バイトの日々③
さて、少し前に、仙台在住であった学生時代およびプータロー時代にさまざまなバイトをしたという話をしました。
その中でも比較的長くつづいたバイトについて紹介する第2回!
ジャカジャーン、第2位は、
放送局の夜勤!
です。
宿直の記者およびカメラマンのためにお茶を出したり、コンビニへ買い出しに行ったりします。
茶筒にお茶が少ししか残っておらず、ほぼ粉末と化した茶葉で渋そうなのを淹れて出したら「馬鹿野郎、こんなのが飲めるか」と怒鳴られたりしました。Kさんという切れキャラの記者で、みんなに恐れられていましたが、昼間のバイト君が、「Kさんておもしろくて良い人だよね~」などとのたまうのでびっくり。どうも宿直のときは異様に機嫌が悪くなるみたいでした。
そんなKさんも、Mさんという先輩のカメラマンと泊まりのときはご機嫌うるわしく、いつまでもふたりで酒を飲んで宴会状態。機嫌がいいのは結構なことですが、朝起こすのもバイトの仕事なんですよね。で、起きない。さんざん飲んで寝てるからまったく起きない。困り果てていると、若くて好感度№1だったアナウンサーのIさんが代わりに起こしてくださったのですが、気持ちよく寝ているところを起こされて怒り狂ったKさんにヘッドロックされてさわやかIさんもさすがに激怒、放送局内は一触即発のやばい空気に。そりゃ我々だっていつまでも寝ていてほしいけど(怖いから)、起こさないと朝のニュースの原稿ができないですからねぇ。
放送局というのもなかなか変な人が多かったです。
名前は忘れましたが、小太りのベテランの記者の方がいらっしゃって、ある日机に手をつきながら歩いているので、「どうしたんですか?」と訊ねると、「うん、昨日、酔っぱらってコサックダンスしたら腰をいためちゃってさ」
「あんたアホですか」とも言えず、それはそれは・・・・・・などと曖昧な返事をした覚えがあります。
また、カメラマンの、こちらも名前は失念しましたが、やはりベテランの方で独特な人がいました。事件や事故が起きると、カメラマンと記者が出動するわけですが、これにバイトも同行します。簡易照明セットを持ってカメラマンについて回り、カメラマンが照らせと言ったところを照らすのが仕事です。
ふつう、事件が発生すると、三人一組の我々はタクシーに乗って現場に急行するのですが、このカメラマンの方は運転が好きなので、必ず自分の車で現場に向かいます。そして、運転についてひとくさり講釈をぶってくれるのです。
「渋滞なんてのはさ、あれは、鈍くさいやつがいるから発生するのよ」
「そうなんすか?」
「なんで渋滞が起きるかっていうと、信号が青になってスタートするときにさ、はじめの車がスタートしてから、列の最後の車がスタートするまでに時間差があるでしょ。だから渋滞になんのよ」
「はあ」
「だからさ、信号が青に変わるでしょ、その瞬間に全員がアクセル踏めばいいのよ。でも鈍くさいやつがいるからそれができないわけ。わかった?」
「はあ」
「ところで、バイトくんさ、ビールにいちばん合うおつまみって何かわかる?」
「いや、何ですか」
「バナナ!」
「え~?」
みたいな感じで楽しかったですねえ。
東北自動車道で、サービスエリアへの側道と本道の分離帯に突っ込んでしまった車がひっくり返るという事故が起こったときですけれど、事故を起こした子かな、若い男の子が道路脇に座り込んで頭を抱えていたんですね。かわいそうだな~と思っていると、このカメラマンのおっちゃんが手真似で「あれを照らせ」と云うんです。いやさすがにそれはかわいそうじゃないかと思ったんですが、だめださっさと照らせと。だって撮ったって使えないでしょと思いつつ、仕方なく照らしました。じ~っと撮ってましたね。もちろんニュースで流せるはずもないんですけどね。
ここのバイトは一年間ぐらいやってました。結構気に入っていたんですが、一年以上は働けないという決まりだったのです。
今回の地震で、当時のことを頻繁に思い出します。
ご存じのように西日本とちがって東日本は地震が多いです。僕が夜勤に入っているときに地震が起こったこともあります。といってもせいぜい震度3くらいだったんですが。
で、あちらは、地震が起こるとまず「津波は?」となります。三陸での津波の苦い経験があるし、とにかくまずは「津波」なんですね。何はさておき、津波に関する情報をアナウンスしなきゃいけないっていう感覚です。大阪生まれの大阪育ちである僕にはそういう感覚がなかったから新鮮でした。そうか、そうだよなと思って。
あんなに気をつけてたのにな。
あんなに気にしてたのに。
なんともいえず悲しいです。