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2018年9月24日 (月)

「だましぶね」って知ってる?

省略化して楽をしたいというのは人情で、「気持ち悪い」を「きもい」、「はずかしい」を「はずい」と言うのも、やむをえないところもあります。アルファベットの省略語もよく使われますが、その語が使われる「分野」「業界」によって意味が変わることがあります。医療現場で「ICU」と言えば「集中治療室」ですが、学校関係の話では「国際基督教大学」になります。もともとアルファベットの省略語は元のことばが想像できないので、省略語としては非常にレベルの低いものでしょう。欧米ではそうせざるをえないのでしょうが…。

動詞の活用も、楽をしたいという気持ちのせいで、昔九種類あったものが、今は五つになっています。五段、上一段、下一段、カ変、サ変、というやつですね。これも一時は三つになろうとしていました。カ変、サ変という例外がなくなれば楽になります。東京の一部で「来ない」を「きない」と発音する人がいました。「き・き・きる・きる・きれ・きろ・きよ」としてしまえば上一段になります。結局は定着しなかったようで、「くる」を「きる」にするには抵抗があったのでしょう。一方、音の平坦化は進行中です。これも単語の発音の強弱、高低をなくせば楽になるわけで、「彼氏」の「か」を強く発音せず「枯れ死」のように言う「ギャル(すっかり死語になりました)」がいました。「バイク」は完全に平坦化しています。「ネット」は両方ありますが「ネ」を強く発音すれば「網」、平坦化すると「インターネット」になります。NHKでも、後者は平坦な発音をしているのではないでしょうか。

「不自由」のイントネーションは、「不」を高く言うのか低く言うのか、どちらが正しいのでしょうか。前者かと思っていたら、最近後者を聞くことがよくあります。「寿司」は「高→低」か平坦かどちらでしょうか。平坦に言う人でも「お」がつくと変わりますね。このあたりはなかなかなおもしろい。「西郷どん」はどうでしょうか。「せ」を高く言うのが東京風でしょうが、「ご」を高くするのが鹿児島風のような。「どん」もふくめて、「壁ドン」や「カツ丼」と同じように言う人もいます。「そだねー」は北海道風なら「だ」が高いと思うと思っていたのですが、「そ」を高く言っていました。書いた場合には東京のことばと同じ形なのに、「だ」を高く言うと北海道方言になるような気がしていたのですがね。

その土地では常識だけど、全国的には通用しないことばが「方言」ですが、方言であることに気づかないで使っていることもあるようです。「スコップ」と「シャベル」のちがいも、東京と大阪では反対になります。大阪では「シャベル」のほうが大きいのですが、東京では逆だとか。上部が平らで足をかけられるのが「シャベル」、上部が曲線状で足をかけられないのが「スコップ」という分け方をする人もいるようです。「シャベル」は英語で、「スコップ」はオランダ語というだけのちがいなのですがね。「ショベルカー」から考えても、大阪の考えが正しい、と一応断定しておきましょう。

「浪速の葦は伊勢の浜荻」という古いことわざがあります。土地土地で言い方がちがうということですね。「長崎ばってん江戸べらぼう」というのもあります。さらに「神戸兵庫のなんぞいやついでに丹波のいも訛り」と続けることもあるようです。「江戸べらぼうに京どすえ」「大阪さかいに江戸べらぼう」という言い方もありますが、「べらぼう」というのは穀物をつぶすヘラの「へら棒」が語源で、「ごくつぶし」の意味で使われはじめた、と落語では説明します。「へら棒」では力が入らないので「べ」になった、言うのですね。「べらんめえ口調」の「べらんめえ」も「べらぼうめ」の訛りですが、今どき使う人はいないでしょう。

落語で、「おこわにかける」という落ちがあります。「居残り佐平次」という話ですが、このことばも今どき使いません。「一杯くわせる」とか「だます」という意味です。「おこわ」は、米を蒸したものを「強飯(こわいい)」と言ったことから来ています。水を加えて炊いた今のごはんは「弱飯」とか「姫飯」と言い、もともと「おかゆ」に分類されるものだったのですね。古くは「固粥」と言いました。赤飯もおこわに含まれ、場合によっては「おこわ」イコール赤飯になります。「おこわにかける」は、だまされて、「おおこわや、こわや」と言うところから「おこわにかける」になったとか。宮部みゆきの時代小説ではよく登場します。このことば、気に入ってるんでしょうね。でも、死語です。

大阪弁でも「赤目つる」なんて実際には聞いたことがありません。仲が悪くなることで、血走った目をつり上げていがみ合うということでしょう。「いちびる」は今でも使う人がいますが、「いぬ」とか「いのく」はほとんどいません。「帰れ」の意味で「いね」と言われたり、「そこ、いのくな」と言われてじっとしていたりしたものですが。「ゆうれん」「そうれん」も落語でしか聞いたことがありません。「幽霊」「葬礼」の訛りです。「動く」が「いごく」になるのも、若い人は使いません。「ゆがむ」も「いがむ」と言ったんですね。「まっすぐ死ねん病気で死んだ」「そら、なんやねん」「胃がんや。いがんで死んだ」という、しょうもない話がありますが、今でも通じるかどうか。

江戸落語でたまに聞く「嘘と坊主の頭はゆったことがねえ」というのは、今の時代やはり無理があります。「言う」と「結う」は、たしかにほぼ同じ発音でしょうが、「た」がつくと「言った」は「いった」です。昔は「ゆった」と発音したのでしょうが、今は字にひかれて「いった」になっています。「言う」は「ゆう」ではなく「いう」と書くのですね。仮名遣いにもいろいろと問題点があります。たとえば「キョー」と発音することばでも、昔は「きょう・きやう・けう・けふ」と書き分けていました。「けさきて、きょうよむものは」というなぞなぞは現代仮名遣いならよいのですが、歴史的仮名遣いでは成立しません。ちなみに、このなぞなぞには「朝刊」と「坊主」という二つの答えが用意されていて、相手の言った答えをつねに不正解にするという根性の悪いものです。「袈裟来て経よむ」と「今朝来て今日よむ」の二つがかけられているのですね。折り紙の「だましぶね」みたいなものです。

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