2019年9月22日 (日)

柏鵬時代

前回「日本料理」と書きましたが、これは「和食」とどうちがうのでしょう。「洋食」が実は「日本化した西洋風料理」をさすこともあるように、「和食」は「日本料理」とはジャンルがちがうようです。うどんは「和食」で、割烹はどちらかといえば「日本料理」という感じです。では、ラーメンはどうでしょう。「和食」なのか「中華」なのか。さらに言えば「中華料理」と「中国料理」もちがうようです。「中華」はやはり「日本化した中国の料理」をさすことが多いようです。ただ、ラーメンは欧米の人から見たら日本独特のものなので「和食」ととらえられても不思議はありません。トンカツやカレーライスも、そういう意味では「和食」かもしれません。とにかく日本は外国のものをとり入れたあと、どんどん自分たちの好みのものに変えていくので、原形がわからなくなることもあります。

以前に書いた東大寺三月堂の火祭りにしても、韃靼やペルシャから来た感じで、ゾロアスター教の影響がありそうですが、はっきりしたところはわかりません。「ゾロアスター」と言うと、いかにも異国風ですが、別の発音にすれば「ツァラトゥストラ」になります。ニーチェを翻訳するときに「ゾロアスター」にしなかったのは、何か考えがあったのでしょうか。同じことばでも、国によって発音がちがうので、一見別のことばのように思うことがあります。古代ローマの学校を「ウニベルシタス」と言った、と教科書に書かれていたときに、変なことばだと思いましたが、よく考えてみたら「ユニバーシティ」のことなので、なんの不思議もありません。ラテン語がルーツになっていることばは意外にたくさんあるのかもしれません。

旧制高校の人たちはラテン語が好きで、よく気取って使っていましたが、今はふつうのヨーロッパ人にとっても縁遠いことばなのでしょうか。ハリーポッターの呪文に使われていますね。身近なことばであれば、呪文の効果もうすれます。ラテン語は学名にも使われています。朱鷺の学名が「ニッポニア・ニッポン」であることは有名です。北京原人を「シナントロプス・ペキネンシス」と言ったのと似ています。今は「ホモ・エレクトス・ペキネンシス」に変わったらしいのですが。ジャワ原人も「ジャワントロプス・エレクトス」だったか「ピテカントロプス・エレクトス」だったか、これもたしか今は「ホモ・エレクトス・エレクトス」に変わったような。いずれにせよ、こういうのは英語ではありがたみがなさそうです。英語がメジャーすぎるというのもよしあしですね。

スペイン語の「カサブランカ」は地名にもなっていますが、「カサ」は「家」、「ブランカ」は英語の「ブランク」とも結びつくことばで、「空白」の「白」という意味です。ということは「ホワイトハウス」と同意です。モロッコあたりは、たしかにそういう家が多い。大統領官邸とは関係がありません。フランス語で「モンブラン」の「モン」は英語の「マウント」つまり「山」で、「ブラン」はやはり「白」ですが、日本の「白山」と同じ発想でしょう。喫茶店の「青山」は「ブルーマウンテン」の意味かもしれません。「モン」には「私の」の意味もあります。「マ」も「私の」で、あとに来る名詞が男性名詞か女性名詞かによって使い分けます。「ムッシュ」は「わが主」の意味の「モンシュール」がなまったものです。「私たちの」は「ノートル」なので「私の貴婦人」なら「マダム」、「私たちの貴婦人」なら「ノートルダム」で、マリアのことです。「ノートルダム大聖堂」とか学校の名前で聞くことがありますので、キリスト教関係であることはわかりやすいでしょう。漢字表記になっている「被昇天」なども字のイメージからキリスト教系の学校であることはわかりますが、キリスト教や聖書から出たことばは西洋ではよく引用されます。「酒は敵だ。しかし聖書にある、『汝の敵を愛せよ』」と言って酒を飲み続ける人もいますが、聖書の文句だと知らないで使っていることばも多いようです。「目からうろこ」とか「豚に真珠」とか「狭き門」とか。「人はパンのみにて生くるにあらず」はいかにも聖書らしい。

これとはちょっとちがいますが、古い歌の歌詞であることを知らずに、何か出典があるのだろう、ぐらいに思って使うこともあります。「どこまで続くぬかるみぞ」とか「何をこしゃくな群雀」とか「戦い済んで日が暮れて」とか「敵は幾万ありとても」なんて、昔はよく聞くことばでした。さすがに今はめったにお目にかかれません。中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句も「明治は遠くなりにけり」だけ取り出して使われていました。この句は昭和の初めに東大生だった草田男が昔通っていた小学校を訪れたときに詠んだ句と言われています。最近は「昭和は遠くなりにけり」と言われることもあったのですが、もはや「平成」も終わってしまいました。昭和生まれが古いと言われたように、平成生まれもそう言われる日が近づいています。

平成の次は令和になりました。いろいろな予想が出て大騒ぎでしたが、二字でなければならないというルールはあるのでしょうか。漢字三字というのはたしかに落ち着かない。「八百屋二年」とか「貧乏神三年」というのはいやですが、四字というのは実在しました。「天平神護」とか「神護慶雲」とか。これはなぜかかっこいい。年号は「大化」から始まるとよく言われますが、「白雉」と続いたあとは少しあいて「朱鳥」、そしてそのあと再び使われない時期があります。なぜブランクがあったのでしょうか。そもそも音読みの「タイカ」「ハクチ」のあと「シュチョウ」以外に「あけみどり」とか訓読みで読んだりすることもある年号が続くのも変といえば変です。またまた古田武彦説によると、九州王朝はずっと年号が続いていたそうな。中には「兄弟」なんて変なのもありますが、一部地域でそういう年号が使われていたことはまちがいないようで、これを「私年号」と言います。ただし、それは「大和朝廷」が「公」であるという前提なので、「九州王朝」こそ「公」であるなら、中途半端な「大化」以降の年号こそ私年号だ、と言うのです。後の時代の坊主が頭の中でこしらえただけのしろものだと言う人もいるのですが、「法興」というのはいくつかの史料にも明記されています。「白鳳」とか「朱雀」は「白雉」「朱鳥」からの派生とも言われますが、どうしてこれらだけそういう異称があるのか不思議です。「白鳳文化」なんて、堂々と名づけてよかったのかなあ。

2019年9月 8日 (日)

盗まれた神話

前回のつづきで、古田武彦説です。中国側の史書には、倭国の使者に尋ねたところ、国王には阿毎という姓があり、名前は多利思北孤、皇后もいると言ったと書かれています。ところが、当時の大和朝廷の天皇は推古ですから女性であり、つじつまがあいません。近畿の天皇家つまり大和王朝は九州王朝の分派で、そのころはまだまだしょぼい国だったのです。最初の遣隋使がやってきた年についても、中国側の史書と日本書紀では何年かのずれがあり、最後の遣隋使のやってきた年にも食い違いが見られます。第一回の遣隋使は「日本書紀」には書かれておらず、「隋書」にだけ書かれています。しかも、「日本書紀」には「隋」ではなく「大唐国」に遣いを出したとあります。有名な小野妹子の返書紛失事件も「日本書紀」にはあるけれど、「隋書」にはありません。そもそも「隋書」には小野妹子の名前そのものが出てこないらしい。

「旧唐書」には、「日本国は倭国の別種」とか「日本はもとは小国で倭国の地をあわせた」などと書かれているそうな。倭国すなわち九州王朝は、7世紀末の持統天皇のころまでは続いていたのだが、「倭の五王」のときに出兵を繰り返して弱っていき、白村江での敗戦が決定的要因となって、ついに滅亡したのですね。それ以降、大和政権は自分たちこそ日本の王朝であると主張し、倭国の歴史を日本国のものとして取り込み、歴史を「歪曲」した…というのが古田説の骨子です。磐井の乱にしても、地方豪族による中央政権への反乱どころか、磐井のほうこそ九州王朝の王者だったと言うのです。こういう強烈な説に対して、まともに反論をしているのは安本美典さんぐらいです。ほとんどの人が、異端の説は無視する、という態度をとっているのですが、たまに何か発掘されりすると、「これで古田説は崩れた」なんて言ってましたから、内心は困ったなあと思っていたのかもしれません。

日本の中心は青森だったという説もあります。「日本中央」と記した石碑もあります。鎌倉時代の本に、「つぼのいしぶみ」というものが東北の「つぼ」という土地にあり、坂上田村麻呂が字を彫ったと書かれています。「つぼのいしぶみ」は多くの歌人によって歌われているのですが、どこにあるのか長い間わかりませんでした。明治天皇もさがすように命令を出したそうですが、見つからなかったそうです。ところが、戦後になって土地の人が谷底に落ちていた巨石をひっくり返してみたところ、「日本中央」と彫られていたとか。本物かどうかはまだわかっていないようですが、東北で「日本中央」というのはおかしいと話題になりました。日本地図をながめた結果、千島列島を入れれば問題は解決すると言った人もいます。でも、蝦夷の土地を「日本」と言うこともあったようで、蝦夷の土地の中央なら「日本中央」もおかしくありません。豊臣秀吉の手紙でも、奥州を「日本」と表現した例があるようです。古田武彦説とも結びつきそうですが、日本の国号は、はじめは「倭」または「大和」であり、蝦夷地を「日本」と呼んだのかもしれません。

古史古伝というのは、ややうさんくさい史書や言い伝えですが、実は古代の東北は「田舎」どころか非常に栄えていたというのですね。藤原三代のことを考えても、ただの僻地とは言えません。安倍首相の遠い先祖であるらしい安倍氏が東北に君臨していたころからかなり栄えていたようです。鎌倉期から室町時代にかけて青森の十三湊を拠点とした安東氏も安倍氏の子孫ということになっていますが、やはり日之本将軍を名乗っています。安倍貞任・宗任兄弟が登場する小説はめったにありませんが、その時代を描いた作品が『炎立つ』で、大河ドラマにもなりました。藤原経清・泰衡の二役を渡辺謙、八幡太郎源義家を佐藤浩市が演じていました。

源義家は頼義の長男なので「太郎」というのはわかるのですが、「八幡」が上につくのは石清水八幡宮で元服したからです。「八幡神」は武芸の神で、応神天皇の神霊ですが、「南無弓矢八幡大菩薩」と唱えることもあるように仏教との結びつきも強いし、なにやら渡来系の神のイメージがあります。義家の弟、新羅三郎義光は武田家の祖先ですが、なぜ「新羅」なのか。近江の新羅明神で元服したとのことですが、実は清和源氏のルーツは渡来人ではないかという人もいます。清和源氏というからには清和天皇から出たことになっているのですが、本当はその子の陽成天皇から出たと見るのが正しいという人もいます。陽成天皇がちょっと「変」な人だったので、それをいやがって父親から出たことにしたのだとか。いずれにせよルーツはあいまいなのかもしれません。

清盛のところの平氏は桓武天皇から出たことになっています。在原氏も父は阿保親王、祖父は平城天皇ですから、元は皇族です。四大姓と言われる「源平藤橘」のうち、源氏、平氏は天皇家にさかのぼれ、藤原氏は鎌足からの家系ですが、「橘」はどうなのでしょう。敏達天皇から出たと言われ、諸兄や奈良麻呂が有名ですが、「四大姓」の中に入れるほど勢力があったとは思えません。ただ「橘」を家紋にする家は多いようで、私のところも「丸に橘」です。家紋にもいろいろあって、平将門の子孫とされる相馬家の家紋など、なかなかおしゃれです。泡坂妻夫という作家がいました。この名前はアナグラムで本名の「厚井昌男」を入れ替えたものです。この人の本職が「紋章上絵師」でした。どんな仕事なんでしょうね。着物に家紋を描くのでしょうが、オリジナルの家紋を作るということもあるのでしょうか。なんだか需要のなさそうな商売ですが、これ一本で生活できるのでしょうか。

需要があれば競争相手も多くなりますが、東京や大阪ならともかく地方の小さな町で、たとえばブータン料理の店を出しても、悪いけどだれが行くのでしょう。ブータンの悪口を言うつもりではありませんが、お客がどんどこ押し寄せるとは思えません。その町に住んでる人だって、しょっちゅう行くわけでもないでしょうし。フランス料理やイタリア料理に比べて、ロシア料理、ウクライナ料理になると店は多くありません。イギリス料理、ドイツ料理となると、あまりおいしそうなイメージもないので、店を出してもはやらないかのかもしれません。日本料理の中でも地名のつくものがあります。京料理は別格としても、加賀料理、土佐料理、沖縄料理の店はよく見かけるのに、なにわ料理とか江戸料理と書いている店はあまり多くないようです。大阪は食い倒れと言われるのに不思議です…。

2019年8月25日 (日)

あっと驚くタメゴロー

日本の戦艦は旧国名をつけましたが、巡洋艦は山や川の名をつけていました。空母では「鶴」「鳳」「龍」を使って大きなイメージを表しています。戦闘機は、ゼロ戦は別格として「隼」「飛燕」のような鳥の名を使うのは当然でしょう。「雷電」「紫電」のような「カミナリ系」もあります。「紫電」は改良型の「紫電改」も有名です。潜水艦は目立ってはだめなので、あえて名前をつけなかったのでしょうか。大きさによって伊号・呂号・波号と名づけ、「伊400」のように番号で呼んでいたようですが、あまりにもさびしすぎです。

外国では「サンタマリア号」とか「クイーン・エリザベス」「エカチェリーナ2世」「ジャンヌ・ダルク」のように人名をつけることもよくあります。船は女性名詞なので、女性の名前になることが多いのですね。「プリンス・オブ・ウェールズ」なんてのもありますが…。船を人になぞらえることで、より愛着を感じられるのでしょうが、日本でも「~丸」とするのは同じような意識かもしれません。もっとも「丸」は、「おまる」と関係があると言う人もいます。悪運を払うためにわざと不吉な名前、ひどい名前をつけるという風習はたしかに世界中にあります。子供の名前に「丸」もつけたのも、その意味がありそうです。そういういわれが忘れられると、「なんとか丸」は、いかにも愛称という感じがします。刀でも、「鬼丸国綱」とか「数珠丸」「膝丸」「石切丸」のように「丸」がつくものがたくさんあります。犬の名前にも「丸」がつけられることがありました。枕草子には「翁丸」という犬が出てきます。最近も和風の名前が流行のようで、「茶々丸」とか「力丸」「菊丸」と名付けられている犬がいます。

聖徳太子のペットの犬の名前も「雪丸」だそうですが、本来は「ゆきまろ」と読むのでしょうか。王寺町のマスコットキャラクターにもなっています。聖徳太子が飼っていただけあって、雪丸もただ者ではありません。人間と話をしたり、お経を唱えたりできたそうな。自分の死期を悟って、達磨寺という寺に葬ってほしいと聖徳太子にうったえたということです。達磨寺というのは、聖徳太子が片岡山を通りかかったときに、飢えと寒さで死にかけている異人と出会ったという伝説から生まれた寺です。太子はその異人に食物や衣服を与えましたが、異人はそのかいもなく死んでしまいます。あわれに思った太子は遺体を丁重に葬りました。後日、墓を見に行ったところ、遺体は消えており、棺の上には太子が与えた衣服がたたまれて残っていました。人々はその異人を達磨の化身と信じ、その地に建てた寺が達磨寺だということになっています。

雪丸が実在したのなら、聖徳太子も実在したのでしょうか。「うまやどの皇子」は実在したが、「聖徳太子」は抽象概念だ、と言う人もいます。たしかに名前からして抽象的です。梅原猛説によると、こういう聖なる名前、「徳」の字をおくられた天皇は非業の死を遂げているそうで、「崇徳」「安徳」はたしかにあてはまります。怨霊を鎮めるために、そういう名をおくったというのですが、それなら「仁徳」は、というつっこみが入りそうです。ただ、「太子」という称号は変と言えば変で、他に「太子」と呼ばれている人はいないのではないでしょうか。「太子」は「皇太子」ということなので、そう呼ばれる人が他にもあってしかるべきなのに、そうではないのですね。

モンゴルのフビライ(これも今は「クビライ」になっているみたいです)はフビライ汗と呼ばれることもあり、この「汗」は一種の称号で、ジンギス汗以来のものだと言います。ところが、フビライは「汗」なしで呼ぶことのほうが多いぐらいなのに、「ジンギス汗」は「ジンギス」とは呼ばれません。これはなぜでしょうか? 「源義経」つまり「ゲンギケイ」の変化で「ジンギスカン」になったから「ジンギス」とだけ呼ぶのはおかしいのだと言って、義経ジンギスカン説を補強する証拠だとする人もいますが、どんなものやら。

梅原猛の「聖徳太子怨霊説」や「柿本人麻呂溺死説」などはなかなか説得力がありました。前者は、法隆寺が太子の造ったものではなく、その死後に鎮魂のために造られたとする説で、『隠された十字架』という本は500ページ近くある分厚いものですが、推理小説を読むようにおもしろい。人麻呂の話は『水底の歌』という本です。人麻呂の正体は柿本佐留として史書に残っている人で、猿丸太夫のことだとか。和気清麻呂が称徳天皇の怒りを買い、別部穢麻呂と改名させられて流罪になったように、人麻呂つまり人丸が猿丸と改名させられて流罪になったのだ、という説です。これも「あっと驚くタメゴロー(もはや知る人はほぼいない)」的な推理でグイグイ読ませます。

梅原さんは歴史学者ではなく哲学者なので、史料に基づいた推論というより、直感を大切にしているようです。そのせいか、専門の学者には無視されたらしく、その説はいまだに認められていないのではないでしょうか。何回か触れた古田武彦は、『邪馬台国はなかった』から「九州王朝」説に発展し、大和朝廷によって神話が盗まれた、というスケールの大きい話になっていきます。さらには、日本と倭は別の国だったという驚天動地の展開になります。この人の立場は残された史料を先入観なしに素直に読むというもので、かなり論理的だと思うのですが、出てきた結論はあまりにも大胆すぎて、やはり学会からは無視されたようです。

古田説によると、博多湾の志賀島で発見された「漢委奴国王」という金印は、漢が倭奴国の王に与えたもので、この倭奴国が倭国になりました。邪馬台国は邪馬一国であり、博多湾岸あたりにありました。いわゆる「倭の五王」も大和朝廷の天皇ではなく、九州王朝の王であり、五王に関する記述が記紀にないのは、そのせいだと言うのですね。大和朝廷の天皇に比定しようとして、いろいろ無理をしても、うまくあてはまらないのは当然です。高句麗が戦った相手も北九州の倭国です。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」という国書を送ったのは聖徳太子ということになっているが、じつはそのあたり矛盾だらけ、というのは有名な話です。

2019年8月10日 (土)

「どあほ」の「ど」は「弩」ではない

純粋な和語なのに外来語のように思われていることばもあります。「すばる」なんて「統ばる」ですね。「プレアデス星団」と言うと近代的ですが、「むつらぼし」と読む「六連星」という言い方も昔から使われています。星の名には古いものがあり、「北斗」なんて『曽根崎心中』にも出てきます。「北斗はさえて影うつる星の妹背の天の河」というフレーズですね。千葉周作は北辰一刀流の始祖ですが、「北辰」も北極星のことです。道教では、北辰は天帝と見なされました。さらに、仏教と結びついて、「妙見菩薩」とも呼ばれます。「妙見」というのは、「善悪や真理を見通す」という意味でしょう。千葉氏は妙見菩薩を一族の守り神としていたそうです。シリウスが「天狼星」と呼ばれるのは、おおいぬ座にあることを踏まえての命名なのでしょうか。中国経由のことばも多く、星座の発想も外来のものでしょうが、陰陽師の記録に、天体観測の細かい報告をしたものがあり、そういう名前が出てきます。中には、中国にはない日本独特の命名をしたものもあるようですが、昔から日本人は外来のものをとりいれるのに、あまり抵抗がなかったのでしょう。

ただ、そのままではなく、日本風にアレンジすることもよくあるわけで、カレーライスなんて外国にはなかったものですね。「洋食」と言いながら、トンカツとかオムライスとか、日本独特のものです。洋服はさすがに定着しましたが、最近ネクタイが消えつつあるようです。希の講師もクールビズということで、なんと5月から10月まで半年もネクタイなしです。この「ネクタイ」ということばは「ネック・タイ」と分解できます。「ネック」は「首」、「タイ」は「タイ・アップ」の「タイ」で「結ぶ」ということでしょう。こんな風に、一単語に見えるものでも、分解すると語源のわかるものがあります。虹を表す「レインボー」も「レイン・ボウ」で「雨の弓」と考えると、なるほどと思います。「パラソル」も「ソル」はフランス語の「ソレイユ」につながることば、つまり「太陽」で「パラ」は「防ぐ」という意味です。「パラサイト」とか「パラリーガル」の「パラ」は何なのかな。

「パラリーガル」なんてことばはあまり聞きませんでしたが、弁護士もののドラマではよく出てきて、定着したことばになりつつあります。弁護士の仕事に関する付帯業務をする人のことですね。ということは、「パラ」は「補助的」、「リーガル」は「法律に関する」という意味でしょう。『リーガルハイ』というドラマがありましたが、「ランナーズハイ」みたいに「陶酔状態にある法律家」みたいな意味の造語だったようです。最近、こういう「職業ドラマ」が盛んで、「校閲」のような地味な仕事さえ取り上げられました。この手のドラマの走りはきっと『スチュワーデス物語』ですね。「ドジでノロマな亀」という流行語が生まれました。ただし、今では「スチュワーデス」とは言わなくなりました。「キャビン・アテンダント」とわざわざ言い換えるのは「ことば狩り」のせいでしょうか。知らない間に名前が変わってしまったものもたくさんあります。特に服装、ファッション関係に多い。昔「チョッキ」と言っていたものが、いつのまにか「ベスト」になってしまい、最近では「ジレ」と言うそうな。そのくせ「防弾チョッキ」はそのままです。まあ、これはファッションではありませんが…。ことばそのものは変わらなくても、「パンツ」は昔は下着だったのに、今は「ズボン」のことです。ただし、アクセントのちがいはありますな。「パ」を強く発音してはいけません。

「縄文式土器」の「式」はなぜ消えたのでしょうか? たしかに「式」を入れる必要はなそうですが、そのせいで嘉門達夫の「東京ブギウギ」の替え歌も成り立たなくなりました。元歌は「とう・きょう・ブキ・ウギ、リズム・ウキ・ウキ、こころ・ドキ・ドキ・ワク・ワク」で、これが「じょー・もん・しき・どき、やよい・しき・どき、埴輪、勾玉、土偶土偶」になるのですが…。替え歌がおもしろいのは、元歌の歌詞を知っていて、それがどう変わるかというところにあります。メロディだけを借りてきて、元の歌詞と何も重なる部分がなければ替え歌になりません。その点、昔の歌は歌詞が覚えやすく替え歌も作りやすかったのでしょう。今の歌は歌詞を覚えにくいようです。歌詞カードなしで最後までまちがえずに歌いきったら百万円、とかいう番組がありましたが、初期のテレビなら思いつきもしなかった番組です。いわゆる「昭和歌謡」なら歌えて当然なので、まぬけな企画としてボツになっていたでしょう。

覚えやすかったのは七五調の歌詞が多かったということもあります。考えてみれば国歌の「君が代」は短歌ですし、古い童謡も七五調、五七調ばかりです。「さくら」の歌詞は七五調がベースですが、歌い出しの「さくらさくら」の部分は六音になっていて変則的です。この歌の歌詞は古いバージョンでは「さくらさくら やよいの空は 見わたす限り かすみか雲か 匂いぞ出ずる いざやいざや  見にゆかん」だったのが「さくらさくら 野山も里も 見わたす限り かすみか雲か 朝日ににおう さくらさくら 花ざかり」に変えられています。「春の小川」も「春の小川はさらさら流る 岸のすみれやれんげの花に 匂いめでたく色うつくしく 咲けよ咲けよとささやくごとく」から「春の小川はさらさら行くよ 岸のすみれやれんげの花に すがたやさしく色うつくしく 咲いているねとささやきながら」と変わり、さらに最後の部分が「咲けよ咲けよとささやきながら」になりました。古いことばはわかりにくい、ということなのでしょうが、二つめから三つめの改変が意味不明です。

昔のものはわかりにくい、ということで「ちはやふる」という歌を無理やり解釈する落語があります。その中で「竜田川」は相撲取りの名だというのですね。力士の名前はたしかに地名から来たものが多かったようです。日本の軍艦も地名がつけられていました。「大和」や「武蔵」が超弩級の戦艦につけられています。「超弩級」というのは、桁違いに大きいことを意味しますが、「弩」というのは「ドレッドノート」というイギリスの軍艦の漢字表記の頭文字です。「ドレッドノート」とは「こわいものなし」という意味らしい。アメリカの戦艦は州名をつけていますが、空母は古戦場の名前や、湾や海峡の名前、巡洋艦は都市名、駆逐艦は人名というように基準があるようです。日本では明治天皇が「沈んだときのことを考えたら人名はだめ」と言ったので、国名を採用したとか。古くは、それぞれの国にランクがあり、上位の国の名が大きな戦艦につけられたのでしょう。

2019年7月21日 (日)

和製和語

「歴史」と見るにはあまりにも「トンデモ」な話は結構あります。でも、「トンデモ歴史」はおもしろい。インドの「アスカ」という土地に住んでいた人々が日本にやってきて、「飛鳥」という土地に住み着き、新しい文明を築いたあと、この人たちはさらに北上し、「アラスカ」を経由してアメリカ大陸へ渡ります。そして、メキシコあたりで「アステカ」文明を築き、さらにペルーの「ナスカ」でまたもやすごい文明を築きます。「ナスカ」という名前は、打ち消しを表す「N」をアスカに付けて、もはやアスカではないと宣言したのだ、という「説」は、単なるだじゃれとは思えないぐらいの「出来」です。義経ジンギスカン説も、かなり無理があるものの非常に魅力的です。光秀天海説も荒唐無稽とかたづけるにはしのびない。「蘇我氏はローマ人」とか「平家はペルシャ人」となると、さすがにどうかなと思いますが、夢があることはたしかです。古田武彦の「邪馬台国はなかった」は、本当になかったと言っているのではなく、「台」の字についての「つっこみ」です。「台」は「臺」の略字ですが、「壱」の旧字体(「匕」の部分が「豆」になっているやつです)を使っているので「ヤマタイ」ではなく「ヤマイチ」のはず、という説です。

そういえば、教科書に載っている志賀島の金印の実物を見ました。百姓の甚兵衛さんが発見したやつですね。いやー、実物は小さかった。金印を中国からもらうのは、国の評価としてはかなり高いはずで、奴国というのは一目置かれていたのでしょうが、それにしても小さい。展覧会では人が多すぎて近くで見られませんでした。列が二種類あって、早く見られるコースとじっくり見られるコースがあるのですね。後者は展示されている金印のそばまで行って見られるのですが、当然回転が悪いので、行列がなかなか進まず、時間がかかる。前者は早く見られる代わりに遠目で見るというコースでした。それでも、見たという満足感はあるのですね。見に来ているおばちゃんたち、歴史に興味がありそうでもなく、話のタネに見に来たという感じでしたが、この満足感はテレビでは得られないのですね。テレビならアップで細かいところまで、しかもいろんな角度で見せてくれます。おまけにくわしい解説付きです。でも、実物にはかなわない。

野球はどうでしょう。テレビで見るほうが圧倒的に情報量は多いし、スローモーションまで見せてくれます。でも、わざわざ甲子園にまで行くのですね、おろか者どもは。たまにラジオを聴きながら観戦している人がいて、この人の心理はわかります。目の前でリアルに見ているものを耳から実況中継で解説してもらえるのですから、こんなありがたいことはない。でも、歴史に残る名シーンに現場で出くわすチャンスは滅多にないので、どうしてもテレビで見たものに限定されてしまいます。伝説のバックスクリーン三連発(実は掛布のはバックスクリーンではなかったらしいのですが)もなかなかのものですが、オールスターでの9連続奪三振というのは見てて興奮しましたね。3イニングしか投げられないわけですから、この記録は破られることがないわけです。しかも、江夏は前もっての新聞取材で、9連続奪三振を予告していたらしい。その江夏が日本シリーズでやったスクイズ外しもすごかった。本にもなっているぐらいです。山際淳司の『江夏の21球』ですね。見ているときから、これはすごいと思ったわけですが、後の時代からふり返ってみれば歴史的大事件なのに、その当事者であるときには、そんな風に感じていなかったこともあるかもしれません。秀吉が中国大返しをしているときの下っ端の家来たちは、なんだかわからないままに走っていたでしょう。でも、実は「その時歴史が動いた」だったわけで、神ならぬ身の知るよしもなかった、というやつです。

この「神ならぬ身の知るよしもなかった」というような定型のことばもよく見ますね。感動モノのアメリカ映画は必ず「全米が泣いた」、「上映中」の上には必ず「絶賛」が付きます。「絶賛○○中」は、いろんな場面で使われます。「絶賛発売中」なら、なんということもないのですが、講師に注意を受けている生徒を見て、友達が「絶賛しかられ中」と報告したのは、なかなかオサレでした。こういう「定型」はよく「ステレオタイプ」と言いますが、これは「ステロタイプ」が正しいという人がいます。たしかに「ステレオ」では両方から音が出てくる感じがします。「ステロ」は「固定した」という意味であるらしく、それならば「スチール写真」の「スチール」とも関係があるかもしれません。動画のビデオカメラに対して、静的なカメラは「スチールカメラ」になります。

「スチール」は「鋼鉄」の意味もありますが、綴りはちがいますね。「ホームスチール」の「スチール」は「盗む」意味になります。「ステマ」は「ステルスマーケティング」の略ですが、「ステルス」は「隠密」とか「こっそり行うこと」という意味なので、「スチールカメラ」と関係がありそうですが、無関係なのでしょうね。「ステルスマーケティング」は、企業の人間が第三者のふりをして、自社の商品などを宣伝することで、「ステルス戦闘機」はレーダーに捕捉されず、敵に気づかれにくいということですが、「ステルス値上げ」ということばもあります。いつのまにか昔に比べて小さくなっているのに、同じ値段だったりするのは、ステルス値上げです。誰も気づかないうちに、こっそりと値上げしてしまうという、とんでもない代物です。

「ステマ」は省略形というせいもあって、耳で聞くと外来語という感じがしません。外来語と知らないで使っていることばも結構あります。「さぼる」とか「だぶる」などがそうですが、反対に外来語だと思っているものが、実は「外来」ではない「和製英語」ということもあります。野球用語などはほとんど和製らしい。「トランプ」は切り札であって、あのカード全体をさすのではないということは有名ですね。アメリカの大統領も、自分は切り札だと思っているのでしょう。「ジェットコースター」も何か噴射して加速していく、というイメージの造語であり、海外では通じません。「ノートパソコン」は「ラップトップ」でしょうね。だいたい「パソコン」ということば自体が和製英語だから、海外では通じないでしょう。和製英語は「コンセント」のような一単語のものもありますが、「アットホーム」「アフターサービス」「オーダーメイド」「スキンシップ」のような二単語のものが多いようです。「クウトプーデル」は和製和語ですかね。

2019年7月 7日 (日)

なつかしの大映ドラマ

前回のタイトルの『聊斎志異』は中国清代、蒲松齢の短編小説集です。私は高校生のころに、柴田天馬という人が訳した角川文庫版で読みました。何巻かあったと思いますが、表紙がなかなか味のある絵で、雰囲気を出していましたねぇ。芥川龍之介の『酒虫』は『聊斎志異』が元ネタになっています。ある金持ちが大酒飲みなのに、全く酔うことがない。一人の僧に、酒虫が体の中にいるせいだと言われます。退治を頼まれた僧は、水の中に酒虫を入れるとうまい酒になると言って、酒虫をもらって帰ります。一方の金持ちは酒が嫌いになったが、やがて痩せおとろえ、貧乏になった。という話。太宰治も書いています。菊の精が登場する『清貧譚』はラサールの入試にも出ました。『竹青』という、カラスと結婚する話もあります。圓生の「水神」という話は、菊田一夫が書いたものですが、やはりカラスの嫁さんをもらう話で、日本が舞台ではあるものの『聊斎志異』に元ネタがあってもおかしくないようなストーリーでした。

国枝史郎に話をもどすと、題名だけは知っていたのですが、ある時期まで入手困難でした。大正の終わりごろの作品ですから、こういう系統のものはなかなか復刊されなかったのですね。それが五十年ぐらい前に復刊されて、三島由紀夫あたりから大絶賛を受けます。それをきっかけとして、小栗虫太郎、夢野久作、久生十蘭らの「怪奇幻想もの」ブームが起こることになります。『神州纐纈城』は、青空文庫でも読めるはずです。大風呂敷を広げすぎて、未完になっていますが…。ちなみに、『銀河英雄伝説』シリーズで名高い田中芳樹にも『纐纈城綺譚』という作品があります。「宇治拾遺物語」に、慈覚大師円仁が、中国の纐纈城に行くという話があって、その後日談として書かれたものです。国枝が「神州」としたのは、「神の国」つまり「日本」にもあった纐纈城という意味にしたのでしょう。この『神州纐纈城』のようなものを書きたかったのが、SF作家とされる半村良です。

半村良の代表作と言えば、なんといっても『産霊山秘録』でしょう。主人公は「ヒ」と呼ばれる一族です。天地が開けたときに現れた三神のうちのタカミムスビの直系ということになっています。「ムスビ(産霊)」は生成を意味するので、「創造」を神格化した神と言えます。つねに皇室の危機を救ってきた一族で、室町時代には「日野家」の支配下に置かれ、やがて山科家の元で忍びの者として暗躍していきます。SF的なのは、この一族が一種のテレポーテーションの力を持っているということで、神籬をつないで飛べるんですね。神籬は「ひもろぎ」と読みます。「ひ・もろぎ」で、「ひ」は「ムス・ヒ」の「ヒ」ですね。のちには、神社で神様を祀るのですが、それ以前の、山や海、樹木や岩など自然の万物に神が宿ると信じていたころ、神が降臨するための依り代となるものが「神籬」です。

戦国末期、足利家の力が弱まり、皇室に災いが降りかからないようにするため、織田信長に天下をとらせようとして「ヒ」が動きはじめます。明智光秀は一族なんですね。ところが信長は比叡山焼き打ちという挙に出ます。「比叡」は「ヒ」にとっては最も神聖な土地だということになっています。光秀たちは、ヒが歴史に干渉しすぎたために、その反動である「ネ」という力が働いたと考えます。自分たちが支援しようとした信長をこのままにしておいては皇室にあだなすことになる、と見た光秀はやむをえず信長を殺すことになりました。光秀と兄弟である天海はヒの一族の長であり、徳川家康を補佐していきます。神籬ネットワークの中心になる「芯の山」を作ろうとして天海が選んだのが二荒山日光です。

『産霊山秘録』はさらに江戸時代に話が広がっていきます。鼠小僧もヒの一族だし、光秀の子孫である坂本龍馬も、なんと新撰組までもがヒの末裔として登場してきます。そして、昭和20年3月10日、東京大空襲のさなか、ヒの一族の若者が400年前の世界から飛んでくる…、という、最後はもう何がなんだかわけがわからない展開になってしまいます。『妖星伝』も大長編で、時は江戸時代中ごろ、田沼意次の時代です。土着的な信仰であった「鬼道」が仏教に排斥され、その怨みを晴らそうとして世を乱す、というような設定で始まるのですが、人は何のために生まれて来たのかという「哲学」的内容になっていって、その答えがなかなかひどい。これもやりたい放題やって収拾がつかなくなったという作品です。『黄金伝説』は、遮光器土偶や火焔土器を手がかりとして、政財界の黒幕の秘密をさぐっていく話ですが、十和田湖畔の大洞窟にたどりつき、そこに眠る黄金の山を発見します。そこに、キリストの墓伝説などもからんでくるのですね。

「竹内古文書」というものがあって、そこに「イスキリス・クリスマス」という名前が出てくるらしい。ゴルゴダの丘の十字架上で死んだのは弟のイスキリであり、兄は日本に逃げてきたそうですな。で、その墓を竹内巨麿が青森県の戸来村で発見したということです。「竹内古文書」には、ほかにもムー大陸やアトランティス大陸を思わせる記述もあり、太古の昔、空飛ぶ船に天皇が乗って世界中を巡行した、なんてことも書かれているそうで、完全にSFに分類できそうです。

両面宿儺(「りょうめんすくな」と読みます)は、SF作家豊田有恒の『両面宿儺』という小説にも登場しますが、もともとは日本書紀に出てきます。仁徳天皇の時代に飛騨に現れた鬼として描かれています。身の丈六尺、一つの胴体に、それぞれ反対側を向いている二つの顔があり、手足が4本あったと言います。いかにもSF的です。ただ、合理的に考えるなら、いわゆる「シャム双生児」だったのかもしれませんし、そこまでいかなくても、ふたごの頭領をいただく武装集団で、朝廷にしたがわない豪族だったのかもしれません。アテルイやシャクシャインのような存在だった可能性もありますが、ローマ神話のヤヌスに似ています。ヤヌスは一年の終わりと始まりの境界に位置し、両方を見るために顔が前後に二つあります。入り口の神、物事の始まりの神でもあるので、1月の守護神になりました。英語のJanuaryは「ヤヌスの月」ということを意味します。『ヤヌスの鏡』という漫画原作のドラマは、まじめな優等生の少女の中に隠れていた別人格が登場してくるという話でした。二つの顔が交互に現れ、不良少女が暴走族相手に大暴れしたりするのは、いかにも「大映ドラマ」でしたな。

2019年6月22日 (土)

聊斎志異もおもしろい

「ハイブロー」は実は「ハイブラウ」が正しい、と細かいことを言う人がいます。外来語の正しさというのは微妙で、「スムーズ」は「スムース」と言う人もいます。「スムーズ」が元の発音に近いようですが、綴りからは「スムース」もいけそうです。どちらにしてもカタカナで書いた時点で元の発音とはズレているので、そっちはまちがいだという批判は通用しません。外来語を減らして、日本語を作ってでも言いかえていこう、という動きがありましたが、あれはどうなったのでしょう。結局外来語はなかなかやめられません。世の中には小池百合子さんのように外来語好きが多いようです。もちろんPC用語のように、外来語を使わざるを得ないというものもあります。それでも、「インストール」とか「リストア」なんてことばを初めて聞いたときには意味不明でした。「バイト」と「ビット」も区別がつけにくかった。でも、使うしかない。日本語にない概念は外来語でなければ表現のしようがなかったのでしょう。

日本語でも、そのことばでなければ表現できないという場合があります。「せつない」は「悲しい」では感じが出ないし、「わびしい」は「さびしい」とはちがいます。「わびさび」とひとまとめにしますが、明石散人によると「幽玄・わび・さび」がセットになるそうで、それぞれ「誕生・経過・滅びの美」を表すのだとか。「幽玄」というのは、ものが生まれたときの新しい状態のことで、金閣のように金を使っていて古びないものもあてはまるらしい。それがだんだん古びていく状態が「わび」で、イメージとしては銀閣でしょうか。「さび」は、その古びてきたものが朽ちてゆく状態なので、「荒れ寺」のイメージだと言います。いずれにせよ、共通する要素は「変化」ですね。どうも日本人は「変化」が好きなのかもしれません。移ろいやすいもの、無常を感じさせるものに心ひかれるようです。

「時間」を定義すると「変化の量」だと言った人がいました。たしかに「時間」は定義しにくい。「生命」も定義がむずかしいかもしれません。「物質」ではなく、いわば「過程」みたいなものですし、自然科学的な定義と哲学的な定義とではちがってくるでしょう。「自己を維持しようとして代謝をするもの」が生物だとしたら、コンピュータウイルスはあてはまらないようですが、「同じようなタイプのものを自ら再生産するもの」とするなら、コンピュータウイルスも生物なのかもしれません。ホーキングは「コンピュータウイルスは人間が作った生命体だ」と言っていたような気がします。サイボーグは脳の死で終わるという意味で生命があると言えそうですが、完全なロボットはどうなのでしょう。人工知能、AIという言い方をすると生物ではないようですが、いわゆる鉄腕アトム型のアンドロイドのように、人間にしかできなかったような高度に知的な作業や判断ができるようになっても「生きている」とは言えないのでしょうか。アトムが動けなくなったら、それは「死」なのか。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」という疑問が生まれるのも当然でしょう。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は、フィリップ・K・ディックの五十年ぐらい前の作品です。第三次世界大戦後という設定で、火星から逃げてきた何体かのアンドロイドを賞金稼ぎの男が発見して廃棄処分にするという話です。その時代、自然が壊滅的な状態になっていて、わずかに残った生物は保護されているのですが、本物そっくりの機械生物も作られています。そして、「人造人間」までもが生み出されています。この「人造人間」には「感情」や「記憶」があり、自分が機械であることに気づいていないものもいるのですが、これは「生きている」と言ってよいのでしょうか。ちなみに、この作品が原作になっているのが、リドリー・スコットの『ブレードランナー』という映画で、ハリソン・フォードが主役でした。ただ、原作とは内容的にかなりちがっています。リドリー・スコットは『エイリアン』の監督ですが、『ブラック・レイン』も撮っています。あちこちで水が滴り、蒸気が噴き出る演出はどちらにも共通してますが、『ブラック・レイン』では、十三の栄町商店街も効果的に使われていて、見慣れた街ではないような感じでした。

同じ監督の『プロメテウス』は、『エイリアン』の前日譚という設定でした。古代遺跡を調査するうちに、人類の起源と結びつくかもしれない謎の惑星の存在が浮かび上がり、宇宙船プロメテウス号に乗った科学者たちは、その惑星で切断された巨人の死体を発見します。調査の結果、巨人のDNAが人類のDNAと同じであることがわかるのですが、果たしてこの巨人が人類の創造主であるのか…というところから話が始まります。生物の起源は宇宙からやってきたものなのでしょうか。ミトコンドリアというのはもともと独立した細菌だったのが、別の原始的な細胞に飲み込まれ、複雑な生命に進化したという説がありますが、ミトコンドリアがじつは宇宙生物つまりエイリアンだったというSFがあったような…。

SFは「サイエンス・フィクション」ですが、「科学的要素」は絶対に必要なのでしょうか。「伝奇小説」というものがあります。本来、中国の唐から宋の時代にかけて書かれた短編小説のことを言いました。それ以前は志怪小説と呼ばれていました。超自然的な話を記録的に記したものなので、「取るに足りない話」という意味で「小説」と言われたのですね。それが複雑な物語となっていったのが「伝奇小説」で、そのうちに必ずしも「怪」を描かないものも登場してきます。日本でも、その影響を受けて伝奇物語が生まれます。その最初のものが現存最古の物語『竹取物語』で、これはまさにSFと言ってよいでしょう。『宇津保物語』は琴の秘曲にまつわる物語ですが、主人公が杉の木のうつぼで生活していたという妙な設定が「伝奇性」でしょう。『落窪物語』は継子いじめの話で、伝奇的要素は薄くなります。

近代においては国枝史郎の「伝奇小説」が有名です。正確に言えば、一部には有名です。知る人ぞ知る、という感じかもしれません。たとえば『神州纐纈(こうけつ)城』は、武田信玄の家来である主人公が老人から、「纐纈布」と言う、人血で染めたという布を売りつけられます。この布が発する妖気に操られ、主人公は富士山麓の湖底にある「纐纈城」や神秘的な宗教団体「富士教団」などのあやかしの世界に誘い込まれます。うーん、書いていて、また読みたくなったなあ。

2019年6月 2日 (日)

おまえモカ

プレミアムが付くどころか、お金そのものの値打ちがなくなることがあります。江戸時代にそれぞれの藩が領内だけで通用する紙幣として発行したものが藩札ですが、こんなもの、藩がなくなれば紙くずでしょう。大名なんて、いつ改易になるかわからないのですから。松本清張の小説に『西郷札』というのもありました。西南戦争のときに、軍費を調達するために発行された軍票ですね。軍票なんてのも、商店街の金券と同じで、一夜で価値がなくなってしまいます。西郷札も、西郷軍が敗れたあと、明治政府に没収され、廃棄されます。そのせいで現存するものは少ないために、コレクターの間では高額で取引されているそうですが…。

逆に、一夜で有名人やスターになるということも世の中にはよくあります。マスコミ、今はユーチューブでしょうか、そういったものに取り上げられた瞬間、日本中、場合によっては世界中から注目されることもあります。ペン・パイナッポー・アッポー・ペンで一躍有名になったピコ太郎なんてのもいました。一夜とまで言わずとも、時代による価値の変遷というのもあります。足利尊氏などはその典型でしょうか。食べ物にもそういうのはあります。ホルモン焼きなどは、昔は小腸や大腸などは廃棄していた部位なので、「ホルモン」の語源は大阪弁の「放るもん」であるという俗説があります。トロもそうですね。これもやはり昔は捨てていたわけですから。冷蔵庫がなかったころは、脂身はとくに傷みが早かったので捨てるしかなかったのでしょう。赤身なら醤油に漬け込んで「ヅケ」にできますが、脂身は水分を弾くのでヅケにすることもできません。どこかの老舗の寿司屋の常連のサラリーマンが、口の中でとろけるから「トロ」と名付けたことから、人気が出てきたそうな。

クロマグロもだんだんとれなくなって、ますます「希少価値」の度合いも高まっていきます。ありふれたものがなくなると高価で取引されるようになるのですね。メダカでさえも絶滅危惧種に指定されています。雀も急激に少なくなっているとか。何年か前の新聞に90パーセント減少と書いてありました。百羽いたはずのものが十羽になっているということですよね。ウナギは今やレッドリスト入りです。近大にがんばってもらうしかありません。近畿大学は完全養殖に成功した「近大マグロ」が有名ですが、最近はウナギに限りなく近い味をめざして「近大ナマズ」を鋭意研究中です。

庶民の味の代名詞の「さば」でさえ、乱獲で減りつつあります。食卓にのぼるのはノルウェー産が多いらしい。さばの缶詰も人気で、品切れになることもしばしばだとか。親しい人に「元気?」と言う感じのフランス語「サヴァ」とかけた、オリーブオイル漬けの「サヴァ缶」もあるようです。もやしは珍しいものではありませんが、あまりに安すぎて作り手がどんどん減っているそうな。ということは将来的には気軽に食べられなくなるかもしれません。同じ食卓の優等生バナナも相変わらず安い。需要供給のバランスはどうなっているのでしょうか? 

最近ちょくちょくテレビでやっているのが、「客のいない店がやっていけるのはなぜ?」という企画です。やはり需要があるのですね。餃子のみに特化した店はそれなりに客がはいります。たこ焼きのみ、というのは昔からありますね。堺にはプノンペンそばのみ、という店があります。判子屋さんはどうでしょう。ハンコだけでやっていけるのか。実際には会社の書類や表札などの注文があるようです。ただし、表札はあまりもうからないらしい。新京極に「下手な表札屋」というのがありました。今でもつぶれずにあるのかなあ。「下手」というの自虐ネタで、じつは人気の店だったのかもしれません。「日本一」というのは誇大広告と言われそうですが、これは誇大広告ではないのでしょうかね。「うまいラーメン」というレベルなら誇大広告とは言えないでしょうが、もしもムチャクチャまずかったとしたら、誇大広告だ金返せ、となるかもしれません。

「まずいラーメン」と銘打って、実はうまかったら、これも誇大広告なのか虚偽の広告なのか。ラーメンなのに「カレーライス」と命名したらどうなるでしょう。カレーライスが出てくると思って注文したらラーメンが出てくる。文句を言ったら、「いや、ウチではラーメンのことをカレーライスと言うんです」というのは許されるのか。「百円ラーメン」と看板をかかげておいて、値段が二百円なら、いくら「百円ラーメンとはあくまでもウチのラーメンの名前であって、値段が百円だとは言ってません」と抗弁してもだめでしょう。きちんとしたラーメンを出しているのに、看板に「ラーヌン」と書いてあるのは? 「ラーメン」と書いていたのに、だれかが付け足して「メ」を「ヌ」に変えたのだ、といういいわけをすれば許されるのか。ひらがなで「らーめん」にしても「らーぬん」にされそうですが…。

「うどん」を「うろん」と称したら看板に偽りあり? 大坂では「けつねうろん」と言いましたけど、やはり「うろん」な商品と思われそうです。「オニオンスライス」を注文して、たまねぎを酢につけたものがのっているごはんが出てきたら、これはやられましたと言うしかないかもしれません。ラーメン屋が密集している横丁で、一番手前の店が「日本一うまいラーメン屋」という看板を出したら、負けじと次の店が「世界一うまいラーメン屋」と出した。さらに次の店は「宇宙一うまいラーメン屋」という看板。困った一番奥の店が思案の末に出した看板が「入り口はこちら」。こういう積み重ねの小咄はなかなか味があります。

カエサル(シーザーがいつのまにかカエサルになっているんですね)がみんなにコーヒーをいれるという小咄があります。カエサルはコーヒー通なので、それぞれに合わせて豆を変え、「クレオパトラ、おまえにはこのキリマンジャロ」、オクタビアヌスには「おまえにはブルーマウンテン」、クレオパトラとの間にできた息子シーザーリオン(これはカエサリオンとは言わないのかな)には「おまえにはコロンビア」、最後にひかえていた男に向かって、「ブルータス、おまえモカ」…という落ちは教養のある人にしか通じない。積み重ねていって落とす快感、しかも出典がやや知的でハイブローです。

2019年5月19日 (日)

プレミアとプレミアムは違います

怪談といえば『四谷怪談』。映画では天知茂主演のものが有名です。「忠臣蔵外伝」と銘打った、高岡早紀と佐藤浩市のもドロドロしていましたし、唐沢寿明と小雪の『嗤う伊右衛門』は京極夏彦原作で、蜷川幸雄が撮ったものなので、なかなか難解でした。もとは鶴屋南北の歌舞伎です。お菊さんの『番町皿屋敷』は講談、お露さんの『牡丹灯籠』は三遊亭圓朝です。圓生が忠実にやっていたということは前にも触れましたが、圓生の十八番ネタに『百川』というのがあります。「百川」というのは実在の店の名で、浮世小路にありました。これを圓生も志ん朝も「うきよこうじ」と呼んでいましたが、正しくは「しょうじ」らしい。「うそを教えられちゃったよー」と志らくか誰だったかテレビで叫んでいました。「しょうじ」は音読みで「こうじ」は「こみち」の転訛だと思われるので訓読みです。京都では「こうじ」と読みますね。武者小路は「こうじ」です。

「大路」は「おおじ」としか読まないようです。北大路魯山人の「北大路」は本名のようですが、北大路欣也は芸名ですね。市川右太衛門の息子で、お屋敷が京都の北大路にあったので、「北大路の御大」と呼ばれていたことからつけた芸名です。ちなみにもう一人の東映の大スター片岡千恵蔵は京都の山のほう、嵯峨野に住んでいたので「山の御大」と呼ばれました。「御大」とは「御大将」の略ですね。加山雄三も上原謙の息子ですが、母親の小桜葉子のほうをたどれば岩倉具視に行き着きます。芸名の由来は、「加賀百万石・富士山・英雄・小林一三」から一字ずつとったという話ですが、どうもうそくさい。阪妻こと阪東妻三郎の息子は田村三兄弟です。末っ子は田村亮で、本名ではなく芸名のようですが、ロンブーの田村亮と同姓同名になります。こちらは本名です。ただ同じ芸能界でもジャンルがちがうのでまだ許されます。宮川大輔は同じ吉本にいる大先輩と、字こそちがうものの音はいっしょなので、いろいろトラブルもあったかもしれません。本名を芸名にしていたところ、事務所とのトラブルでその名が使えずに、「のん」と改名した人もいますし、樹木希林は悠木千帆という芸名を名乗っていましたが、テレビの番組で名前を競売にかけ、売れたお金は寄付してしまいました。

子供というのはバカなもので、自分で芸名をつけてサインの練習をするというオロカ者がクラスに一人や二人はいました。そういうときはやはり、「かっこいい」名前をつけるのですね。NHKの『日本人のおなまえっ!』の調査で、かっこいい名前として「伊集院」とか「二階堂」とかいうのがあげられていました。漢字三字の名字はたしかに「かっこいい」ようです。この番組では珍名やレア姓もよくとりあげられて、なかなかおもしろい。「四月一日」や「栗花落」「薬袋」のような「クイズ姓」もあります。順に「わたぬき」「つゆり」「みない」と読みます。「わたぬき」は衣替えからきています。「つゆり」は「梅雨の入り」がつまったものですね。「みない」は、武田信玄が薬の袋を落としたときに、届けてきた村人に、「中を見たか」と聞いたところ「見ない」と答えたという話が伝わっていますが、これも、いかにもうそくさい。

ひらがな入りの名字もあるそうな。「下り」とか「走り」「渡り」「回り道」。漢字でも「高」の真ん中をはしごのように書くものや、「渡辺」の「辺」もいろいろあったりしてややこしい。先祖代々、ウチはこう書くんだ、と言われたら、ああそうですかと答えるしかないのですが、昔は役所に届けるとき手書きで書いたわけで、その人の書きぐせが反映しているかもしれません。記録する戸籍係の人がまちがって書いた字がそのまま戸籍に載ってしまったということもありそうです。今はコンピューター処理ですが、外字をわざわざ作って区別しているのかなあ。

徳富蘇峰と徳冨蘆花は兄弟なのに「富」と「冨」のちがいがあります。大河ドラマ『八重の桜』にも兄弟が登場していましたが、仲が悪くてけんかばかりしていたので字を変えたのかもしれません。本家と分家で字の形を微妙に変えることもあったようです。「浮田」と「宇喜多」のように、よい字に変えるということもあります。秀吉からもらった名字なので変えられないというのもありました。堺に住んでいる人が「音揃」と書いて「おんぞろ」と読む、変わった名字だったのは、先祖が水軍の指揮をしたときに、大きな音を出して船の櫓が揃ったことに秀吉が感激して与えたとか。ただし、徳川の時代になってから、ちゃっかり変えてしまったということです。

秀吉は家来に羽柴の名字を与えましたが、豊臣家が滅んだので、それらの大名も羽柴を名乗らなくなります。家康の松平はさすがに名乗っているようですが。名字をもらうより、お宝として刀や茶器をもらったほうがうれしいというのはわれわれのような俗人でしょうな。ただ、刀ならなんとなく値打ちがわかるような気もしますが、茶器はだれが値打ちを決めるのか。利休がほめればそれだけで値打ちものです。「はてなの茶碗」という落語があります。京都の茶道具商の金兵衛さん、通称茶金が「これ」と指差しただけで、一山いくらの安物の茶碗が何両にもなるという目ききです。この茶金が、清水寺の茶店で茶をのんでいたところ、茶碗を見て首をかしげて出ていきます。その様子を見ていたある男が、無理矢理茶店に頼み込んで、その茶碗を譲りうけ、茶金のもとに持って行きます。茶金は、きずもないのに茶が漏ったので、首をかしげただけと笑うのですが、自分の名前を買ってもらったのだからと、三文の茶碗を三両で買ってやります。そのあと、近衛公にその茶碗を見せると、歌を詠んでつけてくれ、さらに帝がためしてみると、たしかに水が漏るので、箱の蓋に「波天奈」とお書きになり、本当に千両の値がつく、という話です。そのあと、茶金は男を探し出し、さらにいくらかのお金をわたします。しばらくすると、またまた男がやってきて、「もっともうかる話です。今度は、水瓶の漏るのを持ってきました」というオチ。

志ん生が『火焔太鼓』でよく言っていたギャグで「平清盛の使った溲瓶」というのがあります。プレミアム付き、付加価値ということですね。なんの変哲もない岩でも、弁慶が腰掛けた岩というだけで観光名所になります。弁慶は借用証書もたくさん残しているらしい。お店で有名人が坐った席というだけで値打ちが出るのも不思議といえば不思議です。

2019年5月12日 (日)

130超えると高めです

世間に名前が知られている忍者も意外にいるようで、伊賀には「上忍」と呼ばれるランクの高い忍者がおり、服部半蔵、百地三太夫、藤林長門守ということになっています。この藤林長門守の子孫が書いた『万川集海』という本には忍術名人の名前が残っているそうです。下柘植の木猿とか下柘植の小猿という名前は「猿飛佐助」のモデルかもしれません。音羽の城戸という忍者は信長の狙撃を何度か試みています。信長を狙撃しようとしたのは楯岡の道順だという説もあります。この人は伊賀崎道順とも言って、城に潜入して火をかけ、大混乱に乗じて城を落とす名人だったと言われています。どんな城でも「伊賀崎入れば落ちにけるかな」と詠われたとか。

飛び加藤こと加藤段蔵はかなりあやしげです。風魔小太郎のもとで技を磨いたあと、上杉謙信に仕えようとします。技を披露したところ、謙信はその技のあまりのすごさにかえって危険を感じてしまいます。その後、武田信玄に仕官するのですが、信玄を暗殺しようとしてつかまり、首をはねられたということになっています。どこまで本当かわかりませんが。有名な話としては、「牛をのむ」というのがあります。あるとき、段蔵は大きな木に牛をつないで、道行く人々に、「今からこの大きな牛を飲み込んでみせる」と言います。牛のうしろから近づいて、大きく息を吸い込むと、牛は見る見るうちに吸われていき、最後の一飲みで完全に牛は消えてしまいました。ところが、木にのぼっていた男が、「だまされるな。布をかぶって牛の背中に乗っているだけだ」と叫び、術は破れてしまいます。今で言うイリュージョンですかね。コーラを一気飲みして、徳川15代将軍の名前をゲップをせずに言い切る、というのじゃなくて、プリンセス天功とかの。ひょっとしたら集団催眠かもしれませんね。

ただ、このあと、飛び加藤が瓜の種をまいて扇で仰ぐと、すぐに芽を出し、茎が見る見る伸びて、花を咲かせて実をつけます。そして小刀を取り出して、実を茎から断ち切ると、木の繁みから男の首が血をしたたらせながら落ちてきたというお話。これはどういうからくりなのでしょうか。このへんの話は司馬遼太郎も書いていたような気もしますが、白土三平の絵の記憶もあるのです。海音寺潮五郎の『天と地と』では、ふつうの忍者として描かれていました。謙信を石坂浩二、信玄を高橋幸治、信長を杉良太郎が演じた大河では、米倉斉加年が飛び加藤をやっていました。ちなみに、この人は大河の常連で、戦国ものでは竹中半兵衛、今川義元、幕末ものでは桂小五郎、佐久間象山、板垣退助をやっています。著書も多く、『おとなになれなかった弟たちに…』は国語の教科書にも採用されていました。絵もうまくて、角川文庫の夢野久作の気色の悪い表紙はこの人の描いたものです。

果心居士となると、忍者というより幻術師とでも言ったほうがふさわしいようです。まさにイリュージョニストですな。松永久秀の前でやったことが有名です。久秀が、「自分は多くの修羅場をくぐってきて、もはや恐ろしいと思うことはない。そういう自分に恐ろしいと思わせることができるか」と言ったので、すぐさま数年前に死んだ久秀の妻を出現させたと言います。果心居士は秀吉の前でも、秀吉が誰にも言ったことのない悪行を暴いてしまいます。「科学的」に解釈するなら、久秀も秀吉も催眠状態になっている可能性がありますね。全部自分の脳内で起こっている出来事にすぎないのかもしれません。しかし、秀吉は怒りくるい、捕らえてはりつけにしようとします。すると果心居士は鼠に姿を変え、それを鳶がくわえて飛び去っていった、とか。小泉八雲も、果心居士が絵の中から呼び出した船に乗って、絵の中に消えていったという話を書いています。

万城目学の『とっぴんぱらりの風太郎』には、因心居士が登場しますが、ひょうたんの中に住む一種の妖怪のように描かれています。対になるもう一つのひょうたんには果心居士が秀吉によって閉じ込められています。因心居士は主人公の忍者風太郎を使って、大坂城の中にあるひょうたんをさがしに行くというストーリーです。ラストの部分で、風太郎は仲良くなった秀頼の子供を連れて大坂城を脱出します。『プリンセストヨトミ』につながるような終わり方です。この話の中では果心居士も因心居士も、姿を見えなくする術とか、いろいろな術を使います。イメージ的には仙人という感じでしょうか。

仙人といえば中国が本場ですが、三国志に出てくる張角も仙人のイメージがあります。黄巾の乱を引き起こした太平道という宗教組織は、道教の一派ですからそれも当然です。宗教とは関係なさそうな関羽でさえ商売の神様になるわけで、義理堅く、裏切らないイメージが商売と結びつくのでしょうか。関羽は美髯公とも呼ばれました。「ひげ」で有名ですが、「髯」というのは「ほおひげ」ですね。「髭」は「口ひげ」、鬚は「あごひげ」です。こんな区別をわざわざするのはひげに関心がある証拠ですが、英語でもほおひげは「ウィスカーズ」、口ひげは「マスターシュ」、あごひげは「ビアード」というように使い分けます。ヨーロッパの人もひげに関心があったのでしょう。

「青ひげ」のひげは「髭」でしょうかね。ペローやグリムが書いていますが、日本でも「ひげ」のある男を主人公にして小説が作られています。山本周五郎の『赤ひげ診療譚』ですね。この赤ひげ男は医者です。映画では三船敏郎がやりました。三船も最近の子供たちは知らなくなっていますが、胡麻麦茶のCMに出ている「先生」のモデルになった人ですね。黒沢映画の主役として海外でも人気のあった人です。『スターウォーズ』が黒沢のパクリ、いやオマージュであることは有名で、ルーカスは三船を使いたくてオファーするのですが、三船はB級映画だと思って断ってしまいます。たしかに一作目は「B級」レベルでしたが、なんと世界的に大ヒットしてしまいます。なぜ、あのレベルの映画がヒットしたのか不思議なのですが。出ていなくても「世界のミフネ」であることには変わりありません。世界に名前を知らしめた最初の作品が『羅生門』です。ただし、これは芥川の『羅生門』よりも、むしろ『藪の中』の映画化ですね。有島武郎の息子の森雅之や京マチ子との共演です。京マチ子は溝口健二の『雨月物語』でも魅力的でした。怪談というほどのものではありませんが、人間の「情念」を感じさせます。モノクロだから、よけいに雰囲気が出ているような。

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