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2018年8月15日 (水)

圓生は寝られる

途中で歌い出さないまでも、芝居独特の口調というのがあります。歌舞伎などの古典劇や、宝塚のようなやや「特殊」なものでなくても芝居口調というものが存在します。一昔前の小劇団はそれが顕著でした。野田秀樹の芝居など、セリフのことばそのものも現実から遊離したものですが、さらにそれを独特の「節回し」で語るものだから、「つくりもの感」が強すぎて抵抗がありました。三宅裕司のところはさすがにふつうのくだけた口調に近いものでしたが、やたら歌いたがるのがミュージカル志向で困ったものでした。とにかく舞台でやる芝居には独特の口調があり、冷静に聞くとおけつがこそばゆい。ジャルジャルのコントでもやっていました。ザッツライト。「ザッツライト」って、なんのことかわからないでしょうね。芝居を見に行き、影響を受けて帰ってきたやつらの会話です。「さあ、質問だ。腹が減ったときに食うものは?」「カルボナーラだ」「ザッツライト」みたいな。

外国ドラマの吹き替えもクセがすごい。これはなだぎ武がやってました。アニメの声優もくせのあるしゃべりをする人がいます。ただし、こっちの方は発声そのものも独特の「アニメ声」になっています。現実にこういう声で、こういう話し方をするやつがいたら、きらわれるでしょうな。逆にリアリティありすぎも、ひいてしまいそうです。いわゆる任侠映画がすたれたあと、「仁義なき」のシリーズが出てきましたが、台詞回しもリアルすぎました。「三匹の侍」にしても、東映時代劇の歌舞伎の延長上の殺陣をぶちこわして、斬ったときの音や血しぶきのリアルさを追求しました。そこに様式美はありません。

歌舞伎の殺陣なんて、次々に来る相手を左右に切り分けたり、触れもしないのにやられた方がきれいに一回転したりする、というようなばかばかしいものです。ばかばかしいけれど、「様式美」として認められてきたわけですね。今の時代には通用しにくくなっていますが。漢文口調というのも通じなくなっているようです。「柳生一族の陰謀」のオープニング・ナレーションで「裏柳生口伝にいわく、闘えば必ず勝つ、これ兵法の第一義なり。人としての情けを断ちて、神に会うては神を斬り、仏に会うては仏を斬り、しかる後に初めて極意を得ん。かくの如くに行く手を阻むもの、悪鬼羅刹の化身なりとも、あにおくれをとるべけんや」と言っていましたが、いまどき「あにせざるべけんや」なんて意味不明でしょう。ただし、韻をふんだラップは受け入れられています。七五調にしても消えていくかと思いきや、「たとえこの身がほろぶとも」のように、まだまだすたれていません。

時代がたって残るものもあれば消えゆくものもあるというのは当然ですが、落語でもよく出てくる「質屋」のシステムも知らない人が増えています。「質流れ」と言ってもわかってもらえません。質屋に借りたお金を返さないまま期限が切れて、所有権が質屋に移ることですね。「遊山船」という落語があります。大川に夕涼みに来た喜六、清八の二人連れが橋の上から大川を見ていると、碇の模様の浴衣を着た連中が派手に騒いでいる船が通りかかる。「さてもきれいな碇の模様」とほめると、そのうちの一人の女性が「風が吹いても流れんように」と答えます。「おまえとこの嫁さんは、あんな洒落たこと、よう言わんやろ」と言われて清八は長屋に帰り、嫁さんにきたない浴衣を着せて、行水のたらいの中に入ります。屋根にのぼった清八が、ほめようと思ったら、浴衣のあまりのきたなさに思わず「さてもきたない碇の模様」と言うと、嫁さんが「質に置いても流れんように」。

この意味、わかるかなあ。「三ヶ月たったら流れるもの、なあに」というなぞなぞがありました。そんなものにさらりと答えられるはずかしさ。「質屋蔵」という話は上方にも江戸にもあります。質屋の蔵にお化けが出るという噂が町内に流れ、質屋の旦那が番頭に蔵の見張りをさせようとします。こわがりの番頭は、出入りの職人の熊五郎に応援を頼みますが、この熊さんもじつはこわがりで、二人でブルブル震えながら見張りをしていると、蔵の中から櫓太鼓の音が聞こえます。羽織と帯を質入れした相撲取りの気が残ったのか、羽織と帯の精が相撲を取っているのです。そのあと、横町の藤原さんが質に入れた天神さまの掛け軸がスルスルと下がって開き、天神さまが現れます。「この家の番頭か、藤原方へ利上げせよと申し伝えよ。また流されそうじゃ」利上げというのは、流れる前に利息だけ払って質流れを防ぐことですが、この話も通用しなくなっているのかもしれません。菅原道真が流されたことぐらいは知っていると思うのですが…。

落語と歌舞伎は相性が悪くないようで、お互いに影響しあっています。「文七元結」のように、落語のネタが歌舞伎になったり、歌舞伎のパロディを落語が取り入れたり、「コラボ」しています。野村萬斎の「コラボ三番叟」は舞踊ですが、レーザーを取り入れたりしていますし、中村獅童と「初音ミク」の共演というのもありました。「ワンピース」が歌舞伎の題材になったり、能でマリーアントワネットをやったりしています。いわゆる「大衆演劇」はそういう意味での進化形かもしれません。

大衆演劇でよく言われるのが「ペーソス」というやつで、ホロリとさせる部分ですが、こういうのは本当に必要なのでしょうか。喜劇王チャップリンの映画には必ずこの「ペーソス」が盛り込まれていました。対照的なのがバスター・キートンで、この人はペーソス排除派ですね。北野たけしでさえペーソス好きです。浅草出身で、やむをえないところもありますが。

最近のマンザイは昔とかなり変わってきました。どこで笑うか予想が難しいものがあります。一つ一つ積み重ねていって、最後にドカーンというやり方では、今のお客にはまどろっこしすぎるのでしょう。細かいギャグをちりばめているのですが、話の流れと無関係になることもあるようです。もちろん、一行とか一文だけでも笑えるものがあります。筒井康隆の好きな「一匹狼の大群がやってきた」などはたしかにおもしろい。まあ、ツボにはまればなんでもおもしろくなるんですけどね。

寄席の順番で、だんだんあたたまっていって、最後のトリで大いに笑わせます。これを逆にして、ベテランが最初からガンガン笑いをとりにいって、客席をあたためておけば、トリは新人でもどっかんどっかんうけるかもしれません。周囲のお客の笑い声も「暖める」要素になりますから、その点スタジオ録音というのは難しい。お客の反応もわからないのですから、やりにくいでしょうね。圓生はたくさんの録音を残していますが、えらいですねぇ。ただし笑いのあるネタよりもじっくり語るネタが多かったようです。圓生全集を毎晩のように寝る前にかけ、聴きながら眠ったものです。圓生はよく寝られる。

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