①Nの家庭学習用教材②~シルクロード篇~
①N国語教材の表紙を飾った写真について、その2です。
「語句砂漠」という見るからに苦しそうな教材を猛暑の8月に配付しました。
大量の三字熟語と四字熟語、およびさまざまな語句問題が延々とつづく、まさに「タクラマカン砂漠・死の隊商」といった感じの教材でしたが、その表紙に使った写真がこちらです。
中国ウイグル自治区のパキスタン国境近くに「タシュクルガン」という街があり、その街の外れにこの城跡があります。ほんとうにタクラマカン砂漠の近くです。
城跡に入るにはお金がいります。ただし、係員がいるときだけ。
僕はこの街に二泊し、その間に三回この城跡を訪れましたが、夕方と朝早い時間には係員がおらず、出入り自由でした。
朝早い時間に行くと、タジク族と思われる老人が山羊をつれて来ていました。そして、くずれた石壁の蔭にしゃがんで用を足していました。大きいほうでした。
城の北は農村地帯で麦畑が広がっています。こんなところです。
十歳くらいの男の子と仲良くなり、家でヨーグルトとパンを食べさせてもらいました。
城の東側は美しい湿地帯です。
そこかしこから清水が湧いて細い筋となり、それらが寄り添って小川になり、さらに合流して大きな流れをつくっています。
その河原とも湿地ともつかない場所で、牛や山羊がのんびり草をはみ、子どもたちが遊んでいるのでした。
次の写真も「語句砂漠」で使用したものです。
これはカシュガルの東(?)にあるヤルカンドという街の外れですね。
タシュクルガンにもヤルカンドにもカシュガルからバスで行きます。
タシュクルガンはバスで8時間ほど。ヤルカンドは3時間か4時間だったかな。
ところで、カシュガルのホテルで突然見知らぬ男に名前を呼ばれるという事件がありました。
中国語もウイグル語も、そしてなぜか英語もまったくできない僕は、筆談専門で何とかそれまで乗りきっていたのですが、ホテルのフロントにいたのがウイグル人女性で筆談が今ひとつ通じず、延泊の交渉に苦労していたときのこと。
横にいた漢族の男性が突然、
「西村さん! あなた西村さんではないですか!?」
「え、いや、西・・・」
「わたし、西遊旅行社のガイドをしている○×△です。」
「なんと、そうなんですか。しかしちなみにわたしは西・・・」
「西村さんがこちらに来るという話聞いていました! わたしにまかせて。明日と明後日は泊まらないで、その次の日からまた泊まりますか」
「おお、実にそうです。明後日の次の日から。ただし、わたしは西・・・」
しかし彼は僕の言葉を最後まで聞いてくれず、ウイグル人とひとしきり話をし、
「だいじょうぶです、明後日まで泊まらない、OKです。そして、次の日からまた泊まる」
「どうもありがとうございました。とても助かりました」
僕は満面の笑みで感謝の言葉を述べ、
「えーと、わたし、西川です、西村じゃなくて、へへ」
となぜか照れ笑いしながら打ち明けるのでありました。
「あ、にし・・・かわさん、そうですか」
彼は「西村」と言うときは流暢なのになぜか「西川」は言いにくそうなのであった。しかもなぜか少し不満そうなのであった。
われわれはしばらく歓談し、やがて別れを告げました。
「どうもほんとうにありがとうございました」
「いえいえ、OKです。さようなら、西村さん!」
お約束ですね。
その後この人にはタシュクルガンでも偶然会ったのですが、そのときも大きな声で
「西村さ~ん!」
と呼びかけられたのであった。