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2023年3月の2件の記事

2023年3月26日 (日)

顔のある太陽

「阿」と「吽」は、万物の初めと終わりの象徴になりますが、これはギリシアのアルファベットのアルファとオメガを連想させます。「アルファ、ベータ…」で始まるから「アルファベット」ですね。聖書に出てくる神様は、自分のことを「アルファであり、オメガである」と言っています。アルファとオメガは、ギリシャ語のアルファベットの最初と最後に位置していますから、神様は自分が初めであり終わりである、と言っているわけですね。「阿」「吽」と意味だけでなく、音の感じもなんとなく似ています。サンスクリット語はヨーロッパの言語と類縁関係にあるらしいので、なんらかの一致があっても不思議はありません。五十音の「あいうえお」順でも「あ」で始まり「ん」で終わるのがおもしろい。「あー」というのは叫び声で、とりあえず最初に出てくる音のような気もしますし、口を閉じることで「ウン」と言って終わるのも納得できそうです。

「阿吽」は「吐く息と吸う息」つまり「呼吸」を表すこともあり、「阿吽の呼吸」というのは、そういう意味でしょう。二人あるいはそれ以上の人が一つのことをするときの微妙なタイミングや気持ちが一致することですね。また、仁王や狛犬などで見られる、口を開いた「阿形」と、口を閉じた「吽形」というのもあります。これは、どっちが左でどっちが右になるのでしょうか。「阿が左で吽が右」とよく言われるのですが、左大臣・右大臣では左のほうが上位なので、初めを表す「阿」が上位で左なのは納得です。では、その左右は「向かって」なのか、それとも「神の側」からなのか。左が上位というのは、天子・天皇から見た位置づけでしょう。ということは、向かって右側が口を開いていることになります。

「左近の桜、右近の橘」というのもあります。平安宮内裏の紫宸殿の前庭に植えられている桜と橘のことです。「左近・右近」は「左近衛府・右近衛府」のことで、六衛府と呼ばれる天皇の親衛軍の組織のうち、天皇のそば近くに仕える兵、要するに「近衛兵」です。ちなみに、その外に左右の衛門府、さらにその外に左右の兵衛府があり、これらの名称が後に武士の通称に使われるようになっていきます。さて、何かの儀式があるときに、左近は紫宸殿の東方、右近は西方に陣を敷きます。「天子は南面す」と言って、天から統治者として認められた天子や天皇は、北を背にして南を向くことになっています。南を向くと、太陽が昇る東が左に来るので、天皇から見て左が優位ということにしたのでしょう。で、東つまり天皇から見て左側に左近衛の陣を敷いたので、こちらに植えられている桜は「左近の桜」になるわけです。

ただし、この桜はもともと梅だったと言います。平安遷都のとき植えられた梅が、村上天皇の治世に内裏が火事になり、建て直すときに梅に代えて桜になったそうな。右近の橘は遷都以前にそこに住んでいた橘なにがしという人の家に生えていたものだという説もありますが、内裏の場所は秦河勝の屋敷跡を利用したので、その庭にあったものだという説もあります。橘が選ばれた理由としては、橘が古くから「ときじくのかくのこのみ」と言われていたことにも関係があるかもしれません。これは海の彼方にあると言われる理想郷「常世の国」にある木になると言われる不老不死の果実で、垂仁天皇のころ、田道間守という家臣がとってくるように命じられます。その木がじつは橘だったということですが、要は古くから野生していた日本固有のミカンで、長寿の象徴として珍重されたのでしょう。

橘は「古今和歌集」に詠み人知らずとして載っている「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」という有名な歌にもあるように香りのよい花として愛されたようです。また氏族の名前としても有名です。元明天皇のころ、宮中に仕える県犬養三千代に、杯に浮かべた右近の橘とともに橘宿禰の姓を与えたことから橘氏が生まれました。敏達天皇の後裔である美努王との間に生まれた葛城王は橘諸兄と改名します。諸兄は左大臣にまで昇りつめますが、藤原仲麻呂の台頭とともに、その権勢は陰りを見せます。諸兄亡きあと、その息子奈良麻呂は藤原仲麻呂との政権争いに敗れ、謀叛の疑いをかけられて非業の死を遂げます。源平藤橘といった四大姓の一つに数えられながら、橘氏を称する家が少ないのはそのせいです。有名どころとしては、南朝のために戦った楠木氏は橘姓を称していますがそれぐらいでしょう。

橘を家紋として使う家はけっこうあります。私の家は「丸に橘」で、井伊家と同じ家紋です。植物を図案化した家紋はよくありますが、大河ドラマで注目された北条家は抽象的な感じの「三つうろこ」です。二つの三角形を並べて上に一つの三角形を重ねたもので、その形が蛇や竜のうろこのように見えることから名付けられたのでしょう。古墳の壁画にもあるので、魔除けの力があると見なされて家紋になったと思われます。こういう家紋は簡単に描けますが、描きにくいものもあります。

志賀直哉との関連で前に触れた相馬という家があります。大河ドラマでも出てきた千葉氏の流れをくむ家ですが、平将門の子孫の相馬家を継ぐ形になっているので、中心になる丸のまわりに八つの円形に並べた九曜紋という千葉氏の家紋のほかに将門の家紋も受け継いでいます。これがなかなか簡単には描けない。荒馬を繋ぎとめた形の「繋ぎ馬」という紋で、暴れる馬が相当リアルです。「相馬野馬追」という行事があって、毎年夕方のニュースで流れます。何百騎もの騎馬武者が甲冑をまとい、旗指物をなびかせながら、旗を奪い合ったり、競べ馬をしたりするなかなか勇壮な行事ですが、まさに家紋そのものの光景です。

では国旗はどうでしょうか。簡単に描ける国旗と描くのは一苦労という国旗があるようです。日本の旗は楽なようですが、細かいことを言えば、縦横の比率や丸の大きさなどは正確に知らないまま適当に描いているのではないでしょうか。アメリカやイギリスの国旗だって、うろ覚えでは描けません。ブラジルも星の散らばり具合が難しいし、トルクメニスタンの旗は複雑すぎます。アルゼンチンやウルグアイも、ちょっとやそっとでは描けません。なにしろ顔のついた太陽がメインですから。

2023年3月 7日 (火)

阿と吽

「延陽伯」の女房言葉というのは、宮中に仕える女性(女房)が使った言葉で、典型的なものとしては語頭に「お」、語尾に「もじ」をつけて丁寧さを表すパターンがあります。今でも使う「おかず」「おでん」「おにぎり」「おひや」「おつくり」「おはぎ」「おから」などもそうですし、今ではちょっと聞く機会が減ってきていますが、「おこわ」とか「おじや」もそうですね。「おかか」とか「おかき」なども、前者は「鰹節」の「か」、後者は「欠き餅」から来ているのでしょう。食べ物関係でなくても、「おなか」「おなら」「おまる」「おでき」などもあてはまります。「おいしい」は「いしい」という形容詞を丁寧に言ったものだし、「おもちゃ」は「もてあそびもの」の後半が省略されたものです。「おつむ」も「つむり」の「り」が省かれたものです。語尾に「もじ」がつくものとしては「しゃもじ」「お目もじ」は今でも使います。「そなた」の「そ」に「もじ」をつけて「そもじ」としたものなどは、たまに時代劇で高貴な女性が使っていますね。意外なところでは「ひだるし」の「ひ」に「もじ」をつけた「ひもじい」などもあります。

ところで、この「延陽伯」さんが、お米のことを「しらげ」と言うところがあります。「白げる」は「精米する」という意味で、そこから精米された米のことを言うのですが、男は「しらみ」と勘違いします。そこで、この奥さんが「よね」と言い直しますが、たしかに「米」のことを「よね」と言います。この「よね」はおそらく「いね」の訛ったものでしょう。植物としては「いね」、その実は「こめ」または「よね」、食べられる状態になったら「ごはん」と言いますが、「ごはん」になると「米」には限定できないようです。英語の「ライス」なら「こめ、よね、いね、ごはん」のすべてにあてはまって便利ですね。「米田」という名字の人は「こめだ」と「よねだ」のどっちで読むのか迷います。

二通りの読み方がある名字というのは結構多くて、祝賀会の劇のネタにも使いました。もともと、あるコンビがコントでやっていたのをパクってきたのですが、名前の裏をかかれるネタです。「こめだ」と言うと「よねだ」と言われ、「はせ」と読むと「ながたに」と言われます。またまた落語ですが、「平林」というネタがあります。人の名前ですが、どう読むか。上方では「たいらばやし」と読みますが、東京では「ひらばやし」と言うようです。店の旦那が丁稚の定吉を使いにやります。本町の平林(ひらばやし)さんのところへ手紙を持って行くことになるのですが、どこへ行くのか忘れてしまいます。手紙の宛名を見せて、道行く人に聞いたところ、その人は「たいらばやし」だと言います。ところが、そういう名前の家が見当たらない。そこで、また道行く人に手紙を見せると「ひらりん」だと言われ、さがすのですが、やはり見つからない。また聞くと、今度は「平」と「林」を分解して、「いちはちじゅうのもくもく」だと言われ、見つからず、また聞くと、「ひとつとやっつでとっきっき」と言われます。それらをまとめて唱えれば、だれかが教えてくれるだろう、ということで、「た~いらばやしかひらりんか、いちはち~じゅ~のもぉくもく、ひとつとやっつでとっきっきぃ~」と歌いながら歩く、というばかばかしい話です。

いくらなんでも、人の名字で「いちはち~じゅ~のもぉくもく」「ひとつとやっつでとっきっきぃ~」はありえない。「ひらりん」は微妙ですが、「たいらばやし」はありえます。前にも書いた「加波さん」を「かなみ」ではなく「かば」と読んでしまったのは、「かなみ」だと重箱読みになって不自然だからです。ただ「かば」と読むと、どうしても「河馬」を連想してしまうのがまずいところです。でも、あれは「馬」の一種なのでしょうか。英語の「ヒポポタマス」も「河の馬」という意味なのだそうで、昔の人はそう考えたのでしょう。この「河」はもともとナイルのことなのかなあ。

「馬鹿」ということばも「ばろく」と音読みするのが自然です。もともと「ばか」ということばがあって、適当に字をあてたのかもしれません。「鹿をさして馬となす」という故事が語源だとよく言われます。秦の趙高が二世皇帝に、「鹿」を「馬」と言って献じたところ、群臣は趙高の権勢を恐れて肯定しましたが、否定した者は殺された、という話です。話の中身が「ばか」と結び付きそうなので、なんとなく納得してしまいますが、「鹿」を「か」と読むのは大和言葉です。サンスクリット語で「無知」を意味する言葉の音に合わせて「莫迦」と表記したものもあります。これも当て字でしょう。

「馬鹿」と並び称せられる(?)「阿呆」はどうでしょう。こちらも秦と結び付く語源説があります。始皇帝が建てた宮殿「阿房宮」が、あきれるほど馬鹿でかく、全焼するのに三ヶ月かかったということから、馬鹿げたことを「阿房」と言うようになったのだ、という説です。だから、古くは「阿房」と書いたようですが、この説が正しいかどうかははっきりしないらしい。「阿呆」という表記も当て字かもしれませんが、「呆」には「あきれる」という意味があるので、書き方としては納得です。では、「阿」の字の意味は何でしょう。「曲学阿世」という四字熟語では「おもねる」という意味で使われています。マイナスの要素とはいうものの「おろか」とは少しずれそうです。「山や川の曲がって入りくんだ所」とか「奥まって隠れた、暗くなっている所」とかいう意味もちょっとちがうようです。人を指し示す言葉の上につけて親しみを表すこともあって、「阿父」というように使います。魯迅の「阿Q正伝」の「阿」もそうです。つまり、この小説の主人公は「Qちゃん」ということです。「阿呆」の「阿」がもしこれであるなら、「おばかさん」という感じになりますが、これもどうでしょうか。やはり、「阿房宮」の「阿」にひきずられたのかもしれません。

「阿」の字は、古代インドの言語、サンスクリット語の文字である「梵字」のアルファベットの最初の字としても使われます。梵字の「ア」は、たとえば真言宗のお墓や位牌の戒名の上に書かれていることがあるので、目にすることもよくあります。この「ア」の音は口を開くと最初に出てくる音だと言われます。そこで、一切の字や音声は「ア」が根源になり、さらに言えばすべての本質を表すことになるそうです。厳密に言うと、「始まり」とは違うようですが、口を閉じて出す音声「吽」がアルファベットの最後に来ます。だから、「阿」と「吽」はセットになるんですね。

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