« おどろおどろしい話の続き | メイン | 堀口大学という学校はない »

2020年7月 3日 (金)

ありの実と歯痛

伝説の世界の小栗判官となると、いったんあの世にまで行ってしまいます。「流離」にも、ほどがあります。梅原猛が猿之助劇団のために書いたスーパー歌舞伎『オグリ』はなかなかおもしろかった。歌舞伎は「古くさい」と敬遠されがちですが、『ワンピース』まで取り上げています。奇をてらいすぎ、という観もありますが、もともと「傾き」ですから、何でもあり、だったのでしょう。その意味では原点にもどったとも言えます。わが希劇団も数年前の祝賀会で「サンピース」という劇を上演しました。「海賊王」ではなく「山賊王」になる、という設定なので「サンピース」としたのですが、「サン」が「スリー」であるなら「スリーピーシーズ」なのかなあ。「ワンピース」に対して「ツーピース」と言いますが、「ピース」は複数形なのでしょうか。二人で教える個別、「マントウマン」ではなく「トゥーマン」というのを祝賀会の劇でやったのですが、文法的に言うと「トゥーメン」が正しい。

単数・複数の区別がないので楽かと思いきや、日本語には助数詞というものがあって、これがまた厄介でした。どっちがいいというものではないようです。英語では左から右に書くのに、昔の日本語の横書きは右から左で逆でした。これは横書きではないという人がいます。つまりあれは一字だけの行を縦書きしているのだ、だから右から左なのだ、という考え方で、たしかにそうですね。もちろん、西洋と東洋で逆になるものはほかにもたくさんあります。マッチを擦るとき、日本人は下へ向かって擦るのに対して西洋では手前にひくとか、人を呼ぶとき、日本人はてのひらを下に向けて動かすが、西洋ではてのひらを上に向けて動かすとか。日本人はこういう対比が好きで、西洋人はそうではない、としたらこれまた対比です。

東京VS大阪というバトルも盛り上がります。ただ東京人はこれを話題にすることもそれほど多くないようで、むしろ大阪人のコンプレックスの表れだ、と言う人もいます。ものを買った値段の自慢も、東京が高いもの自慢であるのに対して、大阪人は安く勝ったことを自慢する、というようなのは、もはや「自虐ネタ」に近いかもしれません。大阪は京都VS大阪のバトルでも負けることがよくあります。最近では神戸VS大阪が取り上げられることもあり、やはり大阪はよく負けています。大東京にに対して「大大阪」と言っていた時代もあったのですが。なにしろ東京よりも人口が多かったのですから、東洋一どころか世界一だったのかもしれません。ただ、これも人口の多さが自慢になるか、という意見もありそうです。

ケンミンショーでもやっているように、どこがすぐれているというのではなく、多様性が大事なのでしょうね。あの番組でおもしろいのは、自分たちの文化が全国的だと思っている人が意外に多いということです。下世話なものほど、比較することが少ないので、そう思ってしまうのもやむをえないでしょう。子供の遊びなど、土地ごとに細かいルールがちがいますし、名称も変わります。「ケイドロ」と言う地方もあれば、「ドロケー」と呼ぶところもあり、私のところでは「探偵ごっこ」と呼んでいました。「探偵」と言っても私立探偵ではなく、警察の業務はまさに「探偵」なので、この場合は警察を意味しています。その探偵を決めるのに「イロハ」を使うのですね。「イロハニホヘトチリヌ」と順に指していって、「ヌ」に当たった者が「ぬすっと」、「ルヲワカヨタ」で「タ」に当たった者が「探偵」なので、「探偵ごっこ」という呼び名は妥当です。

昔の子供の遊びって「かごめ」や「通りゃんせ」「花いちもんめ」など、童謡を歌うような、のどかなものがよくありました。ただ、歌詞をよく見ると「のどか」というより「無気味」なものが結構多いようです。「花いちもんめ」など「子とり」です。マザーグースも同様で、洋の東西を問わず、子供は無気味なもの、残酷なものが好きなのでしょう。グリム童話などにも残酷なものが多いようです。「ロンドン橋落ちた」という歌も、橋が落ちたことを歌にしなくてもよいでしょうに。日本でも永代橋が落ちましたが、これは歌にはなっていないようです。落語にはなっていますが、ストーリーは「粗忽長屋」のバリエーションです。船がひっくり返った事件も「佃祭り」という噺に出てきます。志ん生や前の三遊亭金馬もやっていましたが、私は春風亭柳朝の淡々とした語りが好きです。

小間物問屋の次郎兵衛という人が「暮六つの最終の渡し船に乗って帰る」と言って、佃島で開かれる祭りに出かけます。祭りもすんで船に乗ろうとすると、見知らぬ女に袖を引かれ、揉めているうちに船は出発してしまいます。女が言うには、「三年前、奉公先の金をなくして橋から身を投げようとしていたところ、見知らぬ旦那から五両のお金を恵まれて命が助かった。」それが次郎兵衛さんだったのですね。お礼をしたいと家に招かれます。料理をご馳走になっていると、急に外が騒がしくなります。聞けば、先ほどの船が客の乗せすぎで沈んでしまい、全員溺れ死んだとのこと。三年前に女を助けていなければ、そのまま船に乗って死んでいたわけです。無事に帰宅した次郎兵衛さん、みんなが喜んでいる中、与太郎は「身投げをしようとしている女にお金をあげればよいことが起こる」と思って、家財道具を売り払って工面したお金をもって、毎日橋のあたりをうろうろしています。とうとう、袂に重そうなものをつめた女が川に向かって手を合わせているのに出くわします。与太郎は大喜びで女をつかまえ、「お金をやるから身投げはよしなさい」と言うと、女は、身投げではなく、歯が痛いので神様にお願いしていたと言います。「袂に石がはいっているじゃないか」「これは、お供え物の梨だよ」

この落ちがわかりにくい。江戸時代、歯医者さんらしき人はいたようですが、治療費が高くて、なかなか通うことができなかったようです。そこで、やはり神様だのみになります。九頭龍大神をまつっている戸隠神社で、歯を患った者が三年間、梨を絶って参拝したら治った、という言い伝えがありました。江戸の人々は信州の戸隠神社に行くことができないので、梨の実に自分の名前を書いて、神社のある戸隠山の方を向いて祈り、梨の実を川へ流したのだそうな。ふつうはこういう説明を話のまくらとしてしゃべってくれるので、落ちもなるほど、と思えるのですね。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク