赤パンダずるむけ考
※江戸時代の経世家・工藤平助の『赤蝦夷風説考』を意識した題ですが、内容的にはまったく無関係です。
私が十代の頃、藤原新也さんの『メメント・モリ』という写真集が話題になっていました。メメント・モリは〝死を想え〟という意味のラテン語で、中世ヨーロッパでペストが猛威をふるった頃に巷間に流布した言葉だとか(すいません、お得意のうろ覚えです)。
高校生だった僕は、勉強をさぼってその写真集をぼんやり眺めては、自分の死に場所をよく夢想しました。当時の僕が考えていた死に場所、それはずばり〝山奥の谷底〟です。もう少し文学的に粉飾した表現を用いれば、〝幾重にも遠い山の連なりの奥深くにひっそりと隠れた渓谷のふところ〟とでもなるでしょうか、どこが文学的やねんと言われれば返す言葉もありませんが。
だいたいどんないきさつによってそんな場所にひとりたどり着き、かつタイミング良くこの世に別れを告げることになるものやらさっぱりわからないわけですが、なんとなくロマンチックでええ、と思っていました。
さて、歳月は流れました。
最近、山登りをしていて(たとえば奥大日岳)ふとそのイメージがよみがえることがあります。雪の稜線をひとりで歩いているときに (うーん、今ここで足がつるっと滑って転落したり、見事雪庇を踏み抜いてしまったりした日にゃ、まさに山奥の谷底でひとりひっそり死ぬはめになるかもしれん。そういえば、「夢はいつも忘れた頃にかなう」なんて言葉もあったのう。……いやじゃあ!こんなところで死ぬのはいやじゃあ!) と、心の中で叫びながら、必死でアイゼンを蹴り込み、ピッケルを深々と突き刺したりしています。
あとで山小屋の人に、この時季の奥大日岳で死ぬ人なんていないよと言われましたが、 高い所が苦手な人間にとっては十分に怖いです。みんな高所恐怖症に理解がなさ過ぎるような気がします。何で高所恐怖症のくせに山登りしてるのかとか聞かれると困りますが。
でもね、でもね、かつて観覧車はおろか歩道橋も無理な繊細な人間だった僕に言わせれば、高いところが平気だなんて想像力の欠如以外の何ものでもありません! 高いところが怖くないなんて人は恥ずかしいと思っていただきたいです。(すみません、本気にしないでください。)
それはともかく紫外線の強いこの季節に雪の稜線をルンルン歩いていたせいで、顔が真っ赤っかになりました。おまけに体調がいまひとつ良くなくて全身がパンパンにむくんでいたので、キャンプ場のトイレの鏡に映してみたら、ものすごい顔になっていました。なんていうか、雪眼にならないようにサングラスはしていたので、その部分だけが赤くなく、赤いパンダみたいな。みなさんにお見せできないのが残念です。いや実は写真もあるのですが、正直見せたくありません。 さすがにこの顔で授業はできないなあ、まずいぜえ、と心配していましたが、なんとか休みあけの最初の授業までには、ひととおり厚い面の皮をはぎ、素知らぬ顔で授業に臨みました。すると、鋭い塾生君から鋭い質問が。
「先生、どうしてそんなに顔が赤いの?」
「そ、それは、久しぶりにみんなに会えて照れくさいからだよ」
「じゃあ先生、先生はどうしてそんなにムキムキなの?」※クールビズのため腕がムキ出し
「それはお前をしばくためじゃあ!」
その後順調に日焼けは赤から黒へと移り変わりました。スタンダールみたいですね。
え、スタンダールの『赤と黒』を読んでいない? ぜひ読んでください、韓流ドラマよりは面白いと思います。
スタンダール『赤と黒』『パルムの僧院』
バルザック 『谷間の百合』
フローベール『感情教育』
このあたりは問答無用でお勧め。あー、もちろん小学生には無理で~す。