今こそ島への愛を語ろう①~台湾その1~
只居ても腹は減る也春の雪 井月
今は昔の話ですが、何もしたくなかった私は、ずるずると七年半近く(十八歳から二十五歳まで!)仙台にいました。「何もしたくなかった」というのは、今となってはそう思うという話で、仙台にいた頃の自分は、わしにはやりたいことがある! と信じていました。「ほしいものがほしいわ」という当時のパルコのコピーふうにいえば、「やりたいことがやりたいのだ」って感じでしょうか。「で、何がやりたいのだ」と自問すると、そのときどきで場当たり的な答えしか出てこないという、なかなか不毛な青春ではありましたが、開き直って、この不毛さこそ近代的自我の証やんけ!とかいーかげんなことを言うてました。一応演劇はやってましたが、あらためて考えてみれば、ほんとうに舞台がそんなに好きだったのか疑問です。なんだか多少の縁があってやることになったので、これこそわしのやりたいことだと思い込もうとしていたようなところがあります。
絶対にしたくなかったのは仕事、つまり働くことです。就職しないまま大学を卒業してぼんやりしていると親からの仕送りも途絶え、やむなくアルバイトをして糊口をしのいでいましたが(親には「ふーてん」と呼ばれていました、当時は「ぷーたろう」といういい方もありました)、働かなければ生きていけないとはまたなんという不条理かと正直思っていました。旧約聖書の、アダムとイブがエデンの園を追放される話なんか読んで、やはり昔の人も「働かざる者食うべからず」という説教臭い命題に不満があって、それでこんな話ができたんだろうなと思っていました。
サルが木の実や昆虫を食べたり、ライオンがシマウマを食べたり、ミミズが土を食べたりするのは労働でしょうか。栗本慎一郎(古い!)は労働だといってたような記憶があります。それを労働とみるならば、確かに「働かざる者食うべからず」を不条理というわけにはいかないでしょうが、彼らがやっていることは人間の労働とはずいぶんちがうような気もします。だって彼らは食うために苦労して働いているわけではなく、ただ苦労して食っているだけです。こういってよければ、彼らにとっては、「食べること」=「働くこと」です。さらにいえば、「食べること」=「働くこと」=「生きること」です。ぴったり重なっています。に対して、「働かなければ食べていけない」とか「食うために働く」といってしまった瞬間、「食べること」と「働くこと」は分離してしまいます。飛躍をおそれずにいえば、人間の不幸の少なくとも一部分は、目的と手段が分離してしまったことに起因しているのではないでせうか! いや、目的と手段だけではないかもしれません! 本来ひとつに重なっているべきことを何かの便宜のために分けて考えるようになったのがすべての不幸の源なのでは!? すいません、飛躍してますね、きっと!
一方で、大学のサークルでマルクスの『資本論』を読んだりもしていて、マルクスの労働観にも惹かれるものがありました。マルクスは、頭の労働と手の労働が分離することによって労働は苦痛なものになるという意味のことを書いています(おお、ここにも「分離」が!)。工場で機械にとりついて働いている人々、生産計画に参画できずただただ手を動かし続けるだけの労働を強いられている人々のイメージですね。逆にいえば、それが分離していなければ労働は苦痛なものではないということになりましょうか。働くことは単なる苦痛ではなく、喜びにもなりうるということですね。当時の僕は働く喜びを知りませんでしたが、頭の労働と手の労働を分離させてはいけないという考え方は心に残りました。
仙台に住んでいたにもかかわらず、仙台にゆかりのある詩人、尾形亀之助のことを当時知らなかったというのは、かなりの痛恨事です。亀之助を知ったのは、何かを諦めて帰阪し就職してからのことです。もっといえば、塾講師の仕事に本格的にやりがいを感じるようになった頃からです。それと同時に亀之助に惹かれ、少し遅れて井月の俳句に出会いました。
亀之助ははっきりと「働かなければ食べていけないとはこのことかと、餓死して見せたっていいのだ」と、かなり振り切った(というか、いかれた)ことを書いています。井月は、ご存じの方は少ないと思いますが、幕末にどこからともなく尾羽打ち枯らした浪人の風体で長野の伊那に飄然姿を現し、そのまま死ぬまで伊那に住み着いた俳人です。
落栗の座を定むるや窪溜り 井月
書は後に芥川龍之介をして「神韻あり」とまで言わしめたほど、俳句の宗匠としても一流だったので、はじめのうちは大事にされたようですが、いつまでも居続けるのでだんだん疎まれるようになり、晩年は「乞食井月」と呼ばれ、近所の悪ガキに石をぶつけられるような存在になっていたそうです(後ろから石をぶつけられて頭から血を流しながら、ふり向きもせずに歩き続けていたという話です)。
(中略……いろいろ書いたのですが読み直して削除しました、てへ。井月も亀之助も毒が強すぎます)
夏深し或る夜の空の稲光 井月
僕が井月の言葉づかいで好きなのは、たとえば、冒頭の句の「只居ても」とか、この句の「或る夜」とかです。何もしたくなかった井月、何もしなかった井月、自分の人生を俯瞰していた井月を感じます。「只居ても」の句は、一茶の「むまそうな雪がふうはりふはりかな」を下敷きにしているのかなとも思いますが、なんというか、一茶には健全な食欲があるのに、井月は空腹は感じても健康な食欲は持たなかったのではないかという気がします。春の雪を見て一茶の句を思い出しはしても、「むまそうな」とは思わなかったのではないかなと思います。
えーと、何の話でしたっけ? そう、台湾の話でした。何で井月の話なんかしてるんでしょう? 台湾に行った話をしようとしていたのですが、どう切り出していいかわからずすごく遠いところから話し始めたらこんなことになってしまいました。というわけで、台湾の話は次回、その2で!