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2013年10月の2件の記事

2013年10月22日 (火)

脱・雨男

うけけけけ。

え、笑い声が下品? 

そっすね。

先日、またしても山登りに行ってしまいました! 今シーズン最後の山登りです。

例によって例のごとく、と言いますか、出発日が近づくとなぜか南の海上で台風が湧くんですよね。そして、でもまあこっちには来ないだろうと思ってると、なぜか狙いすましたようににじり寄ってくるんです。

9月に、北アルプス(飛騨山脈のことですぞ、4科受験の諸君)の、赤牛岳~水晶岳~黒部五郎岳を縦走したときも台風が来ました。

初日、黒部ダムから湖沿いにずっと歩き、渡し船で対岸にわたって(みなさんご存じですか、黒四ダムの最奥部には山小屋があり、「平の渡し」という渡し船があるのです)、黒四ヒュッテでテントを張るところまでは何とかもっていましたが、テント設営後、すぐさま雨が降り出しました。

翌朝にはやんでいて、読売新道を登っているあいだも何とかもっていたんですが、赤牛山頂から水晶山頂へ向かうあたりで降られ、そのときは雷まで鳴り出してもう半泣きでした。(山の稜線で雷に遭遇するというのは、ほんとに怖ろしいです。)

さらに翌日、黒部五郎小屋でテントを設営後、即大雨になり、このときも雷鳴バンバン稲妻ピカピカで、僕はテントの中でおそれおののきながら缶ビールにしがみついていました。

しかしながら、今回、なんと、少なくとも行動中は一度も雨に降られないという強運にめぐまれてしまったのです! 台風24号がきていたのに!

今回の目玉は、剱岳北方稜線でした。

剱岳山頂まではふつうの登山道を上りますが、山頂から「北方稜線:ここより先キケン 一般登山者は入らないでください」とかなんとか書かれたプレートを過ぎて下っていきます。

ミーハーと呼ばれてもいい! はっきり言ってしまおう!! 気持ちいいのだよ! 背中に「一般登山者」たちの「おお・・・・・・北方稜線へと向かう勇者がここに・・・・・・!」的な視線を浴びながら、プレートの向こうへと下りていくのが! お、お、おれの勇姿を見てくれ、団塊の人たちよ!

ウン、ま、実際はそれほどたいしたことでもないんですけど。

でも、テント装備だったので、重くて重くてほんとにしんどかったです。

特に、ここを下るのがうんざり。ガラケーで撮った写真なのでわかりにくいですが、池ノ谷ガリーと呼ばれている、四〇〇メートルほどの下りです。どう歩いてもがらがら石が崩れてしまいます。

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 これで雨に降られていたら悲しくて切なくて泣きだしたかったにちがいないです。

このあと、小窓雪渓という、つい先年、氷河に認定された雪渓を歩き、池ノ平小屋という山小屋に着きました。テントを張ってしばらくしてから台風のせいでびゅうびゅう風が吹きはじめ、雨も降りましたが、ビールもコーラも買ったし、トイレにも行ったしで、無問題。ちなみに、この日、剱沢という、前日に僕がテントを設営した場所にテントを張った人は、強風のためテントのポールが折れたとか。祖母谷温泉というところで会った人がそう言ってました。

それにしてもこの池ノ平小屋、不思議だったのは、コーラを買ったら、0キロカロリーコーラだったことですね。山小屋でダイエットコーラ? カロリー必要でしょ? と思いつつ、ビールをコーラで割って飲む私でした。

翌日は少し風がありましたが、雨はやんでいました。で、快適な山歩き。この日は阿曽原温泉小屋まで。温泉があるんです! もちろん露天! この日も、雨が降り出したのは、テントを張ってから。それと、温泉につかっているときのみ。で、やはり翌日はやんでました。ブラボー!

その翌日は、水平歩道を歩いて欅平まで。黒部峡谷のトロッコ電車といえばご存じの方も多いのではないでしょうか。その終点が欅平です。水平歩道というのは、こんな道です。

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よくわかんないですよね。水平に走っている溝のようなものが登山道です。これを近くで見ると、次のようになっています。

20131010101530 
僕はもともと高所恐怖症で、高校生のときは歩道橋も渡れなかったんですが、人間、かわればかわるもんですね。いまでも怖くないわけじゃないですけど。

この日は欅平からさらに少し歩いた祖母谷温泉にテントを張りました。やはりやはり、テントを張ったあとで雨が降り出し、翌朝にはやんでいるという僥倖ぶり。テントの下に大きなカエルがはいりこんで、ポッポッとかわいい声で鳴いていました。もう少しでつぶしてしまうところだったぜ。

この祖母谷温泉で会った人が、件の、剱沢でテントのポールを折られた人で、かなり設営に手間取っていました。

「もう帰ろうかと思ったんだけど、せっかく休みとったのに!と思って・・・・・・」

わかるな、その気持ち!

というようなわけで、今回、カッパは全然使用せず! 

もはや雨男ではない! 曇り男だ! 晴れ男とまではよう言わんが!

さあ、あとは入試本番まで、全力疾走あるのみです。

がんばります。

入試が終わったら、雪山が待ってるし。

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年10月 6日 (日)

どうも雨男くさい

どうも雨男くさいんですよね。

山に行くたびに雨が降ります。確かに山は雨が降りやすいんですけど、ひたすら降られ続けてます。何年前かには、絶対それると思われた台風が沖縄あたりで行きつ戻りつして何だかひどく強引に、無理矢理な感じで長野に襲来したことがありました。もう、狙っているとしか思えませんでしたね。そのとき、私は上高地から前穂高・奥穂高を経由して、穂高岳山荘のテント場で一泊し、翌日西穂高まで縦走しようとしていました。ところが穂高岳山荘に着いたところで情報を収集すると、どうも台風が来るらしいってことで、大慌てで涸沢まで下りました。いったんテントを張ったものの、どうも台風が気になって仕方ないので、撤収してさらに横尾という上高地と同じくらいの標高のところまで下りたんですけど、もう少しでテントを張り終えるというところで雨がじゃーじゃー降り出して、しみじみがっかりしました。

去年、北アルプスの五色ヶ原でテントを張ろうとしたときも、山小屋に着いて申し込みをしようとしたとたんにすごい雨が降り出し、雷もバリバリ鳴って、すっかりやる気を失ってしまいました。その直前にはツキノワグマにばったり遭遇していたこともあり、テントを張るのはやめました。

テント好きです。小学生の頃から憧れていました。いつか僕もテントを背負っていろいろなところに出かけたいと思ってました。で、高校生のときにかなり年上の従兄に古いテントを譲ってもらい、友だちと三人で対馬まで行きました。

この対馬行きは、友だちのお父さんの強硬な反対を乗りこえて実現したものです。「あかんわ、父ちゃんが絶対あかん言うとる」「なんでそんなに反対しとるんや」「わからん」

よくよく聞いてみると、友だちのお父さんは対馬がソ連領だと思ってたんです。要するに、「ちしま」と「つしま」を混同してたんです。誤解がとけるとわりとあっさり許可してくれましたが、僕の母の友人も対馬は沖縄だと思っていたらしいし、とにかく対馬について知らない人が多すぎるのにびっくりしました。対馬にはツシマヤマネコがいるので、イリオモテヤマネコがいる西表島とかんちがいしたのかもしれません。対馬は九州と朝鮮半島のあいだにある島です。釜山が見えます。

そもそも何で対馬に行ったかというと、日本史の先生が対馬のことを激賞したからですね。おもしろい、とか、美人が多い、とか。行ってみたら、たしかにおもしろかったけど、美人よりヤンキー(っぽい人たち)が多かったです。村人の勧めでグランドにテント張ってたら、近くで集会していたヤンキー(っぽい人たち)がわらわらと寄ってきて生きた心地もしませんでした。みんな体もごついし。でも、テントの設営を手伝ってくれました。「俺は大工だ、任せとけ」「俺は鉄工所勤務だ、任せとけ」とか言いながらすごい勢いでペグを地面に打ち込んでくれ、次の日抜くのに苦労しました。おっかなかったけれど、聞いてみたら、中卒の社会人1年目だったりして、実は僕たちの1年下でした。でも明らかにお酒飲んでましたけどね。

ちなみにそこはほんとに村人たちのグランドなので、次の朝、目が覚めたら、テントをぐるりと取り囲んで村人たちがラジオ体操をしており、我々としてはテントから出るに出られず、いたたまれないというかはずかしかったのが良い思い出です。

古い記憶なのでさだかではありませんが、対馬では一滴も雨に降られなかったような気がします。あの頃は雨男じゃなかったんですね。何でこうなってしまったのか。

その後私はかなり無気力な大学生へと変貌し、長いあいだアウトドアから遠ざかることになります(1回だけ丹後半島に行った)。それどころか、山登りしたりキャンプしたりする人のことを「アウトドア小僧」なんて呼んでバカにしていました。すみません。まさかこの歳になってアウトドアおやじになるなんて思ってもみませんでした。雨男になっちゃったのは、アウトドア小僧の人たちをバカにしてきた罰があたったのかもしれません。

 

 

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