如水は「くわんぴょうえ」
悪霊というものがあって、心霊番組や怪談などではよく登場しますが、あれって、生きているときはふつうの人間ですよね。死んだらなぜ急にパワーアップするのでしょうか。生きているときにできなかったことが、急にできるようになるというのも、なんだかなあ。でも、世界中で悪霊というものがどうやら存在するらしいのです。そういう話が洋の東西を問わずあるのですね。幽霊、妖怪の存在というものが、文化の違いにかかわらず普遍的なのはなぜでしょうね。
もちろん、幽霊でも日本と西洋では細かい違いがあります。ましてや妖怪となると、国や民族によって千差万別です。一時期はやった「アマビエ」というのがありますが、「アマビコ」というのもいたそうな。これはちがうものなのでしょうか。それとも、正しくは「アマビコ」だったのに、その名を字の下手くそなやつが書き写したために、次に書き写した人が、「ヒコ」が「ヒエ」にしか見えなかったので、そのまま書いたのでしょうか。血液型も本当はA型、B型、C型と分類したのに、字があまりにも雑なために、最後のものは「O型」にしか見えず、それが定着した、という話がありますが、それと同じことかもしれません。
「アマビコ」が正しそうなのは「アマ」が「海人」で海の中から現れることから納得できますし、その「男」という意味で「ヒコ」とつけたというのが自然だからです。「ヒエ」では意味が通じません。とにかく男は「ひこ」で、女は「ひめ」なんですな。これは「日子」「日女」だという説があってなるほどなとも思うのですが、「日女」に対応するのは「日男」だから、「ひこ」ではなく「ひお」が正しいのでは、とつまらないことを考えたりもします。日本語として「ヒメ」は残ったのですが、ヒコは消えていますね。男の子の名前の下の字で「彦」が使われるぐらいで、「ひこ」単独で使うことはあまりないでしょう。ただ、「ひこ孫」という言葉があります。孫の子、つまり曾孫のことで、「ひい孫」「ひ孫」とも言います。ところが、孫そのものも「ひこ」ということがあって、わけがわからない。
柳田国男の「名字の話」によると、長男は太郎ですが、そのさらに長男が成人して世間づきあいをするようになると、区別するために「小太郎」「新太郎」と呼ぶことがあります。そのまた長男が世に出れば「孫太郎」、そのまた長男は「彦太郎」と名づけられます。「ひこ孫」の「ひこ」ですね。ちがうパターンとして、源氏の長男は「源太郎」、悪源太義平です。平氏なら「平太」、藤原氏なら「藤太」、田原藤太秀郷ですな。同じく清原氏なら「清」の字が頭につきますが、中原氏は「忠」と、ちょっと変えるようです。橘氏も「吉」に変わりますし、小野氏は「弥」、菅原氏は「勘」になります。もちろん、時代が下ればそのあたりは相当いいかげんになります。歌舞伎の世界で「勘三郎」とか「勘弥」とかいう名前があるのは、その流れでしょう。「勘十郎」などは同音の「寛」の字を使い、「十」の部分は縁起のいい「寿」に変えて「嵐寛寿郎」と名乗った人もいます。「寿」は「じゅ」のはずですが、実際には「かんじゅうろう」と読みます。「女王」は「じょおう」のはずなのに「じょうおう」と読むようなものですな。
昔の名前には「なんとか左衛門」「なんとか右衛門」というのもよくあります。歌舞伎でも「片岡仁左衛門」「中村歌右衛門」という有名な名前があります。これは、朝廷の官職名から来ています。地方の豪族は、実力において文句のつけようのないものになると、今度は名誉が欲しくなります。そこで、京都へ上って官職を求めるのですが、せいぜい「左衛門尉」「右衛門尉」「左兵衛尉」「右兵衛尉」ぐらいしかもらえないのですね。検非違使が設置されるまで宮中の軍事警察として六衛府というのがありました。内裏内郭を守るのが近衛府、中郭が兵衛府、外郭が衛門府で、それぞれ左右に分かれます。長官が督、次官が佐、三等官が尉、四等官が志と呼ばれます。「尉(じょう)」というのは実働部隊であって身分的にはたいしたことはないのですが、それでも地方の武士は、これを貰うためにいかなる労をも辞さなかったのですね。頼朝が鎌倉に幕府を開いてからは、将軍経由で上奏をしなければ任命されなくなりました。そうなってくると、微官の「左衛門尉」でもますます有り難いものになります。本家の長男は単なる「太郎殿」ではなく、「太郎左衛門尉殿」と呼ばれるようになり、やがて「尉」の字がとれて、呼び名になっていくのですね。
そう考えれば「どらえもん」も由緒ある名前ということになります。「左近」「右近」はちょっと格が上がるのでしょうか、呼び名として使われることは比較的少なかったようですが、「兵衛」はわりとよく使われます。やがて「ひょうえ」の発音が「へい」と崩れていると、「兵」「平」の字で表されるようになります。女の人が好きな男を「好き兵衛」と言ったのが「助平」と変化するわけですね。山本権兵衛という海軍出身の総理大臣がいました。本来「ごんベえ」だったはずですが、出世して身分が高くなったのに「ごんべえ」では軽すぎると言われて、「それなら『ごんのひょうえ』とでも呼んでくれ」と答えた、というのはやはり司馬遼太郎で読んだのか。
「権兵衛」って、なんとなくダサいイメージがあるのはなぜでしょうか。「権」は「権中納言大伴家持」のような使われ方をするときには「定員外」という意味がありますから、「権兵衛」は兵衛府の中でも定員外ということで、一段劣ったような印象を与えたという可能性もありますが、もっと別の理由がありそうな。ひょっとして、「権兵衛が種まきゃカラスがほじくる」ということわざのせいか、「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた」の歌のせいか。前者の権兵衛は民話の主人公の名前ですが、後者のほうは固有名詞というより、ある男の人をなんとなく表す名前のような感じがします。つまり「名無しの権兵衛」ですね。これも考えたら妙で、「名無し」と言いながら「権兵衛」という名があるじゃないか、と言われそうです。いくつか説があるようですが、「名主の権兵衛」のだじゃれというのが説得力のあるものです。要するに、名主やお百姓に多い名前ということですね。百姓の代名詞のように使われているうちに、田舎者のイメージが生まれてきたのかもしれません。