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2011年8月13日 (土)

クリビツテンギョーイタオドロ

河童の好物といえばキュウリで、キュウリを巻いた寿司はカッパ巻きです。では、なぜ河童はキュウリを好むのか。河童は水神の落ちぶれた姿でした。ところで、祇園の八坂神社はスサノオノミコトをまつっていることになっていますが、実はインド起源の牛頭(ごず)天王だとも言われています。牛頭天王も水神なのですね。そして、八坂神社の紋章が「木瓜」です。織田信長のところと同じです。「もっこう」と読むのですが、訓読みすれば「きうり」であり、キュウリの切り口にも似た形の紋章です。祇園祭のときにはキュウリを食べないという風習も、紋章に似たキュウリを食べるのはおそれ多いということだったのでしょう。ということで、河童→水神→牛頭天王→祇園→木瓜→キュウリとなったのですな。祇園というのは不思議な神様で、古代イスラエルの宮殿のあったシオンの丘が名前の元になったという、トンデモ説もあります。たしかに、山鉾の絵模様を見ても、ラクダやライオンとかピラミッドなんかが描かれていたりして国際色豊かです。

狐の好物の油揚げも、こういう「こじつけ」があります。油揚げに包まれた寿司は「いなり寿司」です。単純に油揚げの色と狐の色が似ているからとも言われますが、それではおもしろくない。稲荷の神様は、御食津媛(みけつひめ)で、この「みけつ」に「三狐」の字をあてたところから稲荷の使いが狐になったそうな。ところが、祇園と同じように、稲荷神社の神はインドの荼枳尼(だきに)天だとも言われています。もともとジャッカルにまたがっていたのが、日本にはいってきたときにはジャッカルは日本にいないものだから、狐ということにしたとか。いずれにせよ、稲荷と狐が結びつきました。で、大昔は荼枳尼天を奉じる修行者はネズミのフライをお供え物にしていたそうですな。この荼枳尼天が、のちに殺生を禁じる仏教にとり入れられた際に油揚げで代用したとかいうことで、狐と油揚げがつながってくるわけです。

ここまでややこしくなくても、世の中には「つきもの」というのがあります。梅に鶯、鹿に紅葉、獅子に牡丹、猪に萩……。花札の絵柄です。竹に雀もそうですね。雀のお宿は竹藪の中にあります。ところで舌切り雀をもじって「着た切り雀」ということばが生まれました。一度着たら、なかなか着替えないのを「いっぺん着たら着たきりやな、着たきりスズメか、おまえは」という、いわばだじゃれです。本来「スズメ」の部分は余分ですが、これがあることでだじゃれであることがわかります。「感謝感激雨あられ」も「乱射乱撃雨あられ」のだじゃれです。これとちょっと似ているものに、あることばが終わったあと、なんとなくものたりないので、だじゃれでつないだことばを無理矢理くっつけるというパターンもありますね。「驚き桃の木山椒の木」とか「ああうまかった牛負けた」とか、古いところでは「その手は桑名の焼きはまぐり」というのもあります。「何か用か九日十日」や「そんなこと有馬温泉」なんてのも一昔前の漫才でよく使われていました。寅さんも「結構毛だらけネコ灰だらけ○○のまわりは○○だらけ」「たいしたもんだよ蛙の小便」と言っていました。蛙の小便は田んぼにするので「田へしたもんだよ」から「たいしたもんだよ」になっていくんですね。「あたり前田のクラッカー」というCMは知らない人が多くなっているのだろうなあ。

こういうことば遊びの中では「アナグラム」というのがあって、私は結構好きですネコ灰だらけ。アナグラムというのは、ことばの文字を入れ替えて別のことばにする遊びです。「田中角栄」の「たなかかくえい」を並べ替えて「ないかくかえた」「内閣変えた」にするというやつですな。最近見たものでは「鯛に琵琶湖を破壊させよ」というのがありました。あることわざのアナグラムです。「させよ」がそのまま残っているのが難ですが、出来としてはなかなかのものです。「せこいつまだ」「ごみ拾う」という歌手、になると、もはやどちらも古典的名作と言えます。「阿藤快」と「加藤あい」もアナグラムの関係ですね。「ともさかりえ」は歌手として出るときには「さかもとえり」と名乗っていたような気がします。福永武彦という作家がいました。怪獣映画『モスラ』の原作者でもあり、やはり作家の池澤夏樹のお父さんでもあります。この人がアナグラム好きで、探偵小説を書くときに「福永だ」をアナグラムにして「船田学」というペンネームにしようとして編集者に怒られたと言います。それでも性懲りもなく、「加田伶太郎」というペンネームにしました。「かだれたろう」は「たれだろうか」つまり「誰だろうか」のアナグラムです。主人公の探偵の名前は「伊丹英典」で「いたみえいてん」、これは「名探偵」をローマ字で書いたものをアナグラムにしています。こんなふうにアルファベットを並べ替えるのが本来のアナグラムでしょうが、複雑になると、元のことばがまったくわからなくなります。元のことばの感じがなんとなく残っているのがオシャレです。

森田さんが「タモリ」になったり、「小樽」のケーキ屋さんが「ルタオ」になるのは、アナグラムというより、さかさことばです。手塚治虫のジャングル大帝にも「ルネ」と「ルキオ」という双子のライオンが出てきましたが、「ねる」と「おきる」のさかさことばです。「いじめる」のを「かわいがる」と言うのも「さかさことば」ですが、それとはちがって、「たね」を「ねた」、「しろうと」を「とうしろう」、「やど」を「どや」、「ばしょ」を「しょば」というふうに、ことばの順をひっくり返すものです。芸能界や「やっちゃん」業界の人がよくやるやつですね。「うまい」が「まいうー」になるのは有名です。「ちゃんこなべ」が「べなちゃんこ」になるのは、西宮出身の芸人夙川アトムが「ねた」でやっていました。「ゲンをかつぐ」は「縁起→ぎえん→げん」だし、「ポシャる」は「かぶとをぬぐ→シャッポをぬぐ→シャッポる→ポシャる」です。「プテキャン」は焼き肉らしい。「焼き肉→朝鮮→船長→キャプテン→プテキャン」という流れで、こういうのは何を言っているのか一般人には知られたくないという、一種の暗号みたいなものなのでしょう。「クリビツテンギョーイタオドロ」はハリーポッターの呪文ではありません。

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