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2021年9月20日 (月)

満月マーチでござる

住吉はもともと「すみのえ」または「すみえ」と言っていたようで、「住吉」という字をあてたために「すみよし」と読まれるようになったのでしょう。「吉」が「え」であるのは「ひえ」の山の神をまつる神社が「日吉大社」であることからもわかります。「比叡」はなんとなく格好の良い字をあてただけで「日枝」でも「日吉」でも、なんでもよいのですね。ちなみに日枝大明神のお使いがサルなので、まともな幼名などなかったであろう秀吉が「日吉丸」と名乗っていたことになっているのだそうな。

結婚式の披露宴で謡曲の「高砂」をうたう場面がドラマなどでよく出てきます。高砂の相生の松にことよせて、長寿や夫婦愛をテーマにしたものですが、「船に乗って住吉に着く」という内容になっています。住吉神社は明石にもあるので、距離的に見て、大阪ではなくそちらかもしれません。いずれにせよ、住吉の神は海辺に住むことを好んだようで、海人系の神のようです。

一寸法師もじつは住吉の神と関係があります。室町時代の御伽草子に描かれた一寸法師は絵本に出てくるのとはまた違ったイメージです。結構悪がしこいのですね。寝ているお姫さまの口のまわりに米粒をつけて、米を盗まれたと大さわぎします。姫の父親である宰相殿はけしからん娘だと言って、一寸法師に姫を殺すよう命じてしまいます。姫を連れて都から難波に下る途中、風に流され、鬼ヶ島に着くのですね。つまり、この鬼ヶ島は淀川にあったことになります。この一寸法師、四十をすぎても子ができないことを悲しんだ爺さん婆さんが住吉の神に祈って授かったことになっています。四十一で初産という高齢出産だったわけですが、このころは四十過ぎれば年寄りの扱いです。

海人系の神であるらしい住吉大明神は子授けのパワーも持っているわけですが、神様によってどんな御利益を授けてくれるか、得手不得手というか専門性があるようです。柿本人麻呂も神様になっており、神社はいくつかありますが、明石にある柿本神社が有名です。昔は人丸神社とも言いました。「麻呂」「麿」は「丸」と同じものなのですね。人麻呂は歌聖と仰がれているので、歌道の神であることは言うまでもありません。ところが、「ひとまる」を「人生まる」と無理矢理解釈して安産の神としたり、「火止まる」と解して火事を防ぐ神にもなったりしています。

火事を防ぐ、つまり火伏の神としては愛宕信仰が全国的です。京都の愛宕神社が発祥でしょうが、全国区になっていたのは、直江兼続の兜の前立にある「愛」の字でもわかります。上杉謙信が毘沙門天を信仰していたので「毘」の一字を染め抜いた旗印を採用していたことにならったのでしょう。愛染明王も軍神なのでこちらの可能性もありますが、伊達政宗の家臣の片倉重長は、「愛宕大権現」と明記した前立をしています。ちなみに片倉重長の後妻は、じつは真田幸村の娘だったとか。

秋葉大権現も火伏の神として有名です。明治の初め、東京で大火があり、延焼防止のために火除地をつくったのが「秋葉原」と呼ばれるようになったわけです。だから、正しくは「あきばはら」ですが、いつか訛って「あきはばら」になったんだ、と言う人もおり、「もともと『あきは』と読むのが正しいので、『はら』と結び付いたときに『ばら』になったんだ、と言う人もいます。どっちにしても、結局はオタクの聖地として有名になってしまっています。

秋葉神社は全国にありますが、遠江国にもあるのが本店で、あとは支店だそうな。その神社へ通じる秋葉街道の宿場町として賑わったのが遠州森町、秋葉神社の境内で産声をあげたと言われているのが森の石松ですが、いまどきは「それ、だれ?」かもしれません。広沢虎造の浪曲で、「清水港は鬼より怖い、大政小政の声がする」と歌われたように、清水の次郎長の子分には強い人が多かったが、別格に強かった、とされているのが森の石松です。ただ、実在したのかどうか疑わしいらしい。一説によると「豚松」という人がいて、これと混同されているのではないかとも言われています。ただ、映画やドラマでは圧倒的な人気があり、この人の名前をもらったのがガッツ石松ですね。

浪曲のフレーズで「バカは死ななきゃなおらない」と言われたのが森の石松で、それを借りて「ボクシングばか」のつもりで付けたリングネームだったのでしょうか。入場するときも三度笠と合羽姿で、はじめはイロモノ扱いだったのが、なんと世界王者にまで登り詰めました。両手を上げて喜ぶポーズを「ガッツポーズ」と言うのも、この人が元になったという話もありますが、デマかもしれません。『チコちゃんに叱られる!』で「ガッツポーズってなに?」と質問されたときに答えられず、「ボーっとしてんじゃねえ」と叱られていました。

ガッツ石松と言えば「名言」でも有名です。「ボクシングに出会ってから人生観が360度変わりました」とか、北斗七星の位置を聞かれて「この辺の者じゃないから」と答えたとかいうのは、だれかの作ったギャグで、言ったことにされているだけかもしれません。よく似たパターンのものでは、日本語吹き替えの洋画を見ていて、「最近の外人さんは、みんな日本語上手だねえ」と言った、というのと、時代劇に出演したときの楽屋インタビューで、カツラをかぶりながら、「昔の人はたいへんだったねえ、毎日こんなことやって…」と言った、というのがありますが、これは本当かもしれません。

江戸時代の人の髪型をよく「ちょんまげ」と言いますが、これは正しいのでしょうか。ことばどおりの意味だと、少なくなった頭髪で結った老人の「小さなまげ」のことをさしていますが、大きさにかかわらず「ちょんまげ」と言うようになったようです。つまりは、後頭部の髪をまとめて、前方にまげるのが「まげ」で、頭頂部を越えるかどうかは不問にする、ということでしょうな。厳密に言うと髪の部分が「まげ」であり、頭頂部から前頭部の剃りあげている部分はまた別のものになります。これは「さかやき」と呼んで、「月代」と書きます。半月状に剃り上げているということでしょう。まあ、まげと月代があることが「ちょんまげ」の基本条件ということですね。頭髪が完全になくなったら…満月状ということで、「ちょんまげ」ではなくなります。

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