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2022年12月の2件の記事

2022年12月18日 (日)

明日のこころパート2

前回のタイトル「明日のこころ」というのは、昔聞いていた『小沢昭一の小沢昭一的こころ』というラジオ番組の最後のフレーズが「この続きはまた明日のこころだぁ!!」をふと思いだしたのでつけてみました。そんな古いの、だれが知ってるねん!

で、「新本格」についてです。推理小説の原型と言われるのが、エドガー・アラン・ポオの『モルグ街の殺人』で、そのあと、コナン・ドイルやチェスタートンを経て、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーン、ディクスン・カーなどの長編本格ミステリが生み出されます。日本の推理小説では、なんといっても江戸川乱歩の名前が大きいのですが、「本格」と呼ばれるものは戦後の横溝正史が中心になるでしょう。豪邸の密室や孤島で起きる不可能犯罪に名探偵が挑む、というタイプが「本格」と呼ばれるものです。いわゆる「探偵小説」ですね。ところが時代とともに陳腐化し、リアリティのなさからも衰退していきます。そして登場したのが松本清張でした。社会派推理小説の誕生です。これは確かにリアリティがありました。しかし、当然のごとく「ワクワク感」がありません。みんなが社会派に飽きたころに起こったのが横溝正史ブームでした。『八つ墓村』はそれ以前に「少年マガジン」に載った影丸譲也による漫画で知っていたので、その二、三年後に角川文庫で出たときに、「ああ、あれか」と思い、すぐに読んだのですが、世の中ではあっという間にブームになりました。

もちろん、本格ミステリが完全になくなっていたわけではなく、都筑道夫や土屋隆夫などは、魅力的な作品を書き続けていました。で、横溝ブームをきっかけとして、「幻影城」という雑誌が創刊されました。四、五年で廃刊になってしまいましたが、探偵小説専門という、なかなかのすぐれものでした。泡坂妻夫や連城三紀彦がデビューしたのは、この雑誌からだったと思います。その後、綾辻行人のデビュー作『十角館の殺人』が出ます。「孤島の屋敷で起こる連続殺人」という、本格ものの王道で、ここから「新本格」と呼ばれる波が起こったのでした。やっと元にもどった。あー、しんど。

ただ、「新本格」の人たちは、トリックや構成はなかなかおもしろいのに、文章がウーンという人が多く、かなり読んだのに作品名が思い出せないのは、単に年をとってボケてきたからではないでしょう。中井英夫の『虚無への供物』など、今でもところどころ覚えている部分もあるぐらいで、文章がうまかった。『幻想博物館』『人形たちの家』など、耽美的な作品を数多く残しています。そういう人に比べると、新本格派は言葉のチョイスが雑な感じがして残念でした。

最近読んだもので、それほど期待しなかったのに意外に面白かったのは深緑野分という人。外国を舞台にした戦争もの、『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』は翻訳を読むような感じで、なかなかの文章力、構成力を感じさせました。『戦場のコックたち』は、主人公がアメリカ陸軍のコック兵で、ヨーロッパ戦線で戦いながら、「日常の謎」を解き明かすミステリーなのですが、最終的にはなかなか重厚な作品になっています。『ベルリンは晴れているか』は、ナチス・ドイツの敗戦後、恩人が不審死を遂げ、その殺害の疑いをかけられたドイツ人の少女が無実を証明するために、米ソ英仏の統治下に置かれたベルリンに向かうという話です。タイトルは、ナチス・ドイツがパリから敗退するときにヒトラーが言ったとされる言葉「パリは燃えているか」が元で、こちらは映画の題名にもなりました。ジャン・ポール・ベルモンドやアラン・ドロン、シャルル・ボワイエ、イヴ・モンタン、カーク・ダグラス、グレン・フォードなどが出ている超大作でした。

この二作がすばらしかったので期待して読んだ『この本を読む者は』は、同じ作者のものとは思われない作品でちょっとがっかり。ジャンルがまったく違うので、逆にどう持って行くのだろうと思ったのですが…。外れが全くない人というのもまあいないわけで、キングなど比較的安定していますが、それでもたまにがっかりということもあります。北欧の小説は比較的よいものが多く、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』は言うまでもなく、警察小説がいいですね。「マルティン・ベック」や「特捜部Q」、「クルト・ヴァランダー」のシリーズは非常におもしろい。「刑事ヴァランダー」のドラマも見応えがありました。BBC放映で、なんと主演はケネス・ブラナー。ローレンス・オリヴィエの再来と言われるシェークスピア俳優で、「ハリーポッター」ではロックハート先生を演じていました。

いわゆる推理小説の中でも名探偵ではなく、刑事が主人公になるものを警察小説と言います。本来地道な捜査をするのが刑事ですから、小説もやや地味めのものになります。日本では、横山秀夫が今最も売れています。『半落ち』『クライマーズ・ハイ』『臨場』『64』などが有名で、映像化された作品も多数あります。木村拓哉が主役を演じたのは、長岡弘樹の『教場』で、これも渋くてなかなかのものです。『教場』はまた月9でドラマ化されるようです。サングラスというより色つき眼鏡をかけた白髪の警察学校教官役のキムタクへの評価もなかなか高かったそうです。「何をやってもキムタク」と言われていたのが、チャラい感じを一切出さずに新境地を開いたわけですが、いつまでも「アイドル」というわけにもいかないでしょう。

日本でアイドルと言えば「熱狂的ファンを持つ『若い』歌手やタレント」ということでした。昔は「若い」という条件が必要だったのですが、いつしかアイドルの「高齢化」が始まりました。とくにジャニーズは「おっさんアイドル」だらけです。いくつまでアイドルとして存在できるのでしょうか。もちろん、加山雄三なんかは若大将と呼ばれ続けて、いつのまにか80歳をとっくに越えていますが。もともとアイドルは「偶像」という意味でした。宗教の中には偶像崇拝を禁止するものが多く、イスラエルの神から生まれたユダヤ教、キリスト教、イスラム教もその例にもれません。仏教も実は禁止していました。お釈迦様は仏像をつくるなとおっしゃったらしい。でも、拝むときに何もない空中へ向かって、というのもつらいので、昔の人はある工夫をしました。その工夫とは? これもまた明日のこころだ!

2022年12月 7日 (水)

また明日のこころ

前回、「先祖」と書きましたが、これは「祖先」とどう違うでしょうか。「祖先は八幡太郎義家だ」と言うと「家系の初代」という意味ですが、「祖先を祀る」と言うと「初代から先代までの人々」ということになるでしょう。一つの家からスケールを大きくすると、「人類の祖先」「哺乳類の祖先」のような使い方もできます。「現在まで発達してきたものの、元のもの」という感じでしょうか。「先祖」にも「家系の初代」や「初代から先代までの人々」「その家系に属していた人々」といった意味合いがありますが、「人類」レベルで使うことはあまりなく、個別の家系をさすことがほとんどのようですし、「祖先」に比べて口語的表現という感じですね。「万世一系」と言いますが、いずれにせよ、どの人にも祖先がいて、脈々とつながっているわけです。 今年は春日大社の式年造替にあたっています。伊勢神宮の式年遷宮と違って、建て直しではなく、修理をするのですね。人が親から子、子から孫とつながっていくのに対して、建物はこわれますが、中にはこういう風に修理しながら、ずっと続いていくものもあります。ちなみに、伊勢神宮が国宝になっていないのは建て直しをするからだと言います。国宝ともなると、むやみに作り替えてはいけないので、あえて国宝にならないようにしているということでしょう。春日大社は伊勢神宮に比べると新しいとはいうものの、それでも奈良時代に創建されています。藤原一族の氏神ですが、鹿島・香取の両社も同じく藤原氏の氏神で、こちらは特に武芸の神として有名です。剣術の道場に「鹿島大明神」「香取大明神」と書いた紙がぶら下がっています。時代劇でよく見ますが、この紙は道場以外ではや○ざの親分の部屋にあったりします。これも映画などで見るだけで、入ったことはありませんが…。任侠の世界に生きる人たちにとっても荒ぶる神は尊崇の対象なのでしょう。 千葉周作は北辰を信仰していたということをだいぶ前に書いたような気もしますが、この人が千葉氏の一族であるなら『鎌倉殿の13人』の岡本信人の子孫ということになりますね。千葉氏は坂東八平氏の一つです。桓武天皇の子孫である高望王が臣籍降下して、平朝臣を名乗ります。「平」は桓武天皇の平安京にちなんだと言われます。平高望が上総介になって下向すると、その子供たちも各地に勢力を伸ばしていき、さらにその子孫が坂東各地で千葉氏や、相馬氏、上総氏、三浦氏などに分かれて、八つの大きな家が生まれます。これが坂東八平氏と呼ばれるものです。 千葉氏は大きな一族でしたが、戦国のころは衰えて大名にはなれませんでした。一方、相馬氏は平将門の血筋ということになっていますが、なぜか大名として江戸時代まで生き残ります。その相馬氏の家令を務めていた志賀直道はお家乗っ取りを謀った大悪党だと言われます。「相馬事件」と呼ばれ、星亨や後藤新平もからんできて、なかなかスケールの大きな事件になります。星亨は「押し通る」とあだ名されたぐらいの剛腕政治家で、隻腕の美剣士伊庭八郎の弟である伊庭想太郎という男に暗殺されました。後藤新平も、その大胆な構想から「大風呂敷」とあだ名された大物政治家です。杉森久英の『大風呂敷』という伝記はなかなかおもしろかった。角川文庫で読んだのですが、もともと新聞小説だったらしく、挿絵もはいっていました。そのころの角川文庫は新潮の文庫のきどった活字と違って、やや太めの角張った活字のものがあり、とてもいい感じでした。杉森久英は『天皇の料理番』の作者で、伝記でおもしろいものがたくさんあります。 さて、相馬事件の立役者、志賀直道の孫が直哉です。兄が早世したため、家系を絶やさないように祖父母が直哉を育てると言い出し、幼いころの直哉は祖父母に溺愛されて育ちました。小学校卒業のころに実母が亡くなり、父親が再婚します。そのあたり、『母の死と新しい母』という作品に描かれています。この作品は、ときどき入試にも出ていました。そして祖父や父に対する複雑な心情から生まれた作品が『暗夜行路』です。その志賀直哉は昭和46年まで生きていたのですから、江戸時代といっても、そう古くはないわけですね。ということで、前回の流れと結び付く話になってきました。 志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎らは白樺派と呼ばれます。イメージだけで大胆に分類すると、学習院から東京帝国大学が白樺派、早稲田が自然主義、慶応が耽美派、というところでしょうか。実際には自然主義の島崎藤村も田山花袋も早稲田ではないのですが、自然主義の考えを理論的に支えたのが「早稲田文学」という雑誌です。慶応大学から生まれたのが「三田文学」で、ロマンティック路線であり、それを突きつめると、「耽美派」になります。ただし、耽美派の永井荷風も谷崎潤一郎もやはり慶応出身ではないのですが…。 今や永井荷風はほとんど読まれなくなっていますし、谷崎も同様です。漱石と芥川は別格として、明治大正の作家はもはや過去の人なのでしょう。最近著作権の切れた人に山本周五郎がいます。俗っぽいけれど、やはり今読んでも面白い。新潮文庫で出ていたものは高校生のころすべて読みました。本は処分しましたが、ネットの青空文庫でまた読めます。青空文庫は無料で利用できるのでおすすめです。小酒井不木や浜尾四郎、小栗虫太郎などの推理もの、海野十三のSF、林不忘、野村胡堂の捕物帖、佐々木味津三の退屈男、国枝四郎の伝奇もの…、夢野久作のドグラマグラも読めます。 最近、外国作品でゴシック・ロマン調のものを読みました。ケイト・モートンというオーストラリアの作家で、『忘れられた花園』『秘密』『湖畔』の三作を読んだのですが、いずれも上下巻に分かれており、なかなか読み応えがありました。「ゴシック・ロマン」というのは、18世紀末ぐらいに流行した神秘的、幻想的な小説で、今のSFやホラー小説の源流とも言われるものです。ガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』やナサニエル・ホーソンの『緋文字』もその流れですし、エドガー・アラン・ポオは言うまでもなく、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』も同じ系譜です。ケイト・モートンのものはその雰囲気を生かした作品で、日本で言えば、「新本格」みたいなものかもしれません。「新本格」については長くなるので、続きはまた次回のこころだ。

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