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2019年3月10日 (日)

シュメールいやさか

「死神」の「さげ」の部分、やっぱり書いておきます。じつは、やる人によっていろいろなんですね。「ああ、消える」と言うか、無言のままで演者が高座で体を倒すというのが基本形のようで、「昭和元禄落語心中」の「有楽亭八雲」もこの型でやっていますが、成功させるパターンもあります。人間国宝柳家小三治は、いったん成功させておきながら、男は風邪を引いており、喜んでいるときにくしゃみが出てロウソクが消えるというやり方をしました。立川志の輔も、成功してそのロウソクの明かりで洞窟を出て行き、外に出たところで、死神に「もう明るいところに出た」と言われて自分で消してしまうという形を作りました。千原ジュニアもこの落語に挑戦しています。ジュニアは、男がロウソクを持って帰宅するのですが、妻に「昼間からロウソクつけて、もったいない」と吹き消されるという落ちにしました。いちばん好きなのは、立川志らくのさげです。成功したあと、死神に「今日がおまえの新しい誕生日だ。ハッピバースデートゥーユー」と歌われて、男が思わず火を吹き消す、というさげです。

で、呪文の話の続きです。「アジャラカモクレン、キューライソ、テケレッツのパー」同様、脱力感きわまりないことばとしては、「ラメちゃんたら、ギッチョンチョンで、パイノパイノパイ、パリコトパナナで、フライフライフライ」というのもあります。これは呪文ではなく、「東京節」という歌の文句です。明治のころの「演歌師」添田唖禅坊という人の息子が古いアメリカの曲に歌詞をつけたものです。添田唖禅坊はフォークシンガーの走りということで、高石ともやとか高田渡、加川良などがカバーしていましたし、「東京節」もなぎら健壱が歌っています。ドリフターズも歌っていたと思います。「ラメちゃんたら…」は意味がわかるようでわからないのですが、要するにスキャットみたいなものでしょう。あるいは吉本のギャグ、たとえば「インガスンガスン」のような。ただ、喜劇映画などでは呪文として使われることもあったようです。もちろん観客には有名な歌のフレーズであることはわかっているわけで、結局はギャグの扱いになるわけですが。

ディズニーの「シンデレラ」の中で、魔法使いがカボチャを馬車にかえるときに歌う「サラガドゥーラ、メチカブーラ、ビビディバビディブー」というのもありました。ルイ・アームストロングが歌ったものが何かのCMでも使われていました。これも意味不明のことばを呪文として使ってます。「ラメちゃんたら…」に比べると、「ビビテバビデブー」はまだなんとなく効き目がありそうです。「アリババと40人の盗賊」に出てくる「オープン・ザ・セサミ」は有名すぎて、すっかり陳腐化してしまいました。いまどき「開け、ごま」なんて言う人はいないでしょうが、何の番組だったか、愛川欽也がよくさけんでいました。口裂け女はポマードが大きらいで、「ポマード、ポマード、ポマード」とさけぶとひるんでしまうとか。そのすきに逃げればよいという「都市伝説」がありましたが、効き目があったのでしょうか。ポマードも最近はにおいがきらわれて整髪料としてのニーズは少なくなっているようですが、ドラキュラがにんにくをきらうように、においで悪鬼を退散させるというのは、ひいらぎにいわしの頭をさす節分の風習ともつながりそうです。洋の東西を問わず魔物は強いにおいを嫌うと考えられてきたのか、それとも一つのルーツから派生してきたのか。いずれにせよ、においをきらうのであって、ことばそのものをおそれるわけではないでしょう。ドラキュラに向かって、「にんにく、にんにく」とさけんでも意味はないはずです。ただ、日本の場合にはやはり言霊信仰があるのかもしれません。

西欧だって、ことばの力は認めています。なにしろ「はじめにことばありき」ですから。「さよなら」の「グッドバイ」も、もともとは「ゴッドバイ」で、「神が汝とともにましますように」という意味だと言われます。ちなみに「ゴッド・アンド・デス」(これはカタカナ読みではなく、英語風に発音しなければならない)は「ありがとう」の意味だと相撲取りが言っていたとかいないとか。英語のルーツはよくわからないらしいですが、ゲルマン族のうちのアングル人やサクソン人のことばが元になっているようです。「イングリッシュ」とは「アングル人のことば」という意味だそうですな。ただ、その後バイキングのことばもまじり、さらにはフランスからやってきたノルマン人に占領されます。ノルマン・コンクェストというやつです。支配階級はフランス語、一般庶民は英語を話すことになります。イギリス人が大好きなリチャード獅子心王はフランス語しか話さなかったわけですが、やはり英語全体にもフランス語の語彙がはいっていきます。牛がカウなのに、牛肉がビーフになるのは、前者が英語系、後者はフランス語系であるかららしい。ビッグとポーク、シープとマトンも同様で、要するに支配階級の食べる肉を庶民が生産していたことがわかる対応になっているわけです。さらに、大英帝国として世界中を支配していくうちに現地のことばも取り込んで、今の英語になったようです。

日本語のルーツはシュメール語だという、トンデモ説があります。まあ、これは神代文字と同じレベルのうそでしょう。ただ、おもしろいことはおもしろい。シュメール語は膠着語だったそうです。中国語は意味を持つ漢字を単純に並べて文を作る「孤立語」と呼ばれ、ヨーロッパのことばは、単語が人称や時制などに応じて複雑に変化するので「屈折語」と呼ばれます。それに対して、日本語のように、一つの意味を持つ単語を助詞や助動詞でつなぎ合わせて文を作るものを「膠着語」と言います。「膠」はニカワ、つまり接着剤ですね。この特徴が似ているのなら、二つの言語は多少の近縁関係にあるかもしれません。シュメール文明というのは、チグリス・ユーフラテス川の下流、つまりはメソポタミアですな、そこで始まった「世界最古」の文明ということになっています。シュメール人は、突然この地に姿を現し、それまで何もなかったところに最初の文明を築き、突然姿を消したらしい。その「神話」では、宇宙のある星からやってきた人々が人類をつくったとか。つまり「天孫降臨」です。シュメールの王家の紋章がなんと十六菊花紋だと言います。それが本当なら、日本の皇室と同じです。古代の天皇がスメラギとかスメラミコトとかいうときの「スメラ」は「シュメール」のなまったものだとしたら…。「スメラ」は「統べる」と関係があるという説が後付けの解釈だとするなら、天皇はシュメール人?

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