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2012年12月の2件の記事

2012年12月18日 (火)

もうすぐ冬至ですね。

もうすぐ冬至ですね。

小6諸君は今週でベーシック・レベル系の授業が終了し、23日からは入試対策第Ⅰ期ということになります。いよいよ臨戦態勢ですね。なんせ一部の学校ではもう入試が始まっています。

最近、小6ベーシックの授業のときは、食事休憩中も教室にいるようにしています。で、いっしょにご飯食べています。先週は、烏丸の地下の進々堂で買ったガーリックフランス食べてました。そのときは一部の子どもたちの羨望のまなざしが心地よかったものですが(みんなガーリックが好き)、昨日は雑穀米とちくわだけという質素な食事だったため、哀れみのまなざしで見られました。

そういえば昔、お弁当にたこ焼き60コ持ってきてる男の子がいてました。「たこ焼き好きなの?」と訊くと、「べつに」。

「じゃどうして?」

「お母さんのいやがらせ」

なんてことがありました。

弁当箱あけた瞬間にさっと顔色を変えて家に電話してる子もいました。「お母さん! フルーツ入ってへんやん!」と半泣きで叫んでいたその子はさっそく「フルーツ」というあだ名をつけられていましたが、卒業半年後にばったり会ったら、すごくしっかりした口調で「先生、こんにちは!」と挨拶してくれて、半年で変わるもんだなあとびっくりしました。ちなみに洛南です。さすが。

休み時間、教室にいて子どもたちと何だかんだやりとりするのはけっこう楽しいです。烏丸小5Pの子どもたちは、なぜかよく肩や背中をマッサージをしてくれます。べつに頼んだわけじゃなくて、一度もそんなこと言ってないんですが、入れかわり立ち替わりいろんな子が教卓のところに来てマッサージしてくれるんです。そして、みんな妙にうまい。「いつもお母さんにやってるんだー」とか言ってる子のマッサージなんて絶品です。なかにはだんだん悪ふざけが入ってきて、最後はサンドバック代わりにどついているだけという子もいますが。

などとのんきなことをしてられないのが小6です。僕も、小5生に対するのとはうってかわって、「休み時間なんてないゾ! 勉強しろ勉強! ・・・・・・おい、そこ! 男同士で微笑みを交わすな!」とはっぱをかけています。

入試対策第Ⅰ期に突入したら、講師はもっとべったり小6生にはりつきます。そして、入試までまさに「伴走」していくことになります。

ブログの更新も滞りがちになりますが、いやすでに滞りがちですが、ご容赦ください。

2012年12月 1日 (土)

S君のお母さん、今回のおすすめ本はこれ

「トライ」や「トリ」は3を表すので、「トライアングル」は三つの角という意味になります。三角というのはつりあいもとれて落ち着くせいでしょうか、世の中には三つにまとめるのがよくあります。「御三家」と言えば、紀伊・尾張・水戸。このうち水戸はワンランク落ちて、大納言ではなく中納言です。中納言にあたる役職が中国では黄門侍郎と言ったので、水戸のご老公、さきの中納言は水戸黄門と呼ばれるわけですな。香川照之改め市川中車が山岡鉄舟に扮して、真山青果の新歌舞伎『将軍江戸を去る』をやってましたが、その中で團十郎扮する徳川慶喜が、幕府と朝廷が戦うときには、水戸家は朝廷方につく家として設置されたのだと言ってました。御三家は将軍のスペアを用意する家ではなかったのですね。七代将軍家継が急死したとき、次の将軍候補は尾州の継友と紀州の吉宗。尾州侯継友が評定のために登城する途中、鍛冶屋が槌を打つ「トンテンカン、トンテンカン」という音が「テンカトル、テンカトル」に聞こえて、内心喜びながらも評定の席では、「余は徳薄く」といったん辞退します。「いやいや、そう言わずに」と言ってくれることを期待する、というイヤラシイ手法ですね。ところが、紀州侯吉宗も、「余は徳薄く」と言ったあと、「さりながらかたくなに辞退するは御三家の身としてよろしからず、天下万人のため」とか言ってあっさり引き受けてしまう。がっかりした尾州侯が帰る途中、また「テンカトル、テンカトル」と聞こえてきたので、「紀州は、いったん引き受けたあと辞退するんだ、天下はやはり尾州のものだ」と思ってほくそえむ。そのとき、鍛冶屋の親方が焼けた鉄を水に入れると音がした、キシュー。…しょうもない話です。

御三家と言えば「橋・舟木・西郷」、と言っても知らない人が多くなっているでしょうし、「郷・野口・西城」でさえ知らない? 「たのきんトリオ」というのも今となってはお笑いのネーミングですね。今は芸能界の御三家というのはないようです。三バカ大将なら、今でもいてるのかな。「寛政の三奇人」というのもありましたが、これはほめことばなのでしょうか。「奇」には、優れているという意味もあるので微妙ですが、林子平はともかく、蒲生君平はそのころだれも見向きもせず放置されていた天皇陵の調査をしたりしていて、なんか変です。蒲生氏郷の子孫らしいのですが、林子平と喧嘩したという話もありますし。高山彦九郎となると、さらに変です。三条京阪の駅前の銅像ですな。皇居に向かって「土下座」してます。「早すぎた尊皇の志士」とでも言えばいいのでしょうか。坂本龍馬よりも百年以上前の幕府全盛期に王政復古を唱えている人です。高校のとき、友達同士で日本史の教科書に出ていないカルト問題の出し合いをしている中で、「寛政の三奇人」はよく出題されました。

「三大××」というのもありますが、無理矢理三つ作るので、だいたい三つ目はしょぼいものになります。「三大ジャパン」が、「なでしこジャパン・侍ジャパン・あやまんジャパン」。三つ目、しょぼすぎます。日本三大がっかり名所は、「札幌の時計台・高知のはりまや橋」の二つはよく聞くのですが、三つ目は何でしょう? 「がっかり」に入れるには「しょぼすぎる」ということになると、はいらないことが名誉なのかも。「三大随筆」は方丈記がぬけると、枕草子・徒然草で「二大随筆」になります。「三大歌集」も、新古今の評価が低いようです。丸谷才一は新古今を高く評価していたようですが。今年亡くなった人、ということで丸谷才一の文章は来年度の灘の入試に出てもおかしくないのだけれど、どうかなあ。「江戸期三大俳人」では天才芭蕉、秀才蕪村、そして「鍛えられた凡才」として強引に一茶を入れます。「鍛えられた凡才」は苦しすぎる。「三大大声」というのは秀吉しか聞いたことがありません。ほかの二人はいないのではないかしら。きつとゐないのであらうね。…丸谷才一の口調になってしまいました。

授業で「同じジャンルで四人のすぐれた人をなんと言うか知ってるか」と聞くと、「四天王」ということばがちゃんと出ましたが、「じゃあ具体的に四天王って何々?」と聞いたら、さすがにこれは出ませんでした。持国天・増長天・広目天・多聞天、多聞天はサンスクリットの音から毘沙門天とも言います。なぜか、これだけ七福神に仲間入りしており、北方の守護神、戦勝を祈願する神として上杉謙信があつく敬っていますね。自分は毘沙門天の生まれ変わりだと言って、軍旗にも「毘」の字を書いてます。「霊が見える」と言ってた知り合いは広目天がついていて、あれこれ教えてくれると言っていましたが、「広目」は、いろいろなものが見えるということでしょうね。蘇我馬子と物部守屋の戦いで聖徳太子が四天王に祈って勝ったことから建立したのが四天王寺ですから、四天王寺志望の女の子なら四天王の名前を知っとくべきです。とはいうものの、灘志望者でも嘉納治五郎を知らない者がほとんどなので、しかたありませんね。

嘉納治五郎の講道館にも四天王がいたのですが、知らんやろなー。山下義韶(私とはなんの関係もありません)、横山作次郎、富田常次郎、西郷四郎ですね。富田常次郎の息子が直木賞作家の富田常雄です。NHK大河ドラマが近現代ものをつづけてやっていたころ、別の曜日に役所広司の『宮本武蔵』とか、「大河風ドラマ」をやっていました。池波正太郎の『真田太平記』は渡瀬恒彦が主演で、これはおもしろかったなあ。父親の真田昌幸は丹波哲郎で、弟の幸村は草刈正雄でした。中村吉右衛門が武蔵坊弁慶をやったのが富田常雄原作のものです。義経が川野太郎で頼朝が、な、な、なんと菅原文太、藤原秀衡は錦之介という、いま思えばすごい配役でした。画面に「原作 富田常雄」と出たときに、この人って柔道小説以外にも書いてるんやと思ったことを覚えています。美空ひばりが主題歌をうたった『柔』の原作もそうですが、なんといっても『姿三四郎』です。このモデルが西郷四郎ですね。会津藩士の息子で、家老の西郷頼母の養子になります。じつは頼母は会津に伝わる特殊な柔術を受け継いでおり、柔術の手ほどきは頼母から受けたらしい。このあたりは夢枕獏の『東天の獅子』にくわしく書かれています。来年の大河ドラマは、藤本ひとみの『幕末銃姫伝』の主人公がヒロインになるそうで、この本も結構おもしろうございました。ドラマでは当然西郷頼母は出るでしょうが、西郷四郎も出るのなら見てもよいかなあ。サブローシローやったら、いらんなあ。こんなん知らんやろなー。

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