国語科講師からのリレーメッセージ⑦「重い音」
さて、第7弾は意外性の男、平野trです。ヘヴィメタ(小学生のみなさんにはよくわからないと思いますが)が好きだったなんて意外ですねー。ゴスロック(小学生のみなさんにはますますわからないと思いますが)が好きだった私とは趣味が合うようで合わなそうです。
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こんにちは、国語科の平野です。国語科の先生って、音楽が好きなんでしょうか。なかなか音楽からはなれることができません。
西川先生が書かれていましたが、音楽の好き嫌いってなかなか人と合わないですよね。私は小学校1、2年生の頃は兄の影響で 洋楽をよく聴いていました。「シンディー・ローパー」とか、「ワム!」とか、「スティービー・ワンダー」とか。年がばれそうですが。
高学年になると、これまた兄の影響でクラシックにはまっていきました。中でも聴きまくっていたのがベートーヴェンのピアノソナタですね。「悲愴」「月光」「熱情」が大好きでした。「月光」は第1楽章が有名ですが、第3楽章が最初から最後までかっこいいので今でもよく聴いています。
で、中学に入ると、またまた兄の影響でヘヴィメタルを聴くようになりました。こんな感じですから、同級生と音楽の話になっても、「お前好きなバンドいる?」「えーと最近はアイアンメイデンにはまってるな」「誰やねん!」で終わってしまうという日々を過ごしていました。そして、この頃から周りの話についていきたくて、Jポップも積極的に聴くようになっていくのでした。
さて、この「ヘヴィメタル」という音楽ジャンルの名称に注目してみましょう。ここから国語っぽい話になりますよ。「ヘヴィ」とは「重い」、「メタル」とは「金属」という意味です。西欧のヘヴィメタルバンドのインタビューなんかを読むと「今回のアルバムはすごく〝ヘヴィ〟だ」なんて言う人がよくいるのですが、これは何が〝重い〟のかというと、「曲」とか「演奏」とかの「音」に対して「重い」と言っているのですね。
「音」が「重い」? どういうことでしょうか? 音には「重さ」なんかないですよね。「重い」という形容詞を、実際に「○グラム」とかで計れるもの以外のものに使っているのですが、これは別におかしなことではありません。元々持っていた形容詞の意味が「拡張」されて、新たな意味を持つようになったということです。ついこの前小6のトレーニングの授業でもこの「拡張された形容詞(形容動詞)」の話をしました。例えば「静かな光」「明るい声」「苦い思い出」などですね。「光」は耳で聞くものではないですし、「声」は目で見るものではないですし、もちろん「思い出」は口で味わうものではありません。これは日本語だけではなくて、英語のような他の言語でも同じような表現がされているのですね。
では、みなさん、「重い音」とはどんな音でしょうか。イメージできますか。これは実際にそれを聴かないとイメージがしにくいのではないでしょうか。それは「静かな光」でも「明るい声」でも、少なからずそうではありませんか。
ことばの微妙なニュアンスを自分のものにするためには、そのことばがどんなときに使われたのか、どんな感じのものに対して使われているのか、という「経験」が大事なんじゃないかなあって思います。実際に自分が経験することでそのことばが持つさまざまな意味が少しずつ自分のものになっていくのではないかなあと思うのです。(そういえばこんなようなことが書いてある文章がテキストにもあったなあ)
今はなかなか外に出るのも難しい状況ですが、何気ない家の中での会話にも、こういうことばが潜んでいるかもしれませんよ。日々の経験・会話も大切にしていきましょう!