今こそ島への愛を語ろう⑤~スラウェシ~
こんにちは、西川(中)※です。久しぶりの登場です。前に書いたのいつだっけと調べてみたら、もう1年半も前でした。この「今こそ島への愛を語ろう⑤~スラウェシ~」をちょっとだけ書いて放置していたのです。というわけで、遅ればせながら続きを書こうと思います。
※他に「西川(大)」「西川(翔)」という講師がいるため、やむなく「西川(中)」としています。
私はインドネシアに2度行っており、その2度目がスラウェシです。かつてセレベスと呼ばれていた島です。島っていってもずいぶんでかいですけどね。トアルコ・トラジャという有名なコーヒーの産地であるタナ・トラジャにちょっと変わった埋葬の風習があるというので興味を持ったんです。もちろん、調査に行ったわけではなく、ただの物見遊山です。
かなり内陸にある高地ということで、車をチャーターするしか行く方法がありませんでした。それで日本から現地の観光案内所的なところに電話して、片言どころではない、しどろもどろのインドネシア語で何とか予約しました。ほんとうに車は来るのか?って感じでしたけど、ちゃんと来ましたね。やるなあオレ。K君に教わった参考書で勉強した甲斐があったというものです(K君については④をご覧ください)。
そうそうK君といえば、去年ものすごくひさしぶりに会って旧交を温めました。岩手山に登った帰りに仙台に寄ったのです。K君は大学の先生で、出世して学部長になっていました。温厚で人間が出来ているためそういう役職が回ってきちゃうんですね。ほんとうはすごく変な人なんですけど。懐かしい研究室ものぞかせてもらい、いい思い出になりました。盛岡からバスで岩手山の登山口に向かう途中、焼走り溶岩流というところを通ったんですけど(名前のとおりごつごつした黒い溶岩が幅1キロ長さ3キロにわたって積み重なり広がっているところです)、「あそこ、昔いっしょに行かなかったっけ?」とK君に訊くと「そういえば行ったね」。大学三年生のとき同じ研究室のK君とN君とわたしで、山形の自動車学校に合宿免許を取りに行ったんですが、その後せっかく免許とったんだからということで、レンタカーでK君と東北旅行をしたのです。あまり明瞭な記憶は残っていませんが、『遠野物語』で有名な遠野の、カッパ伝説のある河童淵に行って「こんなせまくて浅い流れに河童がいるはずないね」とうなずき合い、小岩井農場では逃げる羊を追いかけて撫で回し、龍泉洞というおそろしく美しい地底湖のある鍾乳洞を見学し、といった具合で楽しかったですねー。K君と僕は虫が苦手という共通点を有しているのですが、国民宿舎に泊まったら部屋のカーテンにびっしりとカメムシがとまっており、ふたりともおそれおののくだけで何もできず、見なかったことにして眠ったら朝には消えていたとか、昔乗っていたボートが転覆したという恐怖体験を持つK君が左手に海が見えている道で右側車線を走ろうとするのでよけい怖かったりとか(水深百メートルの地底湖を見たときは「だめだ、恐怖のあまり飛び込みたくなる」と物騒なことを言ってました)、印象深いことがたくさんありました。
閑話休題。スラウェシの話でした。しかしここまで書いてきて、山形の自動車学校のことを思い出してしまいました。もしかすると以前にこのブログに書いたかもしれませんが、とんでもない教官がいたんです。仮免取ったあとの路上教習で、土砂降りのバイパスを走ってたら、追い越していった車にばしゃっと水をかけられたんですね。いやがらせです。絶妙のタイミングで水のたまった轍にタイヤを踏み込ませ、斜め後方にいた我々の乗る教習車のフロントガラスに、一瞬前がまったく見えなくなるぐらいの水をぶっかけはったのです。そしたら助手席にいた教官があろうことか「やりかえせ」と言うのです。そんなん無理です~と半泣きになっていると、「アクセルを踏め、もっと踏め、もっと」と要求し、件の車を追い抜いた瞬間横からハンドルをつかんでくいっと少しだけ右に回してまた元に戻さはりました。そしてふり向いて「やったった、やったった、ざまあみろ」と叫ぶのでした。怖かったなあ、あの教官。
閑話休題。スラウェシの話でした。タナ・トラジャは遠かった。愛想の悪い運転手のおじさんとふたり、黙ったまま何時間も車に揺られました。そうしてたどり着いたホテルはヤモリだらけでしたが、実はヤモリはかなり好きなのでそれはまったく苦痛ではありませんでした。沖縄の竹富島に泊まったときもヤモリが多くて、部屋のドアをバタンと閉めると、天井からヤモリの赤ちゃんがぽてぽて落ちてくるのがかわいかったです。でも、ヤモリはかわいいと思うんですが、イモリはかわいくない。なんでですかね? 滋賀の比良山系に八雲ヶ原という高層湿原があり、ときどきテントを張りに行くんですが、もうイモリだらけで。小さな流れで水を汲もうとしたらイモリイモリイモリ、イモリが山もりです。この水は飲めるのか?と頭を抱えてしまうのでした。ま、湧き水とちがって川の水はどんなに清いようでも煮沸すべきですけどね。
タナ・トラジャには大きくぱかっと開けた洞窟があり、いたるところにシャレコウベが置かれています。そういう埋葬の風習なんですね。あれだけたくさんあると、かえってちっとも怖くない。なんだか、からっとした雰囲気です。たくさん写真撮りましたけど、心霊写真的などろどろどよーんとした写真は1枚もありませんでした。中国のウイグル自治区の博物館に何十体ものミイラが展示されている部屋があって、他にだれもいないので一人で見て回りましたけど、やっぱりまったく怖くありませんでしたね。あ、一体だけ、まぶたを閉じたミイラがあり、これだけ妙にリアルで不気味でした。まぶたを閉じているせいで、逆に今にもまぶたを開けてこちらを見るんじゃないかっていう妄想がわいてくるのでした。
タナ・トラジャから下りてきてウジュン・パンダンという街で食べたチマキがおいしかったです。