきます。自分の思い込みだけで考えようとすると、煙とじいさんの結びつきを別の発想でとらえることができなくなります。

有名な「重いコンダラ」というのも思い込みですね。『巨人の星』のテーマソングの「思い込んだら」をグラウンドの整備に使うローラーを引く姿と重ね合わせて「重いコンダラ」と「思い込んだ」のです。落語にも、「一つき百円で食べる方法」の答えが「心太を食え」というのがあります。ところてんは箱に入れて、後ろから突くと、前の金網を張ったところからニュルニュルと出てきます。「一月」と思ったら「一突き」だったということです。「心太」はもともと「こころふと」で、「こころ」は「凝る」、「ふと」は太い海藻の意味だったのが、「こころたい」→「こころてい」→「こころてん」→「ところてん」になったとか。

それはさておき、国語が弱い人って、設問の狙いを見抜けずに、思い込みで答えようとするのですね。浦島太郎の例で言えば逆に、用意されている答えは「煙の正体は浦島太郎から奪われていた時間だったのだ」のようなものなのに、「男だから」と答えて笑われてしまうのです。「どうして学校に行くの?」「学校が来てくれないから」のパターンです。国語の場合は傍線の引き方に注目すると、何が要求されているのかわかることもあるのですが、やはり不注意な人が多いようです。

こうなると思っていた、というのは思い込みと言うより「決めつけ」ですね。「カレーの口になっていたのに」という言い回しを聞くことがあります。カレーを食べるつもりになっていたのに、それを外されたときのガッカリ感は大きいものがあります。期待を裏切られるとつらいのです。これは出題者側にもありますね。「あの店はセイキョウだ」という書き取りを出題して「生協」と書かれたら、これはつらい。「サイコウのよい部屋」を「最高」と答えられてもペケにはできません。問題の出し方がまずい場合も多いのですね。「サイコウがよい部屋」としておけば答えは一つに決まります。

こういうのは仲間はずれを答えさせる問題でもよくあります。お入学の試験で「ウマ・ウシ・ウサギ・トラ」と出して「ウで始まる」という基準で選ばせようとしたら、字数に注目して「トラ」と答えられるかもしれません。「ネコ・ウマ・ウシ・ヘビ」は「哺乳類」かどうかでしょうが、「十二支にはいっているかどうか」という観点でも答えられます。「シマウマ・ウミネコ・アナグマ・ムササビ」なら、鳥がまじっているというのが素直ですが、ムササビだけは二字の組み合わせのことばではないという高尚な答えも考えられます。「カバ・トラ・カッパ・ヤギ」なんてのは、実在するかどうかなのか、漢字に直したときの字数なのか。「ウサギ・キツネ・タヌキ・スパゲッテイ」で「スパゲッテイ」と答えたら、「残念でした。ウサギ以外は麺類です」と言われるかもしれません。

何を基準にするか、というのは重要ですね。「服従」の反対は、一人の人間の態度として考えれば「抵抗」ですが、「服従」する側の反対、と考えれば「支配」でもいけます。いじわるクイズでもよくありますね。「エッグはなにご?」と聞いて「英語」と答えれば「たまご」と言い、「ストロベリーはなにご?」と聞いて「いちご」と答えれば「英語」と言い、「コーヒーは?」と聞いて相手が首をかしげれば「食後」と言います。「きょうきて、けさよむものは?」の答えは「朝刊」でも「坊さん」でも、相手の答えとはちがうほうを言います。折紙の「だまし舟」みたいなものですが、最近は折紙なんかするのかなあ。

「折紙つき」の「折紙」の実物はなかなか見る機会がないのですが、最近の刀剣ブームで見ることができるかもしれません。実物を見ておくことは大切です。昔、脚本の授業のとき、本物のシナリオを持ってきてくれた生徒がいました。映画の子役をやっていて、自分が出た映画やドラマの脚本を持ってきてくれたのです。ちょうどサンテレビの再放送の「大奥なんちゃら」というドラマで、徳川将軍のあとつぎの役で出ていました。灘中に行ったけど、その後どうしてるのかなあ。

2017年5月14日 (日)

読まずに死ねるか!

横溝の名前が出てきたので、久しぶりに最近読んだ本について書きましょう。

法坂一広『弁護士探偵物語・天使の分け前』。作者は現役の弁護士だそうですが、チャンドラーのパロディみたいで、正直言って「つくりもの感」濃厚でした。いくらハードボイルドと言っても、これはないわーという印象でした。懲戒された弁護士の「私」が、アルバイトとして探偵事務所の手伝いをしているときに殺人事件に巻き込まれ、容疑者として逮捕されるというストーリーは悪くないのに、文体がネックになってしまいました。

塩田武士『盤上のアルファ』。神戸の新聞社で警察担当だった記者が「おまえは嫌われている」と言われて、なぜか将棋担当に「左遷」されます。そこで知り合った真田信繁は33歳からプロの棋士を目指そうとしています。将棋を題材としていておもしろいのですが、新人賞の受賞作らしく、やはり粗削りな感じがします。この人の作品は先に『女神のタクト』を読んだのですが、これも引退した世界的な指揮者を探し出して、経営難の神戸のオーケストラを再建させるという、マンガっぽい話で、これはこれでおもしろかった。グリコ・森永事件を題材にした『罪の声』は読んでいないのですが、いろいろな賞をとっているようです。

原田マハ『奇跡の人』。ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの話です。三重苦の少女、介良(けら)れん、岩倉使節団の留学生として渡米した弱視の去場安(さりばあん)という名前がわざとらしいのが気になりますが、もう一人盲目の旅芸人をからめて、筋の運びとしては読みやすいものになっています。去場安は津田梅子のイメージですかね。「感動」というほどではなかったのが残念。この人の作品は『本日はお日柄もよく』もそうですが、読みやすい分、深みがないという感じがします。

恩田陸『夜の底は柔らかな幻』。直木賞作家です。日本の中にある治外法権の土地「途鎖」には、「イロ」という特殊能力を持つ者が多く存在しており…という、外国のSFによくある、詳しい説明もなく、最後まで何のことかわからないパターンでした。コッポラの『地獄の黙示録』をイメージしたとかいうのも納得です。とくに後半はグダグダで着地失敗という感じでした。恩田陸はたまにこういうことをやらかしますね。好きな作家なのですが。

サラ・グラン『探偵は壊れた街で』。「最高にクールな女性私立探偵」という謳い文句だったので、ハードボイルドを期待したのですが、探偵とは何ぞやみたいなところに力点を置いて、内面に入り込み過ぎています。読んでいて楽しいものではなかったなあ。

ダニエル・フリードマン『もう過去はいらない』。シリーズの二作目です。軽度の認知症がある88歳の要介護老人が主人公のハードボイルド。元殺人課の名刑事が歩行器を使って活躍するというアクションもので、イメージはクリント・イーストウッドです。ユダヤ人としてのアイデンティティもテーマの一つですが、とにかく荒っぽすぎるバイオレンスじじいです。そのため読後感はさわやかではありませんし、過去と現在が不規則に入れ替わる組み立てがわずらわしい感じでした。

スティーブン・キングの作品も久しぶりにたてつづけに読みました。「ダーク・タワー」のシリーズでドッと疲れて、ご無沙汰していましたが、『アンダー・ザ・ドーム』『11/22/63』『ドクター・スリープ』『ミスター・メルセデス』を一挙に読みました。『アンダー・ザ・ドーム』はアメリカの小さな町がなぜか見えないドーム状の障壁に囲まれて、外の世界と隔絶されるという、「設定だけ」の作品です。それを大長編に仕立てあげるキングの力業で読ませます。小松左京と同じように、「もし~たら」という発想をふくらませるテクニックはやはりさすがです。見ていませんが、テレビ・ドラマにもなっています。『11/22/63』は平凡な高校教師がタイムトンネルを通って、1958年の世界に行き、そこで過ごしながら、1963年11月22日のケネディ大統領暗殺を止めようとする、という話です。タイムトンネルは1958年のある日にしか行けません。ただし、そこでなんらかの行動をすると、現在に影響を及ぼします。過去にもどって過去を変えたら、時の流れはどう変わっていくのかという、よくあるパターンをやはりキングはうまく読ませてくれます。これもテレビ・ドラマになっています。『ドクター・スリープ』は名作『シャイニング』の続編です。『シャイニング』が未読であると、ちょっとしんどいかもしれませんが、長い話を一気に読ませてくれます。これは映画化されるそうな。『ミスター・メルセデス』はホラーではなくミステリーで、エドガー賞もとっています。就職フェアの行列にメルセデス・ベンツが突っ込み、8人の死者と多数の負傷者を出します。担当刑事は定年退職するのですが、その犯人からの挑戦状が来るという発端です。ミステリーとしてはいまいちだったような気もするのですが、三部作の一作目なので、続きもまた読むんだろうなあ。

阿部智里『烏に単は似合わない』『烏は主を選ばない』『黄金の烏』。評判のよいシリーズですが、小野不由美の「十二国記」に比べると、読むスピードがなかなか上がらない。文章はけっして下手ではないのですが…。

中村ふみ『裏閻魔』。長州藩士の主人公が新撰組に潜入するところから始まって、昭和の時代まで続くシリーズものです。主人公は刺青によって不老不死の呪いを背負ってしまうというラノベ系です。当然読みやすく、そこそこおもしろい。アニメになりそうな気配も濃厚です。

古野まほろ『ぐるりよざ殺人事件』。鬱墓村を舞台とした、横溝正史オマージュ作品なのですが、「セーラー服と黙示録」のシリーズなので、おっさんの読むものとしては大きな声では言いにくい。秋吉理香子の『暗黒女子』もだいぶ前に読んで、「イヤミス」としてはなかなかおもしろかったのですが、これもおっさんの読むものとしては…。

ちなみに最近見た映画は『相棒』です。「人質は50万人!」というやつです。読むものも映画もかたよってますなあ。あ、ちょっと古めのものですが、『リチャード二世』というのも見ました。BBCの「嘆きの王冠 ホロウ・クラウン」の劇場版です。シェークスピアの原作を下敷きにしており、セリフにリアルさのかけらもないところがなかなかよかった。でも、このシリーズを全部見ようと思ったら、一万円以上かかってしまう。見るべきか見ざるべきか。

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