「嬴」の字は難しい
「大泉洋」という人がいます。この人の名前がいきなり聞こえるときに、「ボーイズ・ビー」という音に聞こえて「アンビシャス」と言いたくなるという人がいました。…すみません、これもウソです。ただ、こういう「聞き間違い」というのはよくあります。子供の頃、父方の祖父と散歩したときに、家の前の田んぼを大きく回って道に出た段になって、家の入り口のあたりから、うちの母親が私のおやつのつもりだったのでしょう、「チューインガムを買ってきて」と言ったのですが、いかんせん、距離はあるし耳は遠いしで、祖父の買ったものは、なんと「ちり紙」でありました。そんなもん、おやつに食えるかい!
タモリの番組で「空耳アワー」という人気コーナーがありました。外国語の歌のフレーズが日本語に聞こえる、たとえば「シット・ダウン・プリーズ」が「知らんぷり」に聞こえるというやつです。考えてみれば、「ホッタイモイジクルナ」のジョン万次郎も「空耳アワー」をやっていたのですね。ちがうとわかっていてもそう聞こえるということがたまにあります。「元気ですかー」と言っているのに、「便器」を連想してしまうと、もういけません。「便器があれば何でもできる」と言っているとしか思えなくなります。アントニオ猪木という名前さえ、別の言葉に聞こえることもあります。「じゃっくとまめのき」と、ひらがなで書いて、その横に「あんと( )のき」と書いて、( )にはいる言葉を聞くと、だれでも「豆」に対応する言葉を答えようとしますが、答えは「におい」なんですね。そのまま入れて読めばわかります。
もちろん、これはわざと引っかけようとしているわけで、こういうのを「ミスリード」と言います。わざと間違った方向に誘導する、ということですね。「ナポレオンは赤いズボンつりをはいていた。なぜか」と言うと、「赤い」に気を取られて、ナポレオンが「赤」を選んだ理由を答えたくなりますが、答えは「ズボンがずり落ちないようにするため」です。「赤」には特に意味がないのに、わざわざ言及するからには意味があるのだろうと考えるのは、むしろ国語力があるからです。きへんという部首に赤と書いてスイカ、きへんに青と書いてメロン、きへんに紫と書いてブドウ、ではきへんに黄色と書いてなんと読む、と聞かれたら「バナナ」と答えたくなります。もちろん、答えは「横」ですね。三つの前ふりには何の意味もなかったわけです。
古代中国、呉越の戦いのときに、越王勾践の参謀范蠡のたてた作戦がムチャクチャなものでした。呉越両軍が対峙する中、進み出た越軍の一隊が剣を抜き、自らの首をはねます。呉の兵士たちが驚きいぶかっていると、また別の一隊が進み出て、自分の首をはねます。さらにまた同じことが繰り返されます。呉軍は思考停止の状態におちいり、次の一隊が前進してきたときも、ぼんやりと見守るだけでした。ところが、この一瀬戸内ジャクソン隊こそ越の精鋭部隊で、呉軍に猛然と襲いかかります。呉軍は敗走、呉王闔閭は矢にあたって傷を負い、それがもとで亡くなりました。はじめの自殺隊は、実は死刑囚だったと言われています。残された家族の面倒をみてもらう代わりに、自らの首をはねたわけです。この話もやはり人間の盲点をついています。何度も同じような強烈なことが起これば、次も同じことが起こるだろうと思ってしまうのですね。「二度あることは三度ある」とでも考えたのでしょう。
呉越の争いは故事成語の宝庫で、このあと有名な「臥薪嘗胆」という話につながりますし、「同病相憐れむ」「死者にむち打つ」「日暮れて道遠し」「会稽の恥」「ひそみにならう」等々。もちろん「呉越同舟」の元にもなっていますし、孫子こと孫武は呉王闔閭の家臣なので、孫子がらみの言葉も呉越の争いにかかわってきます。ちなみに、三国志の呉の孫家は孫武の末裔だということになっています。こういう故事成語は非常に面白いのですが、国語の講義の中ではどこまで触れるべきか、悩みどころです。たとえば「漁夫の利」。貝と鳥が争っているところに漁師が通りかかって…という話だけでも十分なのですが、五年生、六年生にもなると、背景となる話までしてやると、結構面白がってくれます。中国の戦国時代には、あちこちの国を渡り歩いて自らの弁論で政治に影響を与えようとする人が活躍しており、こういう人たちを「遊説家」と呼びます。そのうちの一人、蘇代という男が趙の国に出かけていきます。趙が燕を攻めようとしていたときで、蘇代は趙の恵王にたとえ話をします。そのうえで、今、趙が燕に攻め入ると、お互いが疲弊するだろう、そこへ強国の秦がやってくれば、この話の漁師になるのではないか、と説いたので、戦争が起こらずに済んだ、という話です。
ここで終わってもよいのですが、生徒の反応がよければ、さらに一歩進めて、蘇代の兄の蘇秦はもっとすごいと言って、合従連衡の話をすることもあります。合従とは「縦を連合させる」の意であり、燕、趙、韓、魏、斉、楚の六カ国で南北に連なる同盟をつくり、西方の秦に対抗しようという策を提案します。「その説得をするときに用いた言葉が何か知ってる?}と聞いても、もちろん生徒たちは知りません。そこで、種明かしをして「鶏口となるも牛後となるなかれ」だと言うと、みんな「なるほど」とうなずきます。言葉だけは知っているのですね。あいまいだった自分の知識がきちんとした形になったとき、人間はそういうことだったのかという快感を得ます。さらにそのあと、鬼谷の元で蘇秦とともに学んだ張儀は秦の宰相となり、連衡の策をとります。連衡とは「横に連ねる」の意味で、合従を破って東方の六カ国をばらばらに切り離し、個別に秦と同盟を結ばせます。結果的にはこの策も破れて張儀は失脚しますし、蘇秦も暗殺されるのですが…。ということで、この二人は「遊説家」ではなく「縦横家」と呼ばれることもあります。
この話のあと、「でも最終的に秦がすべての国をほろぼして天下をとるのだけど、そのときの王様、嬴政は自分のことを何と呼べと言ったか知ってる?」と聞くと、「始皇帝」とうれしそうに言う生徒がたくさんいます。まあ、このあたりは『キングダム』で知っているのかもしれませんが。いずれにせよ、掘り下げた話をしていくと面白く感じてくれることもあるようです。