2014年10月24日 (金)

国語教育講演会の告知その2

ついに来週です。

まず27日(月)に、西宮北口のプレラホール

28日(火)と29日(水)は深く反省して、

30日(木)四条烏丸教室、そして反省する間もなく、

31日(金)谷九教室です。

準備はOKです! 散髪もしました! 2ヶ月ぶりに。いつものおにいさんに「寝癖がつかないように2ヶ月分切って」と適当なお願いをして切ってもらいました。このおにいさんに切ってもらうと、睡眠中どんなに七転八倒してもほんとうにその後1ヶ月は寝癖がつきません。

しかし、散髪なんかしたせいか、かえってちょっと緊張してきました。なんてったって本日(24日)夕方の段階で、367名のお申し込みをいただいており、国語の教育講演会としては過去最多です。

ああ、劇団時代にこんなにお客さんが来てくれていたらなあ! 客より出演者の方が多かったらどうしようと、戦々恐々としていたあの日々! 

お申し込みくださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。

塾生でないお知り合いの方で興味を持たれそうな方がいらっしゃったら、ぜひご一緒にお越しください。

いつもブログにあほなことばかり書いているあのニシカワが・・・・・・! というギャップをお楽しみいただくべく、心をこめて準備しました、はい。

台風18号の暴風が吹き荒れるなか、北アルプスの稜線を歩いていたときも、よろめきながら、生きてもどれなかったら、だれが僕の代わりにしゃべるんだろう? なんてちらちら考えていました。この講演会で話す内容をメモするノートまでリュックに入れてたんです! そしたら暴風雨でびしょぬれになってしまったんです! とほほ。

それでは斎戒沐浴してお待ちしております。

2014年10月13日 (月)

国語教育講演会の告知その1

つい先だっても書きましたが、どの本をザックに入れて山に登るかは、きわめて重要かつデリケートな問題です。8月は白川静先生の『孔子伝』で、これはすごく良かった。で、このたびは熟考のすえ思いきって宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)をザックに放りこみました。ちなみに他の候補は、ミルチャ・エリアーデ『世界宗教史』、マイスター・エックハルト『神の慰めの書』、キルケゴール『イエスの招き』、ルドルフ・オットー『聖なるもの』といったあたりだったんですが、・・・・・・何か偏ってますね。まるでクリスチャンみたいです。でもちがいます。大学生のときに、哲学科で宗教学宗教史を専攻していたからです。大学生のときにろくすっぽ勉強しなかった呪いでしょうか、この歳になって妙にそういう本を手元に置いておきたくなります。

宗教学を専攻していた、というと、あまりご存じでない方は、当方が何らかの信仰を持っているのではないかと思われるようです。もちろん、そういう学生ないし研究者もいらっしゃいました。クリスチャンで神学を勉強している人もいたし、お寺の息子さんもいました。でも、だいたいは無宗教の人が多かったような気がします。ちなみに、僕は、『サンタマリアガーデン』という幼稚園に半年ほど通っていたので、キリスト教に対して、うまく言えませんが、何とはなしにこだわりがありました。それで、当時、「宗教学実習」という講座があり(実習!)、キリスト教班に配属されました。この謎の講座は何をするかというと、イモリの黒焼きやマンドラゴラを用意して怪しげな儀式を執り行うとかいうことではなく、先輩とコンビを組んで仙台市内の宗教施設をまわりアンケートをとってくるんです。僕を指導してくれたのはアンチ・キリストを標榜する、キルケゴールの研究をしていた院生でしたが、彼がどういうわけか「西川がいるあいだに、あやしげなところにはすべて行くぜ」と力強く宣言し、なぜか僕たちはふつうのカトリックとかプロテスタントの教会ではなく、ちょっと変わった、マイノリティ系のキリスト教系施設をひたすらまわりまくりました。しかし、なぜ「西川のいるあいだに」なんでしょうか? 僕はいったいどんな人間だと思われたんでしょう? でも、ある日しみじみ先輩は言いました。「お前ほど人見知りするやつを俺は見たことがない」

そうなんです。僕はものすごい人見知りなんです。今でこそ、説明会などにおいでくださった方に対して、顔面の筋肉をしかるべき方法で緊張させることによってそれなりに笑顔らしきものを見せることもできるようになりましたが、当時は教会にアポをとって訪れてもにこりともせず、こわばった表情でぶすっと話を聞くという、向こうからすれば「何しに来たんだお前は」的な若造だったわけです。今でも基本的な性格は変わっていませんので、はじめての授業、はじめての懇談のときは緊張で頭がぐらぐらしています。べつに悪意があるわけではありません。ほんとうにただただ緊張しているだけです。

ところで、宮本常一『忘れられた日本人』です。どんな本かというと、

「日本全国をくまなく歩き,各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907-81)が,辺境の地で黙々と生きてきた古老たちの存在を生き生きと描き,歴史の舞台に浮かび上がらせた宮本民俗学の代表作.」

というものです。これ、良かったです。明治から昭和前期にかけての山村や小さな漁村の生活のようすがありありと思い描けて、下手なファンタジーなんか及びもつきません。登場するすべての古老たちが、テレビ番組に出てくるコメンテーターなんかとは格が違います。橋の下に住む盲目の老人が、自分の半生について語ったあとで、こう言います。「女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがる者がめったにないけえのう。」

感動的じゃないですか? 僕は昔からわりとお年寄りの話を聞くのが好きなので、実にはまりました。山で読むのにぴったり、我ながら良い選択でした。しかも、ちょうど帰りの深夜バスのなかで読み終わりました。

あほなことを言うようですが、やはり名作と言われているものには名作が多いです。今年リニューアルしている小5ベーシック国語のテキストにも、「トレーニング」の各ナンバーの後ろに『ちょっと古い名作』を掲載しています。

第1分冊は太宰治の『畜犬談』でした。太宰治というと、『人間失格』のイメージで、なんだかやりきれないぐらい暗い、とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう方はぜひご一読ください。「さわやか」とまではいきませんが、なかなか悪くない読後感です。ずっと以前にも紹介したことがあるかもしれません。太宰治でお勧めは『畜犬談』『黄金風景』『駆け込み訴え』『竹青』『清貧譚』といったあたりでしょうか。『黄金風景』は選択肢の鬱陶しい問題と化してテキストに載っています。

第2分冊には森鷗外の『山椒大夫』を掲載しました。僕はこの話が大好きで、埴谷雄高の『死霊』という小説に出てくる「安寿子」(地味だけどとても魅力的なキャラクターです)は『山椒大夫』の「安寿」と関係あるのかなあなんてぼんやり思っていました。

第3分冊はなんと、『野菊の墓』伊藤左千夫でした。私の世代の人であれば、当時(?年前)人気絶頂であった松田聖子が主演した映画のことを覚えていらっしゃるかもしれません。私はべつに松田聖子ファンではなかったので見に行きませんでしたが、「おでこを出した聖子ちゃんがあんなに××だったとは・・・・・・!」と衝撃を受けたファンが多数いたのを覚えています。それ以来、おでこを出しても綺麗な人こそがほんとうの美人なのだな、という固定観念ができあがってしまいました。

あのころはアイドル全盛期でしたが、アイドルというものにまったく興味がありませんでした。中学生のときにいちばん好きだったのは古手川祐子さんで、高校生のころいちばん好きだったのは戸川純ちゃんでした。大学生のときにレオス・カラックスの『汚れた血』という映画を観て、ジュリエット・ビノシュのあまりの綺麗さに一時的に錯乱して「ふ、ふらんすへ行きたしと思へども金はなし」などと口走っていましたが、じきにおさまりました。

『野菊の墓』をとおして読んだことがおありの方はあまりいらっしゃらないのではないかと思います。はっきり言って、すごくシンプルな話です。でも、そこはそれ、やはり名作。なんだかわからないけど、じーんとくるものがあります。ラストの文句も、ふつうといえばふつうですが、しみじみ良い感じがします。

中学生の頃でしたか、名作のラストがどうなっているのかということばかり調べたことがあります。その大半はもうわすれてしまいましたが、たとえばあの『吾輩は猫である』のラストは、

「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」です。

『坊っちゃん』は
「だから清の墓は小日向こびなたの養源寺にある。」ですね。このラストもしみじみします。

映画もラストシーンが何と言ってもやはり心に残ります。いちばんびっくりしたラストシーンは、アラン・パーカー監督の『バーディ』でしょうか。ここに紹介できないのが残念ですが(紹介しても何が良いのかさっぱりわからないでしょうから)、とにかくびっくりしましたし、感動しました。もしも観たことがある、という人がいらっしゃったら、ぜひあのラストについて語り合いたいです。

最もラストシーンの悲痛なものと言われればやはりアンリ・コルピ監督の『かくも長き不在』ですか。誰も死なないエンディングにもかかわらずのあの痛ましさ。いつまでも心に残るラストです。これは昔、だらだらと過ごしていたお昼にふとテレビをつけたら放映されていたんです。ほんとうに良い映画というのは、何気なく見たその瞬間に惹きつけられ、目が離せなくなってしまうことがありますね。そのときも、べつに観る気なんかなかったんですが、目が離せなくなってずっと最後まで観てしまいました。そういうことがたまにあります。『シェーン』もそうでした。なんだ、この西部劇は?と思ってしばらく見ていたらもう目が離せなくなり、とちゅうで、「お、これはあの有名な『シェーン』なんじゃないか」と気づき、そして最後まで観てしまいました。『天井桟敷の人々』も同様です。「なんだかわからないけど古い映画だのう」と思い、チャンネル変える気まんまんで、リモコン持ったまま最後まで観てしまいました。めっちゃ長い映画だったんですが。

さて、実に今、私は困っておりまして、何に困っているかというと、こうして書いてきた文章が『国語教育講演会の告知』にまったくつながっていかないという点なのであります。適当に書いてればそのうちなんとかなるさ、と高をくくって書き始めたところ、まったくつながらないという想像もしなかった事態に陥ってしまいました。すなわち、今月の下旬、『国語の学び方・教え方の秘訣』という題でいわゆる教育講演会を実施するので、その告知活動を行いたかったんですが、どういうわけか、全然そこに話がつながっていかないという、いけてない事態なわけです。

そこで例によって例のごとく無理矢理告知します。

標記の教育講演会を、西北と四条と谷九で実施します。谷九会場については、すでに定員をオーバーしたとかで、西北会場に行っていただくか、キャンセルを待っていただくかという状態になっているようです。なんだかすごい勢いで申込みをいただいているそうで、人見知りの私はかなり及び腰というか逃げ腰になっていますが、小心ゆえの完璧さ、をご覧いただく所存であります。

ぜひぜひ他塾とくらべてください。

2014年9月14日 (日)

合宿の話をしたかったんですが・・・・・・

ご存じの方が多いと思いますが、この夏休み、希学園の灘コースはついに「合宿」を敢行いたしました。南港だったかどこだったか忘れましたが、いかにも埋め立て地らしい殺風景な街の何とかいう研修施設で、2泊3日でした。しかし、自分で言うのも何ですが、まだ一カ月しか経っていないのにこの忘れっぷりがすごいですね。僕はほんとうに記憶力が良くなくて、過ぎ去ったことはあっというまに次々と忘れてしまいます。高校のときの同級生の名前なんかもうまるっきりですね。会わなくなったらすぐ忘れます。はずかしいです。たまに、卒塾生に話しかけられることがありますが、何となく顔に見覚えがあっても名前はまったく出てこず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

「先生、おひさしぶりです。おぼえてますか」

「お、おお、きみは、そう、たしかに、みおぼえがあるよ、うん、そうそう」

などと言いつつ、うつろな目になってしまいます。

というわけで、合宿の報告をせねばと思いつつ、一カ月も経過してしまったために、何を報告したらいいものやら、もはやあまり思い出せないという情けない事態に陥りつつあります。

でも、とにかく、彼らはがんばっていました! 走り回っていました!

何を走り回っていたかというと、いわゆる「スパルタ」と呼ばれる形式の演習です。プリントを一枚仕上げたら、講師のところに持って行って採点してもらいます。全問正解したら次のプリントに進めますが、1問でもまちがえていたら、次には進めません。席にもどって考え直しです。解説もヒントもなしです。早く仕上げて先に進みたいので、みんなすごい勢いでプリントを手に講師のところへ突進してくるわけです。いつもスローライフを満喫しているのんびりした子も血相を変えて走り回っておりなかなかの壮観でした。もはやスポーツの領域と申しても過言ではない、というとやはり言い過ぎかもしれませんが、とにかく私も目をみはる勢いでした。

保護者の方にいちばん見せたかったのはあの走り回る姿です。だらだらしている姿を見なれているお家の方も、あれを見ると瞠目されたんじゃないかなと思います。

僕にとって合宿といえば、高校生のときの部活の合宿ですね。演劇部にいたんです。ひや~はずかしい。で、高校1年のときは、男子部員が僕だけでした。ひや~。合宿でどんな稽古をしたかなんてまったく覚えておりませんが、なぜか僕も大部屋で女の子たちといっしょに就寝したことは記憶に新しいです。花のようにかわいらしい先輩が、横ですごい寝相でのたうち回っていたのが印象的でした。2年生のときには男子の後輩ができましたが、なんだか空気読めない感じの理系っぽい子で同学年の女子たちと折り合いが悪く、よくわからないうちに間にはさまれてしまった僕はよく右往左往しておりました。この年の合宿では、OBの先輩に、きみは水太りだから水を飲むなと言われ、がんばって飲まないでいたら体調が悪くなり、こりゃあかんと思って水分をとったら深夜に大量に嘔吐するという悲惨な事態になりました。この合宿から帰った翌日に友人たちと対馬にテントを背負って行く予定だったのですが、家でリュックに荷物を詰めているときに、またしてもいきなり嘔吐してしまい、出発を1日延長してもらいました。1年目の合宿とくらべると、天国と地獄でした。

大学では「文化ゼミナール」といういかがわしい名前の自主ゼミのサークルにいたんですが、合宿というか、大学の研究施設に泊まって勉強会をやったりしました。勉強会のあと、みんなで「大貧民」というカードゲームをやるんですが、なんせ「資本論」を読んでいるメンバーなので、これが実に盛り上がります。あのゲームは「大富豪>小富豪>平民>貧民>ど貧民」というような分け方をしていたと思いますが、われわれがやるときには「ブルジョワ>プチブル>プロレタリアート>ルンペンプロレタリアート」というような分け方をし、かつ、身分が下の者は上の者に対して敬語を使わねばならず、上の者は下の者にどれだけえらそうにしてもよいというルールでした。僕がブルジョワになったときのえらそばり方が、シャレですまないくらい腹立たしかったみたいで、みんな何だか打倒ニシカワでえらく燃えていましたね。楽しかったなあ。

でも合宿って楽しいですね。自分を追い込むのって、ある意味リフレッシュになるような気がします。リフレッシュするにはいったん死なないといけないんじゃないかと思うんですが、自分を追い込むことにはそういう意味があるような気がします。ほんとうにへとへとになるまでやる。もうこれ以上できないようという限界までやってみることに意味があるんじゃないでしょうか。

山登りに行くのもそんな感じです。死にに行くといいますか、ほんとには死ねないので、擬似的に死ぬというか、ちょっと死をイメージするところまで自分を追い込むとリフレッシュできるというような、そういうことを求めている感じです。だから、もうとことん疲れるまで歩くとか、ちょっと怖い思いをするとか、そういう経験ができないと山に行っても物足りないです。

でもあんまり怖いと、何やってるんだろう俺、って思います。だいたいからしてひどい怖がりですからね。高いところも暗いところもスピードのあるものも全部ダメです。ついでに回るものもダメなので、もう遊園地なんか行っても何も楽しくない。ゲームセンターでコイン落としするだけです。

先日剱岳に行ったときは、いろいろ準備不足が露呈して、そのせいでだいぶドキドキしました。

北方稜線という、あまり人が来ないルートから登ったんですが、その前夜、山小屋に泊まっていると、おばちゃんたちを連れた登山ガイドと山小屋の主人がずっと話をしてるんですね。何をしゃべっているかというと、いまどきの安易な山登りの危険性について憤慨し糾弾しているわけです。

「4本爪のアイゼンなんて、おもちゃといっしょですよ、あんなもの何の役にも立たない」

「そうだよ、そのとおり」

「××なんて雑誌があおるから、素人があんなおもちゃを持って雪渓を登りにやってくる、とても危険です」

「そうだよね」

北方稜線に二カ所ほどあるかなり急な斜度の雪渓をトラバースするために「4本爪アイゼン」を持ってきていた僕はふとんの中で脂汗です。そ、そんなやばかったっけな、あの雪渓。去年あそこを通ったときも俺4本爪だったけど・・・・・・いや、12本だっけ? 結構怖かったのは確かだけど、どっちだっけ? 確か4本だったよな、だから大丈夫だよな。いや、待てよ、去年は10月のはじめだったから、今よりかなり雪はとけていたはずだ、明日は去年よりも雪が多いにちがいない、ということは、雪渓の距離も長く斜度も急なのでは? やばい? 俺やばい?

結論としては、去年よりも雪が少なくて全然怖くなかったんですけど、前夜は相当びびってました。びびりなので。でも、これがリフレッシュにつながるんです! 2月の八ヶ岳のテント場で寒くて体が硬直したとか、笠ヶ岳でシャリバテになって動けなくなったとか、ヒグマに遭ったけど、見つめられただけで追いかけられずに済んだとか、ツキノワグマに遭ったけど、向こうが逃げてくれたとか、新雪の積もった山中を十時間彷徨したとか、そういうことがリフレッシュのためには必要なんです!

今回の灘コース合宿の目的は、「死ぬほど勉強したけど、死なないもんだなあ」「やろうと思えばあそこまで追い込めるものなんだなあ」ということを感じてもらうことだったんですけれど、まだあの感じを彼らは覚えてくれているでしょうか。

2014年9月 4日 (木)

山に持ってく本

山にどんな本を持って行くか? これは非常にデリケートかつ重大な問題であります。

読み始めたが最後もう目が離せなくなって読み終わるまで眠れない、というような本はダメです。山登りのときは早出早着が原則なので、だいたい18時か19時には眠り、午前3時頃起きてごそごそしはじめ、まだ暗いうちに出発するものなんです。遅くとも15時までには山小屋あるいはテント場に到着せねばなりません。だから、夜更かしして睡眠不足になりかねない本はいけません。そもそも僕は山に4泊ぐらいすることが多いので、1日目で読み終わってしまったら困ります。

以前、冬の比良(滋賀の湖西にある山系です)に登ったとき、ポール・オースターの何だったかな、『孤独の発明』だったか『ミスター・ヴァーティゴ』だったか持って行ったらおもしろくておもしろくて全然眠れず、次の日しんどかったおぼえがあります。ああいうのはいけません。

かといって、つまらない本は持って行く意味がない。結局読まないから。

怖い本もダメです。怖がりだから。昔、山ではありませんが、旅行に(前職を辞めたときに、ウイグル、つまりシルクロード方面に行ったんです)島田荘司の『暗闇坂の人食いの木』を持って行ったら怖くて怖くて、ホテルの部屋でひとり眠るのが苦痛でした。それでバーでお酒ばかり飲んでいました。恥ずかしながら、高いところだけじゃなくてオカルト系も苦手です。大学生の頃、お化け屋敷に入ってパニックを起こしたことがありますからね。

ウイグルには2週間近く滞在したので、他の本も用意してました。『暗闇坂の人食いの木』とはえらいちがいますが、旧約聖書の『ヨブ記』を携帯しておりました。でも、バスや列車に乗って『ヨブ記』をひらくと、すぐに眠くなりました。おもしろくないわけじゃないんですけど、

この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、「無知の言葉をもって、 神の計りごとを暗くするこの者はだれか。あなたは腰に帯して、男らしくせよ。 わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。 もしあなたが知っているなら言え。 あなたがもし知っているなら、 だれがその度量を定めたか。 だれが測りなわを地の上に張ったか。 その土台は何の上に置かれたか。 その隅の石はだれがすえたか。 かの時には明けの星は相共に歌い、 神の子たちはみな喜び呼ばわった。海の水が流れいで、胎内からわき出たとき、 だれが戸をもって、これを閉じこめたか。・・・・・・・・」

てな感じでずっと続くわけです。これは、ヨブを襲った不幸に関連して、ヨブと友人たちが議論をしていると神の声がヨブたちを糾弾する、というかっこいい場面なんですけど、でも、ずっとこの調子でつづくと、ヨブには申し訳ないけどどうしても眠くなります。

そういえば、カシュガルでバスを待っていたら、白人の若い女性がヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』を読んでいて何だか格好良かったな~。すげえ、洋書読んでる、みたいな。

ヨブ記の良いところは、薄いところですね。ズボンの尻ポッケにすっと入ります。大学時代、寮で一緒だったTくんは、「旅に出るときは、文庫本を半分にちぎってポケットに入れて持って行くよ」なんて言ってました。「残りの半分はどうするんだい?」

「次の旅に持って行くのさ」

気障なやつでした。

さて。先日、またしても山登りに行ってしまった私ですが、このときの本の選択は、考えに考え抜いたあげく、白川静の『孔子伝』! これが大正解でした。適度におもしろく、適度に眠い!分量的にもちょうど良く、帰阪した翌日にちょうど読み終わるというジャストフィットぶり。『孔子伝』は、酒見賢一さんの超絶おもしろい『陋巷にあり』という長編小説の世界観に多大な影響をあたえた本でありまして、『陋巷にあり』にかつてめちゃくちゃはまっていた僕にはうってつけでした。この小説は、孔子とその弟子の顔回(「一を聞いて十を知る」と言われた俊秀ですね)が主人公のファンタジー歴史小説とでもいった趣の話なんですが、13巻まであって、読み応えも十分です。受験生諸君は中学生になったらぜひ読んでほしいですね。文庫本も出ています。でも山に持って行ったらダメですね。眠れません。

今回行った山は、なんと、またしても剱岳であります。もう4回目です。剱岳と富山が大好きです。しかし、山登りあるいは心から愛する富山市新富町のことを書いている時間的余裕はなくなってしまいました。この話はまた今度にしましょう。っていうか、その前に、灘コースの合宿について書こうと思っていたんですけど、なかなか・・・・・・。

すべてはまた今度!

 

2014年8月24日 (日)

あれはオレ

「ジャイケルマクソン」とか「けつだいらまん」などの言い間違いはスプーナリズムと名付けられています。「なつはあついなー」が「あつはなついなー」になるというやつですね。「オジョギリダー」とか、「バイアントじゃば」なんてのもありました。一語の中でのひっくり返りは「おじゃまたくし」とか「とうもころし」とか、「ブロッコリー」が「ブッコロリー」になったりするのがあります。でも、和歌山で「からだ」が「かだら」になるのは、順序のひっくり返りではなく、「ら」が「だ」に、「だ」が「ら」に置換されたということでしょうか。紀州弁の「かだら」はスプーナーさんのミスとはちがうようですね。

紀州弁になると関西弁というよりも、対岸四国のことばに近いのかもしれません。紀州弁にも土佐弁にも敬語がないという共通点があると言います。司馬遼太郎がそのことに触れていたのはなんという本だったか、「街道をゆく」だったかもしれませんが、自由民権運動との結びつきで説明していたと思います。自由民権運動が起こった背景には、敬語がないという土壌があるのではないか、敬語がないのは、平等という感覚が元になっているのではないか、というような…。「串本の町長やけんど、やにこうええさけ、いっぺん見んに来てくらんしよ」と町おこしのCMをやってましたが、いかにも和歌山でした。

土地土地の気風を表すことばに「近江泥棒伊勢乞食」という、テレビではNGになりそうなものがあります。「昔から、こういうことを言いますな」とか言いながら米朝さんがこういうことわざを挙げるんですが、たまに、「言いますな、と言うても実際にはこんなことば、聞いたことおまへん。私も落語ではじめて知りました」と言うこともありました。古いことばは落語に残ってるんですね。「宵越しの銭は持たない」と偉そうに言う江戸っ子は、実は「宵越しの銭は持てない」。要するに稼ぎがない。それに比べて、近江商人や伊勢商人が江戸の町で幅をきかせているのがしゃくだったのでしょう。「伊勢屋稲荷に犬の糞」という、江戸の名物を表すことばもあります。「乞食」はきつすぎることばで、伊勢屋と名乗る伊勢出身者には、倹約家が多かったのでしょう。「近江泥棒」というのも、近江の人は金銭勘定がうまいということでしょう。近江は昔から商才に長けた人物が出るようで、豊臣秀吉が近江長浜時代に新規に召し抱えた石田三成などの武将でも実務系ですね。他にも長束正家や大谷吉継、片桐且元、藤堂高虎、宮部継潤など、信長の野望のパラメータでは武力・統率系の数値が低そうです。黒田官兵衛の家ももともとは近江出身だったはずです。蒲生氏郷なんて、近江日野出身で、近江商人を作ったと言ってもよく、しかもそのあと、伊勢松阪に行っていますから、伊勢商人の生みの親でもあります。三越の三井高利も伊勢出身ですね。

大阪は「食い倒れ」と言います。「まゆげボーン」のおかあちゃんで有名な「くいだおれ太郎」の名前の元になった「食い倒れ」というのは、食中毒で倒れることでもないし、「行き倒れ」ともちがいます。飲み食いに金をかけすぎて貧乏になる、ということですね。ほかの土地では「京都の着倒れ」「神戸の履き倒れ」「江戸の飲み倒れ」というのもあります。江戸の人は灘の酒を取り寄せたのでしょうか。じつは、これらのことばの間で地名はいろいろ入れ替わったりするようですが。そういえば、「伊勢の系図倒れ」というのもある、とやっぱり司馬遼太郎が短編小説で書いてました。「美濃浪人」とかいうタイトルだったと思います。読んだのは四十年ぐらい前なのに覚えているのは、ちょっと嘘くさいなと思ったからかもしれませんが、刀狩りで農民になった美濃の有力者が、もともとは武士だったことを誇るために系図をかざりたてたとか。ニセ系図づくりを職業とする人もいたそうです。徳川家康にしても、むりやり源氏に結びつけるために系図を作ったと言われています。新田氏の一族の得川という家の子孫だということにして、源氏だから征夷大将軍になれると主張したらしい。

たしかに先祖に有名人がいるとうれしいでしょうね。織田信成は自称だけで根拠がなかったのかなあ。吉川晃司が吉川元春の子孫というのもよく言われていますが、どうでしょうか。加山雄三のところが岩倉具視というのはけっこう有名のようです。サンドウィッチマンの伊達は伊達の一族であることは確かなようですね。クリス・ペプラーが明智光秀の子孫、というのもどこかで読んだことがあります。「えっ、なんで」と思いますが、母方の先祖ということでしょう。セイン・カミュは最近あまり見なくなりましたが、アルベール・カミュが大叔父さんですね。藤原定家の直系の子孫なんて家もありますが、こんなのは誇らしいけど、先祖が石川五右衛門では誇れない。

大河ドラマの「黒田官兵衛」では黒田家の主君を片岡鶴太郎がやっていました。「ここが思案のしどころよのう」と鼻の頭を真っ赤にして言っていましたが、あれは「仁義なき戦い」の金子信雄へのオマージュなんですね。鶴ちゃんはよく金子信雄のものまねをやっていました。菅原文太に言う「わしゃあオマエだけが頼りじゃ」 という台詞が、そのまま「黒田官兵衛」でも使われてました。とにかく、ころころ方針を変える「バカ殿」でしたが、子孫が見てたらいやだろうなあ。蜂須賀侯爵が参内して応接室で待っているとき、テーブルの上にあった葉巻を一本ポケットに入れたところ、明治天皇がそれに気づいて、「先祖は争えんのう」と言った、という話も司馬遼太郎でしたか。先祖の蜂須賀小六が野武士あがりで、盗賊同然と思われていたからでしょう。蜂須賀家は歴史学者に頼んで、小六が盗賊ではないことを立証してもらったとか。「龍馬伝」のときの岩崎弥太郎にしても、あの汚らしさは岩崎家にとっては愉快ではなかったでしょう。

ドラマの場合はかたき役とか悪役がどうしても必要になるので、やむをえないでしょうが、古い時代ならともかく、比較的新しい時代をあつかったものになると、問題がありそうです。「坂の上の雲」でも、まぬけっぽく描かれていた将官の子孫はむかつきながら見ていたかもしれません。太平洋戦争を描いたドラマでは当然、東条英機が出てきますが、家庭人としての優しさなどは描かれるはずがありません。麻生太郎さんの祖父は吉田茂ですが、祖母の父親は牧野伸顕で大久保利通の息子ですから、麻生さんは大久保の血もひいていることになります。渡辺謙が吉田茂をやったNHKのドラマで、吉田茂の孫が走り回っていましたが、麻生さんはあれを見て「オレやがな」と思ったのかなあ。

2014年7月27日 (日)

けつねうろん

自分のことを「ワシ」と言うのは、スポーツ選手、それも関西系の野球選手に多いようです。なぜか清原は「ワシ」のイメージです。実際に「ワシ」と言っているのを聞いた記憶はあまりないのですが、記事になると「ワシ」と言っています。その昔の大投手、金田正一さんは、たしかに「ワシ」と言っていました。その「伝統」があって、記者が勝手にイメージをつくって書いているような気もします。清原が「ワシ」で桑田が「ぼく」と区別されているのは、「差別」なのかなあ。

「ワシ」というのは、なんとなく年寄りくさいイメージがあり、子どもが使うと抵抗があります。幼稚園児が「なんじゃ、ワシのことか」とか言ったりすると、なんだかなあ。女性語としても違和感がありますね。でも、「おまえ百までわしゃ九十九まで」というのは、「おまえ」は夫、「わし」は妻です。「おまえ」は本来敬語なので、妻が夫を呼ぶときのことばのはずです。女の人だって、「ワシ」と言ってもよいのですね。そういえば、北林谷栄という女優は若いころから老け役をよくやっていましたが、信州のおばあちゃんを演じたときなど、自分のことを「おれ」と言ってましたね、「おら」ではなく。それが非常にリアルでした。「おれ」は男女ともに使われるんですね。「おれ」に謙譲のニュアンスを持つ「ら」がついて「おれら」になり、「おいら」とか「おら」に変化していったのでしょう。

外国の小説を翻訳する場合、「おれ」「ぼく」「わたし」のどれにするのか、決める基準は何なのでしょうか。たまにチャンドラーが読みたくなることがあります。べつに「チャンドラリアン」ではないのですが。乾いた文体が心地よいのですが、訳者によって多少のちがいが出てきます。村上春樹はさすがに読みやすい。軽い感じです。で、フィリップ・マーロウの一人称は「わたし」と訳していますね。同じハードボイルドでも、ハメットのサム・スペードは「わたし」という感じではないような気がします。なんとなく「おれ」が似つかわしい。マーロウのほうが、情的なので「わたし」という言い方が合うのでしょうか。でも、原文ではどちらも「I」で、区別がつきません。

日本の小説でよく出てくる「心中」ということばも英訳できないようです。強いて言えば「ダブル・スーサイド」となって、直訳すれば「二重自殺」です。だいたい、「イエス」が「はい」で「ノー」が「いいえ」だというのも、まちがいなのですね。「あなたは…しますか」で「ノー」と言えば、「いいえ、しません」ですが、「あなたは…しませんか」で「ノー」と言うと「はい、しません」になるのですから。「book」と「本」が対応するわけでもありません。「book」にある、「切符などの一つづり」という意味が「本」にはありません。

同じことは、日本語の中の方言でも言えそうです。関西弁の「しんどい」は「疲れる」とイコールではなく、「骨が折れる」「大変だ」のニュアンスが含まれます。「あー、しんど」は「ああ、疲れちゃった」でもそれほど変わりませんか、「きみが灘受けるんか、そらしんどいな」は「疲れちゃった」ではありません。京都と大阪でも「しんどい」の意味は微妙にちがうかもしれません。そもそも関西弁とか東北弁とか、まとめて言うことがありますが、大阪弁と京都弁ではあきらかにちがいます。最近は使わなくなりつつあるようですが、京都と言えば文末の「どす」が有名です。「これ、何どすか」と刀を指さすと、「ドスどす」という、わけのわからん答えが返ってきますね。大阪は「だす」でしょうか。地域気象観測システムは「アメダス」と言いますが、天気予報で「アメダスによりますと…」と言ったところ、「大阪弁で言うな」と文句が来たとか。大阪では「アメダス」でも、京都では「アメドス」と言います、と言ったら信じる人がいるかもしれません。

「来ない」は大阪では「けえへん」と言う人が多かったように思いますが、京都では「きやへん」または「きいひん」でしょうか。「きやへん」の方が古いことばかもしれません。「行かない」も京都では「行かへん」、大阪では「行けへん」と言ったような気がします。「できる」なら、京都は「できひん」、大阪は「でけへん」でしょう。どうも、京都では打ち消しの「へん」の前がイ段になると「ひん」に変化するようですね。京都の塾生のお母さんと話していると、やたら「はる」を使います。「うちの子、よう勉強しはるんです」とか、「道に犬のうんこさん、落ちてはる」とか。大阪では尊敬語のニュアンスですが、京都では丁寧語なんですかね。まさか「犬のうんこさん」を尊敬してないでしょう。まあ、「さん」をつけてる時点で、すごいなあと思いますが。むかし、三宮教室では「何しとん」と言っている子がいました。神戸と言うか、播州弁ですかね。同じ希の塾生でも、微妙にことばの感じがちがうのがおもしろい。

各地の方言のちがいを表すことばに、「なにわの葦も伊勢の浜荻」というのがありました。室町時代初期の連歌集『菟玖波集』の「草の名も所によりて変わるなり難波の葦は伊勢の浜荻」から出たことばなので、相当古いことわざです。私は小学生のころ聞いた桂米朝さんの落語で知りました。同じ落語で「長崎ばってん江戸べらぼう神戸兵庫のなんぞいやついでに丹波のいも訛り」なんてことばも紹介してくれます。「神戸のことばは日本一きたない」てなことを言うんですね。たしかに「なんぞいや」だものなあ。しかも、実際には「なんどいや」という発音になります。播州弁はザ行がダ行になってしまうんですね。織田作之助の「夫婦ぜんざい」を播州の人が発音すると「でんだい」になります。神戸のあたりは、ほんとうは播磨ではなく摂津ですが、神戸の西のほうに昔から住んでいる人は、そういう発音になるそうです。「どうどうをどうきんでふいてもでんでんきれいにならん」というのは「銅像を雑巾でふいても全然きれいにならん」の意味ですね。大河ドラマの黒田官兵衛もきっとそういう発音だったのでしょうな。

コテコテの大阪人はダ行がラ行になり、「淀川の水」が「よろがわのみる」になったらしいので、播州から摂河泉三国、紀州にかけてはザ行・ダ行・ラ行がいいかげんだったのでしょう。親戚の神戸のおばちゃんは「のど」のことを「のぞ」と言っていましたし、和歌山のおっちゃんは、座布団を「だぶとん」と言い、いっしょに風呂にはいったときは「かだら洗うちゃろか」と言ってました。なんだか石けんを「まだら」につけられそうでした。

2014年5月11日 (日)

クイントリックス

山下を勝手に「アンダーマウンテン」としてはいけないように、英語にできないことばというものがあります。日本にはあっても、英米にはないものは英語に訳すことはできません。「すし」「てんぷら」「やくざ」「過労死」などは、そのままで言うしかないようですし、「相撲」も同様です。ただ、力士は「スモウ・レスラー」になるそうで、「上手投げ」とか「うっちゃり」なども英語に直すことは不可能ではないでしょう。でも、日本語のだじゃれの英訳は無理ですね。「となりに囲いができたね」「へい」とか「となりに囲いができたね」「かっこいいー」とか、「おかあちゃん、パンツ破れたよー」「またかい」というのは日本語でしか味わえません。

金田一春彦が書いていましたが、「間が悪い」というのも、訳せないようです。そういう状態になることはあっても、「間が悪い」という心理になることはないのですな、英米人は。いったん家を出たときに、掃除をしていた近所の奥さんと出会ったあと、忘れ物に気づいて家に帰ろうとすると、奥さんは表に出ていなかった。忘れ物をとって再び外へ出たら、またもや奥さんがいて妙な顔をしている。つまり家から二回出てくる金田一さんを目撃したわけですから、混乱しているのですね。事情を説明するのも変だし、こういうとき、日本人は「間が悪いなあ」と思います。ところが、アメリカ人は、「あなたは先ほど私のふたごの兄弟が出て行ったのを見ましたか」と言うのだそうです。でも、それは日本人には無理だろうし、言われたほうも困るだろうなあと金田一さんは言っています。アメリカ人なら、「いいえ、さっき庭を掃いていたのは私のふたごの姉妹ですから」と言うのでしょうな。

春期講習のテキストで、ムハマッド・ライースさんの『日本語のここが難しい』という文章をとりあげましたが、その中で、男女でことばがちがうというのがありました。「…だぜ」というと男だし、「…だわ」というと女だ、という時代がありました。いまや、そんなことはなくなってしまい、声を聞くのならともかく、書かれてしまったら、まったく区別できません。「あら、そんなことはなくってよ」なんて言う女の人は現実には存在しないでしょう。ただし、小説の世界ではまだある程度残っているようです。そうしないと、だれの会話か区別できないのですね。これも金田一さんが書いていたと思うのですが、『金色夜叉』でダイヤモンドを見た人たちが口々に「ダイヤモンドだ」という場面があります。「ダイヤモンドだ」「ダイヤモンドよ」など、文末のちょっとした違いで男女どちらの会話かわかるのですが、英訳すれば全部同じになってしまいます。

方言も英語には直しにくいのでしょうね。外国語にも方言があるはずで、英語と米語のちがいも方言と言ってよいかもしれませんが、同じイギリスでも地方によって訛りがあるようです。よくネイティブの英語とか言いますが、ひょっとしてイギリスの大阪弁をしゃべっている人かもしれません。というより、日本語の共通語にあたるものがあるのでしょうか。日本人が学校で教えられているのは、イギリスのどの地方、あるいはどの階層のことばなのでしょうか。いわゆるキングス・イングリッシュとかクイーンズ・イングリッシュと呼ばれているものでしょうね。日本で言えばNHKで使うことばが「共通語」であるように、BBCで使うことばが共通語というイメージなのでしょう。でも、スコットランド方言とか、リバプール訛りとかマンチェスター訛りとかあるはずで、だいたいロンドンの下町っ子のことばなんて、江戸っ子のことばと同じでしょう。コックニーというやつですね。「エイ」が「アイ」になり、「H」の音が落ちてハヒフヘホがアイウエオになるというのが有名です。

『マイ・フェア・レディ』で、ヒギンズ教授がイライザに教えたのは「ザ・レイン・イン・スペイン・ステイズ・メインリー・イン・ザ・プレイン」と「イン・ハートフォード・ヘリフォード・アンド・ハンプシャー・ハリケーンズ・ハードリー・ハプン」という文でした。イライザの発音では「ザ・ライン・イン・スパイン・スタイズ・マインリー・イン・ザ・プライン」「イン・アートフォード・エリフォード・アンド・アンプシャー・アリケーンズ・アードリー・アプン」になる、という有名な場面です。うまく発音できるようになると、なぜか唐突に歌い踊り出します。あのミュージカルというのは、どうもなじめません。日本にも、浪曲という一人ミュージカルがあることはあるのですが、語りから曲への移り変わりがまだ自然なので許せます。いきなり激しく歌い出すのは抵抗が強い、とタモリも言っていましたね。

話がそれはじめているので英語の訛りに話をもどすと、インド人の英語もシンガポールの英語も相当訛っています。シンガポール訛りの英語はシングリッシュと呼ばれるぐらいですが、ドイツ人だってフランス人だって、多少は訛るのでしょう。日本人が「ネイティブ」のように話せないのは当然ですよね。竹村健一という評論家がいましたが、あの人の英語もすごかったなあ。「だいたいやねぇ」から始まって、相当きつい関西訛りでしゃべる人です。「ぼくなんか、これだけですよ、これだけ」と言って、手帳のCMをやってましたが、あの人の英語も関西弁アクセントになってました。でも、通じているのですね。考えたら、外国人が多少変なアクセントで日本語をしゃべっても通じるのだから、「ホッタイモイジクルナ」が通じるのも当然でしょう。

映画で明らかにテキサス訛りでしゃべっているとき、字幕も「田舎風」のことばになっています。第一人称として「I」と言っているのに、字幕ではなぜか「おら」になっています。あれは方言というより「役割語」ですね。だいぶ前の朝日新聞にオリンピックの陸上のボルト選手と水泳のフェルペス選手のインタビューの比較について、興味深いことが書かれていました。ボルト選手は「オレ」で、フェルペスは「僕」と翻訳されているというのですね。「野性的」な感じと「知性的」な感じの対比でしょうか。それとも、黒人と白人の対比? こういう使い方が繰り返されるうちに、固定観念として一人歩きしていくのですね。少年マンガの主人公が「おれ」と言うのか「ぼく」と言うのか、ということだけでその性格がある程度想像できますし、アニメの博士はなぜか必ず自分のことを「わし」と言いますな。いまどき「わし」という人は少ないと思うけどなあ。

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2014年4月15日 (火)

山田エリザベス

調べてみたら、中国と韓国では事情がちがうようですね。韓国と日本ではおたがいに本来の発音にしたがおうということになっているようですが、中国の人は勝手に自国語風に読んでもよいそうです。中国では表音文字がないので、どう読むか伝えようがないからかもしれません。ですから、それに合わせて日本でも日本語の読み方を利用して、本人の希望とは関係なく勝手に読んでいいのですね。朝日新聞はなぜか必ず「シーチンピン」というふりがなをつけていますが、習近平は「しゅうきんぺい」でかまわないし、安倍晋三は…なんだか知りませんが、中国の発音で読まれるのでしょう。

世界史で、シーザーがいつのまにかカエサルになったり、ジンギスカンがチンギス・ハーンになったりしているのも実際の発音に近づけようということでしょうか。地名もベニスをベネツィアと言うのがいまの「はやり」のようです。ピザとピッツアはどうちがうのかなあ。Pizzaの綴りを素直に読めば「ピザ」のような気もするし、昔は「ピザパイ」と言っていました。現地音主義なら「ピッツァ」でしょうが、なんだかちがうものを食べているような。外来語は、あくまでも「日本語」なのだから日本風の「ベタ」な発音でいいはずです。野球の「チーム」は「チーム」であって、「ティーム」と気取って発音するアナウンサーはあまりかしこくないにちがいありません。

国名は以前からいろんなタイプのものが混在していますね。スペインはエスパーニャではなく、英語経由のようですが、ドイツはジャーマニーではなく、ドイチュラントがもとになっています。イギリスなんて、日本でしか通用しないでしょう。幕末のドラマでは「エゲレス」「オロシャ」ですね。でも、中国の揚子江は「ようすこう」だし、毛沢東は「マオツートン」と読む必要はありません。「けざわあずま」という、ふざけた読み方もありましたが。ところが北京はペキンですね。南京もナンキンだし、上海はシャンハイです。「中華人民共和国」は日本語風に読みながら、その中の一都市は中国語風に読むのですね。日本の東京はやはり中国では「トンキン」と発音されているのだろうなあ。

日本人の名前でひらがな書きの場合は、中国ではどうなるのでしょうか。「美空ひばり」なら意味を考えて「美空雲雀」で切り抜けられそうですが、浜崎あゆみは勝手に「歩」とするのでしょうか。で、そのうえで中国風の発音で読まれるのだから、本人は自分のことを言われてもまったく気づかないでしょう。「郷ひろみ」の「ひろみ」はどんな字をあてるのでしょうか。林家こん平はどうなるのかなあ。「こん」の部分は「近」の字をあてて「チンピン」と読まれるのかもしれません。たしかサザンオールスターズは「南天群星」と書いてあったような気がしますが、あれは「意訳」ですね。ドラえもんは、「機械猫」だったはずですが、いまは「多拉A夢」と書かれています。「たくさん拉致する」という前半にもひっかかりますが、後半でアルファベットを使うなら、西洋の人も含めて、日本人の名前だって本来の発音に近い形で書けるでしょう。「D0RAEMON」でいいはずなのに、無理矢理漢字にあてはめるのですね。これは、いつのまにか意訳から音訳になっています。やはり音訳がいまの「はやり」なのでしょう。コカコーラが「可口可楽」、ケンタッキーが「肯徳基」であるのは有名です。漢字の意味も考えた上での選択でしょうが、さすがにうまいものです。でも、「牛頓」がニュートンというのは苦しいなあ。

ニューヨークの「紐育」、トルコの「土耳古」も音訳ですが、「河内」がハノイを表すのも音訳でしょう。ただし、日本の「河内国」はあくまでも「かわちのくに」ですし、「佐村河内守」も「さむらハノイまもる」ではありません。タイを「泰」で表して、ミャンマーを「緬」で表した「泰緬鉄道」というのもありました。映画『戦場に架ける橋』ですな。ウィリアム・ホールデンとかアレック・ギネスなんて、顔も忘れましたが。早川雪洲という人も出ていました。ハリウッド映画に出る日本人俳優といえば、この人しかいなかったのですね。「セッシュする」という業界用語のもとになった人です。人物やセットの高さを調整するという意味ですが、日本人の早川雪洲は背が低いので、アメリカ人と並んでアップになる場面では踏み台の上に立ったということから来ているそうです。『戦場に架ける橋』は知らなくても、主題歌はいまでも知っている人が多いはずです。「クワイ河マーチ」です。ミッチ・ミラー合唱団でしたか、「サル、エテコ、チンパンジー」と歌ってましたな。

ハリウッドは漢字で「聖林」と書かれていましたが、実はまちがいだったそうです。Hollywoodは「ひいらぎの森」という意味なのに、Hollyを、「聖」を意味するHolyとまちがえたのだそうな。「牛津」というのもありました。これで「オックスフォード」と読むのですが、「オックス」は牛です。英語というのは牛をやたらと区別しますね。「カウ」は雌で、雄は「ブル」。これと闘うのが「ブルドッグ」です。食べるときは「ビーフ」。同じ雄でも車をひくようなのは「オックス」、「フォード」は「浅瀬」なので、「オックスフォード」は牛が歩いて渡ることのできる浅瀬ということで「牛津」と書いたのでしょう。ところが一方の「ケンブリッジ」は「剣橋」です。「ケン」はそのまま音訳で「ブリッジ」は「橋」という混合タイプです。石橋さんのブリジストンは統一がとれていますが、なぜ「ストンブリジ」の逆になったのか。表記は「ブリヂストン」が正しいのか、今のかなづかいで「ブリジストン」とすべきなのか、なかなか悩ませる会社です。

現地音主義で行くべきだという人でも、東南アジアのタイとかベトナムの発音は難しく、真似できそうにありません。現地の発音で、と言われても無理だろうなあ。ユダヤの神の名ももともとの発音がわからんとかいうことです。「ヤハウェ」とか「エホバ」が正しいわけではないらしいですな。ジャッキー・チェンとかアグネス・チャンとか、中国系の人なのに、英語の名前(?)をつけている人がいます。山田・ゴンザレス・太郎のようなクリスチャン・ネームというわけでもなさそうです。香港の人はイギリス人とのつきあいが多かったので、自分で好き勝手な名前を付けたのでしょう。これもやはり正しい発音が欧米人には難しいので便宜上の名前ということで採用したのではないでしょうか。山田花子が「わたしのこと、エリザベスと呼んで」と言うてたのとおんなじですな。

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2014年3月29日 (土)

オーバー・アイランド・ドラゴン・ソルジャー

小さい子どもがオトナ語を使うのはいやですが、オトナのまねをしたくなるというのはわかります。背伸びしたくなるのでしょうね。よく知らないものでも、子どもというのは、何でも取りあえず言ってみるというところがあります。授業の中で「古代ギリシャの哲学者」という話になったとき、「○○○○ス ○○○ン ○○○○○○○ス」というふうに板書すると、「ゴンザレス」とか「コペルニクス」とか「アルキメデス」とか好き勝手なことを言います。真ん中のを「プ○○ン」としたら、「プランクトン」と字数を無視して言うし、最後のなんかは「ティラノサウルス」と言って受けを狙うやつもいます。「アリガトゴゼマス」と言ったやつの頭の中はどうなっているのでしょうか。

「生産者」を外来語にすると「○ー○ー」という形になる、と言うと、必ず「ヒーハー」と言うやつがいます。「メーカー」という答えが出て、では消費者も「○ー○ー」の形になるが、と言うと「メーカー」の反対だから「カーメー」という「バーカー」なやつが出てきます。副詞の呼応で、「たぶん」は「だろう」、「けっして」は「ない」ということばが必ずあとに来る、こういうのを「呼応」と言う、では「きっと」と呼応することばは、と聞くと、間髪入れず「カット」と答えるやつは頭がいいのか悪いのか。「比叡山を焼き討ちしたのは?」と聞いたら、「聖徳太子」と答えたやつもいました。思わず「おい!」と突っ込みましたが、灘志望の男の子は社会の知識がない者が多いので、しかたありません。仏罰があたっても、あたっていることにも気づかないでしょうな。

「(  )民」を「中産階級」という意味の三字熟語にしろ、という問題では、さすがに「小市民」はなかなか出ませんでした。「非国民」と言ったやつは、ほめてやってもよいのではないでしょうか。「ミイラが三人発掘された」を訂正する問題がありました。正解は「三体」なのですが、「ミイラ」を「ミイラ男」にしたらあかんのか、という発想をした生徒がいます。相当鋭いようですが、「ミイラ男が発掘された」というのは、なんか変ですし、ミイラ男は、はたして「三人」と数えるのか? 妖怪はどうなのでしょうか。「ぬらりひょんが三人現れた」と言ってよいのか。「ぬらりひょん」自体、種族名なのか固有名詞なのか。鬼太郎は、「おい、ぬらりひょん」と呼んでいるようなので、固有名詞のような気もします。固有名詞なら、ローマ字で書くと、最初は大文字にしなければなりません。

ローマ字も、考えたら妙なことがありますね。「天満橋」の駅の表示を見ていたら「TEMMA」と書いてありました。「M」があとに来るため「ん」の音も引っ張られて「M」になっています。ところが「天神橋」なら「TENJIN」です。「橋」が「HASHI」になったり「BASHI」になったりするのは、実際に発音が変わるのだから納得ですが、「M」と「N」の発音の変化はちょっと聞き分けられません。「天王寺」も当然「N」ですね。「天王寺」は「TENNOJI」となって、「てんのーじ」ではなく、「てんのじ」とも読めます。長く伸ばすのかどうかも問題ですね。また、人名でも「大野」と「小野」はどう区別するのでしょうか。野球の「王」さんは「OH」にしないと、背番号が「0」なのかと思われます。安倍首相は「Abe」で、なんの問題もないようですが、日本人なら素直に「アベ」と読んでも、アメリカ人などは「エイブ」と読んでしまうのではないでしょうか。小泉さんも「ジュニチロー」と発音されていましたが。

逆に、外国人の名前でも、どう読んでいいのかわからないというのもありますね。「ギョエテとはおれのことかとゲーテ言い」という川柳があります。たしかに「Goethe」はどう読むのか、なやみます。アメリカ大統領のレーガンは、はじめはリーガンでした。映画俳優だったときには自分でもリーガンと発音していたそうですが、身近な人で綴りは違うのですがやはり「リーガン」という人がいたので、区別するために自ら「レーガン」に変えました。映画がらみで言えば、「オードリー・ヘップバーン」と言っていますが、ローマ字のヘボン博士と同じ綴りだとか。まあ、だいたいイエス・キリストだって、日本ではイエスですが、アメリカではジーザス・クライストでしょ。だからアメリカでは「あなたはキリストですか」「イエース」と言っても笑ってくれないのですな。「エスさんわてを好いてはる」という関西弁の歌は賛美歌です。「エスさん」は「イエスさん」の訛りですね。古代ギリシャの歴史家トゥキディデスが「築地です」に聞こえるというのもありました。

同じ名前でも国によって発音が変わるという例でよく出てくるのはピカソですね。スペイン読みだと「ピカソ」でも、英語読みすると「パイキャッソー」なので、まったく別の人みたいです。ミハエル・シューマッハは本人がマイケルと呼んでほしいということですが、「ミハエル」自体、「ミヒャエル」と書いてあったり、「ミハイル」と書いてあったり、書き方の問題もありそうです。最近は「アンビリーバボー」と表記しますが、綴りの感じからは「アンビリーバブル」ですね。「チューン・アップ」とか「ライン・アップ」も「チューンナップ」「ラインナップ」と書くべきなのでしょうか。人名については、その人の国でどう呼ばれているかにしたがうのが素直なような気がします。イギリス人のジョージはゲオルグと呼ばれたくないでしょうし、チャールズはカルロスと言われたら、「だれ?」と思うでしょう。アンリ・シャルパンティエをヘンリー・カーペンターと言ってしまうと、まったく別の店のようです。このあたり、西洋ではどう扱っているのかなあ。自分の国の発音で呼んでいるような気がします。そもそも綴りが変わるでしょう。

中国や韓国の人の名も現地読みになりました。金大中あたりから変わったような気がします。同じ漢字を使いながら、日本では習っていない読み方で読まなければならないのは不自然なような気もしたのですが、世界の報道と日本の報道とで読み方がちがうのはおかしいということだったのかもしれません。向こうの人から文句を言われたのかなあ。ということは、安倍晋三さんは、中国のニュースでも「あべしんぞう」と正しく発音されているはずです。日本に現地読みを要求しながら勝手に中国の発音にしているなんてことはまさかないでしょう。でも、フランス人は鳩山さんの最初のHは発音しないから「あとやま」と読んでしまうだろうなあ。BとVとか、RとLのように、カタカナで書き分けられないものもあり、発音の系統がちがうのでもともと無理があります。とはいうものの、やっぱり自分の名前をアンダーマウンテンライトライトとは言われたくないしなあ。

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2014年3月18日 (火)

お天気の話→京都人の話→雪山の話

なんか暖かくなってきましたね。やはり東大寺のお水取りが終わるとぐっと春らしくなります。

なんてことを《ザ・京都人》の前でいうと、ひんやりした空気が流れて、「は? 関係あらしまへんやろ」的な顔をされてしまうわけですが、ぜひとも京都と奈良、同じ古都どうし仲良くしてほしいものです。

ちなみに、ここでわたくしが《ザ・京都人》と呼ぶのは、単に京都に住んでいらっしゃる方のことではなく、いかにも京都人らしい京都人、以下の項目のいずれかにあてはまる人のことです。

1 京都が盆地でいかに寒いかを強調する。「でも京都がいくら寒いって言っても昭和基地ほどじゃないでしょう」と反論すると、「京都は底冷えしますさかいに」とやんわりたしなめてくる。

2 「あの店は井戸水使たはるさかい」と言う。

3 おのぼりさんのことを揶揄して「『しじょうとりまる』言わはるさかい、どこのことやろ思て」と、知っているくせにとぼける。

いかがでしょうか、みなさんのまわりにもいらっしゃるのでは? ザ・京都人。もしかすると、「うちのことどすか」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。失礼しました。

以前にも、奈良県の人に「リニアモーターカーは、奈良は通るだけで止まらないんですよね」と言って怒られたことがあるんですが、我ながら懲りないもんです。と、そういえば、リニアモーターカーはどうなるんですかね。京都ではちょっとしたキャンペーンやってますね、リニアモーターカーを京都に! みたいな。あれ、奈良の人は怒っているんだろうなあ。これについては奈良の人に同情的です。

もし大阪が「府」から「都」になってしまったら、やはり《ザ・京都人》は「きっ」とまなじりを吊り上げて、京都も「府」ではなく「都」に、みたいなキャンペーンをはるんでしょうか。そしたら、「京都府」から「京都都」になるのかしら?

それはともかく、僕としてはそもそもリニアモーターカー計画自体がどうも。南アルプスの下を通すって聞いた瞬間に頭がくらくらしてしまいました。

ああ、南アルプスのことを思いうかべたら山に行きたくなりました。入試が終わったら雪山に行こうと思っていたんですけど、新年度の準備も忙しかったし、なんだかこの冬は妙に寒がりになってしまって、「雪山? 考えただけでガクガクブルブルだよ~」とか言って日和っちゃったんです。後悔しています。

雪山というのは格別です。例によってカメラマンの腕前がへぼで申し訳ありませんが、

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だれもいない山のうえでこんな風景のなかにいると泣いちゃいます。

夏山もそりゃじゅうぶんに美しくて幸せなんですが、やっぱり雪山は、ちょっと、別格です。ヒマラヤとか行ったらもっとすごいんでしょうね。でも、行きません。僕なんかが行ったら死ぬから。

日本の雪山でもちょっと油断したらすぐに死ねます。

雪山に行きだしてすぐの頃、北アルプスの雪山にひとりで行くのはまだちょっと自信ないなあ、でも滋賀の比良山系ぐらいならね、みたいな気分でいた頃ですが、10月下旬にひとりで穂高に行きました。Y田M平trに、「この時期の秋山は一晩で雪山になることがあるから、ピッケルとアイゼンはちゃんと持っていくように」と言われて一応持って行きましたが、まあ、だいじょうぶだろうと何の根拠もなく思ってました。単なる願望ですね。シーズン最後の山登りですから、雪なんか積もっていない、安全で楽しい秋山登山がしたい、できなければいやだ、できるはずだ、みたいな。うん、我ながら人間の小ささがよく出てるなあと思います。

上高地に着くと、山には雪が。もちろん、真っ白というわけではありません。ところどころです。だから、だいじょうぶだと思ったんです。すごく甘い判断です。甘いというか、何もわかっていないですね、平地のイメージなんです。大阪あたりの街中でところどころにしか雪がないというのは日陰以外は雪が解けちゃってるからですよね。なんとなくですが、そんなイメージでとらえてしまってるんですね。標高ざっと1000メートルの上高地から3000メートル級の山を見て、そんなふうに見えるってことは、実際に登ってみたらどうなっているのか、ということがまるでわかっていなかったわけです。

で、るんるん気分で前穂高めざして登りはじめました。登山道に雪はありません。さっさと穂高岳山荘に着いてビールを飲みたいので、ぐいぐい登っちゃいます。当時、前穂高に行く途中にある岳沢小屋は再建工事中でした。横を通ったときに、小屋の人になんとなくいぶかしげな、変な顔で見られたような気がしましたが、あまり気に留めませんでした。

重太郎新道は結構きつい急登の連続です。だいぶ登ったあたりで、ところどころ雪が出てきました。そのうち雪を踏まないと歩けなくなり、バランス感覚が悪くてすぐに足を滑らせてしまう僕は、やがてアイゼンを履きました。Y田先生の言うとおり持ってきてよかったなあ、なんて呑気に思ってました。すぐに登山道は完全に雪に埋もれました。

それでも、前穂高と奥穂高の分岐までは比較的良いペースでした。ザックを分岐に放り出して、前穂の頂上をめざして登り始めたときに、ようやく、ちょっとまずいなと思いました。なんか怖いんです。アイゼン履いてピッケルも持っているんですが、まあ、素人同然です。今でもそうですが、当時はもっとそうでした。だから、まともに歩ける気がせず、滑りそうで怖いんです。しばらくがんばって進みましたが、ちょっと血の気が引いてきたので、分岐に戻りました。問題はそこからです。奥穂高に向かう道は「吊尾根」と呼ばれています。前穂と奥穂を結ぶ、まさしく「吊橋のような美しい弧を描く稜線」だからです。

僕の実力を考えればそこで下山するべきでした。なのに、何を考えたのか、僕は吊尾根に突っ込んでしまったんです。なんとなく、しばらくがまんして歩いたら奥穂はすぐだというような錯覚があったみたいです。所要時間についての判断もおかしくなっていました。夏山と同じようなもんだろうという、まったくもって非理性的な判断を、なんとなくしてるんですね。「なんとなく」という言葉がくり返し出てくることがそのときの僕の心理を物語っていると思います。ふわっと行っちゃったんです。

吊尾根は、雪のない季節に歩くと、とても気持ちの良い道です。ほどほどに鎖場もあって岩登りっぽいところもあって楽しめます。でも、そこに40~50センチほど雪が積もっていると、状況は一変します。

まず、ルートを示す目印(たいてい、岩にペンキで丸印や矢印が描かれている)の多くが隠れてしまいます。

そして、まだそのうえをだれも歩いていない新雪が積もっているということは、単に登山道が消えるということだけではなく、平坦な部分がなくなっているということです。本来の山の斜度そのままの雪の斜面を延々トラバースしつづけることになります。雪山素人の僕が。

岩場にくると、むき出しの岩と雪のミックスです。岩にアイゼンを引っかけて進みますが、手で岩をつかもうにも、手でつかみやすい形状になっているところは雪が積もっています。

で、このあとが問題なんですが、僕はこのとき、ものすごく油断していたのか、手袋を忘れてきていました。ほんまにアホなんです~。だから、ずっと素手でピッケルを握り、ときには雪に手を突っ込んで岩をつかんだりしなければなりませんでした。

さらに怖ろしいことに、というか、アホなことに、いざというときのためにつねに持ち歩いているべきツェルト(まあ、簡易テントとでも思っていただけばよいかと)まで僕は忘れてきていました。

このあたり、恥をしのんで告白しているわけですが、ほんとに最低の登山者でした。

途中、ルートがわからなくなり、たぶんこっちだろうと思いながら雪の斜面を登っていくと、登り切ったところが向こう側にすっぱり切れ落ちた断崖になっており、また、横にトラバースすることもできないような斜度の雪面になっているため、怖い思いをして元に引き返すなんてことも何度かありました。当然下りの方が怖いわけです。基本的にトラバースの連続ですから、つねに左側は切れ落ちており、滑落したら、滑落停止訓練なんかほとんどしていない僕は数百メートルは止まらなさそうです。

気がついたら、日が暮れようとしていました。

なんとかザックをおろせる場所を見つけて、ヘッドランプを出したんですが、点灯しない。電池は切れていない証拠に、ときどきは点く。でもなぜかしばらくすると消える。ずっと手でスイッチを押していたらなんとか点いていますが、上述したような状態なので、そんなわけにもいきません。

そうこうするうちに、ガス(霧)がすごい勢いでわいてきました。

終わった、と思いました。

これが遭難か。遭難した人たちってたとえばこんなふうにして死んだんだ。ルートが見えなくなってむやみに歩き回ったあげく、注意力が散漫になって滑落したり、疲れ果てて低体温になったり。

とりあえず、Y田M平に電話でもしてみよう。何かアドバイスがもらえるかもしれない。電波が通じればの話だが。

と思って試しに電話するとなんと電波がつながりました。

「はい」

「Y田先生、遭難しちゃった」

「え!?」

ツーツー。

なぜかこの絶妙のタイミングで電波が不通に。そしてそれっきりつながりませんでした。あとで聞きましたが、Y田先生、めっちゃ心配してくれたらしいです。そりゃ心配しますよね。ほんとにすみませんでした。

死にたくなかったらとにかく歩くしかないので、僕としてはめずらしくビールのことなどほとんど考えずに(つまり少しは考えた)、とにかく滑落しないように細心の注意を払って、アイゼンを雪面に蹴り込み、ピッケルをたたき込んでぐいっと引きちゃんと岩にかかっているか確認しながら、一歩一歩カニみたいに横歩きしていきました。頭のなかでは5:5とか4:6とか、気力が萎えかかると3:7とかそんな数字が踊ってました。

何がありがたかったかといって、霧がすぐに晴れたこと、そして、そのあと、雲ひとつない夜空にきれいな半月が出たこと、僕が助かったのはあの月のおかげですね。今でもときどきお月様には手を合わせるようにしています。

吊尾根を突破して、奥穂直下までたどり着いたときに、これで死ぬことはないな、とようやく安心しました。以前、春に、Y田先生と雪の奥穂に登ったことがあったので、慎重であることさえ失わなければだいじょうぶだと確信できました。でも、かなり疲れ果てていたので、なんだかきれいな鈴の音が聞こえてきたり、岩に話しかけたりして、若干ではありますがおかしな状態でした。前の日、自分で車を運転してきたのでほとんど眠っておらず、ほぼ徹夜だったんです。バスの中で、30分ぐらい眠ったかなという程度でした。

穂高岳山荘に着いたときには、夜10時をかなり回っていました。ざっと15時間歩き続けた計算ですね。

次の日、ベテランぽい登山客に「吊尾根通ってきたって? 自殺行為だな」と吐き捨てるように言われました。まあ、僕について言えばそれは当たりかもしれません。でも、ヒマラヤに何度も行ってるY田M平みたいな人であれば、自殺行為ってことはないはずで、単に僕の判断と技術と心がけのすべてがまるでなっていなかったという、それだけのことです。

こうして書いていても冷や汗が出てきますが、今となっては、いい経験をしたなとも思います。

車にひかれかけて「もう少しで死ぬところやった」みたいなことはよくありますが、このままだと死ぬなあと思いながら歩き続けるなんてあまりないですからね。

「絶望」ってどういうものか少し垣間見えたような気さえしました。なんというか、心が黒く塗りつぶされていく感じです。「いや、だいじょうぶ、なんとかなる」と自分に文字どおり言い聞かせ言い聞かせて、黒いのを振り払いながら歩いた、そんな10時間でした。

次の日、電波がつながるところまで下りてY田先生に電話をし、無事を報告しました。くり返しくり返し僕の携帯に電話をくれていたみたいです。感謝。すみませんでした。

さあ、反省もしたことだし、雪山行くぞ~。

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