2016年11月27日 (日)

かっこいい名前

「ざこば」というのは「小魚・雑魚などを扱う魚市場」という意味でしょう。桂朝丸が「ざこば」を襲名したのはずいぶん前ですが、魚市場の活気とか競りの声のイメージでつけられた名前かもしれません。弟子の都丸は魚つながりで「塩鯛」になりました。今の靱公園のあたりにあった「ざこば」が閉じられて中央卸売市場が福島区にできます。「福島」という地名は縁起がよいようですが、菅原道真が左遷されて太宰府へ向かう途中立ち寄ったころには「餓鬼島」と呼ばれていたそうです。道真がよい字にしなさいと言って「福島」に変えさせたとか。

そもそもこのあたりはむかしの淀川の河口のあたりの島だったので、海老江、鷺洲、浦江のような地名が多いですね。村人も漁師がほとんどだったのかもしれません。近くの西淀川には佃というところがあります。左門殿川と神崎川の間にある「島」です。左門殿川は「さもんどがわ」と訛って呼ばれますが、尼崎藩主の戸田左門によってつくられた川です。このあたりの漁師は、江戸時代には、将軍家に白魚の献上をしていたようで、後に一部、江戸に移住しました。それが今の佃島なので、住民が「江戸っ子だい」といばっても、元をただせば大阪人です。結局、大阪と東京に「佃」という地名が二つできたわけですね。

ちがう土地なのに同音の地名になっている場合は、共通の地形から来た名前であることがほとんどなのでしょうが、たとえば博多が福岡になったのは地名の遷移とでも呼べばよいのでしょうか。関ヶ原の合戦では親の黒田如水はあやしげな動きをとりますが、その子の長政は家康に協力して筑前五十万石の土地を与えられて、福岡城を築きます。近江から備前福岡に移り住んだ黒田氏はのちに播磨の小寺氏に仕えて出世の糸口をつかんでいくのですが、自分たちにとっての思い出の地である「福岡」という名前を忘れられなかったのでしょう。武士の町福岡に対して、商人の町博多のような色分けもあったようで、いまだに博多の人たちは黒田官兵衛も長政も好きではないらしい。でも、公的には福岡市になってしまいました。

蒲生氏郷も会津に移封されたときに、黒川という名を故郷の地名である「若松」に変えています。邪馬台国論争でよく問題になる、九州と大和に同じ地名があるのも、同じ地形というより、人々の移動にともなうものかもしれません。古代安曇族が九州から移動して、近江にも信濃にも地名として残っているという説もあります。四国にも関東にも「あわの国」があり、和歌山にも千葉にも「勝浦」があります。海流に乗って移動したのでしょうか。近い時代でも北海道に移住した人たちが、出身地の地名をつけて、北広島とか新十津川とした例もあります。人間が移動したのなら、文化も移動するだろうし、ことばも移動します。

出雲と東北ではずいぶん離れていますが、たとえば海流に乗って人が移動することもあったでしょう。そうすると、ことばも似通ったものになる可能性があります。と言うと、昔は「松本清張の『砂の器』や!」と気づいてくれる人もいたでしょうが、いまや期待できないかも…。田村正和とか佐藤浩市、中居正広なんかも演じて、玉木宏もやってたような…。玉木のときの刑事役は佐々木蔵之介でしたかね。しかし、なんといっても映画の加藤剛でしょう。お父ちゃんは加藤嘉で刑事は丹波哲郎でした。このときの丹波哲郎の真似を若い頃の竹中直人がよくやっていました。東京で殺人事件が起こるのですが、この被害者はなんと緒形拳。殺される前に誰かと言い争いをしていたのを目撃した人がおり、相手の人はズーズー弁、つまり東北弁をしゃべっていたと言うのですね。その話の中で「カメダ」という地名らしきことばが出てきます。たしかに東北に「亀田」という土地があるのですが、捜査はうまくいかず、暗礁に乗り上げます。そのうち、島根県の出雲地方もズーズー弁を使っていることがわかります。 調べてみると、「カメダ」ではなく、「かめだけ」という場所があり、そこから犯人がわかっていくというストーリーです。音楽は芥川龍之介の息子の也寸志が担当して、親子で巡礼するシーンのパックに流れて印象的でした。

東北を代表する都市といえば仙台ですが、これは鹿児島の川内とはまったく無関係なのでしょうか。どちらももともと川の内側にあって「かわうち」と言っていたのが「川内」と書かれ、さらによい字をあてようとして「仙台」になったのかもしれません。そうすると「河内」とも語源的にはつながりますし、「高知」という地名とも結びつきそうです。「仙台」という字を採用したのは伊達政宗でしょうか。

そう言えば、この間、テレビで『伽羅先代萩』を見ました。こう書いて「めいぼくせんだいはぎ」と読ませるんですね。いわゆる「伊達騒動」を題材にした作品で、家老原田甲斐によるお家乗っ取りの話です。「御殿の場」の中の「ままたき」の場面をやっていました。ちょっとかったるい場面で省かれることも多いようですが、坂東玉三郎が政岡をやるということで、テレビでも取り上げたのでしょう。幼君鶴千代は命を狙われているため、食事も満足にとれないので、乳母の政岡がお茶の道具を使って、ご飯を炊くという場面です。この結構だるいシーンをさすが玉三郎、その存在感で見せてくれます。でも、テレビの残酷さ、アップになると、やはり年を取ったなあという感じがします。「見るなら早く」ですね。先代の猿之助は結構見たのですが、その昔「三之助」と呼ばれた市川新之助・尾上菊之助・尾上辰之助も亡くなったり、高齢になったりしてしまいました。平成の「三之助」というのも名前が変わって消滅してしまいました。「旬」のときに見ておかないとだめですね。

 『伽羅先代萩』では、現実の原田甲斐にあたる仁木弾正を吉右衛門がやっていました。さすがの貫禄です。妖術使いという設定なので、ネズミに化けて連判の巻物をくわえて逃げるのですが、舞台にせり上がってくると武士の姿に変わっており、そのあとおもむろに印を切るのがなかなか渋い。実は空中に「大入叶」という字を書いています。当然、「大入りかなう」という意味ですね。で、この悪役と対決するヒーローが、なんと「荒獅子男之助」という名前。「あらじしおとこのすけ」って、むちゃくちゃな名前です。昔はこれがヒーローっぽいかっこいい名前だったのかもしれません。名前のかっこよさの条件とは男なら強さ、女なら美を連想させるものだったのでしょう。滅多にない名前も希少価値からかっこよさにつながりそうです。宝塚歌劇の名前なんてのはその代表例ですね。でも、今ならキラキラネームに負けるかも。

2016年9月25日 (日)

台風はほぼほぼ来ない

少し前ですが、台風16号が襲来し授業が休講になりました。

今年はどうも偶数の台風がやばかったですね。台風10号、12号、14号、そして16号。14号は日本にはあまり影響はなかった・・・・・・んでしたっけ? でもえらく強烈な台風だったんですよね。

秋といえば登山、そして登山といえば台風です。毎年のように台風にやられている僕ですが、今年はなんと台風と台風のあいだという完璧なタイミングで山登りを挙行することができました。いやいや、どうも、みなさんありがとう!

今回僕が行ってきたのは南アルプスの塩見岳という、独立峰的な趣のある超かっこいい山です。「超」とか言っちゃって国語講師失格ですね。しかし「超」は便利ですからねえ。やめられません。「ほぼほぼ」も結構好きですね。「ほぼ」がだいたい×0.8ぐらいだとするなら「ほぼほぼ」は0.8×0.8=0.64ぐらいですか? 「まずまちがいない」というときの「まず」は、×0.9のイメージで、「まずまずまちがいない」の「まずまず」だと0.9×0.9=0.81って感じですが、今の「ほぼほぼ」の使われ方をよくよく観察するにこれとはちょっとちがう気がします。

もしかすると、今出た「よくよく観察する」の「よくよく」に近いのでしょうか。「よく観察する」の「よく」は×1.2のイメージです、したがって「よくよく」は1.2×1.2=1.44って感じです。しかし、「ほぼまちがいない」の「ほぼ」は理屈で考えれば、1.0未満になるはずなので、これは理屈に合いません。

もしかすると、「ほぼほぼ」は、かけ算ではなく足し算なんでしょうか。だとすると、0.8+0.8=1.6ということになりますが、これは変です。ではなくて、「だいじょうぶかだいじょうぶじゃないかわからん!どっちだ?」という状態が基準としてあり、そこから「だいじょうぶ」の方にぐっと傾いた状態を「ほぼだいじょうぶ」と表現し、さらにぐぐっと傾いた状態を「ほぼほぼだいじょうぶと表現しているような気がします。つまり、右に行けば行くほど「だいじょうぶ」、左に行けば行くほど「だいじょうぶじゃない」という地点からどっちに寄っているか、という捉え方をしてるんじゃあないでしょうか。安心材料を「足していって」、少しずつ「よりだいじょうぶ」に近づいていく心理が、「ほぼ」に「ほぼ」を重ねる言い方でよりよく表現できる気がする、そんな感じです。「ほぼほぼ」ユーザーの僕としてはこのあたりが割と実感に近いです。

しかしまた、そうであるということはつまり、おそろしいことにここには「100%の安心」はないのかもしれません。つねに「よりだいじょうぶ」な状態が理論上想定されることになるからです。安心とかだいじょうぶとかだけでなく、「満足」についても同じことが言えますね。この場合、「満ち足りる」という状態は事実上ないことになりますね。なるほど、現代社会にふさわしい感じ方かもしれません。いや深いですね。

何の話でしたか。塩見岳どした。よくいるブロガーみたいに事細かに登山の行程など書いてもだれも興味を持たれないと思うので書きませんが、雨も降らず、ぶよにも食われず、膝も痛くならず、知らないおじさんについてこられることもなく、百名山ハンターのおばさまたちの落石攻撃にも見舞われず、快適な山行でした。ただ、下山後、食欲に歯止めがかからなくなってしまうのが困りものです。山であまり食欲がわかず、ビールと魚肉ソーセージとベビースターラーメンしか食べられないんです。そのせいか、おりてくると、欠食児童(死語ですな)のように詰め込めるだけ詰め込んでしまいます。そしてぱんぱんにむくみます。一週間ほどたつと、ほぼほぼ元にもどりますが。

この「ほぼほぼ」はさっきの理屈では説明がつきませんね。やはりこれは「輪をかけて」のイメージなのかもしれません。はじめの「ほぼ」は0.8だとして、二つめの「ほぼ」はその一割増しみたいな感じなんでしょうか。0.8+0.08=0.88みたいな。あるいはタクシー。基本料金に80円ずつ加算されていく感じかもしれません。なんだかどうでもよくなってきました。だんだんほぼほぼどうでもよくなってしまいました。

※「ビールと魚肉ソーセージとベビースターラーメン以外はほぼほぼ食べられません」という文を考えてみました。この場合の「ほぼほぼ」はどう考えたらよいのでしょうか?

2016年8月22日 (月)

大阪や東京だ

前回はどんどん話題が変わってしまいましたが、「新しい」ということばは昔は「あらたし」と言いました。「あたらし」は「惜しい」という意味の別のことばで、いまでも「あたらチャンスをつぶす」という形で使います。それに対してニューの状態は「あらたに」なったわけですから「あらたし」です。それがいつの間にかゴッチャになって入れ替わってしまったんですね。問題はその「いつの間にか」です。いつ変わったのでしょうか。その境目では、両方使われていたのでしょうか。「ナウい」という「はやりことば」がしぶとく生き残って、これは定着するだろう、辞書にも載りだしたし…と思っていたら、「いつの間にか」消えていました。一方辞書には「ニコポン」ということばがまだ載っているのはなぜなんでしょうね。

最近よく聞くことばに「ほぼほぼ」というのがあります。「ほぼ」で十分なのに、二回繰り返して強調することで、何らかの意味の変化があるのでしょうか。「ほぼ」と「ほぼほぼ」はどう違うのでしょうか。「ほぼ」より確実度が高い? 昔から全く使われていなかったというわけでもなさそうですが、それにしてもこのところ急激に聞くようになりました。最初に聞いたのはテレビの画面から聞こえてきたものでしたが、身の回りでもよく聞きます。テレビから出てきたことばであるのなら「業界語」であり、シロートさんが真似をしていることになります。プラスの意味で使う「やばい」と同じですね。谷九教室に向かう電車の中でも、おばさん同士の(大声の)会話の中で「ほぼほぼ」と言っているのを聞き、「流行語大賞」にはこういうことばがふさわしいのでは、と思いました。誰かの思惑が感じられるような、政治がかった(全く流行ってもいない)ことばよりも、「ほぼほぼ」こそ、真に流行していることばです。

大阪のおばちゃんたちの「ほぼほぼ」を聞いたあと、谷九教室で事務のK本さんと話していると、なんたる偶然、「『ほぼほぼ』ってどうよ?」と言われました。もちろん、こんなギョーカイ人のような言い方はしませんが。かなり抵抗を感じているようで、ここに同志ありと嬉しく感じました。ことばに敏感な人はやはりこういう変化をキャッチしているのですね。ちなみに谷九教室の主任講師のO村先生も、このことばは使わないそうです。さすが漫才好きだけあって、ことばの感覚が鋭い、と思いきや、合格祝賀会では自ら漫才をやるくせに滑舌が悪く、「ぼ」の音が「も」になってしまうとか。その発音ではたしかに「やばすぎ」ですな。

もう一つ、最近よく見聞きするものに、「プライベートの名詞化」というのがあります。本来「プライベート」は形容動詞、「プライバシー」は名詞として使い分けていたはずなのに、「仕事とプライベートを区別する」のように、「私生活」とか「私事」の意味で名詞的に用いるようになってきました。ちなみに朝日新聞にも「プライベートを上司に相談する」とか、「マリリン・モンローの晩年のプライベートは質素で…」とか書かれていました。たしかに「プライバシー」は「個人の秘密」というニュアンスが強いので、「秘密」まで行かない「私生活」のレベルでは使いにくいようです。「デリカシー」と「デリケート」がきちんと使い分けられているのも、そういうニュアンスがないからかもしれません。

ところで「プライベート」や「デリケート」は、英語では「形容詞」と呼びます。「ビューティフル」なら、英語でも日本語でも「形容詞」なので、なんの問題もないのですが、日本語になおしたときに「…だ」の形になってしまうと、形容動詞という扱いになるのですね。「私ってデリケートな人だから」とか「私ってデリケートじゃないですか」とか、自分が知っていることは他人も知ってると思ってしまう「幼児化現象」が一時期大はやりでしたな。それはさておき、この形容動詞というのは厄介なことばです。「静かだ」は形容動詞で、「本だ」は名詞と断定の助動詞ということになります。「個人的だ」とか「微妙だ」も形容動詞だし、「ハンサムだ」「スマートだ」も形容動詞です。上に「とても」をのせると簡単に区別できます。「とても」は副詞で、用言(動詞・形容詞・形容動詞)を修飾するのですね。それに対して「とても本だ」がおかしいのは「本」が名詞だからです。

では、「健康だ」はどっちでしょうか。これは実は、このことばだけではわかりません。「彼は健康だ」という場合は「とても」を入れられるので形容動詞、「大切なのは健康だ」は「とても」を入れられないので名詞プラス断定の助動詞なのです。ではでは、「アホだ」はどうでしょう? 「彼は正真正銘のアホだ」は「の」が体言(名詞)を修飾する働きがあるので、名詞プラス断定ですが、「彼はアホだ」は? 「とても」をのせて意味が通じるので形容動詞? いえいえ、「正真正銘の」をとっぱらっただけですよ。さらに「彼は天才だ」は? 実に微妙ですね。だから形容動詞なんて認めない、という学者も多いそうです。

要するに「…だ」の形が問題なのですね。この「だ」はさかのぼれば、おそらく「…にてあり」でしょう。「本にてあり」つまり「本だ」と言っているわけですから。で、いい加減に発音するうちに「にてあり」の「に」が「ん」に変化します。「んてあり」ですが、「ん」は影響力が強くて下を濁らせるので「んであり」になり、やがて「ん」が落ちて「であり」。これがそのまま「である」にもなるし、「り」が落ちて「であ」になることもある。「であ」はさらに「ぢゃ」と変化して、ここで止まれば、じいさんばあさんのことばじゃ。さて、こいつが母音を重んじる上方では「や」が強く発音されようになるんや。田舎の関東では子音に力を入れて「ぢゃ」が「だ」になるんだ。

「ぢゃ」のような「ゃ・ゅ・ょ」のつく音を拗音と言いますが、拗音「ぢゃ」が「だ」のようになる「直音化」というのはよくあります。逆に「鮭」は「さけ」から「しゃけ」に訛ったのかもしれません。「雑魚」は「ざこ」と読みますが、「じゃこ」と同じですね。ただし、「だしじゃこ」「ちりめんじゃこ」とは言いますが、「だしざこ」「ちりめんざこ」とは言いません。「ざこキャラ」とは言いますが、「じゃこキャラ」とは言いません。「ざこ」も「じゃこ」も「小魚」とか「商品価値の低い魚」という意味でしょうが、「たいした人物ではない人」の意味で使うときには「ざこ」に限定されるようです。「モブキャラ」は、「群衆状態になったキャラ」ということで、ちょっとちがいますかね。

2016年8月 7日 (日)

変わる変わるよ話題は変わる

ほめることのないときのほめことばというか、短所が目につくとき、それを無理矢理長所として言いかえることがあります。地味すぎる服装を見て、「なかなかしぶいねえ」と言ったり、センスないなあと思うときに、「個性的な服装やねえ」と言ったりするようなやつです。性質でも、無愛想な人を「クール」と言ってみたり、頑固な人を「意志が固い」と言ってみたりすることもあります。「マザコン」と言ってしまえば身も蓋もありませんが、「母親思い」と言えば、とたんに感じよく聞こえます。「うるさく騒ぎまくる」子供も「なかなか元気があってよろしい」。「主体性がない」人は「協調性がある」わけですし、「能力がない」やつは「可能性を秘めている」のです。「下手な絵」ではなく「味のある絵」ですし、「ありがちな展開」のドラマは「王道」を行っており、「行き当たりばったり」は「臨機応変」です。「うさんくさい」人は「謎めいている」し、「無名」の作家は「知る人ぞ知る」です。「デブ」と言わずに「かっぷくがいい」と言いましょう。「腐った」ご飯は「熟成された」ご飯です。まあ、長所はうぬぼれると短所になり、短所は自覚すると長所になるわけで、表裏一体、結局は同じことです。プラスの表現をされれば、言われた本人はまんざらでもないでしょうし、お世辞とわかっていてもうれしくなるのが人間の常です。

いま「お世辞」と書きましたが、これは「おせじ」と読むのでしょうか。それとも「おせいじ」? 「世」の音読みとしてはたしかに「セ」と「セイ」があり、いわゆる呉音・漢音・唐音のちがいでしょう。要するに、時代によって発音が変わった、というやつで、いつ日本に入ってきたことばかということで区別するのでしょう。ふつう「お世辞」は「おせじ」のはずですが、たまに「おせいじ」と言う人がいます。郷ひろみは「けっしておせーじじゃないぜ」と歌っていました(古い!)。メロディの都合で長く伸ばしただけかもしれませんが。伸ばすかどうかで別の単語になるというのは英語にはないのでしょうか。「地図」と「チーズ」は日本語としては明らかにちがうもので、ちがう発音をしているつもりになっていますが、日本語を習いたてのアメリカ人なら、「地図」を「チーズ」のように発音するかもしれません。「角」と「カード」はちがいますし、「蔵」と「クーラー」もちがいます。もちろん外来語でなくても、「鳥」と「通り」は明らかにちがいます。「長音」という概念は英語にはあまりないのかなあ。発音記号で長く伸ばすというのは確かにありますが、「コンピューター」も「コンピュータ」のほうが発音に近いようです。最後の長音の表記がなくなったのは、昔のパソコンのスペックの低さのせいだとは必ずしも言えないかもしれません。一音のことばなら、関西人は長音化して、「目ェ」「手ェ」「毛ェ」と言うのですがね。

外国人の中にも、日本語の達者な人がいます。アーネスト・サトウは佐藤愛之助と名乗ったりもしていますが、れっきとしたイギリス人の外交官です。幕末史にはよく登場してくる有名な人物ですが、日本語がうまいですねと言われたときに、「おだてともっこにゃ乗りたくねえ」と江戸っ子口調で言ったとか。「もっこ」と言うのは縄や蔓を編んで作った、土を運ぶための道具ですが、死刑囚を刑場まで運ぶときにも乗せていったとか。「そうであるなら、なるほど、もっこにゃ乗りたくない」と三遊亭圓生が言っていました。ただ、アーネスト・サトウの発音がどれだけ流暢だったかは今となってはわかりません。デイブ・スペクターのほうがうまいかもしれない。

長年、日本に住んでいたり、何十年も日本語を話しているわりに、いつまでたっても発音がうまくならない人もいます。フランソワーズ・モレシャンなんて人は、外人タレントの走りでしたが、いかにもフランス人の話す日本語という感じでした。アグネス・チャンも片言っぽいですね。ひょっとしたら、二人とも本当はなめらか極まりない日本語が話せるのに、わざと「下手」をよそおっているのかもしれません。日本人は外国人が話す「片言の日本語」が好きなんですね。「完璧を好まない」という独特の美意識もあるでしょうし、「外人に日本文化がわかってたまるか」という「優越感と劣等感」もあるのでしょう。流暢すぎる日本語を操ったり、日本語のダジャレを言ったりしたら白けてしまいます。だから、デイブ・スペクターは嫌われるのですな。

もともと日本人は日本文化を世界に類を見ない独特のものだと思いたがる傾向が強いようです。たしかにコピーよりオリジナルのほうがいいに決まってはいますが、でも日本文化と言っても多種多様です。関西と関東でちがうし、京都と大阪でもちがう。もっと言えば、自分の家の流儀ととなりの家の流儀とではちがうことがあります。自分の家のやり方が世間一般だと思っていて、じつはそうではないことに気づいたときの恥ずかしさ、というのがよく話題になるぐらいです。すき焼きなんてのは家ごとにちがっていると言ってもよいかもしれません。納豆といえば、関西人のきらう最たるものでしたが、このごろでは納豆好きの関西人も多くなっています。子供のころ初めて食べた納豆には砂糖がはいっていましたが、あれは子供向きに母親がそうしたのでしょう。ということで、私はしばらくの間、納豆には砂糖を入れるものだと思い込んでいました。そのうちに唐辛子を入れるとうまいことに気づいたのですが、いやいや唐辛子ではなく、辛子でしょ、と言う人もいます。ひょっとしたらタバスコが一番と言う人もいるかもしれません。豆腐には醤油ではなく塩をかける人もいますし、ごま油と塩という人もいます。オリーブオイルに塩という、おしゃれな人もいます。

納豆と豆腐は入れ替わったという説がありますね。納豆のほうが豆の腐ったやつで、豆腐は豆をかためたやつですから、名前は確かに入れ替わっています。松虫と鈴虫もいつのまにか入れ替わったと言われています。「秋の野に人まつ虫の声すなり我かと行きていざとぶらはむ」という、よみ人しらずの和歌では、「ひとを待つ」と「松虫」の掛詞が使われていますが、この「松虫」は「鈴虫」だったということになります。でも、鈴虫は鈴の音のような鳴き声だから鈴虫と言うはずです。「あれ松虫が鳴いているチンチロチンチロチンチロリン、あれ鈴虫も鳴き出したリンリンリンリンリーンリン」という歌もありますが、どちらの音も鈴といえは鈴です。どんぶり鉢にサイコロをほうりこむ博打も「チンチロリン」と言いますが、これは関係ないか。いずれにせよ、入れ替わったのならそれはいつごろなのでしょうか。ある日を境にすぱっと入れ替わるわけではないでしょうから、入れ替わる境目のあたりでは両方の言い方が混在していたのでしょうか。どっちをさしているか曖昧で話が通じないということもあったかもしれません。まあ、松虫と鈴虫がそんなに話題に出てくるとも思えませんが。

2016年7月 3日 (日)

アルバイト(と)人生

深夜の道路工事を目にすると、学生時代のアルバイトの記憶が重たい気分とともによみがえります。私はこれまでにちょうど二十種類のアルバイトを経験しているのですが(残りの人生でアルバイトのキャリアが増えないことを祈るのみ(>_<)です)道路工事のバイトをしたのは教養部の寮にいた頃でありまして、まだ二十歳になっていませんでした。アルバイト募集の掲示板が寮の電話部屋近辺(携帯電話などなかった時代の話です)にあったように記憶しています。この電話部屋が汚くて汚くて。よくは覚えていませんが、大量の酒瓶・コーラ瓶が乱雑に床に並んでいたような気がします(さらに言えば、経済的にどうしようもなく逼迫したときに、何本か近所の酒屋に売り払ったような)。電話部屋にはピンクの電話が二台あり、寮委員会のメンバーが交代で電話当番をします。私も第九十九期山田内閣の超有能厚生委員として電話当番をしたことがありますが、仕事は単純で、電話がかかってくると、「はい、東北大学有朋寮です」とか何とか電話に出て、ハンドマイクで寮生を呼び出すだけです。ハンドマイクです。館内放送というような気の利いたものはありません。窓からハンドマイクをつき出して、「砂時計の◎◎くん、長距離電話で~す!」などとのたまうわけです。この「砂時計」というのは寮内のサークルの名称で、要するに「班」です。寮生はいずれかのサークルに属し、引っ越しも部屋がえもこのサークル=班単位で行います。他に「アカシア」とか、まったく歴史の研究をしない「歴研」とかいろいろなサークルがありました。「砂時計」というのは私が所属していた弱小サークルです。呼び出しの文句にも決まりがありました。まず「電話」と「お電話」の区別があります。「電話」は男からの電話、「お電話」は女性からの電話です。そして、それらの電話が明らかに親からのものである場合、「長距離」という言葉がつくわけです。すなわち、「長距離電話で~す」と言われれば父親から、「長距離お電話で~す」と言われれば母親から、ということがわかり、それら四種の区別によって、「出る/出ない」を決めるわけですね。親の心子知らず、とはこのことですね。ちなみに「長距離」でない「お電話」の場合、電話当番の呼び出しにも力が入り、「おっっっ電話で~~~す!」のような絶叫口調になり、関係のない人々が物見高く見に来るというようなことがあったことも付け加えておきましょう。そして、寮にいた二年間、私に一度も「お電話」がかかってくることはなかったことも。でも、でも、砂時計の先輩のA妻さんなんて、はじめて「お電話」がかかってきて狂喜乱舞して電話に出たら英会話教材のセールスだったというような寂しい話もありましたから、それにくらべたらましですよね。このA妻さんは味わい深い人で、夏休みに、出会いを求めて当時人気だった北海道の牧場でのアルバイトに応募したはずが、何の手違いか「コンブ漁」のアルバイトに回されてしまい、むっつりしたオヤジと毎日コンブをとるはめに。人生の妙味というやつですな。

さて、あまりにも経済的に逼迫してしまった私は、ある日その電話部屋付近にあった掲示板で見つけて、深夜の道路工事のアルバイトをすることになったわけです。○○組みたいな大きなところじゃなくて、脱サラしたおじさんが一人でやってる、なんていうんでしょう、大きなカッターで舗装道路を切断していくんですが、その作業だけを請け負っているところです。夜におじさんが、ガタピシいうぼろい軽トラックで寮まで迎えに来てくれて、いっしょに工事現場まで行きます。巨大な機械を操って道路を切るのはおじさんの役目で、僕はその補助です。仕事の手順の説明なんかなくて、ただただその都度おじさんに言われたことをやるだけなので、全体像がつかめずやりにくかったおぼえがあります。もちろん、全体像をつかもうという気のない僕に最大の問題があったわけですが。 おじさんは元高校教師だという話でした。日本史を教えていたそうです。それがなぜ、昼も夜も道路を切断する仕事へと転身することになったのか。今思えば、ちょっとぐらいいやがられてもいいから、訊いておけばよかったなあと思います。それこそ、人生の妙味ですからね。 でも働くのがいやでいやでしかたなかった僕は、当座の急場をしのいだらすぐにそのアルバイトを辞めてしまいました。人見知りで慣れるのに時間がかかるくせに、すぐにバイトを辞めてしまうので、新しいバイト先に行くたびに苦しむという、自分で自分の首を絞める日々でした。あれに似ていますね、小さい子が、きらいなものを食べるときに、さっさとのみ込めばいいのになぜかいつまでもくちゃくちゃと噛んで嫌いなものをじっくり味わってしまうという。シオランというルーマニア出身のエッセイストが、人間とは原則として後悔を求める生き物だというようなことを書いていましたが、人間とはそのように苦難を求めてしまうものなのでしょうか。それとも、僕とシオランと小さい子だけなのでしょうか。

それにしても、働くのがいやでいやで仕方なかった私が、塾講師の職に就いてから早くも◎十●年です。算数も数学もまったくできず、理科は進化論にしか興味がなく、英語は辞書がないと何もできないうえ会話不能症であるため国語講師になったわけですが、たぶん他の教科だったら、ここまで続かなかっただろうなと思います。 この職業に就いたばかりの頃、先輩講師や上司に、「国語を教えるのがいちばん難しい」「国語の成績をあげるのは無理」「国語は授業を成立させること自体が難しい」などとよく言われました(希に来る前、つまり、べつの塾での話です)。そのひとつひとつに、くりかえしチャレンジしているうちにいつにまにか◎十●年もたっていました。国語という教科のハードルがここまで高くなければ、飽きっぽい僕には続かなかっただろうなあと思います。・・・・・・えーと、あわてて言いわけしますが、他の教科が簡単だということではありません、滅相もない。どんな教科もこれで完璧ということはきっとなくて、どの講師もつねにもっと良い授業を、もっと良い教材をと考えていることは僕もよく知っております。したがってここは、国語という教科のハードルが、ではなく、教えるということのハードルが、と言うべきでした。お詫びして訂正いたします。

山登りしていると、《にせピーク》というのがあるんですね。◎◎岳の頂上をめざして歩いていますよね。だんだんそれらしきものが見えてきます。でも、たどり着いてみると、実はそこは頂上ではなくて、いったん下って登り返したその先にもっと高いピークが見えていたりするんです。げんなりしながら下りて、また登るんですが、そうすると、またその先にさらに高いピークが・・・・・・なんてことがよくあります。それと一緒です。にせものかもしれないけれどピークらしきものが見えている以上「下山する」という選択肢はありません。これまでつねにそのピークは《にせピーク》だったんですが・・・・・・でもまあ、もうひとふんばりして登ってみるか、そんな感じで国語講師を続けてきました。まだまだ頑張ります、今見えているピークこそ本当のピークだと信じているので!

2016年6月19日 (日)

赤パンダずるむけ考

※江戸時代の経世家・工藤平助の『赤蝦夷風説考』を意識した題ですが、内容的にはまったく無関係です。

私が十代の頃、藤原新也さんの『メメント・モリ』という写真集が話題になっていました。メメント・モリは〝死を想え〟という意味のラテン語で、中世ヨーロッパでペストが猛威をふるった頃に巷間に流布した言葉だとか(すいません、お得意のうろ覚えです)。

高校生だった僕は、勉強をさぼってその写真集をぼんやり眺めては、自分の死に場所をよく夢想しました。当時の僕が考えていた死に場所、それはずばり〝山奥の谷底〟です。もう少し文学的に粉飾した表現を用いれば、〝幾重にも遠い山の連なりの奥深くにひっそりと隠れた渓谷のふところ〟とでもなるでしょうか、どこが文学的やねんと言われれば返す言葉もありませんが。

だいたいどんないきさつによってそんな場所にひとりたどり着き、かつタイミング良くこの世に別れを告げることになるものやらさっぱりわからないわけですが、なんとなくロマンチックでええ、と思っていました。

さて、歳月は流れました。

最近、山登りをしていて(たとえば奥大日岳)ふとそのイメージがよみがえることがあります。雪の稜線をひとりで歩いているときに (うーん、今ここで足がつるっと滑って転落したり、見事雪庇を踏み抜いてしまったりした日にゃ、まさに山奥の谷底でひとりひっそり死ぬはめになるかもしれん。そういえば、「夢はいつも忘れた頃にかなう」なんて言葉もあったのう。……いやじゃあ!こんなところで死ぬのはいやじゃあ!) と、心の中で叫びながら、必死でアイゼンを蹴り込み、ピッケルを深々と突き刺したりしています。

あとで山小屋の人に、この時季の奥大日岳で死ぬ人なんていないよと言われましたが、 高い所が苦手な人間にとっては十分に怖いです。みんな高所恐怖症に理解がなさ過ぎるような気がします。何で高所恐怖症のくせに山登りしてるのかとか聞かれると困りますが。

でもね、でもね、かつて観覧車はおろか歩道橋も無理な繊細な人間だった僕に言わせれば、高いところが平気だなんて想像力の欠如以外の何ものでもありません! 高いところが怖くないなんて人は恥ずかしいと思っていただきたいです。(すみません、本気にしないでください。)

それはともかく紫外線の強いこの季節に雪の稜線をルンルン歩いていたせいで、顔が真っ赤っかになりました。おまけに体調がいまひとつ良くなくて全身がパンパンにむくんでいたので、キャンプ場のトイレの鏡に映してみたら、ものすごい顔になっていました。なんていうか、雪眼にならないようにサングラスはしていたので、その部分だけが赤くなく、赤いパンダみたいな。みなさんにお見せできないのが残念です。いや実は写真もあるのですが、正直見せたくありません。 さすがにこの顔で授業はできないなあ、まずいぜえ、と心配していましたが、なんとか休みあけの最初の授業までには、ひととおり厚い面の皮をはぎ、素知らぬ顔で授業に臨みました。すると、鋭い塾生君から鋭い質問が。

「先生、どうしてそんなに顔が赤いの?」

「そ、それは、久しぶりにみんなに会えて照れくさいからだよ」

「じゃあ先生、先生はどうしてそんなにムキムキなの?」※クールビズのため腕がムキ出し

「それはお前をしばくためじゃあ!」

その後順調に日焼けは赤から黒へと移り変わりました。スタンダールみたいですね。

え、スタンダールの『赤と黒』を読んでいない? ぜひ読んでください、韓流ドラマよりは面白いと思います。

スタンダール『赤と黒』『パルムの僧院』

バルザック 『谷間の百合』

フローベール『感情教育』

このあたりは問答無用でお勧め。あー、もちろん小学生には無理で~す。

2016年6月 5日 (日)

わしも歌手に、いや歌人に

かなり前ですが職場で『東大の現代文25カ年』という赤本をぱらぱらめくっていたら、隣にいたT見tr(神女コース担当)が、「あ、これ、神女で出た文章だ!」

そう、2012年度東京大学で出題された文章と同じ文章が今年神戸女学院の入試で出題されていたのです。すごいですよね、中学入試。

ちなみに出題されていたのは歌人で少し前に亡くなられた河野裕子さんの随筆です。この人の短歌が中学校の教科書に載ってるのを見たことがあります。

・たとえば君  ガサッと落ち葉すくうように私をさらって行ってはくれぬか

というやつです。書き写していてちょっと照れますね。でも、これって、真っ向勝負のストレートのようでいて、実はそうじゃない、内角高めから外角低めに落ちる高速スライダー(智仁~!※)みたいな趣もあります。「私」=「落ち葉」っていう重ね合わせはずいぶんな気がします。なぜ落ち葉なんでしょうか? 「ガサッと」「すくう」は乱暴な手つきというか無造作な振る舞い方というかそういう感じってことで片が付くんですけど、「落ち葉」が。なにか、自分のことを価値のないもののようにみなしたい気持ちでも働いていたのかしら、などと勘ぐってしまうわけです。 こんな年齢ですしこんな性格ですしこんな見た目なので、恋愛の歌について語るなどというのは相当照れくさい話で、今も書きながら恥ずかしさのあまり身もだえしているのでありますが、平安時代なんて、坊さんがしれっとして恋愛の歌詠んでたりするわけで、ここはひとつ大目に見ていただきましょう。

・終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて

・「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に

 穂村弘さんの歌ですが、かわいいですよね。もしかすると恋愛歌じゃないかもしれません。そういう読み方もできると思いますが、まあでも、恋愛の歌と考えた方がしっくり来るかなあと。ひとつめの歌は、「ふたりは眠る」とあって、それを見ているわけですから、作者自身の恋愛ではなく、バスの中で目にした微笑ましいカップルの風景を歌にしたということかもしれません。ふたつめの歌は、友だちっぽいカップルでしょうか、みつはしちかこさんの『小さな恋のうた』を彷彿とさせます。

・限りなく音よ狂えと朝凪の光に音叉投げる七月

・秋になれば秋が好きよと爪先でしずかにト音記号を描く

といったあたりは、背景にもしかすると恋愛があるかもしれないけど、主題としては恋愛ではなく、あまり照れずにはいりこめる感じがします。どちらも音楽がらみですね。どうも音楽をやっている女性と恋愛関係にあったのかなと想像をたくましくさせます。いずれも、『シンジケート』という歌集に収録されているものです。この歌集はすごく評価が高くて、作家の高橋源一郎なんかは昔、「俵万智の『サラダ記念日』が300万部売れたのなら、穂村弘の『シンジケート』は3億部売れてもおかしくない」というような意味のことを書いていたぐらいです。『シンジケート』の冒頭には、12月から1月までを織り込んだ短歌が十二首載っていてどれも素晴らしいですね。

・停止中のエスカレーター降りるたび声たててふたり笑う一月

なんて絶妙じゃないですか。いや、これ確かに一月ですよね。「停止中のエスカレーター」を降りたり昇ったりしたことありますか。絶対に笑っちゃいますよ。すごく奇妙な気分になるので。

穂村弘でなくても良いですが、眠る前のひととき、一日の疲れを癒すには歌集。良いと思います。

短歌は何かの折にふと口にすることができるのがいいですよね。その点、詩はちょっと長いので、そういうわけにはなかなかいきません。詩の一節が口をついて出るということはありますが、一篇の詩をはじめから終わりまで口ずさむとなると、少しちがう心理状態かなあと思います。僕は詩が好きですが、はじめから終わりまで暗誦している詩は数篇しかありません。

でも、短歌にしろ詩にしろ、何かの折にふっと、なじみの一節が出てくるというのは良いものです。いま、朝日新聞の朝刊に、鷲田清一さんが(入試によく出る人)「折々のことば」という短章を連載されていますが、僕にも折にふれて思い出す言葉があります。いつまでも良い味のする飴玉みたいにずっと舌の上で転がしていたい言葉というのがあるものです。何かの拍子に思い出しては転がしていると、以前とはちがった味がする、そんなことばですね。

さて、こんな僕ですが、かつて一度だけ短歌を作ったことが……!  中学生のときに国語の宿題で作らされたのですが、今でもよく覚えています。恥を忍んで発表しましょう!

・短歌をばつくろつくろと思えどもなかなか出来ぬが短歌なりけり

名作だ!

※ 智仁・・・・・・伊藤智仁。ヤクルトスワローズのエースだった人。あまりにも激しく曲がり落ちる高速スライダーでばったばったと巨人のバッターを撫で斬りに。あの頃は良かった!

2016年5月 8日 (日)

李白は天才、李賀は鬼才

ジャイアンツの元監督だった川上が現役のころ、「ボールがとまって見える」と言ったという有名な話がありますが、実は別の選手のことばを新聞記者が川上のことばとして書いたとか。今だったら「捏造」ということで大騒ぎになるかもしれません。マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいいのに」も、実際には別の人が言ったことばらしいし、「お菓子」も実はパンより安い小麦で作られるもののことだという説もあるそうです。誤解されて伝わっていくこともあるのですね。酒呑童子も漂着したシュタイン・ドッチという西洋人で、その見慣れない姿形を都の人たちは鬼だと思った、という魅力的な話もあります。人の生き血を飲んだというのも、実は赤ワイン? これは小説になっていたのですが、ひょっとしたら、実際にそういうことがあって伝説が生まれたのかもしれません。

何にしろ、ちょっと時がたてばわからなくなります。戦時中のことさえわからない、というのが驚きですね。当時、大人だった人たちがどんどんいなくなっているのですから、実際に体験した人がいないと、わからなくなるのもやむをえないのでしょう。昭和の日常的な生活のことさえ、今の若い人たちにとっては知らないことです。たとえば「ダイヤルを回す」という言い方はもはや死語でしょうか。今どき、ダイヤル式の電話を見ることはありません。にもかかわらず、110や119はそのまま残っているのですね。緊急時なのでダイヤルが回る距離が最も短い1を基本にして、さらに誤りを防ぐために距離が長い0や9と組み合わせたのですが、プッシュホンでは全く無意味です。でも、いったん決めたことを変えるわけにはいかないので、そのままにしているのでしょう。「呼び出し電話」というのもありましたが、何のことかわからない人が多いでしょう。電話を持っていない人が、電話がある近所の家などに取り次いでもらって、電話を受ける「システム」です。だれもがケータイを持つ時代では、もはや完全な死語です。電話の設置場所も玄関をはいってすぐの下駄箱の上などが多かったのも、「呼び出し」の便宜を考えたものでした。黒電話の上にカバーをかけたり、レースのかざりをしたりして、電話というのは「豪華家電」だったのです。

高速道路の制限速度が100キロになっているのも、なぜかはもうわからないらしいですね。その設定にした理由が記録としては残っていないということです。記録がないとわからない、ということになったらもはや民俗学の対象ですね。今はかなりのものが情報化されているので、状況は変わっています。むしろ情報が多すぎるので、真偽を見分ける必要さえ出てきます。ウィキペディアなんて、その最たるものですね。ふつうは、文字化されることによって権威が生まれてくるので、みんな信じてしまうのでしょう。もっともネット上の文字でしかないウィキでは、権威は少ないようです。その点、いまだに新聞は権威を持っていると言えるでしょうが、それも少しあやしくなってきました。とくに朝日新聞によって、新聞の信頼度が疑問符付きになっています。朝日とサンケイを読み比べると、同じニュースのはずなのに、正反対のことが書かれているのが不思議です。さすがに、事実そのものが大きくちがうということはあまりありませんが、解釈や評価は全くちがいます。そういえば、朝日新聞は最近、ちょっとしたミスも訂正するようになりました。謙虚さも感じられますが、それにしても多すぎです。変換ミスが多いし、事実関係も違っていることもあります。記事の内容そのものには大きな影響を与えないミスも多いのですが、ほぼ毎日のように訂正があるというのはいかがなものか。「確認が不十分でした」と書かれていますが、「不十分」ではなく、確認をしていないのかなと思います。新聞記者の能力が落ちてきているのでしょうか。それとも、昔からこういうミスは多発していたのだけど、ただ表に出なかっただけなのでしょうか。

 昔はよかった、と思うのは、単なる思い込みで、昔だってひどいことはたくさんあったのに忘れているだけなのかもしれません。昔の人が優れていたわけでもなく、今の人が劣っているというわけでもないでしょう。天才的な人物は過去にもいただろうし、今もいるし、未来にも出てくるでしょう。最近、地下鉄の西中島南方、阪急の南方に行く用事がありました。「敵のいない駅、みなみかた」というやつですね。地下鉄は「にしなかじまみなみがた」で、「かた」ではなく「がた」らしい。それは置いといて、「南方」について検索しようとしたら南方熊楠という名前が出てきました。「みなかたくまぐす」です。これは天才ですねぇ。「歩く辞書」という表現がありますが、この人は「歩く百科事典」と呼ばれたのですから、けたがちがいます。分類すれば博物学者ということになるのでしょうか。子供のころ、100巻ぐらいある博物図鑑を少しずつ読んで覚え、家に帰ってから記憶をもとに書き写したという話もあります。何の植物だったか忘れましたが、元の絵と並べた写真を見たことがあります。見比べると、細かい部分までほぼ一致していました。20か国語ぐらいしゃべれたそうですが、それもすべて耳で聞いて覚えたとか。昭和天皇に御前講義をしたときに、何かの標本を献上しました。その標本がキャラメルの箱にはいっていたというエピソードが有名です。天皇も心ひかれたのでしょうか、「…紀伊国の生みし南方熊楠を思ふ」という歌を詠んでいます。

異様なまでの記憶力などは、ひょっとしたらアスペルガー症候群の可能性もあります。いずれにせよ、天才と呼ばれる人は常識人のはずがなく、他の人とちがったところがあるからこそ天才と呼ばれるのでしょう。そういう優れた才能は、「天才」とか「偉才」とか「鬼才」「奇才」「異才」「異能」などなど、いろいろ呼ばれますが、どれが一番すごいのでしょうか。「秀才」「俊才」「英才」は一般人の中で優れた人物という感じですが、「天才」となると、先天的に特別の才能を持っているというニュアンスが出てきます。「奇才」は普通の人にない能力を持っている感じがあり、「異才」「異能」は一風変わった独特な能力という感じです。「鬼才」は「異端」の要素がはいってきますね。だから、誰かのことを「鬼才」と呼ぶときには、正統派ではないという雰囲気が漂い、必ずしも全面的な評価をしているわけではなさそうです。最近では「その発想はなかった」というような発想をする人に対して使ったりすることもあり、軽く見ているか、ばかにしている感じもします。ある意味で、苦し紛れのほめことばなのかもしれないので、言われても喜んではいけないかも。

2016年4月24日 (日)

左卜全という人もいました

聖徳太子が隋の煬帝に出した有名な手紙がありますが、あれは聖徳太子が中国語で書いたのか、日本語でしゃべったことをだれかが翻訳して書いたのか。当時の知識人は文章語としては中国語を使っていたのでしょう。読んだり書いたりはできたかもしれませんが、話せたのでしょうか。遣唐使として中国に渡った人は、まず中国語を勉強していったのでしょうか。駅前留学みたいな中国語会話の教室があったのかなあ。逆に、鑑真は日本語が話せるようになったのでしょうか。こういうのは記録が残っていないのですかね。

幕末の西郷隆盛と桂小五郎はどういうことばで会話をしたのでしょうか。桂は江戸の三大道場の一つ、練兵館で修行をして塾頭となっていますから、江戸のことばが理解できたはずです。でも、西郷はそうではないので、おそらく文章語を話しことばとして使ったのでしょう。手紙の候文や謡曲などで使われることばをベースとした「侍言葉」みたいなものがあったのかもしれません。大河ドラマでよくやっているように方言を交えることは、西郷隆盛でもしなかったのではないか。もちろん、会津の下級武士などは訛りがひどかったでしょうが、それでもなんとか意味は通じたはずです。では、一般庶民同士ならばどうだったのでしょうか。不便なことが多かったにちがいありません。そこで、共通語の必要性が出てきたわけです。

いまは共通語の影響を受けて、方言もどんどん「共通語化」しつつあります。純粋な鹿児島弁を理解できない、若い人たちも出てきています。「強い方言」である大阪弁にしても、どこまでが大阪弁になるのでしょう。落語の中に出てくるようなことばを今どき使う人はいません。「何言うてまんねん」とか「そんなもん、おますかいな」とか言うと変人あつかいされます。いわゆるオチケンの大学生などが、たまにコテコテの大阪弁を使ってたりしますが、プロのはなし家でも、いまは共通語化された大阪弁ですね。大阪出身とはかぎらないので、アクセントなどちょっと変な落語家もいます。

江戸落語の三遊亭圓生の大阪弁はさすがにうまかった。大阪生まれだったので、当然と言えば当然ですが、船場言葉と庶民の言葉も使い分けられたし、京都弁ともちがえていました。天才タイプの古今亭志ん生でも、大阪弁はだめでした。むこうのハナシの中に大阪の人間が登場するものがあるのですが、その部分の大阪弁のイントネーションがどうしても不自然になってしまいます。息子の志ん朝でも、やはり大阪弁はできませんでした。さすがに圓生です。本来、人間国宝になってもおかしくなかったんですがね。米朝ならともかく、小さんが人間国宝って、なんで?と思いました。三枝改め文枝がこのまま行けば人間国宝だったのに、つまらないことで逃した、と言っている人もいましたが、それも「へ?」ですね。落語家としての格が圓生とは比べものになりません。ただ、圓生さん、「どうだ、オレはうまいだろ」というのが感じられて鼻につくこともたまにありました。事実、うまいので仕方がないのですが。亡くなったときは、新聞に大ニュースとして載るはずだったのに、同じ日に上野動物園のパンダのランランが死んでしまい、そちらの方が大きく取り上げられたというのは残念至極。圓生を襲名するかどうかで、弟子たちの間でもめていましたが、その後どうなったのか。いずれにせよ、圓生を名乗るのもおこがましい、という感じがします。

圓生以上に襲名するのも恐れ多いのが圓朝です。春風亭小朝に襲名の話があったけど、さすがに辞退したとか。当然のことながら、圓朝のハナシをじかに聞いた者などいません。どれだけすごかったか、ということが「伝説」になって残ってゆくのですね。「天井から血がぽたり」と言った瞬間、客がみな思わず寄席の天井を見上げたとか、話が進むにつれて、怖さのあまり、みんなが身を寄せ合ってしまい、客席の四隅が空いてしまったとか。こういう「伝説」は伝わるうちに、だんだんと誇張されていくこともありそうです。たとえば、すごい力持ちで、こんなものを持ち上げた、というような話が、はじめはそんな重いものをよく持ち上げたなあのレベルだったのが、それは無理やろと思うようなものを持ち上げる話になっていくとか。平家物語の「ひよどりごえ」の逆落としの場面で、畠山重忠が愛馬三日月を傷つけまいと思って、馬を背負って駆け下りた、という話があります。競馬で乗るサラブレッドは450キロぐらいなので、これは無理でしょう。重量挙げの記録でも250キロぐらいです。ただし、サラブレッドは源平時代にはいません。大河ドラマの合戦シーンに出てくる馬はサラブレッドではないかもしれませんが、当時の大きさではないでしょう。日本本来の馬はもう少し小さかったようです。ただ、それでも250キロぐらいはあったので、それをかついで崖を走り降りるというのは相当すごい。

この前、テレビで、コンビニの床に足をつけずに買い物をして、マンションの3階まで届けるというのをやっていました。いくつもの突起物がついた壁を登っていくスポーツがありますね。あれのチャンピオンの女の人がチャレンジしたのですが、それは見事なものでした。指の力、腕の力、背筋の力などをフルに使って、スパイダーマンのように動いてました。まさに「伝説」になってもおかしくないような技でしたが、いまはテレビだからそのまま残っていきます。でも、昔のものは映像もなく、話だけなので、伝えるうちに、少しずつ脚色されていくこともあるでしょう。

NHKで堺雅人が演じた剣の達人塚原卜伝にはいろいろなエピソードがあります。生涯、二百人以上を倒しながらも、一度も負けず、傷一つ受けなかった、というのからして、ほんまかいなと思います。卜伝が琵琶湖で船に乗っていたところ、乗り合わせた武士に勝負を挑まれた、という話があります。小さな島が見えたので、そこで勝負しようということになって、武士は島に飛び降りました。卜伝は船頭から棹を借りて岸を突き、武士を島に残して去っていったという、無駄な争いをしなかったというエピソードも有名です。灘中の入試にも出ました。馬に蹴られないようにするため、わざわざ馬の後ろを避けて通ったという話もあります。このへんの話なら、あっても不思議ではありませんが、卜伝といえば、もっと有名な話があります。宮本武蔵が後ろから斬りかかったところ、卜伝が振り返って鍋の蓋で受ける、という、昔ドリフターズのコントで、志村けんと加藤茶が「修行が足りんわ」とか言って、むこうずねに木刀をあててたやつです。でも、武蔵と卜伝ではまったく時代がちがいます。だれかが武蔵と卜伝が勝負したらおもしろいぞと思って作ったんですね。無責任なおもしろがりです。

2016年4月10日 (日)

本がブックブックと沈む

前回「大リーグのマスコット」と書きましたが、この「大リーグ」ということばも死語になりつつあるのでしょうか。最近では 「メジャーリーグ」またはその省略形の「メジャー」という言い方しか聞かなくなりました。そのほうがおしゃれなのですかね。ところで、majorの発音は「メイジャー」のほうが近いはずです。「チーム」を「ティーム」と発音する、いたいアナウンサーでも、「メジャー」と言って「メイジャー」と言わないのはなぜでしょう。「メジャー」は昔は巻き尺の意味でしか使わなかったのに、いつのまにか「大きい」とか「数が多い」の意味で使われるようになりましたが、実は、さらに発音も平板化しているようです。巻き尺のときは「メ」にアクセントが置かれていましたが、いまのプロ野球の選手がアメリカに行きたいという意味で「メジャー」と言うときには、ダラーとした平板な発音になっています。

よくまちがわれる外来語(日本語として定着してはじめて外来語と言えるのでまだ「英語」と言うべきかもしれませんが)に、「スイート」というのがあります。もちろん「甘い」の意味で、日本語の中に無理矢理はめこんで使っていました。だいたい形容詞は外来語としては使いにくいのですね。いつのまにか「スイーツ」ということばも使われるようになり、これは「甘いお菓子」という意味のようです。さて、問題はホテルの「スイートルーム」の「スイート」です。これが「甘い」のsweetではなく、suiteと書き、「一揃い」という意味であることはけっこう知られています。要するに、寝室だけでなくリビングや応接間などがそろった部屋ということですが、新婚カップルが宿泊するための部屋だからsweetだと思っていた人が昔は多かったんですね。日本語には同音異義語が多いのですが、英語にもあります。

発音に関して言うと、「ベッド」を「ベット」だと思っていた人も多かったようです。「ベット」はドイツ語から来た可能性もありますが、おそらく「ド」で終わる単語が日本語では少ないために、「ト」の発音に変わったのではないでしょうか。「ティーバッグ」もいろいろなところで取り上げられていましたね。「バッグ」をまちがえて「パック」と言っている場合もありましたし、紅茶の紐付きの「ティーバッグ」とちがって、麦茶なんかのはいった紐なしのやつは「ティーパック」と言うんだ、とか。女性用の下着に「Tバック」というのも存在しました。ただ、老人は濁音より半濁音を好むのか、「ビートたけし」も最初のころは「ピートたけし」と言う人もいました。濁音そのものは日本語に存在するのですが、あまり好まれなかったのか、「山崎」や「中島」という苗字は西日本では濁らずに「やまさき」「なかしま」と言う、というのをこの前テレビでやってました。たしかに、「高田」はふつう「たかだ」ですが、ジャパネット「たかた」は九州です。ただ、東日本の訛りという問題があります。茨城県の人が、「茨城」は「いばらぎ」ではなく、「いばらき」が正しいと言うのですが、その発音がどちらも「えばらぎ」にしか聞こえません。「き」のつもりでも結局は濁ってしまうのですね。

濁るか濁らないかについては、その前の音によって決まる場合もあります。「一本」は「ぽん」、二本は「ほん」、「三本」は「ぼん」なので、促音「っ」のあとは「ぽ」、撥音「ん」のあとは「ぼ」になりそうですが、「四本」は「よんほん」になって、規則性がないように見えます。実は、「よん」は訓読みなので、他と条件がちがうのですね。「匹」「階」も「三」と「四」で変わってくるのはそういう理由です。ただ、そうすると、では、なぜ「四」は音読みしないのかという問題が起こってきます。たしかに「しほん」ならまだしも「しひき」「しかい」はわかりにくい。「死」につながるのだから避けたのだという説もあるようで、「九」も「く」が「苦」につながるので避けるのだとか。でも、「一二三…」と順に言うときの「四」は「し」で、「十九八…」と降りてくるときには「よん」になるということの説明にはなりません。

「一二三四…」を「ひいふうみいよう…」と読むときもあります。「一」とその倍の「二」が「ひい」と「ふう」、「三」と「六」が「みい」と「むう」、「四」と「八」が「よう」と「やあ」になって、それぞれ同じ行になるのは偶然か、なにか規則性があるのか。日本語と英語の単語が似ていても、それは偶然だろうとふつうは思います。「名前」と「ネーム」、「坊や」と「ボーイ」が似てると言われても、ああそうですか、と言うしかありません。「グッド・スリーピング」と「ぐっすり」とか、「ケンネル」は「犬寝る」で「犬小屋」だとか、「ナンバー」は「なんぼ」と似てるなんてのは、こじつけにすぎないし、ディクショナリーは「字引く書なり」、とか「石がストーンと落ちた」なんてのは単なるだじゃれです。「ブック・キーピング」を「簿記」、「シグナル」を「信号」としたのは音を意識して、日本語に訳したのだとも言われます。

いずれにせよ、日本語と英語では、系統的に見ても異なる言語ですが、古代の日本語と朝鮮語のレベルならどうなのでしょうか。同系統のことばだったのか、交流があったことからことばの行き来もあったのか。「ワッショイ」の語源は古代朝鮮語の「ワッソ」だというのも、否定的な見解がありますが、なんらかの関係があってもおかしくないような。ただ、古代朝鮮語自体がよくわからないようですね。今の韓国語では「国」という意味で「ナラ」と言いますが、だからと言って「奈良」と結びつくのか。韓国語で「母」は「オモニ」ですが、日本語の「母」も「母屋」のときは「おも」と読みます。偶然なのか、なんらかの理由があるのか。

聖徳太子の家庭教師は高句麗からやってきた恵慈という坊さんですが、二人は何語で話していたのでしょうね。恵慈は当然「高句麗語」でしょうから、聖徳太子は高句麗語を話せたのか。通訳を介してということはないでしょう。坂口安吾は聖徳太子は高句麗系だと言っていましたが、法隆寺の壁画を描いた曇徴はたしかに高句麗から来ています。でも、法隆寺には百済観音があるし、聖徳太子からもらった弥勒菩薩像で有名な広隆寺を氏寺本がブックブックと沈むとする秦河勝は新羅系だと言われています。新羅・百済・高句麗のことばと日本語はどういう関係だったのでしょうか。司馬遼太郎だったか、そのころはゆっくりと大声で話せば通じたとか乱暴なことを言っている人がいましたが、意外にそんな感じだったかもしれません。スペイン語とポルトガル語のちがいは、関東と関西の方言ぐらいの差だとよく言われます。そんなレベルだったのかなあ。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク