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2018年6月の2件の記事

2018年6月28日 (木)

言いたいことは歌うな

シリーズ物の落語というのがあります。上方落語の旅ネタでは東西南北の四つの方向へ行きます。南の旅は「紀州飛脚」というのがあるのですが、あまり演じられません。北の旅は「池田の猪買い」という人気ネタです。西の旅は明石、舞子、須磨へ行くもので、「兵庫船」というのがちょくちょく演じられます。番外編として「小倉船」というのもあるのですが、これは海底への旅です。米朝さんが「あまりおもろい話やない」と言いながら、たまにやっていました。天空への旅の「月宮殿星の都」とか、冥途の旅の「地獄八景亡者戯」という大ネタもあります。

人気があるのは東の旅です。始まりの部分は口慣らしの要素があって前座クラスがよくやります。上方落語は江戸とはちがって、見台というものを使うことがあります。もともと本をのせるためのものですが、上方落語では張扇や拍子木でたたいて、音を出すために使います。江戸の落語が座敷でやるものだったのに対して、上方落語のルーツは外でやる「辻噺」、要は大道芸ですから、派手な音を出して道行く人の足を止める必要があったらしいんですね。で、これをガチャガチャ鳴らしながら、「ようよう上がりました私が、初席一番叟でございます」と話し始めます。いまどき、いきなり聞かされても意味がよくわからない古くさい感じのところです。入門すると、このネタをまずやらされるらしい。大学の落語研究会いわゆるオチケンでも熱心にやるようで、この口ぶりのままふだんもしゃべり、いかにも落語家になったみたいな気になっている、「いたい」やつも昔はいました。

この前口上の部分はリズムだけで、とりたてて笑いがあるわけでもないのですが、喜六と清八が伊勢参りに出かけるという設定が見えてくるところから話が始まります。「東の旅」の正式名称は「伊勢参宮神乃賑」と言います。「いせさんぐうかみのにぎわい」という、歌舞伎の題名と同じく、漢字七文字で縁起をかついだものになっています。伊勢へ行く途中のエピソードが、いくつかのネタに分かれて演じられます。「煮売屋」「七度狐」などはよく演じられる話です。「七度狐」は合格祝賀会の講師劇のストーリーに組み込んだこともあります。「軽業」はややマイナーですが、意外に笑いの多い話です。「矢橋船」というのは、近江の矢橋から大津へ向かう船の中で平家伝来の名刀「小烏丸」を探す侍と出会うという話で、これもたまに演じられます。「宿屋町」というのは、大津に宿泊するときの、客引き女と二人のやり取りで笑いをとる話です。「こぶ弁慶」というのは、宿屋の壁土を食べる妙な男が登場します。ところが、壁の中に塗りこめられていた大津絵の武蔵坊弁慶にとりつかれて肩のところに弁慶の首が出てくるという、ハチャメチャな話ですが、結構おもしろい。最後の「三十石夢乃通路」は、京から大坂へ向かう三十石舟の様子を描いたもので、船頭が舟唄を聞かせる場面もはいってなかなか風情があります。森の石松が乗って「すし食いねぇ」と言うのも、この三十石舟だったのですが、これも最近はどれだけの人が知っているのやら。

枝雀の「東の旅」では前口上ぬきで、「さて、例によりまして喜六、清八という大坂の若いもん、だいぶ時候もようなったんで、ひとつお伊勢参りでもしよやないか…」みたいな語りで始まることが多かったようです。そのあと、「大坂離れて早や玉造」なんて言い出すのですが、つまりこれは玉造は大坂ではない、ということですね。江戸だって、もともと小さかった。品川など、東海道の最初の宿場ですし、新宿も内藤新宿で甲府街道の入り口です。まあ、浦安にあっても東京ディズニーランドですが…。大坂の範囲は、もともと北組、南組があって、そのあと北組から天満組が分かれて大坂三郷と言います。お城の西側一帯が北組、南組、お城の北側が天満組といったイメージでしょうか。本当に今の大阪の真ん中のあたりだけです。玉造は環状線の駅にありますが、すでに大坂ではなかった。

さて、どんどん東に向かってやってきた二人は、くらがり峠にさしかかります。昼なお暗い、という意味なのでしょうが、落語では、馬の鞍がひっくり返る、「鞍返り」がなまって「くらがり」になったと説明しています。それほど難所だったということですね。今西祐行『とうげのおおかみ』という絵本にも「くらがり峠」が出てきますが、ここが舞台のようです。この峠、今はどうなっているのでしょうか。奈良の国道は、狭さには定評がありますから、おそらく細道のままなのでしょうね。「東の旅」は米朝一門がよくやっていたネタですが、前口上からこのあたりまで吉朝がやっていたのが記憶に残っています。入門のときに米朝が聞いてその達者さに感心したということです。ものまねをしたり、狂言や文楽とコラボをしたり、器用な人でしたが、中島らも、松尾貴史といっしょに劇団で芝居もやっていました。祝賀会講師劇のねたで、中島らもの「こどもの一生」を下敷きにしたものを出したことがあります。なんとホラーなんですね。もちろん、こわいだけでは祝賀会にはふさわしくないので、結局はお笑いになっていましたが。

落語にもホラーが結構あります。三遊亭圓朝の話は笑える落語ではなく、怪談です。怪談をやるようになったのは、圓朝のあまりのうまさに師匠が嫉妬し、妨害されたことがきっかけだとか。圓朝がやるつもりでいた演目を、師匠に指示された他の者が先回りして演じるため、やむをえず自作の演目を出すようになったらしい。のちに、その口演を筆記した速記本が出版され、それが坪内逍遥に影響をあたえ、言文一致体が誕生していきます。圓生や歌丸も圓朝のやったものを忠実にやっているようです。上方では、米朝や露の五郎も怪談をとりあげることがありました。夏場は怪談が定番だったのですね。弟子たちが幽霊に扮したり、人魂を揺らしたりして、暗くした客席に現れ、女性客をキャーキャー言わせていました。でも、話そのものはたった一人で演じきるのだから、なかなか大変です。

一人語りといえば講談も怪談をとりあげます。語り口調が大げさでわざとらしいのですが、怪談には逆に合うかもしれません。最近は講談と同様、お目にかかりにくくなっているのが浪曲、浪花節です。じつはこれ、言ってみれば一人ミュージカルなんですね。タモリはミュージカルがきらいだと言っていました。たしかに会話の途中でいきなり立ち上がって歌い出されるのはいやですね。「マイフェアレデイ」のようなコミカルな要素のあるものならまだしも、シリアスな内容だと、急に歌われるというのは違和感ありまくりです。劇団四季の「ライオンキング」なんかははじめからミュージカルアニメだったので、許せるのですが。言いたいことがあったら、ふつうに言え。

2018年6月 3日 (日)

あたり前田の

ちょっと間があきましたが、前回の続き。「~め」だけでなく「~す」も鳥を表すのではないかという説があります。たしかに「かけす・からす」「うぐいす」というのもあります。ただ、「からす」の「から」が何を意味するかは難問です。「うぐいす」は魚の「うぐい」と何か関係があるのかもしれません。

花の名前に戻ると「菊」は皇室の紋章にも使われており、日本古来の花のようですが、「キク」は音読みだし、外来種なのでしょう。菊の紋章になったのは後鳥羽以降という説もあります。メソポタミアにも菊の紋章はあったようで、天皇家の祖先はそのあたりから来たのかもしれません。高天原はフェニキアにあった、とか。「ばら」はどうでしょう。「薔薇」と書いて「そうび」と読むので、「ばら」のほうは訓読みです。「茨」が「いばら」「うばら」と読むので、この「い」や「う」が落ちたものでしょう。

ヨーロッパでは、「ばら戦争」というのがありました。戦争の名前に優雅な花の名前を冠するのは妙な感じがしますが、これも家紋から来ているのですね。白バラと赤バラを家紋とするヨークシャー家とランカスター家の王位継承権をめぐる争いです。BBCの番組で、このあたりのことをやっていましたが、なかなかおもしろかった。イギリスの国王で、最もインパクトがあるのがリチャード三世でしょう。シェークスピアの描いたとおりの人物かどうかわかりませんが、佐々木蔵之介主演の舞台も最近ありました。なかなか「人気」のある人です。エドワード四世の弟であるリチャードは王になりたいという野心をもち、さまざまな策略をめぐらします。兄に謀反の濡れ衣を着せて牢獄にほうりこんだのを手始めに、何人もの貴族を処刑して、王位への足場をつくっていきます。エドワード四世の王子が幼いのをよいことに摂政となったリチャードは王子とその弟をロンドン塔に幽閉して、ついに王冠を手にします。そして、二人の王子、さらには自分の妻まで殺害するのですが、やがて自ら処刑した者たちの亡霊にさいなまれるようになります。最後にはリッチモンド公の軍勢に攻められ、無残な戦死をします。何年か前、リチャード三世の遺骨を調査した結果、かなり悲惨な死に方だったことがわかったと新聞に載っていました。遺骨が残っていたこと自体が驚きです。

西洋や中国ではこんなふうにクセの強い国王や皇帝がよく登場しますが、日本の天皇はやはり温厚でものしずかなイメージが強いですね。行動的と言えば、後醍醐と文武両道のスーパーマン後鳥羽ぐらいでしょうか。後鳥羽は新古今の実質上の編集者とも言われますし、盗賊をとらえるために指揮をとり、自分も斬り合ったとか。刀剣好きで、自らも鍛えて、菊の紋章を入れたりしています。それに比べると、後醍醐は小物感が漂うぐらいです。NHK大河「草燃える」で後鳥羽を演じたのは尾上辰之助でした。若くして亡くなりましたが、後白河法皇を演じた尾上松緑との親子共演だったと思います。「太平記」の片岡孝夫の後醍醐は髭がむさくるしくていやだったなあ。楠木正成を武田鉄矢が演じて、これはよかった。

明治天皇は嵐寛寿郎が演じたのが有名です。オファーがあったときに、「そらあきまへん。不敬罪です。右翼に殺されますわ」と断ったのに、新聞に「嵐寛寿郎、大感激」と書かれて出演せざるをえなくなったとか。昭和天皇はハマクラこと浜口庫之介という作曲家が演じたことがあります。これはたしかに顔が似ていました。天皇のそっくりさんなんて、戦前なら不敬罪です。この役ならこの人というのは、当たり役でもあるのですが、イメージを限定することにもなってしまいます。渥美清も「寅さん」から抜け出せずに苦しんだようです。

再放送の「相棒」を見ていると、今をときめくスターがチョイ役、犯人役で出ていることがあって、ちょっと驚くことがあります。売れる前だったら、そういう役もやむをえなかったのでしょうが、たとえば仲間由紀恵が「貞子」をやってた、なんて聞くと「黒歴史」かなと思ってしまいますが、主役は主役です。ドリフがビートルズの前座をやったことがあるというのは「白歴史」というのかなあ。売れない俳優だったのが世界的な演出家になったというケースもあります。蜷川幸雄ですな。

読売テレビに勤めていた友人が演出した芝居を一心寺のミニシアターで見たことがあります。この一心寺というのも変な寺ですね。劇場をもっているというのも変ですし、納められた遺骨10年分をひとまとめにして「骨仏」なるものを造ります。遺骨で造られる阿弥陀如来像ということですね。落語などの演芸にも理解があって、落語会を催したりもしていますし、話の中にも登場します。「天神山」という話では「へんちきの源助」なる男が「花見やなしに墓見をしよう」と言って訪れるのが、この一心寺です。小糸と書かれた石塔の前で酒盛りをし、帰るときに土からのぞいているしゃれこうべを持って帰ってしまいます。その夜、若い女がたずねて来ますが、もちろんそのしゃれこうべの主ですね。この小糸が押しかけ女房になる、というのが話の前半。

後半は、源助のとなりに住む「どうらんの安兵衛」が主人公になります。「幽霊の女房は金がかからんで、ええでぇ」と言われ、一心寺へ行くのですが、そう簡単に若い女性のしゃれこうべが転がっているはずもなく、向かいの安居の天神さんへ行くと、狐をつかまえている男に出会います。その狐を買い取って逃がしてやると、この狐が若い女性の姿になって押しかけ女房になります。男の子が産まれて三年後、狐の正体がバレて、「恋しくばたずね来てみよ南なる天神山の森の中まで」という歌を障子に書き残して去って行きます。枝雀は「落ちなし」で終わりますが、狐になりきって、筆を口にくわえたりして「曲書き」をして終わる演じ方をする人もいました。この歌はもともと「恋しくばたずね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」でした。浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」、「あしやどうまんおおうちかがみ」と読みます。「葛の葉」は、和泉国信太、これは「しのだ」ですね、信太の森の女狐です。助けてくれた安倍保名と結ばれて、生まれた子供がつまり安倍晴明、という話のパロディが「天神山」です。きつねうどんや稲荷寿司を「しのだ」と呼ぶことがあるのも、これが元になっています。ちなみに、泉州信太出身の有名人といえば、あんかけの時次郎です。知りませんか。「てなもんや三度笠」の主人公で、藤田まことの出世作ですが…。この名前も、長谷川伸の戯曲「沓掛(くつかけ)時次郎」のパロディですね。柳家金語楼が西郷隆盛の役で出ていましたから、時代設定は幕末だったんですね。冒頭で藤田まことの決めゼリフ「オレがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」をたまに合格祝賀会でも使うのですが、だれも知らんのやろなぁ。古すぎてだれも知らんのも、あたり前田のクラッカー。

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