クマその他と暮らす
田植えの季節ですね。近所の田んぼにも水が張られたり早苗が植えられたりしています。
水田の美に目覚めたのは高校生のときです。風のない鏡のような水田に青空が映っているのを見て、その美しさにはじめて気がついたときのことを覚えています。学校の行き帰りにこんなきれいなものがあったのかという驚きがありました。それまでは田んぼがきれいだなんて思ったことはありませんでした。
小学生のときには、田んぼとはカメをさがす場所でした。あぜ道を歩きながらよくクサガメの姿をさがしていました。カメが好きだったんです。見つけたカメを水槽で飼っていたんですが、夏休みに宇和島の祖父母の家に遊びに行き、帰ってきたらいなくなっていました。両親に「カメは?」と聞くと、「ある日いなくなっていた」と。そんなバカな。と思いましたが、なんとなくうやむやにされてしまいました。
その後もたびたびカメさがしにいそしんでいましたが、あるとき、足をすべらせて尻餅をついた拍子に、太ももの裏の付け根を何かで切ってしまい、血をだらだら流しながら家に帰ると、カメ探しを苦々しく思っていたにちがいない母親が激怒、破傷風になるにちがいないと予言するのです。破傷風って何?と聞くと、それがいかに怖ろしい病気かということを縷々語り、不安のあまり「病院に行かねば」と取り乱す僕に、冷ややかな口調で「行かんでええ」などと言うのです。あのときは生きた心地もしませんでした。
しかしそれで懲りるかという懲りないのであって、さらに近所の勝尾寺川の河原からタニシを拾ってきて水槽で飼ったりしていました。そしたら、ある日、水槽の中に大量の小さなタニシが大発生して驚愕するのであった。
とにかくいろんなものを拾ってきて飼おうとしましたが、カエルの卵をバケツに入れて持ち帰ったときは、母親が絶叫し、しぶしぶ戻しに行きました。
そういえば、傷ついたハトを持ち帰ったこともありましたね。ま、助かりませんでした。
大学生のときはハムスターを飼っていました。
しかし、いちばん飼いたかったのはクマです。もちろん無理なのはわかっているんで、空想を楽しんでるだけなんですが・・・・・・飼いたいというより、一緒に暮らしたいって感じですかね。
大学のとき友だちと一軒家を借りて暮らしてたので、クマとルームシェアしたら楽しいだろうなあと夢想していました。
軽トラ借りて、荷台にクマを乗せてピクニックに行ったり。
縁側でひなたぼっこするのもよさそうです。まずクマが大の字になってねそべり、そのおなかを枕にして寝るんです。た、たまらないですよね。
トラヨコや稲荷小路(どちらも仙台の飲み屋街です)をふたり(?)ではしごするとか。
僕もクマもべろべろに酔っ払って、肩を組んでよろめき歩いてね。ゴミ箱蹴飛ばして「てやんでえ」とか「ガオーッ」とか叫んで。迷惑なんだけど、みんなクマが怖いから何も言わないんですね。で、じきに僕が酔いつぶれてしまいます。クマは僕をおんぶしてタクシーに乗せてもらおうとするんですけど、運転手に「酔っ払いとクマは乗せられないよ」とか言われて、仕方なく僕をおんぶしたまま歩いて帰る、みたいな。垂涎ものです。
クマじゃなくてこびとくんと暮らす夢想もしました。こびとくんですから、当然7人います。
僕が酔いつぶれて眠っているうちに、床下か天井裏からそろそろと現れて、僕の飲み残した酒を勝手に飲んじゃうんです。勝手に宴会するわけです。でも飲み過ぎてみんな泥酔しちゃうんですね、それでそのまま寝込んでしまう。僕が目をさますと、そのへんに散らばって倒れているこびとたちの姿が。ひとりだけ起きていて、玄関の僕の靴のなかにげーげー吐いています。それをきゅっとつかまえると、「はなしちくり~、おえ~っ」なんて言ってまた僕の手に吐くみたいな。うーん。ちょっと汚いけど、なんだかかわいくないですか?
こびとくん妄想は今でも続いています。先週宿題プリントのコメント書いてないから授業までに書かなきゃな~と思いながら教室に行くと、コメント書きがすべて終了しているときがあります。そういうとき、
きっとこびとくんだ、こびとくんがこっそり書いてくれたにちがいない。
などと悦に入るわけですね。逆に、自分ではやったと思っていたのにコメント書きが終了していないときもあります。そういうときも、
きっとこびとくんだ、あいつらが夜中にこっそり消したにちがいない。
なんて言ってます。ちなみにこの「いいことも悪いこともする」こびとくんが住んでいるのは、西北の南館です。
メルヘンですな。