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2024年2月22日 (木)

健さんが好き

『刑務所なう』という本を出した人がいます。ヒルズから監獄に「居住地」を移したんですね。東京暮らしを捨てて、2年近く長野の「別荘」で過ごしたときの「獄中日記」です。この本のタイトルはインパクトがありましたが、ホリエモンにそういう過去があったことを覚えている人は意外に少ないかもしれません。江戸時代中期、徳川吉宗の命令により、前科者になると腕に「入れ墨」を入れることが法制化されました。背中に派手な絵を描く「彫り物」と違って、輪っかの形の墨を入れられるのですね。これは簡単には消せないので、心を入れかえてまっとうに働こうとしている人にとってはつらいことだったでしょう。

江戸や大坂では二の腕に輪っかでしたが、奉行所の場所によって多少の違いがあったそうです。京都は線ではなく点々、長州では菱形だったとか。ところが顔に入れられることもありました。これはつらい。額に×とか二本線、三本線を入れるところもあったようです。ひどいところになると、一回目は「一」の字を入れられるだけですが、再犯はそこに「ノ」の形を入れて「ナ」になり、三回目はそらに二画加えて「犬」にされたそうな。

入れ墨ですまないような場合、死罪になることがあります。さらし首、獄門という、ひどい刑罰ですね。ある人物の生首を絵にして残した中島登という人がいます。自分の敬愛する人物が獄門になったことがくやしくて、その様子を残しておこうとしたのですね。その人物とは近藤勇、中島は元新選組の隊士だった人です。この絵がなかなかリアルで、結構うまいんですね。そうとう絵心があっのでしょう。新選組にもいろいろな人がいたようです。ほとんど名前だけしか残っておらず、どんな人物だったかよくわからない一隊士を主人公にして盛りに盛った長編にした『壬生義士伝』という小説があります。浅田次郎の代表作です。

子母沢寛という、元新聞記者の小説家がいます。この人も新選組の話を書いています。昭和の初めに出た『新選組始末記』というもので、小説としての脚色はなく、面白みにはやや欠けるところがあります。しかしながら、生き残りの幕臣などから直接取材した話がもとになっているので、なかなか興味深い作品です。この人のわずか数ページの短編に、盲目でありながらも居合いの達人である座頭の市という人物が登場するものがあります。座頭というのは、江戸時代の盲人の階級の一つを表す言葉です。江戸幕府は身体障害者に対する保護政策として一種の職能組合を作っていて、それが「座」と呼ばれていました。この盲人を主人公にして一本の映画にふくらませたのが『座頭市』という作品です。話は座頭市が下総国の親分、飯岡の助五郎のもとに草鞋を脱ぐところから始まります。

時代は幕末、飯岡の助五郎と笹川の繁蔵との争いを描いたのが、浪曲や講談の世界で有名な「天保水滸伝」で、これと絡めて映画にふくらませていったのですね。この「天保水滸伝」というのがたいへんな人気だったようで、平手造酒という「ヒーロー」も登場して歌謡曲の題材にもよく取り上げられていました。映画「座頭市」にも登場しますし、子母沢寛も取り上げていますから、モデルとなる実在の人物もいたようです。ちなみに、ライバルとでも言うべき、飯岡の助五郎と笹川の繁蔵の子孫が現在夫婦となっておられるとか。現代版ロミオとジュリエットとなってもおかしくないのですが、たいそう睦まじくお暮らしのようです。

それにしても、この手の作品がなぜ人気があるのか、言いかえれば。なぜ日本人が、や○ざとか、斬り合い、合戦を描いた作品が好きなのか。いや、日本人だけでなく戦いや争いを描いた作品は世界中で好まれるのです。基本的にはボクシングと同じでしょう。スポーツの形にはなっているものの、本質は殴り合いです。こういうものを見て興奮するのは、人間の中に闘争本能や破壊本能があるからかもしれません。さらに言えば正義ぶっているやつよりも、「ワル」のほうがかっこいいというイメージもあります。単なる乱暴者ではダメしょうが、少数派で権威に逆らうということになると、魅力的に感じられます。

だからこそ、ピカレスク・ロマン、日本語に訳すと悪漢小説になってちょっと野暮ったいのですが、悪いやつを主人公にした物語や映画がヒットするのでしょう。 いわゆるアンチヒーローというやつですね。「コンゲーム」というのは詐欺行為ですが、この手のものも人気です。バットマンはちょっと「ワル」のイメージがないこともないのですが、一応正義のヒーローです。ところが、スピンオフで「ジョーカー」を主人公にした作品もヒットしました。桃太郎を鬼視点で見ると、自分たちの生活を脅かす悪人になります。絶対的な正義や絶対的な悪はないという問題もあります。だいたい、「俺たちは悪の枢軸国だぞ、エッヘッヘー」と思って戦うはずがないでしょう。正義対正義の戦いであり、それぞれに正義があります。

日本では「義理と人情の板挟み」というテーマもあります。よく「義理人情」と続けて言いますが、この二つは相容れないものでしょう。では、同等か、と言うとそうでもなく、かつて高倉健が歌った『唐獅子牡丹』という映画の主題歌にも「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」というフレーズがあります。この映画の主人公を演じる健さんの背中には「唐獅子」と「牡丹」の絵が描かれています。今はタトゥーというオシャレな言い方をしますが、伝統的な日本の彫り物では有名な絵柄です。「唐獅子」というのは、中国風に描いた獅子なので、本当のライオンとは似ていません。神社の狛犬とセットになっているやつですが、獅子であるからには「百獣の王」です。「百花の王」と言われたのが牡丹なので、この二つが組み合わさるのですね。中国で最も好まれている花が牡丹ということです。なんか、このブログでは、高倉健さんがよく登場しますねぇ。昔、ラサールの入試で「や○ざ」という言葉が毎年のように出ていたことを思い出します。出題者の先生と心情的に共通する部分があるのかもしれません。

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