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2018年10月の2件の記事

2018年10月30日 (火)

基準はBMI数値

ランクの話の続きです。将棋のタイトルは八つあるそうですが、どれが一番強いのでしょうか。名人戦とか竜王戦とか棋聖戦とか…。もともと七つだったのが、コンピューターソフトの挑戦者を決めるトーナメントが加わって、八つ。たぶん、歴史やいわれがあって、なんとなくの優劣があるのでしょう。賞金もその順序にしたがってちがいがあるのかなあ。では、全部制覇したら、特別な称号がつくのか。まさか八冠王? 羽生さんはたしか全部とっていた時期があったはずです。そのころは七つだったけど、どれだけ強いかわかりません。ほかに引退後名乗れる「永世~」という称号もありますし、とにかくややこしい。

ボクシングも階級が細分化して、タイトルの数が増えました。子供のころ見ていたときには、ヘビー級、ライトヘビー級、ミドル級、ジュニアミドル級、ウェルター級、ジュニアウェルター級、ライト級、ジュニアライト級、フェザー級、バンタム級、フライ級ぐらいしかなかったのに、今はその倍ぐらいに増えています。1、2キロぐらいのちがいで分けるんですね。だから減量がなかなか厳しいものになります。チャンピオンが減量に失敗したら王座はく奪になるのですから、必死です。パンツをはかずに計量することも認められているそうです。パンツの重さなんて知れているのですが、そこまで追い込まれることもあるのでしょう。「あしたのジョー」で、ジョーが走っても汗が出なくなるほど水分をしぼって、さらにガムを噛んで唾を出そうとしても唾さえ出なくなります。最後には血を抜いてまでして何とか計量にパスしました。逆に減量に失敗してしまい、やけになって計量の日にコーラをラッパ飲みしていた選手もいたそうな。

ずいぶん過酷な話ですが、ほぼ同じ体重の者が闘うというのは合理的です。プロはパンチに自分の全体重をのせてくるわけですから。その点、相撲はやはり日本の国技で、「合理的」とはほど遠い。四つに組むような格闘技なのに100キロの差で闘うというのは理不尽です。ただ、それでも小兵が勝つことがあるのが醍醐味でしょう。相撲が階級制になることはなさそうです。やはり伝統を大事にしていくでしょう。土俵に女性をあげるかどうかは別にして…。

力士のしこ名は昔と比べてかなり変わってきたような気がします。「しこ名」はもともと「醜名」と書きました。「醜」は「みにくい」ではなく、「強い」「逞しい」の意味でしょう。やがて「四股をふむ」と結びついて「四股名」と書かれるようになりました。信長は相撲が好きで、「信長公記」にもそういう記述があって、相撲取りの名前も載っていますが、そのころの相撲取りは、本名かあだ名で相撲を取っていたようです。江戸時代になって、本格的にプロの力士が現れ、しこ名を用いるようになりました。強さ、勇ましさを感じさせるものから、優雅さを表す「花」「山」「川」「海」「花」などの字を使うものになっていきます。昭和のころまではそういうしこ名が多かったのですが、郷土意識が薄くなったことや自然破壊の影響で名勝地も荒廃が進んだせいか、自然と結びついた名前が消えていきました。学生相撲出身者が本名で取り続けることも多くなり、音読みだけのしこ名も目立つようになりました。相撲の世界にもキラキラネームの名前がじわじわ浸透してきています。

現役を引退して「年寄」になるときの名前は受け継がれていくので優雅なものが多くあります。百人一首からとってくるという、宝塚と同じことをやっていました。「高砂の尾上の桜咲きにけり」の「高砂」「尾上」、「田子ノ浦に打ち出でて見れば白妙の富士の高ねに」の「田子ノ浦」「富士ヶ根」、字はちがいますが、「ちはやぶる神代もきかず龍田川」の「立田川」。「片男波」とか「九重」なんかもそうですね。

百人一首も漫画や映画の「ちはやふる」で人気が復活したようです。思いがけないものが人気になることがあるもので、よもやカーリングが人気スポーツになるとは思いませんでした。トイレ掃除のおばちゃんがやっていることがスポーツと言えるか、などと悪口を言われていたものですが…。ちなみに希学園十三教室からほど近い淀川区の三津屋商店街では、やかんとカーリングの「コラボレーション」とも言うべき「ヤカ―リング」をやっており、毎年2回、世界選手権大会まで開催しています。カーリングがこんなに人気なのに、カバディはどうなった。インド発祥のスポーツで、ヒンズー教の聖典「マハーバーラタ」にも出てくる由緒あるものだそうですが、難点は、攻撃する側が「カバディカバディカバディ…」と連呼しつづけなければならないということです。しかも、「途中で息継ぎすることなしに、絶えることなく明瞭に」という厳しいルールが存在します…。

クリケットなんて日本ではほとんど知られていませんが、世界では意外に人気があるようです。野球の原型のようなスポーツで、競技人口はサッカーに次いで世界第2位とか3位とか言われます。まあ、イギリス発祥なので、イギリス連邦諸国では人気があるのでしょう。日本では野球の人気が高かったので、クリケットのはいりこむ余地がなかったようです。

西欧発祥のスポーツでむかつくのは、日本選手が活躍すると、その技が使えなくなったり不利になったりするように、すぐにルールを変更することです。突然「スキー板の長さは身長の何パーセント以内」と言われると、スキー板は長いほど有利なので、小柄な選手が多い日本人には不利になります。日本選手が減量をすることで対応しようとしたら、またもやルール変更。「BMI数値を基準とした長さ」になります。BMI数値とは、肥満度を示す数字ですな。メタボと呼ばれる根拠になるもので、歌って踊れる希学園「エルサイズ」講師軍団の人たちには忌み嫌われる数字です。この数字を基準にすると、やせすぎの選手は板を短くしなければならなくなりました。これを日本いじめと言わずして何と言うのか。

2018年10月 7日 (日)

ピンキリはどっちが上?

「けさきて、きょうよむものは」というなぞなぞでは、二つの意味がかけられていたのですが、昔のかなづかいだと「今日」は「けふ」、「経」は「きやう」と書き分けられます。ただし、実際には庶民の間ではいいかげんな書き方をしていたようです。落語の「鷺取り」のラストで、「これへとへすくふてやる」ということばが出てきます。梅田の有名なお寺に太融寺というのがあります。その近くに萩の円頓寺というお寺があって、昔は大きな池があったそうです。梅田というのは湿地帯だったところを埋めたから「埋田」、のちに字を改めて「梅田」になったのですね。このあたりに大きな池があってもふしぎではありません。

その池にいる鷺をとって金もうけしようとした男、いくらでもとれるものだから片っ端からとって、腰の周りいっぱいに鷺をくくりつけました。やがて夜明けになり、目を覚ました鷺たちがいっせいに羽ばたきはじめ、この男は沖天高く舞い上がります。そのうちに、目の前にまっすぐ立つ鉄の棒が見えたものだから、これ幸いとつかまりました。これがなんと四天王寺の五重の塔の九輪です。寺としても、放っとくわけにはいかんということで、大勢の坊さんが修行のために寝る大きな布団を持ち出して、そこに飛び降りさせようとします。それを男に知らせるためにたてたのぼりに「これへとへすくふてやる」と書いてある。「これへ飛べ救うてやる」ということですね。男は飛び降ります。ところが、布団の真ん中に猛烈な勢いでつっこんだので、布団の四隅を持っていた坊さんが頭をぶつけて、「一人助かって、四人死んじゃったとさ」という、ひどい落ちです。

さて問題は、この「すくふて」の部分です。「すくふ」はハ行四段活用で「は・ひ・ふ・ふ・へ・へ」と活用します。「て」につながると「すくひて」となります。現在の共通語ならこれが「すくって」と変化します。「っ」という音に変わることを「促音便」と言いますが、関西では「ウ音便」になります。「すくうて」ですね。でも、そういう文法的なことまで考えず、言い切りが「すくふ」なのだから「すくふて」でよいだろうと思って書くのでしょう。「シクラメンのかほり」も「かをり」が正しいのですが、なんとなく「かほり」のほうがイメージがいい。結構古い時代からまちがって書かれていたようです。人名に使われるのも「かほり」です。小椋桂が「シクラメンのかほり」と名付けたのは、奥さんの名前が「かほり」だったからということだったような気もします。眞鍋かをりというタレントはおそらく本名なのでしょうが、旧字体の「眞」も含めて、細かいところを大切にするご家庭のようです。

「ほ」と「を」と「お」は発音がちがうのに、結局あいまいになっていきました。長い年月がたてば変化していくのは当然です。現在日本語の母音はアイウエオの五つですが、上代は八母音だったという説があります。現在のアイウエオの五母音(甲類)のほかに、「イウエ」にはちょっと曖昧な発音をする別の音(乙類)があったというのです。そのころは漢字を使って日本語の音を書き表すしかなかったのですが、甲類と乙類とで厳密に漢字を使い分けていたとか。では、その音はどうちがうのか。たとえば「エ」という音の場合、「ai」がつまって「エ」になることがあります。「長息」が変化して「嘆き」という語が生まれたわけですが、このときの「エ」の音と、「ia」がつまって「エ」になったときとは発音がちがう、という説明だったと思います。「ia」がつまって「エ」になる場合の例は忘れてしまいましたが、今考えてもなかなか思いつきません。

かわりにくだらないことを思い出しました。焼酎にも甲類・乙類があります。甲類というのは、スーパーで売っている、いかにもアルコールという感じの安い焼酎で、乙類は芋焼酎とか麦焼酎のように、原料の個性が強く出たものです。「本格焼酎」というやつですね。両者はつくり方がまったくちがうようで、乙類が伝統的な製法であるのに対して、甲類は「新式焼酎」とも呼ばれていました。「甲乙」といっても等級ではなく、酒税上の違いで分けたのでしょう。「焼酎」は読み方も妙だし、何語なんでしょうね。やまとことばで呼んでいないということは、たとえば中国で「シャオチュウ」とかなんとか呼んでいたものが輸入されたのかもしれません。

日本酒は一級・二級と分けていました。これは品質による区分だったようで、さらに特級酒というのもありました。税率が違ってくるので、値段も変わってきます。そこで良心的メーカーはあえて良い品質のものを二級酒として売っていることもありました。酒飲みのおっさんたちの間では、有名どころの特級酒よりも名もないメーカーの二級酒のほうがうまいということばもよく聞かれました。結局分けることに意味がないというわけで、今は一級・二級という分類は廃止されています。かわりに大吟醸、純米大吟醸、吟醸、純米吟醸、本醸造、純米、どれがよいのかわかりにくい。漢字の数が多いほど高級、という印象がたぶん当たっていそうです。

「松竹梅」も「松」と「梅」でどちらがよいのかイメージしにくい。本来は優劣がなかったはずなのに、ランクを表すことばとして使われます。梅の花のほうが明るくて豪華な感じもするのですが、ふつうは「松」が特上、「竹」が上、「梅」が並になります。店で注文するときに「並」と言いにくいだろうという心配りなのでしょう。とはいうものの、みんながそれを知っているなら、やはり「梅」は注文しにくい。そのせいか、たまに順序を逆にしている店もあるようです。その点「金銀銅」ならわかりやすい。「ゴールド」と「プラチナ」と言われると、「ゴールド」になじみがあるせいか、なんとなく「ゴールド」のほうが上のように思ってしまいます。非常に売れた曲はゴールドレコードと呼ばれましたが、プラチナレコードというのはそれよりもさらに売れた曲でした。でも「黄金」と「白金」では、なんとなく「黄金」のほうが豪華な感じがするのは私だけでしょうか。「白金」は「白金カイロ」というものもあったので、なんとなく安っぽい感じがするのかもしれません。「白金」を盗んだ者は「ぷらちなやつ」と言われてしまうのですが…。

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