路上における母子のバトルについて
岡本教室の真ん前にケルンというパン屋さんがあります。以前、大学生ぐらいの女の子が二人、「ここにもパン屋あるんや~」「コルン?」とか言いながら通り過ぎていったパン屋です。多くのパン屋がそうであるように、このパン屋も、並べてあるおいしそうなパンが外から見えるようになっているわけですが、さらに、ショーウィンドウの、パンを置くには低すぎるであろう高さに、おいしそうな菓子パンの写真が貼ってあります。菓子パンというのがミソです。すなわち、その高さは、幼児の目の高さなのです。かくて当然のごとく、そこを通りかかった母子連れのあいだでバトルが勃発することになるわけです。
「なに、パン買ってほしいの? ほなら入ろか」
という幸せな展開になることも結構ありますが(さすが岡本です、十三の商店街ならそうはいきません)、お母さんにも都合や予定や機嫌というものがあり、そうそう子どもの言うことばかりきくわけにもいかなかったりします。子どもがおとなしければあきらめてお母さんに手を引かれてとぼとぼ歩いていき一件落着とあいなるわけですが、子どもにも都合や予定や機嫌というものがあり、そうそうお母さんの言うことばかりきくわけにはいきません。私は毎週火曜日の16時半から17時過ぎまで岡本教室の前に立っているのでよく見かけるのですが、あまりにもパンが食べたいせいか、お母さんに対して含むところがあるのか、座り込んでしまう子どもを見かけることがあります。お母さんはぷち切れ状態になったり困り果てたりしていて大変そうですが、見ていて飽きません。
つい先日は、これも岡本ですが、幼稚園ぐらいの男の子が、かなりぐだぐだな状態でお母さんに手を引かれて歩いていて、よほどしんどかったのか、「タクシー」と力なくつぶやいていました。お母さんはにこりともせず「乗るわけないでしょ」と冷静に対処していらっしゃいましたが、いやー、いいですね。
最近最も秀逸だったのは、自転車に乗った母子連れ(男の子はおそらく年長さん)です。
「なあ、スシロー行こー」(確かにすぐ近くにスシローがありました。)
「行けへんて」
「何で」
「だって家にご飯あるもん」
「スシロー行ってガチャガチャしたい」
「お金ないわ」
「・・・・・・全然ないん? 十円も?」
「五百円しかないわ」
「・・・・・・。何で五百円あるのに、お金ないって言うたん?」
「五百円しかないねん」
「お金ないって言うたやん」
「むだづかいするお金はないねん」
「でもお金ないって言うたやん」
淡々と鋭くつっこむ息子と、これまた淡々と返答するお母さんに感心しました。
公園でもよくやってますよね、早く帰りたいお母さんと、まだまだ遊びたい息子のバトル。お母さんが「もう帰るで」と言ってるのに、男の子は聞こえないふりをしてる、みたいな。ああいうのも見てるとかわいいなあと思います。
しかし、困ったケースもあります(正確にはバトルではないのですが)。ずっと昔の話ですが、宿プリのコメント欄に、毎回、「うちの娘は国語ができません」と書き続けるお母様がいらっしゃいました。いや、そんなことありませんよ、と返答しても効き目なしで、このままでは子どもが暗示にかかってしまうんじゃないかと思って、学サポの時間(当時は自習時間と呼んでいました)に本人を呼び、「こんなこと書いてあるけど、先生はきみは国語できると思うで」「お母さんは心配性なんやな、だいじょうぶだいじょうぶ」とくり返し説き聞かせていました。なんだか、安倍晴明と蘆屋道満の呪術対決のようでした。もちろん第一志望校に合格なさいました。
これはバトルではありませんが、昨年谷九教室で出迎えに立ってると、まだ足取りのおぼつかない男の子がお母さんに連れられてよく来てました。僕が「こんにちは」というと、立ち止まり、腰をかがめて「にゃっ」と言ってくれるのです。毎週その子に会うのが楽しみでした。あの子もお母さんとバトルを繰り広げるようになるのかしら。ちょっと見てみたいような。
今日は母の日でした。小学生のとき、「カーネーション買ってくるからお金ちょうだい」と母親に言って顰蹙を買ったことを思い出します。それはともかく、日々息子や娘とバトルを繰り広げている世のお母さんたちに、一刻も早く平穏と安息の日々が訪れることを祈りたいと思います。
あ、そういえば忘れていました。今月下旬から7月にかけて、「中学入試で求められる思考力を低学年で鍛える秘訣」という、土曜サスペンス劇場なみに長いタイトルの講演会をします。しゃべるのは、副学園長と私です。ぜひぜひお誘い合わせのうえお越しください。