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2020年5月 5日 (火)

国語科講師からのリレーメッセージ⑪「朝が来るまで」

リレーメッセージ第11弾は、前回乱入してきた大ベテランの矢原trとは対照的な、とっても若々しい(でも私より少しだけ年上の)髙宮trです。題も詩的でいいですね。魂の詩人である私の胸を打つタイトルです。では、どうぞ。

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みなさん、こんにちは。
国語科の髙宮です。
政府から緊急事態宣言が出されて約一ヶ月が経ちました。社会全体で不要不急の外出をひかえるということが言われ、このゴールデンウィークも皆さん家で過ごしていることかと思います。二、三日くらいであれば家でずっと過ごすのも悪くないと思えるかもしれません。しかし、こんなにも長い間外出をひかえなければいけないことになると、外で遊べなかったり、友達に会えなかったりと不満や退屈だという気持ちがたまっているのではないでしょうか。ただでさえ、不安な情勢である上に、思うように自分のやりたいことができないという今の状況は皆さんにとってはもちろんつらいと感じるでしょうし、大人でもそうです。
突然ですが、今のみなさんの心は自由ですか?それとも不自由ですか?
「そりゃ、身体がロクに外出できないんだから心も不自由だろう!」と思うかもしれませんね。
ここでフランクルというお医者さんが書いた『夜と霧』という本のお話をしましょう。
第二次世界大戦のときのドイツでは、当時の政府がある民族を差別し、強制収容所というところに閉じ込める、ということが起こりました。そこではまともな生活の空間どころか、食料や衣服も満足に与えられないというかこくな状況があったようです。そんな環境で命を落とす人が出てくる中で、収容所に閉じ込められた人たちはこの先どうなるのだろうかという不安に心まで支配されてしまいそうになります。
そんな状況の中で同じく収容所に閉じ込められたフランクルはどう行動したと思いますか?
彼は仲間とともにはげまし合い、はなればなれになってしまった妻と心の中で対話し、医者として患者をささえながら、何とかこの状況を生きのびたそうです。
かこくな状況に命を落とす人もいた中で、フランクルをふくむ一部の人々はいきのびることができた。これは何を意味するのでしょうか。
もちろん運が良かったということもできますが、フランクル自身は「未来の目的に目を向ける」ことが大切だったとふり返っています。彼は「生きていることにもうなんにも期待がもてない」という男たちに、子どもや家族、仕事といった一人ひとりにとってかけがえのないものの存在を思い出させ、彼らに生きる意味を自覚させたのでした。
彼が引用した哲学者ニーチェの言葉も紹介しておきましょう。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」
まさに、自分を待っているものの存在に対する責任を自覚した人々は、生きることをあきらめるわけにはいかなかったのです。
強制収容所のかこくな環境は彼らをせまい場所に閉じ込め、ときに命をうばいましたが、自分を待っているものの存在を想い、未来の目的を自覚して、つらい日々をなんとか仲間と支え合って乗りこえようとする、そんな心の自由まではうばえなかったのですね。
私たちの置かれている現状は、強制収容所のような状況とはまた少しちがいますが、フランクルの話は現状を乗りこえるためのヒントをくれるのではないでしょうか。
外出する自由が制限され、不安がつづく日々でも、楽しいことを思いうかべたり、ささやかな幸せを見いだしたりする、という心の自由はうばわれません。先生にとっては「友達と美味しいご飯を食べたいなぁ」「旅行にも行きたいなぁ」「大好きなカラオケにも・・・」と思いうかべ、友達と連絡を取り合ったり、好きな音楽を聴いたり(少しだけお風呂場で歌ったり)することです。
つらい環境でもどのようにふるまうかはまさに自分次第なのです。未来の目的をそれぞれが自覚して、毎日を有意義に過ごし、みんなではげまし合って、この危機をなんとか乗りこえたいものですね。
 

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