2019年6月22日 (土)

聊斎志異もおもしろい

「ハイブロー」は実は「ハイブラウ」が正しい、と細かいことを言う人がいます。外来語の正しさというのは微妙で、「スムーズ」は「スムース」と言う人もいます。「スムーズ」が元の発音に近いようですが、綴りからは「スムース」もいけそうです。どちらにしてもカタカナで書いた時点で元の発音とはズレているので、そっちはまちがいだという批判は通用しません。外来語を減らして、日本語を作ってでも言いかえていこう、という動きがありましたが、あれはどうなったのでしょう。結局外来語はなかなかやめられません。世の中には小池百合子さんのように外来語好きが多いようです。もちろんPC用語のように、外来語を使わざるを得ないというものもあります。それでも、「インストール」とか「リストア」なんてことばを初めて聞いたときには意味不明でした。「バイト」と「ビット」も区別がつけにくかった。でも、使うしかない。日本語にない概念は外来語でなければ表現のしようがなかったのでしょう。

日本語でも、そのことばでなければ表現できないという場合があります。「せつない」は「悲しい」では感じが出ないし、「わびしい」は「さびしい」とはちがいます。「わびさび」とひとまとめにしますが、明石散人によると「幽玄・わび・さび」がセットになるそうで、それぞれ「誕生・経過・滅びの美」を表すのだとか。「幽玄」というのは、ものが生まれたときの新しい状態のことで、金閣のように金を使っていて古びないものもあてはまるらしい。それがだんだん古びていく状態が「わび」で、イメージとしては銀閣でしょうか。「さび」は、その古びてきたものが朽ちてゆく状態なので、「荒れ寺」のイメージだと言います。いずれにせよ、共通する要素は「変化」ですね。どうも日本人は「変化」が好きなのかもしれません。移ろいやすいもの、無常を感じさせるものに心ひかれるようです。

「時間」を定義すると「変化の量」だと言った人がいました。たしかに「時間」は定義しにくい。「生命」も定義がむずかしいかもしれません。「物質」ではなく、いわば「過程」みたいなものですし、自然科学的な定義と哲学的な定義とではちがってくるでしょう。「自己を維持しようとして代謝をするもの」が生物だとしたら、コンピュータウイルスはあてはまらないようですが、「同じようなタイプのものを自ら再生産するもの」とするなら、コンピュータウイルスも生物なのかもしれません。ホーキングは「コンピュータウイルスは人間が作った生命体だ」と言っていたような気がします。サイボーグは脳の死で終わるという意味で生命があると言えそうですが、完全なロボットはどうなのでしょう。人工知能、AIという言い方をすると生物ではないようですが、いわゆる鉄腕アトム型のアンドロイドのように、人間にしかできなかったような高度に知的な作業や判断ができるようになっても「生きている」とは言えないのでしょうか。アトムが動けなくなったら、それは「死」なのか。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」という疑問が生まれるのも当然でしょう。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』は、フィリップ・K・ディックの五十年ぐらい前の作品です。第三次世界大戦後という設定で、火星から逃げてきた何体かのアンドロイドを賞金稼ぎの男が発見して廃棄処分にするという話です。その時代、自然が壊滅的な状態になっていて、わずかに残った生物は保護されているのですが、本物そっくりの機械生物も作られています。そして、「人造人間」までもが生み出されています。この「人造人間」には「感情」や「記憶」があり、自分が機械であることに気づいていないものもいるのですが、これは「生きている」と言ってよいのでしょうか。ちなみに、この作品が原作になっているのが、リドリー・スコットの『ブレードランナー』という映画で、ハリソン・フォードが主役でした。ただ、原作とは内容的にかなりちがっています。リドリー・スコットは『エイリアン』の監督ですが、『ブラック・レイン』も撮っています。あちこちで水が滴り、蒸気が噴き出る演出はどちらにも共通してますが、『ブラック・レイン』では、十三の栄町商店街も効果的に使われていて、見慣れた街ではないような感じでした。

同じ監督の『プロメテウス』は、『エイリアン』の前日譚という設定でした。古代遺跡を調査するうちに、人類の起源と結びつくかもしれない謎の惑星の存在が浮かび上がり、宇宙船プロメテウス号に乗った科学者たちは、その惑星で切断された巨人の死体を発見します。調査の結果、巨人のDNAが人類のDNAと同じであることがわかるのですが、果たしてこの巨人が人類の創造主であるのか…というところから話が始まります。生物の起源は宇宙からやってきたものなのでしょうか。ミトコンドリアというのはもともと独立した細菌だったのが、別の原始的な細胞に飲み込まれ、複雑な生命に進化したという説がありますが、ミトコンドリアがじつは宇宙生物つまりエイリアンだったというSFがあったような…。

SFは「サイエンス・フィクション」ですが、「科学的要素」は絶対に必要なのでしょうか。「伝奇小説」というものがあります。本来、中国の唐から宋の時代にかけて書かれた短編小説のことを言いました。それ以前は志怪小説と呼ばれていました。超自然的な話を記録的に記したものなので、「取るに足りない話」という意味で「小説」と言われたのですね。それが複雑な物語となっていったのが「伝奇小説」で、そのうちに必ずしも「怪」を描かないものも登場してきます。日本でも、その影響を受けて伝奇物語が生まれます。その最初のものが現存最古の物語『竹取物語』で、これはまさにSFと言ってよいでしょう。『宇津保物語』は琴の秘曲にまつわる物語ですが、主人公が杉の木のうつぼで生活していたという妙な設定が「伝奇性」でしょう。『落窪物語』は継子いじめの話で、伝奇的要素は薄くなります。

近代においては国枝史郎の「伝奇小説」が有名です。正確に言えば、一部には有名です。知る人ぞ知る、という感じかもしれません。たとえば『神州纐纈(こうけつ)城』は、武田信玄の家来である主人公が老人から、「纐纈布」と言う、人血で染めたという布を売りつけられます。この布が発する妖気に操られ、主人公は富士山麓の湖底にある「纐纈城」や神秘的な宗教団体「富士教団」などのあやかしの世界に誘い込まれます。うーん、書いていて、また読みたくなったなあ。

2019年6月 2日 (日)

おまえモカ

プレミアムが付くどころか、お金そのものの値打ちがなくなることがあります。江戸時代にそれぞれの藩が領内だけで通用する紙幣として発行したものが藩札ですが、こんなもの、藩がなくなれば紙くずでしょう。大名なんて、いつ改易になるかわからないのですから。松本清張の小説に『西郷札』というのもありました。西南戦争のときに、軍費を調達するために発行された軍票ですね。軍票なんてのも、商店街の金券と同じで、一夜で価値がなくなってしまいます。西郷札も、西郷軍が敗れたあと、明治政府に没収され、廃棄されます。そのせいで現存するものは少ないために、コレクターの間では高額で取引されているそうですが…。

逆に、一夜で有名人やスターになるということも世の中にはよくあります。マスコミ、今はユーチューブでしょうか、そういったものに取り上げられた瞬間、日本中、場合によっては世界中から注目されることもあります。ペン・パイナッポー・アッポー・ペンで一躍有名になったピコ太郎なんてのもいました。一夜とまで言わずとも、時代による価値の変遷というのもあります。足利尊氏などはその典型でしょうか。食べ物にもそういうのはあります。ホルモン焼きなどは、昔は小腸や大腸などは廃棄していた部位なので、「ホルモン」の語源は大阪弁の「放るもん」であるという俗説があります。トロもそうですね。これもやはり昔は捨てていたわけですから。冷蔵庫がなかったころは、脂身はとくに傷みが早かったので捨てるしかなかったのでしょう。赤身なら醤油に漬け込んで「ヅケ」にできますが、脂身は水分を弾くのでヅケにすることもできません。どこかの老舗の寿司屋の常連のサラリーマンが、口の中でとろけるから「トロ」と名付けたことから、人気が出てきたそうな。

クロマグロもだんだんとれなくなって、ますます「希少価値」の度合いも高まっていきます。ありふれたものがなくなると高価で取引されるようになるのですね。メダカでさえも絶滅危惧種に指定されています。雀も急激に少なくなっているとか。何年か前の新聞に90パーセント減少と書いてありました。百羽いたはずのものが十羽になっているということですよね。ウナギは今やレッドリスト入りです。近大にがんばってもらうしかありません。近畿大学は完全養殖に成功した「近大マグロ」が有名ですが、最近はウナギに限りなく近い味をめざして「近大ナマズ」を鋭意研究中です。

庶民の味の代名詞の「さば」でさえ、乱獲で減りつつあります。食卓にのぼるのはノルウェー産が多いらしい。さばの缶詰も人気で、品切れになることもしばしばだとか。親しい人に「元気?」と言う感じのフランス語「サヴァ」とかけた、オリーブオイル漬けの「サヴァ缶」もあるようです。もやしは珍しいものではありませんが、あまりに安すぎて作り手がどんどん減っているそうな。ということは将来的には気軽に食べられなくなるかもしれません。同じ食卓の優等生バナナも相変わらず安い。需要供給のバランスはどうなっているのでしょうか? 

最近ちょくちょくテレビでやっているのが、「客のいない店がやっていけるのはなぜ?」という企画です。やはり需要があるのですね。餃子のみに特化した店はそれなりに客がはいります。たこ焼きのみ、というのは昔からありますね。堺にはプノンペンそばのみ、という店があります。判子屋さんはどうでしょう。ハンコだけでやっていけるのか。実際には会社の書類や表札などの注文があるようです。ただし、表札はあまりもうからないらしい。新京極に「下手な表札屋」というのがありました。今でもつぶれずにあるのかなあ。「下手」というの自虐ネタで、じつは人気の店だったのかもしれません。「日本一」というのは誇大広告と言われそうですが、これは誇大広告ではないのでしょうかね。「うまいラーメン」というレベルなら誇大広告とは言えないでしょうが、もしもムチャクチャまずかったとしたら、誇大広告だ金返せ、となるかもしれません。

「まずいラーメン」と銘打って、実はうまかったら、これも誇大広告なのか虚偽の広告なのか。ラーメンなのに「カレーライス」と命名したらどうなるでしょう。カレーライスが出てくると思って注文したらラーメンが出てくる。文句を言ったら、「いや、ウチではラーメンのことをカレーライスと言うんです」というのは許されるのか。「百円ラーメン」と看板をかかげておいて、値段が二百円なら、いくら「百円ラーメンとはあくまでもウチのラーメンの名前であって、値段が百円だとは言ってません」と抗弁してもだめでしょう。きちんとしたラーメンを出しているのに、看板に「ラーヌン」と書いてあるのは? 「ラーメン」と書いていたのに、だれかが付け足して「メ」を「ヌ」に変えたのだ、といういいわけをすれば許されるのか。ひらがなで「らーめん」にしても「らーぬん」にされそうですが…。

「うどん」を「うろん」と称したら看板に偽りあり? 大坂では「けつねうろん」と言いましたけど、やはり「うろん」な商品と思われそうです。「オニオンスライス」を注文して、たまねぎを酢につけたものがのっているごはんが出てきたら、これはやられましたと言うしかないかもしれません。ラーメン屋が密集している横丁で、一番手前の店が「日本一うまいラーメン屋」という看板を出したら、負けじと次の店が「世界一うまいラーメン屋」と出した。さらに次の店は「宇宙一うまいラーメン屋」という看板。困った一番奥の店が思案の末に出した看板が「入り口はこちら」。こういう積み重ねの小咄はなかなか味があります。

カエサル(シーザーがいつのまにかカエサルになっているんですね)がみんなにコーヒーをいれるという小咄があります。カエサルはコーヒー通なので、それぞれに合わせて豆を変え、「クレオパトラ、おまえにはこのキリマンジャロ」、オクタビアヌスには「おまえにはブルーマウンテン」、クレオパトラとの間にできた息子シーザーリオン(これはカエサリオンとは言わないのかな)には「おまえにはコロンビア」、最後にひかえていた男に向かって、「ブルータス、おまえモカ」…という落ちは教養のある人にしか通じない。積み重ねていって落とす快感、しかも出典がやや知的でハイブローです。

2019年5月19日 (日)

プレミアとプレミアムは違います

怪談といえば『四谷怪談』。映画では天知茂主演のものが有名です。「忠臣蔵外伝」と銘打った、高岡早紀と佐藤浩市のもドロドロしていましたし、唐沢寿明と小雪の『嗤う伊右衛門』は京極夏彦原作で、蜷川幸雄が撮ったものなので、なかなか難解でした。もとは鶴屋南北の歌舞伎です。お菊さんの『番町皿屋敷』は講談、お露さんの『牡丹灯籠』は三遊亭圓朝です。圓生が忠実にやっていたということは前にも触れましたが、圓生の十八番ネタに『百川』というのがあります。「百川」というのは実在の店の名で、浮世小路にありました。これを圓生も志ん朝も「うきよこうじ」と呼んでいましたが、正しくは「しょうじ」らしい。「うそを教えられちゃったよー」と志らくか誰だったかテレビで叫んでいました。「しょうじ」は音読みで「こうじ」は「こみち」の転訛だと思われるので訓読みです。京都では「こうじ」と読みますね。武者小路は「こうじ」です。

「大路」は「おおじ」としか読まないようです。北大路魯山人の「北大路」は本名のようですが、北大路欣也は芸名ですね。市川右太衛門の息子で、お屋敷が京都の北大路にあったので、「北大路の御大」と呼ばれていたことからつけた芸名です。ちなみにもう一人の東映の大スター片岡千恵蔵は京都の山のほう、嵯峨野に住んでいたので「山の御大」と呼ばれました。「御大」とは「御大将」の略ですね。加山雄三も上原謙の息子ですが、母親の小桜葉子のほうをたどれば岩倉具視に行き着きます。芸名の由来は、「加賀百万石・富士山・英雄・小林一三」から一字ずつとったという話ですが、どうもうそくさい。阪妻こと阪東妻三郎の息子は田村三兄弟です。末っ子は田村亮で、本名ではなく芸名のようですが、ロンブーの田村亮と同姓同名になります。こちらは本名です。ただ同じ芸能界でもジャンルがちがうのでまだ許されます。宮川大輔は同じ吉本にいる大先輩と、字こそちがうものの音はいっしょなので、いろいろトラブルもあったかもしれません。本名を芸名にしていたところ、事務所とのトラブルでその名が使えずに、「のん」と改名した人もいますし、樹木希林は悠木千帆という芸名を名乗っていましたが、テレビの番組で名前を競売にかけ、売れたお金は寄付してしまいました。

子供というのはバカなもので、自分で芸名をつけてサインの練習をするというオロカ者がクラスに一人や二人はいました。そういうときはやはり、「かっこいい」名前をつけるのですね。NHKの『日本人のおなまえっ!』の調査で、かっこいい名前として「伊集院」とか「二階堂」とかいうのがあげられていました。漢字三字の名字はたしかに「かっこいい」ようです。この番組では珍名やレア姓もよくとりあげられて、なかなかおもしろい。「四月一日」や「栗花落」「薬袋」のような「クイズ姓」もあります。順に「わたぬき」「つゆり」「みない」と読みます。「わたぬき」は衣替えからきています。「つゆり」は「梅雨の入り」がつまったものですね。「みない」は、武田信玄が薬の袋を落としたときに、届けてきた村人に、「中を見たか」と聞いたところ「見ない」と答えたという話が伝わっていますが、これも、いかにもうそくさい。

ひらがな入りの名字もあるそうな。「下り」とか「走り」「渡り」「回り道」。漢字でも「高」の真ん中をはしごのように書くものや、「渡辺」の「辺」もいろいろあったりしてややこしい。先祖代々、ウチはこう書くんだ、と言われたら、ああそうですかと答えるしかないのですが、昔は役所に届けるとき手書きで書いたわけで、その人の書きぐせが反映しているかもしれません。記録する戸籍係の人がまちがって書いた字がそのまま戸籍に載ってしまったということもありそうです。今はコンピューター処理ですが、外字をわざわざ作って区別しているのかなあ。

徳富蘇峰と徳冨蘆花は兄弟なのに「富」と「冨」のちがいがあります。大河ドラマ『八重の桜』にも兄弟が登場していましたが、仲が悪くてけんかばかりしていたので字を変えたのかもしれません。本家と分家で字の形を微妙に変えることもあったようです。「浮田」と「宇喜多」のように、よい字に変えるということもあります。秀吉からもらった名字なので変えられないというのもありました。堺に住んでいる人が「音揃」と書いて「おんぞろ」と読む、変わった名字だったのは、先祖が水軍の指揮をしたときに、大きな音を出して船の櫓が揃ったことに秀吉が感激して与えたとか。ただし、徳川の時代になってから、ちゃっかり変えてしまったということです。

秀吉は家来に羽柴の名字を与えましたが、豊臣家が滅んだので、それらの大名も羽柴を名乗らなくなります。家康の松平はさすがに名乗っているようですが。名字をもらうより、お宝として刀や茶器をもらったほうがうれしいというのはわれわれのような俗人でしょうな。ただ、刀ならなんとなく値打ちがわかるような気もしますが、茶器はだれが値打ちを決めるのか。利休がほめればそれだけで値打ちものです。「はてなの茶碗」という落語があります。京都の茶道具商の金兵衛さん、通称茶金が「これ」と指差しただけで、一山いくらの安物の茶碗が何両にもなるという目ききです。この茶金が、清水寺の茶店で茶をのんでいたところ、茶碗を見て首をかしげて出ていきます。その様子を見ていたある男が、無理矢理茶店に頼み込んで、その茶碗を譲りうけ、茶金のもとに持って行きます。茶金は、きずもないのに茶が漏ったので、首をかしげただけと笑うのですが、自分の名前を買ってもらったのだからと、三文の茶碗を三両で買ってやります。そのあと、近衛公にその茶碗を見せると、歌を詠んでつけてくれ、さらに帝がためしてみると、たしかに水が漏るので、箱の蓋に「波天奈」とお書きになり、本当に千両の値がつく、という話です。そのあと、茶金は男を探し出し、さらにいくらかのお金をわたします。しばらくすると、またまた男がやってきて、「もっともうかる話です。今度は、水瓶の漏るのを持ってきました」というオチ。

志ん生が『火焔太鼓』でよく言っていたギャグで「平清盛の使った溲瓶」というのがあります。プレミアム付き、付加価値ということですね。なんの変哲もない岩でも、弁慶が腰掛けた岩というだけで観光名所になります。弁慶は借用証書もたくさん残しているらしい。お店で有名人が坐った席というだけで値打ちが出るのも不思議といえば不思議です。

2019年5月12日 (日)

130超えると高めです

世間に名前が知られている忍者も意外にいるようで、伊賀には「上忍」と呼ばれるランクの高い忍者がおり、服部半蔵、百地三太夫、藤林長門守ということになっています。この藤林長門守の子孫が書いた『万川集海』という本には忍術名人の名前が残っているそうです。下柘植の木猿とか下柘植の小猿という名前は「猿飛佐助」のモデルかもしれません。音羽の城戸という忍者は信長の狙撃を何度か試みています。信長を狙撃しようとしたのは楯岡の道順だという説もあります。この人は伊賀崎道順とも言って、城に潜入して火をかけ、大混乱に乗じて城を落とす名人だったと言われています。どんな城でも「伊賀崎入れば落ちにけるかな」と詠われたとか。

飛び加藤こと加藤段蔵はかなりあやしげです。風魔小太郎のもとで技を磨いたあと、上杉謙信に仕えようとします。技を披露したところ、謙信はその技のあまりのすごさにかえって危険を感じてしまいます。その後、武田信玄に仕官するのですが、信玄を暗殺しようとしてつかまり、首をはねられたということになっています。どこまで本当かわかりませんが。有名な話としては、「牛をのむ」というのがあります。あるとき、段蔵は大きな木に牛をつないで、道行く人々に、「今からこの大きな牛を飲み込んでみせる」と言います。牛のうしろから近づいて、大きく息を吸い込むと、牛は見る見るうちに吸われていき、最後の一飲みで完全に牛は消えてしまいました。ところが、木にのぼっていた男が、「だまされるな。布をかぶって牛の背中に乗っているだけだ」と叫び、術は破れてしまいます。今で言うイリュージョンですかね。コーラを一気飲みして、徳川15代将軍の名前をゲップをせずに言い切る、というのじゃなくて、プリンセス天功とかの。ひょっとしたら集団催眠かもしれませんね。

ただ、このあと、飛び加藤が瓜の種をまいて扇で仰ぐと、すぐに芽を出し、茎が見る見る伸びて、花を咲かせて実をつけます。そして小刀を取り出して、実を茎から断ち切ると、木の繁みから男の首が血をしたたらせながら落ちてきたというお話。これはどういうからくりなのでしょうか。このへんの話は司馬遼太郎も書いていたような気もしますが、白土三平の絵の記憶もあるのです。海音寺潮五郎の『天と地と』では、ふつうの忍者として描かれていました。謙信を石坂浩二、信玄を高橋幸治、信長を杉良太郎が演じた大河では、米倉斉加年が飛び加藤をやっていました。ちなみに、この人は大河の常連で、戦国ものでは竹中半兵衛、今川義元、幕末ものでは桂小五郎、佐久間象山、板垣退助をやっています。著書も多く、『おとなになれなかった弟たちに…』は国語の教科書にも採用されていました。絵もうまくて、角川文庫の夢野久作の気色の悪い表紙はこの人の描いたものです。

果心居士となると、忍者というより幻術師とでも言ったほうがふさわしいようです。まさにイリュージョニストですな。松永久秀の前でやったことが有名です。久秀が、「自分は多くの修羅場をくぐってきて、もはや恐ろしいと思うことはない。そういう自分に恐ろしいと思わせることができるか」と言ったので、すぐさま数年前に死んだ久秀の妻を出現させたと言います。果心居士は秀吉の前でも、秀吉が誰にも言ったことのない悪行を暴いてしまいます。「科学的」に解釈するなら、久秀も秀吉も催眠状態になっている可能性がありますね。全部自分の脳内で起こっている出来事にすぎないのかもしれません。しかし、秀吉は怒りくるい、捕らえてはりつけにしようとします。すると果心居士は鼠に姿を変え、それを鳶がくわえて飛び去っていった、とか。小泉八雲も、果心居士が絵の中から呼び出した船に乗って、絵の中に消えていったという話を書いています。

万城目学の『とっぴんぱらりの風太郎』には、因心居士が登場しますが、ひょうたんの中に住む一種の妖怪のように描かれています。対になるもう一つのひょうたんには果心居士が秀吉によって閉じ込められています。因心居士は主人公の忍者風太郎を使って、大坂城の中にあるひょうたんをさがしに行くというストーリーです。ラストの部分で、風太郎は仲良くなった秀頼の子供を連れて大坂城を脱出します。『プリンセストヨトミ』につながるような終わり方です。この話の中では果心居士も因心居士も、姿を見えなくする術とか、いろいろな術を使います。イメージ的には仙人という感じでしょうか。

仙人といえば中国が本場ですが、三国志に出てくる張角も仙人のイメージがあります。黄巾の乱を引き起こした太平道という宗教組織は、道教の一派ですからそれも当然です。宗教とは関係なさそうな関羽でさえ商売の神様になるわけで、義理堅く、裏切らないイメージが商売と結びつくのでしょうか。関羽は美髯公とも呼ばれました。「ひげ」で有名ですが、「髯」というのは「ほおひげ」ですね。「髭」は「口ひげ」、鬚は「あごひげ」です。こんな区別をわざわざするのはひげに関心がある証拠ですが、英語でもほおひげは「ウィスカーズ」、口ひげは「マスターシュ」、あごひげは「ビアード」というように使い分けます。ヨーロッパの人もひげに関心があったのでしょう。

「青ひげ」のひげは「髭」でしょうかね。ペローやグリムが書いていますが、日本でも「ひげ」のある男を主人公にして小説が作られています。山本周五郎の『赤ひげ診療譚』ですね。この赤ひげ男は医者です。映画では三船敏郎がやりました。三船も最近の子供たちは知らなくなっていますが、胡麻麦茶のCMに出ている「先生」のモデルになった人ですね。黒沢映画の主役として海外でも人気のあった人です。『スターウォーズ』が黒沢のパクリ、いやオマージュであることは有名で、ルーカスは三船を使いたくてオファーするのですが、三船はB級映画だと思って断ってしまいます。たしかに一作目は「B級」レベルでしたが、なんと世界的に大ヒットしてしまいます。なぜ、あのレベルの映画がヒットしたのか不思議なのですが。出ていなくても「世界のミフネ」であることには変わりありません。世界に名前を知らしめた最初の作品が『羅生門』です。ただし、これは芥川の『羅生門』よりも、むしろ『藪の中』の映画化ですね。有島武郎の息子の森雅之や京マチ子との共演です。京マチ子は溝口健二の『雨月物語』でも魅力的でした。怪談というほどのものではありませんが、人間の「情念」を感じさせます。モノクロだから、よけいに雰囲気が出ているような。

2019年4月28日 (日)

ハットリくんの顔はお面?

話をもとにもどすと、「飯綱使い」は忍者の原型ということになりそうです。で、この「飯綱使い」の本場は信州らしいですね。信州の飯縄神社に起源をもつと言われます。「飯縄」と書いて「いいづな」と読みます。飯縄山には食べられる砂、つまり「飯砂」があるそうで、これが名前の言われになっているということです。飯縄大権現は狐に乗った烏天狗の姿をしており、体か狐のどちらかに蛇が巻きついています。烏天狗は仏法を守護する八部衆のうちの迦楼羅(かるら)天が変化したという説があります。カルラはもともとインド神話に出てくるガルーダという神鳥です。インドネシアのガルーダ航空の名前は、ヴィシュヌ神を乗せて天空を駆け抜けるこの鳥から来ています。火を吐き、竜を食うという、すさまじい鳥です。ガルーダの一族は、人々に恐れられる蛇や竜すなわちナーガ族と戦っているらしい。飯縄大権現に巻きつく蛇はそれを表しているのですね。

この飯縄大権現は戦勝の神として崇拝され、戦国武将に敬われました。上杉謙信の兜で、前立が飯縄権現像になっているものがあります。走っている霊狐に迦楼羅の姿をした飯縄大権現が乗っており、全体は絢爛たる金色です。たぶん金メッキでしょうが…。謙信は何回かあった川中島の合戦に出陣するとき、飯縄山の麓を通り過ぎることがあったようで、飯縄大権現に戦勝を祈ったのでしょう。

で、信州には例の真田家があります。忍者と縁のある家ですね。もともと真田家は飯縄山の近くの小さな土豪です。領土を守るためには、世の中の動きを見ながら、別の土豪と手を結んでは裏切るという繰り返しも必要でした。そうすると、情報収集は生きるか死ぬかにかかわる大きな問題になります。「諜報活動は忍者の基本」と前回書きましたが、ここで忍者が必要になってくるのですね。さらに、幸村の父昌幸は「表裏比興の者」と呼ばれました。奇略奇計の達人、というような意味でしょう。上田城に立てこもった昌幸は徳川方の攻撃を見事に撃退しました。はじめはわずかな兵で、わざと負け、相手が調子に乗って力攻めに出るや、城から一斉射撃を浴びせます。土塁や逆茂木を活用して、徳川方を混乱させたところに、伏兵が背後から襲いかかりました。徳川方は総崩れになって、大敗北を喫したのですが、楠木正成にも通じるようなゲリラ戦法です。大河の『真田丸』でも、このあたりはていねいに描いていました。

平安初期に勅撰詩文集『経国集』の編纂をした滋野貞主という人がいます。この人から始まる一族が信濃国に住み着いたのですが、のちに海野、祢津、望月の三家に分かれます。真田家は海野の流れですが、武田家の家臣として重用された真田家が本家のようになっていったのでしょう。真田幸村の家来の真田十勇士は架空のものですが、その中に海野六郎、根津甚八、望月六郎がいます。望月家はもともと牧場の馬を管理して朝廷に送る仕事をしていたようです。途中の近江国甲賀のあたりで調教をしていた関係で、望月家の一人が、甲賀の土地を賜ったらしい。後に甲賀忍者の筆頭として、「伊賀の服部、甲賀の望月」と言われるようになります。望月家の屋敷跡はいま忍者屋敷になっています。能の観阿弥は伊賀の服部家の出身だと言われます。母は楠木正成の姉妹だったということで、観阿弥は楠木正成の甥にあたります。伊賀甲賀のほかに、信州には戸隠流というのもあります。木曾義仲に仕えた仁科大助から始まると言われますが、戸隠山も山伏の修業の場です。

「忍者」とか「忍び」という呼び方は、イエズス会の「日葡辞書」にも「シノビ」として載っているそうですが、世間的には山田風太郎の忍法帖シリーズや村山知義の『忍びの者』あたりから使われはじめたのでしょうか。『忍びの者』は市川雷蔵主演で映画化されて大ヒットしました。司馬遼太郎も『梟の城』や『風神の門』という忍者小説を書いています。それ以前は「忍術使い」と言っていたのではないかなあ。江戸時代までは、「乱破(らっぱ)」とか「素破(すっぱ)」とか言っていたらしい。「すっぱ」は「水破」「透破」とも書き、「スッパ抜く」ということばの語源です。「草」とか「軒猿」とかいうような言い方も聞いたことがあります。横山光輝の漫画だったかなあ。

北条氏に仕えた忍者としては風魔小太郎が有名ですが、「ふうま」という読み方がいかにもあやしい。「風間」という家来がいたようなので、本来は「かざま」なのかもしれません。相模国の乱破の頭目が代々「風魔小太郎」を名乗ったと言われていますが、何代目かの風魔小太郎は身長が二メートルをこえて、牙があり、鼻が高かったとか。宣教師とともに来たポルトガルかどこかの船乗りだったのかもしれませんなあ。北条氏滅亡後、盗賊になって江戸の町を荒らし回ったという話もあります。下総国の向崎という土地にいた甚内という人物が「関東の盗賊の親分はみんな風魔の残党だ」と幕府に密告して、風魔小太郎はつかまったという記録があります。

この甚内という人物もあやしげで、武田家の重臣である高坂昌信の子だったという説もあります。武田家滅亡後、宮本武蔵の弟子になって修業したのですが、自分の腕前を誇るようになって辻斬りをしたり、追い剥ぎをしたりするので破門され、落ちぶれて盗賊の頭目になったと言います。武田家に仕えた甲斐国透破の頭領という説もあり、そうなるとますます風魔小太郎はライバルになります。密告後、甚内は関東一円の盗賊をまとめあげ、治安を脅かす存在になったため、幕府は甚内を捕縛し、浅草ではりつけにしました。瘧(おこり)、いまのマラリアにかかっていたらしく、死に際に「瘧にかかっていなければ捕まらなかった。瘧で苦しむ者はおれに祈ったら治してやろう」と言い残したとかで、浅草の甚内神社は瘧にご利益のある神様になっています。ちなみに、甚内にはお菊という娘がおり、成長したのち、火付盗賊改めとして甚内を打ち首にした青山播磨守のもとに奉公することになった、という設定のお話が『番町皿屋敷』です。

大泥棒として有名な石川五右衛門は実在の人物のようです。伝説ではもと忍者ということになっていますが、本来の忍者は後世に名を残さないはずです。存在を知られることは仕事の失敗を意味しますから。ところが、柘植の四貫目という忍者は米を四貫食いだめできたとして名前が残っているそうな。

2019年4月14日 (日)

連歌師は忍者

仏教伝来は538年と552年の二つの説がありますが、公式な伝来ならそうかもしれません。しかし、それ以前に日本は朝鮮半島に攻め込んだりしていたのだから、仏教の存在は知っていたのではないでしょうか。客観的事実でさえ、いくつかの説があるわけで、定説とは真実ではなく、あくまでも「説」なんですね。歴史で学ぶことも、事実なのか解釈なのか、どっちでしょう。平安遷都の理由はいろいろ説明されますが、単に桓武天皇が弟である早良親王の怨霊を怖れただけかもしれません。

最近、応仁の乱が人気ですが、もともとはいまいち盛り上がらない、ダラダラした戦いのイメージがありました。大河ドラマの『花の乱』は、ワースト視聴率でした。実は意外におもしろかったのですが。「トゥギャザーしようぜ」で有名(?)なルー大柴が「骨皮道賢」の役で出ていました。もともと盗賊逮捕の仕事をしていたようで、そのうち都のあぶれ者をまとめる頭目のような存在になり、東軍に雇われて戦うことになりました。伏見稲荷大社をねじろとして、放火や略奪など、相当むちゃなことをやったようです。結局、西軍方に取り囲まれ、女装をして逃げようとするのですが、その女装があまりにもばればれだったらしく、すぐに取り押さえられ、打ち首になります。垣根涼介の『室町無頼』という作品には、この骨皮道賢がなかなかしぶい人物として登場します。

室町時代は後半の戦国時代ばかりが注目されますが、結構おもしろい人物もいるのですね。独特の美意識をもつ「ばさら大名」として有名な佐々木道誉など、かなり魅力的です。大河の『太平記』では陣内孝則が演じていました。あるとき、お寺の紅葉の美しさにひかれ、一本折りとったところを咎められ、怒った道誉はそのお寺を焼き払ってしまいます。その寺は延暦寺につながる由緒ある寺だったので、幕府に処罰され、島流しになるのですが、その行列はうちひしがれるどころか、陽気で盛大なもので、しかも一行は比叡山のつかいである猿の皮を腰あてにしていたとか。山門延暦寺への面当てであり、少しもへこんでいません。一年後には幕政に復帰しているので、形式的な処罰だったのでしょう。また、南朝方が都に攻め込んできて、二代将軍義詮が天皇を奉じて逃れることがありました。道誉も都を離れることになったのですが、あえて自分の屋敷を飾り立てておいたと言います。そのあと、道誉の屋敷にはいった南朝方の武将は楠木正儀、正成の三男です。道誉のスマートさに感じ入った正儀は、やがて都を去るのですが、そのとき楠木家伝来の鎧と太刀を残していったと言います。

足利義教はくじ引きで六代将軍になりました。「くじ引き」というと軽いイメージになってしまいますが、石清水八幡宮でのくじ引きなので、神意を問うものでしょう。義教は将軍の権威を取り戻そうとし、かなり強硬な政治をします。「万人恐怖」と日記に書いた者もあり、「悪御所」とも呼ばれました。この「悪」は「悪源太義平」と同じ使い方かもしれませんが、やはりマイナスの評価でしょう。癇癪持ちであったことはたしかで、ささいなことで周りの人にむごい仕打ちをしています。後小松上皇とも対立しますが、この上皇は実は足利義満の子供だという説もあり、一休さんの実父だという説もあります。ちなみに、アニメの『一休さん』に出てくる蜷川新右衛門は実在の人物で、格闘家の武蔵はその子孫らしいのですが、それは余談。義教の時代、関東の結城氏との間で起きた「結城合戦」に参加した里見義実が、戦いに敗れて安房に逃げ延びた、というところから『南総里見八犬伝』が始まりますが、これも余談。義教は比叡山とも対立しているし、「魔王」とよばれ、最後は赤松満祐に暗殺されていますから、信長と重なる部分も多く、井沢元彦は『逆説の日本史』の中で義教を高く評価しています。

細川政元なんて、今川氏真、大内義隆とともに戦国三大愚人の一人と言われます。幼名は「聡明丸」だったのに、どこでおかしくなったのでしょうか。応仁の乱の一方の旗頭細川勝元の嫡男です。管領という身分でありながら、修験道にのめりこんで、天狗になって空を飛ぶ法を身につけようとしていたというから、なかなかのものです。その関係で結婚せず、三人の養子をとったために跡継ぎのことで揉めて、この人も暗殺されます。天狗になろうとしただけでなく、なんとこの人は飯綱使いです。荼枳尼天をまつり、管狐(くだぎつね)を使って術を行うのですよ。管狐とは、その名の通り竹筒の中にはいってしまうぐらいの大きさなのですが、実際の動物というより憑き物の一種と見たほうがよいでしょうか。飯綱使いは、管狐を操って、予言や占いをしたり、依頼されると管狐を飛ばしてその人が恨んでいる人にとり憑かせて病気にしたりするのですな。

いわゆる「忍者」も、出自の一つとして飯綱使いが考えられます。忍者が妖しい術を使うイメージはこの管狐から生まれたものかもしれません。飯綱使いは、修験道が底にあります。修験道は、日本古来の山岳信仰に道教や仏教が融合した民間宗教とでも言うべきものです。修験者が山伏と呼ばれるのは、山中で修行することで呪術の力を得るとされているからで、病気の治療や、祈祷を仕事としました。修験道の開祖は有名な役小角(えんのおづぬ)です。忍者の始祖は、聖徳太子に仕えた大伴細人と言われていますが、ほんとかどうかわかりません。忍者は、修験者が用いた九字護身法を使うだけでなく、毒や薬を使ったりしますが、薬は山で修行する山伏と密接な関係がありそうです。

楠木正成は「悪党」と呼ばれました。これは「既存の支配体系に対抗する者」という意味合いで、この場合の「悪」は、強さにつながるプラスイメージもありながら、「命令や規則に従わない」という要素もあるようです。寺院や貴族の荘園に対して、もともとその土地に住み着いていた土豪のような人たちが反抗的な行動をとることもあり、「悪党」と呼ばれたのでしょう。そういう人たちは、奇襲や撹乱などの戦法を得意としたようです。楠木正成はまさにそうですね。忍者の本場、伊賀のあたりには深い山も多く、修験者が活動しやすい場所だったので、伊賀の悪党の中には、修験者の技を学び、ともに諸国をめぐって情報収集を行う者もいたようです。修験者はいわば境界を監視するような役割を持つ人であり、いろいろな階層の人たちと接触できる立場にありました。諜報活動は忍者の基本です。松尾芭蕉のように、諸国を旅する俳諧連歌の師匠も諜報活動に適していたのですね。

2019年3月27日 (水)

聖徳太子の地球儀

前回、日本語のルーツがシュメール語という「トンデモ説」を書きましたが、モンゴル語と日本語は文法が似ているので、単語さえ覚えればなんとかなると司馬遼太郎が言っていました。司馬遼太郎は今の大阪大学のモンゴル語学科で学んだので、ある程度真実でしょう。モンゴル語なら「トンデモ説」にならないかもしれません。ただ、文法や語順が似ているからと言って、ルーツと言えるかどうかは疑問です。日ユ同祖論というのもあります。「ユ」はユダヤですね。これは「トンデモ説」ですかね。

大阪城の博物館にある屏風絵に長篠合戦を描いたものがあり、信長の家来の中に六芒星の紋の入った羽織を着ているものが何人かいます。安倍晴明の家紋は五芒星で有名ですが、六芒星は晴明のライバル蘆屋道満の家紋です。晴明との術比べに敗れたあと、道満は在野の陰陽師となったらしい。その子孫として土師氏などがあり、それらが信長の家来になったと思われます。戦場に出ているのは、「気象士」としての役割だったのかもしれません。一方の信長は、源平交替思想で、清盛の平氏、頼朝の源氏、平氏である北条氏、源氏の足利のあとを継ぐために平氏を名乗ったようですが、元は越前の織田剣神社の神官の家系で、越前守護の斯波氏の守護代になりました。尾張も斯波氏が支配していた関係で織田氏も尾張に移ったのでしょう。本来は藤原氏か忌部氏だと言われています。忌部氏であるなら、朝廷の祭祀を担った一族なので、陰陽師とのつながりもありそうです。ところが、なんとこの忌部氏が実はユダヤ系だという「トンデモ説」があるのですね。で、ユダヤの王家の紋章が六芒星です。ダビデの星として今のイスラエルの国旗にも描かれています。ここで、信長の家来に六芒星軍団がいることとつながってしまうのです。

日ユ同祖論というのは、古代イスラエルの十二支族のうち、十支族が消えてしまったのですが、そのうちの一つが日本にやってきた、というやつです。秦氏の正体だという説もあります。今の京都のあたりをねじろにした一族で、その本拠地が「太秦」と書いて「うずまさ」と呼ぶところです。東映の撮影所のあったところで、今は映画村になっています。中国経由で秦の始皇帝の子孫というふれこみでやってきたらしいのですが、もっと西の方のにおいがします。秦氏の基を築いたのは「弓月臣」と言われていますが、中央アジアには「弓月国」がありました。秦氏の氏寺である広隆寺にある井戸が「いさら井」と言うのは「イスラエル」の音と似ています。八坂神社も古くは祇園社と言いましたが、ユダヤの民にとっての聖地「シオン」に「祇園精舎」の「祇園」の字をあてたのではないか、とも言われています。祇園祭が国際色豊かなのも、そのこととなんらかのかかわりがあるのかもしれません。

さらに諏訪の地にまでユダヤの民族が行き着いたということで、諏訪の祭りとユダヤ教の神事との類似点が指摘されます。ユダヤでは羊を生け贄として神にささげたのですが、日本には羊がいないためなのか、諏訪では鹿の頭をささげます。ご神体が守屋山でそれをまつっていたのが守矢氏、聖書でアブラハムが行ったのはモリヤ山。七年に一度の大祭、御柱祭りは、樹齢百年以上のモミの大木に人々がまたがって、急斜面をすべりおりてくるやつですね。けが人は言うまでもなく、死者さえ出すことがある、危険きわまりない奇祭ですが、これもソロモン王が神殿を建てたときの故事と結びつくとか。ただ、「似ている」というのは根拠としては実は弱い。英語の単語のいくつかに日本語と似ているものがあったからと言って、同じ起源をもつものとは言えません。

聖徳太子もキリスト教との類似がよく言われます。馬小屋で生まれたとされるキリストに対して、うまやどの皇子という名もあやしいといえばあやしいし、どちらも「復活」しています。太子の母は、救世観音が口から胎内にはいって、太子を身ごもったという話もありますが、これはキリスト誕生なのか、お釈迦様なのか。摩耶夫人も白い象が胎内にはいる夢を見て懐妊したとか。むかしの聖人には、そういう伝説がくっついてくるのでしょうか。そういえば、キリストも若いころの十何年間は、何をしていたかわからない空白の時期とされていますが、なんとその間、キリストは仏教の僧になって修行していたという、大胆きわまりない説もあります。キリストが誕生したときにやってきた東方の三博士も、実は仏教の僧だったとか。そこまでいかなくても、聖徳太子はむしろお釈迦様とのダブルイメージがあると言っていたのは梅原猛です。

ただ、この時代、ネストリウス派のキリスト教が中国にやってきているわけですから、小野妹子がキリスト伝説をもってきていても不思議はありません。斉明天皇となると、キリスト教どころか、ゾロアスター教の影響を受けていたのではないか…というのが松本清張説です。『火の路』という小説仕立てにしていますが、説得力がないわけでもない。飛鳥にはいくつか妙な石造遺物が残っています。酒船石とか、亀石とか猿石とか。益田磐船というのもあって、これはゾロアスター教の拝火壇なのだとか。『続日本紀』には「波斯人」が日本に来たという記述もあり、これはペルシャ人のことなので、ゾロアスター教が伝わっていてもおかしくないのだそうな。これはNHKでドラマ化されました。主役は栗原小巻で、芦田伸介も重要な役どころでした。

東大寺二月堂のお水取りもゾロアスター教とのかかわりを言う人がいます。正倉院にはペルシャ由来の文物も数多くあるのですから、これも可能性なしとは言えません。松明が燃えさかる光景がよくニュースで流れますが、東大寺修二会というのは、火と水の儀式であり、火だけでなく、水や土を大事にするゾロアスター教と結びつきそうです。伎楽だって、古くは「くれのうたまい」と言いましたが、外国の代表として「呉」と言っているだけで、むしろ「胡」でしょう。インドかペルシャあたりのものが中国経由でやってきたと考えられます。そもそも唐自体がシルクロードを通じてペルシアのあたりとつながっているのですから、影響があってあたりまえです。オーパーツより可能性が高い。これは「時代錯誤の遺物」「場違いな工芸品」と訳すのでしょうか。なぜ存在するのか、どのようにして作ったのかわからない遺物で、未知の超古代文明の証拠とかいわれます。ムー大陸が描かれている地球儀なんて、いかにもうさんくさいでしょ。

2019年3月10日 (日)

シュメールいやさか

「死神」の「さげ」の部分、やっぱり書いておきます。じつは、やる人によっていろいろなんですね。「ああ、消える」と言うか、無言のままで演者が高座で体を倒すというのが基本形のようで、「昭和元禄落語心中」の「有楽亭八雲」もこの型でやっていますが、成功させるパターンもあります。人間国宝柳家小三治は、いったん成功させておきながら、男は風邪を引いており、喜んでいるときにくしゃみが出てロウソクが消えるというやり方をしました。立川志の輔も、成功してそのロウソクの明かりで洞窟を出て行き、外に出たところで、死神に「もう明るいところに出た」と言われて自分で消してしまうという形を作りました。千原ジュニアもこの落語に挑戦しています。ジュニアは、男がロウソクを持って帰宅するのですが、妻に「昼間からロウソクつけて、もったいない」と吹き消されるという落ちにしました。いちばん好きなのは、立川志らくのさげです。成功したあと、死神に「今日がおまえの新しい誕生日だ。ハッピバースデートゥーユー」と歌われて、男が思わず火を吹き消す、というさげです。

で、呪文の話の続きです。「アジャラカモクレン、キューライソ、テケレッツのパー」同様、脱力感きわまりないことばとしては、「ラメちゃんたら、ギッチョンチョンで、パイノパイノパイ、パリコトパナナで、フライフライフライ」というのもあります。これは呪文ではなく、「東京節」という歌の文句です。明治のころの「演歌師」添田唖禅坊という人の息子が古いアメリカの曲に歌詞をつけたものです。添田唖禅坊はフォークシンガーの走りということで、高石ともやとか高田渡、加川良などがカバーしていましたし、「東京節」もなぎら健壱が歌っています。ドリフターズも歌っていたと思います。「ラメちゃんたら…」は意味がわかるようでわからないのですが、要するにスキャットみたいなものでしょう。あるいは吉本のギャグ、たとえば「インガスンガスン」のような。ただ、喜劇映画などでは呪文として使われることもあったようです。もちろん観客には有名な歌のフレーズであることはわかっているわけで、結局はギャグの扱いになるわけですが。

ディズニーの「シンデレラ」の中で、魔法使いがカボチャを馬車にかえるときに歌う「サラガドゥーラ、メチカブーラ、ビビディバビディブー」というのもありました。ルイ・アームストロングが歌ったものが何かのCMでも使われていました。これも意味不明のことばを呪文として使ってます。「ラメちゃんたら…」に比べると、「ビビテバビデブー」はまだなんとなく効き目がありそうです。「アリババと40人の盗賊」に出てくる「オープン・ザ・セサミ」は有名すぎて、すっかり陳腐化してしまいました。いまどき「開け、ごま」なんて言う人はいないでしょうが、何の番組だったか、愛川欽也がよくさけんでいました。口裂け女はポマードが大きらいで、「ポマード、ポマード、ポマード」とさけぶとひるんでしまうとか。そのすきに逃げればよいという「都市伝説」がありましたが、効き目があったのでしょうか。ポマードも最近はにおいがきらわれて整髪料としてのニーズは少なくなっているようですが、ドラキュラがにんにくをきらうように、においで悪鬼を退散させるというのは、ひいらぎにいわしの頭をさす節分の風習ともつながりそうです。洋の東西を問わず魔物は強いにおいを嫌うと考えられてきたのか、それとも一つのルーツから派生してきたのか。いずれにせよ、においをきらうのであって、ことばそのものをおそれるわけではないでしょう。ドラキュラに向かって、「にんにく、にんにく」とさけんでも意味はないはずです。ただ、日本の場合にはやはり言霊信仰があるのかもしれません。

西欧だって、ことばの力は認めています。なにしろ「はじめにことばありき」ですから。「さよなら」の「グッドバイ」も、もともとは「ゴッドバイ」で、「神が汝とともにましますように」という意味だと言われます。ちなみに「ゴッド・アンド・デス」(これはカタカナ読みではなく、英語風に発音しなければならない)は「ありがとう」の意味だと相撲取りが言っていたとかいないとか。英語のルーツはよくわからないらしいですが、ゲルマン族のうちのアングル人やサクソン人のことばが元になっているようです。「イングリッシュ」とは「アングル人のことば」という意味だそうですな。ただ、その後バイキングのことばもまじり、さらにはフランスからやってきたノルマン人に占領されます。ノルマン・コンクェストというやつです。支配階級はフランス語、一般庶民は英語を話すことになります。イギリス人が大好きなリチャード獅子心王はフランス語しか話さなかったわけですが、やはり英語全体にもフランス語の語彙がはいっていきます。牛がカウなのに、牛肉がビーフになるのは、前者が英語系、後者はフランス語系であるかららしい。ビッグとポーク、シープとマトンも同様で、要するに支配階級の食べる肉を庶民が生産していたことがわかる対応になっているわけです。さらに、大英帝国として世界中を支配していくうちに現地のことばも取り込んで、今の英語になったようです。

日本語のルーツはシュメール語だという、トンデモ説があります。まあ、これは神代文字と同じレベルのうそでしょう。ただ、おもしろいことはおもしろい。シュメール語は膠着語だったそうです。中国語は意味を持つ漢字を単純に並べて文を作る「孤立語」と呼ばれ、ヨーロッパのことばは、単語が人称や時制などに応じて複雑に変化するので「屈折語」と呼ばれます。それに対して、日本語のように、一つの意味を持つ単語を助詞や助動詞でつなぎ合わせて文を作るものを「膠着語」と言います。「膠」はニカワ、つまり接着剤ですね。この特徴が似ているのなら、二つの言語は多少の近縁関係にあるかもしれません。シュメール文明というのは、チグリス・ユーフラテス川の下流、つまりはメソポタミアですな、そこで始まった「世界最古」の文明ということになっています。シュメール人は、突然この地に姿を現し、それまで何もなかったところに最初の文明を築き、突然姿を消したらしい。その「神話」では、宇宙のある星からやってきた人々が人類をつくったとか。つまり「天孫降臨」です。シュメールの王家の紋章がなんと十六菊花紋だと言います。それが本当なら、日本の皇室と同じです。古代の天皇がスメラギとかスメラミコトとかいうときの「スメラ」は「シュメール」のなまったものだとしたら…。「スメラ」は「統べる」と関係があるという説が後付けの解釈だとするなら、天皇はシュメール人?

2019年2月26日 (火)

祝と呪は似ている

時代劇では、不動明王の前で火を焚きながら「ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダン…」とやるのもよく見ます。般若心経の「ギャーテイ・ギャーテイ・ハラギャーテイ・ハラソウギャーテイ・ボジソワカ」とか「オンアボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニハンドマ・ジンバラ…」とかいうのもよく聞きます。いずれにせよ、「真言」ですから、素人がむやみやたらに口にすべきものではないのでしょうが…。

呪文には、「急急如律令」というのもあります。これは安倍晴明が使うやつですね。意味としては「急いで法律または指示通りにやれ」から「命令に従わないと罰する」ということになって、悪霊退散の呪文になったのでしょう。だから、キョンシーの額の御札にも書かれているわけですね。歌舞伎の「勧進帳」では弁慶と富樫との問答の中で、「九字の真言」についてやりとりする中で出てきます。「九字の真言」というのも時代劇でよく出てきます。あの「臨兵闘者皆陣列在前」の九字の呪文を唱え、指で九種の印を結ぶというやつです。忍者のお約束ですな。「南無念彼観音力」というのも時代劇では、呪文のように唱えられます。「観音の力をお貸しください」の意味で使っているようですが、本来は「観音の力を心に念じることによって、観音と一体化して、あらゆる苦しみから救われる」という意味らしい。

偽書とされる「先代旧事本紀」という本があって、その中に「十種神宝」というものが登場します。「とくさのかんだから」と読み、霊力を宿した十種類の宝のことだそうな。それらを振り動かしながら、「布瑠の言」という祝詞を唱えると、死者さえ生き返らせると言います。「ひふみよいむなやここのたり、ふるべゆらゆらとふるべ」という短いものなので覚えやすい。頼光四天王筆頭の渡辺綱が橋姫と出会う舞台となった一条戻り橋という橋があります。三善清行の葬儀の列がこの橋を通ったときに、清行の子の浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに生き返った、という不思議な話があります。一条戻り橋という名はそれが由来になってます。浄蔵というのは相当の力があった僧侶で、菅原道真が怨霊となって藤原時平を祟っているというので調伏のために呼ばれます。ところが、時平の耳から青竜の姿をとって道真が現れたのを見て、調伏を辞退します。ほどなくして時平は死んでしまったそうな。

一条戻り橋には他にも不思議な話があって、安倍晴明は、この橋で殺害された父の保名を蘇生させたと言います。安倍晴明が使っていた式神は十二体あったそうです。式神とは陰陽師が使役する鬼神のことで、要するに陰陽師のパシリですな。「今昔物語」には、晴明の屋敷ではだれもいないはずなのに戸を上げたり下ろしたりすることがあったと書かれています。式神を使って、自動ドア風にしていたということですかね。「大鏡」にも、花山天皇の退位を予知した晴明が牛車の支度をさせて、式神に参内するように命じたということが書かれています。ただ、この式神があまりにも恐ろしい顔で、晴明の妻がおびえていたので、晴明はふだんは十二体の式神を一条戻橋に置いた石櫃の中に閉じこめておいたそうな。

ちなみに死者の蘇生は紀長谷雄もやっています。長谷雄という名前は、父親が長谷寺に男の子を授けてほしいと祈願して生まれたからつけられたと言います。菅原道真の弟子で、「竹取物語」の作者ではないかとも言われており、「古今和歌集」の漢字で書かれた序文を記した紀淑望の父親でもあります。双六もうまかったようです。当時の双六は、今とはちがって、バックギャモンみたいなもので、賭博性の強いゲームでした。この長谷雄が、なんと全財産を賭けて鬼と双六の勝負をしたという話があります。鬼が負けてしまったので、絶世の美女をさしあげると言うのですが、これはさまざまな死体からよいところだけを寄せ集めて鬼が造ったものでした。要するにフランケンシュタインのモンスターですね。百日待たないと完成しないのですが、結局とけて流れてしまいます。

呪文に話をもどすと、「アジャラカモクレン、キューライソ、テケレッツのパー」なんて、わけのわからないものもあります。志ん生の「黄金餅」のお経の中にも同じようなことばが出てきます。お経なのに「君と別れて松原行けば松の露やら涙やら」とかいう文句が出てきて、そのあとにこの呪文を唱えるのですが、「死神」という落語に出てくる呪文が有名です。金がなくて死んでしまおうと思っている男の前に死神が現れて、医者になれとすすめます。「死神の姿を見えるようにさせてやる。病人の枕元に死神が座っていたらだめだが、足元に座っていたら助かるので、呪文を唱えて追い払え」と言われます。「アジャラカ…」は、そのときの呪文ですが、「キューライソ」の部分は演者によっていろいろと勝手に変えてやっているようです。「キューライソ」は「らくだ」という落語の中の「かんかんのう」の文句から来ているのかもしれません。「かんかんのう」は江戸時代に流行した唄で、もとは中国語なので、歌詞が意味不明になっているというものです。「かんかんのう、きうれんす」という歌詞の「きうれんす」の部分をだれかが思いつきで適当にあてはめたのかもしれません。

「死神」の話の続きを紹介しておくと、男は売れっ子の医者となって金持ちになり、医者をやめて優雅に暮らします。ところが、やがて金が底をつき、再び医者の看板をあげますが、診察に行けばいつも死神は枕元におり、助けることができないので金は手に入りません。さる大店のご隠居を治してほしいと頼まれ、行ってみるとやっぱり死神は枕元にいます。お礼の大金をどうしても手に入れようと一計を案じた男は、死神が居眠りしているすきに布団を半回転させ、死神が足元に来るようにして呪文を唱えます。金を手に入れた男はその帰り道、死神につかまって、たくさんのロウソクがともされた洞窟に連れて行かれます。このロウソクは人間の寿命を表しており、今にも消えそうなロウソクが男の寿命だと言われます。金に目がくらんで、自分の寿命をご隠居と取り替えたということですね。ロウソクが消えれば死ぬが、その前に新しいロウソクに火を移しかえれば助かると言われ、男は必死になって火を移しかえようとしますが、手が震えて…。さあ、このあとどうなるか。続きはwebで!

2018年11月11日 (日)

歯が痛いときの呪文

モーグルの上村選手も、オリンピック直前に不利になるようなルールに変更されましたし、バサロキックの鈴木大地も背泳ぎで優勝するとすぐに潜水の距離が制限されました。古くはバレーボールでも、ブロックの時のオーバーネットを反則としないというルール変更が行われました。身長の低い日本人はオーバーネットをすることは少ないので、外国人選手がブロックしやすくなっただけです。そこで、東洋の魔女と呼ばれた日本人女子チームはツーアタックとか時間差攻撃などを工夫していくのですが、またまたパワーに勝る外国人選手が有利になるようにルール変更。フィギュアスケートなんて、しょっちゅうルール変更があるようで、浅田真央も羽生結弦も泣かされているそうな。

こういったところは欧米人の傲慢さで、いまだに、白人である自分たちが、アジア・アフリカに負けるのは我慢ならないのだ…なんて吠えると、「いやいや、特定のチームや国ばかりが勝つと、ゲームがおもしろくなくなるからルールを変えるんですよ」と言われるかもしれません。日本人が勝手に被害妄想になっているだけで、欧米人が不利になるルール改正は見過ごしていることもないとは言えません。

野球の「四球宣告制度」というのはどうなのでしょうか。時間のロスをなくすという意味ではたしかに納得できるのですが、投手が投げている間バットを逆に持って抗議する人もいましたし、わざと三振することも可能です。強引に飛びついて打つこともできなくはないので、宣告するだけの場合とは結果が変わってくることもあります。ただ、相手が敬遠しようとしているのなら、それに逆らわないというのが暗黙のルールでしょう。国語のテストでも書き取りのときは楷書で書く、という暗黙のルールがあります。続け字で書いてペケにされ、これは草書だといっても認めてもらえません。

字の形には、篆書というのもありますね。これは今でも判子で使われる格調の高い古代の書体です。当然美しいのですが、複雑で、書きにくいのが難点でした。そこで篆書を崩して書きやすくした隷書という書体が生まれます。ここからさらに草書、行書、楷書の三つの書体が生まれるわけですが、隷書はちょっと横長で、波打つような左右のはらいが特徴的です。新しいところでは、勘亭流というのもあります。江戸歌舞伎の看板などに使われる字体で、肉太で丸みがあり、隙間なく書き、ハネる時は内側に入りこむような感じです。これは客を招き入れるという意味だそうな。よく似ていますが、寄席文字というのもあります。勘亭流に対して橘流とも言われます。橘右近という噺家が始めたもので、多くの客が集まるように字を詰まり気味に並べ、空席が少なくなるように隙間をできるだけなくし、さらに右肩上がりに書くという特徴があります。

「南無妙法蓮華経」という「お題目」は「法」以外の字の端の部分を長くひげのようにのばして書かれることがあります。髭題目とか跳ね題目と言い、「法」の光に照らされてすべてが生き生きと活動することを表しているとか。ひげ文字と言う人もいますが、日本酒などのラベルなどに使われている、筆のかすれた感じと画の最後に細かいついた「ひげ」がある字体も「ひげ文字」と呼ばれます。ドイツ文字も「ひげ文字」と呼ばれることがあります。「亀甲文字」とも言い、中世ヨーロッパで使われていた字体です。他の国では使わなくなりましたが、ドイツだけが長く使っていたので「ドイツ文字」と呼ばれます。アルファベットにも装飾的な文字で書かれているのをよく見ます。

そういえば、最近の手書きでは、筆記体は使わないようです。ブロック体だけなんですね。アメリカでもそうらしいし、日本の学校でも筆記体は教えなくなっているようです。リットルの表記も小文字の筆記体から大文字の「L」に変わりました。小文字のブロック体では数字の「1」とまぎらわしい、ということもあるのかもしれませんが。長いスパンで見ると、アルファベットそのものも時代によって、いろいろ変わっていくようです。「アルファベット」という名前さえ、ギリシャ文字の最初の二文字の「アルファ」「ベータ」から来ているわけですから。「W」なんて昔はなかった字らしいですね。「ダブルユー」と言うからには「ユー」を二つ並べたものだったのです。いやいや、「U」ではなく「V」だろうと思ってしまいますが、実は「U」と「V」の区別もなかったのですね。「W」はフランス語では「二つのV」という意味の発音になるのも、そういうあたりの事情と結びつきます。「ブルガリ」というブランドが「BVLGARI」と表記しているのは、わざと昔風に書いているのかもしれません。「I」と「J」の区別もなかったようで、「J」は「長いI」と呼ばれることもあったそうです。

アルファベットのRやNがロシア文字では左右ひっくり返った鏡文字になっているのはなぜでしょうね。ロシア文字ではなく、正確にはキリル文字というようですが。一説によると、あるロシア人がヨーロッパで手に入れた文字の資料を持って帰る途中、船が難破して資料が失われてしまい、結局記憶だけを頼りに再現したのがキリル文字だとか。たしかに、形だけでなく、他の文字と入れ替わっていることもあります。ソ連をキリル文字で書いたときの省略形が「СССР」でしたが、これは「シー・シー・シー・ピー」ではなくて 「エス・エス・エス・エル」と読むことになっていました。すごく違和感がありますが…。

「梵字」というのはなかなかかっこいいですね。武将の花押みたいな字です。もともとは古代インドのサンスクリット語を表記するための文字で、「梵天」がつくった文字ということで「梵字」と言います。梵天は帝釈天とセットになる仏法の守護神で、伊達政宗の幼名が梵天丸でした。大河ドラマの「梵天丸もかくありたい」という台詞が流行語になりました。梵字は空海が日本に持ってきたようで、真言でつかわれます。真言は、サンスクリット語でマントラと言います。仏の真実のことばということでしょうか。呪文的な感じのもので、原語の音のまま使います。長いものは陀羅尼と言いますが、短いものはたまに聞くことがあります。「アビラウンケンソワカ」というのは、時代劇の修験者が怨霊退散などでやるやつで、一説によると歯痛にも効くそうな。

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