ふつう の考察
お久しぶりの栗原でございます。
「ふつう」という言葉の意味が変わってきているようです。
「ふつうにかっこいいよね」
「これ、ふつうにうまくね?」
などと使うようですが、(若者言葉として)これで正しいのか自信はござりませぬ。
当然、「普通」なのだから、
「標準的な格好良さですね」
「標準的でとりたてておいしいとはいえないのではないでしょうか?」
という意味で使っていると判断したくなるのですが、どっこい違うようなのです。
「かなり格好がよい」「かなりおいしくておどろいた」と彼等は使っているのです。
なぜ「ふつうに」が、「かなり」「けっこう」のような強意の表現として使われるに至ったのか。
国語講師としては興味のあるところです。
若者は「まじめ」 をカッコワルイと感じる。(むろん逆の人も多いですが)
なので、わざと「自分を悪くみせる」ことが多い。
いきおい、若者の基本行動指針は「反体制・反主流」となりがち。
とはいえ、反発ばかりするのも幼稚だとはうすうす気づいていたりする。
そこで、時には「普通に」ふるまってみることもある!
例 今日は「普通に」おふくろに「ありがとう」って言ってみる。
例 最近「普通に」バイト先で明るくあいさつしてみる。
そう。若者にとっては「普通」こそが特別で、エスペシャリイにすることなのだ!
私のあくまで個人的経験に基づく観測では、
「フツーに」と言っている若者は
「正直に告白すると」
「思い切って言うと」
「本心から言うと」
「かざらずに言うと」
「ストレートに言ってみると」
のようなニュアンスで使用しているにちがいない!
と思うのですがいかがでしょう。
若者たちは
「普通の子である」「普通に大学行ってサラリーマンになる」
ということを少し低くみつつ、でも内心は憧れてもいる。
とここまで書いてみて、実は若者だけが「普通に」対して普通でない感情を持っているわけではないような気がします。
日本人は横並びが大好きというのは、受験国語の文章でよく出てくる主題です。
テレサ・テンの名曲「時の流れに身を任せ」にも「普通の暮らし」ということばが出てきて、
平凡で普通の生活への憧憬は日本人ならずとも持っているはずです。
そういう微妙な心理が「フツーにおいしいよね」という表現に込められていたとしたら、
若者言葉も捨てたものじゃありませんね。ふつーにすげえ。