2026年3月15日 (日)

べらぼう

はじめはゲテモノと思っていた食べ物でも、食べているうちに慣れてくるのは不思議です。一昔前、ご飯にマヨネーズをかけて食べる人を見て、みんなびっくりしていたのですが、今や普通です。あんバターというのもゲテモノ感がただよっていたのに、これも何の抵抗もありません。味噌煮込みうどんや味噌カツなんて、食欲旺盛な大阪人でもいやがるものでした。なんだか名古屋のものばかりなのが不思議。あんかけスパゲティでもすごいなあと思っていたら、名古屋には「甘口イチゴスパ」なるものを出す店もあるそうです。「名古屋めし」という言葉が存在するぐらいの独自の食文化です。

だいたい名古屋の位置づけ自体が微妙です。関東と関西のどちらなのかという大問題もありますし、愛知県自体が三河国と尾張国が合体したものです。東と西でちがう国なのですから、気風もちがうでしょう。おとなりの静岡県も駿河国と遠江国でちがう気質の土地です。当然、方言もちがいます。兵庫県にしても「兵庫五国」という言葉があります。摂津、播磨、但馬、丹波、淡路という、気候風土も歴史も文化も異なる五つの国が一つの県になっているのですから、「兵庫」とひとくくりにすること自体に無理があります。

関西弁や東北弁、九州弁という分け方も雑すぎますね。関西人から見たらあまり区別できない「東北弁」も、地元の人から見たらまったくちがっているのでしょう。関西弁にしても、大阪、京都、神戸で少しずつちがいます。「~ねん」と言ってるのなら大阪、「~してはる」「~やし」なら京都、「~しとぉ」「~しとん」なら神戸ですね。「来ない」は大阪では「けーへん」、京都では「きーひん」、神戸では「こーへん」だと言われましたが、今は区別しにくいかもしれません。一方、同じ大阪でも摂津、河内、和泉の三つの国があり、それらの言葉がミックスされていったのでしょう。大阪市内でも船場言葉という別格の「上品」な言葉も存在しました。

大阪弁で文末に登場する「やで」「やな」「やん」「やんな」「やんか」「やんけ」の微妙なちがいはネイティブでないとわからないかもしれません。このうち最後の「やんけ」は非常に「下品」な感じですが、今でもみんな使っているのでしょうか。「『やんけ』って、めっちゃきたない言葉やで」「知らんかった。やばいやんけ」みたいに。「やんけ」は「ではないかえ」「じゃないけ」「やないけ」「やんけ」というような変化をたどったのでしょう。語源から見て、相手に同意を求めたり、驚きや気づきを表したりするときに使う由緒正しい言葉だったのですが、下品さや荒々しさを感じさせるので、使いにくくなっているようです。

難解な方言として有名な鹿児島弁が消えかけているという話があります。どこの地方でも、共通語とちがう単語は若者の間ではだんだん使わなくなるでしょう。鹿児島ではそのちがいがあまりにも際立っているために、共通語化が他の地方以上に進んでいるようです。ただ、アクセントやイントネーションはなかなか変わりません。使う単語はほぼ共通語なのに、イントネーションは鹿児島弁ということです。インドのパンをナンと言いますが、「それは何ですか」と「それはナンですか」は共通語では区別できません。大阪弁では聞き分けられますね。「雲」と「蜘蛛」も同様です。大阪弁では明らかに区別して発音します。では芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は、どう発音するでしょう? 大阪人でも「雲の糸」のような発音になりますね。では『鼻』は? 実際にはあとに来る助詞によってアクセントが変化することもあるので一概には言えないし、「寿司」や「熊」のように少しずつ変わっている場合もあるので、なかなか難しいところです。

芥川の『鼻』というタイトルもなかなかインパクトがありまが、昔の作品はこういう漢字一字のタイトルが結構あります。今の小説の題名が長くなっているのは過去の作品との重複を避けるためでしょうか。最近、テレビドラマで『モンスター』というのがありました。百田尚樹の小説にも『モンスター』というのがあり、そのままのタイトルで映画化されました。ピンク・レディーの曲にも『モンスター』というのがあり、アルファベット表記なら嵐の曲にもありました。浦沢直樹の漫画もアルファベット表記で、同名のアニメにもなっています。単語レベルだと、どうしても重複してしまいます。

お笑いタレントの「宮川だいすけ」は「大輔」で、同じ吉本の「宮川大助」と同音です。大輔が後輩なので本来ならちがう名前にすべきでしょうが、本名でもあり、大助の了解も得ているようなのでかまわないのでしょう。ただ、事務所側としては他者とのやり取りを電話でするときなど確認が必要なので厄介と言えば厄介です。実際問題として、ちがうジャンルの場合は同姓同名でも区別がつきます。でも、創作物で名前をつける場合には実在の人物とかぶらないようにすべきです。最近のドラマで、悪人の名前が変わった名字になっていることがよくあります。実在の人に迷惑をかけないために、ありそうにない名前にしておくのでしょう。

ミステリ作家には「有栖川有栖」「御手洗潔」「清涼院流水」のような独特のベンネームを持ち、作中人物にも「九十九十九」「竜宮城之介」みたいな、「そんなやつおらんやろ」的なネーミングをしている人がいます。西尾維新の作品にも、いかにもなさそうな名前の人物が登場します。「病院坂黒猫」なんて名前はありえない。「赤青黄」は「あか」が名字で「あおき」が名前です。テレビドラマで新垣結衣が演じた「掟上今日子」は名字が普通なさそうなものになっていいます。一日で記憶を失う主人公が目覚めたとき、天井に「おまえは掟上今日子だ」と書かれた文字に気づくところから話がはじまるので、「掟上」は本名ではない可能性があります。だれかによって書かれたその文字は「置き手紙」と言えるので、それをもじったネーミングかもしれません。西尾維新はペンネーム自体がローマ字表記をした場合回文になっており、言葉遊びの好きな人です。こういうのは二葉亭四迷以来の伝統なんですね。いや、さらにさかのぼれば江戸時代の戯作者に行き着きます。「朱楽管江」は「あけらかんこう」、「智恵内子」は「ちえのないし」と読めば、駄洒落であることがわかります。

2026年2月26日 (木)

和製中華

占いにたよる心理というのもわからなくはありません。しかし、信じない人は徹底的に信じません。上岡龍太郎が番組の中で「おれがおまえを殴るかどうか占え」と言って、占い師が「殴らない」と言い終わる前に殴り、「ほら見ろ、当たらんかったやないか」と言った、という有名な話があります。痛快ですが、割り切りすぎだなという気もします。上岡は幽霊の存在についても、同じようなことを言っています。「恨みをのんで死んだら幽霊になるのだったら、京都はどうすんねん、幽霊だらけやないか」と言っていました。でも、一般の人には見えないだけで、見える人にはウジャウジャいるのが見えているのかもしれません。

世の中には「私には少しばかり霊感があって」とか言って、そういうものが見えると称する人もいますが、心霊スポットにそういう人を集めて、見えたものを言ってもらうと、みんな違っていた、という話もあります。ひょっとしたら見えもしないのに見えると言っているのか、あるいは見える見えると言っているうちに見えているような気になって、何かが見えたように思い込んでしまうのか。いずれにせよ、「私って見える人なんですよね」と言って、「マウント」をとってくる人がいますが、そういう心理はどういうものなのでしょう。ふつうの人には見えないものが見えるわけですから、一種の超能力と言えなくもありません。あるいは、まんがの主人公のような特別な存在になったような気分になるのかもしれません。私は、平凡なあなた方とは違って「異界の者」なのだ、というような「中二病」的心理とも考えられます。そうなってくると「神に近い存在」ということになるので「マウント」をとったことになるのでしょう。

まあ日本は八百万もの神のいらっしゃる国ですから、神の値打ちもたいしたことがないと言えなくもないでしょう。一族の先祖だって神になります。天皇家の先祖は天照大神なので当然神様ですが、神武天皇は神なのでしょうか。名前に「神」がはいっているのだから神様だ、と言う人もいますが、いやいや「神」のようだからわざわざ「神」という字を入れたわけであって、逆に人間であると見なしていた証拠だと言う人もいます。「神武天皇」と言いましたが、「人皇」という言葉もあります。神代と区別して、神武以降をあえて「人皇」と言うわけですから、やはり「人」と意識していたのでしょう。ただ、古事記などで活躍する神武の話は「神話」と言ってよいレベルです。

初代天皇の神武から十代の崇神の間を「欠史八代」と言うことがあります。『古事記』や『日本書紀』には系譜や宮の名前が記されている程度で、具体的な出来事はほとんど書かれていません。そのため、実在性が疑問視されているのですが、なぜ「欠史」をわざわざ作ったのでしょう。神武の時代を古くするために「かさ増し」したのだという説もあるようです。いずれにせよ、残されている歴史書が客観的な史実を書いているとは限りません。残っているのは「勝者の書く歴史」であり、豪族たちとの争いに打ち勝った人たちが作ったものなので、そういう視点でとらえた「歴史」が書かれています。

中国の歴史書ではそれがもっと顕著に表れているようです。前の王朝はこういうことをしたから滅んだと見る立場から書かれています。その理屈も「思想」に基づいたものになるでしょう。たとえば、漢という国は五行で言えば「火」の徳性をもっており、「木火土金水」の順にしたがうと、火の漢をほろぼすものは「火」の次で「土」でなければならない。「土」は色で言えば「黄」にあたるから、漢をほろぼすために黄色を旗印にした「黄巾の乱」が起こったのだとか。じつは、漢はもともと自らを「水」だと考えていたらしい。周は「火」であり、次の秦は正統ではなく、漢こそが周を継ぐと考えたのですね。そして、ここでは「火」を消すものは「水」であるという「相克」の関係でとらえています。ところが、そのうちに「相克」ではなく「相生」の関係で王朝が交代するのだと考え、周は「木」であり、木は火を生み出すので、漢は「火」であると言い出した。そうすると、火から生じるのは土であり、土は黄色と結びつくので「黄巾の乱」だとか…。もう、わけがわかりません。

黄巾の乱を起こしたのは「太平道」という新興宗教団体です。五斗米道というのもあり、どちらも道教に基づいています。この道教というのも妙な宗教です。仙人というのは道教の考えで、山で暮らすから「仙」なのですね。もともと人間だったのが、長年の修行で仙術を身につけたとされます。女性の仙人もいるようですが、イメージは白ひげの老人です。サボテンを「仙人掌」と書くのは、漢の皇帝が作った仙人像に似ていたからということになっています。サボテンという言葉自体はポルトガル語の「石鹸」を表す言葉が元になっているとも言われます。要するに「シャボン」ですね。「テン」は「手」の変化したものだとか。

パンダを漢字で書くと「大熊猫」になるのは有名ですが、植物名を漢字で書くとなると悩むものが多いようです。「紫陽花」「向日葵」「百日紅」などはクイズでもよく出ますが、「蒲公英」「満天星」「風信子」あたりは難問でしょうか。「いちょう」は「銀杏」「公孫樹」以外にも「鴨脚樹」と書けますが、葉の形から見ると、なるほどと思います。中華料理の漢字表記でも素材名がはいっていればどんな料理か見当がつきます。「青椒肉絲」は青椒がピーマンで肉絲は細切り肉ですね。「絲」は細切りで「片」なら薄切り、「丁」は角切り、「末」はみじん切りだそうです。「炒」は当然「炒める」、「爆」になると強火になり、「炸」は「揚げる」、「拌」なら「和える」という感じで、調理法も見当がつきます。

日本でも、家で食べるものなら、「牛蒡と大根の炊いたん」という、素材と調理法の組み合わせ型の命名があります。「里芋の煮っ転がし」なんて大胆な名前もあって、変に気取った名前をつけるよりわかりやすく、食欲もわきます。同じ名前でも地域によって微妙にちがうこともあります。神戸のメロンパンはオムレツ型でした。カニ玉をご飯にのせた天津飯も、関東では酢豚のような甘酢あんが普通だそうですが、関西では醤油ベースが標準です。でも、天津飯は中国ではなく日本発祥で産地偽装、カニを使わずカニカマを使えば、食材偽装も加わります。

2025年12月28日 (日)

あんた○ぬわよ

「あはれ」は奈良時代ぐらいまでは「あぱれ」と発音されていたようで、本来はため息のような声が文字化されたものだとも言います。平安時代には「あふぁれ」という発音になっていったようですが、鎌倉期の武士の時代になるとなぜか再びP音になって「あっぱれ」になります。こういう音の変化を見ていると、「日本」は「にほん」と言おうが「にっぽん」と言おうが、結局は別の言葉ではなく、単なる発音の違いと見てもよいもしれません。「にほん」と書いて「にぽん」と発音していたことになるのですから。そして、中国では「ジッポン」のような発音をしていたのをマルコポーロが「ジパング」と聞き取り、これが「ジャパン」「ジャポン」「ヤーポン」となっていったわけです。

ところで、わが国が「倭」でなくなって「日本」になったのはいつのころからでしょうか。天武天皇のころだとされていますが、公式に宣言されて何年に変わったというような、はっきりした境目はなさそうです。いつのまにか、ということなのかもしれません。いずれにせよ、一つの文化がずっと続いているというのはすばらしいことです。呼び名が変わっても「一つの国」という意識が途切れていないのは世界史的に見ても希有のことでしょう。万葉集がなんとか読めて意味がわかるというのはとんでもないことてす。奈良時代ごろまでの日本人の先祖が作った歌に令和の人間が接することができるわけですから。

ただ、平安時代にはすでに万葉集は「古」の時代と考えられており、そこから「今」に至るまでの歌集が「古今和歌集」です。そして、そのあとの「新古今和歌集」で微修正して万葉の歌を載せたりしています。さらに、古今集以降を否定して万葉集にもどったのが正岡子規です。そういう変化をたどりながらも、日本の文学史の中で和歌の占める位置は大きなものでした。百人一首はかるたにもなり、まんがにもなっています。第一、日本の国歌が五七五七七の短歌形式ですからね。だいたい「歌」と言うぐらいだから、本来の和歌は実際に歌っていたのでしょう。百人一首のかるたのときにも節をつけて読みますし、歌会始の歌の発表でも妙な節がついています。大河ドラマで、道長の有名な「この世をば」の歌が登場したシーンで、みんなが「唱和」していました。あれは声を出して「言った」だけでしたが、実際には吟詠したのではなかったのかなあ。

その顛末を日記に記録して残したのが、ロバートの秋山竜次演じる藤原実資です。このドラマでの秋山の演技はややおおげさなものの、評価はなかなか良かったようです。このドラマには、他にも「芸人」が何人か出ていましたが、いずれも演技はそこらの「俳優」に負けていませんでした。特にコントをやっている芸人に演技力があるのは当然でしょう。

ドラマを見ていて面白いのは脇役の演技です。あるドラマで小心なサラリーマンをやった人が別のドラマでは極悪非道な犯罪者を演じて、どちらも自然な感じで演じ分けています。脇役専門の人の演技の「多様性」はすごいなあと思いますが、逆に主役の人気俳優は何を演じても同じ、ということがあります。二枚目はその人の存在そのものが売りなので、それでよいのかもしれません。三枚目を主としてやっている人が悪人を演じたり、悪役専門の人が善人役をやったりすると意外性があって面白く感じます。むかし、悪役専門の人たちが集まって「悪役商会」というのを作ったら、これが人気を集め、川谷拓三のように主役をはったりする人も出てきました。

でも、悪役をやる人は概して人相が悪い。あるとき、うちの父親とその弟、それにもう一人、母親の弟の三人が汽車に乗ったことがありました。四人がけのボックス席に三人、つまり席が一つ空いているわけです。ところが、満員なのにだれもすわりません。理由は、何を隠そう、三人とも人相が悪い。父方二人は細面で、一見おとなしそうに見えるけれど、切れたらやばい、というタイプ。母方の叔父は見るからに関西の極道という顔つきで、当然のごとくパンチパーマ。ようやく一人すわったそうですが、どう見てもその筋の人だったらしい。軽く会釈をして座った、というのも「お仲間」と思われた証拠です。

もちろん人相が悪いからと言って、いわゆる「凶相」ということにはならないでしょう。人相を見る人が「よくない相」としてあげる顔が必ずしも「悪人づら」というわけではないようです。「人相占い」という言葉があって「占い」の一種と言われますが、「観相学」であって統計なんだ、と主張する人もいます。たしかに表情にはその人の心情が反映されるので、人相も性格と結びつきそうな気もします。では、「手相」はどうでしょう。これも「統計」かもしれませんが、その人の運命までわかるかどうかとなると…。「手相占い」はあるが、「指紋占い」はあまり見たことがありません。でも、これも「統計」なら成り立ちそうです。

名前の画数で占う、というのはどうでしょう。これも「統計」だと言われそうですが、旧字体と新字体で結果が変わってくるのではないでしょうか。「くさかんむり」は四画で数えろ、とか言う人もおり、数え方が不安定なのが胡散臭い。生年月日で占うというのもあてにならないでしょう。偉人と同じ日に生まれた人が同じ運命をたどるはずがありません。私も、ある坊さんに「惜しい」と言われたことがあります。一日早く生まれてたら、天下をとれていた、と言われたのですが、私の誕生日の前の日に生まれた人で天下をとっている人はいません。

干支や星座による占いも理屈に合いません。たしかに、学年によって生徒たちの雰囲気がちがうことはありますが、同じ学年でも人によってそれぞれちがっています。干支や星座でひとくくりにするのはあまりにも乱暴すぎます。ましてや血液占いなど、たった四つです。乱暴すぎるにもほどがある。日本人の四割がA型です。ということは1億2千万人の四割、つまり5千万人近くの人が同じ運命、同じ性格だということになります。そんなのはおかしい、と言うような性格の人はB型です。

2025年12月14日 (日)

右京さんの口癖

書く方が悪い場合もあるのですが、そうでなくても、生徒たちの反応を見ていて、彼らが難しいと言う文章が出てくることがあります。まず、話題が子どもにとって縁遠いものである場合ですね。関心もないので面白いわけがなく、難しいと思うのは当然でしょう。次に、使われている言葉が抽象的であったり、外来語が多く使われたりしている場合。そういうときは、文章の終わりに語注が付いているのですが、難しく感じることに変わりがないようです。もう一つは、文章の展開の仕方。これは筆者が下手な場合も意外に多いのですが、逆にうまい人が、奇をてらいすぎるのか大胆な飛躍をしてみせることもあります。この三つがそろった論説文が出たら、生徒たちはおそらく半分も読まないうちにチーンと言って爆死してしまいます。

希の国語科講師がテストをつくる場合、極力そういう文章を避けます。ただし、カンムリ模試は例外。入試に合わせて、あえて変な文章を出すこともあります。公開テストのレベルでは、むちゃな論理展開のものもないし、主張は比較的わかりやすいはずです。文章がわかるというのは、結局言いたいことが伝わったということですから、細かいところを気にする必要は本来ありません。たしかにテストでは主張にからんだ問題とは別に、そういう細かいことを問うものも実際にはあります。生徒がテスト直しを出してくることがありますが、言いたいことがつかめているか、ポイントになる問題が正解できていれば、基本的にはほめてやります。要旨や主題がとらえられていれば読む力はあるということですから。

では、読む力をつけるためにはどうすればよいでしょうか。基本は数多くの文章に接するということでしょう。多読・乱読は有効です。ひっかかるところが出てくれば、どういうことだろうと考えることで力がつくのですが、実際には考えてもわからないことが多いので、無理しなくても構いません。「読書百遍意自ずから通ず」というのは同じ文章を読むということですが、ちがう文章でも、たくさん読んでいけば、なんとなく「読むコツ」みたいなものが身についてきます。一冊ずつ読むのではなく、何冊もの本を並行してよむのもよいかもしれません。飽きてきたら別の本に移る、というやり方ですね。一時期、横溝正史の小説を何冊かそういう並行的読書でやってしまい、ストーリーがごちゃごちゃになったことがあります…。ちがうジャンルのものがおすすめです。図書館で毎回七、八冊ぐらい借りてきて、二週間後の期日まで並行方式で読んでいますが、文系人間なので科学的な読み物はどうしても少なくなります。地学も好きではなかったのですが、『ブラタモリ』で出てくる岩石や段丘の話はおもしろいし、NHKの科学番組も非常に興味深いときがあります。結局は話のもっていき方や見せ方、要するにプレゼンの仕方で面白くもつまらなくも見せてしまうのですね。

私たちの授業も同様で、同じ単元、題材、文章を扱いながら、面白い授業を展開させる講師と、残念ながらそうならない講師がいます。また、同じ講師が同じことをしゃべりながらも、クラスによって反応が大きく変わることがあります。これらはちょっとした違いなのですね。微妙な違いが大きな差を生む。落語など、しゃべる言葉はほぼ同じなのに、名人ならどっと受け、前座は全く受けません。その場のふんいきというのが大きいのでしょう。寄席では、前座から始まって少しずつ笑いが増えていき、客が笑う態勢になっていきます。「客席があたたまる」というやつです。そこへ真打ちが絶妙の呼吸でしゃべるから、どっと受ける。みんなが笑うとつられて笑い、ますます笑う態勢ができあがっていきます。

笑ってやるものか、と構えているところに出て行っても、なかなか笑ってもらえない。「つかみが大事」とよく言いますが、すべると終わりです。テレビのワイドショーでスタジオに客がいる場合、前説がうまいと本番での反応がよくなります。放送局に勤めていた友人が若いころ前説をやっていたそうですが、やはり大阪出身という強みか、すごく受けがよかったそうです。どういう話し方をすれば受けるのか、聞き手が興味を持つのは、どういう話の展開になっているときなのか、そういうことが直感的にわかっているのでしょう。たとえば、出来事を時系列で並べても面白くもなんともありません。「正岡子規が、それまでの俳諧連歌の発句だけを独立させて俳句と名付けた」という事実をそのまま述べても面白くありません。「松尾芭蕉って、生涯俳句をいくつ作ったと思う?」というところから始めると、いろいろ答えが出てきますが、「ゼロ」と答えるとみんなびっくりします。実は芭蕉がやっていたのは俳諧連歌であって、発句を独立させて発表したものが一千ぐらいあるのだけれど、そのころは俳句とは呼ばれていなかった。明治になってから正岡子規が俳句と言い出したのだから、芭蕉には俳句を作っているという意識はなかったはず、と説明すると、なるほどと言ってくれます。

高浜虚子が師匠の正岡子規から受け継いだ『ホトトギス』という俳句雑誌の編集をしていたときに、子規の東大時代の友達である英語教師に小説を書いてみろ、とすすめたら自信がないと言う。俺が直してやるから、と言って『ホトトギス』に発表した作品の名前、知ってる? 『吾輩は猫である』と言うんやけど…と話すと面白く感じてもらえますが、漱石を主語にすると面白い話にならない。順序をちょっと工夫するだけで話の印象が大きく変わり、面白く感じてもらえます。

ではどういう状態が「面白い」なのか。目の前がパッと明るくなるイメージなので、華やかで明るい感じを表す言葉のようです。そこから、興味を感じてわくわくするような意味や、こっけいに感じて朗らかに笑うような意味になっていったのでしょう。古語としての「をかし」や「あはれ」も意味が変化していきました。「をかし」は知的な興味を感じる様子、物事を客観的にとらえながらも心ひかれる感じです。そこから「こっけい」や「奇妙」の意味に変化したのでしょう。一方「あはれ」は物事と一体化して、しみじみと心動かされるというところから、「かわいそう」という意味に変化していったようです。変化の筋道を知ると味わい深いものがあります。「変化の筋道」と書いていて「演歌の花道」という番組名と似ていると、しょうもないことが気になるのが、ぼくの悪いくせ。

2025年11月30日 (日)

達人の文章

「アンパンマン」は男性という設定なので「マン」ですが、登場するキャラも男性なら「~マン」で、女性キャラの名は「~マン」ではないようになっているようです。全部チェックしたわけではないので、断定はできませんが…。もちろん、「アンパンマン」が「アソパソマソ」になったら性別云々以前に意味不明です。ただ生徒の答案を見ていると、「ン」と「ソ」、「シ」と「ツ」の区別がつかないものが間々見られます。多少はやむをえないでしょうが、区別できるように意識してほしいものです。「安物」の外国製商品の説明書には、「ち」と「さ」、「ぬ」と「め」など、それはアカンやろというミスがあります。「…してくだちい」と書かれていると、声に出して読みたくなります。日本語がまったくわからず、形だけで判断すればそうなるのもやむをえないのでしょう。「お好み焼き」の看板が「おぬみ焼き」に見えたりすることがありますが、これは「くずし字」になっているだけで、まちがっているわけではありません。

「万葉仮名」というものがあります。「うめのはなちる」を「宇米能波奈知流」と表記するやり方です。要するに「当て字」ですね。意味は関係なく、音だけを借りてきているのだから、同じ音ならちがう字でもかまわないわけで、適当に漢字を選んで使っています。平仮名は漢字のくずし字から生まれたものですが、元になる漢字が複数ある場合も出てきます。「か」が「加」だけでなく「可」から生まれたり、「こ」も「古」から生まれたりしています。「変体仮名」と呼ばれるものです。「仁」から生まれた「に」という字しか知らないと、「尓」のくずした字で書かれていたりする古文書は読めません。

それでなくても、古文書は読めないものです。まず、字そのものが判別できない。特に手紙などでは「被下度候」をさらにくずして書かれたりします。そうなると、読み慣れていない者には意味不明です。さらに、もともと手紙では、お互い同士でなければ通じない内容を、「的確」とは言えないような表現で書いたりするので、活字になっていても意味がわからない。当て字も多いし。前に触れた『稲生物怪録』も手紙に近い文体なので読みにくいものでした。

それにしても、信長が秀吉の妻にあてた手紙が残っていたりするのは面白いなと思いますし、文豪の全集には書簡の部がはいっていたりします。プライバシーもへったくれもありません。不適切にもほどがある。ただ、死んだ人にはプライバシー権はないのですね。たしかに歴史上の人物を研究するうえでプライバシーを気にしていたら何もできなくなります。生きているときに表沙汰にされたら激怒しそうなものでも、死んでしまえば反撃できません。作家ならプライバシーの切り売りをしているところもあるのでやむをえないところもあるでしょう。そうでない著名人には、いい迷惑ですね。ただ反対に、その人の知られざる魅力が発見されることがあるかもしれません。歴史上の人物に対する一面的な見方をひっくり返してもらえることもあるでしょう。信長の手紙にしても、非常に細やかな心配りのできる人だったことをうかがわせるものがあります。秀吉を「はげねずみ」と呼んでおり、「サル」ではないのも面白い。光秀を「きんか頭」と言っていることも有名です。だいたい戦国武将は兜をかぶって闘うので、頭がむれてハゲになりやすいし、わずかばかり残った髪の毛でまげを結うのは難しかった、という話もあります。

鎧兜をあわせれば20キロぐらいあると言います。それで走り回ったり、壕を泳いで渡ったりするのですから、昔の日本人はなかなかすごかった。平安時代の十二単だって相当重かったはずです。米俵をいくつも持ち上げている女性の写真とか見ると、バランスをとる感覚もさることながら、やはり力持ちが多かったのかも? 栄養状態を考えても今の日本人ほど恵まれていなかったと思うのですが…。身長にしたって150センチぐらい。西洋人とは比べものにならなかったはずです。

その日本人の中でも、大男よりも小さな者のほうが評価が高い場合があるのも奇妙です。「大男総身に知恵がまわりかね」とか、相撲でも小兵力士の人気が高かったりします。箱庭なんてものもミニチュアですから、日本人は小さいものが好きだったのでしょうか。電化製品でも、どんどんコンパクトにしていきました。文芸でもわずか十七文字にまで切り詰めたものが好まれます。その究極が「以心伝心」で、理想はしゃべらなくても伝わるということです。テレパシーというのともちがいますね。瞬間的にふんいきとしてつかめるという状態です。ただ、境遇や立場を同じくしたり、長年ともに暮らしていたりする者が特殊な状況にさらされた、というのなら顔を見ただけで伝わることもあるでしょうが、現実には難しい。できるだけ切り詰めた表現を使うのも、ある程度は可能ですが、正確に伝わっているかというと心許ない。

逆に、言葉を駆使して伝えようとしても伝わらないことがあります。説明文で筆者の言いたいことが伝わらない場合、読者と筆者のどちらに責任があるのでしょうか。意外に筆者の伝え方が下手なだけ、という場合もありそうです。世の中には説明の下手な人というのがいるのですね。そして、そういう人に限って自分が下手であることに気づいていない。反対に、頭がよすぎて伝わらないこともあります。筆者にとっては自明のことでも、読者にとっては論理の飛躍になる場合です。養老孟司の文章などはその典型かもしれません。難しいことを言ってやろうという意識はおそらくないでしょうから。

世の中は、あえて難しい言葉や外国語(カタカナで書いているが「外来語」にはなっておらず,日本語としては扱えない段階の言葉)を使って「高尚」ぶる人もいるようです。専門家がどうしても専門用語を使う必要のある場合はあるでしょう。しかし、「わかっている人」なら、その言葉の意味や使い方についてコメントするはずです。難しいことを難しく書くのは二流で、一流の人は難しいことをわかりやすく書く、と言います。この文章のように、中身のないことをわかりにくく書くのは、もはや達人と言えます。

2025年11月16日 (日)

スーパーパーソン

「一瓢を携えて」式の作文教育は意外に正解なのかもしれません。自由に書け、と言われてもなかなか書けないけれど、「型」があれば書けるものです。基本は型に多く触れること、つまり、たくさん読むことです。特に音読は有効です。視覚と聴覚の両方から認識され頭の中にはいってきます。昔から『論語』の素読がなされていたのはそういう理由もあるでしょう。

『論語』は「子曰く」で始まりますが、「曰く」の読みは「いわく」と「のたまわく」の両方があります。敬語にするかどうかの違いなので、どちらでもよいのですね。では、「有朋自遠方来不亦楽乎」をどう読むか。「朋あり。遠方よりきたる…」なのか、「朋遠方よりきたるあり」なのか「朋の遠方よりきたるあり」なのか。第一案は「友達がいて、その友達がやってきた」という感じ、第二案は「友達が遠方からやってくるというできごとがあった」、第三案は第二案と同じともとれるし、「の」を「同格」と考えれば「友達で、遠方からやってくるというのがいた」ともとれます。微妙に違ってくるのですが、大意は同じです。意味さえ通じればよいのであって、細かいニュアンスの違いはここではどうでもよいことです。

ふだんの言葉では、「は」と「が」の使い分けのように、細かい違いを意識していることがあります。聞いているほうも、そういうことに注意すると、伝える側の微妙な意図がうかがえます。「静けさ」と言うか、「静寂」と言うか、あるいは「しじま」と言うかによって、意味よりも味わいの違いが生まれます。こういう違いは、他言語に翻訳するときにきちんと伝わるのでしょうか。伝えたくても限界があるかもしれません。特に韻文となると、リズムを伝えるのは至難の業ですし、言葉の奥にこめられた意味やニュアンスは伝えられないでしょう。「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」の表面的な意味は伝えられても、「いにしへの奈良の都」と「けふ九重」が対比されており、「九重」が「宮中」の意味を表すとともに、遠い奈良から、京都の「ここの辺」に運ばれてきたという感動、「八重」と「九重」の対比、さらにはその前の「奈良」の「な」の音から「七、八、九」の並びの面白さはどうやって翻訳すればよいのでしょうか。

逆に英語の小説を日本語に翻訳したとき、単に言葉を置きかえただけでは済まないことがあるでしょう。二つの別の単語に同じカタカナのふりがなをつけて、これは駄洒落ですよ、ということを表している場合があります。その手を使えないときは括弧つきで駄洒落の解説をしている時もあります。これは日本の小説を英語に翻訳する場合も同じことをしているのでしょうね。ただ、もともと漢字で書いていたか、ひらがなで書いていたか、そのちがいは伝えられません。

では、日本人はそのちがいをどうやって感じ分けられるのか。結局は経験をどれだけ積むかということでしょう。つまり、読書量の差は相当大きいものがあるということです。逆に言えば、読みの深さはもともと持っている力ではなく、経験によって養われるものであるということになります。映画のように、文字を使わないものであっても、見る人によって解釈の深さは変わります。解説、評論によって、なるほどと思えることがあります。

岡田斗司夫が『火垂るの墓』で節子が死んだ後の清太が無表情になっていることを解説しています。宮崎駿なら表情やせりふで心情を語らせるけれど、高畑勲は無表情によって悲しみを表現していると。さらに、多くの観客はその無表情を「悲しみを抑えている」と解釈して、けなげな清太に感情移入して泣くのですが、岡田斗司夫は、そうではなく清太の「人間性」が壊れたのだと解説します。そう言われると、「たしかに」と思ってしまいます。それは、そう言われて納得できるだけの「体験」があるのからなのですね。たとえ間接的な体験であっても、そういうことってあるよなあと思えるだけの土台となる体験を持っているのです。いつ、どこで体験したのかは忘れていますが。だいたい、ほとんどの知識は、「いつ、どこで」身につけたかは忘れても、たしかに頭の中に残るものなのですね。6年のテキストにも載っている向田邦子の文章で、「空谷」という言葉を覚えた時のことが書かれていますが、こういうのはまれで、ある言葉をいつ覚えたかは記憶には残っていません。でも、覚えた言葉はいつのまにか自分の語彙になっています。

向田邦子の文章はよく入試に出ますが、出しやすい理由の一つは、構成がうまいということです。もちろん文章もうまいし、せりふも深い。脚本の場合も、橋田壽賀子のような「ベタ」なものも書けるのがすごいです。向田邦子は亡くなってもう何十年もたちましたが、今の脚本家にも女性が多くなっており、うまいなと思える人もたくさんいます。原作者ともめた人もいたけれど…。マンガにしても女性が大活躍です。男性作家が描きそうな『鬼滅の刃』も『鋼の錬金術師』も女性です。骨太の社会派ドラマを女性が書いていてもなんらおかしくありません。だいたい日本では、紫式部の時代から女性作家が活躍していたのですね。入試に出る文章の出典を見ていても、女性によるものが年々増えているような気がします。昨今では各方面で「女流」という冠がとれてきたようです。

「女優」という言葉も消えていくのでしょうか。このあたりはフェミニズムとも関係しそうですが…。「ヒーロー」「ヒロイン」という言葉は消えないのでしょうか。特に「ヒーロー」という言葉には「英雄」の要素があるので、文句をつける人が出てきそうですが、どうなんでしょう。たまに、「女性ヒーロー」なんて言葉を見ることもありますが、これは「ヒロイン」とはちがうのですかね。「ヒロイン」という言葉には「添え物的要素」があるのかもしれません。「スーパーマン」に対して「スーパーウーマン」というのがありました。「マン」を「人」ではなく「男」とするなら、「スーパーウーマン」という言葉が出てくるのも当然ですが、男と女の区別をするのもよくないという立場に立つなら「スーパーパーソンと言うべきなのか。ただ、「パー」が連続して出てくることになって、語感がよくないなあ。

2025年9月14日 (日)

清き一瓢

最近のドラマで、『全領域異常解決室』というのがありました。政府の命を受け、超常現象を解決していくというエンタメドラマですが、日本神話をベースにしていました。神話に登場する神々の魂が宿った人間たちが「全領域異常解決室」のメンバーとして事件に立ち向かっていくのですね、主役の藤原竜也の「名演技」が光っていました。木村拓哉も「なにをやってもキムタク」と言われましたが、この人も「なにをやっても藤原竜也」です。特に取り乱して叫ぶシーンがあると「出た!」と思ってしまいます。15歳で舞台作品『身毒丸』をやったときには「天才」と呼ばれたものですが、その後のほとんどすべての作品で同じ役を演じ続けているみたいです。

藤原竜也が主役をやった映画『デスノート』も適役でした。あれはいつごろだったのか、もう二十年ぐらい前でしょうか。生徒たちの中にも知っている者はちらほらいますが…。合格祝賀会の講師劇のネタになることもあるので、はやりものには、ある程度注意を払っていますが、はやりのアニメもどんどん移り変わっていきます。『ワンピース』や『鬼滅の刃』はそのままベースのネタとして使いました。今年の劇では『葬送のフリーレン』を一部ネタとして使いました。『薬屋のひとりごと』や『だんだだん』も、そういう名目で「チェック」しましたが、あやうく「はまりそう」になってしまいました。

日本のアニメが世界的人気を持っているのには、自由な発想、奔放な描写があるからでしょう。いまの時代ですから、多少の自己規制はあるのでしょうが、それでもディズニー映画に見られるような極端な「ポリコレ」はありません。「ボリティカルコレクトネス」というのは、特定の民族・人種、性別、あるいは宗教などに対して差別的な表現をしないようにしようということです。もともとは特定の集団に対して不快感や不利益を与えないように心配りをしようとしたところから出たものでしょうが、こういうのはだんだんエスカレートしていくのが常です。AがだめならBもだめだよね、ということはCもだめだから…となっていくもので、よくある「言葉狩り」もこれに含まれるでしょう。 やっている人は正義のつもりであるのが、問題をより厄介にします。

最近とくに問題になっているのは、ゆきすぎたフェミニズムでしょう。その考え方の出発点については、ほとんどの人たちも賛成しているのです。ところが、どんどん極端になっていき、それはいくらなんでも無茶でしょうというところまで来ているのに、「自分たちの考え方は正しいはずだ」で突き進んでいるので、もはやあきれかえるような意見になっていることに気づきません。自分の考えを、公正な目、大局的な見方でとらえることそのものが本来難しいのですから、凝り固まっていると余計に難しくなります。

だいたい人間というのは、どうしても主観がはいるので、物事を正確にとらえることが難しくなるのですね。対象の表層だけを見ないで本質を見ぬければよいのですが、それはなかなか難しい。逆に本質をとらえようとして、深読みしすぎることもあります。将棋で、まず自分がこう指す。そうすると相手がこう指すはずだから、自分はこうする、そうすると…と考えて最後には自分が負けることまで想定してしまい、闘う前から「参りました」と言うのは愚かの極みです。

まあ、勝負と言っても、そもそも何が勝ちかということも難しい。「負けるが勝ち」ということばもあります。負けが勝ちにつながることもあれば、勝ちが負けにつながることもある。きれいはたない、きたないはきれい。「急がば回れ」や「負けるが勝ち」のような言い回しを「逆説」と言います。一見まちがっているようだが、よくよく考えると真実であるというような言説ですね。「逆説」までは行かない「春秋の筆法」というのもあります。この定義がじつはなかなか難しい。辞書には「間接的な原因を直接的な原因として表現する論法」ともありますし、「また」として「論理に飛躍があるように見えるが、一面の真理をついているような論法」とも書かれています。

『春秋』とは孔子が書いたと言われる魯の国の年代記で、「春夏秋冬の記録」ということから「春秋」と名付けられたと言います。したがって、記述は簡潔で、「何年何月にどういうことがあった」ぐらいしか書かれていないので、かえって、何らかの意味が隠れているのではないかと思われて、『春秋なんとか伝』という注釈書がいくつか出ています。そういうところから「春秋の筆法」ということばが生まれ、とくに飛躍した因果関係を述べるときに、「春秋の筆法を使えば…」にように断りを入れて使うことがあります。たとえば、「希学園の塾生が夜おそくまで勉強するのは、春秋の筆法を借りれば、電球を発明したエジソンのせいである」というような感じで、ややひねくれた屁理屈をこねるときに使われます。

ただ、もともと漢文は簡潔なんですね。本来エリートが読み書きするものだから、ごちゃごちゃ説明するのをきらったからだという、すごい説もありますし、漢字そのものが画数が多く、書くのが面倒なので表現は簡潔になった、という「合理的」な説もあれます。それに比べて、和文脈というのは基本的にはダラダラ文です。終わるかと思ったら終わらずに、切れ目なく続いていきます。源氏物語など、長いったらない。日本語が本来そうなる性質を持っているのかもしれません。子どもたちが作文を書くと、一文が長くなるのは当然です。だから、「二百字で要約しなさい」という問いがあると、平気で一文にして書くやつがいるのですね。二百字を一文で書くということは、四百字詰めの原稿用紙をたったの二文で書くということになります。

昔の作文教育では、見本のとおり書け、と言って「我一瓢を携えて山野を逍遙す」のような文をそのまま写させることがあったそうです。漢文ベースの書き方に慣れさせようということですが、子供が酒のはいった「一瓢」を携えて、山野で酔っ払ってはいけません。

2025年9月 1日 (月)

アマミノクロウサギの「ノ」って?

別の言葉なのに音が同じ、というのは駄洒落になりますが、普通の同音異義語ではあまり面白くありません。それでも定番の「貴社の記者が汽車で帰社した」を授業で言うと、生徒たちは結構面白がります。一文の中で連発するのを面白く感じるのでしょうか。大人と子どもで言葉の感覚がちがうということがあるのかもしれません。それでも、大人が使わない言葉を若者が使い出すと、いつのまにか大人も使うようになることがあります。「真逆」とか「目線」については前にも書きましたが、たまに聞く言葉として「いつぶり」というのがあります。「ひさしぶりだね。いつぶりだろう」というような使い方です。「いつ以来」と「何年ぶり」とがごっちゃになっているので、誤用は誤用なのですが、大人でも使い出しています。

「いつぶり」という言い方はなぜおかしいのでしょうか。「一年ぶり」はよいのに、「去年ぶり」は変です。「二日ぶり」はよいのに、「一昨日ぶり」は変です。ということは、「ぶり」の前に来るのは「経過した時間」であって、「日時」を表す言葉は来ないということになります。「いつ」というのは時間ではなく日時なので、「いつぶり」と言われると違和感を覚えるのでしょう。ただ、この使い方が載っている辞書もすでにあるようです。やがては認められていくのでしょう。

ところで、「一年ぶり」と言うと、前回は一年前だったことになります。「一月(ひとつき)ぶり」と言うと、前回と今回との間隔は「一か月」です。では、「三日ぶりに会った」と言うのは間に何日あるのでしょう。五日前から順にA日、B日、C日、D日、E日として今日がE日だとすると、前にあったのはどの日でしょうか。「三日前」と考えるとB日ですね。一方、「間に三日ある」と考えるとA日になってしまいますが、この場合の「間の三日」というのは、E日のある時刻からさかのぼってD日の同じぐらいの時刻で「一日」と見ていくので、やはりB日ということになります。ややこしいと言えばややこしい。

「~から~まで」の場合、「1から10まで」と言うと1も10も含みます。つまり数字は10個あることになります。これは「1から10までの間に数字はいくつある?」と聞いても同じ答えになるでしょうか。もっと具体的に言うと、阪急神戸線で「梅田から十三まで、駅はいくつある?」と聞くと「梅田・中津・十三」の三つですが、「梅田から十三までの間に、駅はいくつある?」と聞くと「中津」だけと答えたくなるのでは? 「梅田と十三の間に」と聞くと、これは「中津」だけということになりそうです。「いくつ目」というのも、ちょっとややこしい。「A、B、C、D…」と並んでいて、「左から三つ目は?」と聞かれたらCですが、「Aから三つ目は?」と聞かれたら、どう答えますか。「A」を一つ目とするなら「C」ですが、「D」と答えたら×でしょうか。「B」はAからいくつ目なのでしょうか。

足掛け何年というのもあります。辞書では、「年月を数えるときに、初めと終わりの1年、1月、1日に満たない端数も一とする数え方」のように説明していますが、非常にわかりにくい。例をあげるとすぐにわかります。たとえば「一年一か月」たった期間を「足掛け二年」と言います。ということは、2025年12月31日から2027年1月1日までなら、実質12か月と2日なのに「足掛け三年」と数えることになります。足掛けの反対は「丸」とか「満」になりますが、もちろんジャストではなくアバウトでもかまいません。

「創業1400年」と「1400年創業」ではどうちがうでしょうか。前者は会社ができてから1400年たったという意味ですが、後者は西暦1400年に会社ができたということになります。「創業1400年」の会社として有名な金剛組は、調べてみたら「飛鳥時代第30代敏達天皇7年(西暦578年)」と書かれていました。つまり、「578年創業」ということですね。敏達天皇は聖徳太子の父の用明天皇の兄ですから、伯父さんということになります。578年ということは、当然いわゆる「大化の改新」よりずっと前です。

この「大化の改新」というのも、昔は645年ということになっていました。「大化の改新むしごろし」という、訳のわからない覚え方で教えられていましたが、いまは中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した事件は「乙巳の変」であり、事件そのものと改革とを区別するようになっているみたいですね。この時代もなかなかおもしろいので、大河ドラマでとりあげても面白そうです。新説や異説をとり入れて大胆に脚色していけばドラマとしても見応えがあるものになりそうです。

NHKでは、聖徳太子を本木雅弘が演じたドラマをやったことがあります。これは原作の小説はなかったと思いますが、テレビドラマとしては最も古い時代を扱ったものの一つでしょう。井上靖の『額田女王』をドラマにしたものもありました。額田は岩下志麻、天智が近藤正臣、天武には松平健という配役でした。大河の『草燃える』で岩下志麻が北条政子、松平健が北条義時を演じた直後で、松平健の評価が高まっていたときですね。思い切って神話の時代を扱ったドラマがあってもよさそうですが、テレビではやりにくいのかなあ。映画では、『日本誕生』」など、神話を題材にしたものはいくつかあります。ヤマトタケルを三船敏郎が演じているのですが、すごく大根…。シナリオ自体も今から見ると、稚拙そのものだし、円谷英二の特撮も悲しくなるレベルです。高島政宏主演の『ヤマトタケル』というのもありましたが、これは完全にアニメの世界で、見事なほどのばかばかしさでした。

でも、今の子どもたちは日本神話をほとんど知らないのですね。戦後教育で排斥されたこともあって、触れる機会も少なくなっているのでしょう。もちろん歴史として教える必要はないでしょうが、なんらかの形で接するチャンスがあればいいですね。八岐大蛇や因幡の白兎の話ぐらいは常識として知っておいてもらいたいものです。アマミノクロウサギは「因幡の白兎」との対比かなあ。

2025年5月31日 (土)

誰とは言わない

神話には「十束剣」と呼ばれるものがたびたび出てきます。「とつかのつるぎ」と読み、「十拳剣」など、いくつかの書き方がありますが、要するに拳十個分の長さの剣ということでしょう。スサノオがもともと持っていた十束剣は、「天羽々斬」と言います。「あめのはばきり」で、「はば」とは大蛇のことだと言われますが、ヤマタノオロチの尾の中にあった剣に当たって刃が欠けたのですね。その剣が「天叢雲剣」、つまり三種の神器の一つ、「あめのむらくものつるぎ」です。スサノオがアマテラスに献上した後、伊勢神宮にあったものを、東征に向かうヤマトタケルに、その姉が渡します。敵の放った野火に囲まれたとき、その剣で草をなぎはらって難を逃れたことから、「草薙剣」と呼ばれるようになります。剣はヤマトタケルの妻とその一族の尾張氏が尾張国で祀ることになり、これが名古屋の熱田神宮の始まりです。

十束の剣や草薙の剣という名が示すように、これらは「剣」つまり直刀で、後の時代の太刀とはちがいます。はじめのころの武器は、おそらく長い棒だったのでしょう。やがて、金属を長く薄く加工できるようになり、棒のかわりに登場したのが剣です。だから、直刀であり、両刃になっています。斬るのではなく、突き刺すようにして使っていたのでしょう。刀は両刃ではなく、片刃です。片方の刃なので「カタハ」、それが訛って「カタナ」になったとか。「両刃の直刀」が、いわゆる日本刀と呼ばれるものにかわったのは、平安時代末期の武士の登場のころです。「太刀」と書いて、「たち」と読みますが、語源は「断ち」と言われます。突いたり、叩き斬ったりしていた剣とは違って、武士が馬上で使いやすく、反りを加えて斬れ味を増して相手を断ち切る「太刀」に進化したのでしょう。

身に付けるやり方も違っていて、剣は紐で腰のところにぶら下げます。太刀も初めの頃は太刀紐を使って水平になるように固定していました。これを「刀を佩く」と言います。元寇以降に流行した大太刀は、大きすぎて佩くことができず、背負っていましたが、やがて登場したのが打刀と呼ばれるものです。これは帯にはさんで腰に差すのですね。脇差とともに帯の間に入れて固定するので、武士のことを「二本差し」と言ったりします。差すときの角度にも、いろんなバリエーションがあったようで、それを藩で決めているところもあったとか。

吊す「佩刀」に対して、刀を差すことを「帯刀」と言いますが、こう書いて「たてわき」と読むことがあるのも「太刀を佩く」から来ています。皇太子護衛のための「帯刀舎人」と呼ばれる武官がいました。「たちはきのとねり」、訛って「たてわきのとねり」と呼ばれることもありました。その長官が「帯刀先生」で、「せんせい」ではなく「せんじょう」と読みます。一番有名な「帯刀先生」は源義賢です。義朝の弟、義仲の父親です。「帯刀」は武官なので、武士たちが自分で勝手に名乗る官職名としてもよく使われました。薩摩藩の家老で、幕末に活躍した小松帯刀が有名です。

「帯同する」という言葉を聞くことがありますが、これはどんな感じでしょうか。「帯」の意味から考えて、だれかを連れてゆくということでしょうね。「連行」となると、無理矢理感が漂います。「同行」は単に一緒に行くということで、「署までご同行願います」とか、よく聞きます。これを拒否するとどうなるのでしょう。「任意ですよね。だったらお断りします」とテレビのドラマで言っているのを真似して実際に言ったらどうなるのかなあ。でも、そういう場面に遭遇したときに一度は言ってみたいセリフではあります。

同様に「やっちゃん用語」もテレビの真似をして使いたくなるのですね。芸能界を仕切っていたのは、昔は「やっちゃん」だったので、芸能人の使う言葉とも共通点があります。言葉の上下をひっくり返す、というのが代表的なもので、一時期「まいうー」というのがはやりました。ひっくり返すだけで、瞬間的に意味がわからなくなるので、隠語として使えるのですね。昔、「ノサ言葉」というのがありました。文の途中途中に「ノサ」という言葉を入れていくだけで、意味不明の文になります。「はのさるになのさってさのさくらのさがさいのさた」というように。こうなると、もはや暗号です。クレイグ・ライスの『スイート・ホーム殺人事件』にも、子供たちの会話の中で、この「はさみことば」が使われる部分がありました。ホームズの暗号ものでも、何字めかおきに読めば意味が通じるというのがありますし、江戸川乱歩の『二銭銅貨』にも、このパターンが使われていました。以前、日本軍の暗号として、電話で堂々と鹿児島弁でしゃべる、というのがあったことを書きました。日本語のわかるアメリカ人でも、盗聴していて生粋の薩摩言葉を早口でしゃべられたら意味不明でしょう。鹿児島弁の特徴として「促音化」というのがあります。「くつ」も「くち」も「くび」も「くっ」になります。また「灰」も「蝿」も「へ」と発音されるので「屁」と区別がつきません。まあ文脈で判断するしかありませんね。

方言でなくても文脈で判断しなければいけないのは同音異義語です。「今日コウエンに行った」と言われても、「公園」か「講演」か「公演」かわかりません。自分はわかっているのだから相手にも伝わるだろうと思ってしまうのですが、聞かされたほうは瞬間的には理解不能です。そのあとの話の展開から何とか見当を付けることもありますが…。そういったことをあらかじめ防ぐ方法として「わたくしりつ」や「かねへん工業」と言ったりしますね。「市町村」と言うのが普通ですが、兵庫県のように「村」がない場合には「市町」になってしまいます。ところが、これは「市長」とまぎらわしい。だから地元のニュースを伝えるアナウンサーはあえて「しまち」と読むそうです。そういうことを知らずにクレームをつける人もいるそうです。全くの同音ではありませんが、「首長」をわざと「くびちょう」と読むのも同様です。「しゅちょう」と「しちょう」が聞き取りにくいので、「大阪のしちょう」なのか「大阪のしゅちょう」なのかを区別しようということですね。でも、「くびちょう」は「くみちょう」と聞き間違えられるかもしれません。文脈上は混同しないでしょうが、その首長の見た目や雰囲気によっては…。誰とは言いませんが。

2025年5月16日 (金)

瓢箪から駒は出る

自己や他者のとらえ方が西洋と日本ではちがうようです。西洋では座標軸の原点に自分を置きます。絶対的な自分が中心にいて、そこから相手がどういう位置にいるかをさぐるので、IはI、youはyouなのでしょう。ところが日本では原点に相手を置き、相手から見た自分がどういう位置にいるかを考えます。だから友達の前では俺、お客の前では私、子どもの前ではお父さん、生徒の前では先生、と自分のことを呼ぶのです。

家の中ではいちばん小さい者を原点にして考えますから、「夫と妻」だったものが、子どもが生まれれば「父さん」「母さん」とお互いに呼び合い、孫が生まれれば「爺さん」「婆さん」になります。おばちゃんが男の子を「ボク」と呼ぶのは、相手の立場に立って、あるいは相手になりきってしまうのかもしれません。確固とした自分というものがなく、だれかを基準にして自分の位置を定めるのでしょう。最近はあまり言わなくなりましたが、大阪では相手のことを「自分」と呼んでいました。同じ発想でしょうが、こういうのも一種の方言と言えるのでしょうか。でも、この二人称の「自分」は、共通語化の波によってほぼ消えてしまいました。まあ「なんでっか」とか「してまんねん」とか、コテコテの大阪弁は消えゆく運命だったのでしょう。「往ぬ」とか「いのく」も消えましたね。「帰れ」という意味で「いね」と言われることもよくあったのですが…。「いのく」は「うごく」が「いごく」になって、さらに転訛したのか、ひょっとして「居退く」か?

音の変化としてとらえてよいのかどうか、「日本」は「ニホン」か「ニッポン」か、という問題もあります。オリンピックのときは断然「ニッポン」ですね。「がんばれニッポン」は力強いけれど、「がんばれニホン」では、気が抜けた感じがします。自分の国の名前がどっちでもいいというのは、実にちゃらんぽらんではあるものの、そういうことにこだわらないというのも日本的なのかもしれません。自分の国から太陽がのぼるのだと考えた昔の人の気持ちが伝わればよい、ということでしょう。イギリスだって、その点、あいまいと言えばあいまいです。正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」でしょうが、省略して「連合王国」つまり「ユナイテッド・キングダム」、さらにその略称の「UK」を使うこともあります。日本では勝手に「イギリス」と呼んでいますが、これは「イングリッシュ」にあたるポルトガル語「イングレス」から来ています。それがなまって「イギリス」、古くは「エゲレス」とも呼んでいたようです。さらにそれに「英吉利」の字をあてて「英国」とか「大英帝国」とか勝手に呼んでいます。

だいたい、イングランドとスコットランド、アイルランド、ウェールズはもともと別の国だったわけです。サッカーというスポーツが始まったころには、それぞれの国が対抗試合をしていたようで、その名残が今でも続いています。ソビエト連邦やアメリカ合「州」国と同じようにイギリスは連合国家です。だから「ユナイテッド・キングダム」なんですね。ちなみに正式名称が長過ぎることで有名なのはバンコックという都市です。調べてみたら「クルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」と書いてありました。

イギリスというのは、もともとかなり野蛮な土地だったようで、ノルマン・コンクェスト以降まともな国になったと言えそうです。11世紀、イングランド国王は後継者がいないまま亡くなります。その跡目争いに勝ったのが、フランスの臣下であるノルマンディー公です。フランスの臣下という地位のまま、イングランド国王にもなったわけです。その後もイングランド王家であるプランタジネット家は、フランス王国の一領主という位置づけで歴代のフランス王と土地争いを続けていました。そして、フランスのカペー朝の断絶につけこんで、イングランド王はフランス国王の地位を要求して、百年戦争が始まります。ということは、百年戦争は単純にイギリスとフランスの戦争というわけにはいきません。

この戦いの中で、有名なジャンヌ・ダルクが登場します。「ジャンヌ」はよくある女性の名前で「ダルク」は「ド・アルク」で、「ド」は「~の」、「アルク」は「弓」です。「ラルク・アン・シエル」は「空の中の弓」という意味で虹のことになります。つまり、「ジャンヌ・ダルク」は「ダルク」が名字というわけではなく、「弓のジャンヌ」という感じの呼び名でしょうか。このパターンの呼び名は日本にもあって、「槍の又三」とか言いますね。「槍の」が付く人は他に「槍の半蔵」「槍の才蔵」がいます。戦国時代の戦いでは槍は重宝されたようで、突くよりも叩くという使い方をしたようです。「刀剣乱舞」というゲームにまでなった刀と比べると地味ですが、刀同様、流派があります。有名なところでは、宝蔵院流というのがあります。宮本武蔵と闘ったことになっている胤瞬という名高い人もいます。武蔵は胤栄に勝負を挑むのですが、胤栄が高齢だったために、16歳だった弟子の胤舜と闘い、武蔵が勝ったことになっています。高田又兵衛や丸橋忠弥も宝蔵院流です。高田又兵衛は家光に槍の奥義を披露したことで有名で、「忠臣蔵」の高田郡兵衛は孫にあたります。丸橋忠弥は、慶安の変で由井正雪の片腕となって、幕府転覆を図ったものの失敗して、鈴ヶ森ではりつけにされました。「忠臣蔵」に出てくる俵星玄蕃という槍の名手は架空の人物ですが、やはり宝蔵院流です。

でも、刀剣に比べると派手さには欠けます。「伝家の宝刀」と言いますが、名高い刀も多い。刀工も正宗とか村正とか有名人がいます。後には堺も名高くなりますが、関とか備前が刀の本場です。砂鉄がとれたところでしょう。スサノオが降り立った斐伊川も砂鉄がとれて、その鉄で刀剣を作ったらしい。支流を持ち、氾濫を繰り返す斐伊川を八岐大蛇にたとえ、その尾から刀が出てきたというのもそういう意味でしょう。神話や伝説は荒唐無稽に見えて、実は史実を反映していることもあります。ふつう、しっぽから刀は出てきません。

このブログについて

  • 希学園国語科講師によるブログです。
  • このブログの主な投稿者
    無題ドキュメント
    【名前】 西川 和人(国語科主管)
    【趣味】 なし

    【名前】 矢原 宏昭
    【趣味】 検討中

    【名前】 山下 正明
    【趣味】 読書

    【名前】 栗原 宣弘
    【趣味】 将棋

リンク