2020年4月18日 (土)

国語科講師からのリレーメッセージ⑤「音楽は世界だ」

さあ、第5弾は、「今年中に〇せます」「来年の合格祝賀会までにはや〇てみせます」「やせ〇と言ったら〇せるんだ!」と言い続けてはや5年、まったくその兆候のない「や〇る〇せる詐欺」の花崎先生です。

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外に出る機会が減ってしまっている昨今、みなさんどうお過ごしでしょうか。

数ある唱歌の中でもぼくが一番好きなのはまさに竹見先生と角谷先生が紹介していた「朧月夜」なんですが、小学生のみなさんの中には歌を聴いただけでは情景が浮かんでこない、ピンと来ない、という人も多いんじゃないでしょうか。ぼく自身、小学生だった当時はこういった唱歌の魅力や味わいは、わかりませんでした。「朧月夜」で歌われているような情景は都会には全く残っていませんし、無理もありませんよね。でも、曲を聴いているとなんとなく「懐かしさ」や「静かな夜の空気」のようなものを感じませんか?また、もっと小さいころに歌詞の意味もわからずに歌っていた「お気に入りのうた」などはありませんか?

「酒と音楽を持たない民族はいない」と言われるほど、大昔から人間はどの時代どの地域でも、音楽に親しんでいます。「ことば」がまだ無い時代から音楽がコミュニケーションのひとつの手段だったのだろうと思うのですが、なにぶん形の残りにくい文化なので、原初の音楽というものは資料がほとんど残っていません。ただ、不思議なことに音楽から「感じるもの」は、どうやら全人類に共通するところがあるようです。

例えば、映画「ジョーズ」のテーマ曲を聴くと誰でも「迫り来る恐怖」を感じますし、「ゴジラ」の登場シーンで流れる曲を聴くと、日本人でなくとも「不気味さ」を感じるそうです。放課後に「遠き山に日は落ちて(家路)」が流れると、なぜか「早くお家に帰りたい!」という気持ちになりますし、「蛍の光」を聴くと「別れの寂しさ」のようなものを感じます。

でも実は「遠き山に~」はロシアの作曲家ドヴォルザークが新世界(アメリカ)に渡った後に作曲した「新世界より」に堀内敬三が歌詞をつけたものですし、「蛍の光」はもともとスコットランド(イギリス)の民謡で、「晋書」と「書学記」という中国の古典から生まれた「蛍雪の功」という故事成語を元に国学者稲垣千穎が歌詞をつけたものです。

なぜ、こういった外国ルーツの音楽が日本人のぼくたちを感動させるんでしょうか。

 その秘密の一端は、メロディーを作る「音階」にもあるようです。「音階」というのはドレミファソラシド♪と、階段のように順に登っていく音の並びですね。

実は「朧月夜」も「蛍の光」も、日本で昔から親しまれている「ヨナ抜き音階」でできているんです。「ヨナ」は「4と7」、ドから数えて4番目と7番目に当たるファとシの音を抜いた5音でできている音階で、地域ごとに少しずつ形が違うものの、世界中でこの「五音音階(西洋音楽ではペンタトニックスケールと呼ばれます)」が、古くからメロディーの基本として存在しているんです。日本で今も親しまれている唱歌も演歌も、多くがそうです。よくわからん、という人はピアニカでも何でもいいので「ミレドラソラドレミレ・ド♪」と弾いてみましょう。お家の人が歌詞をつけて歌ってくれるはず。 

他に例えば、「ヨナ」ではなく「ニロ(2と6)」つまり「レとラ」を抜くと沖縄の音階になります。THE BOOMの「島唄」や、仙台育英高校が甲子園で応援歌として使ったことで話題になった「ダイナミック琉球」なんかもベースはこれですね。近年ヒットしたポップスでは「逃げ恥」のテーマソングだった星野源の「恋」やAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」、は「ヨナ抜き」です。DA PUMPの「USA」は、…これは違いますね。このあたり、個人的にはあまりよくない思い出が…いや、いかんいかん、なんでもない。正明先生ありがとうございます。

今年の合格祝賀会での披露が幻となってしまった、米津玄師の「パプリカ」もヨナ抜きですね。ところどころわざと外れた音を「つかみ」に使っているあたり、この人は天才なのかも。

洋楽だと、クリーム(バンド名です)時代のエリック・クラプトンはペンタトニックスケールに「ソ♭」を足したブルーススケールだけで、かっこいいソロをたくさん弾いています。

ジャズやR&B、そこから派生したロックも含めてルーツとなったのは黒人音楽なんですが、アメリカの南部に奴隷として連れてこられた黒人に白人がペンタトニックスケールを教えたら、黒人たちは独特の節回しで哀愁漂う歌をうたうようになった…というのがブルースの始まりだそうです。このあたりのエピソードは典拠がよくわからないので本当かどうか。最近は八代亜紀がよくジャズを歌っています。演歌の小節(こぶし)にはジャズヴォーカルにも通じるところがあるんだろうなぁ、と感じました。ちょっとサラ・ヴォーンみたい…と言ったらジャズファンが怒りそうですが。美空ひばりもジャズのスタンダードを歌っていたそうですね。

最近ではファレル・ウィリアムスの「HAPPY」もペンタトニックです。ホンダのフリードのCMで流れる曲です。

 

これだけいろいろなところで共通点をもつ音楽が作られ、時代も国も超えて人の心に訴えかけるって、やはり不思議な力ですね。「言語」というものが何かしらの「意味」を伝えるツールであるとすれば、音楽は唯一の「人類共通言語」と言えるのかもしれませんね。

そろそろ話が長くなりすぎたので、最後にクイズ。

『ちゃらり~~♪ 鼻から牛乳~♪』

 ↑これの作曲者は、次のうち誰でしょう?

  1. バッハ
  2. ブラームス
  3. ベートーベン
  4. 嘉門達夫

学校や塾で学ぶことはいろいろな形で皆さんの人生を豊かにしてくれると思いますが、「受験のため」「進学のため」には必要とされないスポーツや芸術も、「人生を豊かにする」という点では貴重なものです。

今回紹介した音楽に興味がわいた人はぜひ、聴いてみてくださいね。

2020年4月17日 (金)

国語科講師からのリレーメッセージ④「おぼろ月夜」

第4弾は角谷trです。

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 竹見先生のコラムに「ふるさと」があったので、すこし思いついたことを書いてみようと思います。みなさんは次の歌を知っていますか。

「おぼろ月夜」
菜の花畠に 入り日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて におい淡し

 「ふるさと」と同じ高野辰之作詞の童謡です。小学校の音楽の教科書にも載っているものが多いので、いずれ習うかも知れませんね。

歌詞の意味は
目の前に菜の花畑が広がり、その向こうに夕陽が沈んでいく。
山々の稜線のほうを見れば霞が濃くかかっている。
そよそよと春風が吹いていて、空を見上げれば、
夕方の月がかかって 淡く光っている。
といったところでしょうか。春の風景を見事に描写していると思います。

 さて問題です。この歌の中に春の季語はいくつあるでしょうか。
 正解は三つ。「菜の花」「霞」「春風」です。音楽の時間に学ぶものにも国語の勉強に役立つものがあるんですね。みなさんにも今学んでいることを他のことにも関連づけていってほしいと思います。

(おまけ)
「おぼろ月夜」の二番の歌詞です。春の季語はいくつあるかな。調べてみましょう。

里わの火影も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙のなくねも かねの音も
さながら霞める おぼろ月夜

2020年4月15日 (水)

国語科講師からのリレーメッセージ③「月うさぎ」

第3弾は竹見trです。ムーン・ヒーリング・エスカレーション!

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 こんにちは。国語科の竹見です。前回の木村先生からのメッセージの中で「白兎」が出てきていましたので、私からは「うさぎ」について少しお話ししたいと思います。
 みなさんは「ふるさと」という童謡を知っていますか? 「うさぎお~いしかのやま~♪」というあの歌です。この「うさぎおいしかのやま」という歌詞の「おいし」の部分をみなさんはどのようにイメージしますか? 「追いし」をイメージしますか? 「負いし」をイメージしますか? まさか……「美味し」や「老いし」をイメージする人はいませんよね?
 「うさぎ」を「追いかけた山」なのか「(背)負った山」なのか、を考えるとわかります。自然なのは「追いかけた」ですね。ちなみに、昔は、山を荒らす害獣とされていた野うさぎを追いかけて捕まえるという「うさぎ追い」が農村で行われていたそうです。
 では、「赤とんぼ」という童謡の「おわれ~てみたの~は~いつの~ひか~♪」の「おわれて」の部分は「追われて」と「負われて」のどちらでしょうか? これは、子守をしてくれるお姉さんの背中に「負われて(おんぶされて)」見た、ということなんです。
 漢字の勉強をする時は、どういう漢字を使うのかということや字形の細かな部分に気をつけることはもちろん大切ですが、漢字の持つ意味を意識するということもとても大切ですね。
 さて、日本では「月にはうさぎがいる」とよく言われますね。みなさんも聞いたことがあると思います。月にうさぎがいると言われるようになった起源はインドにあり、それが日本に伝わったと言われています。
 昔、さるときつねとうさぎの三匹が山中で力尽きて倒れている老人と出会いました。三匹は空腹で倒れているその老人を何とかして助けようと考えました。さるは木の実を集め、きつねは魚をとり、老人に食べさせました。ところが、うさぎだけは食料をとってくることができませんでした。それでも何とかして老人を助けたいと考えたうさぎは、なんと自らを食料として老人に捧げたのです。そのうさぎの姿を見た帝釈天(実はこの老人は「帝釈天」という神様だったのです!)は、うさぎのこの行動を後世に伝えるためにその姿を月に残そうとしたのです。このお話が起源となり、月にうさぎがいると言われるようになったそうです。
 ちなみに、日本ではうさぎがいると言われていますが、外国ではそうではないようです。「本を読むおばあさん」や「大きなはさみを持つカニ」、「横を向いている女性」「ライオンがほえているすがた」などなど、さまざまな見え方があるようです。国や地域が異なれば、月の模様の見え方も変わってくるということですね。
 このように国や地域によって異なるものもありますが、今は、新型ウイルスによる感染症の拡大を防ぐという目標に向かって、世界中の人々が手を取り合って一致団結していきたいですね。

2020年4月14日 (火)

国語科講師からのリレーメッセージ②「因幡の白兔」

第2弾は木村trです。

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因幡の白兎

 こんにちは。国語科の木村です。皆さん、前回の山下高充先生からのメッセージをもう読みましたか? その中で島根県の「隠岐」という地名が出てきていましたね。「隠岐」は日本に伝わる神話の一つ、「因幡の白兎」の舞台でもあります。今日は「因幡の白兎」について一緒に勉強しましょう。
 隠岐島に住んでいた一匹の白兎は、海の向こうの因幡国を見ながら、「柔らかくておいしい草がたくさん生えている因幡国に渡ることができたらなあ」といつも思っていました。ある朝、海から顔を出したたくさんのサメを見て、白兎はいい方法を思いつきました。その方法とは、たくさんのサメを隠岐島から因幡国まで一列に並ばせ、その上を跳んで数を数える、というものでした。これなら念願だった因幡国にたどりつくことができます。さっそく白兎はサメに「あなたたちとわたしたち、どちらの数が多いか、くらべようではないか!」と持ちかけました。翌朝、サメはたくさんの仲間を集め、約束通り、隠岐島から因幡国まで仲間を並べました。もちろん白兎は数比べをする気などはじめからありません。サメの背中をぴょんぴょん跳んでいきます。あともう少しで因幡国というところで、白兎はつい得意になって、「おいらの夢は因幡国に行くことだったんだ。それでおまえたちを飛び石代わりにさせてもらったってわけさ。へへへ!」それを聞いたサメはだまされたと知って怒り、仲間たち一緒に白兎を襲い、白兎の皮を剥いでしまいました。
 毛皮を剥がされて痛くて泣いている白兎(自業自得ではありますが)は、因幡国にいる「八上姫(やかみひめ)」に求婚をしに行くところだった、神様の兄弟(「八十神」)に出会います。この兄弟は白兎に「海水を浴びるんだ。そして、山のてっぺんで風とおひさまの光を浴びていれば治る!」と言いました。もちろん、こんなことをしても治るわけはありません。兄弟は面白がって嘘を教えたのです。白兎は兄弟の言葉を信じてやってみましたが、痛みはひどくなる一方です。兄弟は白兎をそのままにして八上姫のところへ行ってしまいました。
 と、そこへ先程の八十神の荷物を担がされている「大国主(おおくにぬし)」という神様がやってきました。白兎から今までの話を聞いた大国主は、白兎をかわいそうに思い、「きれいな水で体を洗い、ガマの穂をつけて休みなさい」と教えてあげました。言う通りにするとみるみるうちに白兎の傷は癒えていきました。感激した白兎は、「あなたさまこそが八上姫の婿になるべきお方です。あのいじわるな兄神さまたち(なんと先程の兄弟は大国主の兄たちでした)には八上姫をもらい受けることなどできません!」と伝えます。 その後、八上姫のもとについた兄神たちが求婚しますが八上姫は相手にしません。遅れてやってきた大国主の姿をみると「荷物を持っているあなたの妻にしてください」と言い、白兎の言った通り、二人は結ばれたのです。
 この神話は色々なことを私たちに教えてくれていますが、今日皆さんにお伝えしたいのは「自分のしたことは自分に返ってくる」ということです。白兎は、最後の最後で調子に乗っていらぬことを言ってしまったがために皮を剥がれ、痛い目にあいました。白兎にいじわるをし、大国主に荷物を持たせた八十神は、八上姫と結ばれませんでした。一方、兄弟たちの荷物を背負わされながらも困っている白兎を助けてあげた大国主は、八上姫と結ばれました。
 やはりどういう状況にあっても大国主のように他人を思いやる心を忘れることがないようにしていきたいですね。新型ウイルスによる感染症の拡大を防ぐために「三密(密閉・密集・密接)を避ける」ということが言われていますが、これも自分の身を守るという意味合いはもちろんですが、他人への思いやりが形になったものとも言えるのではないでしょうか。

2020年4月12日 (日)

国語科講師からのリレーメッセージ①「アマビエさん」

こんにちは、西川です。

国語科講師一同から、「こんな大変な時期だから塾生のみなさんにぜひメッセージをお送りしたい」「山下正明先生の記事はともかく、西川にいつものようなどうでもいい与太話をアップさせていてはいかん」という声が上がりました。第一弾は、「ね・うし・とら・う・たっち・みー」という一発ギャクで有名な山下高充trからのメッセージです。

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 こんにちは。国語科の山下高充です。今日はアマビエについて一緒に勉強しましょう。 アマビエとは江戸時代は弘化3年(1846年)の4月中旬、肥後国といいますから現在の熊本県(クマモンで有名ですね)の沖に現れたと伝えられる妖怪です。なんでも毎晩海中から謎の光が現れるのでお役人が調べに行ったところ、海中から髪の長い半人半魚の妖怪が出てきていわく「私は海に住むアマビエという者だビエ。これから6年間全国豊作に恵まれるビエけどよくない病気がはやるビエ。私の絵を描いてみんなに見せてほしいビエよ」と言って消えたそうです。(当時の瓦版の記事を現代風に訳しました)
 はたしてその効果はあったのかなかったのか。江戸末期の日本では天然痘やコレラなどに対して有効な治療法がなく、伝染病は現代以上に生命に直結する危険な病気でした。時の天皇である孝明天皇もアマビエ出現の21年後に天然痘で崩御したと言われています。天然痘に関しては3年後の嘉永2年にワクチンの一種である牛痘法が日本でも普及しはじめましたが、コレラはこの後安政5年(1858年)から全国的に流行を見せました。効果のほどは何とも言えないところです。
 さてそのアマビエさんですが、昭和においてはゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげる氏がイラスト化するなど熊本県の妖怪として語り継がれました。島根県の隠岐では水木氏の絵を元にした銅像が設置されているそうです。そして令和の現代、新型肺炎の流行を前に疫病から民を守る妖怪として注目され、いろいろな漫画家やイラストレーターが相次いで自作のアマビエを公開するなどもあって話題になっています。
 とはいえ私はここでアマビエさんがいるからもう大丈夫とかみなさんもアマビエの絵を描きましょうとかといった非科学的なことを言いたいわけではありません。アマビエの流行を見てある政治学者の先生がこう言いました。「これは非科学的ではあるが反科学的ではない」と。どういうことかわかりますか。
 その先生は妖怪の絵を描いたところで伝染病が治まるわけはないが、そのような絵が流行することで人々が病気に気をつかい、いつもよりもマスク手洗いに気をつけるようになり、その結果感染の拡大がおさえられるだろうというのです。医学的な効果はないが人の心に働きかける効果はあるということですね。4年生のテキストに同じような話があったように思いますが、その通りだと思います。
 幸いなことに江戸時代とはちがって現代ではどうすれば病気が防げるかが明らかになっています。手洗いやマスクの着用を徹底し、いわゆる三密(密閉・密集・密接)を避けるというものですが、そのひとつひとつを行うことはとても簡単なことです。とはいえ簡単であるがためについ忘れてしまうものでもあります。しっかり病気を予防して元気な姿でまた教室で会いましょう!

2020年3月29日 (日)

おサルたちの沈黙

「ブ」と「ヴ」や「L」と「R」の区別をしない日本語で(「令和」は「R」なので、巻き舌の発音のはず?)、これを書き分けるのは無理があります。さすがに「本を読む」のときは「wo」に近い発音をするので「本お読む」とは書きませんが。「ぼくが」の「が」も鼻濁音なので、区別するために濁点ではなく半濁点をつける人もいます。ただ、これを意識して使い分けすることはあまりないでしょうし、聞き分けてもいないようです。「ぢ・づ」と「じ・ず」では明らかにちがう音なのに、いつのまにか混同して「zi・zu」の発音に統一されました。時代によってことばは変わっていくものです。「めっちゃ」を大阪弁と思っている人も多いようですが、「むちゃくちゃ」「めちゃくちゃ」の省略形で、古くからのことばではありません。さらに「めっさ」となまっている人もいますが、ごくごく新しいことばです。とはいうものの、生まれたときからそういうことばを聞いていたら昔からあることばのように思いますし、実際すでに「大阪弁」として認知されています。むしろ、テレビなどを通じて一般的になり、関東圏でも抵抗なく使われているようです。

だいたい生まれる前のことはわからないのが当然です。若い人たちは「バックスクリーン三連発」なんて伝説でしか知らないわけです。実は掛布のみがちょっとちがうということは、だれも知らなくて当然です、なんてことを言っても何のことだかわからない人が多いでしょうな、ハッハッハッ。六甲おろしは本来冬型の気圧配置のときに起こるものなので、ふだんは甲子園には吹かないという衝撃の事実があるそうです。これは、いつ生まれたかには関係のない知識ですが…。まあ実際には、季節にかかわりなく山頂から吹き降りる突風を「六甲おろし」と言うようです。この「おろし」は「颪」と書きます。他にも「比叡颪」とか「赤城颪」がありますが、山から下に吹く風で「下ろし」です。国字で「颪」と書くのは、ズバリすぎてなかなか快い。

「歪」もよくできた字ですね。「ゆがむ」「ひずむ」「いびつ」と読みますが、正しくないことを表す字です。二つの漢字を組み合わせて新しい漢字を作っているのですが、ここから妙な現象が起きることがあります。「羽音」を縦書きした場合、バランスが悪いと「翌日」と読めてしまいます。ネットの世界では「神」を「ネ申」、「死」を「タヒ」のようにわざと分解して書いたりします。こうやってパーツに分けると覚えやすい字もあります。「顰蹙」や「薔薇」「鬱」など、全体を見ていると厄介な字ですが、細かく分ければわかりやすくなります。「わかる」とは「分かる」であり、「解る」であり、要は「分解する」ことです。複雑なままではダメなんですね。なぜなのかを知らないままで覚えていることがらが、「実は」と説明されたら、わかったという実感を味わうことがあります。「子丑寅が方角を表し、子が北、午が南、だから子午線と言う」…こういう説明でなるほどと思います。「八岐大蛇を倒すと尻尾から剣が出てきた」と言われたら、なんでまたそんなところからそんなものが、と思いますが、「八岐大蛇とは、いくつもの支流に分かれて氾濫を繰り返し、人々を苦しめてきた川の擬人化であり、その斐伊川から砂鉄がとれ、それで剣を作ったのだ」「なるほど」…。

こうなってくると、推理小説の謎解きの快感に似ています。最後の部分で名探偵が全員を集めて推理を披露する場面ですね。川柳にあるやつです。「名探偵、皆を集めてさてと言い」。この部分が長すぎるとかったるいですね。理想を言えば、たったひとことで「なるほど」と思えるようなものであってほしい。中には読んでいるうちに、面倒くさくなって寝てしまいそうになるものもあります。だいたい、この手の小説で本当に「推理」しながら読む人って、いるのでしょうかね。なんとなく「犯人こいつ」と思いながら読んでいるのでは? テレビドラマなら顔やふんいき、もっと言えば誰が演じているかで決めてしまいます。もっとも最近では裏をかいて「この美人女優が犯人!?」と思うような意外な配役をしたり、さらに裏の裏をかいて、「やっぱりこいつかーい」ということもあります。

倒述ものの推理小説というのがあります。最初に犯人が登場して、その犯人の視点で物語が展開されていくタイプのものです。『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』でおなじみのパターンですね。これは、一つのミスでばれることもあるので、種明かしは単純明快なことが多いようです。一般の推理小説とちがって、犯人ではなく作者が読者に仕掛けるトリックなので、読み直す楽しみがあります。「あ、こんなところに」と、読み飛ばしていたり別の意味で解釈したりしていたことに気づきます。これは「わかった」という快感ではなく、「だまされる快感」ですね。わざわざ地雷を踏みに行く心理と通じるものがあります。「やられた」「くやしい」と言いながら、解く快感に匹敵する快感を味わっています。ひょっとしたら、子どもたちがテストでミスをする理由は快感だから?

フロイトは人間の行動の理由を無意識の心理の中に求めましたが、犯人の行動や犯罪の性質や特徴から科学的に人物像をさぐっていく「プロファイル」というのがあります。犯罪捜査ばかりではなく、他の方面でも使われるので、「犯罪者プロファイリング」と言うのが正しいようです。現場に残された状況をもとにして、統計的な犯罪データや心理学を通して犯人像を推理し、人種や性別、年齢、あるいは生活態度などを特定していくのですね。『羊たちの沈黙』あたりからよく聞くようになりましたが、要はパターンにあてはめている感じで、現実の人間はもっと複雑で例外もたくさんあるような気がします。もちろんパターンと言っても相当細かく分類しているのでしょうから、4タイプしかない血液型占いより確かでしょう。干支占いがうさんくさいのは、学年全員が同じような性格のはず、ということになるからです。いくらなんでもそれはないでしょうが、たしかに年によって傾向があるのが不思議といえば不思議です。

「今年の子は…」、講師がよく言うせりふです。ゆとり教育の世代とそうでない世代というような、環境のちがいは大きいでしょうが、そういうものがなくても、なぜか一年ごとに微妙な差があるような気がします。全体に素直でおとなしい年が意外に実績がふるわず、おサルさん状態のときに結果がよかったりするのは、おサルさんタイプのほうが入試には向いているのでしょうかね。

2020年3月15日 (日)

竹鶴の思ひ出

関西の入試は一段落し、新年度が始まりました。

と書いてから早いもので1か月半過ぎました。このブログ空間には不思議な時間が流れており、いつのまにか時間が経っています。

先日(といっても1月のなかばぐらい?)、ニッカウヰスキーが、年代物の「竹鶴」(ウイスキーの銘柄です)の販売を終了すると発表していました。わたしは未成年なので「竹鶴」を飲んだことはありませんが、かつて所持していたことがあります。白い陶器に入った、確か17年ものだったと思います。しかも、なんと、ニッカウヰスキーの社長から直々に手渡されたサイン入りのものです。なぜ私のようなスチャラカチャな人間がニッカの社長から直々に!? そしてその「竹鶴」はいずこへ? 話せば長いことではありますがぜひにとおっしゃるならば話しましょう。

もうずいぶん昔のことですが、週に一度ぐらいのペースで、京都は木屋町の、とあるバーに通っていました(その頃は未成年ではありませんでした)。同じ名前のバーが京都市内に当時あと二軒あり、一族の方がそれぞれ独立して経営されていました。ちなみに大阪にも同じ名前のバーがいくつかありましたが、マスターから聞いたところでは、もともと神戸かどこかにあった有名なお店からのれん分けのような形で、京都と大阪に同じ名前のバーができたそうです(大阪の方は一族ではなく、どんどんのれん分けをして増えているという話でした)。わたしが通っていたのは、京都にお店を出された初代の方のご子息がマスターをされていたお店です(ご子息といっても私よりかなり年上でいらっしゃいました)。初代の方のお店は、作家の池波正太郎が通っていたとかで有名です。若かった私は、そのお店でいろいろ教わりました。いい気分になってちょこっと声が大きくなりすぎたりしようものなら「帰りよし」などと言われかねないお店でしたから、るんるん楽しい気分になってもできるだけきりりと(少なくとも主観的にはきりりと)した顔で自制してました。

さて、そのバーが神戸にはじめてできてから八十周年、というお祝いを大阪と京都でそれぞれやることになりました。若造の私などは到底そういう場にふさわしくなかったわけですが、枯れ木も山のにぎわいというのでしょうか、優しいマスターが声をかけてくださったんです。招待状には、「平服でおこしください」と書かれていました。「平服……?」常識が皆無だった私は平服というのがどういうものかわかりませんでした。それで、きっと普段着のことだろうと早合点気味に高を括りました。そういう性格なんです。そして、おそろしいことに、Tシャツに短パンというかっこうで、京都の二条城前にある「◎◎ホテル」で行われたパーティーにのこのこと出かけていったのです。そうしたらみなさんスーツ着ていらっしゃるじゃないですか、当たり前ですが。最低でもジャケット着用で。もう、恥ずかしくて恥ずかしくて死ぬかと思いました。他にも俺みたいにやらかしてるやつはいないかと必死でさがしました。すると、アロハシャツを着た、浮かれた感じの一団が。何としてもお近づきにならねばと思ってにじり寄っていくと、その人たちは、アトラクションに出演するハワイアン・バンドの人たちでした。

会が始まりました。針のむしろでした。いろいろな人が壇上に上がりいろいろなことを話していらっしゃったような記憶がありますが、上の空だったのでよく覚えていません。やがて記念品贈呈の抽選会が始まりました。そういえば、受付で番号の書かれたカードを渡されていました。当選した人が拍手を浴びて次々に壇上に上がります。これは当たるわけにはいかないと思いました。そして、そういうときにかぎってなぜか当たってしまうのでした。まさに『英雄たちの選択』です。①知らんぷりする。②しれっと壇上に上がる。磯田道史先生ならどうされるんでしょうか。まごまごしていると、となりにいた比較的カジュアルなかっこうの女性(初対面でしたが肩身の狭い者どうしで寄り添っていました)が、「あら、当たってるじゃないですか」とうれしそうに言うのでした。

もうおわかりかと思いますが、そのときです。壇上で、ニッカウヰスキーの社長から直々に『竹鶴』をいただいのは。まちがいなく人生で最も恥ずかしかった一瞬でした。

見るだけでも辛い気持ちになるその『竹鶴』を、私は実家に預けました。手元に置いておくとまだ未成年じゃなかった僕はあっさり飲んでしまうかもしれないけれど、何といってもこれはニッカウヰスキーの社長から直々にいただいたものであるから、大事に取っておきたい、と言って預けたんです。

ところがあっさりなくなりました。北海道在住の伯父が持っていってしまったんです。

この伯父は、ずっと昔にこのブログで紹介したことがありますが、もともと関東軍の中尉で、ノモンハンのときも戦場にいた人です。「こりゃ勝てねえと思ったよ、飛んでるのは敵の鉄砲の弾ばかりなんだからさあ」「遮蔽物から遮蔽物まで移動するときはさ、部下に『行け』って言ったってだめなんだよ、みんなおっかないんだから。『よし、俺が行くからついてこい』って言って、先に飛び出すのさ。すると、みんなついてくるわけよ。それにさ、じつは最初に出た方が弾に当たりにくいんだ。まず一人飛び出すだろ、そうすっと敵が見つけて狙うだろう。だから後から出た方が弾に当たるんだよ」なんて教えてくれた人です。

基本的に私の母は(したがってまた父もその夫として)、この伯父さんに頭が上がらないのです。若い頃に伯父さんにお世話になっているからです。敗戦のあと、ハルピンから命からがら長崎に逃げてきた母は諫早の女学校に通うことになるのですが、女学校を出てもまともな仕事がない。それで、タイピストになろうと考えたわけです。でもとにかく貧乏だから学校に通う金もない。北海道に住む姉(つまり私の伯母)に手紙を書いたら、「うちの旦那(これが伯父さんなんですが)に直接手紙を書いて頼め」と。で、母があらためて伯父さんに手紙を書くと、学費と、学費だけじゃどうにもならんだろうからといってお小遣いを、何ヶ月分もまとめて送ってくれたらしいんです。そのおかげで母はタイピストになることができたわけですが、じつは、そのときのお金を返していないというのです。ずいぶん後になってから、じつはあのときの……と切り出すと、伯父さんは「んあ? そんなことあったか?」と覚えてなかったそうなんです。でも、もしかしたら伯父さんは覚えてないふりをしただけかもしれません。……というわけで、伯父さんにはちょっと頭が上がらない。したがって、泊まりに来た伯父さんが、浴槽にお湯を注ぎながら、そのお湯で入れ歯を洗うという、信じられないほどばっちいことをしていても、目をつぶるしかないのでした。ましてや、白い陶器に入った、ニッカウヰスキーの社長からじきじきに手渡された、サイン入りの17年ものの竹鶴を、「お、なんだ、これはウイスキーか、もらうぞ」とぐびぐび飲まれ、余った分を持ち帰られても、だれも何もいえないのでありました。

竹鶴のニュースを聞き、今は亡き伯父さんのことを思い出してほのぼのとしてしまいました。

2020年3月 7日 (土)

○○に毛がなし

一世を風靡した(それほどでもないか)「騎馬民族説」というのもありました。大陸からやってきた騎馬軍団に征服されたというやつですね。今は完全に否定されているようで、たしかにその後も日本の馬は小さいままです。畠山重忠のかついだ馬も、それほど大きくなかったのでしょう。同時期の有名な馬としては「いけずき」「するすみ」がいます。両方とも、もともと源頼朝の持っていた馬ですが、梶原源太景季が「いけずき」を所望したのに、なぜか頼朝は「するすみ」を与えます。しばらくして、またまたなぜか頼朝は「いけずき」を佐々木四郎高綱に与えてしまいます。感激した高綱は、この馬で宇治川の先陣を切ると誓います。ところが、まず飛び出したのは、するすみに乗った景季、いけずきに乗った高綱は、「馬の腹帯が緩んでいる」と言って景季をだまして先陣を切る、という「ひきょう」な話です。

中国で有名な馬といえば、なんといっても呂布の乗っていた赤兎馬でしょう。なにしろ「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と言われるぐらいですから。はじめ董卓が持っていた馬ですが、呂布と義父の丁原を離間させるために呂布に与えられます。後に呂布を討った曹操の手に移りますが、気性が荒く誰も乗りこなせません。ちょうどそのとき、曹操のもとにとどまっていた関羽を自分の家来にしようとして、今度は関羽に与えます。さすが関羽で、見事に乗りこなすのですね。関羽は「この馬は一日に千里を駆けると言う。劉備の行方がわかったら、一日にして会うことができる」と大喜びしたので、曹操はがっかりした、という話があります。その後、さらに別の人に与えられますが、何も食べずに死んでしまった、という後日談もあります。

騅という名馬もいます。「すい」と読みますが、これは項羽の馬ですね。垓下にたてこもった項羽は「自分の力は山を抜き、覇気は世を覆うほどであるというのに、時勢は不利であり、騅も前に進もうとはしない。騅が進まないのはどうしたらよいのだろうか」という詩を残しています。大横綱の双葉山に後援会が「力抜山」と書かれた化粧まわしを贈ろうとしたところ、このままでは「力抜け山」と読まれるので、「抜山」だけにしてくれと言った、とか。結局、項羽はそのあと壮絶な最期を遂げます。項羽と劉邦の覇権争いに大きく関わってくるのが、韓信ですが、この人物の立ち位置が今ひとつよくわかりません。張良・蕭何とともに漢の三傑の一人とされるのですが、謀反の罪で殺されます。『項羽と劉邦 鴻門の会』という中国映画では、項羽のもとにいた韓信を大将軍に推薦し、劉邦に漢統一を成し遂げさせた蕭何は「韓信は決して謀反を図ることはない」と必死で弁明します。しかし、猜疑心にとらわれた劉邦は聞き入れません。呂后も「鴻門の会で劉邦を許した項羽は結局滅ぼされた。韓信は項羽を裏切って劉邦のもとにやってきた男なので、いま韓信を許せば、やがて漢は韓信に滅ぼされる」と言い、公の記録にも「韓信は謀反した」と書かせて処刑します。

張良は名軍師ですが、それをしのぐ中国史上最大の軍師は諸葛孔明ということになっています。日本ではどうでしょう。竹中半兵衛、黒田官兵衛が有名です。楠木正成は軍師になるのかなあ。軍学者という位置づけかもしれません。そういえば、大河ドラマの主人公として、ついに光秀が登場しました。裏切り、主人殺しという負のイメージがあるだけに、そこをどう描くかが難しそうです。肯定的なとらえ方をするよりも、むしろダーク光秀で押し切って、「ノワール大河」にするのもおもしろいと思うのですが。

どういうものが受けるか予測もつかないこともあります。人気のなかった応仁の乱がブームになりました。足利義政が東山を選んだ理由を「ブラタモリ」でやっていました。東山の別荘は、目の前に吉田山(断層の端)があって都を見ないですんだからだ、というのはなるほどね、と思いました。銀閣の構造も一階と二階とで、正面の向きがちがうようですが、どちらにしても都に対して背を向けています。慈照寺が銀閣と呼ばれるようになったのは金閣との対比でしょうか。銀箔を張る予定だったのが、応仁の乱で財政が苦しくなって実現しなかったという説もありますし、銀箔を貼るつもりはまったくなく、金閣との対比で、太陽のイメージの金閣、月のイメージの銀閣として、なんて説もあります。

金ではなく、あえて銀にしたのは義政が義満に遠慮したためだと習いました。ところが逆に当時は金よりも銀のほうが値打ちがあったので俺の方が上だという優越感の表れだ、という人もいるようです。いくらなんでもそれは言い過ぎで、銀よりも金のほうが値打ちがあるでしょう。松竹梅はどれが上でしょうか。「梅」のはなやかさを考えたら「松」より上に置いてもよさそうですが…。「優」と「秀」も、「優勝」が一位になるわけだし、「秀才」は「天才」より劣りそうなので、「優」のほうが上のような気もします。「馬鹿」と「あほ」はどちらが上でしょうね。「上」ということばは、どちらの意味でもとれそうですが…。「あほ」と「どあほ」では、「ど」が付くだけレベルが高そうですが、「どあほ」と「あほんだら」ではどうでしょう。

アイスクリームにコーヒーなどをかけて食す「アフォガード」というのが世の中にはあるそうな。「あほな護衛」みたいで、音のイメージがよくないですね。ただ、これは「アフォガート」が正しいと言う人がいます。濁点の有無ですが、これは問題になるときとならないときがあります。「世の中は澄むと濁るで大ちがいハケに毛がありハゲに毛がなし」ということばもあり、「窓ガラス」は「ガラス」で「旅ガラス」は「カラス」です。どうでもいいといえばどうでもいいのですが…。「ベッド」も「ベット」と言う人もいました。「アボガド」は「アボカド」が正しいと言う人がいますし、「ジャンバー」も「ジャンパー」に変わりました。でも、外来語をカタカナで表記した時点で厳密な音にはなっていないはずです。スワヒリ語をカタカナで表記できるでしょうか。もっとも「ホッタイモイジクルナ」が通じるわけですから、元来発音はいいかげんなはずです。東北の人が発音すれば「寿司」も「獅子」も「煤」も「スス」になってしまうわけですし、大阪人は「きつねうどん」を「けつねうろん」と発音し、それが通じるわけですから。

2020年2月22日 (土)

世界はひとつ

前回のタイトルの「アンケラソ」ということばは本文とは関係ないようですが、『青菜』に出てくる「ののしりことば」です。植木屋さんが家にもどってくると、嫁さんに「今時分まで、どこをのたくり歩いてけつかんねん、このアンケラソ!」と言われます。「あんけ」は口を開けていることを表すのでしょうか、「らそ」は意味不明ですが、どうやらうすぼんやりしている人のことを言う悪口らしい。ただ、さすがに日常会話で聞いたことはなく、かろうじて落語の中に残っている古い大阪弁のようです。

『青菜』には九郎判官が登場しましたが、他に有名な判官としては塩谷判官というのがあります。これは「えんやはんがん」と読みます。なぜか「はんがん」なのですね。モデルとなった実在の塩冶高貞は足利尊氏の弟直義から謀反の嫌疑をかけられて自害しています。幕府執事の高師直との確執は実際にはなかったようです。『太平記』では師直が高貞の妻に一目惚れして、吉田兼好にラブレターを書かせて送ったところ、拒絶されて逆切れし、尊氏に讒言したことになっていますが…。この話を利用して、浅野内匠頭を塩冶高貞に仮託したのが『仮名手本忠臣蔵』です。

「説経節」という中世の口承芸能があります。竹を細かく割って作った「ささら」という道具を棒でこすりながら、サラサラ音をたて、それで伴奏をしながら語っていくもので、江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃にとってかわられ、途絶えてしまいます。その演目の中でも有名だったのが「さんせう太夫」で、森鴎外が書いたのは完全オリジナルではなく、もともとは説経節です。で、この主人公安寿と厨子王の父親は岩城の判官正氏と言います。鴎外は「陸奥国の掾平正氏」としています。「掾(じょう)」は国司の三等官なので、たしかに「判官」にあたります。

説経節には小栗判官という人も登場します。猿之助のスーパー歌舞伎にもなりました。これも「はんがん」ですね。妻の照手姫の一族に殺された小栗が閻魔大王の情けによってよみがえり、復讐を果たすという、波瀾万丈の物語です。いろいろなバリエーションがありますが、モデルとしては常陸国の小栗氏にそれらしき人物がいるようです。直系ではなさそうですが、その子孫にあたるのが幕末の小栗上野介です。この小栗家の嫡男は代々又一を称することになっています。家康に仕えた先祖が家康の目前に現れた敵を槍で討ち取り、それ以降一番槍の手柄を立てると「又も一番槍か」と言われたことが元になっている、という話は何で読んだのか…やっぱり司馬遼太郎かなあ。テレビでは岸谷五朗が演じたドラマを覚えていますが、何という題名だったか。この人のことを勝海舟はあまり評価していなかったようですが、司馬遼太郎はかなり高い評価を与えていたと思います。

小栗上野介が幕府の金を隠した、という「徳川埋蔵金」がときどき話題になります。赤城山中に埋めた、ということになっているんですね。前に空母の名前について触れましたが、なぜか山の名である赤城が空母の名前になっています。もともと巡洋艦だったものを強引に空母に改装したのですが、名前はそのまま残したとか。加賀とか信濃という空母が国名なのは戦艦の改装だからで、巡洋艦は山の名前からつけたのですね。摩耶という巡洋艦もありました。当然、神戸の摩耶山です。この山の名前は空海由来ですね。摩耶山にある天上寺はもともと孝徳天皇の勅願で建てられたので、それこそ大化の頃にまでさかのぼれますが、空海がこの寺に釈迦の生母である摩耶夫人像を安置したことから、山の名も変わったそうな。

『火垂るの墓』の主人公の父親は巡洋艦摩耶に乗っていたという設定になっていました。原作は相当昔に読んだので、元の小説でもそうだったかはわかりませんが、三宮が舞台だったから神戸の山の名がついた船にしたのでしょうか。JRの三ノ宮駅には機銃掃射の跡が残っていたはずですが、今でもあるのかなあ。近くの岡本あたりを舞台にして印象的だったのは谷崎潤一郎の『細雪』です。太平洋戦争が始まる少し前にあった阪神大水害のことがくわしく書かれており、摂津本山の駅のあたりの描写がリアルでした。この駅も、ちょっと前まではそのころの雰囲気が残っていたのですが、今やすっかり変わってしまいました。あの地下通路はレトロな雰囲気があってよかったのですが。知っている地名、とくにマイナーなものが小説に登場すると、なんとなくうれしくなってきます。以前に野田阪神に住んでいたのですが、そのころ信長公記を読んでいると、野田・福島という地名が登場してきました。三好三人衆との戦いで足利義昭とともに陣を構えたのが私の住んでいたあたりのようです。もともとは浪速八十島と呼ばれたあたりで、閻魔大王の友達、小野篁が遣唐使を断って島流しになったとき詠んだと言われる「わたの原八十島かけてこぎいでぬと人にはつげよあまのつり舟」の舞台になったところでしょう。同じ百人一首の皇嘉門院別当の「難波江の芦のかりねの一夜ゆゑみをつくしてや恋わたるべき」の舞台もこのあたりかもしれません。

野田は藤の名所としても有名で、室町二代将軍足利義詮や秀吉も見に来ています。野田のすぐ近くにある梅田は、昔は「埋田」でした。このあたりは湿地帯だったのですね。でも「埋田」という字面はイメージが悪いので、梅田に変えたのだとか。人名でも浮田を宇喜多にするように、吉字に変えるというのがよくあります。大和から見たら、山のうしろにあるので「山背」と呼ばれた地名を「山城」に変えたのも同様です。国名を吉字に変えたのは淡海三船の進言によるものと言われます。歴史上の人物としてはややマイナーなので、小学校レベルでは習わないのかなあ。「何者?」という感じでしょう。秦河勝にしても「何者?」ですが…。前にも書いたようにローマ人だとしたらおもしろいのだけどなあ。日本がシルクロードの東の端であることを思えば、国際的な交流はあったかもしれません。ガラス器や伎楽面など、インドやさらにその向こうから来ているものもあります。お米を「うるち」と言いますが、古代インドの「リーザ」の転訛したものと言われます。これが西に行くと「ライス」になるのですね。仏様に備える水を「閼伽」と書いて「あか」と読みます。これも当然インドから来たことばでしょう。ところが、これが西の方では「アクア」と言います。世界はつながっているなあ。

2020年1月 2日 (木)

冬眠とは何か?

前回、「冬眠します」という題で書いたのですが、読み返してみると何がどう冬眠なのか我ながらさっぱりわかりません。寒かったのでそういう言葉を使ってみたかっただけかもしれません。

あ、申し遅れました。新年明けましておめでとうございます。

ただ、やはりこういう仕事ですので、入試が一段落するまではおめでたい気分になれません。希学園の事務所でも、「今年もよろしくお願いします~」ぐらいは言い合ったりすることがありますが、「おめでとう」という言葉はあまり飛び交っていないようです。そして、入試が終わった頃には当然のことながら新年気分などどこにも残っていないので、毎年お正月気分を味わうことはほとんどありません。受験生のみなさんとそのご家族にとってはなおのことそうだろうなあとお察しします。

新年を迎えるにあたって、今年自分は何の本を読んだであろうかと本棚をチェックしてみました。ふだん塾生諸君に「本を読め~本を読め~読書しろ~」と呪文のように唱え続けている立場上、自分自身も読書に邁進せねばなりません。とはいえ、いや言い訳するつもりはありませんが、言い訳するわけですが、なかなか本を読む時間がとれません。私の場合、だいたい本を読むのは、電車のなか、もしくは風呂のなか(塾生のみなさん、これだけはまねしてはいけません、目が悪くなるし、うだってくらくらになってしまいます)に限られているので、遅々として進まないのです。というわけで、あまり読めていないのですが、確認してみたところ、一応、以下のものは何とか読みました。だいたい読んだ順に、

『統語構造論』 チョムスキー

『新しい児童心理学』 ピアジェとだれか

『知識の理論』 チザム

『論理の基礎』 ストローソン

『国家の神話』 エルンスト・カッシーラー

『論理学をつくる』 戸田山和久

『言語哲学大全』Ⅰ~Ⅳ 飯田隆

『思考と言語』 ヴィゴツキー

『教えることの哲学』 パスモア

『意味ってなに?』 ポール・ポートナー

だいたい月に一冊ちょっとという感じですね。これらはすべて電車のなか専用で、これらの他にお風呂で、宮城谷昌光『三国志』1~12とか、深沢七郎『楢山節考』とか色々読みました。もちろんマンガも読みました。みなもと太郎の『風雲児たち』とかですね。これは希学園にもうひとりファンがいて(社会科の沖先生ですね)、ときどき情報交換してます。もうすぐ最新刊出るらしいですよ、とか。

それにしてもあらためてラインナップを見てみると、わかっていたことですが、やはり外国の人のものが多いです(念のため申し添えておきますが原書で読んでいるわけではありません、原書で読んでたらかっこいいんですが、残念ながらすべて翻訳です)。偉そうに聞こえるかもしれませんが、日本人の書いたものはつまらないことが多いです。手際よく何かの内容を紹介したもの、受け売りできる知識が手っ取り早く得られるものではなく、著者自身、悪戦苦闘しながら考え抜いて書いたもの、読みにくくてもそういうのを読みたいです。そうするとなんだか外国の人のものが多くなるような気がします。今読んでいるのも外国の人のもので、僕にとってはげんなりするほど難しいのですが(言語に関する本なのに、「集合」とか「関数」とか「写像」とか「演算」とかそんな言葉がてんこもりで、算数も数学も苦手だった私の手には正直あまるのです)、読んでいて良い意味でどきどきするので、まあがんばっています。塾生諸君にもぜひわかってほしいのは、読書もスポーツも少しぐらい、あるいは結構しんどい方が、実はおもしろいんだぜってことです。そういうふうに読書が楽しめるようになったら、国語なんて勉強しなくたってできるようになっているものなんです。受験生のみなさんは今は読書どころではありませんが、受験はまだのみなさん、ぜひ「読むのに少し骨が折れる」読書をしてくださいね。

例によって例のごとくタイトルとはまったく関係のない話になってしまいました。実際、冬眠している場合ではないのです。入試が近づいているので! 

というわけで、入試が終わるまでブログはお休みします(←あえていえばこれが冬眠です)。入試が終わったらまた! 入試が終わってから三か月以内には書きたいと思っています!

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