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2011年5月の4件の記事

2011年5月24日 (火)

光年のかなた①

月日がたつのははやいですね。この前記事を書いたばかりで、そのあと山下trと栗原trが書いてくれたから俺しばらく書かなくていいやと思っていたら大変なことに。

実は、『国語まにあっくす』を開始するにあたって、週に1度は更新すると宣言していた、そのタイムリミットが昨日だったのです。約束を破ってしまった・・・! しかし、よく考えてみたら、べつに初めてのことじゃないし、いいですよね。

とにかく月日が過ぎ行くのははやいわけです。松尾芭蕉も言うてます、月日は百代の過客にして云々と。僕が大学生であったあの青春の日々も、もはや光年のかなたです。

※ちなみに『光年のかなた』というのは、スイス映画ですね。アラン・タネールという監督の作品です。鳥の研究をし、翼を自分のからだにくくりつけて空を飛ぼうとしている老人が出てくる映画です。すご~くおもしろかったんですけど、今は手に入らないですねえ。

さて、というわけで、今回から学生時代のアホな話を書こうかと思っていたのですが、吉野弘の『夕焼け』について書いた栗原trの文章を読んで、「アホな話ばかり書いとってはいかんかもなー」といつになく反省モードに。このままでは、「山下trや栗原trにくらべてこの西川というヒトは・・・」みたいな気まずい評価が定着してしまうかもしれないなー、貧乏の話とか低血糖の話とかしてるバヤイじゃないかも・・・なんて考えて、いまいち気乗りがしないままに時間が過ぎてしまったわけです。 

しかしながら、じゃあ何を書けばいいんだとなるとさっぱり思いうかばず、仕方なくやはり学生時代のアホな話を書くことにした私です。人生は短くタイムはマネーなのにこんな駄文に付き合ってられるかとお思いの方もいらっしゃいましょうが、ここまで読んだんなら諦めて最後まで読んでくだされ。しかもこれは連載化する予定なので次回以降も続きますが、毒を食らわば皿までとも言うし、更新されていないかこまめにチェックして最後まで気を抜かずにお読みくだされ。

さて、先日小4の授業で、家の間取りがどうこうという文章が出てきたので、学生時代に僕が住んでいた家の話をしました。

幼少のみぎりから今にいたるまで、基本的に団地あるいはマンション(アパート?)住まいの僕ですが、学生およびプータロー時代のみ、ぜいたくにも一軒家に住んでいたのです。

それはそれは素敵な家でした。松尾芭蕉が訪れ『おくのほそ道』にも記したという亀岡天満宮の鳥居をくぐり、小さな赤い太鼓橋を渡って、神社の本殿へとつづく石段の手前で右に折れ、春にはユキヤナギが、梅雨にはあじさいが咲く細い道を下っていくと、その家がありました。

六畳間が三つ、四畳半が一つ、縁側もあって、庭には白モクレンの大木が立っていました。裏手には竹林があり、小さな川が流れているため、夜のあいだずっと川音が静かに響いているのでした。

そういう素敵な家に、男3人で住むことになったのです。北海道出身の理学部Iくん、福岡出身の工学部Yくん、そして大阪出身の文学部わしです。何故こんなばらばらな3人が同居することになったのか? 3人の出会いは、大学に入学した4月にさかのぼるのであります。

僕が入学した大学はT北大学といいまして、仙台にあります。しかし、地理に疎かった僕は実際に入学するまで、仙台市が宮城県の県庁所在地であることをよく理解していませんでした。

「にしかわ、おまえ大学どこ受けんねん」

「T北大学」

「T北大学ってどこにあんねん」

「仙台」

「仙台って何県や?」

「そんなんも知らんのか、岩手や」

などという会話が友人とのあいだに交わされていたのであります。

だいたい関西の人は東北地方や関東北部の地理に疎いですね。逆に、関東や東北の人は九州・四国の地理に疎いです。

忘れられる県、というのがありまして、関東では「栃木」、九州では「佐賀」、四国では「香川」あるいは「徳島」、関西方面では「三重」でしょうか。

大学時代、テスト中、時間があまって暇だったので、テスト用紙の裏に日本の都道府県を書き出していったことがありますが、最後まで出て来なかったのが、僕の場合は「徳島」でした。県庁所在地は思い出せたのに、県名が出てこないのです。不思議でしょう。「徳島市って何県にあるんだっけ?」と必死で考えていたんですよね。もはやうっかりの域をこえているかもしれません。

閑話休題、とにかく19××年4月上旬のある夕刻、私は、岩手県と信じて疑わない仙台市の長町駅にひとりで降り立ったわけです。

つづく!

2011年5月16日 (月)

三方一両得

テレビのバラエテイ番組で、こんなときのマナーはどうすりゃいいの、という設定で、バナナをナイフとフォークで食べるにはどうすればよいか、というのをやっていました。マナーの先生がお皿に載った皮付きのバナナの両端をナイフで切り落としたあと、縦に一直線、皮に切れ目を入れて、ナイフとフォークで皮をむき、それから輪切りにするという「マナー」を紹介していました。そのときは「なるほど」と思ったのですが、よく考えると皮付きのバナナ一本を皿に載せて出してくる「料理」なんてありえないのでは?

焼香のマナーというのも、よくわかりません。お香をつまんだあと額のところでおしいただくのかどうか、それは一回でよいのか何回かしなければいけないのか、宗派によってちがうという説もありそうで、ひとのするのを見て真似しようと思うのですが、後ろから見ていると食べているように見えて、TKOのねたは笑いながらも、納得させられます。おくやみもどう言えばよいのやら。はっきりと口跡さわやかに言うものではないのだから、ゴニョゴニョ言えばよいのでしょうが、それでも言うことばに困ります。場合が場合だけにうっかりしたことは言えません。結婚式なら、うっかり「それでは乾杯三唱」とか言いまちがっても笑って許してくれそうですが……。

ひとにものをあげるときのことばも難しい。恩着せがましくなるとまずいし、「つまらないものですが」というのも、相手との間柄次第で、かなり親しいときなど意外に使い勝手が悪い。私は「これやる」とか「持ってけ泥棒」と言って、ごまかします。ホワイトデーのときのフレーズも困りますな。「お返しです」というのもなんか変だし、私はよく「仕返しじゃ」と言って渡していました。最近はチョコレートももらわなくなったので、気が楽です…って、なんかくやしいです。

ちょっとした一言というのは、なんでも結構難しいようです。受験生によく言う「がんばれ」なんか、どうなのでしょう。「がんばれ」は最近ひじょうに評判が悪いようです。人を傷つける「がんばれ」もある、と言われると、うっかり言えなくなりました。「がんばらない」を売りにするのはあざとくていやですけどね。でも、受験生には「がんばれ」と言うしかないでしょう。「がんばるな」と言うわけにはいかない。とくに塾講師は「がんばれ」と言うことが多いようです。最近は聞かなくなりましたが、「勉強しすぎて死んだ奴はおらん」ということばはちょっと抵抗がありますね。「それって本当? ひょっとして一人くらいいてるんとちゃう」と思ってしまうのですが。なんでも「…しすぎ」はあかんでしょう。

ただ国語の勉強はずっと続きます。起きている間すべて、じつは国語の勉強をしてるんですね、本人が気づかないだけで。ものの考え方、生き方、人とのふれ合い……、全部国語の勉強です。世の中にはこんな人がいてるんや、という驚きも、吉本新喜劇を見ていてアハハと笑うことも国語につながります。ひととしゃべるだけで勉強しているわけだし、何か考えるだけでも国語の勉強です。昨日と今日を比べても、格段に国語の力がついているはずです。一年前の自分と比べれば、ことば数は増えているし、経験値は増えているし、いろいろな呪文も覚えているし。ということは、「国語が嫌い」というひとは「生きてるのが嫌い」と言っていることになります。みなさん、今後は「国語が嫌い」と言わないようにしましょうね。

毎年出ているベストエッセイ集のタイトルに「信長嫌い」というのがあったことを思い出しました。藤沢周平の書いた同名のエッセイを本のタイトルにしたものです。信長嫌いの理由は、比叡山延暦寺の焼き討ちや本願寺の弾圧だと書いていました。非戦闘員を大勢殺した信長の残虐性が許せないという内容で、読んだときにはやはり「なるほど」と思いました。書いているのが藤沢周平だけに、「やっぱりこの人はするどい」なんて思ってしまったのですが、それに対する反論を書いている人もいます。いわく、信長はいきなり焼き打ちしたわけではなく、何度も降伏勧告しているし、当時の延暦寺や本願寺はいまのお寺とはちがって武装集団だった。信長は、日本をより良い国にするという目的を持っており、そのためには、宗教勢力の武装解除を行い、多くの利権を剥奪する必要があった。比叡山の焼き討ちは、敵対する武装集団を屈伏させる方法であり、その結果、いまのような「平和」なお寺になったのだ、そういう事実を無視して、「嫌い」と言うのはおかしい……。うーん、なるほど。もしそうであるなら、信長嫌いは「無知のため」ということになりそうです。

とはいうものの、本当のことを知らないで結論を下したり、無知ゆえ毛嫌いしたりするのはよくあることです。逆に、賛美されているために見えなくなるものもあるかもしれません。みんながほめるものにあえて異を唱えるのはへそ曲がりのひねくれ者です。でも、みんながそろってほめるほどすごいものなのか、というとそうとは限らないものもありそうです。大岡越前の「三方一両損」など、名裁判とされていますが、本当にそうでしょうか。三両の落とし主は二両もどってきたので一両の損、拾ったほうは猫ばばしていれば三両の得だったのに、二両になったから一両の損、三両に一両足した大岡越前は一両の損、みんな一両の損ということで納得しろ、というのはあまりかしこくないような気がします。大岡越前は三両を三つに割って、落とし主、拾い主、そして自分が一両ずつとるというお裁きをすべきだったのではないでしょうか。落とし主は三両失っていたところ、一両もどってきたのだから一両の得、拾い主はもともと他人のお金で自分のものではなかったのに一両手にはいったのだから一両の得、大岡越前は裁判にかかわったおかげで一両もらえたのだから一両の得、つまり「三方一両得」のほうがよいに決まっているではありませんか。どうして「損」をわざわざ選んだのでしょう。大岡越前って、評判ほどかしこくなかったのかもしれませんね。

2011年5月10日 (火)

「夕焼け」とあんぱんまん

吉野弘さんの詩に「夕焼け」という美しい一篇があります。

はるか昔、灘中学校の入試で出題されたこともありました。

かいつまんでしまうと詩の良さは台無しなのですが、しかたなく。

    (時間・場所)夕暮れのラッシュアワーの満員電車の中。

    (人物)立っていた老人に席をゆずるわかい娘さんとそれを見る「わたし」。

    席をゆずった老人が降り、娘さんがすわるとまた別の老人が前に。

    「うつむいていた」娘さんはまた席をゆずり、その老人も別の駅で降りる。

    三度め。娘さんはうつむいたまま、席をゆずらない。

    わたしは娘さんの気持ちを慮りながら、電車を降りる。

とまあこういうストーリーなのです。

さあ、いよいよ「国語の問題」です。

◆娘さんは、なぜ三度目には席をゆずらなかったのでしょうか?

まさか、「自分だって疲れていたんだもん」なんて娘さんに言わせるような解答を出してはいけないですよね。

 当然、詩中のいろいろな表現から整合性のある答えを出すわけです。ここではそれには触れず、ちょっと想像を広げてみます。

 「善行ゆえのむなしさ」「善行ゆえのうしろめたさ」みたいな感情が「娘さん」にあったのじゃないか、と考えてみたいのです。

 心理学者の河合隼雄さんは、著書の中で、善行を趣味としているはた迷惑な人について触れています。善行を「させていただいている」という自覚のない人は困ったもんだ、という趣旨です。

 昔の「あんぱんまん」をご存じでしょうか。「アンパンマン」ではありません。私が小学生のころ、図書館で開いたそれは、今の二頭身キャラのかわいい健全なヒーローではなく、実に陰惨な感じのするシュールな絵本でした。作者は同じやなせさんなんですが。

 うろ覚えで不確かですが、お腹が空いてぐったりしたり泣いたりしている子どもたちに、あんぱんまんは自分の顔を食べさせるのです。その飢えた子供たちへの施しが、実にきりがないんですね。子供心に「むなしい」という言葉の意味が実感できた私にとって衝撃の一書でした。

 顔のなくなった首なしあんぱんまんは、もはやヒーローらしからぬ「陰惨さ」を放っていました。

 私の記憶がおかしいのか? 大人になって、テレビの「アンパンマン」を見たときには、同じものとは思えませんでした。

 まちがいなく、昔の「あんぱんまん」の方が深いわけです。

 私が「夕焼け」の詩を読むとき、どうしても「あんぱんまん」を読み終えたときの気持ちが結びついてしまいます。

 席をゆずられたほうの人は、「ああ、これで座れる。助かった」と思う人も、思うときもあるでしょうし、「老人扱いされてしまった」とがっかりしたり気を悪くしたりする人も、するときもあるでしょう。

 そういう「ゆずられる人」の気持ちまで考慮に入れてしまう人は、「善行」に対してむしろ慎重になり、二の足を踏んでしまうはずです。

 無神経に「善行なんだから善は急げ」とやってしまう人を責めるわけではないんですが、そういう人もいますし、かくいう私はそういう「おせっかい」をやってしまう人です。

私は、自分のために「善行」しようと思っています。自分が「いい人」でいられるために、自分が「ひどい人間」だと思わなくてすむように。結局勇気がないんでしょうか。

 詩の中で、「やさしい心の持ち主は、われにもあらず受難者となる」と吉野さんは書いています。

 善行に目的などいらない。ましてや報酬などない。報酬はと言えば、席を立って窓の外から見える、「夕焼け」の美しさshine。満員電車で座っていては見えない夕焼けなのだ。そうこの詩を私は読むようにしています。

2011年5月 3日 (火)

バイトの日々④

さて、大学時代およびプータロー時代に私が体験した二十種類ものアルバイトの日々についてしみじみと語るシリーズの最終回です。

最も長く私が勤めたバイト先、それは、「官報販売所」です。

みなさんは「官報」をご存じでしょうか。

官報とは、

『法律、政令、条約等の公布をはじめとして、国の機関としての諸報告や資料を公表する「国の広報紙」「国民の公告紙」としての使命を持っています。さらに、法令の規定に基づく各種の公告を掲載するなど、国が発行する機関紙として極めて重要な役割を果たしています。』(国立印刷局HPより)

てな感じのものです。

その販売所で官報をはじめとする政府刊行物その他の配達業務に携わっておりました。昔ながらの頑丈な業務用自転車をこいで仙台市内を走り回っていたわけです。雨の日がつらかったなあ。雪が積もったときも大変だったけど。

官報自体は、私なんかが読んでも正直まったくおもしろいものではありませんでした。それでも、若干不謹慎ではありますが、「行旅死亡人」の欄にはよく目を通していました。「行旅死亡人」というのは、要するに行き倒れの方のことで、官報に公告として掲載されるのです。なんとなくその欄から目が離せず、しんみりした気持ちで読んでいました。前にも少し書きましたが、いつか自分も・・・・・・という気持ちが心の底にあったからでしょう。いつもしんみりしていたわけではなく、都下八王子で亡くなった女性の方について「自称;おく・たまこ」と書かれていたのに吹き出したりしたこともありましたが・・・・・・。

たぶん、ほんとうに怖かったんだと思います。他人ごととは思えなくて。怖いと目が離せなくなるタイプなんですね。たとえば、新聞にひどく残虐な事件の記事が掲載されていたりしますよね。それがツボにはまってしまうときがあるんです。そうすると、もう調べずにはいられなくなります。いったい何でこんな事件が起きちゃったんだ、どういう動機なんだ、とか。でも、興味がわいたという感じではなくて、怖くてしかたがないから知らずにはいられないという感じです。未知が恐怖の源なんだから、未知の部分を減らさなきゃ耐えられん、そんな気持ちです。もちろん、調べるといっても新聞に載っている以上のことはわからないわけですが、ずっと心の片隅に残っていて、何年かしてからその事件のルポなんかが出たときについ買って読んでしまったりします。あの横溝正史の『八つ墓村』のモデルになった事件なんかいくつも関連書籍を読みました。

これは、怖い物好きとはちがいます。怖いものはキライです。お化け屋敷もホラー映画も大嫌いですから、絶対に入らないし見ません。

だから、そういった事件についての文章を読んでいても楽しくもなんともありませんし、ましてやカタルシスなんて少しも得られず、いつも後味の悪い思いしかしません。でも、調べずにはいられないんですね。怖いから。

◇◆

さて、話がそれましたが、バイトの話です。僕が勤めていたころの販売所は居心地がよかったです。よく遅刻しましたが、なんとなく「しかたないなあ、西川くんは」みたいな雰囲気で許してもらえて。

所長さんがもう八十近かったんじゃないかと思うんですが、矍鑠とした方で、時間のあるときにいろいろお話を聞かせていただくのが楽しかったです。

「ぼくはね、結核のおかげで命拾いしたんだよ」

「結核になったせいで徴兵を免れてね、でも結核で死ぬ前に戦争が終わってマイシンが入ってきたからね」

なんて話をきくとすごく新鮮でした。歯が痛くて苦しんでいると、

「西川くん、そういうときは塩をつめるといいんだ、塩は万能だ」

と言われ、口の中に大量の塩を詰め込む羽目に。じんじんしてつらかったなあ。

「どうだ、痛くなくなってきただろう」

「あの、しょっぱくて麻痺してきました」

昔から、お年寄りの話をきくのが好きなんです。僕の伯父が関東軍の将校だったんですが、この伯父さんの話もおもしろかったですねぇ。ノモンハンの話とかね。

「だってさ、とんでくるの向こうの弾ばっかりなんだもん、勝てるわけないっての」

なんて、飄々と言ってました。

「部下を動かすにはね、まず自分が動かなきゃだめなんだ」

なんていう立派なことも言ってましたねえ。

「たとえばさ、遮蔽物から遮蔽物まで移動するとするだろ。そのときに、部下に『お前たち行け』って言ったって、だれも行けないよ、みんな怖いんだから。だから、そういうときは、まず自分が行くんだ。自分が行ってから、『よし来い』って言うと、みんな来るんだよ」

一緒に話を聞いていた僕の兄はいたく感心していましたが、

「それにさ、先に行った方が実は弾にあたらないんだ。俺の姿を見てはじめて敵は人が出てくることに気づくからさ。」

というオチをしれっとした顔でつけてくれましたっけ。

◇◆

所長さんちは、あの『荒城の月』の詩をつくった高名な土井晩翠の親戚だということでした。地元の名家だったんですね。

結局仙台を去るまで、この官報販売所にお世話になりました。

ご存命ならもう100歳近いと思いますが、所長さん、奥さん、ありがとうございました。

◇◆◇◆◇◆

緊急予告!

いよいよ新シリーズスタート!

にしかわが仙台で過ごした7年半の青春の日々について、そのどうでもよい些末な部分についてだけ熱く語る!

夢も希望もなく、ただただ貧乏だった日々!

汗も涙も流すことなく、ただただ低血糖だった日々!

第1回『養鶏場かと思ったら寮だった(仮)』の巻

乞うご期待!

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