小学生のときに読んだ本③
いよいよ本格的にシリーズ化された観がありますねえ!
今回はついに、
パール・バック『大地』
です。僕が読んだのは確か新潮文庫版で、中野好夫さんの訳だったと思います。
僕の記憶ではこれを読んだのは小学4年生のときなのですが、母の記憶では「小学6年生でしょ?」。あいだをとって小学5年生ぐらいかなあ? 6年生のときには司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を読み始めたはずなんですが、『大地』と『坂の上の雲』のあいだにはかなり開きがあって、そのあいだに『人物日本の女性史』なんかをつまみ食いしていたような記憶があるんだけどなあ。う~ん、ようわからん。
いずれにせよ、『大地』です。いや、これは相当おもしろかった!
みなさん読まれたことありますか?
革命直前の中国の話です。ワンロンという貧しい農夫が、妻をむかえる場面から始まるんです。この奥さんが実に賢妻で、さまざまな困難を乗りこえつつ、少しずつ豊かになっていくんですね。ついには、奥さんがもともと召使いをしていた大金持ちの土地もすべて手に入れて大地主になります。そして・・・・・・!
というような、ワン家三代のお話です。
『大地』という題にふさわしく、まさに中国の土の匂いがしてくるような、実在感のある話でしたねえ。安易なヒューマニズムみたいなものは感じられませんでした。これは異論があるところかもしれませんが、小説読むときに、そんな思想は邪魔なだけじゃないですかね。大切なのは、たとえばこの小説の場合には、土の匂いですよ。それさえきっちり漂ってくれば、それがいい作品てことなんじゃないかなあ?
手塚治虫の『ブラックジャック』が、すごくおもしろいけど、どこか今ひとつなのはそのせいじゃないですかね。ちょっと安直なヒューマニズム。手塚治虫さんが安直なヒューマニストだというんじゃなくて、それを作品の中に盛り込む手つきが安直といいますか・・・・・・。
ブラックジャックの中で僕がいちばん好きな場面は、ドクターキリコというブラックジャックのライバル?が登場する話なんですが、このドクターキリコってのがとんでもねえやつで、安楽死専門の医者なんですね。
で、とある患者を安楽死させるよう頼まれてドクターキリコ登場の運びとなります。例によってここでまた私の記憶が曖昧でどういう経緯だったか忘れましたが、そこにブラックジャックが現れて患者を治してしまうわけです。ブラックジャックが治療しようとしているところにドクターキリコが現れたんだったかな?
ま、それでめでたしめでたしかなと思っていると、なんとその患者が搬送される途中で事故かなんかに遭って亡くなってしまうんですね。
それを聞いてブラックジャックが衝撃を受けるわけです。せっかく治したのに何てことだ!
ドクターキリコが高笑いしながら去っていきます。
すると、膝を握りしめた(あるいは地面を叩きながら、だったかな、うーん忘れた)ブラックジャックがいうんです、「それでも私は治すんだ」。
これは良かったですねえ。ブラックジャックが人を救うのは、人助けじゃないんですね。人のためじゃない。自分のためなんです。そういうふうにしか生きられないというんでしょうか、そういうかたちでしか自分のアイデンティティーみたいなものを確立できない。そういう切羽詰まったものが感じられます。こういうのはとても良いなあと思いました。
でも、それ以外の話はここまで踏み込めてなくて、なんとなくヒューマニズムでまとめちゃうところがあります。手塚治虫の漫画はどれもかなりおもしろくて不合格作品はないけれど、自分の資質を超えるようなすごい作品は一つも描いてないような気がします。
漫画家も作家も、たまに自分の資質を凌駕するような作品をかくことがあると僕は思っているんです。たとえば、山岸涼子の『日出処の天子』とか。う~ん、古いね。
他にも、一作だけすごくおもしろい作品を残した人っているじゃないですか。『マノン・レスコー』を書いたアベ・プレヴォーとか。ポップスの世界にはたくさんいますよね、一発屋。(もちろん山岸涼子さんが一発屋というわけでは断じてありません。他にもたくさんおもしろい話を描かれています。ただ、『日出処の天子』ほどのものは・・・・・・)
いま、アベ・プレヴォーの「ベ」って「ヴェ」だったっけかとふと不安になりインターネットで調べてみたら、「ベ」でよさげでした。それはいいんですが、『マノン・レスコー』ってオペラになっているんですね。オペラに全然興味がないんで知りませんでした。プッチーニだそうです。
オペラには興味がないんですが、プッチーニの「レクイエム」はすごくいいですね。つつましやかで誠実な哀しみが伝わってきます。その点、モーツァルトのレクイエムはどうもなあ。「どうです、すごいでしょう!」みたいな感じでもうひとつな気がします。ま、好みの問題です。僕はレクイエムにはうるさいんです。電車の中でウォークマンを耳にうっとりしている僕がいたら、それはきっと、デュリュフレのレクイエムを聴いているか、宇宙一かっこいいSiberian Newspaperを聴いているかどちらかです。
話がそれましたが、とにかく、そういう「自分の資質を超える作品」、それが手塚治虫さんにはないような気がします。『きりひと讃歌』も、はじめは「おっ」と思ったけど尻つぼみだったし・・・・・・。
ま、いいや。『大地』の話でした。なんせ、安易なヒューマニズムみたいなものは感じられなくてええぞ、という話でした。大河小説なので、読後の充実感もひとしおですしね。
ま、塾生諸君は中学校に入ったら読んでみてください。
ところで栗原先生、前に書いてた「矛盾」の話の中の「矛盾」て何だったんですか?
やはり、あれですか。売れなかったら店じまい、の部分?
(西川)