2014年8月24日 (日)

あれはオレ

「ジャイケルマクソン」とか「けつだいらまん」などの言い間違いはスプーナリズムと名付けられています。「なつはあついなー」が「あつはなついなー」になるというやつですね。「オジョギリダー」とか、「バイアントじゃば」なんてのもありました。一語の中でのひっくり返りは「おじゃまたくし」とか「とうもころし」とか、「ブロッコリー」が「ブッコロリー」になったりするのがあります。でも、和歌山で「からだ」が「かだら」になるのは、順序のひっくり返りではなく、「ら」が「だ」に、「だ」が「ら」に置換されたということでしょうか。紀州弁の「かだら」はスプーナーさんのミスとはちがうようですね。

紀州弁になると関西弁というよりも、対岸四国のことばに近いのかもしれません。紀州弁にも土佐弁にも敬語がないという共通点があると言います。司馬遼太郎がそのことに触れていたのはなんという本だったか、「街道をゆく」だったかもしれませんが、自由民権運動との結びつきで説明していたと思います。自由民権運動が起こった背景には、敬語がないという土壌があるのではないか、敬語がないのは、平等という感覚が元になっているのではないか、というような…。「串本の町長やけんど、やにこうええさけ、いっぺん見んに来てくらんしよ」と町おこしのCMをやってましたが、いかにも和歌山でした。

土地土地の気風を表すことばに「近江泥棒伊勢乞食」という、テレビではNGになりそうなものがあります。「昔から、こういうことを言いますな」とか言いながら米朝さんがこういうことわざを挙げるんですが、たまに、「言いますな、と言うても実際にはこんなことば、聞いたことおまへん。私も落語ではじめて知りました」と言うこともありました。古いことばは落語に残ってるんですね。「宵越しの銭は持たない」と偉そうに言う江戸っ子は、実は「宵越しの銭は持てない」。要するに稼ぎがない。それに比べて、近江商人や伊勢商人が江戸の町で幅をきかせているのがしゃくだったのでしょう。「伊勢屋稲荷に犬の糞」という、江戸の名物を表すことばもあります。「乞食」はきつすぎることばで、伊勢屋と名乗る伊勢出身者には、倹約家が多かったのでしょう。「近江泥棒」というのも、近江の人は金銭勘定がうまいということでしょう。近江は昔から商才に長けた人物が出るようで、豊臣秀吉が近江長浜時代に新規に召し抱えた石田三成などの武将でも実務系ですね。他にも長束正家や大谷吉継、片桐且元、藤堂高虎、宮部継潤など、信長の野望のパラメータでは武力・統率系の数値が低そうです。黒田官兵衛の家ももともとは近江出身だったはずです。蒲生氏郷なんて、近江日野出身で、近江商人を作ったと言ってもよく、しかもそのあと、伊勢松阪に行っていますから、伊勢商人の生みの親でもあります。三越の三井高利も伊勢出身ですね。

大阪は「食い倒れ」と言います。「まゆげボーン」のおかあちゃんで有名な「くいだおれ太郎」の名前の元になった「食い倒れ」というのは、食中毒で倒れることでもないし、「行き倒れ」ともちがいます。飲み食いに金をかけすぎて貧乏になる、ということですね。ほかの土地では「京都の着倒れ」「神戸の履き倒れ」「江戸の飲み倒れ」というのもあります。江戸の人は灘の酒を取り寄せたのでしょうか。じつは、これらのことばの間で地名はいろいろ入れ替わったりするようですが。そういえば、「伊勢の系図倒れ」というのもある、とやっぱり司馬遼太郎が短編小説で書いてました。「美濃浪人」とかいうタイトルだったと思います。読んだのは四十年ぐらい前なのに覚えているのは、ちょっと嘘くさいなと思ったからかもしれませんが、刀狩りで農民になった美濃の有力者が、もともとは武士だったことを誇るために系図をかざりたてたとか。ニセ系図づくりを職業とする人もいたそうです。徳川家康にしても、むりやり源氏に結びつけるために系図を作ったと言われています。新田氏の一族の得川という家の子孫だということにして、源氏だから征夷大将軍になれると主張したらしい。

たしかに先祖に有名人がいるとうれしいでしょうね。織田信成は自称だけで根拠がなかったのかなあ。吉川晃司が吉川元春の子孫というのもよく言われていますが、どうでしょうか。加山雄三のところが岩倉具視というのはけっこう有名のようです。サンドウィッチマンの伊達は伊達の一族であることは確かなようですね。クリス・ペプラーが明智光秀の子孫、というのもどこかで読んだことがあります。「えっ、なんで」と思いますが、母方の先祖ということでしょう。セイン・カミュは最近あまり見なくなりましたが、アルベール・カミュが大叔父さんですね。藤原定家の直系の子孫なんて家もありますが、こんなのは誇らしいけど、先祖が石川五右衛門では誇れない。

大河ドラマの「黒田官兵衛」では黒田家の主君を片岡鶴太郎がやっていました。「ここが思案のしどころよのう」と鼻の頭を真っ赤にして言っていましたが、あれは「仁義なき戦い」の金子信雄へのオマージュなんですね。鶴ちゃんはよく金子信雄のものまねをやっていました。菅原文太に言う「わしゃあオマエだけが頼りじゃ」 という台詞が、そのまま「黒田官兵衛」でも使われてました。とにかく、ころころ方針を変える「バカ殿」でしたが、子孫が見てたらいやだろうなあ。蜂須賀侯爵が参内して応接室で待っているとき、テーブルの上にあった葉巻を一本ポケットに入れたところ、明治天皇がそれに気づいて、「先祖は争えんのう」と言った、という話も司馬遼太郎でしたか。先祖の蜂須賀小六が野武士あがりで、盗賊同然と思われていたからでしょう。蜂須賀家は歴史学者に頼んで、小六が盗賊ではないことを立証してもらったとか。「龍馬伝」のときの岩崎弥太郎にしても、あの汚らしさは岩崎家にとっては愉快ではなかったでしょう。

ドラマの場合はかたき役とか悪役がどうしても必要になるので、やむをえないでしょうが、古い時代ならともかく、比較的新しい時代をあつかったものになると、問題がありそうです。「坂の上の雲」でも、まぬけっぽく描かれていた将官の子孫はむかつきながら見ていたかもしれません。太平洋戦争を描いたドラマでは当然、東条英機が出てきますが、家庭人としての優しさなどは描かれるはずがありません。麻生太郎さんの祖父は吉田茂ですが、祖母の父親は牧野伸顕で大久保利通の息子ですから、麻生さんは大久保の血もひいていることになります。渡辺謙が吉田茂をやったNHKのドラマで、吉田茂の孫が走り回っていましたが、麻生さんはあれを見て「オレやがな」と思ったのかなあ。

2014年7月27日 (日)

けつねうろん

自分のことを「ワシ」と言うのは、スポーツ選手、それも関西系の野球選手に多いようです。なぜか清原は「ワシ」のイメージです。実際に「ワシ」と言っているのを聞いた記憶はあまりないのですが、記事になると「ワシ」と言っています。その昔の大投手、金田正一さんは、たしかに「ワシ」と言っていました。その「伝統」があって、記者が勝手にイメージをつくって書いているような気もします。清原が「ワシ」で桑田が「ぼく」と区別されているのは、「差別」なのかなあ。

「ワシ」というのは、なんとなく年寄りくさいイメージがあり、子どもが使うと抵抗があります。幼稚園児が「なんじゃ、ワシのことか」とか言ったりすると、なんだかなあ。女性語としても違和感がありますね。でも、「おまえ百までわしゃ九十九まで」というのは、「おまえ」は夫、「わし」は妻です。「おまえ」は本来敬語なので、妻が夫を呼ぶときのことばのはずです。女の人だって、「ワシ」と言ってもよいのですね。そういえば、北林谷栄という女優は若いころから老け役をよくやっていましたが、信州のおばあちゃんを演じたときなど、自分のことを「おれ」と言ってましたね、「おら」ではなく。それが非常にリアルでした。「おれ」は男女ともに使われるんですね。「おれ」に謙譲のニュアンスを持つ「ら」がついて「おれら」になり、「おいら」とか「おら」に変化していったのでしょう。

外国の小説を翻訳する場合、「おれ」「ぼく」「わたし」のどれにするのか、決める基準は何なのでしょうか。たまにチャンドラーが読みたくなることがあります。べつに「チャンドラリアン」ではないのですが。乾いた文体が心地よいのですが、訳者によって多少のちがいが出てきます。村上春樹はさすがに読みやすい。軽い感じです。で、フィリップ・マーロウの一人称は「わたし」と訳していますね。同じハードボイルドでも、ハメットのサム・スペードは「わたし」という感じではないような気がします。なんとなく「おれ」が似つかわしい。マーロウのほうが、情的なので「わたし」という言い方が合うのでしょうか。でも、原文ではどちらも「I」で、区別がつきません。

日本の小説でよく出てくる「心中」ということばも英訳できないようです。強いて言えば「ダブル・スーサイド」となって、直訳すれば「二重自殺」です。だいたい、「イエス」が「はい」で「ノー」が「いいえ」だというのも、まちがいなのですね。「あなたは…しますか」で「ノー」と言えば、「いいえ、しません」ですが、「あなたは…しませんか」で「ノー」と言うと「はい、しません」になるのですから。「book」と「本」が対応するわけでもありません。「book」にある、「切符などの一つづり」という意味が「本」にはありません。

同じことは、日本語の中の方言でも言えそうです。関西弁の「しんどい」は「疲れる」とイコールではなく、「骨が折れる」「大変だ」のニュアンスが含まれます。「あー、しんど」は「ああ、疲れちゃった」でもそれほど変わりませんか、「きみが灘受けるんか、そらしんどいな」は「疲れちゃった」ではありません。京都と大阪でも「しんどい」の意味は微妙にちがうかもしれません。そもそも関西弁とか東北弁とか、まとめて言うことがありますが、大阪弁と京都弁ではあきらかにちがいます。最近は使わなくなりつつあるようですが、京都と言えば文末の「どす」が有名です。「これ、何どすか」と刀を指さすと、「ドスどす」という、わけのわからん答えが返ってきますね。大阪は「だす」でしょうか。地域気象観測システムは「アメダス」と言いますが、天気予報で「アメダスによりますと…」と言ったところ、「大阪弁で言うな」と文句が来たとか。大阪では「アメダス」でも、京都では「アメドス」と言います、と言ったら信じる人がいるかもしれません。

「来ない」は大阪では「けえへん」と言う人が多かったように思いますが、京都では「きやへん」または「きいひん」でしょうか。「きやへん」の方が古いことばかもしれません。「行かない」も京都では「行かへん」、大阪では「行けへん」と言ったような気がします。「できる」なら、京都は「できひん」、大阪は「でけへん」でしょう。どうも、京都では打ち消しの「へん」の前がイ段になると「ひん」に変化するようですね。京都の塾生のお母さんと話していると、やたら「はる」を使います。「うちの子、よう勉強しはるんです」とか、「道に犬のうんこさん、落ちてはる」とか。大阪では尊敬語のニュアンスですが、京都では丁寧語なんですかね。まさか「犬のうんこさん」を尊敬してないでしょう。まあ、「さん」をつけてる時点で、すごいなあと思いますが。むかし、三宮教室では「何しとん」と言っている子がいました。神戸と言うか、播州弁ですかね。同じ希の塾生でも、微妙にことばの感じがちがうのがおもしろい。

各地の方言のちがいを表すことばに、「なにわの葦も伊勢の浜荻」というのがありました。室町時代初期の連歌集『菟玖波集』の「草の名も所によりて変わるなり難波の葦は伊勢の浜荻」から出たことばなので、相当古いことわざです。私は小学生のころ聞いた桂米朝さんの落語で知りました。同じ落語で「長崎ばってん江戸べらぼう神戸兵庫のなんぞいやついでに丹波のいも訛り」なんてことばも紹介してくれます。「神戸のことばは日本一きたない」てなことを言うんですね。たしかに「なんぞいや」だものなあ。しかも、実際には「なんどいや」という発音になります。播州弁はザ行がダ行になってしまうんですね。織田作之助の「夫婦ぜんざい」を播州の人が発音すると「でんだい」になります。神戸のあたりは、ほんとうは播磨ではなく摂津ですが、神戸の西のほうに昔から住んでいる人は、そういう発音になるそうです。「どうどうをどうきんでふいてもでんでんきれいにならん」というのは「銅像を雑巾でふいても全然きれいにならん」の意味ですね。大河ドラマの黒田官兵衛もきっとそういう発音だったのでしょうな。

コテコテの大阪人はダ行がラ行になり、「淀川の水」が「よろがわのみる」になったらしいので、播州から摂河泉三国、紀州にかけてはザ行・ダ行・ラ行がいいかげんだったのでしょう。親戚の神戸のおばちゃんは「のど」のことを「のぞ」と言っていましたし、和歌山のおっちゃんは、座布団を「だぶとん」と言い、いっしょに風呂にはいったときは「かだら洗うちゃろか」と言ってました。なんだか石けんを「まだら」につけられそうでした。

2014年5月11日 (日)

クイントリックス

山下を勝手に「アンダーマウンテン」としてはいけないように、英語にできないことばというものがあります。日本にはあっても、英米にはないものは英語に訳すことはできません。「すし」「てんぷら」「やくざ」「過労死」などは、そのままで言うしかないようですし、「相撲」も同様です。ただ、力士は「スモウ・レスラー」になるそうで、「上手投げ」とか「うっちゃり」なども英語に直すことは不可能ではないでしょう。でも、日本語のだじゃれの英訳は無理ですね。「となりに囲いができたね」「へい」とか「となりに囲いができたね」「かっこいいー」とか、「おかあちゃん、パンツ破れたよー」「またかい」というのは日本語でしか味わえません。

金田一春彦が書いていましたが、「間が悪い」というのも、訳せないようです。そういう状態になることはあっても、「間が悪い」という心理になることはないのですな、英米人は。いったん家を出たときに、掃除をしていた近所の奥さんと出会ったあと、忘れ物に気づいて家に帰ろうとすると、奥さんは表に出ていなかった。忘れ物をとって再び外へ出たら、またもや奥さんがいて妙な顔をしている。つまり家から二回出てくる金田一さんを目撃したわけですから、混乱しているのですね。事情を説明するのも変だし、こういうとき、日本人は「間が悪いなあ」と思います。ところが、アメリカ人は、「あなたは先ほど私のふたごの兄弟が出て行ったのを見ましたか」と言うのだそうです。でも、それは日本人には無理だろうし、言われたほうも困るだろうなあと金田一さんは言っています。アメリカ人なら、「いいえ、さっき庭を掃いていたのは私のふたごの姉妹ですから」と言うのでしょうな。

春期講習のテキストで、ムハマッド・ライースさんの『日本語のここが難しい』という文章をとりあげましたが、その中で、男女でことばがちがうというのがありました。「…だぜ」というと男だし、「…だわ」というと女だ、という時代がありました。いまや、そんなことはなくなってしまい、声を聞くのならともかく、書かれてしまったら、まったく区別できません。「あら、そんなことはなくってよ」なんて言う女の人は現実には存在しないでしょう。ただし、小説の世界ではまだある程度残っているようです。そうしないと、だれの会話か区別できないのですね。これも金田一さんが書いていたと思うのですが、『金色夜叉』でダイヤモンドを見た人たちが口々に「ダイヤモンドだ」という場面があります。「ダイヤモンドだ」「ダイヤモンドよ」など、文末のちょっとした違いで男女どちらの会話かわかるのですが、英訳すれば全部同じになってしまいます。

方言も英語には直しにくいのでしょうね。外国語にも方言があるはずで、英語と米語のちがいも方言と言ってよいかもしれませんが、同じイギリスでも地方によって訛りがあるようです。よくネイティブの英語とか言いますが、ひょっとしてイギリスの大阪弁をしゃべっている人かもしれません。というより、日本語の共通語にあたるものがあるのでしょうか。日本人が学校で教えられているのは、イギリスのどの地方、あるいはどの階層のことばなのでしょうか。いわゆるキングス・イングリッシュとかクイーンズ・イングリッシュと呼ばれているものでしょうね。日本で言えばNHKで使うことばが「共通語」であるように、BBCで使うことばが共通語というイメージなのでしょう。でも、スコットランド方言とか、リバプール訛りとかマンチェスター訛りとかあるはずで、だいたいロンドンの下町っ子のことばなんて、江戸っ子のことばと同じでしょう。コックニーというやつですね。「エイ」が「アイ」になり、「H」の音が落ちてハヒフヘホがアイウエオになるというのが有名です。

『マイ・フェア・レディ』で、ヒギンズ教授がイライザに教えたのは「ザ・レイン・イン・スペイン・ステイズ・メインリー・イン・ザ・プレイン」と「イン・ハートフォード・ヘリフォード・アンド・ハンプシャー・ハリケーンズ・ハードリー・ハプン」という文でした。イライザの発音では「ザ・ライン・イン・スパイン・スタイズ・マインリー・イン・ザ・プライン」「イン・アートフォード・エリフォード・アンド・アンプシャー・アリケーンズ・アードリー・アプン」になる、という有名な場面です。うまく発音できるようになると、なぜか唐突に歌い踊り出します。あのミュージカルというのは、どうもなじめません。日本にも、浪曲という一人ミュージカルがあることはあるのですが、語りから曲への移り変わりがまだ自然なので許せます。いきなり激しく歌い出すのは抵抗が強い、とタモリも言っていましたね。

話がそれはじめているので英語の訛りに話をもどすと、インド人の英語もシンガポールの英語も相当訛っています。シンガポール訛りの英語はシングリッシュと呼ばれるぐらいですが、ドイツ人だってフランス人だって、多少は訛るのでしょう。日本人が「ネイティブ」のように話せないのは当然ですよね。竹村健一という評論家がいましたが、あの人の英語もすごかったなあ。「だいたいやねぇ」から始まって、相当きつい関西訛りでしゃべる人です。「ぼくなんか、これだけですよ、これだけ」と言って、手帳のCMをやってましたが、あの人の英語も関西弁アクセントになってました。でも、通じているのですね。考えたら、外国人が多少変なアクセントで日本語をしゃべっても通じるのだから、「ホッタイモイジクルナ」が通じるのも当然でしょう。

映画で明らかにテキサス訛りでしゃべっているとき、字幕も「田舎風」のことばになっています。第一人称として「I」と言っているのに、字幕ではなぜか「おら」になっています。あれは方言というより「役割語」ですね。だいぶ前の朝日新聞にオリンピックの陸上のボルト選手と水泳のフェルペス選手のインタビューの比較について、興味深いことが書かれていました。ボルト選手は「オレ」で、フェルペスは「僕」と翻訳されているというのですね。「野性的」な感じと「知性的」な感じの対比でしょうか。それとも、黒人と白人の対比? こういう使い方が繰り返されるうちに、固定観念として一人歩きしていくのですね。少年マンガの主人公が「おれ」と言うのか「ぼく」と言うのか、ということだけでその性格がある程度想像できますし、アニメの博士はなぜか必ず自分のことを「わし」と言いますな。いまどき「わし」という人は少ないと思うけどなあ。

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2014年4月15日 (火)

山田エリザベス

調べてみたら、中国と韓国では事情がちがうようですね。韓国と日本ではおたがいに本来の発音にしたがおうということになっているようですが、中国の人は勝手に自国語風に読んでもよいそうです。中国では表音文字がないので、どう読むか伝えようがないからかもしれません。ですから、それに合わせて日本でも日本語の読み方を利用して、本人の希望とは関係なく勝手に読んでいいのですね。朝日新聞はなぜか必ず「シーチンピン」というふりがなをつけていますが、習近平は「しゅうきんぺい」でかまわないし、安倍晋三は…なんだか知りませんが、中国の発音で読まれるのでしょう。

世界史で、シーザーがいつのまにかカエサルになったり、ジンギスカンがチンギス・ハーンになったりしているのも実際の発音に近づけようということでしょうか。地名もベニスをベネツィアと言うのがいまの「はやり」のようです。ピザとピッツアはどうちがうのかなあ。Pizzaの綴りを素直に読めば「ピザ」のような気もするし、昔は「ピザパイ」と言っていました。現地音主義なら「ピッツァ」でしょうが、なんだかちがうものを食べているような。外来語は、あくまでも「日本語」なのだから日本風の「ベタ」な発音でいいはずです。野球の「チーム」は「チーム」であって、「ティーム」と気取って発音するアナウンサーはあまりかしこくないにちがいありません。

国名は以前からいろんなタイプのものが混在していますね。スペインはエスパーニャではなく、英語経由のようですが、ドイツはジャーマニーではなく、ドイチュラントがもとになっています。イギリスなんて、日本でしか通用しないでしょう。幕末のドラマでは「エゲレス」「オロシャ」ですね。でも、中国の揚子江は「ようすこう」だし、毛沢東は「マオツートン」と読む必要はありません。「けざわあずま」という、ふざけた読み方もありましたが。ところが北京はペキンですね。南京もナンキンだし、上海はシャンハイです。「中華人民共和国」は日本語風に読みながら、その中の一都市は中国語風に読むのですね。日本の東京はやはり中国では「トンキン」と発音されているのだろうなあ。

日本人の名前でひらがな書きの場合は、中国ではどうなるのでしょうか。「美空ひばり」なら意味を考えて「美空雲雀」で切り抜けられそうですが、浜崎あゆみは勝手に「歩」とするのでしょうか。で、そのうえで中国風の発音で読まれるのだから、本人は自分のことを言われてもまったく気づかないでしょう。「郷ひろみ」の「ひろみ」はどんな字をあてるのでしょうか。林家こん平はどうなるのかなあ。「こん」の部分は「近」の字をあてて「チンピン」と読まれるのかもしれません。たしかサザンオールスターズは「南天群星」と書いてあったような気がしますが、あれは「意訳」ですね。ドラえもんは、「機械猫」だったはずですが、いまは「多拉A夢」と書かれています。「たくさん拉致する」という前半にもひっかかりますが、後半でアルファベットを使うなら、西洋の人も含めて、日本人の名前だって本来の発音に近い形で書けるでしょう。「D0RAEMON」でいいはずなのに、無理矢理漢字にあてはめるのですね。これは、いつのまにか意訳から音訳になっています。やはり音訳がいまの「はやり」なのでしょう。コカコーラが「可口可楽」、ケンタッキーが「肯徳基」であるのは有名です。漢字の意味も考えた上での選択でしょうが、さすがにうまいものです。でも、「牛頓」がニュートンというのは苦しいなあ。

ニューヨークの「紐育」、トルコの「土耳古」も音訳ですが、「河内」がハノイを表すのも音訳でしょう。ただし、日本の「河内国」はあくまでも「かわちのくに」ですし、「佐村河内守」も「さむらハノイまもる」ではありません。タイを「泰」で表して、ミャンマーを「緬」で表した「泰緬鉄道」というのもありました。映画『戦場に架ける橋』ですな。ウィリアム・ホールデンとかアレック・ギネスなんて、顔も忘れましたが。早川雪洲という人も出ていました。ハリウッド映画に出る日本人俳優といえば、この人しかいなかったのですね。「セッシュする」という業界用語のもとになった人です。人物やセットの高さを調整するという意味ですが、日本人の早川雪洲は背が低いので、アメリカ人と並んでアップになる場面では踏み台の上に立ったということから来ているそうです。『戦場に架ける橋』は知らなくても、主題歌はいまでも知っている人が多いはずです。「クワイ河マーチ」です。ミッチ・ミラー合唱団でしたか、「サル、エテコ、チンパンジー」と歌ってましたな。

ハリウッドは漢字で「聖林」と書かれていましたが、実はまちがいだったそうです。Hollywoodは「ひいらぎの森」という意味なのに、Hollyを、「聖」を意味するHolyとまちがえたのだそうな。「牛津」というのもありました。これで「オックスフォード」と読むのですが、「オックス」は牛です。英語というのは牛をやたらと区別しますね。「カウ」は雌で、雄は「ブル」。これと闘うのが「ブルドッグ」です。食べるときは「ビーフ」。同じ雄でも車をひくようなのは「オックス」、「フォード」は「浅瀬」なので、「オックスフォード」は牛が歩いて渡ることのできる浅瀬ということで「牛津」と書いたのでしょう。ところが一方の「ケンブリッジ」は「剣橋」です。「ケン」はそのまま音訳で「ブリッジ」は「橋」という混合タイプです。石橋さんのブリジストンは統一がとれていますが、なぜ「ストンブリジ」の逆になったのか。表記は「ブリヂストン」が正しいのか、今のかなづかいで「ブリジストン」とすべきなのか、なかなか悩ませる会社です。

現地音主義で行くべきだという人でも、東南アジアのタイとかベトナムの発音は難しく、真似できそうにありません。現地の発音で、と言われても無理だろうなあ。ユダヤの神の名ももともとの発音がわからんとかいうことです。「ヤハウェ」とか「エホバ」が正しいわけではないらしいですな。ジャッキー・チェンとかアグネス・チャンとか、中国系の人なのに、英語の名前(?)をつけている人がいます。山田・ゴンザレス・太郎のようなクリスチャン・ネームというわけでもなさそうです。香港の人はイギリス人とのつきあいが多かったので、自分で好き勝手な名前を付けたのでしょう。これもやはり正しい発音が欧米人には難しいので便宜上の名前ということで採用したのではないでしょうか。山田花子が「わたしのこと、エリザベスと呼んで」と言うてたのとおんなじですな。

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2014年3月29日 (土)

オーバー・アイランド・ドラゴン・ソルジャー

小さい子どもがオトナ語を使うのはいやですが、オトナのまねをしたくなるというのはわかります。背伸びしたくなるのでしょうね。よく知らないものでも、子どもというのは、何でも取りあえず言ってみるというところがあります。授業の中で「古代ギリシャの哲学者」という話になったとき、「○○○○ス ○○○ン ○○○○○○○ス」というふうに板書すると、「ゴンザレス」とか「コペルニクス」とか「アルキメデス」とか好き勝手なことを言います。真ん中のを「プ○○ン」としたら、「プランクトン」と字数を無視して言うし、最後のなんかは「ティラノサウルス」と言って受けを狙うやつもいます。「アリガトゴゼマス」と言ったやつの頭の中はどうなっているのでしょうか。

「生産者」を外来語にすると「○ー○ー」という形になる、と言うと、必ず「ヒーハー」と言うやつがいます。「メーカー」という答えが出て、では消費者も「○ー○ー」の形になるが、と言うと「メーカー」の反対だから「カーメー」という「バーカー」なやつが出てきます。副詞の呼応で、「たぶん」は「だろう」、「けっして」は「ない」ということばが必ずあとに来る、こういうのを「呼応」と言う、では「きっと」と呼応することばは、と聞くと、間髪入れず「カット」と答えるやつは頭がいいのか悪いのか。「比叡山を焼き討ちしたのは?」と聞いたら、「聖徳太子」と答えたやつもいました。思わず「おい!」と突っ込みましたが、灘志望の男の子は社会の知識がない者が多いので、しかたありません。仏罰があたっても、あたっていることにも気づかないでしょうな。

「(  )民」を「中産階級」という意味の三字熟語にしろ、という問題では、さすがに「小市民」はなかなか出ませんでした。「非国民」と言ったやつは、ほめてやってもよいのではないでしょうか。「ミイラが三人発掘された」を訂正する問題がありました。正解は「三体」なのですが、「ミイラ」を「ミイラ男」にしたらあかんのか、という発想をした生徒がいます。相当鋭いようですが、「ミイラ男が発掘された」というのは、なんか変ですし、ミイラ男は、はたして「三人」と数えるのか? 妖怪はどうなのでしょうか。「ぬらりひょんが三人現れた」と言ってよいのか。「ぬらりひょん」自体、種族名なのか固有名詞なのか。鬼太郎は、「おい、ぬらりひょん」と呼んでいるようなので、固有名詞のような気もします。固有名詞なら、ローマ字で書くと、最初は大文字にしなければなりません。

ローマ字も、考えたら妙なことがありますね。「天満橋」の駅の表示を見ていたら「TEMMA」と書いてありました。「M」があとに来るため「ん」の音も引っ張られて「M」になっています。ところが「天神橋」なら「TENJIN」です。「橋」が「HASHI」になったり「BASHI」になったりするのは、実際に発音が変わるのだから納得ですが、「M」と「N」の発音の変化はちょっと聞き分けられません。「天王寺」も当然「N」ですね。「天王寺」は「TENNOJI」となって、「てんのーじ」ではなく、「てんのじ」とも読めます。長く伸ばすのかどうかも問題ですね。また、人名でも「大野」と「小野」はどう区別するのでしょうか。野球の「王」さんは「OH」にしないと、背番号が「0」なのかと思われます。安倍首相は「Abe」で、なんの問題もないようですが、日本人なら素直に「アベ」と読んでも、アメリカ人などは「エイブ」と読んでしまうのではないでしょうか。小泉さんも「ジュニチロー」と発音されていましたが。

逆に、外国人の名前でも、どう読んでいいのかわからないというのもありますね。「ギョエテとはおれのことかとゲーテ言い」という川柳があります。たしかに「Goethe」はどう読むのか、なやみます。アメリカ大統領のレーガンは、はじめはリーガンでした。映画俳優だったときには自分でもリーガンと発音していたそうですが、身近な人で綴りは違うのですがやはり「リーガン」という人がいたので、区別するために自ら「レーガン」に変えました。映画がらみで言えば、「オードリー・ヘップバーン」と言っていますが、ローマ字のヘボン博士と同じ綴りだとか。まあ、だいたいイエス・キリストだって、日本ではイエスですが、アメリカではジーザス・クライストでしょ。だからアメリカでは「あなたはキリストですか」「イエース」と言っても笑ってくれないのですな。「エスさんわてを好いてはる」という関西弁の歌は賛美歌です。「エスさん」は「イエスさん」の訛りですね。古代ギリシャの歴史家トゥキディデスが「築地です」に聞こえるというのもありました。

同じ名前でも国によって発音が変わるという例でよく出てくるのはピカソですね。スペイン読みだと「ピカソ」でも、英語読みすると「パイキャッソー」なので、まったく別の人みたいです。ミハエル・シューマッハは本人がマイケルと呼んでほしいということですが、「ミハエル」自体、「ミヒャエル」と書いてあったり、「ミハイル」と書いてあったり、書き方の問題もありそうです。最近は「アンビリーバボー」と表記しますが、綴りの感じからは「アンビリーバブル」ですね。「チューン・アップ」とか「ライン・アップ」も「チューンナップ」「ラインナップ」と書くべきなのでしょうか。人名については、その人の国でどう呼ばれているかにしたがうのが素直なような気がします。イギリス人のジョージはゲオルグと呼ばれたくないでしょうし、チャールズはカルロスと言われたら、「だれ?」と思うでしょう。アンリ・シャルパンティエをヘンリー・カーペンターと言ってしまうと、まったく別の店のようです。このあたり、西洋ではどう扱っているのかなあ。自分の国の発音で呼んでいるような気がします。そもそも綴りが変わるでしょう。

中国や韓国の人の名も現地読みになりました。金大中あたりから変わったような気がします。同じ漢字を使いながら、日本では習っていない読み方で読まなければならないのは不自然なような気もしたのですが、世界の報道と日本の報道とで読み方がちがうのはおかしいということだったのかもしれません。向こうの人から文句を言われたのかなあ。ということは、安倍晋三さんは、中国のニュースでも「あべしんぞう」と正しく発音されているはずです。日本に現地読みを要求しながら勝手に中国の発音にしているなんてことはまさかないでしょう。でも、フランス人は鳩山さんの最初のHは発音しないから「あとやま」と読んでしまうだろうなあ。BとVとか、RとLのように、カタカナで書き分けられないものもあり、発音の系統がちがうのでもともと無理があります。とはいうものの、やっぱり自分の名前をアンダーマウンテンライトライトとは言われたくないしなあ。

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2014年3月18日 (火)

お天気の話→京都人の話→雪山の話

なんか暖かくなってきましたね。やはり東大寺のお水取りが終わるとぐっと春らしくなります。

なんてことを《ザ・京都人》の前でいうと、ひんやりした空気が流れて、「は? 関係あらしまへんやろ」的な顔をされてしまうわけですが、ぜひとも京都と奈良、同じ古都どうし仲良くしてほしいものです。

ちなみに、ここでわたくしが《ザ・京都人》と呼ぶのは、単に京都に住んでいらっしゃる方のことではなく、いかにも京都人らしい京都人、以下の項目のいずれかにあてはまる人のことです。

1 京都が盆地でいかに寒いかを強調する。「でも京都がいくら寒いって言っても昭和基地ほどじゃないでしょう」と反論すると、「京都は底冷えしますさかいに」とやんわりたしなめてくる。

2 「あの店は井戸水使たはるさかい」と言う。

3 おのぼりさんのことを揶揄して「『しじょうとりまる』言わはるさかい、どこのことやろ思て」と、知っているくせにとぼける。

いかがでしょうか、みなさんのまわりにもいらっしゃるのでは? ザ・京都人。もしかすると、「うちのことどすか」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。失礼しました。

以前にも、奈良県の人に「リニアモーターカーは、奈良は通るだけで止まらないんですよね」と言って怒られたことがあるんですが、我ながら懲りないもんです。と、そういえば、リニアモーターカーはどうなるんですかね。京都ではちょっとしたキャンペーンやってますね、リニアモーターカーを京都に! みたいな。あれ、奈良の人は怒っているんだろうなあ。これについては奈良の人に同情的です。

もし大阪が「府」から「都」になってしまったら、やはり《ザ・京都人》は「きっ」とまなじりを吊り上げて、京都も「府」ではなく「都」に、みたいなキャンペーンをはるんでしょうか。そしたら、「京都府」から「京都都」になるのかしら?

それはともかく、僕としてはそもそもリニアモーターカー計画自体がどうも。南アルプスの下を通すって聞いた瞬間に頭がくらくらしてしまいました。

ああ、南アルプスのことを思いうかべたら山に行きたくなりました。入試が終わったら雪山に行こうと思っていたんですけど、新年度の準備も忙しかったし、なんだかこの冬は妙に寒がりになってしまって、「雪山? 考えただけでガクガクブルブルだよ~」とか言って日和っちゃったんです。後悔しています。

雪山というのは格別です。例によってカメラマンの腕前がへぼで申し訳ありませんが、

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だれもいない山のうえでこんな風景のなかにいると泣いちゃいます。

夏山もそりゃじゅうぶんに美しくて幸せなんですが、やっぱり雪山は、ちょっと、別格です。ヒマラヤとか行ったらもっとすごいんでしょうね。でも、行きません。僕なんかが行ったら死ぬから。

日本の雪山でもちょっと油断したらすぐに死ねます。

雪山に行きだしてすぐの頃、北アルプスの雪山にひとりで行くのはまだちょっと自信ないなあ、でも滋賀の比良山系ぐらいならね、みたいな気分でいた頃ですが、10月下旬にひとりで穂高に行きました。Y田M平trに、「この時期の秋山は一晩で雪山になることがあるから、ピッケルとアイゼンはちゃんと持っていくように」と言われて一応持って行きましたが、まあ、だいじょうぶだろうと何の根拠もなく思ってました。単なる願望ですね。シーズン最後の山登りですから、雪なんか積もっていない、安全で楽しい秋山登山がしたい、できなければいやだ、できるはずだ、みたいな。うん、我ながら人間の小ささがよく出てるなあと思います。

上高地に着くと、山には雪が。もちろん、真っ白というわけではありません。ところどころです。だから、だいじょうぶだと思ったんです。すごく甘い判断です。甘いというか、何もわかっていないですね、平地のイメージなんです。大阪あたりの街中でところどころにしか雪がないというのは日陰以外は雪が解けちゃってるからですよね。なんとなくですが、そんなイメージでとらえてしまってるんですね。標高ざっと1000メートルの上高地から3000メートル級の山を見て、そんなふうに見えるってことは、実際に登ってみたらどうなっているのか、ということがまるでわかっていなかったわけです。

で、るんるん気分で前穂高めざして登りはじめました。登山道に雪はありません。さっさと穂高岳山荘に着いてビールを飲みたいので、ぐいぐい登っちゃいます。当時、前穂高に行く途中にある岳沢小屋は再建工事中でした。横を通ったときに、小屋の人になんとなくいぶかしげな、変な顔で見られたような気がしましたが、あまり気に留めませんでした。

重太郎新道は結構きつい急登の連続です。だいぶ登ったあたりで、ところどころ雪が出てきました。そのうち雪を踏まないと歩けなくなり、バランス感覚が悪くてすぐに足を滑らせてしまう僕は、やがてアイゼンを履きました。Y田先生の言うとおり持ってきてよかったなあ、なんて呑気に思ってました。すぐに登山道は完全に雪に埋もれました。

それでも、前穂高と奥穂高の分岐までは比較的良いペースでした。ザックを分岐に放り出して、前穂の頂上をめざして登り始めたときに、ようやく、ちょっとまずいなと思いました。なんか怖いんです。アイゼン履いてピッケルも持っているんですが、まあ、素人同然です。今でもそうですが、当時はもっとそうでした。だから、まともに歩ける気がせず、滑りそうで怖いんです。しばらくがんばって進みましたが、ちょっと血の気が引いてきたので、分岐に戻りました。問題はそこからです。奥穂高に向かう道は「吊尾根」と呼ばれています。前穂と奥穂を結ぶ、まさしく「吊橋のような美しい弧を描く稜線」だからです。

僕の実力を考えればそこで下山するべきでした。なのに、何を考えたのか、僕は吊尾根に突っ込んでしまったんです。なんとなく、しばらくがまんして歩いたら奥穂はすぐだというような錯覚があったみたいです。所要時間についての判断もおかしくなっていました。夏山と同じようなもんだろうという、まったくもって非理性的な判断を、なんとなくしてるんですね。「なんとなく」という言葉がくり返し出てくることがそのときの僕の心理を物語っていると思います。ふわっと行っちゃったんです。

吊尾根は、雪のない季節に歩くと、とても気持ちの良い道です。ほどほどに鎖場もあって岩登りっぽいところもあって楽しめます。でも、そこに40~50センチほど雪が積もっていると、状況は一変します。

まず、ルートを示す目印(たいてい、岩にペンキで丸印や矢印が描かれている)の多くが隠れてしまいます。

そして、まだそのうえをだれも歩いていない新雪が積もっているということは、単に登山道が消えるということだけではなく、平坦な部分がなくなっているということです。本来の山の斜度そのままの雪の斜面を延々トラバースしつづけることになります。雪山素人の僕が。

岩場にくると、むき出しの岩と雪のミックスです。岩にアイゼンを引っかけて進みますが、手で岩をつかもうにも、手でつかみやすい形状になっているところは雪が積もっています。

で、このあとが問題なんですが、僕はこのとき、ものすごく油断していたのか、手袋を忘れてきていました。ほんまにアホなんです~。だから、ずっと素手でピッケルを握り、ときには雪に手を突っ込んで岩をつかんだりしなければなりませんでした。

さらに怖ろしいことに、というか、アホなことに、いざというときのためにつねに持ち歩いているべきツェルト(まあ、簡易テントとでも思っていただけばよいかと)まで僕は忘れてきていました。

このあたり、恥をしのんで告白しているわけですが、ほんとに最低の登山者でした。

途中、ルートがわからなくなり、たぶんこっちだろうと思いながら雪の斜面を登っていくと、登り切ったところが向こう側にすっぱり切れ落ちた断崖になっており、また、横にトラバースすることもできないような斜度の雪面になっているため、怖い思いをして元に引き返すなんてことも何度かありました。当然下りの方が怖いわけです。基本的にトラバースの連続ですから、つねに左側は切れ落ちており、滑落したら、滑落停止訓練なんかほとんどしていない僕は数百メートルは止まらなさそうです。

気がついたら、日が暮れようとしていました。

なんとかザックをおろせる場所を見つけて、ヘッドランプを出したんですが、点灯しない。電池は切れていない証拠に、ときどきは点く。でもなぜかしばらくすると消える。ずっと手でスイッチを押していたらなんとか点いていますが、上述したような状態なので、そんなわけにもいきません。

そうこうするうちに、ガス(霧)がすごい勢いでわいてきました。

終わった、と思いました。

これが遭難か。遭難した人たちってたとえばこんなふうにして死んだんだ。ルートが見えなくなってむやみに歩き回ったあげく、注意力が散漫になって滑落したり、疲れ果てて低体温になったり。

とりあえず、Y田M平に電話でもしてみよう。何かアドバイスがもらえるかもしれない。電波が通じればの話だが。

と思って試しに電話するとなんと電波がつながりました。

「はい」

「Y田先生、遭難しちゃった」

「え!?」

ツーツー。

なぜかこの絶妙のタイミングで電波が不通に。そしてそれっきりつながりませんでした。あとで聞きましたが、Y田先生、めっちゃ心配してくれたらしいです。そりゃ心配しますよね。ほんとにすみませんでした。

死にたくなかったらとにかく歩くしかないので、僕としてはめずらしくビールのことなどほとんど考えずに(つまり少しは考えた)、とにかく滑落しないように細心の注意を払って、アイゼンを雪面に蹴り込み、ピッケルをたたき込んでぐいっと引きちゃんと岩にかかっているか確認しながら、一歩一歩カニみたいに横歩きしていきました。頭のなかでは5:5とか4:6とか、気力が萎えかかると3:7とかそんな数字が踊ってました。

何がありがたかったかといって、霧がすぐに晴れたこと、そして、そのあと、雲ひとつない夜空にきれいな半月が出たこと、僕が助かったのはあの月のおかげですね。今でもときどきお月様には手を合わせるようにしています。

吊尾根を突破して、奥穂直下までたどり着いたときに、これで死ぬことはないな、とようやく安心しました。以前、春に、Y田先生と雪の奥穂に登ったことがあったので、慎重であることさえ失わなければだいじょうぶだと確信できました。でも、かなり疲れ果てていたので、なんだかきれいな鈴の音が聞こえてきたり、岩に話しかけたりして、若干ではありますがおかしな状態でした。前の日、自分で車を運転してきたのでほとんど眠っておらず、ほぼ徹夜だったんです。バスの中で、30分ぐらい眠ったかなという程度でした。

穂高岳山荘に着いたときには、夜10時をかなり回っていました。ざっと15時間歩き続けた計算ですね。

次の日、ベテランぽい登山客に「吊尾根通ってきたって? 自殺行為だな」と吐き捨てるように言われました。まあ、僕について言えばそれは当たりかもしれません。でも、ヒマラヤに何度も行ってるY田M平みたいな人であれば、自殺行為ってことはないはずで、単に僕の判断と技術と心がけのすべてがまるでなっていなかったという、それだけのことです。

こうして書いていても冷や汗が出てきますが、今となっては、いい経験をしたなとも思います。

車にひかれかけて「もう少しで死ぬところやった」みたいなことはよくありますが、このままだと死ぬなあと思いながら歩き続けるなんてあまりないですからね。

「絶望」ってどういうものか少し垣間見えたような気さえしました。なんというか、心が黒く塗りつぶされていく感じです。「いや、だいじょうぶ、なんとかなる」と自分に文字どおり言い聞かせ言い聞かせて、黒いのを振り払いながら歩いた、そんな10時間でした。

次の日、電波がつながるところまで下りてY田先生に電話をし、無事を報告しました。くり返しくり返し僕の携帯に電話をくれていたみたいです。感謝。すみませんでした。

さあ、反省もしたことだし、雪山行くぞ~。

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2014年3月 9日 (日)

オトナ語

歌舞伎のせりふを会話や文章の中に入れるのは最近さすがに見なくなりましたが、外国ではシェークスピアや聖書のフレーズを引用することが今でも多いのでしょうか。昔、ラジオで「心に愛がなければどんなことばも相手に響かない。聖パウロのことばより」とか言っていましたが、「聖パウロ」が何者なのかわからないので、そのことばもいまいち響かない。タモリが外国人宣教師に扮して、片言の日本語で、「みなさーん、そうでジンジャー…おお、まちがいましーた、そうでしょうが」とやってました。こちらのほうは響きました。「知らざあ、言って聞かせやしょう」とか、「こいつぁ春から縁起がいいわい」のような歌舞伎のせりふをなんの断りもなしに会話の中に入れても、あれだなとすぐわかったように、聖書のことばを引用すると、向こうの人はピンとくるのでしょうね。

日本語に訳されたものでは、たまに語注がついていて、なるほどと思うことがあります。「俺のものは俺のもの、おまえのものも俺のもの」という、よく聞くフレーズも、もとはシェークスピアらしいですね。ただし、「俺のものはおまえのもの、おまえのものは俺のもの」だったとか。「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ」は、日本語のせりふとして使うと、くさすぎます。「生きるべきか死ぬべきか」はあまりにも有名ですが、「To be or not to be,that is the question」をいちばんはじめは「ありますか、ありませんか、それは何ですか」と訳したとか。「ながらうべきか、ただしまた、ながらうべきにあらざるか、ここが思案のしどころぞ」とか「死ぬがましか、生くるがましか、思案するはここぞかし」とか、簡潔なのは「生か死か、それが問題だ」とかありますが、実際に使う機会は当然ながら多くありません。

ある場面では必ず使うフレーズというものがあります。常套句というよりテンプレートの文ですね。合戦の場で武士が言う「やあやあ我こそは」も決まり文句ですね。「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ」というやつです。敵討ちのときに言うせりふも決まっています。「ここで会うたが百年目、盲亀の浮木優曇華の、花咲く春の心地して、いざ尋常に勝負、勝負」とか言います。百年に一度しか水面に出てこない亀がいたそうで、しかも目が見えない。それなのに、大海に漂う浮木のたった一つの穴にはいろうとしたということから、出会うのが至難の業であることをたとえて「盲亀の浮木」といいます。「優曇華の花」は、三千年に一度開くということで、これもめったにないということのたとえです。「がまの油売り」というのもありました。小学校のときに覚えたと思うのですが、元になったのは何だったのやら。「さあさあ、お立合い。ご用とお急ぎのない方はゆっくりと見ておいで。手前ここに取りいだしたるはガマの油。ガマはガマでもただのガマではない。これより北、筑波山のふもとで、おんばこと云う露草をくろうて育った四六のガマ。四六五六はどこで見分ける。前足の指が四本、後足の指が六本、合わせて四六のガマ。山中深く分け入ってとらえましたるこのガマを、四面鏡ばりの箱に入れたるときは、おのが姿の鏡に映るを見て驚き、タラーリタラーリと脂汗を流す。これをすきとり、三七、二十一日間、トローリトローリと煮つめましたるが、このガマの油」というやつですが、これは長すぎる。

短いフレーズなら、あいさつや政治家の答弁でもよく見られます。「ただいまご紹介にあずかりました山下でございます」という言い回しや「ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」という締めのことば。これらを使えば一応かっこうがつくという点では便利です。ただし、心がこもっているようには受け取られない。何か事件があったときの政治家の「jまことに遺憾に存じます」も心がこもってはいませんが。「それが本当なら大変だ。可及的速やかに善処いたします」が「何もする気がございません」という意味と同じであるように、黙っているわけにもいかないので、取りあえずしゃべるフレーズという位置づけですね。結婚式の「本日はお日柄もよく…」や会のはじめの「ご多忙の最中ご来場有難う御座います」なども取りあえず語として重宝します。ある業界の方の「ただで済むと思うなよ」などは、びびらせる効果がある分、ちょっとちがうようです。

糸井重里の『オトナ語の謎。』という本では、子どものときには絶対に使わなかったのに、大人になったらよく使うことばが載っています。「お世話になっております」「よろしくお願いいたします」「お疲れ様です」など、いつのまに使うようになるのでしょうか。「いただいたお電話で恐縮ですが」「ご足労頂きまして」「その節はどうも」「お噂はかねがね」なんてのは「熟練」したサラリーマンという感じです。こういうことぱがサラッと出てくると、おヌシできるなと思われるようになります。「取り急ぎ」「落としどころ」「ざっくりと」「さくっと」なんてのもオトナ語ですね。「なるはや」「午後イチ」となるとサラリーマン語でしょうか。「一両日中に」というのも子どもは使いません。相手の会社の名前に「さん」を付けるとか「営業のニンゲンに聞いてみます」のような、普通のことばを特殊な用法で使うのもオトナ語です。月のはじめの日のことを「いっぴ」と言うのも、オシャレと言うかダサいと言うか、特殊な世界のことばのような感じがします。「いや」を四連発で「いやいやいやいや」と重ねたあと、「なにをおっしゃいますやら」となるとおっさんですな。オヤジ語としては「ロハで手にはいる」とか「今夜はノミュニケーション」「ガラガラポン」なんてのがあります。「なんにも専務」とか、会議中に寝る人がいたら「山下スイミングスクール営業中」とか、ダジャレ系になると脱力してしまいます。 「さもありなん」「ならでは」「あらずもがな」「聞こえよがし」「やいなや」などはいかにも古くさいことばですが、灘の入試で出ていました。こんなことばを使う幼稚園児はいやです。大人が日常使うことばをどれだけ知っているかが、国語力の有無をはかる上で大きな指標になりますが、可愛げがありませんな。しかし、いつかは覚えなければなりません。そこのところ、ひとつよしなに。

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2014年2月25日 (火)

河内守

入試が終わってすぐ妙に暖かくなったせいか、もう春になったんだというような錯覚を起こしてぼんやりしていましたが、いつのまにか新年度がはじまりめちゃくちゃ寒くなったかと思うとオリンピックまではじまり、そして気がついたらオリンピックは終わり、寒さも緩んできました。

ぼんやりしたり新年度の立ち上がりを必死でこなしたりしているあいだに世の中ではいろんなことがあったみたいですね。大雪が降り、マー君がアメリカに行き、だれかが金メダルをとってだれかがとりそこなって、都知事選があり、府知事選・・・・・・はまだでしたっけ、あと、ウクライナがたいへんなことになったり、仮面ライダー鎧武で主人公が誤って友人をやっつけてしまったり。

オリンピック開幕直前には佐村河内守という人がちょっと話題になってましたね。僕はてっきり「さむらかわちのかみ」と読むのかと思ってたんですけど。えへへ。聴いたことがないのでどんな音楽かわかりませんが、だまされていちばん怒っているのはきっとマスコミの人なんでしょうね。CDを聴いて良い曲だと感じた人にとっては、だれが作曲したかとか、河内守さんの耳が聞こえるかどうかはどうでもいいことのはずで(だって曲の良し悪しとはまったく関係ないから)、したがって、この音楽が好きでCD買ったんだという人にしてみれば別段腹を立てる理由はないですよね。ただ、耳の聞こえない人が作った曲だということだけで感動してあのCDを買った人は、腹を立てるかもしれません。僕としてはそんな理由でCD買うなよと思いますが、まあそのへんは人それぞれなのでしかたないかなとも思います。ただ音楽好きの立場からすると、耳の聞こえない人がつくった音楽だと思うと良い音楽に聞こえて、そうでなかったら怒るっていうのは、音楽に対する冒とくの匂いがします。その点、あの、スケートのおにいちゃんは偉かったですね。本心かどうかはわからないけど、はっきりと、音楽が良いと思って選んだんだから関係ないって言ってましたから。

音楽といえば、永遠に宇宙一かっこいいシベリアン・ニュースペーパーが活動を休止するそうです。父の亡くなった年にはじめて彼らの音楽を知り、まだ1枚しか出ていなかったアルバムをくり返しくり返し聴きながら、病院に見舞いに行ってたのを思い出します。『フラグメンタ』という曲を聴くと夏の北アルプスの三千メートル近い稜線の風景、『オンディーヌ』は沢の情景、『プルートレモンスカイ』は雪山の黄昏どき、まだ少し青さの残っている空にうかぶ月を思い出します。シベリアン・ニュースペーパーに出会った頃、父の亡くなった頃、山に登りはじめた頃が、だいたい同じなんです。はっきりしないつながりが何かあるのかもしれません。

そうそう、来週の3月4日から入試分析会がはじまります。最近、その準備に忙殺されていますというか、忙殺されないように逃げ回っていますというか、そういう状態です。8校分つくらないといけません。去年よりは少ないんですが、そのぶん深い分析にしたいと思って悪戦苦闘しています。苦悶しています。正直、入試問題の傾向なんて、毎年毎年変わるものじゃないじゃないですか。でも、毎年同じ話だとつまらないですよね。もちろん、学校のポリシーが感じられる部分、はっきりとしたその学校の特色には、それが毎年変わらないからこそ、ちゃんとふれなければいけませんが、「今年も去年と同じです~、よろぴく~」なんていうわけにはいきません。今年はじめて入試分析を聞かれる人もたくさんいらっしゃるけど、去年もお聞きになった人もたくさんいらっしゃるわけで、去年と同じことしゃべっとるわ~と思われて帰られるのはちょっと希学園の沽券に関わるというか。かといって、ただの年度による差、つまり「ぶれ」をとりあげて仰々しく「今年度の傾向」だなんてばかばかしくてやってられないし。というわけで、なんとか、その学校の特色、はっきりとした変わらぬ傾向はしっかりおさえつつも、新しい視点を持ち込みたい、「おもしろい/良い話が聞けた」と感じて帰っていただきたいと思って、現在、呻吟中です。そして、なんだか孤独な辛い気持ちになって、ついついブログを書いてしまうのであった・・・・・・。孤独に耐えていっしょうけんめい課題に取り組んでいる子どもたちは偉いです、ほんと。

というわけで、3月4日からです、入試分析会。ぜひお越しください。

希学園にお子さんが通われていない、いわゆる一般生の保護者の方もぜひぜひお越しください。

おもしろいですよ~、特に国語とか吹いてしまっていいのだろうか・・・・・・。算数や理科社会の先生が読んでたら・・・・・・。ま、怒られたら謝るのみっすね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年12月15日 (日)

客観視

いつのまにか本格的な冬が訪れようとしています。いよいよ2013年度も大詰めの時期を迎え、関西の小6生諸君にとってはいわゆる前入試まであと3週間ほどです。

 

毎年多くの受験生を入試へと送り出します。入試が近づく度に何人もの卒業生の顔を思い出すのですが、その中に次の二人の生徒がいます。仮にAくん、Bくんとしておきましょう。

 

Aくんは合格体験記を書いてくれました。合格体験記を読ませていただくと、さまざまな発見や感動があります。特に小6終盤期は毎日のように接するのですが、日ごろの様子からうかがい知れなかった心持ちを知ることがあります。

Aくんも自分の体験記に、日々の努力の様子、スタッフや講師陣への感謝の言葉を書き連ねてくれました。ご両親、ご家族への感謝の言葉もありました。その中に私がいたく感心した一節がありました。

小6になると毎日のように塾の授業があり、夕食は塾でお弁当を食べることが多かった、というくだりに続けて、ぼくのお弁当は毎日お母さんの手作りだった、一回たりともお店のお弁当はなかったと書いてありました。

事実を述べただけともとれますが、もちろん母親への感謝をこの一節に込めたのでしょう。私はこの一節を体験記に書くことができたAくんの意識に対して感心したのです。ご両親、ご家族への感謝を書き述べる生徒は多くいますが、このように具体的な事例を挙げて記す生徒はあまりいません。

この一節を書くためには自分を客観視し、その意識をどこかに保ち続けていなければなりません。このAくんのご家庭は共働きで、お母様は帰宅後にお弁当を用意して塾に届けてくれていました。子ども、特に男子ですからいちいち言葉にして日々感謝を述べるようなことはなかったでしょう。雨の日も風の日もそうやって届けに来てくれていたことを心に留めていたのだと思います。

もちろんお店のお弁当がよくないというようなことを申し述べたいのではありません。いろいろなご事情もありましょうし、家がかなり遠いお方もいらっしゃいます。しかも子どもたちは意外にもお店のお弁当を喜んだりします。いつものお家の味とは違うところが新鮮なのでしょう。もしかしたらAくんも心のどこかで唐揚げ弁当を注文したいと思っていたかもしれません。そのような中で、毎日毎日手作り弁当を届けてくれた母親に、後に残る文章の形で感謝の意を記したAくんに小学生とは思えない感性を見たのです。

このAくんは小5のころまでお家でまったく勉強をせず、お母様を怒らせてばかりいました。叱られるとふくれてしまうこともあり、冬場にTシャツ一枚でお家を飛び出したこともあったそうです。ただ、読書が大好きで、宿題優先のために本や新聞を禁じられたら広告チラシまで読みあさるほどの活字好きだったそうです。そんなAくんは小6になって第1志望校を心に定めてからエンジンがかかりました。面倒くさがっていた算数にも嫌がらずに立ち向かうようになりました。そして見事甲陽学院に合格しました。

私の感慨はそういった経緯を知っているからこそのものかもしれませんが、人の心、自分の姿を知るという点でAくんは見事な小学生だったと思います。

 

さて、Bくんです。小6で彼を担当したのは1か月だけでした。その彼が合格祝賀会でお手紙を渡してくれたのです。冒頭に次のような一節がありました。

----先生はおそらく覚えていないと思いますが、先生のおかげで第1志望校の灘中学に合格できました。

お恥ずかしながら、本当に思いあたることがありませんでした。顔も名前も覚えていますし、授業中の様子も覚えていましたが、特別なことをした覚えがないのです。文面は次のように続いていました。

----学習らんをしっかり書かなかったぼくに繰り返して注意してくれました。元のクラスにもどったときには、その教室にまで来て前週の宿題の取り組みについて叱ってくれました。あれから国語にもきちんと取り組むようになり、得点が安定しました。合格はそのおかげです。ありがとうございました。

覚えています。国語が得意な彼は、その分かどうか算数が苦手でした。算数に時間をかけたいので国語の取り組みがおろそかになっていました。そのせいで時々得意な国語でとりこぼしをすることがありました。そこで何度も何度も宿題の取り組みについて注意していたのです。

長文読解の問題で×になった設問には、模範解答を写してから「どうしてその答えになるのか」「その答えになる決め手はどこにあったのか」を考えて、書き記すように指導しています。その取り組みをきちんとこなすよう指示したのです。本文を理解できる力があっても設問の理解・対応がうまくいかないと正解にはいたりません。

手前味噌のようで恐縮ですが、合格祝賀会で非常に嬉しい言葉をいただいた訳です。ただし、私の指導成果や満足を問題にしたいのではありません。おそらくや自ら思い立って、感謝の手紙を書き記してくれたこともそうですが、冒頭の一文に感心したのです。

おそらくこちらは覚えていないだろうという書き方に、小学生とは思えないものの見方を感じたのです。まさに自分と相手を客観視しているのです。講義や問題作成以外にわれわれ希学園の講師陣は、それぞれの生徒のためにさまざまなアプローチをかけます。時には厳しく叱ることもあります。無意識にではありませんが、当然のこととしてそれらの指導を行っている訳です。そして指導がうまくいったケースについては特に忘れがちです。なかなか成果が出ない場合は気がかりだし、次の策を講じたりして心から離れません。

そういった心理や状況を汲み取って書かれたのがあの一文だと思います。卒業してから知ったのですが、この生徒は国語が得意なはずで、小5までにかなり多くの司馬遼太郎の作品を読破していたそうです。入試を終えてからは山本周五郎だとか藤沢周平だとかに手を出しているそうです。

 

国語がよくできた二人の生徒を紹介したことになりますが、より強く心に残っているのは国語が不得意だった生徒たちです。間もなく入試に向かう小6生の保護者の方も、小5生以下の諸君の保護者の方も、国語も努力によって得点をあげていける教科です。最後まであきらめずに取り組んでいただきたいと思います。

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2013年12月 8日 (日)

父は兵庫におもむかん

前回寄り道したので、前々回の続きとして「型」の話をば。この「をば」という言い方も近頃は聞きませんね。年寄りの話では、この「をば」を使うのも一つの型だったのかもしれません。型を身につけるためには、まず覚えなければなりません。むかしは神武綏靖…と天皇の名前を覚えさせられましたが、天皇の名前を呼び捨てにして「不敬罪」にはならなかったのでしょうかね。教育勅語というのも覚えさせられたそうですが、それはさすがに知りません。『平家物語』や『方丈記』の冒頭は暗唱させられましたね。『曽根崎心中』は強制されなかったのに覚えているのが不思議です。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」という、犀星の『小景異情』も自然に覚えたのか、藤村の『千曲川旅情の歌』は覚えさせられたような。「小諸なる古城のほとり」というやつですね。海原お浜・小浜の漫才でやってました。「コモロやコモロ、わからんか!」「コモロってなんや?」「天ぷらについてるがな」「そらコロモとちゃうか」という、じつにしょうもないネタ…。小浜の息子もむかし漫才をやっていて、そのときの相方が池野めだかです。孫のやすよ・ともこもおばあちゃんそっくりですな。

藤村の『初恋』は「人恋ひそめしはじめなり」の部分が重複だと言う人がいました。「初めし」と「初め」が意味的に重なっていてムダだというんですね。定型にとらわれるあまり、語の選択が藤村ほどの人でもゆるがせになっているという批判でした。憂いの気持ちがやや重くなる『千曲川』は五七調、甘美な『初恋』は女性的な七五調、と使い分けているあたりはさすがだと思うのですが。『水戸黄門』のテーマはそんなこととは関係なく七五調です。

漢詩も七文字または五文字になります。音のリズムだけでなく、平仄を合わせるのが難しい。平声のほか、上声・入声・去声とかあって、どういう配列にするのか規則があります。ふつうの日本人が漢詩をつくるときには専門家に平仄が合っているか見てもらわないといけなかったようです。読み下しにしたら、そんなことはわからないし、七五調でなくても、ある程度のリズムは出るようなのですが。「霜軍営に満ちて秋気清し 数行の過雁月三更 越山併せ得たり能州の景 遮莫(さもあらばあれ)家郷の遠征を憶ふ」は上杉謙信作と言われます。だれだったか、日清戦争が終わって、日本の将軍の一人が、この詩の「能州」は能登の国なのでさすがに地名は変えたものの残りをそのままパクって中国人に見せたところ、大絶賛だったそうです。明治のころまでは政治家・軍人でも漢詩を作る人は多かったようです。乃木さんも作っていますね。「爾霊山嶮なれども豈に攀ぢ難からんや」というやつです。二〇三高地ですね。標高二〇三すなわち「にれいさん」を「爾(なんじ)の霊の山」と表記しています。自分の息子も含めて、この山で死んだ無数の霊に対する鎮魂の念をこめて、このような表記をしたのだと、NHK『坂の上の雲』で言うてましたな。

しかし、さすがに今の日本で漢詩を作る政治家はいないでしょう。短歌・俳句でも無理かもしれません。辞世の句なんて作れない。 同じ越山でも田中角栄の「国交途絶幾星霜 修好再開秋将到 隣人眼温吾人迎 北京空晴秋気深」という「漢詩」は卓越しています。一見「七言絶句」ですが、中国人が見たらまさに「絶句」でしょう。いっさい返り点なしで、「3LDK駅近」のような不動産広告みたいだと、日本人からも酷評されました。「秋」の字の重複も本来は望ましくないし、「吾人迎」も「迎吾人」にしなければ文法的におかしい。また、「北京空」ではなくて「北京天」としなければなりません。「空」では「北京はむなしい」と言っていることになる。でも、毛沢東も周恩来も喜んで受け取ってくれたのでしょう。オバマさんが日本語で俳句を作るみたいな感じですから、作ることに意味があり、巧拙は問題ではなかったということでしょう。

七五調は古くさいと思われがちですが、今もってその威力はすごいものがあります。「仰げば尊し」は八六調、『春が来た』は五五調、いろいろありますが、やはり七五調のリズムが人を酔わせます。 標語はだいたい七五調です。「飛び出すな車は急に止まれない」のように。正岡子規が「彼岸の入りだというのに寒いなあ」と言うと、母親が「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」と答えました。これ、そのまま子規の句として発表されています。「1にナントカ、2にナントカ、34がなくて5にナントカ」とか「はじめちょろちょろ、なかぱっぱ」のような七五調は言いやすいし、覚えやすい。寅さんの口上も七五調です。「四谷赤坂麹町チャラチャラ流れる御茶ノ水、粋な姐ちゃん立ちションベン」とか「白く咲いたか百合の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い」とか「焼けのやんぱち、日焼けのなすび、色が黒くて食いつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たない」とか。

むかしは歌謡曲の司会の歌紹介も七五調でした。「赤いランタン波間に揺れて…姑娘(クーニャン)かなしや支那の夜」というのは浜村淳で覚えたような気がします。「本日はにぎにぎしくご来場、まことにまことにありがとうございます。わたくし四畳半のザッツ・エンターテイメント、小松よたはちざえもんでございます。歌は流れるあなたの胸に、いま歌謡界に燦然と光り輝く、お待ちどおさま、涙、涙のベンジャミン伊東でございます」となると『電線音頭』です。 歌舞伎の名台詞も当然のごとく七五調です。「知らざあ言って聞かせやしょう」なんて、NHKの番組『にっぽんの芸能』で檀れいが決めぜりふとして言っていました。「浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜…名せえゆかりの弁天小僧菊之助」とか、「月も朧に白魚の篝も霞む春の空…こいつぁ春から縁起がいいわい」とか。

浪花節から出た「バカは死ななきゃならない」は今やことわざの域になっています。「あっと驚く為五郎」ももとは浪曲です。出典が忘れられても「どこまで続くぬかるみぞ」「戦い済んで日が暮れて」「なにをこしゃくな群雀」など、軍歌から出たフレーズを使う人がいまだにいます。…ほとんどいないか。だれだったか忘れましたが、何かの標語コンクールの審査員になった人が、子どもに「どこに行くの」と聞かれて、「父は標語におもむかん」と言った、という話、いまは通じませんね。また『青葉茂れる』にもどってしまいました。

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