2019年3月27日 (水)

聖徳太子の地球儀

前回、日本語のルーツがシュメール語という「トンデモ説」を書きましたが、モンゴル語と日本語は文法が似ているので、単語さえ覚えればなんとかなると司馬遼太郎が言っていました。司馬遼太郎は今の大阪大学のモンゴル語学科で学んだので、ある程度真実でしょう。モンゴル語なら「トンデモ説」にならないかもしれません。ただ、文法や語順が似ているからと言って、ルーツと言えるかどうかは疑問です。日ユ同祖論というのもあります。「ユ」はユダヤですね。これは「トンデモ説」ですかね。

大阪城の博物館にある屏風絵に長篠合戦を描いたものがあり、信長の家来の中に六芒星の紋の入った羽織を着ているものが何人かいます。安倍晴明の家紋は五芒星で有名ですが、六芒星は晴明のライバル蘆屋道満の家紋です。晴明との術比べに敗れたあと、道満は在野の陰陽師となったらしい。その子孫として土師氏などがあり、それらが信長の家来になったと思われます。戦場に出ているのは、「気象士」としての役割だったのかもしれません。一方の信長は、源平交替思想で、清盛の平氏、頼朝の源氏、平氏である北条氏、源氏の足利のあとを継ぐために平氏を名乗ったようですが、元は越前の織田剣神社の神官の家系で、越前守護の斯波氏の守護代になりました。尾張も斯波氏が支配していた関係で織田氏も尾張に移ったのでしょう。本来は藤原氏か忌部氏だと言われています。忌部氏であるなら、朝廷の祭祀を担った一族なので、陰陽師とのつながりもありそうです。ところが、なんとこの忌部氏が実はユダヤ系だという「トンデモ説」があるのですね。で、ユダヤの王家の紋章が六芒星です。ダビデの星として今のイスラエルの国旗にも描かれています。ここで、信長の家来に六芒星軍団がいることとつながってしまうのです。

日ユ同祖論というのは、古代イスラエルの十二支族のうち、十支族が消えてしまったのですが、そのうちの一つが日本にやってきた、というやつです。秦氏の正体だという説もあります。今の京都のあたりをねじろにした一族で、その本拠地が「太秦」と書いて「うずまさ」と呼ぶところです。東映の撮影所のあったところで、今は映画村になっています。中国経由で秦の始皇帝の子孫というふれこみでやってきたらしいのですが、もっと西の方のにおいがします。秦氏の基を築いたのは「弓月臣」と言われていますが、中央アジアには「弓月国」がありました。秦氏の氏寺である広隆寺にある井戸が「いさら井」と言うのは「イスラエル」の音と似ています。八坂神社も古くは祇園社と言いましたが、ユダヤの民にとっての聖地「シオン」に「祇園精舎」の「祇園」の字をあてたのではないか、とも言われています。祇園祭が国際色豊かなのも、そのこととなんらかのかかわりがあるのかもしれません。

さらに諏訪の地にまでユダヤの民族が行き着いたということで、諏訪の祭りとユダヤ教の神事との類似点が指摘されます。ユダヤでは羊を生け贄として神にささげたのですが、日本には羊がいないためなのか、諏訪では鹿の頭をささげます。ご神体が守屋山でそれをまつっていたのが守矢氏、聖書でアブラハムが行ったのはモリヤ山。七年に一度の大祭、御柱祭りは、樹齢百年以上のモミの大木に人々がまたがって、急斜面をすべりおりてくるやつですね。けが人は言うまでもなく、死者さえ出すことがある、危険きわまりない奇祭ですが、これもソロモン王が神殿を建てたときの故事と結びつくとか。ただ、「似ている」というのは根拠としては実は弱い。英語の単語のいくつかに日本語と似ているものがあったからと言って、同じ起源をもつものとは言えません。

聖徳太子もキリスト教との類似がよく言われます。馬小屋で生まれたとされるキリストに対して、うまやどの皇子という名もあやしいといえばあやしいし、どちらも「復活」しています。太子の母は、救世観音が口から胎内にはいって、太子を身ごもったという話もありますが、これはキリスト誕生なのか、お釈迦様なのか。摩耶夫人も白い象が胎内にはいる夢を見て懐妊したとか。むかしの聖人には、そういう伝説がくっついてくるのでしょうか。そういえば、キリストも若いころの十何年間は、何をしていたかわからない空白の時期とされていますが、なんとその間、キリストは仏教の僧になって修行していたという、大胆きわまりない説もあります。キリストが誕生したときにやってきた東方の三博士も、実は仏教の僧だったとか。そこまでいかなくても、聖徳太子はむしろお釈迦様とのダブルイメージがあると言っていたのは梅原猛です。

ただ、この時代、ネストリウス派のキリスト教が中国にやってきているわけですから、小野妹子がキリスト伝説をもってきていても不思議はありません。斉明天皇となると、キリスト教どころか、ゾロアスター教の影響を受けていたのではないか…というのが松本清張説です。『火の路』という小説仕立てにしていますが、説得力がないわけでもない。飛鳥にはいくつか妙な石造遺物が残っています。酒船石とか、亀石とか猿石とか。益田磐船というのもあって、これはゾロアスター教の拝火壇なのだとか。『続日本紀』には「波斯人」が日本に来たという記述もあり、これはペルシャ人のことなので、ゾロアスター教が伝わっていてもおかしくないのだそうな。これはNHKでドラマ化されました。主役は栗原小巻で、芦田伸介も重要な役どころでした。

東大寺二月堂のお水取りもゾロアスター教とのかかわりを言う人がいます。正倉院にはペルシャ由来の文物も数多くあるのですから、これも可能性なしとは言えません。松明が燃えさかる光景がよくニュースで流れますが、東大寺修二会というのは、火と水の儀式であり、火だけでなく、水や土を大事にするゾロアスター教と結びつきそうです。伎楽だって、古くは「くれのうたまい」と言いましたが、外国の代表として「呉」と言っているだけで、むしろ「胡」でしょう。インドかペルシャあたりのものが中国経由でやってきたと考えられます。そもそも唐自体がシルクロードを通じてペルシアのあたりとつながっているのですから、影響があってあたりまえです。オーパーツより可能性が高い。これは「時代錯誤の遺物」「場違いな工芸品」と訳すのでしょうか。なぜ存在するのか、どのようにして作ったのかわからない遺物で、未知の超古代文明の証拠とかいわれます。ムー大陸が描かれている地球儀なんて、いかにもうさんくさいでしょ。

2019年3月10日 (日)

シュメールいやさか

「死神」の「さげ」の部分、やっぱり書いておきます。じつは、やる人によっていろいろなんですね。「ああ、消える」と言うか、無言のままで演者が高座で体を倒すというのが基本形のようで、「昭和元禄落語心中」の「有楽亭八雲」もこの型でやっていますが、成功させるパターンもあります。人間国宝柳家小三治は、いったん成功させておきながら、男は風邪を引いており、喜んでいるときにくしゃみが出てロウソクが消えるというやり方をしました。立川志の輔も、成功してそのロウソクの明かりで洞窟を出て行き、外に出たところで、死神に「もう明るいところに出た」と言われて自分で消してしまうという形を作りました。千原ジュニアもこの落語に挑戦しています。ジュニアは、男がロウソクを持って帰宅するのですが、妻に「昼間からロウソクつけて、もったいない」と吹き消されるという落ちにしました。いちばん好きなのは、立川志らくのさげです。成功したあと、死神に「今日がおまえの新しい誕生日だ。ハッピバースデートゥーユー」と歌われて、男が思わず火を吹き消す、というさげです。

で、呪文の話の続きです。「アジャラカモクレン、キューライソ、テケレッツのパー」同様、脱力感きわまりないことばとしては、「ラメちゃんたら、ギッチョンチョンで、パイノパイノパイ、パリコトパナナで、フライフライフライ」というのもあります。これは呪文ではなく、「東京節」という歌の文句です。明治のころの「演歌師」添田唖禅坊という人の息子が古いアメリカの曲に歌詞をつけたものです。添田唖禅坊はフォークシンガーの走りということで、高石ともやとか高田渡、加川良などがカバーしていましたし、「東京節」もなぎら健壱が歌っています。ドリフターズも歌っていたと思います。「ラメちゃんたら…」は意味がわかるようでわからないのですが、要するにスキャットみたいなものでしょう。あるいは吉本のギャグ、たとえば「インガスンガスン」のような。ただ、喜劇映画などでは呪文として使われることもあったようです。もちろん観客には有名な歌のフレーズであることはわかっているわけで、結局はギャグの扱いになるわけですが。

ディズニーの「シンデレラ」の中で、魔法使いがカボチャを馬車にかえるときに歌う「サラガドゥーラ、メチカブーラ、ビビディバビディブー」というのもありました。ルイ・アームストロングが歌ったものが何かのCMでも使われていました。これも意味不明のことばを呪文として使ってます。「ラメちゃんたら…」に比べると、「ビビテバビデブー」はまだなんとなく効き目がありそうです。「アリババと40人の盗賊」に出てくる「オープン・ザ・セサミ」は有名すぎて、すっかり陳腐化してしまいました。いまどき「開け、ごま」なんて言う人はいないでしょうが、何の番組だったか、愛川欽也がよくさけんでいました。口裂け女はポマードが大きらいで、「ポマード、ポマード、ポマード」とさけぶとひるんでしまうとか。そのすきに逃げればよいという「都市伝説」がありましたが、効き目があったのでしょうか。ポマードも最近はにおいがきらわれて整髪料としてのニーズは少なくなっているようですが、ドラキュラがにんにくをきらうように、においで悪鬼を退散させるというのは、ひいらぎにいわしの頭をさす節分の風習ともつながりそうです。洋の東西を問わず魔物は強いにおいを嫌うと考えられてきたのか、それとも一つのルーツから派生してきたのか。いずれにせよ、においをきらうのであって、ことばそのものをおそれるわけではないでしょう。ドラキュラに向かって、「にんにく、にんにく」とさけんでも意味はないはずです。ただ、日本の場合にはやはり言霊信仰があるのかもしれません。

西欧だって、ことばの力は認めています。なにしろ「はじめにことばありき」ですから。「さよなら」の「グッドバイ」も、もともとは「ゴッドバイ」で、「神が汝とともにましますように」という意味だと言われます。ちなみに「ゴッド・アンド・デス」(これはカタカナ読みではなく、英語風に発音しなければならない)は「ありがとう」の意味だと相撲取りが言っていたとかいないとか。英語のルーツはよくわからないらしいですが、ゲルマン族のうちのアングル人やサクソン人のことばが元になっているようです。「イングリッシュ」とは「アングル人のことば」という意味だそうですな。ただ、その後バイキングのことばもまじり、さらにはフランスからやってきたノルマン人に占領されます。ノルマン・コンクェストというやつです。支配階級はフランス語、一般庶民は英語を話すことになります。イギリス人が大好きなリチャード獅子心王はフランス語しか話さなかったわけですが、やはり英語全体にもフランス語の語彙がはいっていきます。牛がカウなのに、牛肉がビーフになるのは、前者が英語系、後者はフランス語系であるかららしい。ビッグとポーク、シープとマトンも同様で、要するに支配階級の食べる肉を庶民が生産していたことがわかる対応になっているわけです。さらに、大英帝国として世界中を支配していくうちに現地のことばも取り込んで、今の英語になったようです。

日本語のルーツはシュメール語だという、トンデモ説があります。まあ、これは神代文字と同じレベルのうそでしょう。ただ、おもしろいことはおもしろい。シュメール語は膠着語だったそうです。中国語は意味を持つ漢字を単純に並べて文を作る「孤立語」と呼ばれ、ヨーロッパのことばは、単語が人称や時制などに応じて複雑に変化するので「屈折語」と呼ばれます。それに対して、日本語のように、一つの意味を持つ単語を助詞や助動詞でつなぎ合わせて文を作るものを「膠着語」と言います。「膠」はニカワ、つまり接着剤ですね。この特徴が似ているのなら、二つの言語は多少の近縁関係にあるかもしれません。シュメール文明というのは、チグリス・ユーフラテス川の下流、つまりはメソポタミアですな、そこで始まった「世界最古」の文明ということになっています。シュメール人は、突然この地に姿を現し、それまで何もなかったところに最初の文明を築き、突然姿を消したらしい。その「神話」では、宇宙のある星からやってきた人々が人類をつくったとか。つまり「天孫降臨」です。シュメールの王家の紋章がなんと十六菊花紋だと言います。それが本当なら、日本の皇室と同じです。古代の天皇がスメラギとかスメラミコトとかいうときの「スメラ」は「シュメール」のなまったものだとしたら…。「スメラ」は「統べる」と関係があるという説が後付けの解釈だとするなら、天皇はシュメール人?

2019年2月26日 (火)

祝と呪は似ている

時代劇では、不動明王の前で火を焚きながら「ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダン…」とやるのもよく見ます。般若心経の「ギャーテイ・ギャーテイ・ハラギャーテイ・ハラソウギャーテイ・ボジソワカ」とか「オンアボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニハンドマ・ジンバラ…」とかいうのもよく聞きます。いずれにせよ、「真言」ですから、素人がむやみやたらに口にすべきものではないのでしょうが…。

呪文には、「急急如律令」というのもあります。これは安倍晴明が使うやつですね。意味としては「急いで法律または指示通りにやれ」から「命令に従わないと罰する」ということになって、悪霊退散の呪文になったのでしょう。だから、キョンシーの額の御札にも書かれているわけですね。歌舞伎の「勧進帳」では弁慶と富樫との問答の中で、「九字の真言」についてやりとりする中で出てきます。「九字の真言」というのも時代劇でよく出てきます。あの「臨兵闘者皆陣列在前」の九字の呪文を唱え、指で九種の印を結ぶというやつです。忍者のお約束ですな。「南無念彼観音力」というのも時代劇では、呪文のように唱えられます。「観音の力をお貸しください」の意味で使っているようですが、本来は「観音の力を心に念じることによって、観音と一体化して、あらゆる苦しみから救われる」という意味らしい。

偽書とされる「先代旧事本紀」という本があって、その中に「十種神宝」というものが登場します。「とくさのかんだから」と読み、霊力を宿した十種類の宝のことだそうな。それらを振り動かしながら、「布瑠の言」という祝詞を唱えると、死者さえ生き返らせると言います。「ひふみよいむなやここのたり、ふるべゆらゆらとふるべ」という短いものなので覚えやすい。頼光四天王筆頭の渡辺綱が橋姫と出会う舞台となった一条戻り橋という橋があります。三善清行の葬儀の列がこの橋を通ったときに、清行の子の浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに生き返った、という不思議な話があります。一条戻り橋という名はそれが由来になってます。浄蔵というのは相当の力があった僧侶で、菅原道真が怨霊となって藤原時平を祟っているというので調伏のために呼ばれます。ところが、時平の耳から青竜の姿をとって道真が現れたのを見て、調伏を辞退します。ほどなくして時平は死んでしまったそうな。

一条戻り橋には他にも不思議な話があって、安倍晴明は、この橋で殺害された父の保名を蘇生させたと言います。安倍晴明が使っていた式神は十二体あったそうです。式神とは陰陽師が使役する鬼神のことで、要するに陰陽師のパシリですな。「今昔物語」には、晴明の屋敷ではだれもいないはずなのに戸を上げたり下ろしたりすることがあったと書かれています。式神を使って、自動ドア風にしていたということですかね。「大鏡」にも、花山天皇の退位を予知した晴明が牛車の支度をさせて、式神に参内するように命じたということが書かれています。ただ、この式神があまりにも恐ろしい顔で、晴明の妻がおびえていたので、晴明はふだんは十二体の式神を一条戻橋に置いた石櫃の中に閉じこめておいたそうな。

ちなみに死者の蘇生は紀長谷雄もやっています。長谷雄という名前は、父親が長谷寺に男の子を授けてほしいと祈願して生まれたからつけられたと言います。菅原道真の弟子で、「竹取物語」の作者ではないかとも言われており、「古今和歌集」の漢字で書かれた序文を記した紀淑望の父親でもあります。双六もうまかったようです。当時の双六は、今とはちがって、バックギャモンみたいなもので、賭博性の強いゲームでした。この長谷雄が、なんと全財産を賭けて鬼と双六の勝負をしたという話があります。鬼が負けてしまったので、絶世の美女をさしあげると言うのですが、これはさまざまな死体からよいところだけを寄せ集めて鬼が造ったものでした。要するにフランケンシュタインのモンスターですね。百日待たないと完成しないのですが、結局とけて流れてしまいます。

呪文に話をもどすと、「アジャラカモクレン、キューライソ、テケレッツのパー」なんて、わけのわからないものもあります。志ん生の「黄金餅」のお経の中にも同じようなことばが出てきます。お経なのに「君と別れて松原行けば松の露やら涙やら」とかいう文句が出てきて、そのあとにこの呪文を唱えるのですが、「死神」という落語に出てくる呪文が有名です。金がなくて死んでしまおうと思っている男の前に死神が現れて、医者になれとすすめます。「死神の姿を見えるようにさせてやる。病人の枕元に死神が座っていたらだめだが、足元に座っていたら助かるので、呪文を唱えて追い払え」と言われます。「アジャラカ…」は、そのときの呪文ですが、「キューライソ」の部分は演者によっていろいろと勝手に変えてやっているようです。「キューライソ」は「らくだ」という落語の中の「かんかんのう」の文句から来ているのかもしれません。「かんかんのう」は江戸時代に流行した唄で、もとは中国語なので、歌詞が意味不明になっているというものです。「かんかんのう、きうれんす」という歌詞の「きうれんす」の部分をだれかが思いつきで適当にあてはめたのかもしれません。

「死神」の話の続きを紹介しておくと、男は売れっ子の医者となって金持ちになり、医者をやめて優雅に暮らします。ところが、やがて金が底をつき、再び医者の看板をあげますが、診察に行けばいつも死神は枕元におり、助けることができないので金は手に入りません。さる大店のご隠居を治してほしいと頼まれ、行ってみるとやっぱり死神は枕元にいます。お礼の大金をどうしても手に入れようと一計を案じた男は、死神が居眠りしているすきに布団を半回転させ、死神が足元に来るようにして呪文を唱えます。金を手に入れた男はその帰り道、死神につかまって、たくさんのロウソクがともされた洞窟に連れて行かれます。このロウソクは人間の寿命を表しており、今にも消えそうなロウソクが男の寿命だと言われます。金に目がくらんで、自分の寿命をご隠居と取り替えたということですね。ロウソクが消えれば死ぬが、その前に新しいロウソクに火を移しかえれば助かると言われ、男は必死になって火を移しかえようとしますが、手が震えて…。さあ、このあとどうなるか。続きはwebで!

2018年11月11日 (日)

歯が痛いときの呪文

モーグルの上村選手も、オリンピック直前に不利になるようなルールに変更されましたし、バサロキックの鈴木大地も背泳ぎで優勝するとすぐに潜水の距離が制限されました。古くはバレーボールでも、ブロックの時のオーバーネットを反則としないというルール変更が行われました。身長の低い日本人はオーバーネットをすることは少ないので、外国人選手がブロックしやすくなっただけです。そこで、東洋の魔女と呼ばれた日本人女子チームはツーアタックとか時間差攻撃などを工夫していくのですが、またまたパワーに勝る外国人選手が有利になるようにルール変更。フィギュアスケートなんて、しょっちゅうルール変更があるようで、浅田真央も羽生結弦も泣かされているそうな。

こういったところは欧米人の傲慢さで、いまだに、白人である自分たちが、アジア・アフリカに負けるのは我慢ならないのだ…なんて吠えると、「いやいや、特定のチームや国ばかりが勝つと、ゲームがおもしろくなくなるからルールを変えるんですよ」と言われるかもしれません。日本人が勝手に被害妄想になっているだけで、欧米人が不利になるルール改正は見過ごしていることもないとは言えません。

野球の「四球宣告制度」というのはどうなのでしょうか。時間のロスをなくすという意味ではたしかに納得できるのですが、投手が投げている間バットを逆に持って抗議する人もいましたし、わざと三振することも可能です。強引に飛びついて打つこともできなくはないので、宣告するだけの場合とは結果が変わってくることもあります。ただ、相手が敬遠しようとしているのなら、それに逆らわないというのが暗黙のルールでしょう。国語のテストでも書き取りのときは楷書で書く、という暗黙のルールがあります。続け字で書いてペケにされ、これは草書だといっても認めてもらえません。

字の形には、篆書というのもありますね。これは今でも判子で使われる格調の高い古代の書体です。当然美しいのですが、複雑で、書きにくいのが難点でした。そこで篆書を崩して書きやすくした隷書という書体が生まれます。ここからさらに草書、行書、楷書の三つの書体が生まれるわけですが、隷書はちょっと横長で、波打つような左右のはらいが特徴的です。新しいところでは、勘亭流というのもあります。江戸歌舞伎の看板などに使われる字体で、肉太で丸みがあり、隙間なく書き、ハネる時は内側に入りこむような感じです。これは客を招き入れるという意味だそうな。よく似ていますが、寄席文字というのもあります。勘亭流に対して橘流とも言われます。橘右近という噺家が始めたもので、多くの客が集まるように字を詰まり気味に並べ、空席が少なくなるように隙間をできるだけなくし、さらに右肩上がりに書くという特徴があります。

「南無妙法蓮華経」という「お題目」は「法」以外の字の端の部分を長くひげのようにのばして書かれることがあります。髭題目とか跳ね題目と言い、「法」の光に照らされてすべてが生き生きと活動することを表しているとか。ひげ文字と言う人もいますが、日本酒などのラベルなどに使われている、筆のかすれた感じと画の最後に細かいついた「ひげ」がある字体も「ひげ文字」と呼ばれます。ドイツ文字も「ひげ文字」と呼ばれることがあります。「亀甲文字」とも言い、中世ヨーロッパで使われていた字体です。他の国では使わなくなりましたが、ドイツだけが長く使っていたので「ドイツ文字」と呼ばれます。アルファベットにも装飾的な文字で書かれているのをよく見ます。

そういえば、最近の手書きでは、筆記体は使わないようです。ブロック体だけなんですね。アメリカでもそうらしいし、日本の学校でも筆記体は教えなくなっているようです。リットルの表記も小文字の筆記体から大文字の「L」に変わりました。小文字のブロック体では数字の「1」とまぎらわしい、ということもあるのかもしれませんが。長いスパンで見ると、アルファベットそのものも時代によって、いろいろ変わっていくようです。「アルファベット」という名前さえ、ギリシャ文字の最初の二文字の「アルファ」「ベータ」から来ているわけですから。「W」なんて昔はなかった字らしいですね。「ダブルユー」と言うからには「ユー」を二つ並べたものだったのです。いやいや、「U」ではなく「V」だろうと思ってしまいますが、実は「U」と「V」の区別もなかったのですね。「W」はフランス語では「二つのV」という意味の発音になるのも、そういうあたりの事情と結びつきます。「ブルガリ」というブランドが「BVLGARI」と表記しているのは、わざと昔風に書いているのかもしれません。「I」と「J」の区別もなかったようで、「J」は「長いI」と呼ばれることもあったそうです。

アルファベットのRやNがロシア文字では左右ひっくり返った鏡文字になっているのはなぜでしょうね。ロシア文字ではなく、正確にはキリル文字というようですが。一説によると、あるロシア人がヨーロッパで手に入れた文字の資料を持って帰る途中、船が難破して資料が失われてしまい、結局記憶だけを頼りに再現したのがキリル文字だとか。たしかに、形だけでなく、他の文字と入れ替わっていることもあります。ソ連をキリル文字で書いたときの省略形が「СССР」でしたが、これは「シー・シー・シー・ピー」ではなくて 「エス・エス・エス・エル」と読むことになっていました。すごく違和感がありますが…。

「梵字」というのはなかなかかっこいいですね。武将の花押みたいな字です。もともとは古代インドのサンスクリット語を表記するための文字で、「梵天」がつくった文字ということで「梵字」と言います。梵天は帝釈天とセットになる仏法の守護神で、伊達政宗の幼名が梵天丸でした。大河ドラマの「梵天丸もかくありたい」という台詞が流行語になりました。梵字は空海が日本に持ってきたようで、真言でつかわれます。真言は、サンスクリット語でマントラと言います。仏の真実のことばということでしょうか。呪文的な感じのもので、原語の音のまま使います。長いものは陀羅尼と言いますが、短いものはたまに聞くことがあります。「アビラウンケンソワカ」というのは、時代劇の修験者が怨霊退散などでやるやつで、一説によると歯痛にも効くそうな。

2018年10月30日 (火)

基準はBMI数値

ランクの話の続きです。将棋のタイトルは八つあるそうですが、どれが一番強いのでしょうか。名人戦とか竜王戦とか棋聖戦とか…。もともと七つだったのが、コンピューターソフトの挑戦者を決めるトーナメントが加わって、八つ。たぶん、歴史やいわれがあって、なんとなくの優劣があるのでしょう。賞金もその順序にしたがってちがいがあるのかなあ。では、全部制覇したら、特別な称号がつくのか。まさか八冠王? 羽生さんはたしか全部とっていた時期があったはずです。そのころは七つだったけど、どれだけ強いかわかりません。ほかに引退後名乗れる「永世~」という称号もありますし、とにかくややこしい。

ボクシングも階級が細分化して、タイトルの数が増えました。子供のころ見ていたときには、ヘビー級、ライトヘビー級、ミドル級、ジュニアミドル級、ウェルター級、ジュニアウェルター級、ライト級、ジュニアライト級、フェザー級、バンタム級、フライ級ぐらいしかなかったのに、今はその倍ぐらいに増えています。1、2キロぐらいのちがいで分けるんですね。だから減量がなかなか厳しいものになります。チャンピオンが減量に失敗したら王座はく奪になるのですから、必死です。パンツをはかずに計量することも認められているそうです。パンツの重さなんて知れているのですが、そこまで追い込まれることもあるのでしょう。「あしたのジョー」で、ジョーが走っても汗が出なくなるほど水分をしぼって、さらにガムを噛んで唾を出そうとしても唾さえ出なくなります。最後には血を抜いてまでして何とか計量にパスしました。逆に減量に失敗してしまい、やけになって計量の日にコーラをラッパ飲みしていた選手もいたそうな。

ずいぶん過酷な話ですが、ほぼ同じ体重の者が闘うというのは合理的です。プロはパンチに自分の全体重をのせてくるわけですから。その点、相撲はやはり日本の国技で、「合理的」とはほど遠い。四つに組むような格闘技なのに100キロの差で闘うというのは理不尽です。ただ、それでも小兵が勝つことがあるのが醍醐味でしょう。相撲が階級制になることはなさそうです。やはり伝統を大事にしていくでしょう。土俵に女性をあげるかどうかは別にして…。

力士のしこ名は昔と比べてかなり変わってきたような気がします。「しこ名」はもともと「醜名」と書きました。「醜」は「みにくい」ではなく、「強い」「逞しい」の意味でしょう。やがて「四股をふむ」と結びついて「四股名」と書かれるようになりました。信長は相撲が好きで、「信長公記」にもそういう記述があって、相撲取りの名前も載っていますが、そのころの相撲取りは、本名かあだ名で相撲を取っていたようです。江戸時代になって、本格的にプロの力士が現れ、しこ名を用いるようになりました。強さ、勇ましさを感じさせるものから、優雅さを表す「花」「山」「川」「海」「花」などの字を使うものになっていきます。昭和のころまではそういうしこ名が多かったのですが、郷土意識が薄くなったことや自然破壊の影響で名勝地も荒廃が進んだせいか、自然と結びついた名前が消えていきました。学生相撲出身者が本名で取り続けることも多くなり、音読みだけのしこ名も目立つようになりました。相撲の世界にもキラキラネームの名前がじわじわ浸透してきています。

現役を引退して「年寄」になるときの名前は受け継がれていくので優雅なものが多くあります。百人一首からとってくるという、宝塚と同じことをやっていました。「高砂の尾上の桜咲きにけり」の「高砂」「尾上」、「田子ノ浦に打ち出でて見れば白妙の富士の高ねに」の「田子ノ浦」「富士ヶ根」、字はちがいますが、「ちはやぶる神代もきかず龍田川」の「立田川」。「片男波」とか「九重」なんかもそうですね。

百人一首も漫画や映画の「ちはやふる」で人気が復活したようです。思いがけないものが人気になることがあるもので、よもやカーリングが人気スポーツになるとは思いませんでした。トイレ掃除のおばちゃんがやっていることがスポーツと言えるか、などと悪口を言われていたものですが…。ちなみに希学園十三教室からほど近い淀川区の三津屋商店街では、やかんとカーリングの「コラボレーション」とも言うべき「ヤカ―リング」をやっており、毎年2回、世界選手権大会まで開催しています。カーリングがこんなに人気なのに、カバディはどうなった。インド発祥のスポーツで、ヒンズー教の聖典「マハーバーラタ」にも出てくる由緒あるものだそうですが、難点は、攻撃する側が「カバディカバディカバディ…」と連呼しつづけなければならないということです。しかも、「途中で息継ぎすることなしに、絶えることなく明瞭に」という厳しいルールが存在します…。

クリケットなんて日本ではほとんど知られていませんが、世界では意外に人気があるようです。野球の原型のようなスポーツで、競技人口はサッカーに次いで世界第2位とか3位とか言われます。まあ、イギリス発祥なので、イギリス連邦諸国では人気があるのでしょう。日本では野球の人気が高かったので、クリケットのはいりこむ余地がなかったようです。

西欧発祥のスポーツでむかつくのは、日本選手が活躍すると、その技が使えなくなったり不利になったりするように、すぐにルールを変更することです。突然「スキー板の長さは身長の何パーセント以内」と言われると、スキー板は長いほど有利なので、小柄な選手が多い日本人には不利になります。日本選手が減量をすることで対応しようとしたら、またもやルール変更。「BMI数値を基準とした長さ」になります。BMI数値とは、肥満度を示す数字ですな。メタボと呼ばれる根拠になるもので、歌って踊れる希学園「エルサイズ」講師軍団の人たちには忌み嫌われる数字です。この数字を基準にすると、やせすぎの選手は板を短くしなければならなくなりました。これを日本いじめと言わずして何と言うのか。

2018年10月 7日 (日)

ピンキリはどっちが上?

「けさきて、きょうよむものは」というなぞなぞでは、二つの意味がかけられていたのですが、昔のかなづかいだと「今日」は「けふ」、「経」は「きやう」と書き分けられます。ただし、実際には庶民の間ではいいかげんな書き方をしていたようです。落語の「鷺取り」のラストで、「これへとへすくふてやる」ということばが出てきます。梅田の有名なお寺に太融寺というのがあります。その近くに萩の円頓寺というお寺があって、昔は大きな池があったそうです。梅田というのは湿地帯だったところを埋めたから「埋田」、のちに字を改めて「梅田」になったのですね。このあたりに大きな池があってもふしぎではありません。

その池にいる鷺をとって金もうけしようとした男、いくらでもとれるものだから片っ端からとって、腰の周りいっぱいに鷺をくくりつけました。やがて夜明けになり、目を覚ました鷺たちがいっせいに羽ばたきはじめ、この男は沖天高く舞い上がります。そのうちに、目の前にまっすぐ立つ鉄の棒が見えたものだから、これ幸いとつかまりました。これがなんと四天王寺の五重の塔の九輪です。寺としても、放っとくわけにはいかんということで、大勢の坊さんが修行のために寝る大きな布団を持ち出して、そこに飛び降りさせようとします。それを男に知らせるためにたてたのぼりに「これへとへすくふてやる」と書いてある。「これへ飛べ救うてやる」ということですね。男は飛び降ります。ところが、布団の真ん中に猛烈な勢いでつっこんだので、布団の四隅を持っていた坊さんが頭をぶつけて、「一人助かって、四人死んじゃったとさ」という、ひどい落ちです。

さて問題は、この「すくふて」の部分です。「すくふ」はハ行四段活用で「は・ひ・ふ・ふ・へ・へ」と活用します。「て」につながると「すくひて」となります。現在の共通語ならこれが「すくって」と変化します。「っ」という音に変わることを「促音便」と言いますが、関西では「ウ音便」になります。「すくうて」ですね。でも、そういう文法的なことまで考えず、言い切りが「すくふ」なのだから「すくふて」でよいだろうと思って書くのでしょう。「シクラメンのかほり」も「かをり」が正しいのですが、なんとなく「かほり」のほうがイメージがいい。結構古い時代からまちがって書かれていたようです。人名に使われるのも「かほり」です。小椋桂が「シクラメンのかほり」と名付けたのは、奥さんの名前が「かほり」だったからということだったような気もします。眞鍋かをりというタレントはおそらく本名なのでしょうが、旧字体の「眞」も含めて、細かいところを大切にするご家庭のようです。

「ほ」と「を」と「お」は発音がちがうのに、結局あいまいになっていきました。長い年月がたてば変化していくのは当然です。現在日本語の母音はアイウエオの五つですが、上代は八母音だったという説があります。現在のアイウエオの五母音(甲類)のほかに、「イウエ」にはちょっと曖昧な発音をする別の音(乙類)があったというのです。そのころは漢字を使って日本語の音を書き表すしかなかったのですが、甲類と乙類とで厳密に漢字を使い分けていたとか。では、その音はどうちがうのか。たとえば「エ」という音の場合、「ai」がつまって「エ」になることがあります。「長息」が変化して「嘆き」という語が生まれたわけですが、このときの「エ」の音と、「ia」がつまって「エ」になったときとは発音がちがう、という説明だったと思います。「ia」がつまって「エ」になる場合の例は忘れてしまいましたが、今考えてもなかなか思いつきません。

かわりにくだらないことを思い出しました。焼酎にも甲類・乙類があります。甲類というのは、スーパーで売っている、いかにもアルコールという感じの安い焼酎で、乙類は芋焼酎とか麦焼酎のように、原料の個性が強く出たものです。「本格焼酎」というやつですね。両者はつくり方がまったくちがうようで、乙類が伝統的な製法であるのに対して、甲類は「新式焼酎」とも呼ばれていました。「甲乙」といっても等級ではなく、酒税上の違いで分けたのでしょう。「焼酎」は読み方も妙だし、何語なんでしょうね。やまとことばで呼んでいないということは、たとえば中国で「シャオチュウ」とかなんとか呼んでいたものが輸入されたのかもしれません。

日本酒は一級・二級と分けていました。これは品質による区分だったようで、さらに特級酒というのもありました。税率が違ってくるので、値段も変わってきます。そこで良心的メーカーはあえて良い品質のものを二級酒として売っていることもありました。酒飲みのおっさんたちの間では、有名どころの特級酒よりも名もないメーカーの二級酒のほうがうまいということばもよく聞かれました。結局分けることに意味がないというわけで、今は一級・二級という分類は廃止されています。かわりに大吟醸、純米大吟醸、吟醸、純米吟醸、本醸造、純米、どれがよいのかわかりにくい。漢字の数が多いほど高級、という印象がたぶん当たっていそうです。

「松竹梅」も「松」と「梅」でどちらがよいのかイメージしにくい。本来は優劣がなかったはずなのに、ランクを表すことばとして使われます。梅の花のほうが明るくて豪華な感じもするのですが、ふつうは「松」が特上、「竹」が上、「梅」が並になります。店で注文するときに「並」と言いにくいだろうという心配りなのでしょう。とはいうものの、みんながそれを知っているなら、やはり「梅」は注文しにくい。そのせいか、たまに順序を逆にしている店もあるようです。その点「金銀銅」ならわかりやすい。「ゴールド」と「プラチナ」と言われると、「ゴールド」になじみがあるせいか、なんとなく「ゴールド」のほうが上のように思ってしまいます。非常に売れた曲はゴールドレコードと呼ばれましたが、プラチナレコードというのはそれよりもさらに売れた曲でした。でも「黄金」と「白金」では、なんとなく「黄金」のほうが豪華な感じがするのは私だけでしょうか。「白金」は「白金カイロ」というものもあったので、なんとなく安っぽい感じがするのかもしれません。「白金」を盗んだ者は「ぷらちなやつ」と言われてしまうのですが…。

2018年9月24日 (月)

「だましぶね」って知ってる?

省略化して楽をしたいというのは人情で、「気持ち悪い」を「きもい」、「はずかしい」を「はずい」と言うのも、やむをえないところもあります。アルファベットの省略語もよく使われますが、その語が使われる「分野」「業界」によって意味が変わることがあります。医療現場で「ICU」と言えば「集中治療室」ですが、学校関係の話では「国際基督教大学」になります。もともとアルファベットの省略語は元のことばが想像できないので、省略語としては非常にレベルの低いものでしょう。欧米ではそうせざるをえないのでしょうが…。

動詞の活用も、楽をしたいという気持ちのせいで、昔九種類あったものが、今は五つになっています。五段、上一段、下一段、カ変、サ変、というやつですね。これも一時は三つになろうとしていました。カ変、サ変という例外がなくなれば楽になります。東京の一部で「来ない」を「きない」と発音する人がいました。「き・き・きる・きる・きれ・きろ・きよ」としてしまえば上一段になります。結局は定着しなかったようで、「くる」を「きる」にするには抵抗があったのでしょう。一方、音の平坦化は進行中です。これも単語の発音の強弱、高低をなくせば楽になるわけで、「彼氏」の「か」を強く発音せず「枯れ死」のように言う「ギャル(すっかり死語になりました)」がいました。「バイク」は完全に平坦化しています。「ネット」は両方ありますが「ネ」を強く発音すれば「網」、平坦化すると「インターネット」になります。NHKでも、後者は平坦な発音をしているのではないでしょうか。

「不自由」のイントネーションは、「不」を高く言うのか低く言うのか、どちらが正しいのでしょうか。前者かと思っていたら、最近後者を聞くことがよくあります。「寿司」は「高→低」か平坦かどちらでしょうか。平坦に言う人でも「お」がつくと変わりますね。このあたりはなかなかなおもしろい。「西郷どん」はどうでしょうか。「せ」を高く言うのが東京風でしょうが、「ご」を高くするのが鹿児島風のような。「どん」もふくめて、「壁ドン」や「カツ丼」と同じように言う人もいます。「そだねー」は北海道風なら「だ」が高いと思うと思っていたのですが、「そ」を高く言っていました。書いた場合には東京のことばと同じ形なのに、「だ」を高く言うと北海道方言になるような気がしていたのですがね。

その土地では常識だけど、全国的には通用しないことばが「方言」ですが、方言であることに気づかないで使っていることもあるようです。「スコップ」と「シャベル」のちがいも、東京と大阪では反対になります。大阪では「シャベル」のほうが大きいのですが、東京では逆だとか。上部が平らで足をかけられるのが「シャベル」、上部が曲線状で足をかけられないのが「スコップ」という分け方をする人もいるようです。「シャベル」は英語で、「スコップ」はオランダ語というだけのちがいなのですがね。「ショベルカー」から考えても、大阪の考えが正しい、と一応断定しておきましょう。

「浪速の葦は伊勢の浜荻」という古いことわざがあります。土地土地で言い方がちがうということですね。「長崎ばってん江戸べらぼう」というのもあります。さらに「神戸兵庫のなんぞいやついでに丹波のいも訛り」と続けることもあるようです。「江戸べらぼうに京どすえ」「大阪さかいに江戸べらぼう」という言い方もありますが、「べらぼう」というのは穀物をつぶすヘラの「へら棒」が語源で、「ごくつぶし」の意味で使われはじめた、と落語では説明します。「へら棒」では力が入らないので「べ」になった、言うのですね。「べらんめえ口調」の「べらんめえ」も「べらぼうめ」の訛りですが、今どき使う人はいないでしょう。

落語で、「おこわにかける」という落ちがあります。「居残り佐平次」という話ですが、このことばも今どき使いません。「一杯くわせる」とか「だます」という意味です。「おこわ」は、米を蒸したものを「強飯(こわいい)」と言ったことから来ています。水を加えて炊いた今のごはんは「弱飯」とか「姫飯」と言い、もともと「おかゆ」に分類されるものだったのですね。古くは「固粥」と言いました。赤飯もおこわに含まれ、場合によっては「おこわ」イコール赤飯になります。「おこわにかける」は、だまされて、「おおこわや、こわや」と言うところから「おこわにかける」になったとか。宮部みゆきの時代小説ではよく登場します。このことば、気に入ってるんでしょうね。でも、死語です。

大阪弁でも「赤目つる」なんて実際には聞いたことがありません。仲が悪くなることで、血走った目をつり上げていがみ合うということでしょう。「いちびる」は今でも使う人がいますが、「いぬ」とか「いのく」はほとんどいません。「帰れ」の意味で「いね」と言われたり、「そこ、いのくな」と言われてじっとしていたりしたものですが。「ゆうれん」「そうれん」も落語でしか聞いたことがありません。「幽霊」「葬礼」の訛りです。「動く」が「いごく」になるのも、若い人は使いません。「ゆがむ」も「いがむ」と言ったんですね。「まっすぐ死ねん病気で死んだ」「そら、なんやねん」「胃がんや。いがんで死んだ」という、しょうもない話がありますが、今でも通じるかどうか。

江戸落語でたまに聞く「嘘と坊主の頭はゆったことがねえ」というのは、今の時代やはり無理があります。「言う」と「結う」は、たしかにほぼ同じ発音でしょうが、「た」がつくと「言った」は「いった」です。昔は「ゆった」と発音したのでしょうが、今は字にひかれて「いった」になっています。「言う」は「ゆう」ではなく「いう」と書くのですね。仮名遣いにもいろいろと問題点があります。たとえば「キョー」と発音することばでも、昔は「きょう・きやう・けう・けふ」と書き分けていました。「けさきて、きょうよむものは」というなぞなぞは現代仮名遣いならよいのですが、歴史的仮名遣いでは成立しません。ちなみに、このなぞなぞには「朝刊」と「坊主」という二つの答えが用意されていて、相手の言った答えをつねに不正解にするという根性の悪いものです。「袈裟来て経よむ」と「今朝来て今日よむ」の二つがかけられているのですね。折り紙の「だましぶね」みたいなものです。

2018年8月31日 (金)

「ダチ」って?

一人で落語を聞いたら無反応な人でも、寄席で周りが大笑いしていたら、つられることがあります。映画館でも、みんなの笑いにつられて笑ってしまいます。他人の笑いや涙は、こちらの感情も増幅させてくれるのでしょうか。これと反対になりそうですが、新幹線の豚まんは迷惑だ、という話題がありました。食べている本人にはいい匂いでも、食べていない他人にはいやな匂いになる、というのは不思議と言えば不思議です。「王将」の匂いもそうですね。食べてきたのがまるわかりです。脂の匂い、ニンニクの匂いが他者には不快なのはなぜでしょうか。まさか自分が食っていないひがみではないでしょうが…。においの種類によるのかなあ。カレー屋の匂いにはそそられるのに、町角のラーメン屋の前を通りかかっても、よい匂いと思うことは意外に少ないようです。むしろ不快に感じる店もあります。コーヒーの香りは魅力的ですが、万人にとってもそうであるかは不明です。人によるちがいはあるでしょう。ガソリンの匂いを好む人もいますから。匂いも美醜と同じで、主観やそのときの状況によって、快・不快が変わるのかもしれません。

「イケメンゴリラ」というのがありますね。これは人間にも共通する美醜なのか、ゴリラにしてはイケメンなのか。どういう観点からのことばなのでしょうか。たぶん後者だとは思いますが、人間の中にはゴリラと甲乙つけがたい顔の人もいそうです。「大きなゾウ」という表現も、よく考えると、文脈によって二通りの意味が考えられます。「大きな動物であるゾウ」なのか「ゾウの中でもとくに大きなゾウ」なのか。「とくに大きな」と言っても、どれぐらいなら「大きい」のかはなかなか難しい問題です。トイプードルは一匹二匹と数えますが、ふつうのプードルなら一頭二頭と言いたくなります。大きさのちがいなのでしょうが、どこで線を引くのか。「作」と「造」のちがいも大きさによる、と授業では説明するのですが、どこで線を引くのか難しい。「庭をつくる」は、どっちを使えばよいのでしょう。ふつうは「造」です。「造園」ということばもありますね。ところが、いやなことに「作庭」ということばもあります。弱ったものです。

熟語の組み立てを教えるときに、A=B、A←→B、A→B、A←Bなどと簡略化して示すことがあるのですが、「創造」は「A=B」か「A→B」か、つまり「創」は「はじめて」「つくる」のどちらでしょうか。熟語そのものが「はじめてつくる」という意味なので、困ってしまうのです。「創始」であれば「A=B」になりそうですが…。「整地」と「耕地」も卑怯な問題です。上に動詞が来て、下に名詞が来る場合は、下の漢字に「に」や「を」を補って上にひっくり返って読む、という組み立てになるのがふつうです。たまに「売店」のように、「店を売る」ではなく、「売る店」になることもあります。「整地」は「地を整える」ですが、「耕地」はどうでしょう。「地を耕す」と考えるのが自然です。ところが熟語としての意味を考えると、「整地」は「地を整える」という意味で使い、「整地する」と言えますが、「耕地」は「耕地する」とは言えません。「耕した地」という意味で、「耕地面積」のような使い方をします。ということは、「整地」は「A←B」、「耕地」は「A→B」という構成になって、二つを区別しなければなりません。しかし、これは小学生にはなかなか厳しい問題ですね。じっさいに入試で出した学校もあります。

三字熟語の場合は、「松竹梅」のように三字バラバラのパターンもありますが、たいていの場合「一字+二字」または「二字+一字」のどちらかになります。「新幹線」は「新しい幹線」なので前者、「在来線」は「在来の路線」なので後者になります。では「愛読者」はどうでしょうか。「愛読」「読者」のどちらも二字熟語として使えますが、熟語の意味から考えて「読者を愛する」というのは変ですね。「美少女」を「美の少ない女」と考えるレベルのまちがいです。こういう切り方は意外に難しく、「一衣帯水」は「一・衣帯水」だし、「五里霧中」は「五里霧・中」です。「清少納言」は清原の一族の「清」と「少納言」という官職名の組み合わせですから、「清・少納言」のはずですが、そういう切り方をして発音する人はほとんどいません。みんな「清少・納言」です。漢字四文字の場合、「一・三」「三・一」とするより「二・二」にしたほうがリズムとして安定感があるのでしょうね。

外来語の省略語が四音から三音に変化しつつあるとよく言われます。「メルアド」から「メアド」のように。これはリズムなのか省力化なのか。リズム的には「メルアド」が言いやすい気がします。「メル・アド」のように、二音+二音が安定するのは、熟語の音読みの影響もありそうです。ただ、長年使っているうちに、陳腐化してきて、新鮮味を出したくなって三音にしようとするのかもしれません。「ミスタードーナツ」は「ミスドー」が本来の形でしょうが、長音を省きたくなるのでしょう、「ミスド」です。これは関西だけか。でも、「テレホンカード」なども「テレカー」ではなく「テレカ」なので、まあ「長音省略」はありそうです。撥音や拗音の省略というのもあります。「撥音」というのは「ん」、「促音」というのは「っ」ですね。「スマートホン」が「スマホン」にならずに「スマホ」、「ポテトチップ」は「ポテチッ」ではなく「ポテチ」です。たしかに「ポテチッ」では発音しにくい。「ブラッド・ピット」も当然「ブラピ」です。「コミケ」は「コミック・マーケット」が「コミケット」になって「コミケ」になったのでしょうか。「パワーポイント」が「パワポイ」にならずに「パワポ」になったのは、やはり言いやすさかもしれません。

ことばの前半・後半からそれぞれとってきて略語にするのではなく、最近は頭文字三字をとって省略するパターンも増えてきています。「エステ」とか「コーデ」とか「アクセ」とか。こう並べるとファッション関係ですね。「ガムテ」は前半・後半系か頭文字系か微妙。「あと5キロ」とか言うときの「キロ」は「グラム」「メートル」のどちらでしょうか。「ケータイ」と同じように、頭文字系は判断に迷うものがあり、略語としてはあまりかしこくないのですが、おしゃれに感じられるのかもしれません。頭文字系とは逆に語尾のみとってくる省略形もあります。「池袋」を「ブクロ」とやるパターンですね。「ダチ」とか「ゾク」とか、こちらはヤンキー関係に多いような。これも本来「ダチ」だけではよくわかりません。おそらく「友達」なんでしょうな。まさか「公達」? そんなわけないでしょう。

2018年8月15日 (水)

圓生は寝られる

途中で歌い出さないまでも、芝居独特の口調というのがあります。歌舞伎などの古典劇や、宝塚のようなやや「特殊」なものでなくても芝居口調というものが存在します。一昔前の小劇団はそれが顕著でした。野田秀樹の芝居など、セリフのことばそのものも現実から遊離したものですが、さらにそれを独特の「節回し」で語るものだから、「つくりもの感」が強すぎて抵抗がありました。三宅裕司のところはさすがにふつうのくだけた口調に近いものでしたが、やたら歌いたがるのがミュージカル志向で困ったものでした。とにかく舞台でやる芝居には独特の口調があり、冷静に聞くとおけつがこそばゆい。ジャルジャルのコントでもやっていました。ザッツライト。「ザッツライト」って、なんのことかわからないでしょうね。芝居を見に行き、影響を受けて帰ってきたやつらの会話です。「さあ、質問だ。腹が減ったときに食うものは?」「カルボナーラだ」「ザッツライト」みたいな。

外国ドラマの吹き替えもクセがすごい。これはなだぎ武がやってました。アニメの声優もくせのあるしゃべりをする人がいます。ただし、こっちの方は発声そのものも独特の「アニメ声」になっています。現実にこういう声で、こういう話し方をするやつがいたら、きらわれるでしょうな。逆にリアリティありすぎも、ひいてしまいそうです。いわゆる任侠映画がすたれたあと、「仁義なき」のシリーズが出てきましたが、台詞回しもリアルすぎました。「三匹の侍」にしても、東映時代劇の歌舞伎の延長上の殺陣をぶちこわして、斬ったときの音や血しぶきのリアルさを追求しました。そこに様式美はありません。

歌舞伎の殺陣なんて、次々に来る相手を左右に切り分けたり、触れもしないのにやられた方がきれいに一回転したりする、というようなばかばかしいものです。ばかばかしいけれど、「様式美」として認められてきたわけですね。今の時代には通用しにくくなっていますが。漢文口調というのも通じなくなっているようです。「柳生一族の陰謀」のオープニング・ナレーションで「裏柳生口伝にいわく、闘えば必ず勝つ、これ兵法の第一義なり。人としての情けを断ちて、神に会うては神を斬り、仏に会うては仏を斬り、しかる後に初めて極意を得ん。かくの如くに行く手を阻むもの、悪鬼羅刹の化身なりとも、あにおくれをとるべけんや」と言っていましたが、いまどき「あにせざるべけんや」なんて意味不明でしょう。ただし、韻をふんだラップは受け入れられています。七五調にしても消えていくかと思いきや、「たとえこの身がほろぶとも」のように、まだまだすたれていません。

時代がたって残るものもあれば消えゆくものもあるというのは当然ですが、落語でもよく出てくる「質屋」のシステムも知らない人が増えています。「質流れ」と言ってもわかってもらえません。質屋に借りたお金を返さないまま期限が切れて、所有権が質屋に移ることですね。「遊山船」という落語があります。大川に夕涼みに来た喜六、清八の二人連れが橋の上から大川を見ていると、碇の模様の浴衣を着た連中が派手に騒いでいる船が通りかかる。「さてもきれいな碇の模様」とほめると、そのうちの一人の女性が「風が吹いても流れんように」と答えます。「おまえとこの嫁さんは、あんな洒落たこと、よう言わんやろ」と言われて清八は長屋に帰り、嫁さんにきたない浴衣を着せて、行水のたらいの中に入ります。屋根にのぼった清八が、ほめようと思ったら、浴衣のあまりのきたなさに思わず「さてもきたない碇の模様」と言うと、嫁さんが「質に置いても流れんように」。

この意味、わかるかなあ。「三ヶ月たったら流れるもの、なあに」というなぞなぞがありました。そんなものにさらりと答えられるはずかしさ。「質屋蔵」という話は上方にも江戸にもあります。質屋の蔵にお化けが出るという噂が町内に流れ、質屋の旦那が番頭に蔵の見張りをさせようとします。こわがりの番頭は、出入りの職人の熊五郎に応援を頼みますが、この熊さんもじつはこわがりで、二人でブルブル震えながら見張りをしていると、蔵の中から櫓太鼓の音が聞こえます。羽織と帯を質入れした相撲取りの気が残ったのか、羽織と帯の精が相撲を取っているのです。そのあと、横町の藤原さんが質に入れた天神さまの掛け軸がスルスルと下がって開き、天神さまが現れます。「この家の番頭か、藤原方へ利上げせよと申し伝えよ。また流されそうじゃ」利上げというのは、流れる前に利息だけ払って質流れを防ぐことですが、この話も通用しなくなっているのかもしれません。菅原道真が流されたことぐらいは知っていると思うのですが…。

落語と歌舞伎は相性が悪くないようで、お互いに影響しあっています。「文七元結」のように、落語のネタが歌舞伎になったり、歌舞伎のパロディを落語が取り入れたり、「コラボ」しています。野村萬斎の「コラボ三番叟」は舞踊ですが、レーザーを取り入れたりしていますし、中村獅童と「初音ミク」の共演というのもありました。「ワンピース」が歌舞伎の題材になったり、能でマリーアントワネットをやったりしています。いわゆる「大衆演劇」はそういう意味での進化形かもしれません。

大衆演劇でよく言われるのが「ペーソス」というやつで、ホロリとさせる部分ですが、こういうのは本当に必要なのでしょうか。喜劇王チャップリンの映画には必ずこの「ペーソス」が盛り込まれていました。対照的なのがバスター・キートンで、この人はペーソス排除派ですね。北野たけしでさえペーソス好きです。浅草出身で、やむをえないところもありますが。

最近のマンザイは昔とかなり変わってきました。どこで笑うか予想が難しいものがあります。一つ一つ積み重ねていって、最後にドカーンというやり方では、今のお客にはまどろっこしすぎるのでしょう。細かいギャグをちりばめているのですが、話の流れと無関係になることもあるようです。もちろん、一行とか一文だけでも笑えるものがあります。筒井康隆の好きな「一匹狼の大群がやってきた」などはたしかにおもしろい。まあ、ツボにはまればなんでもおもしろくなるんですけどね。

寄席の順番で、だんだんあたたまっていって、最後のトリで大いに笑わせます。これを逆にして、ベテランが最初からガンガン笑いをとりにいって、客席をあたためておけば、トリは新人でもどっかんどっかんうけるかもしれません。周囲のお客の笑い声も「暖める」要素になりますから、その点スタジオ録音というのは難しい。お客の反応もわからないのですから、やりにくいでしょうね。圓生はたくさんの録音を残していますが、えらいですねぇ。ただし笑いのあるネタよりもじっくり語るネタが多かったようです。圓生全集を毎晩のように寝る前にかけ、聴きながら眠ったものです。圓生はよく寝られる。

2018年8月 4日 (土)

路上母子②

《ダイエーに行く親子》

岡本教室前、男の子はたぶん年中さんぐらいです。

母「さあ、ダイエーに行くよ」

子「何買うん?」

母「えーと・・・・・・」

子「あっ! ハンバーグ!?」

母「ゆうべ食べたやん!」

すみません、夏期中で余裕がないので今日はこれだけで。

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