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2012年8月21日 (火)

知らんけど

山田風太郎の『八犬伝』もなかなかおもしろうございました。八犬伝をダイジェストにした「虚の世界」と、八犬伝を書いている馬琴の姿を描いた「実の世界」が、交互に出てくる構成になっています。こういう「表と裏」の組み合わせと言えば、『東海道四谷怪談』ですね。忠臣蔵外伝という位置づけで、初演時は、『仮名手本忠臣蔵』と交互に二日かけての上演をしたと言います。芝居では浅野家ではなく塩冶家になりますが、お岩さんのところは塩冶の家来で、妹のお袖の夫が佐藤与茂七という設定なので、与茂七はかたきの伊右衛門を討ったあと、吉良邸に討ち入りをする形だったそうです。

昔は三大幽霊として、お岩さんのほかに、番町皿屋敷のお菊さんと牡丹灯籠のお露さんも有名でしたが、いまの子供たちは知らないようです。お菊さんは関西では「播州皿屋敷」として知られており、姫路城にはお菊さんがとびこんだという井戸が今でも残っています。死んだあとお菊さんの恨みが虫の姿になって現れたのがお菊虫で、じつはなんとかアゲハの幼虫なのですが、女の人が後ろ手に縄でくくられたような形をしているらしい。落語の『皿屋敷』にもその虫の話が出てきます。姫路の市の蝶(そんなものがあるんかいな)がそのアゲハだとか。

こういう古典的な幽霊は今時は通用しないようですが、現代版の「百物語」のようなものは文庫本の形でもいっぱい出ています。だいたいがこういったものは読み捨てなので、実話と銘打っているものを何冊か大手の古本買い取りショップに持って行ったことがあります。そのうちの一冊は、あとがきにも、話を収集している最中にテープレコーダーが何度もこわれたとか、夜中に編集しているとドアがノックされて出てみたらだれもいなかったとか、本の形にするまで大変だったと書いてありましたが、そいつも売り払おうとカウンターで預けて待つことしばし、査定が済んだらしく呼ばれて、明細を見せられたあと、「こちらのほうは中が乱れていて買い取りできません」と言われて戻されたのが件の実話系怪談。この本はなぜかペラペラの紙ではなく、グラビアにでも使いそうなツルツルの紙を使っていました。で、店員さんが開けたページを見ると、全体の三分の一ぐらいの活字が消えて、黒いパリパリした、フィルムを微細に砕いたようなものが真ん中のあたりに固まっていました。インクが紙にしみこまずに、紙の上で遊離して、それが細かく砕かれたようなのですが、なぜそのページだけ活字が浮いて流れた? 店員さんも、ふつう言う「お持ち帰りになりますか」を言わずに、「こちらで処分しましょうか」と言ってくれたので、お願いすますた……。

高校のとき、二人の友達と旅行したとき、予約していたので部屋に浴衣のセットが三つあったのですが、外に買い物に出ている間になぜか一つふえていました。翌日のチェックアウトのときも、四人分で計算されていたので、文句を言ったら、目の前にいる三人を見てフロントの人が「でも」と言いかけて、黙って計算し直してくれました。夜に友達の一人が、中学のときに目の前でおぼれた死んだ友人の話をなぜかしつこく何度もしていたのと関係があると思う人、手を挙げてください。あ、思い出した。前に住んでいたところのとなりの夫婦が、例の尼崎のJR事故で亡くなったのですが、だれも住んでいないのに夜中に物音がよく聞こえていました。夜中の二時三時に酔っ払って帰ってくる夫婦でしたが……。

こわい話は読むか聞くかするとこわいのですが、目に見える形になるとだめですね。落語『饅頭こわい』の中にも、じつはこわい話の部分があります。身投げをした女にあとをつけられて、濡れわらじで踏むような音が、ジタ、ジタ、ジタ……のあたり、結構こわいです。枝雀のレコードでは、「ほんにおやっさん、この話、ちょっとこわいね」というフレーズで、みんなが笑ってましたが、聞いている客も相当こわがっていたのが、このことばで緊張が緩んだのが明らかにわかりました。頭の中で想像するとこわい。ところが「貞子」はこわくありません。小説はおもしろかった。「呪いのビデオ」の元ネタが小説であることを知らない人たちの間でも「都市伝説」になってしまったぐらいです。ところが、映像化されるとこまったもんだという結果になってしまいます。こういう部分に関しては、映像は字や音に負けるのですね。見えるとだめです。とくに既成の俳優が演じてしまっては台無しですな。この幽霊やっているやつって、ビールのコマーシャルに出てるよなー、と思ってしまうと、もうだめです。

映画の『影武者』で、勝新太郎以外は新人や素人を使ったのも、そういうことと関係があるのでしょう。手アカのついていない役者を求めたわけです。平清盛のお父ちゃんの役をやってる人って、前は源頼朝やったよなー、と思うと、さめた目で見てしまって、内容を楽しめなくなってしまいます。その俳優についての情報を知っていればいるほど、「素」と重ねてしまうので、実生活がわからないような俳優とか、まったくの新人のほうが役柄によっては抵抗なく見られます。『帝都物語』で出てきた嶋田久作なんて、こいつ本物の怪人加藤とちゃうか、と思ってしまいました(ちょっとおおげさ)。不良の高校生役をやってるやつが見るからに憎たらしくて、こいつ本物の不良高校生ちゃうか、と思ってしまったドラマもありましたが、今思えばトヨエツ若かりしころのような気もします。最近の高嶋政伸は、ちょっと行ってしまってるような役をよくしていますが、これは実生活ともかぶってていい。内田裕也なんて、実生活はどうなんでしょうね。たぶんふつうのおっさんなのでしょうが。そういえば、安藤昇なんていう、もともと「本職」の人もいました。昔の映画スターは、実生活がわからない人が多かったようです。というより、意図的に見せなかったのでしょう。原節子なんて人は、そういう意味でのスターだったのでしょう、知らんけど。逆にテレビタレントは身近な感じが売りになっていますし、AKBなんて、「会いに行けるアイドル」というコンセプトで、最初からそういう路線でした。エスパー伊東もふだんからあんなんかなあ、知らんけど。

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