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2023年4月の2件の記事

2023年4月30日 (日)

アメリカのオタク

辻まことという詩人の文章を授業で取り上げたことがあります。この人の母親の野枝さんは夫のもとを飛び出して、別の男のところに行ってしまいます。野枝さんはその男とともに甘粕正彦という人物に殺されてしまいます。その男とは、もちろん大杉栄ですね。これは親戚ではなく、何らかの関連で有名人と結び付いてしまうという形になります。よくある「知り合いの知り合いがあの○○だ」というやつですが、いくらなんでも甘粕正彦や大杉栄というのはインパクトがあります。甘粕正彦は上杉四天王の一人甘粕景持の子孫ですが、満州映画の社長でもありました。芸能界との縁もあったのですね。そのときに、「この女の子は将来性がある」と見込んだのが浅丘ルリ子です。この人はまだ現役で、たまにドラマにも出ていますね。

人と人とのつながりというのは意外なものもあっておもしろいものです。漱石と鴎外も時期はちがいますが、同じ家に住んでいたことがあり、この家は犬山市の「明治村」に残っています。最近鴎外宛に書かれた大量の手紙が見つかって話題になりましたが、漱石からの手紙もあったそうです。ライバルのようなイメージもある両者ですが、年賀状のやりとりぐらいはあったようです。

森鴎外は子供に西洋風の名前をつけています。女の子は茉莉と杏奴で、鴎外宛の手紙が見つかったのは茉莉の嫁ぎ先の家でした。杏奴は小堀四郎に嫁いで、小堀杏奴と名乗っていますが、亡くなったのは平成になってからだったと思います。男の子が於兎、不律、類で、最後の類は朝井まかてが最近小説の主人公にしています。タイトルもそのまま『類』でした。ルイはフランス系の名前で、ドイツ系ならルートヴィヒになります。オットーやフリッツはドイツ系の名前ですね。鴎外はドイツに留学しているので、身近に感じる名前だったのかもしれません。

外国の人が日本に帰化するとき、名前を自由に決められるそうです。日本風の名前を新たにつけてもかまわないし、もともとの名前をカタカナ表記にしてもよいことになっています。アルファベットが使えないのは当然ですが、日本にない「漢字」は使えません。ドナルド・キーンは姓と名の順を変えて「キーンドナルド」になりましたが、たまにおふざけで「鬼怒鳴門」と書くこともあったようです。ギタリストのクロード・チアリは「智有蔵上人」にしています。二人とも、漢字に心ひかれるものがあったのでしょうね。

暴走族のチーム名も万葉仮名風の漢字になっているものがあります。「論利衣宇流不」で「ロンリーウルフ」とか、「紅麗威甦」で「グリース」とか。「夜露死苦」とか「仏恥義理」とかも含めて、「ヤンキー漢字」と名付けられているそうな。特攻服に「魔苦怒奈流怒」のようなおどろおどろしい漢字が書かれていると、見た瞬間はちょっとビビります。よく読むと、「なんじゃこりゃ」になりますが。ヤンキーも意外に漢字が好きなんですね。「鏖」なんて、ちょっと読めない字を使ったりもします。「鏖殺」と書いて「おうさつ」と読みますが、「鏖」の訓読みは「みな○ろし」です。黒のスプレーで「鬼魔零天使参上」とか書いてあったりすると、「参上」という言葉になんとも言えないものを感じます。

時代劇やアニメなどで、自分のことを名乗って「○○参上!」という台詞とともに登場することもよくあり、「○○が現れた」という意味で使われるのですが、本来「参上」は謙譲語です。目上の人のところに来ることなので、暴走族は自分たちのことをへりくだって表現する謙虚な人たちなのかもしれません。「見参」という言葉も同様ですね。「けんざん」とも「げんざん」とも読みますが、「参上」と同じような使い方をします。いずれにせよ、「名乗り」をしたいのですね。武士が「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは…」と名乗るような気持ちなのでしょうか。武士の場合は「よい敵」に来てもらうという目的もあったようですが、名乗りをあげているときには一種の自己陶酔のような心情もあったのではないでしょうか。

や○ざの「口上」も同じ心理かもしれません。初対面のときの挨拶で、俗に「仁義を切る」と言われるやつですね。「お控えなすって。手前生国と発しますところ、関東にござんす。」というように、だいたいパターンが決まっています。『昭和残侠伝』という高倉健の代表作では池辺良と菅原謙次の仁義を切るシーンが結構長く続きます。本物を見たわけではないのですが、妙にリアルでした。当然、本職(?)の監修があったのでしょう。『男はつらいよ』のフーテンの寅さんもきちんと仁義を切るシーンがありました。あの人は「テキヤ」ですから「露天商」なのですが、自分のことを「渡世人」とも言っています。「や○ざ」の親戚みたいなものなので、やはり土地土地の「親分」のところで仁義を切るわけですね。

「無宿渡世人」という言葉もありました。江戸時代には、一般庶民は自分が住む村や町のお寺の「人別帳」に登録されていました。要するに戸籍です。村から出て行方知れずになると人別帳から外されて、これが「無宿」ということになります。笹沢佐保の『木枯し紋次郎』のイメージです。生まれ故郷の上州新田郡三日月村を捨てた旅人です。仁義を切るときに、やたら生国を強調するのは、渡世人ではあるが無宿人ではないということを言いたかったのかもしれません。『拳銃無宿』というテレビドラマがありました。賞金稼ぎの男が主人公になっているアメリカの西部劇で、旅から旅をしてお尋ね者を捜し回るところから邦題を『拳銃無宿』にしたのでしょう。この主人公を演じたのが若き日のスティーブ・マックィーンです。

昔のアメリカのテレビドラマは根強いファンを持つものが多く、映画化されることもよくありました。たとえば『スタートレック』も、もともとテレビドラマで、邦題は『宇宙大作戦』という、はなはだダサいものでした。最初は視聴率もたいしたことがなく、途中で打ち切られたりもしたのですが、熱烈なファンによって、人気が出たそうな。アメリカのオタクもおそるべし。

2023年4月 7日 (金)

親戚の親戚は親戚だ

日本の旗は日章旗、つまり日の丸ですが、白地に赤丸の旗を最初に使ったのは源氏だと言われます。紅白に分かれての合戦のきっかけになったのは、平家の赤旗と源氏の白旗だということになっていますが、その旗に平家は金色の日輪、源氏は赤色の日輪を描いていたらしい。結果的に源氏が勝ったので、その旗がめでたいとされたのでしょう。今は法律で国旗とさだめられていますが、「君が代」も国歌として法律で定められています。

「君が代」の作詞者はわかりませんが、古今集の詠み人知らずの歌が元になっています。世界一古い歌詞と言ってよいでしょう。メロディはじつは二通りあって、最初はあるイギリス人が作曲してくれたらしい。でも、あまり評判がよくなかったので、宮内省が作りなおしたそうな。他の国の国歌にはかなり闘争的なものもあるのに比べて、日本の国は歌詞も曲もおだやかです。だいたい、石が大きくなるという発想がなかなかのものです。さらに言えば、苔をよいものとしてとらえているのもおもしろいですね。「転石苔むさず」の解釈について、イギリスとアメリカのちがいがよく言われます。イギリスは、ゴロゴロ転がっていると苔がつかないから、一つのところに腰を落ち着けるべきだとします。転がる石はろくでなし、つまり「不良」なんですね。ローリングストーンズというバンドは、自らをそう意識していたからの命名でしょう。アメリカでは、新天地を求めていけば苔のようなものはつかなくてすむという発想です。

英語と米語は細かい部分での文法的ちがいもありますし、表現の仕方もちがっています。それはイギリスとアメリカのものの考え方のちがいの反映でしょう。そうなると、米語を「イングリッシュ」と言ってよいのかどうか。米語をアメリカン・イングリッシュとして、英語の方言の一種と見なす考え方もあるようです。その米語にしても、北部と南部ではかなりちがうようですし、東海岸と西海岸とでも多少のちがいがあると言います。

日本で英語を学んだ者にとってはイギリス人の発音は習った発音記号に沿っていて聞き取りやすいのに、アメリカの映画は何を言っているのか、よく聞き取れません。でも、なぜかトランプ元大統領の言葉はバイデンに比べると、非常に聞き取りやすいなあ。意外に几帳面で、ゆっくりしゃべるせいもあるかもしれません。一説には語彙が少なく小学生レベルの英語だから、と言う人もいるようですが。

日本の天皇も、非常にゆっくり、ていねいにしゃべります。「綸言汗のごとし」ということばがあって、出た汗が元にもどせないように、天皇のことばもいったん口に出したら取り消しがきかないから、ていねいにしゃべることになっているそうです。前の天皇が退位を考えた理由は、高齢による体力の低下だということですが、言いまちがいをする可能性のことを考えたのかもしれません。昭和天皇の玉音放送もゆっくりです。あれはレコードに録音したものですが、そのレコードをめぐって激しい争奪戦があったことも有名です。しかしながら、玉音放送をリアルに聞いた人はかなり少なくなってきています。

「明治・大正・昭和を生き抜いてきた」とよく言ます。三つの時代を生き抜いたというのはすごいなあと思いますが、今の時代「昭和・平成・令和を生き抜いてきた」人も、じつはたくさんいます。でも、「昭和」はすでに「レトロ」な時代として扱われることがあるのですね。戦前ならともかく、前の東京オリンピックの時代が「レトロ」なのかとびっくりしますが、半世紀をこえてしまえば、やはり「レトロ」でしょう。ところが一方では寿命がのびていますから、半世紀の50年というのはそれほど長い時間でもない。「人間五十年」の時代には25歳が折り返し地点なので、何事につけてもサイクルが早かったでしょう。そのころの40歳は初老だったわけです。今や平均寿命が80歳以上ですから、「古来稀なり」と言われた「古稀」も、七十七歳の「喜寿」も楽々こえて「米寿」もありふれ、九十の「傘寿」も目前です。「白寿」となると、さすがにちょっとむずかしい。これは「百歳マイナス一歳」ということで「百」から「一」をとって「白寿」だというのですね。百歳ごえは、それこそ「古希」と言ってもよいかもしれません。永遠の命を願うのは無理だし、年寄りのまま永遠に生きるというのも残酷な話で、だからこそ「不老長寿」を願うのでしょう。「フォーエバーヤング」ですね。

始皇帝が不老長寿を手に入れるために、蓬莱島に遣わしたとされるのが「徐福」という人物です。蓬莱島は方角的に日本ということになってしまい、徐福が上陸したという場所が各地にあります。では、徐福の子孫はどうなったのでしょうか。表に出なくても、その血はなんらかの形で今に伝わっているのかもしれません。長宗我部氏が秦氏の子孫だと自ら言うように、誰かの血筋は意外に途絶えずにつながっていくようです。豊臣家の子孫だって、妻の系譜をたどれば木下家という大名になり、歌人の木下利玄はその子孫です。秀吉の姉の子孫も、藤原氏嫡流の九条家にとついで、その血筋の一人が大正天皇の皇后となっていますから、今の皇室も秀吉の親戚ということとなります。女系のつながりで見ると脈々とつながっている場合があるのですね。大塚ひかりという人の『女系図で見る驚きの日本史』『女系図でみる日本争乱史』などを読むと、ちがう視点での歴史のつながりが見えてきて、すごくおもしろい。

テレビで○○と××が実は遠い親戚だった、という番組があります。親戚の親戚をつないでいけば、思いがけない人とつながることもあるでしょう。遠い親戚にジョン・レノンがいる、なんてわかったらおもしろいでしょうね。授業でたまに高見順の詩を取り上げることがあります。この人の出生はちょっと複雑な事情があるのですが、阪本越郎という、やはり有名な詩人が母親ちがいの兄にあたります。高見順の娘が高見恭子といって、タレントとしてよくテレビに出ていました。阪本越郎の娘は狂言師の野村万作に嫁いでいて、生まれたのが野村萬斎です。高見順の父親の親戚に永井荷風という小説家がいますから、この人たちはみんな親戚です。

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