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2015年3月 5日 (木)

弾厚作は加山雄三

合格祝賀会の講師劇は毎年ネタを考えるのに苦労します。その年のはやりものなどを持ってくることが多いのですが、ジャンルとしてもできるだけ今までとはちがうものにしたいのですね。学園物、推理物、SF物、ミュージカルからアニメから…。ただ、歴史物・時代物はやりにくい。とりあえず、カツラも全員分用意しなければなりません。特にO村先生の分は不可欠です。もちろん、「おちゃらけ」ですから、別にその時代に忠実でなくてもよいのですがね。

そういえば「江戸しぐさ」を批判する本が出ていましたね。実はこの「江戸しぐさ」、灘中の入試に出ています。有名な「傘かしげ」なら、なんとなくあってもよさそうですが、それでもなんかわざとらしくて、かすかな違和感がありました。灘中で出た文章では「うかつしぐさ」というのがとりあげられていました。筆者の師匠とかいう人が、見世物小屋の口上「六尺の大イタチ」につられてはいってみたら、六尺の長さの大きな板に血がついていた。「六尺の大板血」というオチですね。でも、だまされた自分が「うかつ」だったのだから、うらみごとは言わない、これが「うかつしぐさ」だ、という文章でした。

ただ、どうみても、これは「しぐさ」ではありません。しかも「うかつしぐさ」と名付けてしまったら、その「しぐさ」自体が「うかつ」だということになりますから、ネーミングとしても明らかにまちがっています。灘でも「どのような態度か」という問題を当然出さざるを得ませんが、じつに答えにくい問題でした。「しぐさ」なのだから、動作らしく答えたいのに、動作ではなく「態度」になってしまうのです。そんな妙な日本語を江戸っ子は使っていたのでしょうかね。「江戸しぐさ」という言い方自体、なにか胡散臭い。江戸っ子が自分たちのふるまいをわさわざ「江戸しぐさ」と呼ぶとは考えにくい。よその土地の人が、江戸っ子はちがうなあということで呼ぶのならわかりますが。

そもそも、この「大いたち」の話は、たしかに昔からあるばかばかしい見世物らしいのですが、この筆者が、知らない人に紹介する口調で書いているのが不思議です。この人は落語を聞いたことがないのでしょうか? 落語のネタとして有名すぎて、師匠が自分の体験談として話すのも照れくさいというレベルです。「山から取れたて、近づくと危ない」なんてフレーズさえ落語にはあります。たしかに、板は山から取れたてでしょうし、立てかけた板は倒れたら危険です。大いたち以外にも「ベナー」なんてのを志ん生がやってました。なべを逆さにしているだけです。「源頼朝公のしゃれこうべ」というのもやってましたな。「かの源頼朝公のしゃれこうべでございます」「ちょいと小さいよ」「頼朝公ご幼少のみぎりのしゃれこうべでございます」というやつ。ほんとうに江戸しぐさが江戸にあったのなら、古典落語に出て来ないはずがないのに、まったく聞いたことがありません。おそらく、ことばとしても「しぐさ」としても存在しなかったのでしょうね。第一、この私が知らないことばです。そんなものは存在しない、と神は言った。

灘中もこんな文章を出してしまって、今頃後悔しているかもしれません。まあ、灘はわりと「はやりもの」を出してくるのでやむをえないでしょう。その年のベストセラーを意外によく出してきますし、「その年死んだ人」というのも狙い目です。今年は、まど・みちおや吉野弘が出てもおかしくなかったのですが、灘では出ず、吉野弘が神戸女学院で出てしまいました。希学園では対策をしていたので、予想的中ということになりましたが。ほかに宮尾登美子とか渡辺淳一もなくなったのですが、『鬼龍院花子の生涯』や『失楽園』『愛の流刑地』は出せんやろなあ。坂東眞砂子の『死国』はすごくおもしろかったのですが、これも出しにくい。森本哲郎や深田祐介は出ても不思議はなかったのですがね。深田祐介といえば、『スチュワーデス物語』の原作者ですが、最近はあまり名前を聞かなかったような。ほかに、やしきたかじんとか高倉健とか、これはさすがに出ません。高倉健のエッセイはむかし模試で使ったことはありますが。

赤瀬川原平なんて人もいました。「超芸術トマソン」で有名な人ですね。建築物にくっついている無用の長物というか、意味不明のものを「トマソン」と呼んでおもしろがっていました。電信柱にくっついている意味不明の階段とか。灘にも二階の壁に意味不明のドアがありましたが、あれはどうなっているのかなあ。「超芸術」というのは、その無意味さ、役に立たなさのせいで、芸術よりももっと芸術らしいという意味だそうです。トマソンの語源は、ジャイアンツのトマソン選手ですね。四番でありながら、三振ばっかりの元大リーガーの「無用の長物」ぶりが、もはや一種の芸術だったのです。赤瀬川原平の兄は直木賞作家の赤瀬川隼で、この人も最近なくなりました。隼の長女は『人麻呂の暗号』の著者「藤村由加」の一人です。四人の女性の名前から一文字ずつもってきて組み合わせたものをペンネームにしています。赤瀬川原平も「尾辻克彦」という別の名前を持っており、二つのペンネームを使い分けていました。

ペンネームの使い分けといえば、長谷川海太郎が有名です。この「かいたろう」さん、林不忘、牧逸馬、谷譲次の三つのペンネームを使い分けていました。「丹下左膳」を書くときは林不忘、犯罪小説では牧逸馬、谷譲次は「めりけんじゃっぷ」のシリーズで使っていました。昔、すべてのペンネームの本を持っていましたが、どこかに行ってしまったのが残念。エラリー・クイーンはバーナビー・ロス、コーネル・ウールリッチはウィリアム・アイリッシュ、E・S・ガードナーはA・A・フェアという別名を持っています。

クイーンは藤子不二雄と同じように、二人の人間が合作するときのペンネームで、しかも、クイーンは作中に出てくる探偵の名前でもあります。『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』はクイーンではなく、バーナビー・ロスの名で出しており、探偵もドルリー・レーンということになります。『レーン最後の事件』のあるトリックを効果的にするために、前の三部作が用意されており、そのために新しいペンネームと新しい探偵を作り出すという、凝ったことをやっとるわけです。クイーンとロスが覆面をかぶって公開討論したことがあるそうです。両者が「同一人物」であり、しかも二人合同のペンネームであることを秘密にしていたから成り立つ「二人二役」のトリックですね。わけがわかりません。

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