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2011年2月の5件の記事

2011年2月28日 (月)

以前以後

引っ越しの多い生涯を送ってきました。

自分には、一つところに定住する生活というものが、見当つかないのです。

……などと太宰風に書き出してみましたがこれ以上真似する文才も度胸もないので措きます。

狭いところ広いところ、新築に築古年、1Rマンションに一軒家、高級住宅街に下町まで。

思えば、いろいろなところに住んだものです。

それだけに、「住むところ」が、「生き方を変える」というのは大げさでも、「ライフスタイルに影響を与える」というのはぬぐい去れない実感です。

坂道の多い街では体力がつく前に引きこもりがちになりました。

職住接近は便利かと思いきや、生活にメリハリというか、公私の区別がなくなり、のべつまくなしに仕事をしている気分でした。

広めの部屋からは、荷物の置き場にこまらない代償として、荷物がとめどなく増えることも教わりました。

だいたい、人が家から出て帰る行為を考えますと、出がけより帰宅時の方が、荷物が増えているのが常です。引っ越したばかりのときはがらんとしてすっきりした新居も、出かけては帰るをくり返すうちに、なんだかんだと持ち帰る品物が部屋の中を占めていくものです。抜き差しならぬしがらみが増えて、いつのまにか窮屈になっているところは、人間関係も似たような感じがします。巣にもどる鳥が必ず何かをくわえているように、家族で出かけた帰りには車の中の荷物が行きよりも増えていることに気づいて辟易します。

いっそのこと、玄関に重量計でもつけておいて、出ていくときより重量が増えて帰ってきたらアラームが鳴る! というようなシステムが発明されないかしらん。

そうそう、実は去年からよく録画しては見ている番組があります。住宅のリフォームをする、「劇的!◎フォー◎フター」という、ご存じの方も多い番組です。今頃か!というツッコミの声には耳を貸さずに続けます。

他人の家に上がり込むというのは、小学生以来あまりないことなので、テレビで赤の他人の住まいの中身まで見る機会というのが面白いというのもハマッている理由かもしれません。

出てくる家がとにかくひどい環境というか、「ていうか、引っ越せよ!」といつも言いたくなるほどのツワモノぞろい。それが、一時間後には楽しそうな家に変わるのですから、「モヤモヤ→スッキリ」という快感発生の基本に沿っていて、実にうまい番組を考えたもんだなあといつも感心します。

あのおなじみになった音楽や、「なんということでしょう!」「人は彼を、……の匠と呼びます」「一軒の問題を抱えた家が……」などの決まり文句をサザエさんの声優が言うところがかなりキています。

「またこのパターンか」とわかっているのに、一番スッキリさせられるのは、

古い壁を壊し、腐った土台を新しい木に替え、コンクリートのベタ基礎を敷いて……

というシーンです。なんだかわくわく、ぞくぞくすらします。新しい木の色って、何ともいえないいい色ですよね!

我々、塾の講師も、勉強に行き詰まる生徒のやる気を引き出し、生活リズムや勉強方法を一新させ、みちがえるように成績を向上……ということができるように日々精進しています。

無理矢理な終わり方ですが、ハッピーエンドが好きなんです。

2011年2月20日 (日)

バイトの日々①

前回、うどん屋で出前持ちをしていたという話を書きましたが、大学時代およびその後、二十種類におよぶアルバイトを体験しました。

二十種類というのは結構多いんじゃないかと思うんですが、これはひとえに僕がバイタリティーに満ちあふれた働き者だからではなく、やる気がなくてすぐにバイトをやめてしまうからですね。

だいたい働くのが大嫌いで、ほんとうに困り果てるまで働かないという方針を貫いていたので、選ぶバイトもその場しのぎの単発バイトがほとんどでした。

困り果てるまで働かない、というのは、文字通り困り果てるまでであって、困り果てるというのはどのくらい困り果てているのかというと、低血糖で動けなくなるレベルです。

低血糖で動けないなんてこの飽食の時代に・・・・・・と思われるかもしれませんが、たびたび経験しました。

いや~、ほんとうに動けないんです。朝、目が覚めたら体にまったく力が入らない。トイレに行くのに数分かかります。這って行きますからね。

だいたい前の日にほとんど何も食べていないんですね。前々日もろくすっぽ食べていなかったりします。

これは食べるまで復活しないので、近くの定食屋まで這うようにして行き、なけなしの金で定食を食べます。あれはなぜですかね? 空腹のはずなのに、全部は食べきれないんですよね。でも食べてしばらくしたら元気になります。

生き物は食べものがないとだめなんだなあということが身にしみてわかる日々でした。それなのに、しばらくするとまたぞろ食費をけちって別のものを買ってしまうんですよね。本とかマンガとか蒸留酒とか。で、やはり低血糖でふらふらになっていました。愚かな日々でした。

貧乏ネタは結構あります。

電話はたいていの場合通じませんでした。使用料を払わないでいるとまっさきに止められるのは電話です。次がガス。その次が電気です。さすがに水道は止められたことがありません。水道止めると命にかかわるからですかね?

でも、電気が止まったときは参りました。僕はバカだから、電気がとまったら縁側で月を眺めながら音楽でも聴くさ、と思っていたんですが、電気がとまってるからステレオも当然動かないんですよね。

ガスが止まったときは夏だったので、水風呂を浴びてしのぎました。ガスコンロは使えませんでしたが電気がまだ通っていたので、炊飯器で炊いた熱々のご飯にみそをのせて水で溶いて食べました。

しかしねえ、電気が止まるとキツイですわ。真っ暗ですから何もできません。本も読めませんし、音楽も聴けませんから、やむなく友人宅へ避難しました。

さて、そういった悲惨な事態に至るとこれはもうやむなくバイトをしないといけないわけですが、なんせできるだけ働きたくない人間ですから、必要最低限だけ働こうと考えます。とりあえず一万円分だけ、とか。

そうするとやはり単発のバイトになります。

単発バイトにはいろいろなものがあります。定番は道路交通量調査ですね。何回かやりましたが、僕は眠気に弱く、バイクに2人乗りしているときでさえタンデムシートで眠ってしまうという冒険野郎ですから、交通量調査なんて眠らないはずがない。

はっと気づくとあきらかに何台も車が通りすぎたあと、ということがたびたびあり、しかたなく適当にカチカチカチとカウントしたりしていました。すみません。

眠ってしまうといえば、理容師のためのアイロンパーマ講習でモデルになるというバイトもありました。アイパーというやつですね。もちろん、仕上がりはパンチパーマです。これが眠い。頭があつくなるのでものすごく眠たくなるのです。つい我慢できずに、数十人の理容師に囲まれてよだれを垂れて眠ってしまうのでありました。せっかくパンチパーマ姿になったのに写真をとっておかなかったのが残念。ま、上記のような貧乏生活ですから、写真なんて。

それからだいぶ前に書いたことがありますが、日舞の発表会で照明のバイトをしました。演劇関係のつながりで人手が足りないとか何とかで呼ばれてホイホイ行ったんですね。しかし、ろくすっぽ指導もなく、「上手から出てくるやつに、このスポットを当てろ」とか云われても困るんですよ。とんでもないところを照らし出して、いったい何の演出だ?って感じでした。

いちばん楽だったのは人体実験。というと聞こえが悪いのですが、某製薬会社が開発した新薬のデータをとるというものでした。糖尿病の薬だったかな、とにかくその薬をのんで、15分おきに採血されるというバイトです。6時間ずっと針を刺しっぱなしでしたが、ずっと本読んでいられますから、楽ちんでした。今は注射が苦手ですが、その頃は注射なんかからだじゅうに打たれても平気でした。いやもちろんそんな経験はありませんが。微妙に気持ちがすさんでいたのかもしれません。おなかがすいたら献血に行って、チョコ食べさせてもらってました。

あの苦しい時代に戻りたいとはまったく思いませんが、それでもやはり黄金時代であったという気がします。こんなにだらしない自分はいつか路上生活者になってしまうかもしれないという不安を抱えつつ生きていましたし、将来の展望もまったくありませんでしたが、なんというか、思い返せば貴重な日々です。

                                        「バイトの日々②」へ続く。

2011年2月15日 (火)

納豆がとまらない

最近、納豆ばかり食べています。

なんだか妙に美味しく感じるようになったんですよね。それも、ある日突然。もともとパラノイアックな食欲傾向があり、何かがおいしいとそればかり食べてしまうんですが、それがついに納豆に及んだわけです。去年は、ひたすらチーズばかり食べていました。

チーズもそうですが、納豆はなおのこと栄養価の高さが魅力的です。

納豆の栄養価を説明した文章を読んでから納豆を食べると2割増しで美味しく感じられます。

『ああ、俺はいま良質なタンパク質を摂取しているのだ』

『おお、どんどん血がさらさらになっていく・・・・・・』

『それなのにカロリーが低いなんて~』

『・・・・・・もう1パック食べちゃおう』

『納豆だけに後を引くぜ』

と、うっとり。

先日、どこのクラスだったか忘れましたが、子どもたちに

「納豆が食べられない人」

と訊いたら、なんと手をあげる子どもが0!

時代は変わりましたね。僕が小学生のころは、おそらくクラスの大半は納豆嫌いだったと思うんだけど。

かく言う僕も「納豆なんて」と思ってました。食べられませんでしたね。

食べられるようになったのは、大学生のときです。

うどん屋の出前持ちをやっていたとき、賄いで「納豆うどん」が出てきたんですね。で、食べられないなんて言うのも申し訳ないし、だいたい腹はへってるしで、思いきって食べたらまあ食べられたんで、それから少しずつ食べるようになって、近ごろでは上記のような状態にまで立ち至ったわけです。

当時僕は仙台に住んでいたんですが、仙台で「うどん屋」というのは結構めずらしいです。やはり東日本はそばの方がメインになります。駅の立ち食いでも、関西は「うどん・そば」と書いてあるのが一般的ですが、あちらは「そば・うどん」です。

僕が出前持ちをした「恭菜」といううどん屋は、ちゃんと修業を積んだ主人が手打ちしたうどんを出すんです。こしがあって美味しかったんですが、奥さんが云うには、

「残念だけど、うどんはこっちじゃあんまり人気がないんだよね・・・・・・」

ということでした。すごく美味しいうどんだったんですが、なかなかわかってもらえなかったようです。

2年ほど前に恩師の古稀を祝う会があって、不良学生だった僕も、仙台に行きたいのが半分で顔を出しました。恩師が覚えていてくれたのでとても感激。ああ、もう少しまじめに卒論書いておけばよかったと後悔しました。それはともかく。

昼間少し時間があったので、ふと思い立って「恭菜」を訪ねてみました。移転したという噂を聞いていたので、電話帳でさがして行ってみたら、ちょうどお昼の時間が終わったところで客はだれもおらず、僕がふらりと入っていくと、懐かしい顔のご夫婦が「だれやこいつ」みたいな胡乱な表情で出迎えてくださいました。

でも、残念ながら、うどんは手打ちじゃなくなっていました。場所がせまくて、手打ちの台を置けないとのこと。

場所柄、客は安定して来るみたいで商売的にはまずまずのようでしたが、ちょっとさびしそうでした。僕が出前持ちしていたころすでに子どもさんが3人いましたが、その後また2、3人生まれたということなので、大変だったにちがいありません。

この世の中、食っていくのは厳しいぜとしみじみしながら、うどんをつるっと呑みこむ僕でした。

おお、納豆の話がいつのまにかうどんの話に!

では、脱線ついでに。

何年かに一度、といった割合で仙台に行きますが、駅を出てペデストリアンデッキの上から町を見わたした瞬間に、いつも頭がくらっときます。

懐かしい風景が、懐かしい風景なのに記憶と少しずれているというのが、眩暈感の原因みたいです。

青春時代の7年半を過ごした街なので、いつまでも僕にとって特別です。

・・・・・・しかしそれにしてもなぜ7年半もいたのか?

四年制大学なのになぜ?

その謎はまたいずれ。

2011年2月 8日 (火)

ポイントは三つある

かなりのブランクがありますが、何事もなかったかのように、前回のつづきです。プロの話でした。

話術のプロといえば、芸人ばかりではなく、塾の講師もそうです。というより、芸人みたいな講師も多い。中にはM-1グランプリに出てる講師もいるそうです、よく知りませんが。M-1が終わって、どうするんでしょうね。心なしか、頭のかがやきも寂しげです。頭のつながりで思い出しました。坊さんにも上手な人が多いようですね。一般庶民に仏の道を説くためにおもしろおかしく話をする必要があったのでしょう。「説経」が落語などの話芸のルーツだそうです。でも、落語家といっても上手下手があります。はっきり言って、下手なやつは下手。ネタは同じなのになぜあんなにちがってくるのでしょう。師匠の話すことばを完全にコピーしても、何かがちがうのですね。月亭八光が言っていました。笑福亭仁鶴のテープで話をおぼえたものの、テープの中で笑いがドッカンドッカン出ているのに、八光が同じところをやっても、客席はクスリともしないとか。

アナウンサーは原稿を読むことについては最高のプロです。だからといって文学作品を朗読しても魅力的とはかぎらない。俳優の朗読のほうがむしろ魅力的なことがあります。何がちがうのでしょうか。たとえば、稲川淳二というタレントがいます。夏になるとよく出てきて怪談を聞かせてくれる人です。あの人、はっきり言って滑舌はかなり悪い。それなのに「聞かせる」のですね。内容・間・リズムなど、独特の魅力があります。「やだな、やだな」なんて、物真似されています。笑福亭鶴瓶も声は悪いのですが、「聞かせ」ます。内容に意外な展開が多いのですが、じつは話の組み立て方がうまいのですね。武田鉄矢も上手です。この人の場合は声の質が心地よいのですが、若い頃はやや甲高い早口のトークでした。ところが、映画で共演した高倉健の影響を強く受けたらしく、意識して、ゆっくりめの低い声で話すようになってきました。聞いていて、安心感を与えるような話し方というのも魅力的なようです。でも、それはなかなか模倣できない。

「魅力」というのは「花」のことでしょうか。もって生まれた「花」もありますし、ふとしたきっかけで開花するものもあります。訓練したからといって、すぐに魅力的になるとはかぎらないのがつらいところです。テクニック的なものは訓練できるでしょう。「弁論術」みたいなものはとくに西欧では訓練するみたいです。彼らは相手を説得するということに大きな価値を見いだしてきました。場合によっては「詭弁」であっても、相手が反論できなければ評価されるのですね。「自分がされていやなことは、ひとにもするな」「ほなら自分がされていやでなければ、ひとにしてもええんやね」……、「××くんの秘密を知っているか」「秘密なら知ってるわけないやないか」……、「お金こそ最も価値あるものだ」「そしたら、なんでお金を物にかえてしまうねん」……、「チョコレートを毎回半分食べてれば一生なくならへん」……、アホです。

こんな話もあります。弁論術がうまくなったら礼金を払うという約束で弟子入りした男が、習い終わったあとも礼金を払わなかったので裁判になった。師匠が「おまえがこの裁判に負けたなら、判決どおり礼金を払え。裁判に勝ったなら、弁論術がうまくなった証拠だから、約束どおり礼金を払え」、そうすると男は、「おれが裁判に負けたなら、弁論術がうまくならなかったのだから、礼金を払う必要はない。裁判に勝ったなら、判決どおり礼金を払う必要はない」……、西洋の人はこんなのが好きなんですね。

ディベートというのも変なものです。「カレーとラーメンとどちらがおいしいか」というテーマで、自分はカレーだと思っていても、ラーメン派に入れられたら、無理矢理でも理屈をつけていくわけですね。こういうものが成立するということは、「どんな意見でも反論される。世の中に唯一絶対の理屈や意見はない」という前提に立っているということですよね。要するに「自分の意見は必ずしも正しくない」ということになります。なんだか論争すること自体、無意味になってしまいそうです。「理屈と膏薬はどこへでもつく」というすばらしいことわざを西洋の人におくってやりたいなあ。

詭弁ではないのですが、すごくいやみに感じるのが「ポイントは三つある」とか言って、「一つは……」とやり出す話し方です。アメリカの映画などで主人公がよくやります。自分はすでにそれだけの分析ができていると言わんばかりなのが、鼻につきますね、いかにも自信満々で、しかも説得力がありそうなのがむかつきます。ところが、「三つあるのだ」と言って、相手をびびらしておきながら、実は二つしか思いついていないらしい。そうやって、相手を恐れ入らせるのが目的なので、言いながら三つ目を考えていることが多いそうです。日本人には思いつかない発想ですね。

西洋の人がよくやる(本当にやるかどうかわからない、映画や小説でよく見るだけです。単なるアメリカンジョーク?)「グッドニュース、バッドニュース」というのもあざとくて、いやみです。医者と患者の会話。「いい知らせと悪い知らせがあります。悪い知らせですが、あなたの心臓とまちがえて、肺のほうを手術してしまいました」「なんですって。じゃあ、いい知らせというのは?」「あなたの心臓は正常で、手術の必要はありませんでした」みたいなやつです。これなんかも、日本的ではなさそうです。一つの物事には両面があるとか、見方によって真実はかわるなんて、むしろ、日本では当然すぎて「笑い」にならなかったのかもしれません。

では、なぜアメリカ人の「二分法」が日本で生まれなかったのでしょうか。私が思うに、そのポイントは三つあるのです。一つは……。

2011年2月 2日 (水)

首都圏の思い出

関西の入試は一段落しましたが、首都圏は今がたけなわです。

実はわたくし、かつて首都圏で授業をしていたことがあります(最近は行ってません)。

関西人が首都圏で授業をする場合、最大の障壁は「言葉」です。

吉本芸人のおかげで関西弁は全国区になっているというものの、やはり関西弁は嫌いという人も多いのです。べつに嫌わなくてもいいじゃん、と思いますが、まあ、標準語なんて気持ち悪いという関西人も結構いますから、どっちもどっちですね。

大学時代、関西を離れていたころは、僕も関西弁があまり好きではありませんでした。べつに標準語がかっこいいとは思いませんでしたが、関西人はどこに行っても声が大きいような気がして、なんとなく気がひけてしまうんですね。

で、首都圏に週1回出向いていたころは、極力標準語で授業するよう心がけていました。関西弁でしゃべったら生徒も怖がるんじゃないかなと慮ったわけですが、これが思っていたより難しい。

かつては「西川ほど大阪弁の痕跡を消せる人間は見たことがない」と言われるほど標準語になじんでいたのですが、こちらに戻って十数年たつと、もうだめですねぇ。

特に勢いよく叱るときなどは、つい関西弁が出てしまいます。

高野長英は、たしか「日本語でしゃべったら罰金」というゲームをしていた酒の席で階段から突き落とされたとき、オランダ語で「危ない!」と叫んだそうですが、とても真似できません。

さて。

首都圏の塾生で、何を話しかけてもとりあえず「ニャー」と返事する6年生の男の子がいました。

ぼく「では、◎◎くん」

◎◎「にゃー」

ぼく「きみは『ハイ』と言えないのかい?」

◎◎「にゃー」

ぼく(ちょっとムッとする)「ほんとに?」

◎◎「にゃー」

ぼく(あきらめる)「で、問3の答えは?」

◎◎「ウ」

ぼく「『にゃー』以外のことも言えるじゃないか」

◎◎(うなずいて)「にゃー」

といった調子です。

ある日のこと。授業中板書していると、落ち着きのない◎◎くんが背後で何か意味不明のことをつぶやいている。意味不明というのは文字通り意味不明なのであって、とりあえず日本語ではない。大声ではないけれど、とにかくずっとひとりごとのようにごにょごにょつぶやいている。

『うるせえなこのやろう泣かしてやる』と思って、振り向きざまガツンと叱りつけようとしたのですが、その瞬間『いや待てよ、このまま大阪弁で「おんどれ、ええかげんにせんかい!」などと叫んだらもしかして大変なことになるのでは・・・・・・』と考えてしまったわけです。

しかし、光速で振り返ったその勢いは止められないわけです。どうしたらいいんだ!

で、どういうわけか、思わず、つい、うっかり、

「ニャー!」

と怒鳴りつけてしまう僕なのであった。

『しまった』と思ったときにはもう遅く、すっかり興奮した◎◎くん、『ここにもネコ語を解する人間がいた!』とばかりに、

「にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃにゃー!」

とすごい勢いで叫びはじめ、収拾のつかない事態に。

『やってしもうた~』と頭をかかえる僕なのであった。

なつかしい思い出です。

首都圏の塾生諸君、がんばれ~!

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