2024年3月10日 (日)

今こそ島への愛を語ろう⑤~スラウェシ~

こんにちは、西川(中)※です。久しぶりの登場です。前に書いたのいつだっけと調べてみたら、もう1年半も前でした。この「今こそ島への愛を語ろう⑤~スラウェシ~」をちょっとだけ書いて放置していたのです。というわけで、遅ればせながら続きを書こうと思います。

※他に「西川(大)」「西川(翔)」という講師がいるため、やむなく「西川(中)」としています。

私はインドネシアに2度行っており、その2度目がスラウェシです。かつてセレベスと呼ばれていた島です。島っていってもずいぶんでかいですけどね。トアルコ・トラジャという有名なコーヒーの産地であるタナ・トラジャにちょっと変わった埋葬の風習があるというので興味を持ったんです。もちろん、調査に行ったわけではなく、ただの物見遊山です。

かなり内陸にある高地ということで、車をチャーターするしか行く方法がありませんでした。それで日本から現地の観光案内所的なところに電話して、片言どころではない、しどろもどろのインドネシア語で何とか予約しました。ほんとうに車は来るのか?って感じでしたけど、ちゃんと来ましたね。やるなあオレ。K君に教わった参考書で勉強した甲斐があったというものです(K君については④をご覧ください)。

そうそうK君といえば、去年ものすごくひさしぶりに会って旧交を温めました。岩手山に登った帰りに仙台に寄ったのです。K君は大学の先生で、出世して学部長になっていました。温厚で人間が出来ているためそういう役職が回ってきちゃうんですね。ほんとうはすごく変な人なんですけど。懐かしい研究室ものぞかせてもらい、いい思い出になりました。盛岡からバスで岩手山の登山口に向かう途中、焼走り溶岩流というところを通ったんですけど(名前のとおりごつごつした黒い溶岩が幅1キロ長さ3キロにわたって積み重なり広がっているところです)、「あそこ、昔いっしょに行かなかったっけ?」とK君に訊くと「そういえば行ったね」。大学三年生のとき同じ研究室のK君とN君とわたしで、山形の自動車学校に合宿免許を取りに行ったんですが、その後せっかく免許とったんだからということで、レンタカーでK君と東北旅行をしたのです。あまり明瞭な記憶は残っていませんが、『遠野物語』で有名な遠野の、カッパ伝説のある河童淵に行って「こんなせまくて浅い流れに河童がいるはずないね」とうなずき合い、小岩井農場では逃げる羊を追いかけて撫で回し、龍泉洞というおそろしく美しい地底湖のある鍾乳洞を見学し、といった具合で楽しかったですねー。K君と僕は虫が苦手という共通点を有しているのですが、国民宿舎に泊まったら部屋のカーテンにびっしりとカメムシがとまっており、ふたりともおそれおののくだけで何もできず、見なかったことにして眠ったら朝には消えていたとか、昔乗っていたボートが転覆したという恐怖体験を持つK君が左手に海が見えている道で右側車線を走ろうとするのでよけい怖かったりとか(水深百メートルの地底湖を見たときは「だめだ、恐怖のあまり飛び込みたくなる」と物騒なことを言ってました)、印象深いことがたくさんありました。

閑話休題。スラウェシの話でした。しかしここまで書いてきて、山形の自動車学校のことを思い出してしまいました。もしかすると以前にこのブログに書いたかもしれませんが、とんでもない教官がいたんです。仮免取ったあとの路上教習で、土砂降りのバイパスを走ってたら、追い越していった車にばしゃっと水をかけられたんですね。いやがらせです。絶妙のタイミングで水のたまった轍にタイヤを踏み込ませ、斜め後方にいた我々の乗る教習車のフロントガラスに、一瞬前がまったく見えなくなるぐらいの水をぶっかけはったのです。そしたら助手席にいた教官があろうことか「やりかえせ」と言うのです。そんなん無理です~と半泣きになっていると、「アクセルを踏め、もっと踏め、もっと」と要求し、件の車を追い抜いた瞬間横からハンドルをつかんでくいっと少しだけ右に回してまた元に戻さはりました。そしてふり向いて「やったった、やったった、ざまあみろ」と叫ぶのでした。怖かったなあ、あの教官。

閑話休題。スラウェシの話でした。タナ・トラジャは遠かった。愛想の悪い運転手のおじさんとふたり、黙ったまま何時間も車に揺られました。そうしてたどり着いたホテルはヤモリだらけでしたが、実はヤモリはかなり好きなのでそれはまったく苦痛ではありませんでした。沖縄の竹富島に泊まったときもヤモリが多くて、部屋のドアをバタンと閉めると、天井からヤモリの赤ちゃんがぽてぽて落ちてくるのがかわいかったです。でも、ヤモリはかわいいと思うんですが、イモリはかわいくない。なんでですかね? 滋賀の比良山系に八雲ヶ原という高層湿原があり、ときどきテントを張りに行くんですが、もうイモリだらけで。小さな流れで水を汲もうとしたらイモリイモリイモリ、イモリが山もりです。この水は飲めるのか?と頭を抱えてしまうのでした。ま、湧き水とちがって川の水はどんなに清いようでも煮沸すべきですけどね。

タナ・トラジャには大きくぱかっと開けた洞窟があり、いたるところにシャレコウベが置かれています。そういう埋葬の風習なんですね。あれだけたくさんあると、かえってちっとも怖くない。なんだか、からっとした雰囲気です。たくさん写真撮りましたけど、心霊写真的などろどろどよーんとした写真は1枚もありませんでした。中国のウイグル自治区の博物館に何十体ものミイラが展示されている部屋があって、他にだれもいないので一人で見て回りましたけど、やっぱりまったく怖くありませんでしたね。あ、一体だけ、まぶたを閉じたミイラがあり、これだけ妙にリアルで不気味でした。まぶたを閉じているせいで、逆に今にもまぶたを開けてこちらを見るんじゃないかっていう妄想がわいてくるのでした。

タナ・トラジャから下りてきてウジュン・パンダンという街で食べたチマキがおいしかったです。

2024年3月 3日 (日)

ちょうど時間となりました

三遊亭圓朝作の怪談『牡丹灯籠』も、中国の話に原典がありそうな気もしますが、どうでしょう。もう一つ、圓朝作の有名な怪談に『真景累が淵』というのがありますが、「真景」は「神経」とかけた言葉になっています。幽霊というのは神経の作用で見えるものだ、ということで、ずいぶん科学的な見方をしています。明治時代には、この「神経」というのが一種の流行語になっていた、と、圓朝の流れをくむ圓生が『累が淵』のマクラで語っていました。

圓生もなくなって久しいのですが、Youtubeなどで見ることができます。うますぎて鼻につく、というか、どうだうまいだろう感がつよすぎるときもありますが、やはりうまかった。最近の上方落語では桂吉弥がいい、と前に書きましたが、吉弥と桂春蝶、春風亭一之輔の三人会を見たことがあります。梅田芸術劇場、シアター・ドラマシティというところでやったのですが、客席は満杯でした。吉弥は『愛宕山』というネタをやりました。山登りをする一行の中に舞妓さんが登場するのですね。そのときにこめかみのあたりに手をやって動かして、「これ、舞妓さんのビラビラ」と言って笑いをとるところがあります。吉朝ゆずりのネタですが、その師匠の米朝もちゃんとやっていました。「ここ、笑うとこよ」というやつですね。確かに客席はドッと受けていました。

なぜここが笑うつぼになって、おかしみを感じるのか。そこまでやらんでもええやろ、というところにあえてこだわるのが面白みなのでしょうか。『地獄八景亡者戯』で、やる人はみんなの閻魔の顔真似をしますが、これは断片となっていたものを米朝がととのえた話ということもあるのか、やはり米朝の顔が一番笑えます。このタイトルが芝居風で、歌舞伎と同様、漢字七文字になっており、これで「じごくばっけいもうじゃのたわむれ」と読みます。「八景」はどこから来たのか。地獄のいろいろな情景、という意味でしょうが、「近江八景」から来たのかもしれません。「日本三景」と言って、日本全体には三つしかないのに、近江には八つもあるというのが、なんだか変です。八つもでっちあげようとしたせいでしょうか、無理矢理感も漂います。「比良の夕照」なんて、夕焼けがきれいだという、どこにでも当てはまりそうなものを持ってきています。

大阪で夕陽が美しいところと言えば、そのまま地名になっている夕陽丘でしょうか。地名そのものもなんだか美しい感じがします。日本を愛する外国人たちの感想で、美しい言葉として「木漏れ日」をあげた人がいます。勿論、こういう現象はどこの国にもあるわけですが、それをこんな風に名付けるセンスがすごい、とほめちぎっていました。他にも、雨を表す語彙の多さに感動する、という人もいます。音読みする熟語以外にも、にわか雨、むら雨、こぬか雨、やらずの雨とか、「雨」という言葉がはいっていなくても、しぐれ、卯の花くたし、きつねの嫁入りとか、いろいろあります。「虎が雨」という妙な言葉もあります。夏の季語にもなっており、旧暦五月二十八日に降る雨のことです。「虎が涙雨」とか「虎が涙」とか言うこともあり、虎御前が泣く涙だということになっています。これは曾我兄弟から来ているのですね。だから「曾我の雨」と言うこともあります。曾我兄弟の兄のほう、十郎が死んだことを、恋人の虎御前が悲しみ、泣きはらした涙だというわけです。

今では曾我兄弟も荒木又右衛門も忘れられ、日本三大仇討ちも忠臣蔵だけが残っていますが、昔は曾我兄弟は有名だったのですね。源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎・五郎の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件です。伊東一族の領土争いが発端で、いろいろあってややこしいのですが、三谷幸喜脚本の大河ドラマでは非常に面白く描いていました。兄弟が父の仇討ちを行うと見せかけて、頼朝を暗殺しようとする、という設定ですが、頼朝の寝所にたまたま工藤祐経が寝ていたのを襲ってしまう、まぬけな展開になります。義時は「仇討ちを装った謀反ではなく、謀反を装った仇討ち」だと言い、兄弟は父の無念を見事はらしたという美談に仕立て上げます。そして、「この話は後の世にまで語り伝えられるだろう」と言うのです。事実、三代仇討ちの一つとして後世にまで伝わりました。

現代からの視点で見れば、義時の言葉どおりになるわけで、こういうとらえ方は「真田丸」のラストにもありましたが、この大河ドラマでは伏線回収のうまさが際立っていました。と言うより、実は毎回のちょっとしたエピソードをそのままにしないで、後になってうまく活かしていたのかもしれません。長い年月をかけて書かれる大長編小説ともなると、そういったエピソードが活かしきれず、場合によってはミスにつながることもあります。吉川英治の『新書太閤記』に、わりと早い段階で藤吉郎と光秀が出会う場面があり、それはそれで面白いエピソードだったのですが、後年になって光秀が信長に仕えたとき、秀吉とは初対面だという設定になっていました。作者自身が昔に書いたことを忘れてしまったのでしょうが、読む側は一気に読んだりすることもあるので、矛盾に気づきます。

ただ同じ時代に生きていたのであれば、どこかでめぐりあっても不思議はないわけです。講談の神田伯山が、どんな話でも宮本武蔵が出てくるとお客が喜ぶ、と言っていました。別の話であっても、多少時代がちがっても、「あの」宮本武蔵がちらっとストーリーにからめて出てくるだけで、話が「豪華」になるのですね。伊坂幸太郎の連作で、ちがう人物の視点で書かれているのに、どの作品にも同じ人物が登場してくる、というのがありました。連作でなくても、ある作品の人物が、別の作品に脇役としてチラッと登場することもあります。読者サービスと言ってもよいでしょう。同じ作者のものを掘り下げて読んでいく人だけに与えられた楽しみと言ってもよいかもしれません。

講談の「武蔵伝」には、武者修行をしている武蔵が狼退治をする話があります。そのときに知り合った駕籠屋の親父が強いのなんのって、並みの男ではありません。狼をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、はてには一番大きな狼をビリビリと引き裂いてしまいます。では、何者だったのかというと、うーん、残念。ちょうど時間となりました。続きは次の口演にて。

2024年2月22日 (木)

健さんが好き

『刑務所なう』という本を出した人がいます。ヒルズから監獄に「居住地」を移したんですね。東京暮らしを捨てて、2年近く長野の「別荘」で過ごしたときの「獄中日記」です。この本のタイトルはインパクトがありましたが、ホリエモンにそういう過去があったことを覚えている人は意外に少ないかもしれません。江戸時代中期、徳川吉宗の命令により、前科者になると腕に「入れ墨」を入れることが法制化されました。背中に派手な絵を描く「彫り物」と違って、輪っかの形の墨を入れられるのですね。これは簡単には消せないので、心を入れかえてまっとうに働こうとしている人にとってはつらいことだったでしょう。

江戸や大坂では二の腕に輪っかでしたが、奉行所の場所によって多少の違いがあったそうです。京都は線ではなく点々、長州では菱形だったとか。ところが顔に入れられることもありました。これはつらい。額に×とか二本線、三本線を入れるところもあったようです。ひどいところになると、一回目は「一」の字を入れられるだけですが、再犯はそこに「ノ」の形を入れて「ナ」になり、三回目はそらに二画加えて「犬」にされたそうな。

入れ墨ですまないような場合、死罪になることがあります。さらし首、獄門という、ひどい刑罰ですね。ある人物の生首を絵にして残した中島登という人がいます。自分の敬愛する人物が獄門になったことがくやしくて、その様子を残しておこうとしたのですね。その人物とは近藤勇、中島は元新選組の隊士だった人です。この絵がなかなかリアルで、結構うまいんですね。そうとう絵心があっのでしょう。新選組にもいろいろな人がいたようです。ほとんど名前だけしか残っておらず、どんな人物だったかよくわからない一隊士を主人公にして盛りに盛った長編にした『壬生義士伝』という小説があります。浅田次郎の代表作です。

子母沢寛という、元新聞記者の小説家がいます。この人も新選組の話を書いています。昭和の初めに出た『新選組始末記』というもので、小説としての脚色はなく、面白みにはやや欠けるところがあります。しかしながら、生き残りの幕臣などから直接取材した話がもとになっているので、なかなか興味深い作品です。この人のわずか数ページの短編に、盲目でありながらも居合いの達人である座頭の市という人物が登場するものがあります。座頭というのは、江戸時代の盲人の階級の一つを表す言葉です。江戸幕府は身体障害者に対する保護政策として一種の職能組合を作っていて、それが「座」と呼ばれていました。この盲人を主人公にして一本の映画にふくらませたのが『座頭市』という作品です。話は座頭市が下総国の親分、飯岡の助五郎のもとに草鞋を脱ぐところから始まります。

時代は幕末、飯岡の助五郎と笹川の繁蔵との争いを描いたのが、浪曲や講談の世界で有名な「天保水滸伝」で、これと絡めて映画にふくらませていったのですね。この「天保水滸伝」というのがたいへんな人気だったようで、平手造酒という「ヒーロー」も登場して歌謡曲の題材にもよく取り上げられていました。映画「座頭市」にも登場しますし、子母沢寛も取り上げていますから、モデルとなる実在の人物もいたようです。ちなみに、ライバルとでも言うべき、飯岡の助五郎と笹川の繁蔵の子孫が現在夫婦となっておられるとか。現代版ロミオとジュリエットとなってもおかしくないのですが、たいそう睦まじくお暮らしのようです。

それにしても、この手の作品がなぜ人気があるのか、言いかえれば。なぜ日本人が、や○ざとか、斬り合い、合戦を描いた作品が好きなのか。いや、日本人だけでなく戦いや争いを描いた作品は世界中で好まれるのです。基本的にはボクシングと同じでしょう。スポーツの形にはなっているものの、本質は殴り合いです。こういうものを見て興奮するのは、人間の中に闘争本能や破壊本能があるからかもしれません。さらに言えば正義ぶっているやつよりも、「ワル」のほうがかっこいいというイメージもあります。単なる乱暴者ではダメしょうが、少数派で権威に逆らうということになると、魅力的に感じられます。

だからこそ、ピカレスク・ロマン、日本語に訳すと悪漢小説になってちょっと野暮ったいのですが、悪いやつを主人公にした物語や映画がヒットするのでしょう。 いわゆるアンチヒーローというやつですね。「コンゲーム」というのは詐欺行為ですが、この手のものも人気です。バットマンはちょっと「ワル」のイメージがないこともないのですが、一応正義のヒーローです。ところが、スピンオフで「ジョーカー」を主人公にした作品もヒットしました。桃太郎を鬼視点で見ると、自分たちの生活を脅かす悪人になります。絶対的な正義や絶対的な悪はないという問題もあります。だいたい、「俺たちは悪の枢軸国だぞ、エッヘッヘー」と思って戦うはずがないでしょう。正義対正義の戦いであり、それぞれに正義があります。

日本では「義理と人情の板挟み」というテーマもあります。よく「義理人情」と続けて言いますが、この二つは相容れないものでしょう。では、同等か、と言うとそうでもなく、かつて高倉健が歌った『唐獅子牡丹』という映画の主題歌にも「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」というフレーズがあります。この映画の主人公を演じる健さんの背中には「唐獅子」と「牡丹」の絵が描かれています。今はタトゥーというオシャレな言い方をしますが、伝統的な日本の彫り物では有名な絵柄です。「唐獅子」というのは、中国風に描いた獅子なので、本当のライオンとは似ていません。神社の狛犬とセットになっているやつですが、獅子であるからには「百獣の王」です。「百花の王」と言われたのが牡丹なので、この二つが組み合わさるのですね。中国で最も好まれている花が牡丹ということです。なんか、このブログでは、高倉健さんがよく登場しますねぇ。昔、ラサールの入試で「や○ざ」という言葉が毎年のように出ていたことを思い出します。出題者の先生と心情的に共通する部分があるのかもしれません。

2023年12月17日 (日)

こんばんみー

『時の娘』は、二人の甥をロンドン塔に閉じ込めて殺害したと言われるリチャード三世の「容疑」がはたして真実かどうかを探る、という歴史推理小説です。「時の娘」というタイトルは「真実は時の娘」ということわざから来ています。「真実は時間がたつことで明らかになる」という意味でしょう。この小説の日本版を書こうとしたのが高木彬光の『成吉思汗の秘密』です。名探偵神津恭介が入院中に「義経成吉思汗説」の推理をするという設定で、「ベッド・ディテクティブ」とか「アームチェア・ディテクティブ」というやつですね。「アームチェア・ディテクティブ」とは「安楽椅子探偵」ということで、現場に行かずに人の話や書類などの手がかりだけをもとにして推理を展開するものです。

『時の娘』も『成吉思汗の秘密』も現在の事件ではなく、歴史上の事件を扱っていますが、松本清張も歴史好きだったようで、ノンフィクションの『日本の黒い霧』や『古代史疑』などを書いています。古代史への興味を小説の形にした『火の路』というようなものもあります。大河ドラマで「実朝暗殺」が描かれていましたが、真犯人はだれかという「歴史推理」も、永井路子が『炎環』で三浦義村説を出しました。小説の形で書いているわけですから、単なる思いつきのようにとられても仕方のないところですが、歴史学者の中には好意的に取り上げる人もいました。

「実朝暗殺」と書きましたが、あれはなぜ「暗殺」なのか。この言葉は定義が難しいようです。まず対象が政治的、社会的になんらかの影響力を持つ人物でなければなりません。一般のサラリーマンやお店のおっちゃんは「暗殺」されないのですね。動機も政治的、思想的な立場の違いが前提になります。暴力団抗争などで「親分」が殺害された場合も「暗殺」と言うことがありますが、その「世界」で影響力を持つ人物が対立する組織によって殺害されたわけなのであてはまりそうです。殺害方法についてはなんでもよいのですが、「暗」の意味から見ても「秘密裏」でなければならないと思うのです。「非合法的」という要素も必要でしょう。たとえば政敵をつかまえて強引な裁判で死刑にしても暗殺とは言えないでしょう。安倍さんは白昼堂々と銃撃によって命を奪われましたが、「銃撃」という「非合法」の要素はあるので「暗殺」と言えるのかなぁ。さらに言えば「暗殺する」とは言えるのに「殺人する」と言えません。これも不思議です。

「する」という動詞は名詞のあとについて「サ変複合動詞」を作ります。「運転する」「読書する」などですね。ところが、「殺人する」は複合動詞として使うことはないようです。名詞の中の漢字に動詞的要素があって、全体が「~すること」という意味であれば複合動詞にしやすいはずなのですが…。名詞に使われている漢字に動詞的要素がなければ「する」をつけると妙な感じがします。「時間する」「世界する」「他人する」などなど。「する」をつけて動詞化できる名詞を「サ変名詞」と言うこともあるようです。二字熟語とはかぎりませんし、外来語でもあてはまるものがあります。では、「お茶する」はサ変複合動詞と見なせるでしょうか。「お茶」は「名称」であって、動詞的要素はありません。「インストールする」とは言えても「パソコンする」とは言えません。今のところ「お茶する」はまだ口語的表現、ややくだけた言い方、という位置づけでしょうか。

「駅前でヤンキーたちがたむろっていた」というような表現を見たことがあります。これは使い方としてはどうでしょう。「たむろった」と言えるなら、終止形は「たむろう」になりそうですが、そんな言葉はありません。「屯」と書いて「たむろ」と読み、「たむろする」と言うのが正しいことになります。「う」がついて動詞になる名詞といえば「歌」がありますが、これは昔から「歌ふ」という形で使われています。では、ひょっとして「たむろる」? 名詞のあとに「る」をつけると動詞になることがあります。たとえば「牛耳る」「事故る」「サボる」「ミスる」。「江川る」「アサヒる」「小沢る」なんてのもありました。「口」をひっくり返して「チク」、それに「る」をつけた「チクる」、「告白」の「告」から生まれた「コクる」、新しいところでは「ググる」「ディスる」「バズる」…。でも、「さすがに「たむろる」は聞きません。活用させて「たむろらない・たむろります…」というのも聞いたことがない。「ななめってる」というのも、言わんとすることはわかりますが、「ななめる」という動詞は今のところ存在しません。

こういう言い回しは、たしかに文法的にはおかしいのですが、使う人が多くなれば日本語として定着していくのでしょう。ただし、「わかりみが凄い」とか「やばみ」などは定着するか微妙ですね。それでも、これらの言葉は「ま」とか「ちな」に比べるとまともです。「まじ」は江戸時代からすでに使われていたので、「まじめ」の省略かどうかは微妙なところですが、「まじ」を省略して「ま」とか、「ちなみに」の略で「ちな」、これらはあまりにも省略しすぎです。「ちな」とか、「とりあえずまあ」が「とりま」っていうのはまだ文脈でわかることがありますが、相手の言ったことに対して「ま」では意味不明。「それ本気?」の省略形「そま?」みたいな使い方はほとんど幼児語です。さすがに流行語みたいな感じで、もはや「古い」という扱いになっているようです。これらに比べると、「やばみ」はまだ今までの造語パターンをある程度ふまえています。「やばい」を名詞化するなら「さ」をつけて「やばさ」ですが、あえて「うまみ」「ありがたみ」のように「み」で名詞化したのでしょう。「うれしみ」も同様ですが、「わかりみ」はちょっと違います。これは動詞に「み」なので無理矢理感が強いようです。逆にそれが面白いから若い人たちは使うとも言えます。「もはや、わかりみしかない」という使い方は定着するでしょうか。いや、すでに死語かもしれません。

定着するかしないかの基準はむずかしいようです。桂太郎以来の「ニコポン」はいまだに辞書に載っているのですが、おそらくだれも使わないでしょう。「ギャル」も一世を風靡しましたが、もはや死語です。「ナウい」は定着しかかったのに消えて、「なう」の形で復活しました。そして、また「なう」も消えています。はやっていたころに、国語のテストで「損なう」の読み方を出題したら、SNSをやりすぎの人が「そこなう」と書かずに、「そん、なう」と答えたかもしれません。

2023年12月 5日 (火)

時をかける娘

「戦争を知らない子供たち」とは、いわゆる「団塊の世代」のことですね。戦争が終わって帰ってきた兵士たちのもとで生まれた子供たちです。堺屋太一という人のネーミングですが、言葉としてすっかり定着してしまいました。別の言い方をすれば、この人たちは「戦争がなければ存在しなかったたかもしれない世代」ということになります。終戦という社会の変動に伴い、一つの大きな集団ができあがり、前後日本の方向を決定づけました。

戦争というのは大きな影響力をもちます。人類が繁栄するのはよいことですが、人口が多すぎると集団の維持に却ってマイナスになることもあります。原初の人類は、天敵と呼ばれるような動物によって人口が調整されていたのかもしれません。天敵をしのぐような力をつけた人類に対して、自然は病気をはやらせ、多くの人が命を失いました。ところが人類は科学を発展させ、病を克服していきます。そうすると、新たな病が生まれます。自然は次から次へと病気をはやらせるのですが、追いつかなくなっていきます。そうすると、人間は不思議なことに戦争をするのですね。人間はそれなりに理由を付けて戦っているつもりなのですが、実は知らないうちに自然に操られているのかもしれません。そして、もっと大きな威力を持つもので人口調節をはかろうとしたものが世界大戦だ、という残酷な説を唱える人もいます。人口の調節だけでなく、科学は戦争が終わったあとも深刻な後遺症をもたらすこともあります。

古田武彦の『失われた九州王朝』という本の中で、筑後の『風土記』に、九州のある土地で、体になんらかの欠損を持っている人間が多いと書かれている記事を紹介していました。いわゆる「磐井の乱」のあとで、死んだ磐井の祟りか、と書かれているのですが、実は戦争でそういう障害を負ってしまったのではないか、と推理していました。古田武彦は「磐井の乱」を単なる反乱ではなく、九州王朝対大和朝廷の一大決戦だったと考えているので、戦争の影響はとてつもなく大きかったと考えたのでしょう。妙な言い伝えだと思っていたら、実は史実の反映だった、と言うのですね。

戦争まで行かないような、ちょっとした出来事でも、そのあとの歴史に影響を及ぼすことはよくあるのかもしれません。平凡な日々の繰り返しだと思っていたら、実は歴史の分岐点だったということもつねにあると言ってよいでしょう。「そのとき歴史が動いた」というのは、些細な出来事がきっかけになっているかもしれません。あのとき、もし、こうしていたら…と後になって思うことは、個人でも社会でもよくあることです。それが「IFの世界」や「パラレルワールド」につながっていくと、そこに一つの物語が生まれます。関ヶ原の合戦のとき、もし、こうなっていたら…とか、太平洋戦争でもし山本五十六が…というような小説や漫画もあります。

「義経成吉思汗説」や「豊臣秀頼薩摩落ち」「西郷隆盛生存説」のように、死んだことになっていた英雄が、もし生きていたら、というパターンも人気があります。逆に、実は家康は死んでいた、というのもあります。話を聞く側は、もし生きていたら、もし死んでいたら歴史がどう変わったかを楽しむわけで、これも「IFの世界」です。小松左京の小説は、ほとんどが「IF」からの発想と言ってもよいでしょう。「もし日本が沈んだら」「もし首都が消えたら」「もし上杉謙信が女だったら」のように、「もし」という設定そのものがテーマになっています。スティーブン・キングの小説にも、「もし過去に行ってオズワルドを止めることができたらケネディ暗殺は防げたか」というのもあり、これはキングの筆力でなかなか読ませます。

ただ、過去に行くとパラドックスが起こることもあるのですね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も、そのあたりの面白さがメインになっていました。『JIN-仁-』の結末も微妙に歴史が変わってしまいました。「パラドックス」なので、なぜそうなるのか、理屈はどうなっているのかは、考えれば考えるほど、訳がわからなくなってきます。それでも、やはり面白いのですね。タイムスリップものは、なかなか衰えず、いまだに人気があります。とりあえず現代人を過去に行かせるみたいな設定は安易すぎるのですが、面白い。歴史上の人物が現代に現れたりするのもワクワクします。半村良の『戦国自衛隊』、筒井康隆の『時をかける少女』のような「古典的」なものから、『テルマエ・ロマエ』『アシガール』『サムライせんせい』『信長協奏曲』『テセウスの船』…思いつくだけでも相当あります。中には「光源氏」が現代にタイムスリップするという、訳のわからないものもありました。

北村薫の三部作はたいへん面白いシリーズでした。『スキップ』は、女子高校生がふと目覚めたら、何十年も後の世界にいて、夫も子供もいる高校教師になっており、中年の女性としてどう生きていくか、という作品。タイムスリップというより記憶喪失もの、と言ったほうがよいかもしれません。『ターン』は、主人公が事故にあうのですが、気づくとその一日前の世界に戻っています。事故の時間になると、また一日前に戻っている、という繰り返しの世界にとじこめられる話。ループものと呼ばれるジャンルですね。『リセット』は戦時中と戦後を結ぶ転生ものという位置づけでしょうか。

ループものというのは、話の中で主人公が同じ期間を何度も繰り返すというパターンで、『時をかける少女』はループものの代表と言われます。その後、「オタク」と呼ばれる人たちの好むジャンルとなり、アニメやラノベ、ゲームで盛んに登場してきます。ケン・グリムウッドの『リプレイ』は非常に有名です。主人公は死ぬたびに記憶を保ったまま過去に戻って人生をやり直すのですが、戻る時間がだんだん短くなっていくという設定が面白い。恒川光太郎『秋の牢獄』も短編ですが、なかなか味わい深いものがあります。ロバート・F・ヤングの『たんぽぽ娘』はタイムマシンが登場するSF小説ですが、タイトルどおりのロマンチックなお話でSF臭はなく、女性に人気の作品です。おっさんの読むようなお話ではありません。一方ジョセフィン・テイの『時の娘』は、ど直球のSF小説のように思えますが、なんと推理小説なのが面白い。

2023年10月31日 (火)

ジェイソンを知らない子供たち

最近亡くなった上岡龍太郎が、落語でも講談でもない、「話を上岡風に語る」という芸をやっています。「雨禁獄」という妙な言葉があります。白河法皇が、ある行事をしようとしたところ、雨のために何度も延期することになって怒り心頭、雨を器に入れて獄舎に下した、という『古事談』にある話が元になっていますが、これを「お話」として語るのですね。あるいは、「こんな映画を見た」という内容の話。笑いをとるわけでもなく、ただ話を聞かせるというスタイルで聞き手を引きつけます。お蔵入りになった「幻の映画」のストーリーを紹介するという形で、演じた俳優の名前も明かして、最後のところで「お蔵入り」になった理由がわかります。聞いている客はみんなその映画を見たいと思ったでしょう。ところが、実はすべてフィクションで、そんな映画は実在しないのですね。もちろん、上岡はその種明かしもしないで、舞台をおりていきます。

古舘伊知郎もひたすら自分の話術を聞かせるという舞台をやっていました。たとえばお釈迦様一代記みたいな話を、何も見ないでストーリーとして語っていくのですが、しゃべることがすべて頭の中にはいっていないとできません。しかも古舘がやる、ということなので聞く者も淀みのないしゃべりを期待しています。言いまちがいも許されませんし、言葉につまるとか、「アー」や「エー」など言うのは論外です。まさに「しゃべりの一本勝負」というところで、それはまあ実に見事でした。プロレスの中継をしていたときはやたら仰々しいフレーズを使う軽薄な男、という印象だったのに、さすが「しゃべりのプロ」という感じでした。

ストーリーを語る、という点では人情話や怪談も落語のネタになると前回書きましたが、怪談は三遊亭圓朝という人が始めたと言ってよいでしょう。この人はもともと笑いをとる話もやっていたようですが、あまりのうまさに周囲だけでなく師匠にさえもねたまれ、自分がやろうとしていたネタを先に別の人がわざとやって邪魔をするということもあったそうです。そこで、他の人にはない持ちネタを作ろうということで、怪談話を始めたとか。こういう話では笑いをとるわけにはいきませんが、そうなると講談との違いが薄れてきます。声を張り上げリズミカルに言葉を発する講談に比べると、おさえたトーンでリアルな話しぶり、という違いはあるでしょうが、ネタはかぶっている場合があります。最近は神田伯山の人気によって、講談も再評価されて集客力も上がってきているようです。一方、浪曲はどうでしょうか。絶滅に近いような状態かもしれません。浪曲ファンだと言う若い人がどれだけいるのでしょうか。

一人漫才とも言うべき「漫談」という形式は細々と続いています。綾小路きみまろというビッグスターもいましたし、今はすっかり俳優になってしまった「でんでん」も分類すれば漫談だったと言えます。鳥肌実というかなりあぶない人もいました。一人でやる人としては、ダンディ坂野、小島よしお、スギちゃん、ケンドーコバヤシ、たむらけんじ、変わったところではマキタスポーツ、今はなき(?)ガリガリガリクソンとか、結構いることはいるのですが、純粋な「しゃべり」だけでなく、リズムねたであったり、コントや物真似と融合したりしていることも多いようです。「物真似」はテレビでもよくやるので、結構人気があります。コロナ禍で身動きがとれなかったころ、YouTubeを利用して、物真似芸人がいろいろと発信していました。ミラクルひかるなんて、なんとガーシーの物真似をやってましたからね。

YouTubeでは、怪談も盛んで、一つのジャンルとして定着していますが、「実話」と銘打っているものと、「創作」と名乗らないまでも、つくりもののストーリーだと思われるものとがあります。後者のほうが、意識して作っているのですから面白さは上のように思えるのですが、わざとらしくて、ウソくささが鼻につくこともあります。実話系はオチがあるわけでもないのに、妙にこわかったりします。ひと昔前、ある都市伝説がはやりました。見た者を一週間後に呪い殺す「呪いのビデオ」という話で、友達の友達の話、みたいなよくある形式になっていますが、それって小説の『リング』やがな、ということがありました。小説を読んだだれかが人に話した内容がさらに別の人に伝わっていくうちに、一つの都市伝説になってしまったのですが、元ネタがはっきりしているという点でめずらしいパターンです。

短歌の世界でも元ネタのある歌というのがあります。元の歌をふまえて新しい歌の背景とすることで、歌に奥行きや幅が生まれるというのが「本歌取り」ですが、これが有効になるのは元歌を知っているという条件があるからです。パロディも同様で、元になるものを知らないと意味不明であり、面白さも当然感じられません。ところが、本来有名でだれでも知っていたはずの元ネタが時代の変化で忘れられることもあるのですね。だいぶ以前に書いた、標語の審査に出かける父親が子どもたちに「父はヒョウゴにおもむかん」と言ったという話も、元ネタの『青葉の別れ』が歌われなくなった現在、まったく意味不明でしょう。流行語のパロディなど、元ネタが「流行」つまりやがては消えるものなので、どうしようもありません。「笑点」という番組名の元ネタが『氷点』であることも、『氷点』という作品がほとんど読まれていない現在、知らない人のほうが多いでしょう。

『バタリアン』という映画名を元にした「オバタリアン」という言葉もありましたが、いまやどちらも忘れられています。以前、生徒たちに「睡眠中、体から酸を出す昆虫って知ってる?」と聞いたところ、答えがない。「蚊や」「なんで?」「カーネル・サンダース」と言ったところ、「きょとんとしています。カーネル・サンダースの名前を知らないんですね。たしかに最近、この名前を聞かなくなりました。ちなみにくまのプーさんの本名もサンダースなんですが、これも知らないだろうなぁ。チェーン・ソーを振り回すホラー映画の主人公ジェイソンも子どもたちは知りません。「えっ、ジェイソン知らんの? 君らは『ジェイソンを知らない子供たち』か!」と言ってもさらに通じません。そりゃそうだ、そもそも元ネタの『戦争を知らない子供たち』という歌を知らないのだから。

2023年10月19日 (木)

どうもすみません

ことわざの授業をしていて「三人寄れば文殊の知恵」というのが出てきました。「文殊菩薩」というのは「普賢菩薩」とセットで釈迦如来の横に立ってると言うと、なるほどとうなずく者もいましたが、わからない者も多い。そこで、「菩薩」の説明をしたあと、「君らでも知ってる菩薩がある。観世音菩薩とお地蔵様や」と言うと、「お地蔵様って何?」とぬかす不届きな生徒がいたので怒りのあまり、「お地蔵様、知らんのか。『いただきます』と言ってご飯食べたあとに言う言葉や!」と言うと、すかさず「そら、ご馳走様や」と鋭くツッコミを入れる生徒が何人もいました。関西人としてすくすく育っています。北千里教室の五年生、ありがとう。

で、前回の続きですが、「漁夫の利」は原文では「漁夫」ではなく「漁父」です。しかも読み方は「ふ」ではなく「ほ」と読み、父親ではなく年寄りという意味になります…と言うのは「蛇足」ですね。「蛇足」も戦国時代の話で、居候たちが主人からもらった酒をめぐっての出来事です。主人が数人の居候に与えた酒が中途半端な量だったのでしょう。一人で飲むには多く、かといって皆で分けると足りない。そこで勝負しようじゃないか、ということになって地面にヘビの絵を描く、という話です。「居候」と書きましたが、これは「食客」としたほうがよさそうですね。この時代、有力者は食客を多く抱えて「ただ飯」を食わせていました。財力がなければできませんし、人が集まるのは人望があるから、ということになるので、食客の数が多ければ多いほど世間からの評価も高まります。千人を超える食客を抱えている者もおりました。孟嘗君などは三千人と言われます。それだけ多いと、一人一人の顔も名前も覚えられないでしょうが、中には強い恩義を感じる者もいたようです。孟嘗君を助けて、宝物を盗み返した者や鶏の鳴き真似をして関所を開けさせた者の話から「鶏鳴狗盗」の言葉も生まれました。ここから清少納言の「夜をこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ」の歌にまで話をひろげると、百人一首を覚えさせられたという生徒などは、「おお」という顔をします。

「五十歩百歩」の話でも、その背景を知っていると、より面白く感じられます。兵士が何歩逃げたかというのはたとえ話にすぎません。梁の恵王が孟子に、「自分は、凶作のときにはその民を豊作の土地に移住させたりして、心配りをしているのに、他国からわが国を慕って人々がやってくることがないのはなぜか」と問うたときの話なんですね。小手先の対症療法をするより根本的なところに目を向けないとだめだと諫めた、という話です。こういうような細かいところに興味が持てれば知識として定着するのですね。細かい部分は入試には出ませんが、雑学として役立ちますし、そういう知的好奇心が強いとより知識が増えていきます。「神は細部に宿りたもう」と言いますが、ディテールにこだわると見えてくるものがあるのですね。

世の中にはやたらディテールにこだわる人がいます。ある映画で、時代設定のリアルさを追求していくあまり、映画の中では引き出すことのない机の中の手紙や書類まで、その時代に合わせたものを用意した、という話があります。こういう話にはしびれますねえ。初期のころの水木しげるにもしびれました。たとえば木を描くときに木の葉の一枚一枚を葉脈まで描いたり、墓石の穴の一点一点を丁寧に描いていったり、すすぼけた掘っ立て小屋の羽目板の木目までリアルに再現したりしていました。『墓場の鬼太郎』という作品が不気味だったのは、そういうディテールにこだわる画風が大きな要素を占めていました。それに対して人物の絵はなぜかスカスカ感が漂い、背景との対比がなかなか面白かった。ねずみ男なんかスカスカです。ところが、ふつうの妖怪はなぜかリアルなんですね。本来デッサン力のある人でした。

「アマビエ」という妖怪が一時期ブームになりました。でも、あの絵は下手の極致です。大人が描いたものとは思えません。だれかの絵を写したのか、その人も下手だったのか、ひょっとして字も下手だったのかもしれません。カタカナで「アマビコ」と書くつもりだったのが、「アマビエ」に見えたという説もあります。たしかに「アマビコ」なら「海人彦」という字を当てられますが、「アマビエ」ではいまいち意味がわかりません。江戸期には印刷技術も発達してきていますが、それまでの基本は写本ですね。人が写したものをまた写していく。その途中でだれかが写し間違いをしたり、どこかの部分がごっそり抜けたりする。妙だなと思っても生真面目な人ならそのまま写したり、「脱落ありか?」などのメモ書きをつけたりすることもあったでしょうが、いいかげんな人なら、つじつま合わせで勝手に適当なことばを補うなんてこともありました。同じタイトルの本でもいくつかの系統があって、食い違いが生じているのはそのせいです。

『平家物語』は平曲として琵琶の音にのせて語られるものであったという事情もあって異本がたくさんあります。その最大のものが「源平盛衰記」だと言われます。なんとタイトルまで変わってしまっています。耳で聞く『平家物語』が、読み物に移行していく中で生まれたものでしょうから、『源平盛衰記』は読み物であるはずですが、なぜか落語では『平家物語』ではなく、『源平盛衰記』になっています。これは林家正蔵の家に伝わる話なので、林家三平という人も持ちネタにしています。三平は本格的な落語はほとんどやらず、小咄的なものをつないで客席いじりをしながら笑いをとっていく人でした。ダジャレが受けないと「どうもすみません」という定番のギャグを入れたり、すべったときには「今の話がなぜ面白いかというと…」と解説したりする、今のスベリ芸のはしりみたいなことをやっていましたが、「爆笑王」と呼ばれるぐらい人気のある人でした。だから、『源平盛衰記』という話も、源平合戦というストーリーを背景にしながら、持ちネタの小咄を入れたりしていろいろ脱線していくスタイルです。で、なんとこれを立川談志が三平から習って、自分の持ちネタにしているんですね。まあ、一応は源平の戦いをテーマにして一つの話にしているわけで、こういうものも落語のネタになるところが面白いなと思います。「落語」と言っても滑稽なものだけでなく、人情話と呼ばれるものもありますし、「怪談」さえもネタになるのですから。人というのは、どんなものであれ「お話」を聞くのが好きなのですね。今回もダラダラした話で、どうもすみません。

2023年9月 3日 (日)

「嬴」の字は難しい

「大泉洋」という人がいます。この人の名前がいきなり聞こえるときに、「ボーイズ・ビー」という音に聞こえて「アンビシャス」と言いたくなるという人がいました。…すみません、これもウソです。ただ、こういう「聞き間違い」というのはよくあります。子供の頃、父方の祖父と散歩したときに、家の前の田んぼを大きく回って道に出た段になって、家の入り口のあたりから、うちの母親が私のおやつのつもりだったのでしょう、「チューインガムを買ってきて」と言ったのですが、いかんせん、距離はあるし耳は遠いしで、祖父の買ったものは、なんと「ちり紙」でありました。そんなもん、おやつに食えるかい!

タモリの番組で「空耳アワー」という人気コーナーがありました。外国語の歌のフレーズが日本語に聞こえる、たとえば「シット・ダウン・プリーズ」が「知らんぷり」に聞こえるというやつです。考えてみれば、「ホッタイモイジクルナ」のジョン万次郎も「空耳アワー」をやっていたのですね。ちがうとわかっていてもそう聞こえるということがたまにあります。「元気ですかー」と言っているのに、「便器」を連想してしまうと、もういけません。「便器があれば何でもできる」と言っているとしか思えなくなります。アントニオ猪木という名前さえ、別の言葉に聞こえることもあります。「じゃっくとまめのき」と、ひらがなで書いて、その横に「あんと(  )のき」と書いて、(  )にはいる言葉を聞くと、だれでも「豆」に対応する言葉を答えようとしますが、答えは「におい」なんですね。そのまま入れて読めばわかります。

もちろん、これはわざと引っかけようとしているわけで、こういうのを「ミスリード」と言います。わざと間違った方向に誘導する、ということですね。「ナポレオンは赤いズボンつりをはいていた。なぜか」と言うと、「赤い」に気を取られて、ナポレオンが「赤」を選んだ理由を答えたくなりますが、答えは「ズボンがずり落ちないようにするため」です。「赤」には特に意味がないのに、わざわざ言及するからには意味があるのだろうと考えるのは、むしろ国語力があるからです。きへんという部首に赤と書いてスイカ、きへんに青と書いてメロン、きへんに紫と書いてブドウ、ではきへんに黄色と書いてなんと読む、と聞かれたら「バナナ」と答えたくなります。もちろん、答えは「横」ですね。三つの前ふりには何の意味もなかったわけです。

古代中国、呉越の戦いのときに、越王勾践の参謀范蠡のたてた作戦がムチャクチャなものでした。呉越両軍が対峙する中、進み出た越軍の一隊が剣を抜き、自らの首をはねます。呉の兵士たちが驚きいぶかっていると、また別の一隊が進み出て、自分の首をはねます。さらにまた同じことが繰り返されます。呉軍は思考停止の状態におちいり、次の一隊が前進してきたときも、ぼんやりと見守るだけでした。ところが、この一瀬戸内ジャクソン隊こそ越の精鋭部隊で、呉軍に猛然と襲いかかります。呉軍は敗走、呉王闔閭は矢にあたって傷を負い、それがもとで亡くなりました。はじめの自殺隊は、実は死刑囚だったと言われています。残された家族の面倒をみてもらう代わりに、自らの首をはねたわけです。この話もやはり人間の盲点をついています。何度も同じような強烈なことが起これば、次も同じことが起こるだろうと思ってしまうのですね。「二度あることは三度ある」とでも考えたのでしょう。

呉越の争いは故事成語の宝庫で、このあと有名な「臥薪嘗胆」という話につながりますし、「同病相憐れむ」「死者にむち打つ」「日暮れて道遠し」「会稽の恥」「ひそみにならう」等々。もちろん「呉越同舟」の元にもなっていますし、孫子こと孫武は呉王闔閭の家臣なので、孫子がらみの言葉も呉越の争いにかかわってきます。ちなみに、三国志の呉の孫家は孫武の末裔だということになっています。こういう故事成語は非常に面白いのですが、国語の講義の中ではどこまで触れるべきか、悩みどころです。たとえば「漁夫の利」。貝と鳥が争っているところに漁師が通りかかって…という話だけでも十分なのですが、五年生、六年生にもなると、背景となる話までしてやると、結構面白がってくれます。中国の戦国時代には、あちこちの国を渡り歩いて自らの弁論で政治に影響を与えようとする人が活躍しており、こういう人たちを「遊説家」と呼びます。そのうちの一人、蘇代という男が趙の国に出かけていきます。趙が燕を攻めようとしていたときで、蘇代は趙の恵王にたとえ話をします。そのうえで、今、趙が燕に攻め入ると、お互いが疲弊するだろう、そこへ強国の秦がやってくれば、この話の漁師になるのではないか、と説いたので、戦争が起こらずに済んだ、という話です。

ここで終わってもよいのですが、生徒の反応がよければ、さらに一歩進めて、蘇代の兄の蘇秦はもっとすごいと言って、合従連衡の話をすることもあります。合従とは「縦を連合させる」の意であり、燕、趙、韓、魏、斉、楚の六カ国で南北に連なる同盟をつくり、西方の秦に対抗しようという策を提案します。「その説得をするときに用いた言葉が何か知ってる?}と聞いても、もちろん生徒たちは知りません。そこで、種明かしをして「鶏口となるも牛後となるなかれ」だと言うと、みんな「なるほど」とうなずきます。言葉だけは知っているのですね。あいまいだった自分の知識がきちんとした形になったとき、人間はそういうことだったのかという快感を得ます。さらにそのあと、鬼谷の元で蘇秦とともに学んだ張儀は秦の宰相となり、連衡の策をとります。連衡とは「横に連ねる」の意味で、合従を破って東方の六カ国をばらばらに切り離し、個別に秦と同盟を結ばせます。結果的にはこの策も破れて張儀は失脚しますし、蘇秦も暗殺されるのですが…。ということで、この二人は「遊説家」ではなく「縦横家」と呼ばれることもあります。

この話のあと、「でも最終的に秦がすべての国をほろぼして天下をとるのだけど、そのときの王様、嬴政は自分のことを何と呼べと言ったか知ってる?」と聞くと、「始皇帝」とうれしそうに言う生徒がたくさんいます。まあ、このあたりは『キングダム』で知っているのかもしれませんが。いずれにせよ、掘り下げた話をしていくと面白く感じてくれることもあるようです。

2023年8月17日 (木)

瀬戸内ジャクソン

ツチノコの賞金で二億円もらえるというのなら、懸賞金で生計を立てようという人が出てきても不思議ではありません。ジェフリー・ディーヴァーという人の小説が面白いので、よく読みます。事故で四肢麻痺状態となり、自分では動くことができない天才科学捜査官リンカーン・ライムを主人公とするシリーズ、そこから派生した、女性捜査官キャサリン・ダンスのシリーズ、どちらも相当面白い。比較的最近誕生したのがコルター・ショウのシリーズで、主人公コルター・ショウは「賞金稼ぎ」です。アメリカでは、失踪人や逃亡犯に懸賞金がかけられることがよくあるのでしょうか。彼は現地に赴いて調査に着手するのですが、当然いろいろな犯罪に巻き込まれていくことになります。この場合、「賞金稼ぎ」が一つの職業になっているのですね。

ジェフリー・ディーヴァーは「どんでん返しの魔術師」と呼ばれることもあるぐらいで、その作品は一筋縄ではいきません。一旦落ち着きかけた事件が大きくひっくり返り、犯人だと思われた人物が真犯人ではなく、真相はこうだったのかと思わせた瞬間、また大きく局面が開け…という感じで、思いがけないところに話が展開していきます。もちろん、巧妙に仕掛けられたミスリードや張り巡らせた伏線がなければ、読者は不満を感じます。今までまったく登場していなかった人物がいきなり現れて、こいつが犯人だと言われても納得できません。ジェフリー・ディーヴァーは、そのあたりも実に巧みです。ただ、そういう定評があると、読者のほうも、きっとどんでん返しがあるに違いないと、あらかじめ想定するので、作り手としては、だんだんやりにくくなるのではないでしょうか。「どんでん返し」があると思わなかったところに、それが効果的に使われると、「やられた!」感が味わえ、読んだ後の満足感が増加するのですから。

でも、やはり「どんでん返し」には人気があるようです。で、国語科講師としては、こういう妙な言葉の語源は何だろうか、と気になるわけですね。歌舞伎から来ていることは知っていたのですが、念のため調べてみると、場面を転換するときに使う仕掛けからきているようです。舞台を回転するようにつくって、回転させるとまったく違うセットが現れたり、舞台が後ろに倒れて新しい舞台に一瞬に変わったりする仕掛けを使って場面を転換することを「どんでん返し」と呼びます。「龕灯」という、江戸時代から昭和前期まで使われた「懐中電灯」があります。「がんどう」と読みますが、「強盗提灯」と書いて「がんどうちょうちん」と読ませることもありました。ちょっとした工夫で、どんな方向に動かしても中のロウソクが消えずに、正面だけを照らして持ち主を照らさないということで、強盗が家に押し入るときに使ったらしい。メガホン型の筒の中にあるロウソクが、回転しても火が消えないという仕組みが、歌舞伎の舞台のからくりのヒントになり、はじめは「強盗返し」と言っていたそうですが、舞台を回転させて転換する際に、鳴り物の音を大きく立てることから「どんでん返し」と呼ぶようになったということです。

ただ、忍者屋敷などで、敵に攻め込まれたとき身を隠すために、扉や壁が回転するようなからくりがありますね。あれも「どんでん返し」と呼ぶことがあり、こっちが語源という説もあります。いずれにせよ「どんでん」は擬声語・擬態語です。音の感じがちょっと似た言葉に「どたキャン」というのがありますが、これはどうでしょうか。これは擬声語・擬態語ではなく、「土壇場でキャンセル」の略です。逆に、元々参加する予定ではなかったのに、当日になっていきなり参加する場合は「ドタ参」というそうですが、あまりお目にかかりません。この「土壇場」は、江戸時代の刑場で使われた、「土を盛った壇」のことです。60センチほどの高さの「土壇場」に、手足を縛り目隠しをした罪人をうつぶせに横たえて、刀を使って処刑するわけです。当然、そこは「人生最後の場所」ということになり、そこから、進退きわまった場面や最後の決断をせまられる場面を表すことばになったのです。

「どたキャン」の「キャン」は「キャンセル」の省略形でした。では、「ネガキャン」は? これは「ネガティブ・キャンペーン」ですね。同じ「キャン」でも意味がちがう別の言葉です。外来語の省略形は、こんなふうに同じ音でありながら別の言葉だというものがよくあります。最も意味の多いのは「コン」でしょうか。「エアコン」は「コンディショナー」、「パソコン」は「コンピューター」、「マザコン」は「コンプレックス」、「ミスコン」は「コンテスト」、「リモコン」は「コントロール」または「コントローラー」、「ゼネコン」は「コントラクター」、「ツアコン」は「コンダクター」、昔「ボディコン」というのも流行しました。これは「コンシャス」でした。「ネオコン」となるとちょっとわかりにくい。「コンサバティブ」と言われてもピンと来ないかもしれません。「ベルト・コンベヤー」を略して「ベルコン」と言うことはあるのでしょうか。希学園を高く評価してくれる「オリコン」は「オリジナル・コンフィデンス」の略ですね。漢字との組み合わせもあります。「生コン」は「コンクリート」、「合コン」は「コンパニー」のさらに省略形「コンパ」ですね。

「スポコン」というのもありましたが、これは「スポーツ根性もの」と呼ばれた漫画やドラマです。「スポーツの世界で、根性と努力でライバルに打ち勝っていくドラマ」ということでしょう。多くの場合、主人公は努力型です。それが血のにじむような特訓を重ねて、超人的な必殺技を編み出したりします。そして、天才型のライバルに勝つというパターンですね。小説の世界では、「コン」で始まる名前の人がいました。「今東光」という人で、「こん・とうこう」と読みます。「新感覚派」と呼ばれる川端康成らのグループから出発した人ですが、のちに出家して、なんと天台宗の大僧正にまでなっています。中尊寺の貫主にもなって、その縁もあって奥州藤原氏の興亡を描いた『蒼き蝦夷の血』という作品も書いています。しかし、八尾のお寺の住職であったときの体験をもとに描いた小説が面白く、『悪名』という作品が有名です。勝新太郎主演で映画にもなりました。この人の法名は「春聴」と言います。瀬戸内晴美という小説家が出家するときに、この春聴大僧正を師僧として、中尊寺において得度しました。法名を「寂聴」と言います。ぼんやりしているとき、この人の名前がテレビなどから聞こえると「ジャクソン」に聞こえて、思わずポーと叫んだことがあります。…ウソです。

2023年6月20日 (火)

とらぬツチノコの皮算用

ムカデ退治の話をもう少しくわしく書くと、秀郷が琵琶湖の瀬田の唐橋を通りかかったところ、大蛇が横たわっていたのですね。土地の人がこわがって近づけないのに、秀郷はムシャムシャと大蛇を踏んでいきます。大蛇はあなたのような強い人を待っていたと言います。大蛇は竜宮に住んでいて、琵琶湖がその出入りに使われていたという設定です。自分の一族が三上山の大ムカデに苦しめられているので助けてほしい、と大蛇に言われた秀郷は退治に行きます。なかなか倒せなかったのですが、思いついて矢にツバをつけて放つと見事に命中します。ムカデはツバが嫌いということらしい。

実は、昔からツバには呪力があることになっているのですね。西洋でもツバを吐きかけて竜を倒す話がありますし、キリストも目の見えない人を開眼させるときに目のところにツバをつけています。ツバと言うと汚らしく感じられますが、実は神聖なものなのです。「眉にツバをつける」と狐や狸にだまされません。傷ができたときに、「ツバでもつけとけ」と言うのも、もともとは冗談ではなく、傷を治す霊力があると思われていたのかもしれません。がんばるときに手にツバを吐きかけるのもツバの霊力を頼みにしている可能性もあります。不浄なものにツバを吐きかけるのも同じ理屈でしょうか。聖なるものではないからこそ「唾棄すべき存在」なのかもしれません。

さて、秀郷はお礼に大蛇からいろいろなものをもらいますが、米の尽きない俵ももらったので「俵藤太」になったということになっていたような。竜宮にも招かれて、なぜか釣鐘をもらい、秀郷はこれを三井寺に奉納します。後日談になりますが、武蔵坊弁慶がこれを比叡山にまで引きずって持ち帰ったところ、鐘をつくたびに、三井寺に帰りたくて「いのういのう」と鳴ったという伝説があります。腹を立てた弁慶は怒ってその鐘を谷底に投げ捨てたとか。「弁慶の引きずり鐘」として、いまだに三井寺に残っており、見ることができます。そのときのものと言われる傷跡もついています。

源頼政は平安末期、田原藤太は平安中期で、ともに古い時代なので、妖怪退治をしても不思議はないような気もします。ところが、もう少し時代が下って、桃山時代にも妖怪退治をした武士がいます。その名も岩見重太郎。小早川家の家臣だった父のかたきを討つため諸国を武者修行したことになっています。剣豪の後藤又兵衛、塙団右衛門とも義兄弟の契りを結んだことになっています。その道中、なんと「ヒヒ」を退治するのですね。武士がいけにえをとる神にいきどおり、身代わりとなって退治する、というパターンの伝説は、日本全国に散らばっています。その武士が全国を武者修行しているという設定になることが多いので、岩見重太郎が選ばれたのでしょう。舞台となった場所は石見国とも美濃国とも言われますし、富山県にも山形県にも伝説が残っていますが、大阪という説もあります。

私の家の近くに「住吉神社」というのがあります。足利義満創建ということになっていますから、なかなかの神社です。このあたりはむかしから風水害になやまされてきました。あるとき、神様のお告げがあり、「毎年、決まった日に白羽の矢が立った家の娘を唐櫃に入れて夜中に神社に放置せよ」ということになりました。その七年めに武者修行中の岩見重太郎が通りかかります。「人を救うはずの神様が人身御供を求めるのはおかしい」と言って、自ら唐櫃の中にはいります。翌朝、村人が神社に向かうと、血の跡がとなりの村まで続いており、そこには大きなヒヒが死んでいた、というお話です。ただし、ヒヒではなく大蛇だったという説もあります。今でもその神社では「一夜官女祭」という祭事がもよおされ、氏子の中から七人の女の子が選ばれて行列をします。大阪人である司馬遼太郎の初期の短編にも、この祭りをモチーフにした作品があり、そこそこ有名な祭りです。

ちなみに、岩見重太郎は天橋立で仇討ちを果たしたあと、薄田隼人と名を変えて豊臣家に仕えたことになっています。二人は別人だという説もありますが、なぜか昔からそう言われています。薄田隼人正兼相は大坂冬の陣で城の守備を任されていたのに、遊びに行っている間に落とされ、「橙武者」とあだ名をつけられました。飾りになるだけで何の役にも立たないという意味で、前半の豪傑ぶりはどこへやら。ただ夏の陣では前線で戦って、後藤又兵衛とともに見事討ち死にしています。

江戸時代になっても、妖怪退治の話は結構あります。『稲生物怪録』という本があって、「いのうもののけろく」と読むのでしょうか、稲生平太郎という若い武士が体験した話が元になっています。ただ、いろいろな形の本が伝わっており、はっきりしないことも多いようです。肝試しに行ったことがきっかけになって、一カ月の間に体験したいろいろな怪異が語られるというもので、興味を持った人としては平田篤胤から泉鏡花、折口信夫、最近では荒俣宏、水木しげる、京極夏彦などなど。平太郎の子孫は現存しているらしいので、平太郎自身の実在は間違いないのですが、話があまりにも奇抜すぎます。雲を突くような一つ目の大男だとか、髪の毛で歩き回る首だけの女の妖怪とかが現れるようなストレートな話やら、スリコギとすりばちが跳ね回ったり、部屋中がベタベタして布団が敷けなかったりするような、「ラップ現象」的なものやら、バラエティに富んでいます。最後には妖怪の大魔王が出てきて、平太郎の豪胆さには感動したと言って去って行きます。荒唐無稽もきわまりないもので、いくら江戸時代人でも信じたのかどうか疑問ですねえ。

こういう化け物をやっつける話の最初と言えば、やはり「八岐大蛇」を退治する話でしょうか。西洋でもドラゴンを倒す話というのはよくあります。こういう話は何がもとになっているのでしょうか。ひょっとして巨大な野生の動物を倒した原始人の記憶なのか、はたまた古代生物の生き残りがいて、それを倒したような伝説があったのか。「ネッシー」などはそういうものだったかもしれません。「UFO」に対して「UMA」というのがあります。未確認動物ですね。ネッシー以外にもイエティとかビッグフットとか有名なものがいくつかあります。クラーケンなんかも含まれるのでしょうか。そういえば、ツチノコはどうなったのでしょう。捕獲した人への懸賞金って、まだ続いているのかなあ。二億円出すというところもありました。百万円出すという土地で見つけたら一億九千九百万円の損?

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