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2023年10月の2件の記事

2023年10月31日 (火)

ジェイソンを知らない子供たち

最近亡くなった上岡龍太郎が、落語でも講談でもない、「話を上岡風に語る」という芸をやっています。「雨禁獄」という妙な言葉があります。白河法皇が、ある行事をしようとしたところ、雨のために何度も延期することになって怒り心頭、雨を器に入れて獄舎に下した、という『古事談』にある話が元になっていますが、これを「お話」として語るのですね。あるいは、「こんな映画を見た」という内容の話。笑いをとるわけでもなく、ただ話を聞かせるというスタイルで聞き手を引きつけます。お蔵入りになった「幻の映画」のストーリーを紹介するという形で、演じた俳優の名前も明かして、最後のところで「お蔵入り」になった理由がわかります。聞いている客はみんなその映画を見たいと思ったでしょう。ところが、実はすべてフィクションで、そんな映画は実在しないのですね。もちろん、上岡はその種明かしもしないで、舞台をおりていきます。

古舘伊知郎もひたすら自分の話術を聞かせるという舞台をやっていました。たとえばお釈迦様一代記みたいな話を、何も見ないでストーリーとして語っていくのですが、しゃべることがすべて頭の中にはいっていないとできません。しかも古舘がやる、ということなので聞く者も淀みのないしゃべりを期待しています。言いまちがいも許されませんし、言葉につまるとか、「アー」や「エー」など言うのは論外です。まさに「しゃべりの一本勝負」というところで、それはまあ実に見事でした。プロレスの中継をしていたときはやたら仰々しいフレーズを使う軽薄な男、という印象だったのに、さすが「しゃべりのプロ」という感じでした。

ストーリーを語る、という点では人情話や怪談も落語のネタになると前回書きましたが、怪談は三遊亭圓朝という人が始めたと言ってよいでしょう。この人はもともと笑いをとる話もやっていたようですが、あまりのうまさに周囲だけでなく師匠にさえもねたまれ、自分がやろうとしていたネタを先に別の人がわざとやって邪魔をするということもあったそうです。そこで、他の人にはない持ちネタを作ろうということで、怪談話を始めたとか。こういう話では笑いをとるわけにはいきませんが、そうなると講談との違いが薄れてきます。声を張り上げリズミカルに言葉を発する講談に比べると、おさえたトーンでリアルな話しぶり、という違いはあるでしょうが、ネタはかぶっている場合があります。最近は神田伯山の人気によって、講談も再評価されて集客力も上がってきているようです。一方、浪曲はどうでしょうか。絶滅に近いような状態かもしれません。浪曲ファンだと言う若い人がどれだけいるのでしょうか。

一人漫才とも言うべき「漫談」という形式は細々と続いています。綾小路きみまろというビッグスターもいましたし、今はすっかり俳優になってしまった「でんでん」も分類すれば漫談だったと言えます。鳥肌実というかなりあぶない人もいました。一人でやる人としては、ダンディ坂野、小島よしお、スギちゃん、ケンドーコバヤシ、たむらけんじ、変わったところではマキタスポーツ、今はなき(?)ガリガリガリクソンとか、結構いることはいるのですが、純粋な「しゃべり」だけでなく、リズムねたであったり、コントや物真似と融合したりしていることも多いようです。「物真似」はテレビでもよくやるので、結構人気があります。コロナ禍で身動きがとれなかったころ、YouTubeを利用して、物真似芸人がいろいろと発信していました。ミラクルひかるなんて、なんとガーシーの物真似をやってましたからね。

YouTubeでは、怪談も盛んで、一つのジャンルとして定着していますが、「実話」と銘打っているものと、「創作」と名乗らないまでも、つくりもののストーリーだと思われるものとがあります。後者のほうが、意識して作っているのですから面白さは上のように思えるのですが、わざとらしくて、ウソくささが鼻につくこともあります。実話系はオチがあるわけでもないのに、妙にこわかったりします。ひと昔前、ある都市伝説がはやりました。見た者を一週間後に呪い殺す「呪いのビデオ」という話で、友達の友達の話、みたいなよくある形式になっていますが、それって小説の『リング』やがな、ということがありました。小説を読んだだれかが人に話した内容がさらに別の人に伝わっていくうちに、一つの都市伝説になってしまったのですが、元ネタがはっきりしているという点でめずらしいパターンです。

短歌の世界でも元ネタのある歌というのがあります。元の歌をふまえて新しい歌の背景とすることで、歌に奥行きや幅が生まれるというのが「本歌取り」ですが、これが有効になるのは元歌を知っているという条件があるからです。パロディも同様で、元になるものを知らないと意味不明であり、面白さも当然感じられません。ところが、本来有名でだれでも知っていたはずの元ネタが時代の変化で忘れられることもあるのですね。だいぶ以前に書いた、標語の審査に出かける父親が子どもたちに「父はヒョウゴにおもむかん」と言ったという話も、元ネタの『青葉の別れ』が歌われなくなった現在、まったく意味不明でしょう。流行語のパロディなど、元ネタが「流行」つまりやがては消えるものなので、どうしようもありません。「笑点」という番組名の元ネタが『氷点』であることも、『氷点』という作品がほとんど読まれていない現在、知らない人のほうが多いでしょう。

『バタリアン』という映画名を元にした「オバタリアン」という言葉もありましたが、いまやどちらも忘れられています。以前、生徒たちに「睡眠中、体から酸を出す昆虫って知ってる?」と聞いたところ、答えがない。「蚊や」「なんで?」「カーネル・サンダース」と言ったところ、「きょとんとしています。カーネル・サンダースの名前を知らないんですね。たしかに最近、この名前を聞かなくなりました。ちなみにくまのプーさんの本名もサンダースなんですが、これも知らないだろうなぁ。チェーン・ソーを振り回すホラー映画の主人公ジェイソンも子どもたちは知りません。「えっ、ジェイソン知らんの? 君らは『ジェイソンを知らない子供たち』か!」と言ってもさらに通じません。そりゃそうだ、そもそも元ネタの『戦争を知らない子供たち』という歌を知らないのだから。

2023年10月19日 (木)

どうもすみません

ことわざの授業をしていて「三人寄れば文殊の知恵」というのが出てきました。「文殊菩薩」というのは「普賢菩薩」とセットで釈迦如来の横に立ってると言うと、なるほどとうなずく者もいましたが、わからない者も多い。そこで、「菩薩」の説明をしたあと、「君らでも知ってる菩薩がある。観世音菩薩とお地蔵様や」と言うと、「お地蔵様って何?」とぬかす不届きな生徒がいたので怒りのあまり、「お地蔵様、知らんのか。『いただきます』と言ってご飯食べたあとに言う言葉や!」と言うと、すかさず「そら、ご馳走様や」と鋭くツッコミを入れる生徒が何人もいました。関西人としてすくすく育っています。北千里教室の五年生、ありがとう。

で、前回の続きですが、「漁夫の利」は原文では「漁夫」ではなく「漁父」です。しかも読み方は「ふ」ではなく「ほ」と読み、父親ではなく年寄りという意味になります…と言うのは「蛇足」ですね。「蛇足」も戦国時代の話で、居候たちが主人からもらった酒をめぐっての出来事です。主人が数人の居候に与えた酒が中途半端な量だったのでしょう。一人で飲むには多く、かといって皆で分けると足りない。そこで勝負しようじゃないか、ということになって地面にヘビの絵を描く、という話です。「居候」と書きましたが、これは「食客」としたほうがよさそうですね。この時代、有力者は食客を多く抱えて「ただ飯」を食わせていました。財力がなければできませんし、人が集まるのは人望があるから、ということになるので、食客の数が多ければ多いほど世間からの評価も高まります。千人を超える食客を抱えている者もおりました。孟嘗君などは三千人と言われます。それだけ多いと、一人一人の顔も名前も覚えられないでしょうが、中には強い恩義を感じる者もいたようです。孟嘗君を助けて、宝物を盗み返した者や鶏の鳴き真似をして関所を開けさせた者の話から「鶏鳴狗盗」の言葉も生まれました。ここから清少納言の「夜をこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ」の歌にまで話をひろげると、百人一首を覚えさせられたという生徒などは、「おお」という顔をします。

「五十歩百歩」の話でも、その背景を知っていると、より面白く感じられます。兵士が何歩逃げたかというのはたとえ話にすぎません。梁の恵王が孟子に、「自分は、凶作のときにはその民を豊作の土地に移住させたりして、心配りをしているのに、他国からわが国を慕って人々がやってくることがないのはなぜか」と問うたときの話なんですね。小手先の対症療法をするより根本的なところに目を向けないとだめだと諫めた、という話です。こういうような細かいところに興味が持てれば知識として定着するのですね。細かい部分は入試には出ませんが、雑学として役立ちますし、そういう知的好奇心が強いとより知識が増えていきます。「神は細部に宿りたもう」と言いますが、ディテールにこだわると見えてくるものがあるのですね。

世の中にはやたらディテールにこだわる人がいます。ある映画で、時代設定のリアルさを追求していくあまり、映画の中では引き出すことのない机の中の手紙や書類まで、その時代に合わせたものを用意した、という話があります。こういう話にはしびれますねえ。初期のころの水木しげるにもしびれました。たとえば木を描くときに木の葉の一枚一枚を葉脈まで描いたり、墓石の穴の一点一点を丁寧に描いていったり、すすぼけた掘っ立て小屋の羽目板の木目までリアルに再現したりしていました。『墓場の鬼太郎』という作品が不気味だったのは、そういうディテールにこだわる画風が大きな要素を占めていました。それに対して人物の絵はなぜかスカスカ感が漂い、背景との対比がなかなか面白かった。ねずみ男なんかスカスカです。ところが、ふつうの妖怪はなぜかリアルなんですね。本来デッサン力のある人でした。

「アマビエ」という妖怪が一時期ブームになりました。でも、あの絵は下手の極致です。大人が描いたものとは思えません。だれかの絵を写したのか、その人も下手だったのか、ひょっとして字も下手だったのかもしれません。カタカナで「アマビコ」と書くつもりだったのが、「アマビエ」に見えたという説もあります。たしかに「アマビコ」なら「海人彦」という字を当てられますが、「アマビエ」ではいまいち意味がわかりません。江戸期には印刷技術も発達してきていますが、それまでの基本は写本ですね。人が写したものをまた写していく。その途中でだれかが写し間違いをしたり、どこかの部分がごっそり抜けたりする。妙だなと思っても生真面目な人ならそのまま写したり、「脱落ありか?」などのメモ書きをつけたりすることもあったでしょうが、いいかげんな人なら、つじつま合わせで勝手に適当なことばを補うなんてこともありました。同じタイトルの本でもいくつかの系統があって、食い違いが生じているのはそのせいです。

『平家物語』は平曲として琵琶の音にのせて語られるものであったという事情もあって異本がたくさんあります。その最大のものが「源平盛衰記」だと言われます。なんとタイトルまで変わってしまっています。耳で聞く『平家物語』が、読み物に移行していく中で生まれたものでしょうから、『源平盛衰記』は読み物であるはずですが、なぜか落語では『平家物語』ではなく、『源平盛衰記』になっています。これは林家正蔵の家に伝わる話なので、林家三平という人も持ちネタにしています。三平は本格的な落語はほとんどやらず、小咄的なものをつないで客席いじりをしながら笑いをとっていく人でした。ダジャレが受けないと「どうもすみません」という定番のギャグを入れたり、すべったときには「今の話がなぜ面白いかというと…」と解説したりする、今のスベリ芸のはしりみたいなことをやっていましたが、「爆笑王」と呼ばれるぐらい人気のある人でした。だから、『源平盛衰記』という話も、源平合戦というストーリーを背景にしながら、持ちネタの小咄を入れたりしていろいろ脱線していくスタイルです。で、なんとこれを立川談志が三平から習って、自分の持ちネタにしているんですね。まあ、一応は源平の戦いをテーマにして一つの話にしているわけで、こういうものも落語のネタになるところが面白いなと思います。「落語」と言っても滑稽なものだけでなく、人情話と呼ばれるものもありますし、「怪談」さえもネタになるのですから。人というのは、どんなものであれ「お話」を聞くのが好きなのですね。今回もダラダラした話で、どうもすみません。

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