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2021年10月23日 (土)

血液型/丹後半島

しばらく書いていなかったので、前々から書こうと思っていた血液型の話と丹後半島を旅した思い出をまとめて書いちゃえ、と目論んでいるのですが、この二つの話をいったいどう接続すればいいのかさっぱりわかっていない状態です。とりあえず血液型の話から始めてみますが、果たしてスムースに丹後半島の話につなげられるのか、乞うご期待!

さて、免疫学研究者である藤田紘一郎先生は、  ご存じの方も多いと思いますが  血液型O型の人が免疫力最強であるとおっしゃっています。次がB型で、AB型の人が最弱だとか。なるほどと首肯されるのは、私の母がO型で父がAB型、そして私がB型なのですが、まさに藤田先生のおっしゃるとおり、亡くなった父が(元漁師で、宇和島から船で行かなければいけないような辺鄙な漁村の出身であったにもかかわらず)最弱でした。母(89歳、ひとり暮らし、満州=中国東北部と有明海に面した長崎の片田舎で少女時代を過ごした)がもっとも頑健、私(生まれも育ちも大阪)はまずまずといったところです。私は学生時代を東北の仙台で過ごしましたが、風邪を引いた記憶というのはありません(毎日ぼんやりしていたため覚えていないだけかもしれませんが)。雪が積もらないかぎりサンダルもしくは下駄履きで過ごし、ふとんが黴びたために真冬でも夏用の寝袋で寝ていましたが(あまりにも寒いので新聞紙を入れたことがあります)、そして野菜を食べないのでビタミンCも不足しがちだったはずですが、まあなんとかなっていました。若かったですしね(低血糖で起き上がれなかったことは何度かあります)。

私の座右の書である藤田先生の『B型はなぜか、お腹が痛い』によれば、もとが遊牧民の血液型であるB型の人には乳製品が合う、とのことなのですが、確かに私も乳製品は好きです。ナチュラルチーズがもっと安くなったら、エメンタールチーズ(穴のあいたやつです)のでかいのを買って、毎日『トムとジェリー』のジェリーのように食べていたいと思っています。

しかしながら、B型というのは何かと評判が悪い。マイペースだーとか自分勝手やーとか言われます。私に関していえば確かにそのとおりで、一言も言い返せないのがとても残念です。小学生のときは学校一有名な問題児でした。後に当時の父の日記を読み、父がまあまあ悩んでいたことを知って、あちゃーと思いましたが、とにかく協調性がありませんでした。べつにこれといって悪いことをしていたわけではないのですが、ただただ協調性がないんです。通知表には毎度のように「協調性がない」と書かれていました(ちなみに幼稚園の卒園アルバムには「落とし物と忘れ物の名人」と書かれていました)し、当時の自分の記憶をたどるに、人と協調するとはどういうことかわかっていなかった気がします。藤田先生によれば、B型の人間がそのようになってしまうのも、ノロウイルスとかそういう胃腸系の感染症に弱く人との接触を避けがちだったためではないかということで、あまり説得力がない気もしますが、確かに私も一度ノロにやられています。生牡蠣や生肝を食べまくっていたころですね。それ以来、生牡蠣・生肝は食べないようにしています。

そもそも、魚介はどちらかというと火を通したものの方がおいしいような気がするんです。魚も確かに新鮮なお刺身というのは大変においしいものですが、おいしい干物にかなう刺身はなかなかないのではないか思います(亡き父によれば、とれたばかりのイカを船の上でそのままさいて食べるのがいちばん旨いとのことで、たしかに新鮮なイカはおつくりにして食べると大変おいしい)。さざえとかあわびのおつくりなんていうのもありますが、焼いた方がおいしいんじゃないでしょうか。小学2年生のとき、父の田舎で夏休みを過ごしたのですが、風呂の焚き口で焼いたあわびやさざえを食べさせてもらいました。今となってはあわびなんてとても高くておいそれとは食べられませんが、さざえのつぼ焼きはときどき食べます。実においしい。

そういえば小学生のとき、もう少し大きくなってからですが、さざえのつぼ焼きを丹後半島で食べたことがあります! 家族で旅行したときです。あれも獲りたてのやつだったのでまことにおいしかった! 丹後半島は海もきれいでさざえも旨くて言うことないやと小学生ながらに思いました。それで、大学生のとき、友人と語らってテントを担いで丹後半島一周の旅に行きました。どこにテントを張るとかあまり考えず、無計画にてくてくと歩き出したのですが、この日のために新しく買った靴を履いてきたF君が靴擦れですぐにひいひい言い始め、たいして歩かないうちに神社の境内にテントを張ることになりました。次の日は、体調を崩した私がひいひい言うはめになり、このままではらちがあかんということで、夕方近くなるとあっさりバスに乗りました。自由昇降区間なんてものがあることを知らなかったので、乗客のおばあさんが「このへんで」というとバスが停車するのに驚きました。そのおばあさんがいなくなって乗客がわれわれ三人だけになると、運転手さんが「どこまでいくんだ?」と訊いてきました。終点のバス停までいって、どこかにテント張るつもりだとこたえると、「食い物はあるのか?」と訊かれました。終点のバス停までいって、そこで店を見つけて買うというと、「店なんかない」というのです。三人で「まずい」と顔を見合わせていると、運転手さんが「よし」とつぶやくや、なんとバスをUターンさせるではありませんか。そして「スーパーの前で停めてやるからそこで何か買ってこい」というのです。もう、ただただびっくりしました。この優しさならもしかすると運賃もただにしてくれるのでは、と図々しいF君はつぶやくのでしたが、さすがにそんなことはありませんでした。

しかし問題はまだまだ続くのです。テントを張れそうなところがない。地図をみると、丹後半島の先っぽ(経ヶ岬)のあたりにキャンプ場があるのですが、そこまで12キロぐらいあり、当然もうバスなんてありません。図々しいF君(いまは大学の先生)も、常識人だが気難しいK君(やはり大学の先生)もしょんぼりです。すべてはN君(私)が無計画過ぎるからではないかという無言の非難を浴びて、私は言いました。「だいじょうぶ。歩いてたら、そのうち誰かが車に乗せてくれるから」「そううまくいくか!」というような会話を交わしながら歩くこと10分。軽トラのおじいさんが「どこまで行くんだ、荷台にのせてやるぞ」と声をかけてくれました。「ほらみろ」と図々しいN君は得意げにいうのでした。しかし、丹後半島の崖沿いのくねくね道を結構なスピードで走るので、荷台から振り落とされそうで怖かったです。

当時の田舎の人は(今も?)本当に親切でした。初日も、F君がひいひい言う前ですが、スイカ畑のそばを歩いていると農作業にいそしんでいたおじさんが、スイカを食えと言って見ず知らずのわれわれに食べさせてくれました。

・・・・・・

やはりB型というのは……と思われてしまったかもしれません。しかし、N君が「誰かがのせてくれる」といったのは、単に図々しいから都合のいい妄想をしてたというのではなく、田舎の人はとても親切なのだということを体験から知っていたからです。その体験の話はまた後日! 本日も与太話にお付き合いくださってありがとうございました。

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