コーディネートはこうでねえと
日本の神様は唯一絶対神どころか八百万いらっしゃるので、数える必要が出てきます。「一柱」と書いて、やはり「やまとことば」で読みます。「ひとはしら」ですね。では「四柱」は? 「よん」ではなく、「よはしら」と読みたいですね。では「九柱」は? 「なのはしら」「やはしら」と来て「ここのはしら」でしょうか。「十柱」は「とはしら」でよさそうですが、「十一柱」は? 「とおあまりひとはしら」かな? 「二十柱」は「はたはしら」、「三十柱」は「みそはしら」、「八百柱」は当然「やおはしら」ですね。
「ひとはしら」は「ひと・はしら」で切れ目がありますが。「人柱」になると熟語になるので「ばしら」と濁ります。これは、なぜ「柱」なのでしょうか。「人柱」における「柱」という言葉は、人を建築の支えである柱に見立てることで建物の安定や成功を願うところから来たものでしょうが、助数詞の「柱」とも結びつくかもしれません。神へのいけにえであり、その魂を人でありながら神に近い存在と考えた可能性があります。もちろん神そのものではないので、「神に準じる存在」いわば「見なし公務員」みたいなものでしょう。
城の人柱もありますが、橋の人柱もあります。川の氾濫をしず、橋が流されるのを防ぐためでしょう。ところで、川の「上流・下流」と言いますが、「下流」は「かりゅう」と読みます。「上中下」のときは「じょうちゅうげ」で「げ」なんですが…。「か」と「げ」はどう使い分けているのでしょうか。位置は「か」、動きがあるときは「げ」だと言う人もいます。たしかに、「下部・階下・地下・以下・下等」は「か」、「下山・下車・下馬・下落・下痢」など「おりる」「さがる」の意味のときは「げ」ですが、そしたら「下品」はどうなる?
「左右」もこの形になると「さゆう」と読みますが、「左」と「右」を対にするときは左大臣・右大臣のように、「さ」「う」と読みます。一字目なら「う」、二字目なら「ゆう」、という大胆な説もありますが、「う」は呉音で「ゆう」は漢音なので、そのちがいがあるかもしれません。では、「工場」を「こうじょう」と読むのと「こうば」と読むのでは、ちがいがあるのでしょうか。「こうじょう」は報道など、フォーマルな場で使いますが、「こうば」は口語的ですね。「町工場」は「まちこうば」です。「さくじつ」と「きのう」の関係も同じですが、厳密に使い分けなければならないというものでもありません。「なんとなく」という感じです。
逆に、同じ言葉なのに意味が変わる場合があります。「やばい」なんて、どう考えてもマイナスの意味だったはずなのに、いつのまにかプラスの意味に転じました。「人のいやがることをする」なども二通りとれることで有名です。「人にいやがらせをする」のか「人かいやがってやらないことをする」のか、この文だけでは判断できません。校長先生が「君たちは人のいやがることをしなければならない」と言えば決まるはずです。「彼は0点をとった」はどうでしょう。これは二通りにとれる曖昧な文というわけではないのですが、前後の文脈や場面の設定によって意味合いが変わってきます。何もなければ「彼はばか?」と思うのですが、「彼は0点をとった。クラスのきなみ0点だった。」とあれば、彼はばかではないかもしれません。少し形は変わりますが、「クラスのきなみ0点だった。彼でも0点だった。」となると、彼はかしこいと思われます。
場面が文脈を作ることもある、ということですね。いきなり「火事」とさけぶ。これは場面の設定が必要です。教室で居眠りしていたやつが立ち上がってさけんだら、みんなに笑われます。どこかの部屋から火が出ていたのなら、消すなり逃げるなりしなければなりません。また、話すときの表情や仕草が本心を表すこともあります。OKと言っていても、本心ではいやがっているかもしれません。そういう微妙なニュアンスは書き言葉ではなかなか表せません。ましてやメールでは短すぎて伝わりません。最近では最後に句点をつけたメールは断定・強要のニュアンスが生まれ、ハラスメントになると言う人もいますが…。
そのことばを言う人の声質も関係するかもしれません。マイルドな声の人に叱られたら、注意されたのだ、改めようという気になり、だみ声の人ならおだやかな注意でも「こわっ」と思うこともあるでしょう。ところで、「声質」はどう読むのでしょう。こえしつ? せいしつ? 「声量」は「せい」なので、「せいしつ」が正しいのでしょうが、「性質」と区別するために、会話では「こえしつ」と言うこともあるようです。
人に信頼感を与える声質というのもありそうです。ソフトな声だけではなく、渋い低音が安心感を与えることもあります。いい声の詐欺師なら、簡単にだまされるかもしれません。フランスの女優サラ・ベルナールは「黄金の声」と言われていたそうな。どんな声か、よくわかりませんが。この人はレストランでメニューを読み上げただけで、そこに居合わせた客全員を泣かせたという有名な話があります。イギリスの俳優ローレンス・オリヴィエも、電話帳を1ページ読むだけで観客を泣かせたという話もあります。声だけでなく、抑揚や間の取り方などもあるでしょうが、人を動かすのはことばの内容だけではないということですね。
場合によっては、見た目も大事でしょう。ボサボサ頭で、ポケットに手をっこんだようなだらしない格好では説得力は出てきません。アメリカ大統領がスピーチをするときには、服装やネクタイのコーディネートが必要になってきます。トランプだけではなく、赤いネクタイをしていることがよくあります。赤の持つ強いイメージがスピーチのアピール力を強めるようです。ネクタイのときにはネイビーのスーツになるのは赤が映えるようにするめのようです。ゼレンスキーもいつのまにかスーツを着てトランプに会っていました。これはトランプにスーツを着ろ、と怒られたのだとか。




