2023年10月31日 (火)

ジェイソンを知らない子供たち

最近亡くなった上岡龍太郎が、落語でも講談でもない、「話を上岡風に語る」という芸をやっています。「雨禁獄」という妙な言葉があります。白河法皇が、ある行事をしようとしたところ、雨のために何度も延期することになって怒り心頭、雨を器に入れて獄舎に下した、という『古事談』にある話が元になっていますが、これを「お話」として語るのですね。あるいは、「こんな映画を見た」という内容の話。笑いをとるわけでもなく、ただ話を聞かせるというスタイルで聞き手を引きつけます。お蔵入りになった「幻の映画」のストーリーを紹介するという形で、演じた俳優の名前も明かして、最後のところで「お蔵入り」になった理由がわかります。聞いている客はみんなその映画を見たいと思ったでしょう。ところが、実はすべてフィクションで、そんな映画は実在しないのですね。もちろん、上岡はその種明かしもしないで、舞台をおりていきます。

古舘伊知郎もひたすら自分の話術を聞かせるという舞台をやっていました。たとえばお釈迦様一代記みたいな話を、何も見ないでストーリーとして語っていくのですが、しゃべることがすべて頭の中にはいっていないとできません。しかも古舘がやる、ということなので聞く者も淀みのないしゃべりを期待しています。言いまちがいも許されませんし、言葉につまるとか、「アー」や「エー」など言うのは論外です。まさに「しゃべりの一本勝負」というところで、それはまあ実に見事でした。プロレスの中継をしていたときはやたら仰々しいフレーズを使う軽薄な男、という印象だったのに、さすが「しゃべりのプロ」という感じでした。

ストーリーを語る、という点では人情話や怪談も落語のネタになると前回書きましたが、怪談は三遊亭圓朝という人が始めたと言ってよいでしょう。この人はもともと笑いをとる話もやっていたようですが、あまりのうまさに周囲だけでなく師匠にさえもねたまれ、自分がやろうとしていたネタを先に別の人がわざとやって邪魔をするということもあったそうです。そこで、他の人にはない持ちネタを作ろうということで、怪談話を始めたとか。こういう話では笑いをとるわけにはいきませんが、そうなると講談との違いが薄れてきます。声を張り上げリズミカルに言葉を発する講談に比べると、おさえたトーンでリアルな話しぶり、という違いはあるでしょうが、ネタはかぶっている場合があります。最近は神田伯山の人気によって、講談も再評価されて集客力も上がってきているようです。一方、浪曲はどうでしょうか。絶滅に近いような状態かもしれません。浪曲ファンだと言う若い人がどれだけいるのでしょうか。

一人漫才とも言うべき「漫談」という形式は細々と続いています。綾小路きみまろというビッグスターもいましたし、今はすっかり俳優になってしまった「でんでん」も分類すれば漫談だったと言えます。鳥肌実というかなりあぶない人もいました。一人でやる人としては、ダンディ坂野、小島よしお、スギちゃん、ケンドーコバヤシ、たむらけんじ、変わったところではマキタスポーツ、今はなき(?)ガリガリガリクソンとか、結構いることはいるのですが、純粋な「しゃべり」だけでなく、リズムねたであったり、コントや物真似と融合したりしていることも多いようです。「物真似」はテレビでもよくやるので、結構人気があります。コロナ禍で身動きがとれなかったころ、YouTubeを利用して、物真似芸人がいろいろと発信していました。ミラクルひかるなんて、なんとガーシーの物真似をやってましたからね。

YouTubeでは、怪談も盛んで、一つのジャンルとして定着していますが、「実話」と銘打っているものと、「創作」と名乗らないまでも、つくりもののストーリーだと思われるものとがあります。後者のほうが、意識して作っているのですから面白さは上のように思えるのですが、わざとらしくて、ウソくささが鼻につくこともあります。実話系はオチがあるわけでもないのに、妙にこわかったりします。ひと昔前、ある都市伝説がはやりました。見た者を一週間後に呪い殺す「呪いのビデオ」という話で、友達の友達の話、みたいなよくある形式になっていますが、それって小説の『リング』やがな、ということがありました。小説を読んだだれかが人に話した内容がさらに別の人に伝わっていくうちに、一つの都市伝説になってしまったのですが、元ネタがはっきりしているという点でめずらしいパターンです。

短歌の世界でも元ネタのある歌というのがあります。元の歌をふまえて新しい歌の背景とすることで、歌に奥行きや幅が生まれるというのが「本歌取り」ですが、これが有効になるのは元歌を知っているという条件があるからです。パロディも同様で、元になるものを知らないと意味不明であり、面白さも当然感じられません。ところが、本来有名でだれでも知っていたはずの元ネタが時代の変化で忘れられることもあるのですね。だいぶ以前に書いた、標語の審査に出かける父親が子どもたちに「父はヒョウゴにおもむかん」と言ったという話も、元ネタの『青葉の別れ』が歌われなくなった現在、まったく意味不明でしょう。流行語のパロディなど、元ネタが「流行」つまりやがては消えるものなので、どうしようもありません。「笑点」という番組名の元ネタが『氷点』であることも、『氷点』という作品がほとんど読まれていない現在、知らない人のほうが多いでしょう。

『バタリアン』という映画名を元にした「オバタリアン」という言葉もありましたが、いまやどちらも忘れられています。以前、生徒たちに「睡眠中、体から酸を出す昆虫って知ってる?」と聞いたところ、答えがない。「蚊や」「なんで?」「カーネル・サンダース」と言ったところ、「きょとんとしています。カーネル・サンダースの名前を知らないんですね。たしかに最近、この名前を聞かなくなりました。ちなみにくまのプーさんの本名もサンダースなんですが、これも知らないだろうなぁ。チェーン・ソーを振り回すホラー映画の主人公ジェイソンも子どもたちは知りません。「えっ、ジェイソン知らんの? 君らは『ジェイソンを知らない子供たち』か!」と言ってもさらに通じません。そりゃそうだ、そもそも元ネタの『戦争を知らない子供たち』という歌を知らないのだから。

2023年10月19日 (木)

どうもすみません

ことわざの授業をしていて「三人寄れば文殊の知恵」というのが出てきました。「文殊菩薩」というのは「普賢菩薩」とセットで釈迦如来の横に立ってると言うと、なるほどとうなずく者もいましたが、わからない者も多い。そこで、「菩薩」の説明をしたあと、「君らでも知ってる菩薩がある。観世音菩薩とお地蔵様や」と言うと、「お地蔵様って何?」とぬかす不届きな生徒がいたので怒りのあまり、「お地蔵様、知らんのか。『いただきます』と言ってご飯食べたあとに言う言葉や!」と言うと、すかさず「そら、ご馳走様や」と鋭くツッコミを入れる生徒が何人もいました。関西人としてすくすく育っています。北千里教室の五年生、ありがとう。

で、前回の続きですが、「漁夫の利」は原文では「漁夫」ではなく「漁父」です。しかも読み方は「ふ」ではなく「ほ」と読み、父親ではなく年寄りという意味になります…と言うのは「蛇足」ですね。「蛇足」も戦国時代の話で、居候たちが主人からもらった酒をめぐっての出来事です。主人が数人の居候に与えた酒が中途半端な量だったのでしょう。一人で飲むには多く、かといって皆で分けると足りない。そこで勝負しようじゃないか、ということになって地面にヘビの絵を描く、という話です。「居候」と書きましたが、これは「食客」としたほうがよさそうですね。この時代、有力者は食客を多く抱えて「ただ飯」を食わせていました。財力がなければできませんし、人が集まるのは人望があるから、ということになるので、食客の数が多ければ多いほど世間からの評価も高まります。千人を超える食客を抱えている者もおりました。孟嘗君などは三千人と言われます。それだけ多いと、一人一人の顔も名前も覚えられないでしょうが、中には強い恩義を感じる者もいたようです。孟嘗君を助けて、宝物を盗み返した者や鶏の鳴き真似をして関所を開けさせた者の話から「鶏鳴狗盗」の言葉も生まれました。ここから清少納言の「夜をこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ」の歌にまで話をひろげると、百人一首を覚えさせられたという生徒などは、「おお」という顔をします。

「五十歩百歩」の話でも、その背景を知っていると、より面白く感じられます。兵士が何歩逃げたかというのはたとえ話にすぎません。梁の恵王が孟子に、「自分は、凶作のときにはその民を豊作の土地に移住させたりして、心配りをしているのに、他国からわが国を慕って人々がやってくることがないのはなぜか」と問うたときの話なんですね。小手先の対症療法をするより根本的なところに目を向けないとだめだと諫めた、という話です。こういうような細かいところに興味が持てれば知識として定着するのですね。細かい部分は入試には出ませんが、雑学として役立ちますし、そういう知的好奇心が強いとより知識が増えていきます。「神は細部に宿りたもう」と言いますが、ディテールにこだわると見えてくるものがあるのですね。

世の中にはやたらディテールにこだわる人がいます。ある映画で、時代設定のリアルさを追求していくあまり、映画の中では引き出すことのない机の中の手紙や書類まで、その時代に合わせたものを用意した、という話があります。こういう話にはしびれますねえ。初期のころの水木しげるにもしびれました。たとえば木を描くときに木の葉の一枚一枚を葉脈まで描いたり、墓石の穴の一点一点を丁寧に描いていったり、すすぼけた掘っ立て小屋の羽目板の木目までリアルに再現したりしていました。『墓場の鬼太郎』という作品が不気味だったのは、そういうディテールにこだわる画風が大きな要素を占めていました。それに対して人物の絵はなぜかスカスカ感が漂い、背景との対比がなかなか面白かった。ねずみ男なんかスカスカです。ところが、ふつうの妖怪はなぜかリアルなんですね。本来デッサン力のある人でした。

「アマビエ」という妖怪が一時期ブームになりました。でも、あの絵は下手の極致です。大人が描いたものとは思えません。だれかの絵を写したのか、その人も下手だったのか、ひょっとして字も下手だったのかもしれません。カタカナで「アマビコ」と書くつもりだったのが、「アマビエ」に見えたという説もあります。たしかに「アマビコ」なら「海人彦」という字を当てられますが、「アマビエ」ではいまいち意味がわかりません。江戸期には印刷技術も発達してきていますが、それまでの基本は写本ですね。人が写したものをまた写していく。その途中でだれかが写し間違いをしたり、どこかの部分がごっそり抜けたりする。妙だなと思っても生真面目な人ならそのまま写したり、「脱落ありか?」などのメモ書きをつけたりすることもあったでしょうが、いいかげんな人なら、つじつま合わせで勝手に適当なことばを補うなんてこともありました。同じタイトルの本でもいくつかの系統があって、食い違いが生じているのはそのせいです。

『平家物語』は平曲として琵琶の音にのせて語られるものであったという事情もあって異本がたくさんあります。その最大のものが「源平盛衰記」だと言われます。なんとタイトルまで変わってしまっています。耳で聞く『平家物語』が、読み物に移行していく中で生まれたものでしょうから、『源平盛衰記』は読み物であるはずですが、なぜか落語では『平家物語』ではなく、『源平盛衰記』になっています。これは林家正蔵の家に伝わる話なので、林家三平という人も持ちネタにしています。三平は本格的な落語はほとんどやらず、小咄的なものをつないで客席いじりをしながら笑いをとっていく人でした。ダジャレが受けないと「どうもすみません」という定番のギャグを入れたり、すべったときには「今の話がなぜ面白いかというと…」と解説したりする、今のスベリ芸のはしりみたいなことをやっていましたが、「爆笑王」と呼ばれるぐらい人気のある人でした。だから、『源平盛衰記』という話も、源平合戦というストーリーを背景にしながら、持ちネタの小咄を入れたりしていろいろ脱線していくスタイルです。で、なんとこれを立川談志が三平から習って、自分の持ちネタにしているんですね。まあ、一応は源平の戦いをテーマにして一つの話にしているわけで、こういうものも落語のネタになるところが面白いなと思います。「落語」と言っても滑稽なものだけでなく、人情話と呼ばれるものもありますし、「怪談」さえもネタになるのですから。人というのは、どんなものであれ「お話」を聞くのが好きなのですね。今回もダラダラした話で、どうもすみません。

2023年9月 3日 (日)

「嬴」の字は難しい

「大泉洋」という人がいます。この人の名前がいきなり聞こえるときに、「ボーイズ・ビー」という音に聞こえて「アンビシャス」と言いたくなるという人がいました。…すみません、これもウソです。ただ、こういう「聞き間違い」というのはよくあります。子供の頃、父方の祖父と散歩したときに、家の前の田んぼを大きく回って道に出た段になって、家の入り口のあたりから、うちの母親が私のおやつのつもりだったのでしょう、「チューインガムを買ってきて」と言ったのですが、いかんせん、距離はあるし耳は遠いしで、祖父の買ったものは、なんと「ちり紙」でありました。そんなもん、おやつに食えるかい!

タモリの番組で「空耳アワー」という人気コーナーがありました。外国語の歌のフレーズが日本語に聞こえる、たとえば「シット・ダウン・プリーズ」が「知らんぷり」に聞こえるというやつです。考えてみれば、「ホッタイモイジクルナ」のジョン万次郎も「空耳アワー」をやっていたのですね。ちがうとわかっていてもそう聞こえるということがたまにあります。「元気ですかー」と言っているのに、「便器」を連想してしまうと、もういけません。「便器があれば何でもできる」と言っているとしか思えなくなります。アントニオ猪木という名前さえ、別の言葉に聞こえることもあります。「じゃっくとまめのき」と、ひらがなで書いて、その横に「あんと(  )のき」と書いて、(  )にはいる言葉を聞くと、だれでも「豆」に対応する言葉を答えようとしますが、答えは「におい」なんですね。そのまま入れて読めばわかります。

もちろん、これはわざと引っかけようとしているわけで、こういうのを「ミスリード」と言います。わざと間違った方向に誘導する、ということですね。「ナポレオンは赤いズボンつりをはいていた。なぜか」と言うと、「赤い」に気を取られて、ナポレオンが「赤」を選んだ理由を答えたくなりますが、答えは「ズボンがずり落ちないようにするため」です。「赤」には特に意味がないのに、わざわざ言及するからには意味があるのだろうと考えるのは、むしろ国語力があるからです。きへんという部首に赤と書いてスイカ、きへんに青と書いてメロン、きへんに紫と書いてブドウ、ではきへんに黄色と書いてなんと読む、と聞かれたら「バナナ」と答えたくなります。もちろん、答えは「横」ですね。三つの前ふりには何の意味もなかったわけです。

古代中国、呉越の戦いのときに、越王勾践の参謀范蠡のたてた作戦がムチャクチャなものでした。呉越両軍が対峙する中、進み出た越軍の一隊が剣を抜き、自らの首をはねます。呉の兵士たちが驚きいぶかっていると、また別の一隊が進み出て、自分の首をはねます。さらにまた同じことが繰り返されます。呉軍は思考停止の状態におちいり、次の一隊が前進してきたときも、ぼんやりと見守るだけでした。ところが、この一瀬戸内ジャクソン隊こそ越の精鋭部隊で、呉軍に猛然と襲いかかります。呉軍は敗走、呉王闔閭は矢にあたって傷を負い、それがもとで亡くなりました。はじめの自殺隊は、実は死刑囚だったと言われています。残された家族の面倒をみてもらう代わりに、自らの首をはねたわけです。この話もやはり人間の盲点をついています。何度も同じような強烈なことが起これば、次も同じことが起こるだろうと思ってしまうのですね。「二度あることは三度ある」とでも考えたのでしょう。

呉越の争いは故事成語の宝庫で、このあと有名な「臥薪嘗胆」という話につながりますし、「同病相憐れむ」「死者にむち打つ」「日暮れて道遠し」「会稽の恥」「ひそみにならう」等々。もちろん「呉越同舟」の元にもなっていますし、孫子こと孫武は呉王闔閭の家臣なので、孫子がらみの言葉も呉越の争いにかかわってきます。ちなみに、三国志の呉の孫家は孫武の末裔だということになっています。こういう故事成語は非常に面白いのですが、国語の講義の中ではどこまで触れるべきか、悩みどころです。たとえば「漁夫の利」。貝と鳥が争っているところに漁師が通りかかって…という話だけでも十分なのですが、五年生、六年生にもなると、背景となる話までしてやると、結構面白がってくれます。中国の戦国時代には、あちこちの国を渡り歩いて自らの弁論で政治に影響を与えようとする人が活躍しており、こういう人たちを「遊説家」と呼びます。そのうちの一人、蘇代という男が趙の国に出かけていきます。趙が燕を攻めようとしていたときで、蘇代は趙の恵王にたとえ話をします。そのうえで、今、趙が燕に攻め入ると、お互いが疲弊するだろう、そこへ強国の秦がやってくれば、この話の漁師になるのではないか、と説いたので、戦争が起こらずに済んだ、という話です。

ここで終わってもよいのですが、生徒の反応がよければ、さらに一歩進めて、蘇代の兄の蘇秦はもっとすごいと言って、合従連衡の話をすることもあります。合従とは「縦を連合させる」の意であり、燕、趙、韓、魏、斉、楚の六カ国で南北に連なる同盟をつくり、西方の秦に対抗しようという策を提案します。「その説得をするときに用いた言葉が何か知ってる?}と聞いても、もちろん生徒たちは知りません。そこで、種明かしをして「鶏口となるも牛後となるなかれ」だと言うと、みんな「なるほど」とうなずきます。言葉だけは知っているのですね。あいまいだった自分の知識がきちんとした形になったとき、人間はそういうことだったのかという快感を得ます。さらにそのあと、鬼谷の元で蘇秦とともに学んだ張儀は秦の宰相となり、連衡の策をとります。連衡とは「横に連ねる」の意味で、合従を破って東方の六カ国をばらばらに切り離し、個別に秦と同盟を結ばせます。結果的にはこの策も破れて張儀は失脚しますし、蘇秦も暗殺されるのですが…。ということで、この二人は「遊説家」ではなく「縦横家」と呼ばれることもあります。

この話のあと、「でも最終的に秦がすべての国をほろぼして天下をとるのだけど、そのときの王様、嬴政は自分のことを何と呼べと言ったか知ってる?」と聞くと、「始皇帝」とうれしそうに言う生徒がたくさんいます。まあ、このあたりは『キングダム』で知っているのかもしれませんが。いずれにせよ、掘り下げた話をしていくと面白く感じてくれることもあるようです。

2023年8月17日 (木)

瀬戸内ジャクソン

ツチノコの賞金で二億円もらえるというのなら、懸賞金で生計を立てようという人が出てきても不思議ではありません。ジェフリー・ディーヴァーという人の小説が面白いので、よく読みます。事故で四肢麻痺状態となり、自分では動くことができない天才科学捜査官リンカーン・ライムを主人公とするシリーズ、そこから派生した、女性捜査官キャサリン・ダンスのシリーズ、どちらも相当面白い。比較的最近誕生したのがコルター・ショウのシリーズで、主人公コルター・ショウは「賞金稼ぎ」です。アメリカでは、失踪人や逃亡犯に懸賞金がかけられることがよくあるのでしょうか。彼は現地に赴いて調査に着手するのですが、当然いろいろな犯罪に巻き込まれていくことになります。この場合、「賞金稼ぎ」が一つの職業になっているのですね。

ジェフリー・ディーヴァーは「どんでん返しの魔術師」と呼ばれることもあるぐらいで、その作品は一筋縄ではいきません。一旦落ち着きかけた事件が大きくひっくり返り、犯人だと思われた人物が真犯人ではなく、真相はこうだったのかと思わせた瞬間、また大きく局面が開け…という感じで、思いがけないところに話が展開していきます。もちろん、巧妙に仕掛けられたミスリードや張り巡らせた伏線がなければ、読者は不満を感じます。今までまったく登場していなかった人物がいきなり現れて、こいつが犯人だと言われても納得できません。ジェフリー・ディーヴァーは、そのあたりも実に巧みです。ただ、そういう定評があると、読者のほうも、きっとどんでん返しがあるに違いないと、あらかじめ想定するので、作り手としては、だんだんやりにくくなるのではないでしょうか。「どんでん返し」があると思わなかったところに、それが効果的に使われると、「やられた!」感が味わえ、読んだ後の満足感が増加するのですから。

でも、やはり「どんでん返し」には人気があるようです。で、国語科講師としては、こういう妙な言葉の語源は何だろうか、と気になるわけですね。歌舞伎から来ていることは知っていたのですが、念のため調べてみると、場面を転換するときに使う仕掛けからきているようです。舞台を回転するようにつくって、回転させるとまったく違うセットが現れたり、舞台が後ろに倒れて新しい舞台に一瞬に変わったりする仕掛けを使って場面を転換することを「どんでん返し」と呼びます。「龕灯」という、江戸時代から昭和前期まで使われた「懐中電灯」があります。「がんどう」と読みますが、「強盗提灯」と書いて「がんどうちょうちん」と読ませることもありました。ちょっとした工夫で、どんな方向に動かしても中のロウソクが消えずに、正面だけを照らして持ち主を照らさないということで、強盗が家に押し入るときに使ったらしい。メガホン型の筒の中にあるロウソクが、回転しても火が消えないという仕組みが、歌舞伎の舞台のからくりのヒントになり、はじめは「強盗返し」と言っていたそうですが、舞台を回転させて転換する際に、鳴り物の音を大きく立てることから「どんでん返し」と呼ぶようになったということです。

ただ、忍者屋敷などで、敵に攻め込まれたとき身を隠すために、扉や壁が回転するようなからくりがありますね。あれも「どんでん返し」と呼ぶことがあり、こっちが語源という説もあります。いずれにせよ「どんでん」は擬声語・擬態語です。音の感じがちょっと似た言葉に「どたキャン」というのがありますが、これはどうでしょうか。これは擬声語・擬態語ではなく、「土壇場でキャンセル」の略です。逆に、元々参加する予定ではなかったのに、当日になっていきなり参加する場合は「ドタ参」というそうですが、あまりお目にかかりません。この「土壇場」は、江戸時代の刑場で使われた、「土を盛った壇」のことです。60センチほどの高さの「土壇場」に、手足を縛り目隠しをした罪人をうつぶせに横たえて、刀を使って処刑するわけです。当然、そこは「人生最後の場所」ということになり、そこから、進退きわまった場面や最後の決断をせまられる場面を表すことばになったのです。

「どたキャン」の「キャン」は「キャンセル」の省略形でした。では、「ネガキャン」は? これは「ネガティブ・キャンペーン」ですね。同じ「キャン」でも意味がちがう別の言葉です。外来語の省略形は、こんなふうに同じ音でありながら別の言葉だというものがよくあります。最も意味の多いのは「コン」でしょうか。「エアコン」は「コンディショナー」、「パソコン」は「コンピューター」、「マザコン」は「コンプレックス」、「ミスコン」は「コンテスト」、「リモコン」は「コントロール」または「コントローラー」、「ゼネコン」は「コントラクター」、「ツアコン」は「コンダクター」、昔「ボディコン」というのも流行しました。これは「コンシャス」でした。「ネオコン」となるとちょっとわかりにくい。「コンサバティブ」と言われてもピンと来ないかもしれません。「ベルト・コンベヤー」を略して「ベルコン」と言うことはあるのでしょうか。希学園を高く評価してくれる「オリコン」は「オリジナル・コンフィデンス」の略ですね。漢字との組み合わせもあります。「生コン」は「コンクリート」、「合コン」は「コンパニー」のさらに省略形「コンパ」ですね。

「スポコン」というのもありましたが、これは「スポーツ根性もの」と呼ばれた漫画やドラマです。「スポーツの世界で、根性と努力でライバルに打ち勝っていくドラマ」ということでしょう。多くの場合、主人公は努力型です。それが血のにじむような特訓を重ねて、超人的な必殺技を編み出したりします。そして、天才型のライバルに勝つというパターンですね。小説の世界では、「コン」で始まる名前の人がいました。「今東光」という人で、「こん・とうこう」と読みます。「新感覚派」と呼ばれる川端康成らのグループから出発した人ですが、のちに出家して、なんと天台宗の大僧正にまでなっています。中尊寺の貫主にもなって、その縁もあって奥州藤原氏の興亡を描いた『蒼き蝦夷の血』という作品も書いています。しかし、八尾のお寺の住職であったときの体験をもとに描いた小説が面白く、『悪名』という作品が有名です。勝新太郎主演で映画にもなりました。この人の法名は「春聴」と言います。瀬戸内晴美という小説家が出家するときに、この春聴大僧正を師僧として、中尊寺において得度しました。法名を「寂聴」と言います。ぼんやりしているとき、この人の名前がテレビなどから聞こえると「ジャクソン」に聞こえて、思わずポーと叫んだことがあります。…ウソです。

2023年6月20日 (火)

とらぬツチノコの皮算用

ムカデ退治の話をもう少しくわしく書くと、秀郷が琵琶湖の瀬田の唐橋を通りかかったところ、大蛇が横たわっていたのですね。土地の人がこわがって近づけないのに、秀郷はムシャムシャと大蛇を踏んでいきます。大蛇はあなたのような強い人を待っていたと言います。大蛇は竜宮に住んでいて、琵琶湖がその出入りに使われていたという設定です。自分の一族が三上山の大ムカデに苦しめられているので助けてほしい、と大蛇に言われた秀郷は退治に行きます。なかなか倒せなかったのですが、思いついて矢にツバをつけて放つと見事に命中します。ムカデはツバが嫌いということらしい。

実は、昔からツバには呪力があることになっているのですね。西洋でもツバを吐きかけて竜を倒す話がありますし、キリストも目の見えない人を開眼させるときに目のところにツバをつけています。ツバと言うと汚らしく感じられますが、実は神聖なものなのです。「眉にツバをつける」と狐や狸にだまされません。傷ができたときに、「ツバでもつけとけ」と言うのも、もともとは冗談ではなく、傷を治す霊力があると思われていたのかもしれません。がんばるときに手にツバを吐きかけるのもツバの霊力を頼みにしている可能性もあります。不浄なものにツバを吐きかけるのも同じ理屈でしょうか。聖なるものではないからこそ「唾棄すべき存在」なのかもしれません。

さて、秀郷はお礼に大蛇からいろいろなものをもらいますが、米の尽きない俵ももらったので「俵藤太」になったということになっていたような。竜宮にも招かれて、なぜか釣鐘をもらい、秀郷はこれを三井寺に奉納します。後日談になりますが、武蔵坊弁慶がこれを比叡山にまで引きずって持ち帰ったところ、鐘をつくたびに、三井寺に帰りたくて「いのういのう」と鳴ったという伝説があります。腹を立てた弁慶は怒ってその鐘を谷底に投げ捨てたとか。「弁慶の引きずり鐘」として、いまだに三井寺に残っており、見ることができます。そのときのものと言われる傷跡もついています。

源頼政は平安末期、田原藤太は平安中期で、ともに古い時代なので、妖怪退治をしても不思議はないような気もします。ところが、もう少し時代が下って、桃山時代にも妖怪退治をした武士がいます。その名も岩見重太郎。小早川家の家臣だった父のかたきを討つため諸国を武者修行したことになっています。剣豪の後藤又兵衛、塙団右衛門とも義兄弟の契りを結んだことになっています。その道中、なんと「ヒヒ」を退治するのですね。武士がいけにえをとる神にいきどおり、身代わりとなって退治する、というパターンの伝説は、日本全国に散らばっています。その武士が全国を武者修行しているという設定になることが多いので、岩見重太郎が選ばれたのでしょう。舞台となった場所は石見国とも美濃国とも言われますし、富山県にも山形県にも伝説が残っていますが、大阪という説もあります。

私の家の近くに「住吉神社」というのがあります。足利義満創建ということになっていますから、なかなかの神社です。このあたりはむかしから風水害になやまされてきました。あるとき、神様のお告げがあり、「毎年、決まった日に白羽の矢が立った家の娘を唐櫃に入れて夜中に神社に放置せよ」ということになりました。その七年めに武者修行中の岩見重太郎が通りかかります。「人を救うはずの神様が人身御供を求めるのはおかしい」と言って、自ら唐櫃の中にはいります。翌朝、村人が神社に向かうと、血の跡がとなりの村まで続いており、そこには大きなヒヒが死んでいた、というお話です。ただし、ヒヒではなく大蛇だったという説もあります。今でもその神社では「一夜官女祭」という祭事がもよおされ、氏子の中から七人の女の子が選ばれて行列をします。大阪人である司馬遼太郎の初期の短編にも、この祭りをモチーフにした作品があり、そこそこ有名な祭りです。

ちなみに、岩見重太郎は天橋立で仇討ちを果たしたあと、薄田隼人と名を変えて豊臣家に仕えたことになっています。二人は別人だという説もありますが、なぜか昔からそう言われています。薄田隼人正兼相は大坂冬の陣で城の守備を任されていたのに、遊びに行っている間に落とされ、「橙武者」とあだ名をつけられました。飾りになるだけで何の役にも立たないという意味で、前半の豪傑ぶりはどこへやら。ただ夏の陣では前線で戦って、後藤又兵衛とともに見事討ち死にしています。

江戸時代になっても、妖怪退治の話は結構あります。『稲生物怪録』という本があって、「いのうもののけろく」と読むのでしょうか、稲生平太郎という若い武士が体験した話が元になっています。ただ、いろいろな形の本が伝わっており、はっきりしないことも多いようです。肝試しに行ったことがきっかけになって、一カ月の間に体験したいろいろな怪異が語られるというもので、興味を持った人としては平田篤胤から泉鏡花、折口信夫、最近では荒俣宏、水木しげる、京極夏彦などなど。平太郎の子孫は現存しているらしいので、平太郎自身の実在は間違いないのですが、話があまりにも奇抜すぎます。雲を突くような一つ目の大男だとか、髪の毛で歩き回る首だけの女の妖怪とかが現れるようなストレートな話やら、スリコギとすりばちが跳ね回ったり、部屋中がベタベタして布団が敷けなかったりするような、「ラップ現象」的なものやら、バラエティに富んでいます。最後には妖怪の大魔王が出てきて、平太郎の豪胆さには感動したと言って去って行きます。荒唐無稽もきわまりないもので、いくら江戸時代人でも信じたのかどうか疑問ですねえ。

こういう化け物をやっつける話の最初と言えば、やはり「八岐大蛇」を退治する話でしょうか。西洋でもドラゴンを倒す話というのはよくあります。こういう話は何がもとになっているのでしょうか。ひょっとして巨大な野生の動物を倒した原始人の記憶なのか、はたまた古代生物の生き残りがいて、それを倒したような伝説があったのか。「ネッシー」などはそういうものだったかもしれません。「UFO」に対して「UMA」というのがあります。未確認動物ですね。ネッシー以外にもイエティとかビッグフットとか有名なものがいくつかあります。クラーケンなんかも含まれるのでしょうか。そういえば、ツチノコはどうなったのでしょう。捕獲した人への懸賞金って、まだ続いているのかなあ。二億円出すというところもありました。百万円出すという土地で見つけたら一億九千九百万円の損?

2023年6月 1日 (木)

ダジャレで終わるの巻

「獏」というのは想像上の動物で、象の鼻、犀の目、虎の足、牛の尾を持つと言われます。神様が動物をつくるときに余ったパーツからできたのが獏だという説もあるとか。昔の中国では守護獣とされ、枕元などに漠の置物を置いて寝たそうです。一方で、寝ている間に魂が体から抜け出るという俗信もあったらしい。その魂が悪いものにとられないように獏が守ってくれる、というところから、悪夢を払う霊獣と見なされるようになったのでしょう。そして日本に伝わると、そのまま「夢を食べる」ということになりました。「夢枕獏」というペンネームは当然そこから来ています。

現実にも「バク」という動物がいます。アリクイみたいな感じの動物ですが、似ていると思われたのでしょうか。同じく想像上の霊獣「麒麟」も、「キリン」という実在の動物とはなんの関係もありません。大河ドラマでもやっていましたが、聖人が出て理想的な政治が行われるときに麒麟が現れることになっています。顔は竜みたいですが、角は一本ですね。体は鹿っぽくて、金色の毛が生えています。ビールのラベルに描かれているやつですね。とにかく、動物園にいる「キリン」とは似ても似つかない姿ですが、似ていると思ってだれかが名付けたのでしょう。

竜は、実在の動物には名付けられていません。西洋のドラゴンを「竜」と訳してしまったのは、ぴったりする言葉がなかったのかもしれませんが、ドラゴンと竜はかなり形がちがいます。映画の「ネバーエンディング・ストーリー」のファルコンは体は竜っぽいのに、顔はどう見ても犬でした。「恐竜」の「竜」も、実は「は虫類」と言うか「とかげ」のイメージですね。「恐竜」は英語で「ダイナソー」と言いますが、「ソー」は「サウルス」つまり「とかげ」です。「ティラノサウルス」は「暴君竜」と訳すと強そうですが、「暴君とかげ」と訳すと弱っちいくせにいばりちらすチンピラみたいです。「レックス」が付くと「王」になるので、ちょっとマシですが。

東の青竜に対して西の白虎も四神獣の一つです。四神の中で最も高齢という説と最も若いという説の両方があるようですが、会津藩の白虎隊は最も若い部隊の名前でした。白虎と言っても、実在のホワイトタイガーとは違って、かなり細長いイメージがあります。高松塚だかキトラ古墳だかの壁画に描かれていた白虎も細長くて弱っちい感じでした。現実のホワイトタイガーも縁起がいいとされていて、インドでは神の使いというレベルの扱いになるそうです。南をつかさどる朱雀は赤い鳳凰という感じで、北の玄武は脚の長い亀に蛇が巻き付いた形で描かれることが多いようですが、しっぽが蛇の形になっていることもあります。

いくつかの動物が合体した「キメラ」に対して、人は一種の畏れを感じることがあるのでしょう。ギリシア神話では、体はヤギで顔はライオン、しっぽは蛇になっています。ペガサスは羽のはえた馬ですが、キメラと見ることもできますし、ライオンの胴体にワシの頭と翼があるグリフォンというのもいます。フランケンシュタインのモンスターは何人かの死体の一部の合成ですから、一種のキメラでしょう。日本でも「鵺」というのがいます。「ぬえ」と読みますが、トラツグミという鳥の鳴き声が不気味なので、この鳥の声が妖怪の「鵺」の鳴き声だと思われていたそうです。「鵺の鳴く夜は恐ろしい」というキャッチコピーの映画がありました。横溝正史の『悪霊島』です。なぜか、ビートルズの「レット・イット・ビー」がパックに流れていました。

キメラとしての「鵺」は『平家物語』では、猿と狸と虎と蛇の合体動物として描かれています。堀河天皇がその鳴き声を耳にして病気になったとき、源義家が弓の音を鳴らして名乗りをあげると天皇の苦しみが和らいだと言います。矢をつがえずに弓の音を立てるのは「鳴弦の儀」とか「弦うちの儀」とか言って、魔除けの儀式です。後には高い音をたてる鏑矢を使って射る儀式も行われ、これは「蟇目の儀」と言います。要するに音を立てることによって邪を払うことができると考えたのですね。神社で鈴を鳴らしたり、柏手を打ったりするのも、本来はそういう意味かもしれません。火の用心の拍子木も同様でしょうし、西洋の結婚式のあとハネムーンに向かう車の後ろに空き缶をつけてガラガラ鳴らしながら走るのも根は同じかもしれません。洋の東西を問わず、音を立てることで悪霊が近づけないようにするという考えがあったのでしょう。

さて、近衛天皇のときにも堀河天皇のときと同じようなことが起こったので、先例にならって源頼政が呼ばれました。たずさえた弓は源頼光の持っていたもので、見事に鵺を矢で射て退治しました。そのときほととぎすの鳴き声が空から聞こえたので、藤原頼長が「ほととぎす名をも雲居にあぐるかな」と詠むと、頼政は「弓はり月のいるにまかせて」と下の句をつけた、という有名な話です。頼政は武勇だけでなく、歌の道にも優れていたという逸話ですね。鵺の死骸は丸木舟に入れて流されたそうですが、そんなものが流れてきたら下流では大騒ぎだったでしょう。都島には鵺塚の祠が今もあります。流れ着いた鵺の亡霊を主人公にした謡曲のタイトルはそのままズバリ『鵺』です。ちなみに、この「鵺事件」は何代か後の天皇のときにも起こり、頼政は再び手柄を立て、その恩賞として伊豆の国を賜りました。何度も起こるというのは、「鵺」って妖怪ではなく、朝廷に対する不平分子だったのかも? で、頼政失脚後、伊豆の国が平氏のものになって…という話は前に書いたような気がします。

化け物退治で有名な人としては、ほかに田原藤太秀郷がいます。「藤太」と言うぐらいですから藤原氏の長男です。「田原」はおそらく地名、「田原の住人である藤原氏の長男」ということです。平将門の乱を鎮圧したことで有名で、その子孫は栄え、特に佐藤姓の発祥とされています。この秀郷が退治したのは、なんとムカデ。たかがムカデぐらいでなぜ有名になるのだといぶかる向きもあるでしょうが、なみのムカデではなく、三上山を七巻き半する大ムカデなのです。これに対抗するために秀郷は「克己」と書かれた「鉢巻き」をしていきました。なぜなら「ハチマキ」は「七巻き半」より上だから。うーん、実にくだらん。

2023年5月14日 (日)

獏はすごい

『宇宙大作戦』の主人公はカーク船長で、ウィリアム・シャトナーが演じていました。この人は『スパイ大作戦』にもゲストとして出ています。ミスター・スポック役のレナード・ニモイも一時期『スパイ大作戦』のレギュラーでした。このころは「ナントカ大作戦」というタイトルがはやっていたのでしょうね。邦画のタイトルにもありましたし、洋画の邦題にもありました。ただ、なんとなくB級映画っぽい感じもします。「大作戦」という言葉が大げさすぎて、逆に滑稽な感じがするのでしょう。『プロポーズ大作戦』というバラエティ番組もありましたが、これは完全にお笑い系でした。

『スパイ大作戦』は映画『ミッション・インポッシブル』としてリメイクされました。テレビドラマは映画に比べるとさすがにスケールは小さいのですが、ウィリアム・シャトナーが出たときの話はなかなかストーリーや設定がおもしろいものでした。ウィリアム・シャトナーはある犯罪組織の幹部で、なかなか尻尾をつかませません。なんとか逮捕するために仕掛けた罠が戦争前の時代にタイムスリップしたと思わせるというトンデモ設定です。老幹部を睡眠薬かなんかで眠らせている間に若作りの特殊メイクをほどこし、歩けない脚を補強して走れるようにしたり、強引すぎる荒業が繰り広げられます。実際の撮影では、当時まだ若かったウィリアム・シャトナーに老人メイクをして登場させていたわけで、そのあたりのアイデアがなかなかの優れものです。全体的には、アラが目立つところもあったのですが、話としては十分楽しめました。

最近は動画配信サービスがいろいろあるせいなのか、テレビでの外国ドラマが少なくなっています。たまにNHKでやるぐらいですが、昔は面白いシリーズものも多くありました。『宇宙家族ロビンソン』というのも面白かったなあ。『原子力潜水艦シービュー号』や『タイムトンネル』も同じ人が作ったようで、面白いのも当然でしょう。人口問題で悩む人類が宇宙移住計画を立て、ロビンソン一家がある星を目指します。ところが、スパイが宇宙船に紛れ込んでいたために、目的の星にたどりつけなくなるという話です。ただし、そういう設定の割には話はハードなものではなく、どちらかというとおちゃらけで、お気楽に見られるドラマでした。

今年のNHK大河ドラマは一回目からの「おちゃらけ」が痛々しくて見ておられず、はやばやと脱落しました。去年の『鎌倉殿の13人』も、三谷幸喜脚本だけあって、初回から「おちゃらけ」要素があったものの、主人公が最終的に「ダーク義時」になっていく過程がなかなか楽しめました。毎回、だれかが命を落としていくという、NHKらしからぬ陰惨さは、朝ドラの「ちむどんどん」に対して「死ぬどんどん」と言われたぐらいです。『鎌倉殿の13人』では、鎌倉最大のミステリーと言われる実朝暗殺がどのように描かれるのかが注目されていました。三浦義村にたきつけられた公暁が、父頼家の仇として実朝・義時暗殺を計画することになっています。つまり公暁単独犯という立場ですが、義村のそそのかしもあり、御所を京に移そうと考えている実朝に愛想を尽かした義時もあえて黙認しています。わりと納得できるなかなかの解釈だったのではないかと思います。

永井路子は、実朝と義時を公暁に暗殺させて、自分が執権になろうとしたのではないかという、義村黒幕説を唱えました。それまでは義時黒幕説が有力だったのが、永井路子は『炎環』という小説で義村にスポットライトを当てたのでした。ただ、どちらも論証に弱いところがあるとされて、新しく主流になってきたのが、公暁単独犯説です。三谷脚本はそのあたりをうまくミックスさせて、なるほどと思わせる着地点を見つけています。

知名度は低いのですが、このドラマには平賀朝雅という人物が出てきました。畠山重忠の息子と口論したことがきっかけで、畠山重忠の乱が起こります。朝雅は北条時政の娘婿だったので、時政が畠山一族を滅ぼすのですね。ところが、これが原因となって、時政と義時の間にひびがはいり、時政の後妻が中心となって朝雅を将軍に擁立しようとするのですが、これが失敗、時政は伊豆に幽閉され、朝雅も討たれます。この朝雅という人は、平賀と名乗っていますが、れっきとした源氏の一門で、「朝」の字は頼朝からもらったものです。だからこそ、将軍にかつぎあげようとされたわけですし、御家人としては別格の存在だったようです。源義家の弟義光の系統の源氏で、平賀は信州の地名です。

平賀という姓はやや珍しい部類に属するのでしょうが、平賀と言えば源内を思いつきます。ただし、朝雅の子孫というわけではなさそうです。同じ名字でもちがう一族というのはよくあります。平賀という土地に住み着いた一族が平賀氏を名乗り、滅んだあと、別の一族がその地に住み着いて平賀氏を名乗る、というようなことはよくあったようです。源内は日本のダヴィンチとも言われます。今で言えば、マルチ・クリエイターでしょうか。エレキテルで有名なので発明家と思われがちですが、博物学者でもあります。当時の言葉で言えば本草学ですし、地質学者、蘭学者と言ってもよいかもしれません。さらには画家でもあり、作家でもあり、俳人でもあり、陶芸家でもあり、事業家でもあります。最後には二人の人を殺傷して獄死するという波瀾万丈の人生を送った人です。

夢枕獏に『大江戸恐龍伝』という大長編小説があります。これは平賀源内が主人公の小説です。源内は龍の骨が発見されたという噂を聞いて、確かめようとします。その後、円山応挙とともに、ある寺を訪ねた結果、一人の僧侶の名前を知ることになります。亡くなった僧侶の遺品には謎の絵があり、「ニルヤカナヤ」という土地の名を言い残したことがわかります。沖縄などで言い伝えられる、海の彼方にあるとされる異界は「ニライカナイ」と言いますね。だいたいこのへんでワクワクしてきます。さらに、上田秋成や長谷川平蔵といった有名人も登場します。しかも冒頭に二人の人物にささげるということが書かれているのですが、その二人とはゴジラとキングコングの生みの親なんですね。伝奇小説であり、秘境冒険小説であり、暗号解読まであるという奇想天外の作品です。こういうばかばかしくも面白い作品を書ける夢枕獏はすごい。文章がわざとらしく、鼻につくのが欠点ですが。

2023年4月30日 (日)

アメリカのオタク

辻まことという詩人の文章を授業で取り上げたことがあります。この人の母親の野枝さんは夫のもとを飛び出して、別の男のところに行ってしまいます。野枝さんはその男とともに甘粕正彦という人物に殺されてしまいます。その男とは、もちろん大杉栄ですね。これは親戚ではなく、何らかの関連で有名人と結び付いてしまうという形になります。よくある「知り合いの知り合いがあの○○だ」というやつですが、いくらなんでも甘粕正彦や大杉栄というのはインパクトがあります。甘粕正彦は上杉四天王の一人甘粕景持の子孫ですが、満州映画の社長でもありました。芸能界との縁もあったのですね。そのときに、「この女の子は将来性がある」と見込んだのが浅丘ルリ子です。この人はまだ現役で、たまにドラマにも出ていますね。

人と人とのつながりというのは意外なものもあっておもしろいものです。漱石と鴎外も時期はちがいますが、同じ家に住んでいたことがあり、この家は犬山市の「明治村」に残っています。最近鴎外宛に書かれた大量の手紙が見つかって話題になりましたが、漱石からの手紙もあったそうです。ライバルのようなイメージもある両者ですが、年賀状のやりとりぐらいはあったようです。

森鴎外は子供に西洋風の名前をつけています。女の子は茉莉と杏奴で、鴎外宛の手紙が見つかったのは茉莉の嫁ぎ先の家でした。杏奴は小堀四郎に嫁いで、小堀杏奴と名乗っていますが、亡くなったのは平成になってからだったと思います。男の子が於兎、不律、類で、最後の類は朝井まかてが最近小説の主人公にしています。タイトルもそのまま『類』でした。ルイはフランス系の名前で、ドイツ系ならルートヴィヒになります。オットーやフリッツはドイツ系の名前ですね。鴎外はドイツに留学しているので、身近に感じる名前だったのかもしれません。

外国の人が日本に帰化するとき、名前を自由に決められるそうです。日本風の名前を新たにつけてもかまわないし、もともとの名前をカタカナ表記にしてもよいことになっています。アルファベットが使えないのは当然ですが、日本にない「漢字」は使えません。ドナルド・キーンは姓と名の順を変えて「キーンドナルド」になりましたが、たまにおふざけで「鬼怒鳴門」と書くこともあったようです。ギタリストのクロード・チアリは「智有蔵上人」にしています。二人とも、漢字に心ひかれるものがあったのでしょうね。

暴走族のチーム名も万葉仮名風の漢字になっているものがあります。「論利衣宇流不」で「ロンリーウルフ」とか、「紅麗威甦」で「グリース」とか。「夜露死苦」とか「仏恥義理」とかも含めて、「ヤンキー漢字」と名付けられているそうな。特攻服に「魔苦怒奈流怒」のようなおどろおどろしい漢字が書かれていると、見た瞬間はちょっとビビります。よく読むと、「なんじゃこりゃ」になりますが。ヤンキーも意外に漢字が好きなんですね。「鏖」なんて、ちょっと読めない字を使ったりもします。「鏖殺」と書いて「おうさつ」と読みますが、「鏖」の訓読みは「みな○ろし」です。黒のスプレーで「鬼魔零天使参上」とか書いてあったりすると、「参上」という言葉になんとも言えないものを感じます。

時代劇やアニメなどで、自分のことを名乗って「○○参上!」という台詞とともに登場することもよくあり、「○○が現れた」という意味で使われるのですが、本来「参上」は謙譲語です。目上の人のところに来ることなので、暴走族は自分たちのことをへりくだって表現する謙虚な人たちなのかもしれません。「見参」という言葉も同様ですね。「けんざん」とも「げんざん」とも読みますが、「参上」と同じような使い方をします。いずれにせよ、「名乗り」をしたいのですね。武士が「やあやあ、遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは…」と名乗るような気持ちなのでしょうか。武士の場合は「よい敵」に来てもらうという目的もあったようですが、名乗りをあげているときには一種の自己陶酔のような心情もあったのではないでしょうか。

や○ざの「口上」も同じ心理かもしれません。初対面のときの挨拶で、俗に「仁義を切る」と言われるやつですね。「お控えなすって。手前生国と発しますところ、関東にござんす。」というように、だいたいパターンが決まっています。『昭和残侠伝』という高倉健の代表作では池辺良と菅原謙次の仁義を切るシーンが結構長く続きます。本物を見たわけではないのですが、妙にリアルでした。当然、本職(?)の監修があったのでしょう。『男はつらいよ』のフーテンの寅さんもきちんと仁義を切るシーンがありました。あの人は「テキヤ」ですから「露天商」なのですが、自分のことを「渡世人」とも言っています。「や○ざ」の親戚みたいなものなので、やはり土地土地の「親分」のところで仁義を切るわけですね。

「無宿渡世人」という言葉もありました。江戸時代には、一般庶民は自分が住む村や町のお寺の「人別帳」に登録されていました。要するに戸籍です。村から出て行方知れずになると人別帳から外されて、これが「無宿」ということになります。笹沢佐保の『木枯し紋次郎』のイメージです。生まれ故郷の上州新田郡三日月村を捨てた旅人です。仁義を切るときに、やたら生国を強調するのは、渡世人ではあるが無宿人ではないということを言いたかったのかもしれません。『拳銃無宿』というテレビドラマがありました。賞金稼ぎの男が主人公になっているアメリカの西部劇で、旅から旅をしてお尋ね者を捜し回るところから邦題を『拳銃無宿』にしたのでしょう。この主人公を演じたのが若き日のスティーブ・マックィーンです。

昔のアメリカのテレビドラマは根強いファンを持つものが多く、映画化されることもよくありました。たとえば『スタートレック』も、もともとテレビドラマで、邦題は『宇宙大作戦』という、はなはだダサいものでした。最初は視聴率もたいしたことがなく、途中で打ち切られたりもしたのですが、熱烈なファンによって、人気が出たそうな。アメリカのオタクもおそるべし。

2023年4月 7日 (金)

親戚の親戚は親戚だ

日本の旗は日章旗、つまり日の丸ですが、白地に赤丸の旗を最初に使ったのは源氏だと言われます。紅白に分かれての合戦のきっかけになったのは、平家の赤旗と源氏の白旗だということになっていますが、その旗に平家は金色の日輪、源氏は赤色の日輪を描いていたらしい。結果的に源氏が勝ったので、その旗がめでたいとされたのでしょう。今は法律で国旗とさだめられていますが、「君が代」も国歌として法律で定められています。

「君が代」の作詞者はわかりませんが、古今集の詠み人知らずの歌が元になっています。世界一古い歌詞と言ってよいでしょう。メロディはじつは二通りあって、最初はあるイギリス人が作曲してくれたらしい。でも、あまり評判がよくなかったので、宮内省が作りなおしたそうな。他の国の国歌にはかなり闘争的なものもあるのに比べて、日本の国は歌詞も曲もおだやかです。だいたい、石が大きくなるという発想がなかなかのものです。さらに言えば、苔をよいものとしてとらえているのもおもしろいですね。「転石苔むさず」の解釈について、イギリスとアメリカのちがいがよく言われます。イギリスは、ゴロゴロ転がっていると苔がつかないから、一つのところに腰を落ち着けるべきだとします。転がる石はろくでなし、つまり「不良」なんですね。ローリングストーンズというバンドは、自らをそう意識していたからの命名でしょう。アメリカでは、新天地を求めていけば苔のようなものはつかなくてすむという発想です。

英語と米語は細かい部分での文法的ちがいもありますし、表現の仕方もちがっています。それはイギリスとアメリカのものの考え方のちがいの反映でしょう。そうなると、米語を「イングリッシュ」と言ってよいのかどうか。米語をアメリカン・イングリッシュとして、英語の方言の一種と見なす考え方もあるようです。その米語にしても、北部と南部ではかなりちがうようですし、東海岸と西海岸とでも多少のちがいがあると言います。

日本で英語を学んだ者にとってはイギリス人の発音は習った発音記号に沿っていて聞き取りやすいのに、アメリカの映画は何を言っているのか、よく聞き取れません。でも、なぜかトランプ元大統領の言葉はバイデンに比べると、非常に聞き取りやすいなあ。意外に几帳面で、ゆっくりしゃべるせいもあるかもしれません。一説には語彙が少なく小学生レベルの英語だから、と言う人もいるようですが。

日本の天皇も、非常にゆっくり、ていねいにしゃべります。「綸言汗のごとし」ということばがあって、出た汗が元にもどせないように、天皇のことばもいったん口に出したら取り消しがきかないから、ていねいにしゃべることになっているそうです。前の天皇が退位を考えた理由は、高齢による体力の低下だということですが、言いまちがいをする可能性のことを考えたのかもしれません。昭和天皇の玉音放送もゆっくりです。あれはレコードに録音したものですが、そのレコードをめぐって激しい争奪戦があったことも有名です。しかしながら、玉音放送をリアルに聞いた人はかなり少なくなってきています。

「明治・大正・昭和を生き抜いてきた」とよく言ます。三つの時代を生き抜いたというのはすごいなあと思いますが、今の時代「昭和・平成・令和を生き抜いてきた」人も、じつはたくさんいます。でも、「昭和」はすでに「レトロ」な時代として扱われることがあるのですね。戦前ならともかく、前の東京オリンピックの時代が「レトロ」なのかとびっくりしますが、半世紀をこえてしまえば、やはり「レトロ」でしょう。ところが一方では寿命がのびていますから、半世紀の50年というのはそれほど長い時間でもない。「人間五十年」の時代には25歳が折り返し地点なので、何事につけてもサイクルが早かったでしょう。そのころの40歳は初老だったわけです。今や平均寿命が80歳以上ですから、「古来稀なり」と言われた「古稀」も、七十七歳の「喜寿」も楽々こえて「米寿」もありふれ、九十の「傘寿」も目前です。「白寿」となると、さすがにちょっとむずかしい。これは「百歳マイナス一歳」ということで「百」から「一」をとって「白寿」だというのですね。百歳ごえは、それこそ「古希」と言ってもよいかもしれません。永遠の命を願うのは無理だし、年寄りのまま永遠に生きるというのも残酷な話で、だからこそ「不老長寿」を願うのでしょう。「フォーエバーヤング」ですね。

始皇帝が不老長寿を手に入れるために、蓬莱島に遣わしたとされるのが「徐福」という人物です。蓬莱島は方角的に日本ということになってしまい、徐福が上陸したという場所が各地にあります。では、徐福の子孫はどうなったのでしょうか。表に出なくても、その血はなんらかの形で今に伝わっているのかもしれません。長宗我部氏が秦氏の子孫だと自ら言うように、誰かの血筋は意外に途絶えずにつながっていくようです。豊臣家の子孫だって、妻の系譜をたどれば木下家という大名になり、歌人の木下利玄はその子孫です。秀吉の姉の子孫も、藤原氏嫡流の九条家にとついで、その血筋の一人が大正天皇の皇后となっていますから、今の皇室も秀吉の親戚ということとなります。女系のつながりで見ると脈々とつながっている場合があるのですね。大塚ひかりという人の『女系図で見る驚きの日本史』『女系図でみる日本争乱史』などを読むと、ちがう視点での歴史のつながりが見えてきて、すごくおもしろい。

テレビで○○と××が実は遠い親戚だった、という番組があります。親戚の親戚をつないでいけば、思いがけない人とつながることもあるでしょう。遠い親戚にジョン・レノンがいる、なんてわかったらおもしろいでしょうね。授業でたまに高見順の詩を取り上げることがあります。この人の出生はちょっと複雑な事情があるのですが、阪本越郎という、やはり有名な詩人が母親ちがいの兄にあたります。高見順の娘が高見恭子といって、タレントとしてよくテレビに出ていました。阪本越郎の娘は狂言師の野村万作に嫁いでいて、生まれたのが野村萬斎です。高見順の父親の親戚に永井荷風という小説家がいますから、この人たちはみんな親戚です。

2023年3月26日 (日)

顔のある太陽

「阿」と「吽」は、万物の初めと終わりの象徴になりますが、これはギリシアのアルファベットのアルファとオメガを連想させます。「アルファ、ベータ…」で始まるから「アルファベット」ですね。聖書に出てくる神様は、自分のことを「アルファであり、オメガである」と言っています。アルファとオメガは、ギリシャ語のアルファベットの最初と最後に位置していますから、神様は自分が初めであり終わりである、と言っているわけですね。「阿」「吽」と意味だけでなく、音の感じもなんとなく似ています。サンスクリット語はヨーロッパの言語と類縁関係にあるらしいので、なんらかの一致があっても不思議はありません。五十音の「あいうえお」順でも「あ」で始まり「ん」で終わるのがおもしろい。「あー」というのは叫び声で、とりあえず最初に出てくる音のような気もしますし、口を閉じることで「ウン」と言って終わるのも納得できそうです。

「阿吽」は「吐く息と吸う息」つまり「呼吸」を表すこともあり、「阿吽の呼吸」というのは、そういう意味でしょう。二人あるいはそれ以上の人が一つのことをするときの微妙なタイミングや気持ちが一致することですね。また、仁王や狛犬などで見られる、口を開いた「阿形」と、口を閉じた「吽形」というのもあります。これは、どっちが左でどっちが右になるのでしょうか。「阿が左で吽が右」とよく言われるのですが、左大臣・右大臣では左のほうが上位なので、初めを表す「阿」が上位で左なのは納得です。では、その左右は「向かって」なのか、それとも「神の側」からなのか。左が上位というのは、天子・天皇から見た位置づけでしょう。ということは、向かって右側が口を開いていることになります。

「左近の桜、右近の橘」というのもあります。平安宮内裏の紫宸殿の前庭に植えられている桜と橘のことです。「左近・右近」は「左近衛府・右近衛府」のことで、六衛府と呼ばれる天皇の親衛軍の組織のうち、天皇のそば近くに仕える兵、要するに「近衛兵」です。ちなみに、その外に左右の衛門府、さらにその外に左右の兵衛府があり、これらの名称が後に武士の通称に使われるようになっていきます。さて、何かの儀式があるときに、左近は紫宸殿の東方、右近は西方に陣を敷きます。「天子は南面す」と言って、天から統治者として認められた天子や天皇は、北を背にして南を向くことになっています。南を向くと、太陽が昇る東が左に来るので、天皇から見て左が優位ということにしたのでしょう。で、東つまり天皇から見て左側に左近衛の陣を敷いたので、こちらに植えられている桜は「左近の桜」になるわけです。

ただし、この桜はもともと梅だったと言います。平安遷都のとき植えられた梅が、村上天皇の治世に内裏が火事になり、建て直すときに梅に代えて桜になったそうな。右近の橘は遷都以前にそこに住んでいた橘なにがしという人の家に生えていたものだという説もありますが、内裏の場所は秦河勝の屋敷跡を利用したので、その庭にあったものだという説もあります。橘が選ばれた理由としては、橘が古くから「ときじくのかくのこのみ」と言われていたことにも関係があるかもしれません。これは海の彼方にあると言われる理想郷「常世の国」にある木になると言われる不老不死の果実で、垂仁天皇のころ、田道間守という家臣がとってくるように命じられます。その木がじつは橘だったということですが、要は古くから野生していた日本固有のミカンで、長寿の象徴として珍重されたのでしょう。

橘は「古今和歌集」に詠み人知らずとして載っている「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」という有名な歌にもあるように香りのよい花として愛されたようです。また氏族の名前としても有名です。元明天皇のころ、宮中に仕える県犬養三千代に、杯に浮かべた右近の橘とともに橘宿禰の姓を与えたことから橘氏が生まれました。敏達天皇の後裔である美努王との間に生まれた葛城王は橘諸兄と改名します。諸兄は左大臣にまで昇りつめますが、藤原仲麻呂の台頭とともに、その権勢は陰りを見せます。諸兄亡きあと、その息子奈良麻呂は藤原仲麻呂との政権争いに敗れ、謀叛の疑いをかけられて非業の死を遂げます。源平藤橘といった四大姓の一つに数えられながら、橘氏を称する家が少ないのはそのせいです。有名どころとしては、南朝のために戦った楠木氏は橘姓を称していますがそれぐらいでしょう。

橘を家紋として使う家はけっこうあります。私の家は「丸に橘」で、井伊家と同じ家紋です。植物を図案化した家紋はよくありますが、大河ドラマで注目された北条家は抽象的な感じの「三つうろこ」です。二つの三角形を並べて上に一つの三角形を重ねたもので、その形が蛇や竜のうろこのように見えることから名付けられたのでしょう。古墳の壁画にもあるので、魔除けの力があると見なされて家紋になったと思われます。こういう家紋は簡単に描けますが、描きにくいものもあります。

志賀直哉との関連で前に触れた相馬という家があります。大河ドラマでも出てきた千葉氏の流れをくむ家ですが、平将門の子孫の相馬家を継ぐ形になっているので、中心になる丸のまわりに八つの円形に並べた九曜紋という千葉氏の家紋のほかに将門の家紋も受け継いでいます。これがなかなか簡単には描けない。荒馬を繋ぎとめた形の「繋ぎ馬」という紋で、暴れる馬が相当リアルです。「相馬野馬追」という行事があって、毎年夕方のニュースで流れます。何百騎もの騎馬武者が甲冑をまとい、旗指物をなびかせながら、旗を奪い合ったり、競べ馬をしたりするなかなか勇壮な行事ですが、まさに家紋そのものの光景です。

では国旗はどうでしょうか。簡単に描ける国旗と描くのは一苦労という国旗があるようです。日本の旗は楽なようですが、細かいことを言えば、縦横の比率や丸の大きさなどは正確に知らないまま適当に描いているのではないでしょうか。アメリカやイギリスの国旗だって、うろ覚えでは描けません。ブラジルも星の散らばり具合が難しいし、トルクメニスタンの旗は複雑すぎます。アルゼンチンやウルグアイも、ちょっとやそっとでは描けません。なにしろ顔のついた太陽がメインですから。

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