2024年6月23日 (日)

落ち着かない話

室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの」で始まる有名な詩『小景異情 その二』の中に、「よしやうらぶれて異土の乞食となるとても」というフレーズがあります。「乞食」は、ここでは「かたい」と読むのですが、このたった一語のために、この詩全体が埋もれてしまうのはだめでしょう。しかしながら、少なくとも教材として使いにくいのが現状です。実際には犀星そのものが読まれなくなっていますが…。文豪と呼ばれた作家でも、今の時代、名前も出なくなった人が結構います。武田泰淳はまだ読む人がいるかもしれませんが、武田麟太郎はもはや「知られざる作家」でしょう。芹沢光治良もだめかな。里見敦は兄貴の有島武郎がかろうじて残っているので、そのつながりで読む人がいるかも? 幸田露伴や国木田独歩のレベルでも、名前は知っていても作品は読んでいない人が多いでしょう。これは現代作家も同じで、「死んだら終わり」ということなのでしょう。

ベストセラー作家が少なくなったわけではありません。村上春樹は言うまでもなく、東野圭吾や浅田次郎、百田尚樹、伊坂幸太郎、重松清など結構健在です。女性作家でも、宮部みゆき、湊かなえ、有川浩、角田光代、辻村深月、原田マハ、江國香織、高田郁などなど。しかしながら、紙媒体はじり貧になっているようです。かといって電子書籍への移行もそれほどうまくいっているわけではなさそうで、読書離れは否めないところです。テレビ離れも加速しているようで、倍速ムービーやダイジェストムービー、「何分でわかる○○」がはやるのも「タイパ」追求の時代では、さもありなん、ということです。実際に、たとえば『源氏物語』を読み通した者はそれほど多くないでしょう。私も最後まで読んだのは谷崎潤一郎の現代語訳だけで、原文はもちろん、他の人の現代語訳もつまみ食いです。

最後まで読み通したものでは、『暗夜行路』は面白く感じなかったなあ。『夜明け前』も苦痛に近いものを感じました。読み出して数ページで、読む意欲をなくしてストップ、また日を改めて、同じことのくり返しでした。「自然主義」って、本当に面白くないなあ。行動力のない作家の狭い体験など、魅力的ではありません。かといってSFでもないのに、トンデモ設定の「純文学」もだめですね。奇をてらっているだけの感じがして、芥川賞作品の中でも食指が動かないものがあります。直木賞も最近のものはつらいかもしれません。

司馬遼太郎など、やはり今読み直しても面白い。本の大整理をしたときに一挙に捨ててしまいましたが…。吉川弘文館の『国史大辞典』全15巻のセットとか、箱入りの学術本などは、さすがに捨てるのがつらかった。古本屋で引き取ってもらえそうな小説なども、段ボールに詰めたまま捨てました。キング、吉川英治、山岡荘八、横溝正史などは文庫本ですが、ほぼ全巻揃っているものを「一気捨て」。つらいけれど、あっても読まない可能性が高く、この際「断捨離」をして納戸を広くすることにしました。それでも残っている『相棒』のノベライズシリーズは、現在進行形で刊行されているからです。山本周五郎も新潮文庫の全巻揃いでしたが、青空文庫でも読めるから、ということでおさらばしました。著作権保護の期間が死後五十年から七十年に延びたため、青空文庫にはいりそこねた人が多いのは残念でしたね。三島由紀夫を筆頭として、内田百閒、子母沢寛や木々高太郎など、無料で読めていたかもしれないのになあ。川端康成も没後五十年たったのではないかしら。

YouTubeの朗読動画で、面白そうな作品がたくさん取り上げられています。ところがプロではなく、「趣味」レベルの人なのか、「痛い」のが少なくありません。漢字の読み間違いがあったり、発声が悪かったりするのは論外ですが、聞いていて心地よいリズムが感じられないのは、何が違うのでしょうか。元NHKアナウンサーの松平定知の「最後の将軍」の朗読はさすがでした。おなじ司馬遼太郎の作品をとりあげているラジオ朗読の番組があります。毎週土曜の夕方、竹下景子のナビゲートで、司馬遼太郎の短編小説の朗読をしているのですが、こちらは「演技過剰」です。声優による朗読なので、アナウンサーとは違ってくるのでしょう。アニメも含めて声優は声で演技をしなければならない分、どうしてもオーバーになってしまうようです。「朗読」ではなく「朗読劇」と言うのなら抵抗はないかもしれません。

昔のラジオドラマには面白いものが多かったようです。森繁久彌と加藤道子の二人でやっていたものが西田敏行と竹下景子に変わりましたが、これは高い評価を得ている番組です。三谷幸喜の『笑の大学』は三宅裕司主演のラジオドラマもあります。これもなかなか面白かった。YouTubeの動画で森繁久彌の『ステレオ怪談』というのがあります。NHKのFMで放送されたものですが、かなり怖い。YouTubeには小松左京の『くだんのはは』の朗読劇もありますが、これは構成がよくなくて、原作そのままを読むほうがずっといい。小松左京という人はとにかくすごかったんですね。かなり早口で聞き取りにくいときもあるものの、しゃべりはうまく、タレントとしても一流でした。非常にエネルギッシュな人だったので、年を取ってからのやせこけた姿とかすれた声はどう見ても別人でした。小松左京のことだから、入れ替わっていても不思議はないと思ってしまったぐらいです。

ただ小松左京は子供向けのショートショートはイマイチでした。テキストに載せていますが、オチも弱い。その点、星新一は、シチュエーションの発想からどのようにオチにつなげるかをしっかり考えて、指定された枚数に合うようにストーリーを考えたのではないかと思います。その分、あっと驚くオチではなく、読んでいる途中である程度予想できるものもありました。だからこそ、安心して読める、というメリットもありそうです。それに対して小松左京は、「もし…」という発想から話を広げていくタイプなので、ひょっとしたらショートショートでもオチを決めずに書き始めていたのかもしれません。話によっては別にオチがなくても、時間が来たら「わあわあ言うております。おなじみ××、半ばで失礼させていただきます」と言って高座からおりる場合もあります。まあ途中でゲラゲラ笑えればそれで十分なんで、オチまでいかなくても文句は言えませんが…、と言いながらオチの付かない話を落ち着かない話と言います、というしょうもないオチでしめくくるのはいかがなものか。

2024年6月10日 (月)

言語流転

「見立て殺人」がなくても、迷宮入り事件というのは当然あるわけで、「帝銀事件」なんて、松本清張も『日本の黒い霧』の中で推理していましたし、小説にも書いています。坂口安吾の推理も有名です。横溝正史の『悪魔が来たりて笛を吹く』にも、この事件をモデルにした話が登場します。京極夏彦の作品の中にも登場していますし、永瀬隼介の『帝の毒薬』という小説も面白かった。

何か大きな事件が起こったとき、作家や元刑事の推理が新聞に載ることがよくありますが、あれは当たっているのでしょうか。作家は自分でストーリーやトリックを組み立てて、登場人物に「推理」させます。これは現実の事件を見ぬく力とはちがうでしょう。神戸で連続殺傷事件が起こったときに犯行声明が出ました。我々国語科の講師陣はみんな、「これ子供やね」と言っていました。あの字と文面を見たときの直感であり、経験に基づくものですが、何も根拠はありません。新聞では「相当の知性」とか「大学生か」などと書かれていたように思いますが、あの字や内容のもっているふんいきは子供のものでした。「小学校高学年から中学生、高校生ならかなり幼稚な子」という結論でした。警察が私たちに聞きに来てたら事件の様相も変わっていたかも…。

まあ、「専門家」と称する人たちの意見は、外すことが案外多いようです。コロナのときもそうでした。あれは、未知のウィルスだったわけですから、「専門家」と言っても確実なことはわからないはずです。医者でさえ意見がいろいろ分かれていたのに、「評論家」が論外なのは言うまでもなく、「コメンテーター」なんて人たちは話になりません。

コロナはさすがに「大事件」でしたが、大事件の真相はしょうもないことだった、なんてことも世の中には結構あるかもしれません。平安京遷都など、学校で習ったのは奈良の寺院勢力から逃れるための政治的理由ということでしたが、天智系の桓武天皇が天武系の奈良を嫌った、という単純な「感情」が根本にあるかもしれません。長岡京を捨てたのは、早良親王の祟りから逃れるためでしょうから、「政治的理由」よりも「感情的理由」で奈良を捨てた、と考えるのは意外に正解かもしれません。ソ連が崩壊したのはマクドのせいだというのも、ひょっとしたら正しいかもしれません。モスクワのマクドナルドで、アメリカ発のハンバーガーを手に入れるために大行列に並び、何日か分の給料に匹敵するだけの料金を払った人々は、憧れのアメリカ文化に触れる喜びを感じていたはずです。

「陰謀論」という言葉も最近よく聞きます。アメリカの大統領選挙のとき、不正があったのではないかとトランプ陣営から指摘があり、「バイデンジャンプ」なんて言葉も生まれました。「やりすぎ都市伝説」も、本当に「やりすぎ」と思うようなこともありますが、面白いことは面白い。オカルトとともに、こういうのには一定数のファンがおり、根強い人気を保っています。いったん消えたネタがときどき復活することがあるのも面白い。ツチノコなど、その代表です。アマビエは消えましたが、ツチノコの賞金はまだ生きているのでしょうか。そういえば、ネッシーは完全否定されたのでしょうかね。一つの「夢」として、存在の可能性を残してほしいものですが…。「ついに発見された」というニュースがイギリスの新聞に載ったことがあります。ただし、四月一日の記事で、ジョークだったのですね。こういうウソ記事を載せるときには、読者に対するヒントとして、たとえば発見者の名前を「オネスト・ジョン」にする、なんてこともあるそうです。日本語にすれば「正直太郎」という感じですから、逆にウソ記事であることがわかる、ということですね。

ネットの世界で、たまに見る偉人らしき絵に付いている名前で、「バカカ・コイツァー」「ネゴトワ・ネティエ」「ショー・ボーン」「エーカゲン2世」「ソノアンニ3世」「モーネ・ミッテラン内閣総理大臣」みたいなのがあります。もちろん、実在しない名前です。昔からある「骨皮筋右衛門」「石部金吉」も実在しません。「骨川スネ夫」も実在はしないでしょう。『警視庁・捜査一課長』というドラマの設定がばかばかしく、内藤剛志(この人は星光学院出身ですね)扮する捜査一課長が電話をとるところから始まり、「なに? 餃子を耳に突っ込んで、両手に靴を履いた御遺体を発見? わかった、すぐに臨場する」みたいな、わけのわからない不思議ワールドが展開されます。そんな「ご遺体」の説明で「わかった」と言えるわけがない。登場人物の名前もオールダジャレになっていました。ナイツの塙は「奥野親道(おくのちかみち)」で、なぜか「奥の細道」ですが、土屋はサイバー事件のエキスパートで役名が「谷保健作(ヤホー検索)」になっていました。毎回の登場人物も、たとえば医者なら「綿志賀直弼」、患者なら「伊賀井太陽」みたいな感じで、もうムチャクチャです。

これは笑いを狙ってはいるのでしょうが、一つには現実ばなれした名前にしておいて犯人と同姓同名の人からクレームが来ることを前もって防ぐ、ということもあるかもしれません。「実在のものとは関係ありません」とか「食べ物はスタッフがおいしくいただきました」というテロップが出るのは、そういうつまらないクレームの予防ということです。『不適切にもほどがある』というドラマでは、「このドラマでは不適切なシーンや表現があります」とわざわざ断りを入れることを「ギャグ」としておちょくっていたのも、「クレーマー」対策に見せかけながら、そういうクレームを逆批判していたのでしょう。

「漢字狩り」とか「言葉狩り」とかいうものがあります。たしかに差別はよくないのですが、差別につながりかねないから、と言って、この言葉を使うな、とか、この漢字はだめだ、と言って騒ぎ立てる人がたくさん出て、世の中から消えた言葉があります。「差別はだめだ」という正論が出発点になっているので、逆らいがたいのですが、何にしても行き過ぎはだめでしょう。昨今のポリコレと呼ばれるものも行き過ぎてしまった結果、今揺り戻しが来ています。それがまた行き過ぎると、ろくでもないことになりかねません。人為的に変えようとしなくても、自然にことばは変化していくものなのですが…。

2024年4月 7日 (日)

アホックサー

ビル・プロンジーニの作品で、「名無しの探偵」というのがありましたが、これは工夫しだいで何とか書けるでしょう。語り手が一人称を使わない小説となると、これはかなり苦労しそうです。だれだったかチャレンジしてみたけれど、一カ所だけどうしても使わなければならなくなって、苦し紛れに「こちら」という言葉でごまかした、という人がいました。叙述トリックというものがあって、たとえば語り手が男だと思っていたら実は女であり、全体の設定をまちがって解釈したために見事にだまされる、などということがあります。ただ、日本語の場合、男性と女性で一人称代名詞が違うので、このトリックは使いにくい。「私」という言葉ぐらいしか利用できるものはなさそうなので、自由な設定のストーリーにしにくいかもしれません。そういう場合、名前も男女共通で使える名前にしていることもよくあります。勝手に思い込ませることができたら作者の勝ち、ということで、逆に言えば思い込みがいかに危険かということでもあります。

前にも書きしたが、『巨人の星』のテーマソングの「思い込んだら」の部分で、主人公がグラウンドをならすローラーをひっぱっている絵と重ねて、「重いコンダラー」と聞きなして、あのローラーのことを「コンダラー」と言うのだ、と思い込んでいた人もいます(ホントかウソか知りませんが)。次の例も前に書いたはずですが、ひろし君とたかし君は顔がそっくりで名字もいっしょ、父親の名前も母親の名前もいっしょ、生年月日もいっしょなのに「ふたごか」と聞くと「ちがう」と言う。なぜか?という、しょうもない問題があります。答えは、ひろし君とたかし君は「三つ子のうちの二人」。車にはねられ病院に運ばれてきた男の子。出てきた医者が「なんということだ。これは私の息子だ」と言う。男の子に、「この人、君のお父さん?」と聞くと「ちがう」と言う。なぜ? 答えは「お母さん」。たしかに女医であっても何の不思議もありませんが、なんとなく、こんな場合、男性の医者だと思い込んでしまうのですね。テストでも、いつも「最も適当なものを選べ」なので、たまに「不適当なものを選べ」と出されると、ひっかかる者が多いようです。

世の中によくある詐欺事件も、人間の心理、盲点を巧みに突いて、ひっかけているのでしょう。有栖川事件も人間の見栄や欲望を見事に突いていましたし、オレオレ詐欺(今は「振り込め詐欺」になってしまいましたが)も、子供への愛情があるためにだまされるのでしょう。詐欺師を主人公にしたドラマ、コンゲームが面白い理由も、そういう人の心理を巧みに突く面白さにあります。『スパイ大作戦』も同様で、いかにだますか、いかにだまされるかが興味の対象になります。前に書いた「カーク船長」がだまされた話や、「スポック」役のレナード・ニモイが出ていたのも面白かった。

この人たちが出ていた『スタートレック』は面白かったのに、船長役が別の人に変わってからは面白みが減ったような気がします。それでも『スターウォーズ』よりマシでした。なぜ『スターウォーズ』は面白くなかったのでしょう。一作目はすごく期待していたのに、三船敏郎が予想したように「B級三流映画」にしか思えず、ワクワク感がほとんどありませんでした。主役やお姫様に魅力が感じられないというのも大きかったのでしょう。モタモタした筋運びで、あっとおどろく展開もなく、「SFチャンバラ」と割り切っても、心が動かされませんでした。記憶に残っているのは空中戦の「特撮」だけです。ルーカスって、言われるほど才能があったのかなあ。スピルバーグは子供が喜ぶものを大人でも喜べるように、大人が作った、という感じですが、ルーカスは、子供が喜ぶものを子供が作った、という感じです。なお、以上の内容については一切異論反論は受け付けません。これって、私の感想ですよね。エビデンスやデータもありません。まあ、ルーカス・ファンの前では沈黙するしかないですが。

たしかに熱狂的なファンというものは何につけてもいますね。「おたく」レベルの人たちです。最近よくニュースになるのは「鉄ちゃん」の暴走ですね。入ってはいけないところに侵入して写真を撮ったり、駅員と取っ組み合いのケンカをしたり。彼らが好きなのは「鉄道」の何なのでしょう。車両という機械なのか、駅の構造なのか、鉄道のシステムなのか、よくわかりませんが…。乗り鉄と撮り鉄では、ちがう人種のような気がします。まあ、たしかに映画ファンと言ってもアクション好きもいればラブコメ好きもいるわけですから、いろんな人がいるのでしょう。

昔は時刻表マニアというのもいました。最近はどうなのでしょうか。時刻表を調べ尽くしてトリックを作り、小説にしていくというのもありました。『黒いトランク』で有名な鮎川哲也はよく読みました。トラベルミステリーの大御所、西村京太郎は2時間ドラマで食傷気味になって、実はトラベルミステリーはほとんど読んでいません。時刻表トリックと言えば、なんと言っても松本清張の『点と線』です。日本推理小説界の金字塔といってよいでしょう。クロフツが確立したアリバイ崩しですが、鉄道にこだわるあまり、作者は飛行機の存在を忘れていたようです。戦後十年以上たって、すでに旅客機が飛んでいたのですね。さらに言えば、今から何十年も前の作品ですから、今の感覚に合わないところがあるのも当然です。今のように、スマホがあれば何ら困らないことで犯人たちは悩んでしまうことになります。

まあ、こういう鉄道トリックが成立するのはダイヤが正確だからです。わずか数分のスキを狙って乗り換えるなんて、日本ならではのトリックでしょう。いくら綿密に計画を練っていても、人身事故が起こるとパアです。不確定要素があるものをトリックに取り込むのは現実では不可能といってよいでしょう。というより、「密室殺人」とか「見立て殺人」とか、推理小説では「王道」ですが、現実にはほぼありえません。ただ、今の時代、小説の真似をする「模倣犯」はいるかもなあ。目立ちたがりの「バカッター」と呼ばれる人も絶えないことだし。あ、この言葉は「バカ」と「ツイッター」のミックスだから、「ツイッター」が「X」になって、「アホックサー」になったと言ってた人がいたけれど、定着しているのかなあ。

2024年3月24日 (日)

君の名は

武蔵が出会ったのは、なんと関口弥太郎だったのです。といっても、今では知らない人のほうが多いでしょう。柔術の達人です。この人の生まれた家は今川義元の一門で、家康の正室築山殿の親戚になります。今川氏が没落し、築山殿と息子信康の失脚によって、弥太郎の父の代で牢人になっていました。のちに紀州徳川頼宣に認められ、「御流儀指南」として仕えることになります。柔術と言えば関口流、関口流と言えば弥太郎、ということで、昔は相当有名でしたから、武蔵との絡みが出てくる話というだけで、お客は大喜びだったそうです。

講談という演芸の源流は、おそらく太平記読みでしょう。平家物語は琵琶にのせて語られるのに対し、太平記はリズミカルな口調で読み上げられるのですね。太平記は人気のある作品だったようです。大河ドラマでも吉川英治の『私本太平記』をとりあげていました。前に触れたとき、大塔宮を後藤久美子が演じたと書いたのですが、ちょっと気になって調べてみたら彼女が演じたのは北畠顕家でしたね。訂正してお詫びします。やっぱり調べずに適当にものを言うのは禁物ですね。さて、この「太平記」、ドラマ化は難しいと言われていました。敵味方がころころ入れ替わって、見ている人がついていけなくなると言うのですね。応仁の乱も同様で、『花の乱』でも、くっついたと思ったら離れ、またくっついたと思ったら裏切られ…ということで、わけがわからなくなるので、ときどき図解がはいっていたような…。江戸時代まで裏切りや主君を変えることには比較的寛容だったのかもしれません。とくに室町時代はそういうことがやむを得ない時代だったのでしょうか。

日本人の気質や美徳と言われるものは、じつは江戸以降に定まったのかもしれません。室町時代の日本人は、ひかえめでもシャイでもありません。宣教師を論破した話もあります。ザビエルが、洗礼を受けると天国に行けると言ったところ、じゃあ俺たちの先祖はどうなったと聞かれ、地獄に落ちたと答えました。そうすると、おまえたちの神は無慈悲で無能である、なぜ早く日本に教えを伝えなかったのだ、と反論されて、ザビエルは苦し紛れに、悪魔が邪魔をした、と答えたそうです。まぬけな答えです。当然、神が宇宙の創造者であるのに、なぜ悪魔をつくった、と問い詰められます。ザビエルは、神がつくったものはいいものだが、勝手に悪くなったのだ、そういう者に神は罰を与える、とさらにまぬけな答えをします。そんな残酷で恐ろしい神はいやだ、第一、はじめから完全でないものをつくっておいて罰を与えるのはおかしい、と言われてぐうの音も出なかった…という話があります。

この話はどうも嘘くさいのですが、当時の日本人は意外にこんな感じだったのかもしれません。和算というものがはやって、神社に額があげられたりしました。算額と言います。もともと算数の難問が解けたことを神様に感謝するものだったようですが、そのうちに、自分で作った問題を発表する場として利用されるようになり、人々が競って問題を解いたそうです。意外に日本人は論理好きだったようです。精神的・情緒的とはかぎりません。安土宗論というのもありました。浄土宗と法華宗の論争を信長が仕切ったというやつですね。論理好きと言うより、論争好きなのかもしれません。ただし、薩摩では「議を言うな」とよく言われたそうです。決定した物事について、あれこれ文句を言うな、ということだったのかもしれませんが、だれかが理屈を言い出すと、それを封じるときに使われることもあったようです。ひょっとして、こういう人たちのつくった明治政府のせいで、日本人は議論下手になったのでしょうか。

古代ギリシャの時代から、西洋では詭弁を含めて議論の訓練をしつづけてきたのですから、日本人は負けるに決まっています。それでも、訓練することで多少はうまくなるということもありそうです。政治家の演説も訓練です。田中角栄だって、麻生太郎だって、経験を積むことでうまくなったのでしょう。一方デパートなどでやっている実演販売はセリフとして覚えているので、アドリブはきかないかもしれません。ただし、「語り」の訓練を積んだ人ならいけるはずです。「語る」は「かたる」と読みますが、「騙る」も「かたる」なのですね。真実であるかのように思わせることが「語り」の本質なのかもしれません。

では「物語」の「物」とは何でしょうか。これ、ひょっとしたら「物の怪」かもしれません。「ものがつく」「ものにとりつかれる」という言い方もあるように、「もの」だけで妖怪や化け物を表すこともあります。ふしぎをかたるのが物語のはじめだったのでしょう。つまり、伝奇こそ本道です。犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛むとニュースになります。変わったことを語るのが物語であるなら、「私小説」が面白くないのは当然でしょう。にもかかわらず、ホームドラマが人気だったのはなぜでしょうか。「あるある感」かもしれません。おばちゃんに人気だったのは、おばちゃんは「あるある」が好きだからでしょう。それに対して男は「ワクワク感」を求めるようです。男が子供である証拠ですね。女性のほうがリアリストです。「永遠の少年」はいるけれど「永遠の少女」はいません。「ピーターパン・シンドローム」という言葉がありました。「シンドローム」つまり症候群ですから、これはけっしてほめことばではありません。一般人がピーターパンのように、いつまでも子供でいては困りますが、詩人には童心が必要です。素直に見て素直に感動する心が大切です。もちろん、裏を読み、本質を見ぬく力も必要でしょうが、岡本太郎のような「素直さ」も悪くはありません。でも、ああいう人が父親だったら、ちょっと困るでしょうね。ましてやバカボンのパパと同じレベルだったら、子供はつらいでしょう。

ところで、バカボンのパパの本名は何なのでしょう。バカボンという名前の人の父親と言っているだけで、菅原孝標女や右大将道綱の母みたいです。物語の登場人物ですが、光源氏も本名はわからないのですね。天皇の皇子で臣籍に下り、源姓を賜ったのですから「みなもとのなにがし」になったはずです。源氏になった人で光り輝くように美しい、と言っているだけで、「光る君」の本名はわかりません。主人公の名前がわからない物語、というのも考えたらすごいことです。

2024年3月17日 (日)

今こそ島への愛を語ろう⑥~竹富島~

司馬遼太郎が『街道をゆく』の中で、「桃源郷のような」とかなんとか(すみません、あやふやです)形容していた竹富島にどうにもこうにも行きたくなり、沖縄本島には目もくれず、一路竹富島へ向かったのは、もう十数年も前のことです。確かに、ただただもうひたすら美しいところでしたね。サンゴの石垣、サンゴの白い道、赤い瓦、色の濃いブーゲンビリア、巨大なヤドカリ、巨大なナメクジ。最後のものについては異論のある方もおられましょうが、現地で見たらべつにそんなグロテスクって感じでも、です。

泊まった民宿はネコが2週間ほど前に赤ちゃんを4匹産んだばかりで、「世界ネコ歩き」状態でもうたまらんのでした。ビーチで泳ぐよりネコの赤ちゃんをひざに載せてぼーっとしている時間の方が長かったかもしれません。ほかに何したっけなあ? 牧場で牛見ました。その近くで珍しそうな蝶見ました。なんとかフルーツのアイス食べました。オリオンビール飲みました。ほかは? うーん。

そんな感じで、思い出そうとするとふだんからぼんやりしている頭がますますぼんやりとしびれたようになってはっきりと思い出せないんです。桃源郷って、そういうことかもしれません。

2024年3月10日 (日)

今こそ島への愛を語ろう⑤~スラウェシ~

こんにちは、西川(中)※です。久しぶりの登場です。前に書いたのいつだっけと調べてみたら、もう1年半も前でした。この「今こそ島への愛を語ろう⑤~スラウェシ~」をちょっとだけ書いて放置していたのです。というわけで、遅ればせながら続きを書こうと思います。

※他に「西川(大)」「西川(翔)」という講師がいるため、やむなく「西川(中)」としています。

私はインドネシアに2度行っており、その2度目がスラウェシです。かつてセレベスと呼ばれていた島です。島っていってもずいぶんでかいですけどね。トアルコ・トラジャという有名なコーヒーの産地であるタナ・トラジャにちょっと変わった埋葬の風習があるというので興味を持ったんです。もちろん、調査に行ったわけではなく、ただの物見遊山です。

かなり内陸にある高地ということで、車をチャーターするしか行く方法がありませんでした。それで日本から現地の観光案内所的なところに電話して、片言どころではない、しどろもどろのインドネシア語で何とか予約しました。ほんとうに車は来るのか?って感じでしたけど、ちゃんと来ましたね。やるなあオレ。K君に教わった参考書で勉強した甲斐があったというものです(K君については④をご覧ください)。

そうそうK君といえば、去年ものすごくひさしぶりに会って旧交を温めました。岩手山に登った帰りに仙台に寄ったのです。K君は大学の先生で、出世して学部長になっていました。温厚で人間が出来ているためそういう役職が回ってきちゃうんですね。ほんとうはすごく変な人なんですけど。懐かしい研究室ものぞかせてもらい、いい思い出になりました。盛岡からバスで岩手山の登山口に向かう途中、焼走り溶岩流というところを通ったんですけど(名前のとおりごつごつした黒い溶岩が幅1キロ長さ3キロにわたって積み重なり広がっているところです)、「あそこ、昔いっしょに行かなかったっけ?」とK君に訊くと「そういえば行ったね」。大学三年生のとき同じ研究室のK君とN君とわたしで、山形の自動車学校に合宿免許を取りに行ったんですが、その後せっかく免許とったんだからということで、レンタカーでK君と東北旅行をしたのです。あまり明瞭な記憶は残っていませんが、『遠野物語』で有名な遠野の、カッパ伝説のある河童淵に行って「こんなせまくて浅い流れに河童がいるはずないね」とうなずき合い、小岩井農場では逃げる羊を追いかけて撫で回し、龍泉洞というおそろしく美しい地底湖のある鍾乳洞を見学し、といった具合で楽しかったですねー。K君と僕は虫が苦手という共通点を有しているのですが、国民宿舎に泊まったら部屋のカーテンにびっしりとカメムシがとまっており、ふたりともおそれおののくだけで何もできず、見なかったことにして眠ったら朝には消えていたとか、昔乗っていたボートが転覆したという恐怖体験を持つK君が左手に海が見えている道で右側車線を走ろうとするのでよけい怖かったりとか(水深百メートルの地底湖を見たときは「だめだ、恐怖のあまり飛び込みたくなる」と物騒なことを言ってました)、印象深いことがたくさんありました。

閑話休題。スラウェシの話でした。しかしここまで書いてきて、山形の自動車学校のことを思い出してしまいました。もしかすると以前にこのブログに書いたかもしれませんが、とんでもない教官がいたんです。仮免取ったあとの路上教習で、土砂降りのバイパスを走ってたら、追い越していった車にばしゃっと水をかけられたんですね。いやがらせです。絶妙のタイミングで水のたまった轍にタイヤを踏み込ませ、斜め後方にいた我々の乗る教習車のフロントガラスに、一瞬前がまったく見えなくなるぐらいの水をぶっかけはったのです。そしたら助手席にいた教官があろうことか「やりかえせ」と言うのです。そんなん無理です~と半泣きになっていると、「アクセルを踏め、もっと踏め、もっと」と要求し、件の車を追い抜いた瞬間横からハンドルをつかんでくいっと少しだけ右に回してまた元に戻さはりました。そしてふり向いて「やったった、やったった、ざまあみろ」と叫ぶのでした。怖かったなあ、あの教官。

閑話休題。スラウェシの話でした。タナ・トラジャは遠かった。愛想の悪い運転手のおじさんとふたり、黙ったまま何時間も車に揺られました。そうしてたどり着いたホテルはヤモリだらけでしたが、実はヤモリはかなり好きなのでそれはまったく苦痛ではありませんでした。沖縄の竹富島に泊まったときもヤモリが多くて、部屋のドアをバタンと閉めると、天井からヤモリの赤ちゃんがぽてぽて落ちてくるのがかわいかったです。でも、ヤモリはかわいいと思うんですが、イモリはかわいくない。なんでですかね? 滋賀の比良山系に八雲ヶ原という高層湿原があり、ときどきテントを張りに行くんですが、もうイモリだらけで。小さな流れで水を汲もうとしたらイモリイモリイモリ、イモリが山もりです。この水は飲めるのか?と頭を抱えてしまうのでした。ま、湧き水とちがって川の水はどんなに清いようでも煮沸すべきですけどね。

タナ・トラジャには大きくぱかっと開けた洞窟があり、いたるところにシャレコウベが置かれています。そういう埋葬の風習なんですね。あれだけたくさんあると、かえってちっとも怖くない。なんだか、からっとした雰囲気です。たくさん写真撮りましたけど、心霊写真的などろどろどよーんとした写真は1枚もありませんでした。中国のウイグル自治区の博物館に何十体ものミイラが展示されている部屋があって、他にだれもいないので一人で見て回りましたけど、やっぱりまったく怖くありませんでしたね。あ、一体だけ、まぶたを閉じたミイラがあり、これだけ妙にリアルで不気味でした。まぶたを閉じているせいで、逆に今にもまぶたを開けてこちらを見るんじゃないかっていう妄想がわいてくるのでした。

タナ・トラジャから下りてきてウジュン・パンダンという街で食べたチマキがおいしかったです。

2024年3月 3日 (日)

ちょうど時間となりました

三遊亭圓朝作の怪談『牡丹灯籠』も、中国の話に原典がありそうな気もしますが、どうでしょう。もう一つ、圓朝作の有名な怪談に『真景累が淵』というのがありますが、「真景」は「神経」とかけた言葉になっています。幽霊というのは神経の作用で見えるものだ、ということで、ずいぶん科学的な見方をしています。明治時代には、この「神経」というのが一種の流行語になっていた、と、圓朝の流れをくむ圓生が『累が淵』のマクラで語っていました。

圓生もなくなって久しいのですが、Youtubeなどで見ることができます。うますぎて鼻につく、というか、どうだうまいだろう感がつよすぎるときもありますが、やはりうまかった。最近の上方落語では桂吉弥がいい、と前に書きましたが、吉弥と桂春蝶、春風亭一之輔の三人会を見たことがあります。梅田芸術劇場、シアター・ドラマシティというところでやったのですが、客席は満杯でした。吉弥は『愛宕山』というネタをやりました。山登りをする一行の中に舞妓さんが登場するのですね。そのときにこめかみのあたりに手をやって動かして、「これ、舞妓さんのビラビラ」と言って笑いをとるところがあります。吉朝ゆずりのネタですが、その師匠の米朝もちゃんとやっていました。「ここ、笑うとこよ」というやつですね。確かに客席はドッと受けていました。

なぜここが笑うつぼになって、おかしみを感じるのか。そこまでやらんでもええやろ、というところにあえてこだわるのが面白みなのでしょうか。『地獄八景亡者戯』で、やる人はみんなの閻魔の顔真似をしますが、これは断片となっていたものを米朝がととのえた話ということもあるのか、やはり米朝の顔が一番笑えます。このタイトルが芝居風で、歌舞伎と同様、漢字七文字になっており、これで「じごくばっけいもうじゃのたわむれ」と読みます。「八景」はどこから来たのか。地獄のいろいろな情景、という意味でしょうが、「近江八景」から来たのかもしれません。「日本三景」と言って、日本全体には三つしかないのに、近江には八つもあるというのが、なんだか変です。八つもでっちあげようとしたせいでしょうか、無理矢理感も漂います。「比良の夕照」なんて、夕焼けがきれいだという、どこにでも当てはまりそうなものを持ってきています。

大阪で夕陽が美しいところと言えば、そのまま地名になっている夕陽丘でしょうか。地名そのものもなんだか美しい感じがします。日本を愛する外国人たちの感想で、美しい言葉として「木漏れ日」をあげた人がいます。勿論、こういう現象はどこの国にもあるわけですが、それをこんな風に名付けるセンスがすごい、とほめちぎっていました。他にも、雨を表す語彙の多さに感動する、という人もいます。音読みする熟語以外にも、にわか雨、むら雨、こぬか雨、やらずの雨とか、「雨」という言葉がはいっていなくても、しぐれ、卯の花くたし、きつねの嫁入りとか、いろいろあります。「虎が雨」という妙な言葉もあります。夏の季語にもなっており、旧暦五月二十八日に降る雨のことです。「虎が涙雨」とか「虎が涙」とか言うこともあり、虎御前が泣く涙だということになっています。これは曾我兄弟から来ているのですね。だから「曾我の雨」と言うこともあります。曾我兄弟の兄のほう、十郎が死んだことを、恋人の虎御前が悲しみ、泣きはらした涙だというわけです。

今では曾我兄弟も荒木又右衛門も忘れられ、日本三大仇討ちも忠臣蔵だけが残っていますが、昔は曾我兄弟は有名だったのですね。源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎・五郎の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件です。伊東一族の領土争いが発端で、いろいろあってややこしいのですが、三谷幸喜脚本の大河ドラマでは非常に面白く描いていました。兄弟が父の仇討ちを行うと見せかけて、頼朝を暗殺しようとする、という設定ですが、頼朝の寝所にたまたま工藤祐経が寝ていたのを襲ってしまう、まぬけな展開になります。義時は「仇討ちを装った謀反ではなく、謀反を装った仇討ち」だと言い、兄弟は父の無念を見事はらしたという美談に仕立て上げます。そして、「この話は後の世にまで語り伝えられるだろう」と言うのです。事実、三代仇討ちの一つとして後世にまで伝わりました。

現代からの視点で見れば、義時の言葉どおりになるわけで、こういうとらえ方は「真田丸」のラストにもありましたが、この大河ドラマでは伏線回収のうまさが際立っていました。と言うより、実は毎回のちょっとしたエピソードをそのままにしないで、後になってうまく活かしていたのかもしれません。長い年月をかけて書かれる大長編小説ともなると、そういったエピソードが活かしきれず、場合によってはミスにつながることもあります。吉川英治の『新書太閤記』に、わりと早い段階で藤吉郎と光秀が出会う場面があり、それはそれで面白いエピソードだったのですが、後年になって光秀が信長に仕えたとき、秀吉とは初対面だという設定になっていました。作者自身が昔に書いたことを忘れてしまったのでしょうが、読む側は一気に読んだりすることもあるので、矛盾に気づきます。

ただ同じ時代に生きていたのであれば、どこかでめぐりあっても不思議はないわけです。講談の神田伯山が、どんな話でも宮本武蔵が出てくるとお客が喜ぶ、と言っていました。別の話であっても、多少時代がちがっても、「あの」宮本武蔵がちらっとストーリーにからめて出てくるだけで、話が「豪華」になるのですね。伊坂幸太郎の連作で、ちがう人物の視点で書かれているのに、どの作品にも同じ人物が登場してくる、というのがありました。連作でなくても、ある作品の人物が、別の作品に脇役としてチラッと登場することもあります。読者サービスと言ってもよいでしょう。同じ作者のものを掘り下げて読んでいく人だけに与えられた楽しみと言ってもよいかもしれません。

講談の「武蔵伝」には、武者修行をしている武蔵が狼退治をする話があります。そのときに知り合った駕籠屋の親父が強いのなんのって、並みの男ではありません。狼をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、はてには一番大きな狼をビリビリと引き裂いてしまいます。では、何者だったのかというと、うーん、残念。ちょうど時間となりました。続きは次の口演にて。

2024年2月22日 (木)

健さんが好き

『刑務所なう』という本を出した人がいます。ヒルズから監獄に「居住地」を移したんですね。東京暮らしを捨てて、2年近く長野の「別荘」で過ごしたときの「獄中日記」です。この本のタイトルはインパクトがありましたが、ホリエモンにそういう過去があったことを覚えている人は意外に少ないかもしれません。江戸時代中期、徳川吉宗の命令により、前科者になると腕に「入れ墨」を入れることが法制化されました。背中に派手な絵を描く「彫り物」と違って、輪っかの形の墨を入れられるのですね。これは簡単には消せないので、心を入れかえてまっとうに働こうとしている人にとってはつらいことだったでしょう。

江戸や大坂では二の腕に輪っかでしたが、奉行所の場所によって多少の違いがあったそうです。京都は線ではなく点々、長州では菱形だったとか。ところが顔に入れられることもありました。これはつらい。額に×とか二本線、三本線を入れるところもあったようです。ひどいところになると、一回目は「一」の字を入れられるだけですが、再犯はそこに「ノ」の形を入れて「ナ」になり、三回目はそらに二画加えて「犬」にされたそうな。

入れ墨ですまないような場合、死罪になることがあります。さらし首、獄門という、ひどい刑罰ですね。ある人物の生首を絵にして残した中島登という人がいます。自分の敬愛する人物が獄門になったことがくやしくて、その様子を残しておこうとしたのですね。その人物とは近藤勇、中島は元新選組の隊士だった人です。この絵がなかなかリアルで、結構うまいんですね。そうとう絵心があっのでしょう。新選組にもいろいろな人がいたようです。ほとんど名前だけしか残っておらず、どんな人物だったかよくわからない一隊士を主人公にして盛りに盛った長編にした『壬生義士伝』という小説があります。浅田次郎の代表作です。

子母沢寛という、元新聞記者の小説家がいます。この人も新選組の話を書いています。昭和の初めに出た『新選組始末記』というもので、小説としての脚色はなく、面白みにはやや欠けるところがあります。しかしながら、生き残りの幕臣などから直接取材した話がもとになっているので、なかなか興味深い作品です。この人のわずか数ページの短編に、盲目でありながらも居合いの達人である座頭の市という人物が登場するものがあります。座頭というのは、江戸時代の盲人の階級の一つを表す言葉です。江戸幕府は身体障害者に対する保護政策として一種の職能組合を作っていて、それが「座」と呼ばれていました。この盲人を主人公にして一本の映画にふくらませたのが『座頭市』という作品です。話は座頭市が下総国の親分、飯岡の助五郎のもとに草鞋を脱ぐところから始まります。

時代は幕末、飯岡の助五郎と笹川の繁蔵との争いを描いたのが、浪曲や講談の世界で有名な「天保水滸伝」で、これと絡めて映画にふくらませていったのですね。この「天保水滸伝」というのがたいへんな人気だったようで、平手造酒という「ヒーロー」も登場して歌謡曲の題材にもよく取り上げられていました。映画「座頭市」にも登場しますし、子母沢寛も取り上げていますから、モデルとなる実在の人物もいたようです。ちなみに、ライバルとでも言うべき、飯岡の助五郎と笹川の繁蔵の子孫が現在夫婦となっておられるとか。現代版ロミオとジュリエットとなってもおかしくないのですが、たいそう睦まじくお暮らしのようです。

それにしても、この手の作品がなぜ人気があるのか、言いかえれば。なぜ日本人が、や○ざとか、斬り合い、合戦を描いた作品が好きなのか。いや、日本人だけでなく戦いや争いを描いた作品は世界中で好まれるのです。基本的にはボクシングと同じでしょう。スポーツの形にはなっているものの、本質は殴り合いです。こういうものを見て興奮するのは、人間の中に闘争本能や破壊本能があるからかもしれません。さらに言えば正義ぶっているやつよりも、「ワル」のほうがかっこいいというイメージもあります。単なる乱暴者ではダメしょうが、少数派で権威に逆らうということになると、魅力的に感じられます。

だからこそ、ピカレスク・ロマン、日本語に訳すと悪漢小説になってちょっと野暮ったいのですが、悪いやつを主人公にした物語や映画がヒットするのでしょう。 いわゆるアンチヒーローというやつですね。「コンゲーム」というのは詐欺行為ですが、この手のものも人気です。バットマンはちょっと「ワル」のイメージがないこともないのですが、一応正義のヒーローです。ところが、スピンオフで「ジョーカー」を主人公にした作品もヒットしました。桃太郎を鬼視点で見ると、自分たちの生活を脅かす悪人になります。絶対的な正義や絶対的な悪はないという問題もあります。だいたい、「俺たちは悪の枢軸国だぞ、エッヘッヘー」と思って戦うはずがないでしょう。正義対正義の戦いであり、それぞれに正義があります。

日本では「義理と人情の板挟み」というテーマもあります。よく「義理人情」と続けて言いますが、この二つは相容れないものでしょう。では、同等か、と言うとそうでもなく、かつて高倉健が歌った『唐獅子牡丹』という映画の主題歌にも「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」というフレーズがあります。この映画の主人公を演じる健さんの背中には「唐獅子」と「牡丹」の絵が描かれています。今はタトゥーというオシャレな言い方をしますが、伝統的な日本の彫り物では有名な絵柄です。「唐獅子」というのは、中国風に描いた獅子なので、本当のライオンとは似ていません。神社の狛犬とセットになっているやつですが、獅子であるからには「百獣の王」です。「百花の王」と言われたのが牡丹なので、この二つが組み合わさるのですね。中国で最も好まれている花が牡丹ということです。なんか、このブログでは、高倉健さんがよく登場しますねぇ。昔、ラサールの入試で「や○ざ」という言葉が毎年のように出ていたことを思い出します。出題者の先生と心情的に共通する部分があるのかもしれません。

2023年12月17日 (日)

こんばんみー

『時の娘』は、二人の甥をロンドン塔に閉じ込めて殺害したと言われるリチャード三世の「容疑」がはたして真実かどうかを探る、という歴史推理小説です。「時の娘」というタイトルは「真実は時の娘」ということわざから来ています。「真実は時間がたつことで明らかになる」という意味でしょう。この小説の日本版を書こうとしたのが高木彬光の『成吉思汗の秘密』です。名探偵神津恭介が入院中に「義経成吉思汗説」の推理をするという設定で、「ベッド・ディテクティブ」とか「アームチェア・ディテクティブ」というやつですね。「アームチェア・ディテクティブ」とは「安楽椅子探偵」ということで、現場に行かずに人の話や書類などの手がかりだけをもとにして推理を展開するものです。

『時の娘』も『成吉思汗の秘密』も現在の事件ではなく、歴史上の事件を扱っていますが、松本清張も歴史好きだったようで、ノンフィクションの『日本の黒い霧』や『古代史疑』などを書いています。古代史への興味を小説の形にした『火の路』というようなものもあります。大河ドラマで「実朝暗殺」が描かれていましたが、真犯人はだれかという「歴史推理」も、永井路子が『炎環』で三浦義村説を出しました。小説の形で書いているわけですから、単なる思いつきのようにとられても仕方のないところですが、歴史学者の中には好意的に取り上げる人もいました。

「実朝暗殺」と書きましたが、あれはなぜ「暗殺」なのか。この言葉は定義が難しいようです。まず対象が政治的、社会的になんらかの影響力を持つ人物でなければなりません。一般のサラリーマンやお店のおっちゃんは「暗殺」されないのですね。動機も政治的、思想的な立場の違いが前提になります。暴力団抗争などで「親分」が殺害された場合も「暗殺」と言うことがありますが、その「世界」で影響力を持つ人物が対立する組織によって殺害されたわけなのであてはまりそうです。殺害方法についてはなんでもよいのですが、「暗」の意味から見ても「秘密裏」でなければならないと思うのです。「非合法的」という要素も必要でしょう。たとえば政敵をつかまえて強引な裁判で死刑にしても暗殺とは言えないでしょう。安倍さんは白昼堂々と銃撃によって命を奪われましたが、「銃撃」という「非合法」の要素はあるので「暗殺」と言えるのかなぁ。さらに言えば「暗殺する」とは言えるのに「殺人する」と言えません。これも不思議です。

「する」という動詞は名詞のあとについて「サ変複合動詞」を作ります。「運転する」「読書する」などですね。ところが、「殺人する」は複合動詞として使うことはないようです。名詞の中の漢字に動詞的要素があって、全体が「~すること」という意味であれば複合動詞にしやすいはずなのですが…。名詞に使われている漢字に動詞的要素がなければ「する」をつけると妙な感じがします。「時間する」「世界する」「他人する」などなど。「する」をつけて動詞化できる名詞を「サ変名詞」と言うこともあるようです。二字熟語とはかぎりませんし、外来語でもあてはまるものがあります。では、「お茶する」はサ変複合動詞と見なせるでしょうか。「お茶」は「名称」であって、動詞的要素はありません。「インストールする」とは言えても「パソコンする」とは言えません。今のところ「お茶する」はまだ口語的表現、ややくだけた言い方、という位置づけでしょうか。

「駅前でヤンキーたちがたむろっていた」というような表現を見たことがあります。これは使い方としてはどうでしょう。「たむろった」と言えるなら、終止形は「たむろう」になりそうですが、そんな言葉はありません。「屯」と書いて「たむろ」と読み、「たむろする」と言うのが正しいことになります。「う」がついて動詞になる名詞といえば「歌」がありますが、これは昔から「歌ふ」という形で使われています。では、ひょっとして「たむろる」? 名詞のあとに「る」をつけると動詞になることがあります。たとえば「牛耳る」「事故る」「サボる」「ミスる」。「江川る」「アサヒる」「小沢る」なんてのもありました。「口」をひっくり返して「チク」、それに「る」をつけた「チクる」、「告白」の「告」から生まれた「コクる」、新しいところでは「ググる」「ディスる」「バズる」…。でも、「さすがに「たむろる」は聞きません。活用させて「たむろらない・たむろります…」というのも聞いたことがない。「ななめってる」というのも、言わんとすることはわかりますが、「ななめる」という動詞は今のところ存在しません。

こういう言い回しは、たしかに文法的にはおかしいのですが、使う人が多くなれば日本語として定着していくのでしょう。ただし、「わかりみが凄い」とか「やばみ」などは定着するか微妙ですね。それでも、これらの言葉は「ま」とか「ちな」に比べるとまともです。「まじ」は江戸時代からすでに使われていたので、「まじめ」の省略かどうかは微妙なところですが、「まじ」を省略して「ま」とか、「ちなみに」の略で「ちな」、これらはあまりにも省略しすぎです。「ちな」とか、「とりあえずまあ」が「とりま」っていうのはまだ文脈でわかることがありますが、相手の言ったことに対して「ま」では意味不明。「それ本気?」の省略形「そま?」みたいな使い方はほとんど幼児語です。さすがに流行語みたいな感じで、もはや「古い」という扱いになっているようです。これらに比べると、「やばみ」はまだ今までの造語パターンをある程度ふまえています。「やばい」を名詞化するなら「さ」をつけて「やばさ」ですが、あえて「うまみ」「ありがたみ」のように「み」で名詞化したのでしょう。「うれしみ」も同様ですが、「わかりみ」はちょっと違います。これは動詞に「み」なので無理矢理感が強いようです。逆にそれが面白いから若い人たちは使うとも言えます。「もはや、わかりみしかない」という使い方は定着するでしょうか。いや、すでに死語かもしれません。

定着するかしないかの基準はむずかしいようです。桂太郎以来の「ニコポン」はいまだに辞書に載っているのですが、おそらくだれも使わないでしょう。「ギャル」も一世を風靡しましたが、もはや死語です。「ナウい」は定着しかかったのに消えて、「なう」の形で復活しました。そして、また「なう」も消えています。はやっていたころに、国語のテストで「損なう」の読み方を出題したら、SNSをやりすぎの人が「そこなう」と書かずに、「そん、なう」と答えたかもしれません。

2023年12月 5日 (火)

時をかける娘

「戦争を知らない子供たち」とは、いわゆる「団塊の世代」のことですね。戦争が終わって帰ってきた兵士たちのもとで生まれた子供たちです。堺屋太一という人のネーミングですが、言葉としてすっかり定着してしまいました。別の言い方をすれば、この人たちは「戦争がなければ存在しなかったたかもしれない世代」ということになります。終戦という社会の変動に伴い、一つの大きな集団ができあがり、前後日本の方向を決定づけました。

戦争というのは大きな影響力をもちます。人類が繁栄するのはよいことですが、人口が多すぎると集団の維持に却ってマイナスになることもあります。原初の人類は、天敵と呼ばれるような動物によって人口が調整されていたのかもしれません。天敵をしのぐような力をつけた人類に対して、自然は病気をはやらせ、多くの人が命を失いました。ところが人類は科学を発展させ、病を克服していきます。そうすると、新たな病が生まれます。自然は次から次へと病気をはやらせるのですが、追いつかなくなっていきます。そうすると、人間は不思議なことに戦争をするのですね。人間はそれなりに理由を付けて戦っているつもりなのですが、実は知らないうちに自然に操られているのかもしれません。そして、もっと大きな威力を持つもので人口調節をはかろうとしたものが世界大戦だ、という残酷な説を唱える人もいます。人口の調節だけでなく、科学は戦争が終わったあとも深刻な後遺症をもたらすこともあります。

古田武彦の『失われた九州王朝』という本の中で、筑後の『風土記』に、九州のある土地で、体になんらかの欠損を持っている人間が多いと書かれている記事を紹介していました。いわゆる「磐井の乱」のあとで、死んだ磐井の祟りか、と書かれているのですが、実は戦争でそういう障害を負ってしまったのではないか、と推理していました。古田武彦は「磐井の乱」を単なる反乱ではなく、九州王朝対大和朝廷の一大決戦だったと考えているので、戦争の影響はとてつもなく大きかったと考えたのでしょう。妙な言い伝えだと思っていたら、実は史実の反映だった、と言うのですね。

戦争まで行かないような、ちょっとした出来事でも、そのあとの歴史に影響を及ぼすことはよくあるのかもしれません。平凡な日々の繰り返しだと思っていたら、実は歴史の分岐点だったということもつねにあると言ってよいでしょう。「そのとき歴史が動いた」というのは、些細な出来事がきっかけになっているかもしれません。あのとき、もし、こうしていたら…と後になって思うことは、個人でも社会でもよくあることです。それが「IFの世界」や「パラレルワールド」につながっていくと、そこに一つの物語が生まれます。関ヶ原の合戦のとき、もし、こうなっていたら…とか、太平洋戦争でもし山本五十六が…というような小説や漫画もあります。

「義経成吉思汗説」や「豊臣秀頼薩摩落ち」「西郷隆盛生存説」のように、死んだことになっていた英雄が、もし生きていたら、というパターンも人気があります。逆に、実は家康は死んでいた、というのもあります。話を聞く側は、もし生きていたら、もし死んでいたら歴史がどう変わったかを楽しむわけで、これも「IFの世界」です。小松左京の小説は、ほとんどが「IF」からの発想と言ってもよいでしょう。「もし日本が沈んだら」「もし首都が消えたら」「もし上杉謙信が女だったら」のように、「もし」という設定そのものがテーマになっています。スティーブン・キングの小説にも、「もし過去に行ってオズワルドを止めることができたらケネディ暗殺は防げたか」というのもあり、これはキングの筆力でなかなか読ませます。

ただ、過去に行くとパラドックスが起こることもあるのですね。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も、そのあたりの面白さがメインになっていました。『JIN-仁-』の結末も微妙に歴史が変わってしまいました。「パラドックス」なので、なぜそうなるのか、理屈はどうなっているのかは、考えれば考えるほど、訳がわからなくなってきます。それでも、やはり面白いのですね。タイムスリップものは、なかなか衰えず、いまだに人気があります。とりあえず現代人を過去に行かせるみたいな設定は安易すぎるのですが、面白い。歴史上の人物が現代に現れたりするのもワクワクします。半村良の『戦国自衛隊』、筒井康隆の『時をかける少女』のような「古典的」なものから、『テルマエ・ロマエ』『アシガール』『サムライせんせい』『信長協奏曲』『テセウスの船』…思いつくだけでも相当あります。中には「光源氏」が現代にタイムスリップするという、訳のわからないものもありました。

北村薫の三部作はたいへん面白いシリーズでした。『スキップ』は、女子高校生がふと目覚めたら、何十年も後の世界にいて、夫も子供もいる高校教師になっており、中年の女性としてどう生きていくか、という作品。タイムスリップというより記憶喪失もの、と言ったほうがよいかもしれません。『ターン』は、主人公が事故にあうのですが、気づくとその一日前の世界に戻っています。事故の時間になると、また一日前に戻っている、という繰り返しの世界にとじこめられる話。ループものと呼ばれるジャンルですね。『リセット』は戦時中と戦後を結ぶ転生ものという位置づけでしょうか。

ループものというのは、話の中で主人公が同じ期間を何度も繰り返すというパターンで、『時をかける少女』はループものの代表と言われます。その後、「オタク」と呼ばれる人たちの好むジャンルとなり、アニメやラノベ、ゲームで盛んに登場してきます。ケン・グリムウッドの『リプレイ』は非常に有名です。主人公は死ぬたびに記憶を保ったまま過去に戻って人生をやり直すのですが、戻る時間がだんだん短くなっていくという設定が面白い。恒川光太郎『秋の牢獄』も短編ですが、なかなか味わい深いものがあります。ロバート・F・ヤングの『たんぽぽ娘』はタイムマシンが登場するSF小説ですが、タイトルどおりのロマンチックなお話でSF臭はなく、女性に人気の作品です。おっさんの読むようなお話ではありません。一方ジョセフィン・テイの『時の娘』は、ど直球のSF小説のように思えますが、なんと推理小説なのが面白い。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク