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2011年10月の3件の記事

2011年10月27日 (木)

終電車の風景

ご存じの方はあまりいらっしゃらないと思いますが、『終電車の風景』という詩があります。作者は鈴木志郎康さん、結構有名な作品なんですが、現代詩の読者は少ないので、たぶんみなさんご存じなかろうと思います。

この詩がいつかどこかの中学校(灘中学校とか、灘中学校とか、灘中学校とか)の入試で出題されるんじゃないかとにらんでいるんですがなかなか出題されません。

そういう、「いつか出題されるんじゃないか」という詩のリストがあって、もちろん志別その他の教材にどんどん入れているわけですが、今日はその話ではありません。

なんせこのブログは、「どうでもいいことを書く」、というのが身上ですからね!

今日は、西川が見た「終電車の風景」、その思い出について語ります。

残念ながら、今は阪急の京都線に乗っていることが多いので、あまりおもしろい風景には出会えません(阪急電車は総じて品が良い)。

かなり前ですが、若いお母さんに抱っこされた赤ちゃんが、となりに座っていた革ジャン革ズボン金髪ツンツン鼻ピアスのあんちゃんに激しく興味を示し、いっしょうけんめい手を伸ばしているのを目撃しました。お母さんは疲れているのか、うとうとしていて気づきません。鼻ピアスのあんちゃんもヘッドホンして、「くそったれな世の中には拳を上げてファックオフさ!」みたいなとんがった目つきでいたので、赤ちゃんの動きにはなかなか気づかなかったのですが、赤ちゃんの手がついに彼の鼻ピアスにとどきそうになるにおよんで、鋭く赤ちゃんの方に目を向けました。視線がかち合う鼻ピアスと赤ちゃん! 危うし! ・・・・・・しかし、次の瞬間、鼻ピアスは「にかっ」と笑顔になるのでありました。お母さんが気づいて赤ちゃんを抱っこし直しましたけれど、そのときには、鼻ピアスの顔はとても穏やかな、あえていえば幸福そうな表情になっていたのです。まったく赤ちゃんおそるべしですな。

こんなささやかな風景を覚えているぐらいだから、阪急ではあまりインパクトのある風景に出会ってないんですね。革ジャンといえば、これも相当昔ですが、十三駅のホームで革ジャン革ズボンにチェーンじゃらじゃらの男とゴスロリ女性のカップルを見かけたことがあります。それだけならべつに珍しくもなんともないんですが、どちらも年齢が40~45歳、男性は黒縁のサラリーマンふう眼鏡をして頭髪が薄く、女性は林家パー子さんに似ておいででした。相当なインパクトでした。一緒にいた友だちが早速ケータイで写真を撮ろうとしましたが、一応止めました。

JRはそんなに乗る機会ないんですが、なかなか愉快なことがあります。

大阪駅で、ふらふらした足取りでもつれ合うようにして乗り込んできた二人組のサラリーマン。50代半ばの、いかにもサラリーマンのおじさんって感じの酔っぱらった二人組です。酔っぱらってるんで声がでかい。肩を組んだまま二人がけの座席に倒れ込むように座ると、

「部長、しかし、僕は部長の顔にどろを」

「言うな」

「しかし」

と車内に響き渡る大声で会話が始まりました。酔っているので、同じことのくり返しです。

「部長、僕は部長の顔にどろを」

「それを言うな」

と何度くり返したか。しかし何回目かのときに、新たな展開が。

「部長、僕は部長の顔にどろを」

「言うな、すべて俺の責任だ」

「・・・・・・へ? 部長の責任なんれすか?」

「あ、うん、まあ・・・・・・」

いや、これだけなんですけど、爆笑でした。

JRってよく遅れますよね。これは終電車の風景ではありませんが、運休が出たために、普通電車に乗り込んだ人々の数がいつもの数倍にふくれあがり、ぱんぱんに混んでしまったときのこと。駅にとまるたびに当然のことながらホームにあふれんばかりになっていた人々が無理にでも電車に乗り込もうとします。車掌が放送で「無理なご乗車はおやめください」とくり返し言うのですが、もちろん効き目はありません。体が半分出てしまっているのに「いや乗車してますけど」みたいな顔をしているおじさんや、片足をつっこんでぐいぐい食い込ませ何とか乗り込もうとしているOLなどでいっぱいです。

車掌がしだいにてんぱってきて、大阪弁丸出しになっていきます。

「無理なご乗車はおやめください、無理なご乗車は、あかん、あきませんて、すぐに次の電車が来ますよってに、危ないですって、かばんがはみ出てますやん、もうあきませんって・・・・・・」

このときは、ひどい混雑ぶりに殺伐としていた車内が一気になごみましたねえ。もしかしてそれが狙いだったのかもしれません。車掌もおそるべしですな。

さて、終電といえば京阪電車。京阪電車の終電に乗ることが多かった頃はなかなか衝撃的なことがありました。

とりあえず、酔っぱらってゲーゲー吐いている人はしょっちゅう見ましたね。でも電車の中は勘弁してほしいなあ。ドアのそばで手すりにつかまって苦しそうにしゃがんでるなあと思っていたら、突然「おえええ」という声がするんです。臭いってば。

しかし、そんなのはまあ言ってみれば普通のことです。

京阪電車で個人的にもっとも印象に残っているのは、何か忘れてしまったけれどとにかくすごくいやなことがあって僕が深く疲れ切っていたある夜のこと。

僕は二度と立ちたくない気分でだらしなく座席に腰掛け、宙をにらんでおりました。反対側の座席の、僕の正面のあたりには、いわゆる「労務者」風の身なりをしたおじいさん。

あれは八幡市だったか。とにかく京阪の最終電車なので乗客は少なく、駅のホームもひどく寂しげでした。

電車がホームにすべりこみ、ドアが開く直前、向かいに座っていたおじいさんが立ち上がり、何気なく僕の方に近づいてきました。疲れていたので目だけ動かしてじろっとおじいさんを見ると、おじいさんが手を差し出してきます。僕はさすがにとまどってどうしたらいいかわからずにいました。おじいさんは僕の手をぐっと握ると、励ますように肩をたたいてくれ、そのまま降りていきました。

なんだか衝撃でした。ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』を思い出しましたね。ご存じでしょうか。傷ついたり悩んだりしている人間に、(人間からは姿は見えないけれど)そっと寄り添い、ほんの少し元気を分けてあげる、そういうことをしている天使がいっぱいいる・・・・・・という設定の映画です。まあ、僕は気楽な人間なのでそんなに深く悩んでいたわけじゃありませんが、変に心に残るできごとでした。

ちなみに『ベルリン・天使の詩』ですが、どんなふうに話が進むかというと、そんな天使の中のひとりが人間の娘に恋をして、人間になってしまうんです。主役は、名優ブルーノ・ガンツ。しかも、似たような境遇を持つ「元・天使」の役で、あのコロンボ警部で有名なピーター・フォークが「俳優ピーター・フォーク」として出ていました。つまり、「あの有名な俳優のピーター・フォークは、実は元・天使なのだ」というひねった設定だったんですが、おもしろかったですねえ。主人公の元・天使が、『コロンボ警部』を撮影中のピーター・フォークに会って、アドバイスを受ける場面なんてどきどきしました。

それにしても、ブルーノ・ガンツ! もうびっくりしますねえ。映画に出るたびに、完全に別人です。ロバート・デ・ニーロは体型から声からまるっきり変えてしまうので有名ですが、ブルーノ・ガンツはべつにそんなことをするわけではないのに、完全な別人になってしまうんです。あの人はまさに名優中の名優だと思います。

僕もそれほど見たことがあるわけではありませんが、

『アメリカの友人』

『白い町で』

『ベルリン・天使の詩』

『永遠と一日』

『ヒトラー最後の14日間』

ほんとにびっくりしますよ。雰囲気ががらっと変わるんです。『アメリカの友人』なんて、ブルーノ・ガンツが出ていると聞いて見たのに、どれがブルーノ・ガンツかわからなかった・・・・・・!

僕の目は確かに節穴ですが、それにしても変わり過ぎやろ、と思います。

2011年10月20日 (木)

最後まであざとく

だじゃれは「駄」なのだから、おもしろくないものと相場が決まっているのですが、それでもたまにクスッとしてしまうことがあります。「一点の差ですって? なに言ってんのさ」は、書かれているのを見ても気がつきません。聞いた瞬間もすぐにはわからないのですが、気がつくとなんかおかしいですね。「ふとんがふっとんだ」「コーディネートはこうでねえと」と、どこがちがうのでしょうか。音が似ているだけで全く別のものを結びつけるところがポイントになるので、当然意外性がなければなりません。かといって、ナチュラルでないと、あざとさが前面に出てきてしまうのでしょう。「あなたはキリストですか」「イエース」、「百円玉食うてみい」「ヒャー、食えん」はやはりナチュラルです。

「あざといですよ」ということを強調すれば逆にまたおもしろくなってくるのも不思議です。「エッグは『なにご』や」「英語やろ」「たまごや」「……」「ストロベリーはなにごや」「いちご?」「英語や」「……」「コーヒーはなにごや」「英語? ひょっとしてアラビア語?」「コーヒーはしょくごや」。ここまで重ねれば笑えますが、これはだじゃれそのものではなく、「繰り返しによる笑い」「裏をかくことによる笑い」の可能性があります。いずれにせよ、音のぶつかりあいが、だじゃれであり、私たちは意味の病にかかっているために、ときとして、だじゃれによって、新鮮な発見をすることがあるのかもしれません。まさに「かっぱかっぱらった」の詩ですね。

「汚職事件」が「お食事券」に聞こえるのに気づくと、なぜか感心してしまいます。だじゃれのつもりでなくても、そう聞こえるようなことがあるのですね。「北海道といえば、おなじみ大泉…」と書かれていれば、「ああ大泉洋ね」と思うのですが、ラジオなどで耳で聞いているだけだと「ああ、アンビシャスね」と思ってしまうのは「ナチュラル」ですよね。「『おーい、お茶』って、反対は『少ないお茶』か」と思ってしまうのも同様です。「教皇選挙」の「コンクラーヴェ」は、ほとんどすべての人が「根くらべ」を連想したはずです。

糸井重里がやっている「言いまつがい」も、そんな風に言い間違える「フロイト的」理由があるのでしょうが、けっこう笑えます。「スパゲティカルボナーラ」を「スパゲティボラギノール」と言ってしまうのは、「カルボナーラ」はなんだかよくわからないことばなので、言うことに自信がないのでしょう。無意識のうちに、音が似ていて、しかも知っていることば(しかし意味はやはりよくわからない)「ボラギノール」と言ってしまうのだろうと推測するのですが、如何。「赤ワインには、ボラギノールがはいってて、体にええらしいで」というのは、知ったかぶりをしたいのですが、如何せん知識が伴わない。ポリフェノールとボラギノールは音としてもかなり似ているので、この「言いまつがい」は納得できます。「うちの孫、アメリカにホームレスしてまんねん」というお婆さんは、「ホームステイ」より「ホームレス」のほうが身近なことばなのでしょう。遊んでいる子供たちにお母ちゃんが「おまえたちはいいね、毎日がエブリデイで」と言うのは、なにの「言いまつがい」なのでしょうか。でも、言いたいことはなんとなくわかるのが不思議です。

二つの連続する単語や文節で、音が交換されることもありますね。「てっこんキンクリート」や「あつはなついなあ」と言ってしまうやつです。「おかあちゃん、風呂はいるからパツとシャンツ用意しといて」「はいこれ、パツとシャンツ」二人とも気がついていないことがあります。国会の答弁で「補正予算」が「よせいほさん」となってても、だれも気づきません。「クロネコヤマト」を「ヤマネコトマト」と言ってしまうのは、後半の「ヤマ」を前に持ってきたために消えてしまった分を、なんとか帳尻を合わせようという心理が働いて、後半にも実際に存在することばを続けてしまうのでしょうかね。

書き間違いというか、パソコンの変換ミスもよくあります。「汚職事件」が「お食事券」に勝手に変換されてしまっても、夢中になってキーをたたいていると気づきません。さすがに最近はパソコンもかしこくなって、「茹で卵」が「茹でた孫」になったり、「フランス料理」が「腐乱す料理」になったり、「取引先」が「鳥引き裂き」になったりするような、むちゃくちゃな変換はしなくなっているようですが。消去したり書き足したりしながら編集していくために、意外に脱字も多いようです。「学園長杯争奪テスト大会」だからよいのであって、「学園長争奪テスト大会」ではだめでしょ。そんなもの争奪したくありません。ところが不思議なことに申込用紙にそういう風に書いてあっても気づかない人が多いことも事実です。逆に脱字どころか、余分な字があっても気づきません。申込用紙の下の方に点線があって、そこに「キリトリマセン」と書かれていると思わず切り取ってしまいます。一行の最後の方に「そんなことはありま」とあれば、次の行に「ん。」と書いてあっても「そんなことはありません」と読んでしまっています。つまり、書いてあるものが見えず、書いていないものか見えるのですね。

脳というのは、いいかげんでもあり、すごいとも言えます。ないものをあると見なしたり、あるものを見ないふりができたり、場合によっては自分自身で信じ込んでしまうというのは、機械にはできないことです。それを利用したトリックアートなどもよく見ます。ということは、脳はだまされやすいということでもあるわけで、こんなふうに、人間というものは「思い込み」で勝手に決めつけていることが多いのです。ですから読解の文章や設問を読むときも思い込みは禁物ですね……と、強引に「国語」に結びつける落ちは、どういうものでしょうか。「あざとさ」が過ぎますね。しかし、この文章の最後の段落を読みかけた瞬間、こういう結びになりそうだと予感した人はいなかったでしょうか。そういう人も「思い込み」をしていたのかも……。

2011年10月 9日 (日)

栄光の文化ゼミナール~光年のかなた⑦~

どうもこのところ更新が滞りがちですね。僕の書くペースが落ちているのが最大の原因です。
楽しみにしてくださっている方は、べつにいらっしゃらないかもしれませんが、なんとなく、誰にともなく申し訳ない気分です。

さて、最近僕はこのブログの記事を主として電車の中で書いています。実はそのために「ポメラ」を買ったんです。これは今年僕が購入した品物のうちで最大のヒットでした。ご存じですか、ポメラ。完全にワープロ機能だけに特化した、なんていうんですか、電子メモ帳とでもいうんでしょうか、そういうやつです。

開くとちゃんとした五十音のキーボードがスライドして出てくるんですが、コンパクトなので、立ったままでも片手で支えて片手で打ち込むことができます。なんといっても起動が速い。電源を入れたら即使用可能になります。阪急京都線で、サイゼリヤで、十三のあやしい中華料理屋『隆福』で、小さなキーボードに向かってちまちまカタカタと文章を打つ私です。

思えば、僕のワープロ歴は結構長く、大学2年のときに衝動的に買ったのが初めてでした。ディスプレイの幅が1行分のみでたった12文字しか表示されないというおそろしく使いづらいものでしたが、まわりにワープロ持っているやつなんてほとんどいませんでしたから、なんだか得意気に意味もなく日記を書いたりしていました。しかし、毎日これといって何もしていなかったので書くことがなくて困りました。せいぜい「今日も腹が減った」とか「腹が減ったのでデパ地下の試食コーナーを徘徊した」とかその程度しか特筆すべきことがない青春だったのだった・・・・・・。

ちょうどその頃サークルに入りました。「文化ゼミナール」というあやしげな名前の、まあ簡単にいうと読書をするサークルですね。本来であればいろいろな分科会があって、それぞれに興味深い書物を取り上げて・・・・・・という形態になるんでしょうが、人手不足のため、分科会はただ一つ経済学分科会だけ、それも時代遅れの『資本論』第1巻を1年かけて読むという、えもいわれず地味な活動をしていました。結局3年間参加したと思いますが、その間、メンバーは4名~6名、ひどいときにはたった2人でぶつぶつ議論しながら読んでいました。

読書会ってどんなふうにするかといいますと、担当者がレジメをきってくるんです。たとえば、来週は第三章の第一節だということになると、それを段落分けして、内容を簡潔にまとめたものを作ってくるんですね。で、それをもとに担当者が進行役を務め、一段落ずつじんわりと読んでいくわけです。

このレジメをきるのに、件のワープロが活躍しました。ワープロで打ってあると、内容がダメでもなんだか少しましに見えるんですよね。「これだ!」って感じでした。

それにしても『資本論』! あれは国語の勉強になりました。Yさんという経済学部の院生が中心になって、とにかく精確に内容を理解することに主眼を置いてやっていたので、派手な議論が飛び交うわけでもなく、若者らしい青臭い思想や世界観を開陳し合うでもなく、「読点の位置からみて、この主語はここにかかっていくんだから、こう読むのが正しいはずだ」「訳が悪いかもしれんから原典にあたってみよう」(もちろん原典にあたるのはYさん)などといいながら、ひたすらねちねち読んでいました。正直言って、あの3年間がなかったから、僕は国語の講師になっていなかったかもしれない、いやなっていたかもしれないけれど、だいぶちがう感じの講師になっていたんじゃないかなと思います。

1年目はちんぷんかんなので、先輩の説明をふむふむ聞いていることが多かったわけですが、2年目になって後輩が入ってくると、たまには僕が教えるなんて場面も出てきます。あやふやなことをいうとすぐに首をひねられてしまうので、冷や汗かきつつしどろもどろになりながらやっていました。あれが勉強になりました。とにかくできるだけすっきりと、筋道立てて説明をする訓練になったと思います。

読書会は週に1回、6時から9時過ぎまででした。9時になるとサークル室の照明が強制的に消されてしまうのですが、ろうそくに火をともして暗い中でいつまでも話をしていることもありました。

コーヒーを飲むようになったのも文ゼミにいたときです。Yさんがコーヒー好きだったので、一息入れようというときにはお湯を沸かしてコーヒーを飲んでいました。そのうち、よりおいしいコーヒーが飲みたいということで、ベートーベンという豆屋さんでその日飲む分の豆を買ってきて、淹れるときに必要な分だけガリガリとひいて飲むようになりました。

文ゼミに入ったころは、まだ寮生でした。9時過ぎてサークル室を出るといつのまにか雪が降り積もっているなんてこともあり、寮まで帰るのが大変でした。自転車で三十分ぐらいかかるんですが、寒さのせいで背筋がびんと張って、痛くなるんです。雪だと自転車もつるつる滑りますしね。仙台平野をふきすさぶ風に綿入れをなびかせて帰ったものです。綿入れは基本的に部屋着なので、外では寒いっす。

文ゼミはほんとうにとても勉強になる、いいサークルでした。当時のメンバーを思いうかべると、なんだかみんな頭良かった気がします。僕がいちばんぱっとしませんでした。ぱっとしない割に態度だけはでかくて申し訳なかったなあと思います。

しかしながら、そんないいサークルなのに、なぜか人が集まらない。新歓の時期にはなんとかして人を集めようとみんなで知恵を絞りました。

これは僕が入る前の話ですが、

「女の子を呼ぶにはテニスだ!」

と先輩のひとりが言い出し、「キャピタル・テニスクラブ」というニセのサークル名でビラを配布したこともありました。『資本論』の原題が「ダス・キャピタル」というのです。「テニスをするための基礎体力作りに『資本論』を読んでいます」という打ち出しだったのですが、残念ながら、あまりのインチキぶりに、当たり前ではありますが、だれも来ませんでした。その後懲りずに「キャピタル・サーファークラブ」というサークル名のビラも配布したということですが、もちろんどうにもなりませんでした。

大きな立て看板をつくったこともありました。認知度を高めるのがねらいです。なにかインパクトのあることを書こうということで、「少年老いやすく老人死に易し」という何が言いたいのかまったくわからない言葉を書いてみました(これはYさんがサークル室の黒板に書き付けていた警句です)が、やはりだれも来ませんでした。

僕の青春の日々はそうやって楽しいような空しいような感じで過ぎていくのでありました。

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