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2021年2月の2件の記事

2021年2月23日 (火)

田吾作おじさん

時代劇で刀をぬく仕草も、さまにならないことがよくありますが、繁昌亭で見た桂吉坊の仕草がオッと思わせるものでした。もちろん落語の中なので座ったままですが、武士の威厳を感じさせる仕草で、こういうのはやはり代々伝わっていくのでしょうか。歌舞伎の世界ではさすがと思わせるものがあります。なにかの番組で改名する前の市川春猿がおやまの肩をすぼめる仕草をして見せていましたが、一瞬で女性の雰囲気が出て、なるほどという感じでした。時代物はそれらしくないと、やはり違和感がありますが、見ているほうも知識がないので、本当は正しいかどうかわかりません。実際はナンバ歩きをしていたからといって、芝居やテレビでそこまでやる必要もないでしょう。

いまや昭和の風俗さえわからなくなりつつあるようで、「しもしもー」なんて、ほんとにやってたのかなーと思います。平野のらは結構忠実にネタを発掘しているらしいのですが。「平野のら」という名前はときどきでくわすパターンですね。サンケイ新聞に「阿比留瑠比」という人がいますが、これは本名かなあ。「三又又三」というのは、…ちょっとちがいますね。昔「木の葉のこ」という人もいました。上から読んでも下から読んでも、というやつですね。回文としては「宇津井健氏の神経痛」とか「お菓子が好き好きスガシカオ」とかいうのもありますな。「スガシカオ」というのもカタカナで書いているだけに、どこで切るのやら。五字で一つの名前なのか。「スガ」が名字で「シカオ」が名前なのか。読むときのアクセントの置き方にも困ります。「米津玄師」もどう読むのか、わかりませんでした。「コメツ」か「ヨネツ」か、「ツ」は濁るのか、「ゲンシ」でよいのか、まさか「ゲンスイ」? それなら「帥」で、字がちがうし…。「one OK rock」も「卑怯」な読み方です。

ちょっと話題になった「AAA」なんて、卑怯です。「トリプル・エー」とは思いませんでした。昔ならこれはタバコの名前で「スリー・エー」と読みました。昔のタバコは「キャメル」とか「ゴールデン・バット」とか、食指をそそらない名前のものがありました。「金鵄」は「ゴールデン・バット」という外国語が使えなくなったために変えられたものだとか。神武天皇が長髄彦との戦いで持っていた弓に止まったと言われる金色のトビですね。どちらの名前にしても「今どき」ではないようですが、場合によっては古くさいものがおしゃれになることもあります。

江戸川乱歩は古くさいのに古びないのが不思議です。永遠の乱歩です。「D坂」なんて、タイトルからしておしゃれです。実名の「団子坂」ではだめだったかもしれません。乱歩のシリーズは春陽堂のリニューアルする前の春陽文庫で読むのがおしゃれです。春陽文庫では山手樹一郎や江崎俊平などの時代小説だけでなく、源氏鶏太や獅子文六のサラリーマン小説も出ていましたが、この手のものは時代がたつと中途半端に古くさくて、違和感ありまくりでした。そしてさらに時がたつと資料的価値さえ生まれて面白く感じます。映画でも「社長漫遊記」とか植木等演じる「平均(たいらひとし)」と名乗るサラリーマンが出るようなものは「レトロ」そのものです。「オールウェイズ」と言うより「古くさいから面白い」のですね。著名人の葬式でいつも泣きながらコメントをする側だった森繁久弥も死んで久しくなりましたが、この人が社長で、三木のり平が専務とか、よくあるパターンでした。森繁はNHKのアナウンサーから満映のスターになったのですね。満映は満州映画の略で、理事長はなんと甘粕正彦です。川中島の合戦で活躍した甘粕景持の子孫で、憲兵時代にいわゆる「甘粕事件」を起こしたあと、満州で甘粕機関を設立して、なぜか満映の理事長になるのですね。口添えをしたのが岸信介だったと言われています。

五味川純平がみずからの満州時代の体験をもとにした『人間の条件』が書かれたころには、それほど古い時代のことを扱っている感じはしなかったでしょうし、仲代達矢主演で映画化されたころでも、そんなに昔という意識はなかったはずです。最近では柳広司がこの時代を扱っていますが、戦後70年以上たてばもはや歴史ものです。『永遠のゼロ』や『メトロに乗って』も広い意味で歴史ものと言ってよいでしょう。友人が帝銀事件を扱った芝居を書きましたが、下山事件とか帝銀事件とか、もはや遠い時代の彼方です。松本清張が「日本の黒い霧」を書いたころなら、まだ関係者が生きていたでしょうが。なにしろ東京オリンピックが大河ドラマの素材になったのですからね。大河の主人公としては知名度が低かったこともあって失敗作になってしまいました。やはり有名人でないとだめなんですね。日本人が歴史上最も好きな人物を問われれば、どうしても信長・秀吉・龍馬あたりになります。

「小説家では」と問われると現役の作家なら答えが分かれますが、明治~昭和と限定すると、やはり一位は漱石でしょうか。では、その次は? このあたりはアンケートの取り方で変わりそうです。一名のみ答える形式なのか、十名連記なのか。鴎外は漱石と並び称せられるのですが、一名のみのアンケートでは弱そうです。紅露時代と呼ばれたころもあったのですが、いまや尾崎紅葉・幸田露伴ともに忘れられています。金色夜叉なんて橋本治の現代バージョンもあったのですがね。川端康成と横光利一も新感覚派の双璧だったのに、横光はもはやだれも知らない? 昭和は遠くなりにけり、です。

このことばのもとになった「降る雪や明治は遠くなりにけり」は中村草田男の句ですが、「や」「けり」の二つの切れ字が使われています。切れ字のところが感動の中心になるので二つの切れ字を使うと焦点がぼやけて、よくないとされています。ただ、俳句って、一見かかわりのなさそうな二つの題材を結びつけることがよくあるので、二つの切れ字があっても不思議ではありません。俳句のあとにくっつけると、どんな俳句もたちまち短歌に早変わりという七七の有名なことばもあります。「それにつけても金のほしさよ」ですな。「古池やかわず飛び込む水の音それにつけても金のほしさよ」「しずかさや岩にしみいる蝉の声それにつけても金のほしさよ」…オールマイティです。かなり以前、「それにつけてもおやつはカール」というCMがありましたが、これでもよさそうです。CMに出てくるカールおじさんがどう見てもそんなおしゃれな名前ではなく「田吾作おじさん」にしか見えないのが残念でした。

2021年2月 9日 (火)

時代劇のなんだかなあ

「天神山」という話は前半と後半で主人公が変わるという妙な話で、下げ(オチ)なしで終わることがよくあります。ヘンチキの源助という変人の男が、オマル弁当にしびん酒で花見に出かけようとして、「花見に行くのか」と言われます。変人ですから、そう言われると花見には行きたくない、「墓見」に行こうと一心寺に向かいます。「小糸」と書かれた石塔の前で、一人で酒盛りをした帰り際、土の中からしゃれこうべが出ているのを見つけ、根付けか置物にしようと持って帰ります。その夜、しゃれこうべの主である小糸の幽霊が現れ、昼間の手向けの酒が有難かった、ついては押しかけ女房に、と言われます。隣に住んでいるのが、どうらんの安兵衛。源助から幽霊の女房は金かからんぞと言われ、一心寺に出かけますが、そうそうしゃれこうべがあるわけもなく、向かいの天神山にある安居の天神さんへ行って、女房が来ますようにとお願いして帰ろうとします。たまたま狐を捕まえている男に出くわし、捕まった狐を買い取って逃がしてやります。その後、狐は若い女の姿になって、これも押しかけ女房になります。男の子が生まれ、三年たったころ、正体がばれてしまい、狐の女房は「恋しくばたずね来てみよ南なる天神山の森の奥まで」という歌を障子に書き残して去って行くという話です。

下げの部分は、狐の女房が「もうコンコン」と言って姿を消すパターンもありますが、書き残された歌を見て、狂乱して後を追うパターンもあります。これは、浄瑠璃や歌舞伎の「蘆屋道満大内鑑」のパロディ仕立てになります。歌を「曲書き」して障子抜けをして狐が去って行くという形をとることもあります。「曲書き」というのは、左右の手を使ったり、下から上へ逆書きしたり、裏文字にしたりして、最後は口にくわえた筆で文字を書くのですね。人間ではないということを強調しているのでしょう。「下げ」をつける場合は、「芦屋道満」「葛の葉」をもじって、「貸家道楽大裏長屋、ぐずの嬶(かか)の子ほったらかし」としたり、安兵衛の叔父さんが「安兵衛はここには来ん来ん」と言って「あ、おっさんも狐や」としたり、というパターンもあったようです。枝雀は前者の型でやったこともありますが、「お芝居にあります『芦屋道満大内鑑、葛の葉の子別れ』、ある春の日のお話です」と言って終わることが多かったようです。

安居の天神さんは、菅原道真が筑紫に左遷される道中、この神社の境内でしばし安居したところから名付けられたと言います。場所は天王寺で、大阪のど真ん中という感じがしますが、きつねがいたのですね。星光学院のちょっと南、谷九教室からも歩いて行ける距離なのに。たしかに今でも木が鬱蒼としています。ここは真田幸村が死んだところで、骨仏で有名な一心寺の向かいです。ここのシアターで友人が演出した芝居を見に行きましたが、アットホームでなかなかいい劇場です。島之内寄席というのがありますが、はじめは心斎橋の島之内教会の礼拝堂を借りたものでした。畳敷きで、好きなところに座れるようになっていました。交通事故で亡くなった林家小染がトリだったのでしょうか、演じているときに、一升瓶をかかえたおっさんがすぐ前で寝っ転がりながら、「小染ー、一人でしゃべってて、おもろいかー」と茶々を入れてたことを覚えています。やりにくかったやろなー。

尼崎市総合文化センターで米朝一門の勉強会をやっているのを見に行ったことがあります。といっても、アルカイックホールではなく、会議室で机を積んで高座にしていました。今考えるとなかなかのものです。昔、朝日放送のABCホールで公開録画があって、よく見に行きました。実際に放送するのは漫才二組ぐらいで、それだけではお客が来てくれないので、落語やら奇術やら、いろいろな芸人が演じていました。しかも無料。ゼンジー北京とかフラワーショー、横山ホットブラザースをただで見ていたわけですね。その前座みたいな感じで、やすしきよしという新人が一生懸命やっていて、こいつらちょっとオモロイなと小学生だった私は思いましたが、桂米朝というおっさんが一人でしゃべりはじめると「オモンナイ」ということで客席の間を友達と走り回って遊んでいましたなあ。のちに人間国宝になるなんて思いもしません。単なる地味な芸人さんと思っていました。

株主優待券というものをもらって(株主というわけではなく、父親の友人が株主だったのです)なんばの大劇名画座とかアシベ劇場という映画館によく行っていました。大劇はOSKの本拠地だったところです。千日デパートも同じ系列で、ちょうど私がよく行っていたころに例の大火災がありました。名画座は古い映画をやっていて、マカロニウェスタンはここでかなり見ました。クリント・イーストウッド、ジュリアーノ・ジェンマ、フランコ・ネロたちが主演の、全体に茶色っぽい色調の映画でした。映画だけでなく、なぜか実演もあって歌手がステージに立って歌うこともありました。無名の歌手でしたがね。

合格祝賀会は、アルカイックホールでやったこともありますが、新大阪のメルパルクホールがほとんどです。30本近くの台本を書いてきました。その年のはやりものをテーマにすることが多いので古い台本は時代を感じさせます。ナレーションでも、初めのころは題名を言わないことが多かったのですが、『ファイナル・クエストⅦ』というタイトルは口にした記憶があります。これなんか、まさにそのときでないとだめなタイトルです。なかには『原田のおじさん』という、わけのわからないものもあるのですが、これは中島らものパクリでした。時代ものも何回かやっています。でも、衣装やカツラに困ることもあり、最近はやっていません。時代劇はお金がかかる。

それでも最近テレビでは少しずつ時代劇が復活しています。NHKが土曜の6時半ぐらいにやっていたり、民放でも定番の山本周五郎の小説のドラマ化をやったり、水戸黄門が武田鉄矢で復活したのは笑いました。助さん格さんを「このバカチンがー」と叱ったのでしょうか。時代劇では、若い役者の演技、たたずまいで不自然に感じることがありますね。所作や歩き方が時代劇らしくない。若い女性が外股で歩いたりすると、なんだかなあと思います。もちろん実際の江戸時代の人々の様子などわかるはずもないので、あくまでも時代劇という「ワク」の中の話ですが…。

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