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2024年3月 3日 (日)

ちょうど時間となりました

三遊亭圓朝作の怪談『牡丹灯籠』も、中国の話に原典がありそうな気もしますが、どうでしょう。もう一つ、圓朝作の有名な怪談に『真景累が淵』というのがありますが、「真景」は「神経」とかけた言葉になっています。幽霊というのは神経の作用で見えるものだ、ということで、ずいぶん科学的な見方をしています。明治時代には、この「神経」というのが一種の流行語になっていた、と、圓朝の流れをくむ圓生が『累が淵』のマクラで語っていました。

圓生もなくなって久しいのですが、Youtubeなどで見ることができます。うますぎて鼻につく、というか、どうだうまいだろう感がつよすぎるときもありますが、やはりうまかった。最近の上方落語では桂吉弥がいい、と前に書きましたが、吉弥と桂春蝶、春風亭一之輔の三人会を見たことがあります。梅田芸術劇場、シアター・ドラマシティというところでやったのですが、客席は満杯でした。吉弥は『愛宕山』というネタをやりました。山登りをする一行の中に舞妓さんが登場するのですね。そのときにこめかみのあたりに手をやって動かして、「これ、舞妓さんのビラビラ」と言って笑いをとるところがあります。吉朝ゆずりのネタですが、その師匠の米朝もちゃんとやっていました。「ここ、笑うとこよ」というやつですね。確かに客席はドッと受けていました。

なぜここが笑うつぼになって、おかしみを感じるのか。そこまでやらんでもええやろ、というところにあえてこだわるのが面白みなのでしょうか。『地獄八景亡者戯』で、やる人はみんなの閻魔の顔真似をしますが、これは断片となっていたものを米朝がととのえた話ということもあるのか、やはり米朝の顔が一番笑えます。このタイトルが芝居風で、歌舞伎と同様、漢字七文字になっており、これで「じごくばっけいもうじゃのたわむれ」と読みます。「八景」はどこから来たのか。地獄のいろいろな情景、という意味でしょうが、「近江八景」から来たのかもしれません。「日本三景」と言って、日本全体には三つしかないのに、近江には八つもあるというのが、なんだか変です。八つもでっちあげようとしたせいでしょうか、無理矢理感も漂います。「比良の夕照」なんて、夕焼けがきれいだという、どこにでも当てはまりそうなものを持ってきています。

大阪で夕陽が美しいところと言えば、そのまま地名になっている夕陽丘でしょうか。地名そのものもなんだか美しい感じがします。日本を愛する外国人たちの感想で、美しい言葉として「木漏れ日」をあげた人がいます。勿論、こういう現象はどこの国にもあるわけですが、それをこんな風に名付けるセンスがすごい、とほめちぎっていました。他にも、雨を表す語彙の多さに感動する、という人もいます。音読みする熟語以外にも、にわか雨、むら雨、こぬか雨、やらずの雨とか、「雨」という言葉がはいっていなくても、しぐれ、卯の花くたし、きつねの嫁入りとか、いろいろあります。「虎が雨」という妙な言葉もあります。夏の季語にもなっており、旧暦五月二十八日に降る雨のことです。「虎が涙雨」とか「虎が涙」とか言うこともあり、虎御前が泣く涙だということになっています。これは曾我兄弟から来ているのですね。だから「曾我の雨」と言うこともあります。曾我兄弟の兄のほう、十郎が死んだことを、恋人の虎御前が悲しみ、泣きはらした涙だというわけです。

今では曾我兄弟も荒木又右衛門も忘れられ、日本三大仇討ちも忠臣蔵だけが残っていますが、昔は曾我兄弟は有名だったのですね。源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我十郎・五郎の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件です。伊東一族の領土争いが発端で、いろいろあってややこしいのですが、三谷幸喜脚本の大河ドラマでは非常に面白く描いていました。兄弟が父の仇討ちを行うと見せかけて、頼朝を暗殺しようとする、という設定ですが、頼朝の寝所にたまたま工藤祐経が寝ていたのを襲ってしまう、まぬけな展開になります。義時は「仇討ちを装った謀反ではなく、謀反を装った仇討ち」だと言い、兄弟は父の無念を見事はらしたという美談に仕立て上げます。そして、「この話は後の世にまで語り伝えられるだろう」と言うのです。事実、三代仇討ちの一つとして後世にまで伝わりました。

現代からの視点で見れば、義時の言葉どおりになるわけで、こういうとらえ方は「真田丸」のラストにもありましたが、この大河ドラマでは伏線回収のうまさが際立っていました。と言うより、実は毎回のちょっとしたエピソードをそのままにしないで、後になってうまく活かしていたのかもしれません。長い年月をかけて書かれる大長編小説ともなると、そういったエピソードが活かしきれず、場合によってはミスにつながることもあります。吉川英治の『新書太閤記』に、わりと早い段階で藤吉郎と光秀が出会う場面があり、それはそれで面白いエピソードだったのですが、後年になって光秀が信長に仕えたとき、秀吉とは初対面だという設定になっていました。作者自身が昔に書いたことを忘れてしまったのでしょうが、読む側は一気に読んだりすることもあるので、矛盾に気づきます。

ただ同じ時代に生きていたのであれば、どこかでめぐりあっても不思議はないわけです。講談の神田伯山が、どんな話でも宮本武蔵が出てくるとお客が喜ぶ、と言っていました。別の話であっても、多少時代がちがっても、「あの」宮本武蔵がちらっとストーリーにからめて出てくるだけで、話が「豪華」になるのですね。伊坂幸太郎の連作で、ちがう人物の視点で書かれているのに、どの作品にも同じ人物が登場してくる、というのがありました。連作でなくても、ある作品の人物が、別の作品に脇役としてチラッと登場することもあります。読者サービスと言ってもよいでしょう。同じ作者のものを掘り下げて読んでいく人だけに与えられた楽しみと言ってもよいかもしれません。

講談の「武蔵伝」には、武者修行をしている武蔵が狼退治をする話があります。そのときに知り合った駕籠屋の親父が強いのなんのって、並みの男ではありません。狼をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、はてには一番大きな狼をビリビリと引き裂いてしまいます。では、何者だったのかというと、うーん、残念。ちょうど時間となりました。続きは次の口演にて。

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