司馬遼
前にも触れた「ONE OK ROCK」というバンドは日本語と英語をスムーズに切り替えて歌い、全く違和感がありません。日本語の中にちよっと英語のフレーズを入れるというのはよくありますが、英語の中に日本語の歌詞をさりげなくはさむのがクールだと評価する外国人も多いようです。外国人にとっては日本語が「かっこいい」と映ることもあるようですね。
日本語の中には英語に訳しにくい言葉もたくさんあります。あいさつの言葉は特にそうですね。「いただきます」は「レッツ・イート」でしょうか。でも、一人だと変。感謝の気持ちも含めて、ぴったりの簡潔な言葉はなさそうです。「よろしくお願いします」はどうでしょう。英語では場面によってちがう言い方をしそうです。「よろしく」はとりあえず言っておけばなんとかなる万能の言葉かもしれません。「もったいない」もぴったりの単語はなさそうです。「わびさび」にいたっては概念そのものがないでしょう。「ざっかけない」とか「ざっくばらん」とか「いけしゃあしゃあ」になると、語源もよくわからないような言葉だし、意味を定義することもむずかしい。『ドグラマグラ』のような意味不明のタイトルの本は海外ではどうするのでしょうか。そのまま音を写すしかなさそうです。
『ドグラマグラ』は入れ子形式で、それも何重にもなっているので、いま自分がどの階層にいるのかもついつい忘れがちになる作品です。ここまで複雑でなくても、「小説の中に小説がある」レベルの入れ子はよくあります。登場人物が書いた小説がそのまま書かれているような場合ですね。芝居でも「劇中劇」というのがあります。『アラビアン・ナイト』は全体が大きな物語で、その中に短編がいくつも含まれるという形です。こういうのはとくに「枠物語」と呼ばれます。
「入れ子」をかっこつけて言うと「ネスト構造」ということになります。こういう妙なものにもちゃんと名前が付いているのが面白いですね。逆三角形の頂点になるように三つの点があると顔に見える、ということがよくあります。これにも「シミュラクラ現象」という名称が付いています。こんなものにも名前があるのか、ということで言えば「パンの袋をとめるプラスチックのやつ」が有名かもしれません。「バッグ・クロージャー」と言うらしい。略して「クロージャー」。「クイック・ロック」という呼び方もあるそうな。「動く歩道」は正式名称でしょうか。たまに間違って「歩く歩道」と言ってしまうことがありますが…。「ムービングウォーク」と言うしかないのでしょうね。指には、それぞれ名前が付いていますが、指の股には名前があるのでしょうか。「水かき」でごまかすにしても、4か所あるのだから名前がほしいところです。医学的には正式名称があるかもしれません。唇と鼻の間の溝は「人中」と呼びますが、「水溝穴」とも言うらしい。
観相学では顔の各パーツが細かく名付けられているそうですが、観相学というのは占いなのか統計なのか、どちらでしょうか。観相学は必ずしも人相だけで判断するのではないようですが、俗に「人相占い」と言います。人相が一定ではなく、変わっていったりするのも環境や心の持ちようと関係するのかもしれません。顔つき、表情と心情・性格はなんとなく関連性があるような気もします。少なくとも、手相よりは因果関係はありそうです。ただ、詐欺師が善人に見えたりすることもあるでしょうし、人相の悪い善人もいそうです。つかまった犯人の写真を見て、「こんなことやりそうな顔してる」と思うのは、たまたまそういう顔つきだっただけで、そうではないときにはスルーしているのかもしれません。あるいは、思い込みで見ている可能性もあります。
釈迦が生まれたときに、ある仙人が瞑想の中で神々が舞い踊る姿を見て、未来の仏陀が誕生したことを知り、釈迦に会いに来たという話があります。仙人は赤ん坊の釈迦を見て涙を流すので、釈迦の父親の浄飯王は驚きます。仙人は、「このお方は成人して、最高の悟りを開かれ、多くの人に法を説くだろう。ところが、私の余命はいくばくもなく、この方のお言葉を聞くことができない」と言って嘆いたというお話。絶対に後付けで作られた話ですね。でも、こんな話があるということは、昔から人相によって将来を占うことがよくあったのでしょう。曹操だって、顔を見て「乱世の奸雄」と言われています。
占星術というのはどうでしょう。「星占い」と言うとただの「お遊び」なのに、「占星術」はなんだか神秘的な感じがします。宇宙のエネルギーが人に影響を与えるというのはありそうです。科学的には有効性は確認できないとか言いますが、科学者の言うことだって有効性が確認できないことはよくあります。科学者どころか人類が誕生するずっと前から天体は存在しているのですから、人類には確かめようのないパワーがあっても不思議ではないような気もします。安倍晴明の仕事でいちばん重要だったのが天体観測です。家紋自体が五芒星ですから。惑星の名前も五行説に基づいています。それに太陽と月を加えたものが七曜です。
諸葛孔明が五丈原で死んだとき、大きな赤い星が長い尾を引いて孔明の陣中に落ちるのを見て司馬仲達は孔明の死を知った、という話があります。そんなので、どうしてわかるのと言いたくなりますが、司馬仲達にはわかったのでしょう。そのくせ、なぜか弱腰で「死せる孔明、生ける仲達を走らす」ということになります。でも、司馬懿仲達はその後クーデターを起こして魏の実験を握り、その子司馬昭を経て、孫の司馬炎は皇帝となって晋を建国、三国時代を終わらせ中国統一を果たします。この司馬氏は司馬遷とはちがう血筋にはなるようですが、同じ司馬の一族であることは確かです。
司馬遼太郎は一族でもなんでもなく、ただの福田定一さんです。「司馬遷に遼(はるか)に及ばない」という意味でつけたペンネームだそうです。「太郎」はどこから来たの、と言いたくなりますが、中国の司馬遷に対して日本人であり、「太郎」というのが日本の男子の代表的な名前だから、ということでしょうか。みんなが「司馬遼」と呼んでいたのは司馬遷との結びつきからでしょうね。




