2015年3月29日 (日)

昭和は遠くなりにけり

昭和は遠くなりにけり

妙な姓名と言えば、ガリレオ・ガリレイです。これは何なのでしょうか。どうやら名字をそのまま名前にしたようです。フェデリコ・フェリーニという監督もいましたから、ひょっとしたらイタリアではよくあるパターンなのかもしれません。姓名のどっちで呼ぶかと言うと、監督は「フェリーニ」なので姓ですが、学者のほうは「ガリレオ」で名のほうですね。これはなぜなのかなあ。ひょっとして日本人は知らないだけで、じつは皇帝だったりして。

先祖の名をどんどん重ねるという名前のつけ方もあるようです。ピカソはふつうパブロ・ピカソと呼びますが、本名は強烈に長かったはずです。ヤホーで調べてみたら、いくつか説があるようですが、「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」と出ていました。「ルイス・イ・ピカソ」が姓らしく、ルイスが父親、ピカソが母親の姓だということです。どうして母親の姓で呼ばれているのか不思議です。名前には祖父とか叔父さんとか、いろんな人の名前がはいっていて、本人も覚えられなかったとか。外国ではミドルネームとかクリスチャンネームとかあって結構長くなるようです。

厄介なのはロシアで、なんと名字が性別によって変わるらしいですね。つまり、同じ家族でも男女でちがう名字になるということです。もちろん、イワノフとイワノバのように、語尾が変わるぐらいで、徳川が豊臣になるというレベルではありません。でも、「山下」が「山上」になったら困ります。アメリカで多い名字はスミス、ジョンソン、ウィリアムズ、ブラウン、ジョーンズ、ミラーらしいですね。たしかによく聞きます。調べてみたら名字の種類はアメリカでだいたい150万ぐらいだとか。日本は30万ぐらいということで、意外に少ないですね。日本のほうが多いような気がするのですが。ただ、どの漢字を使うか、たとえば「久保田」と「窪田」を区別するのか、ということでカウントの仕方が難しいようです。

希学園の塾生にもカタカナの名前が多くなって…というのを今年の祝賀会の講師劇のネタで使いました。「シュワルツェネッガーくんがトイレにはいったまま、なかなか出出ん出、出ん出ん出ん」というような、どうも申し訳ございませんというレベルのネタでした。カタカナばっかり並んでいると、「どこで切るの?」「名前はどっち?」と思わず悩んでしまいます。「トム・ジョーンズ」みたいな、わかりやすい名前なら楽なのですが。これは日本で言えば「山田太郎」にあたるのでしょうが、「山田太郎のようによくある名前」と言いながら、実際には「山田太郎」という名前の人はほとんどいません。「山田太郎」はありふれた名前ではないのですね。

中国の名字が約2万、韓国で2、300らしいので、日本よりも名字が少ないことになります。そうなると同姓同名も増えるでしょう。でも、劉備とか関羽とか張飛がゴロゴロいるのかと言うと、そうでもなさそうです。こういうのはあえて避けるのでしょうね。日本でも信長、家康、秀吉はめったにありません。龍馬は熱烈なファンのお父ちゃんがつけそうです。光秀となると、つけようとは思わないでしょう。世の中には「悪魔」と命名しようとした人もいますから、一概には言えませんが。

小説の手法で、あえて知られていない名で実在の人物を登場させるというのがありますね。京極夏彦の『書楼弔堂』という小説に畠芋之助と名乗る人物が登場します。だれだかわからないまま読み進めていくうちに、この人物がのちの泉鏡花であることがわかるという仕組みになっていて、じつは鏡花が畠芋之助というペンネームも持っていたことをさりげなく紹介しております。何十年も前に読んだ山田風太郎の小説で、金之助少年となつという幼女の出会いを描いた、明治時代を舞台としたものがありました。後の漱石と樋口一葉ですな。現実にも一葉の父親の上司が漱石の父親であった関係から、漱石の兄と一葉との間に縁談があったそうです。結局は漱石の父親の反対でつぶれたらしいのですが。

山田風太郎の明治物が人気を集めはじめたころ、明治を舞台としたものがもはや歴史物・時代物になったのだなあと感慨深げに書いている人がいました。たしかに明治生まれの人がまだたくさん生きていましたから、そんなに昔のことでもなかったのですね。「きんさんぎんさん」という長生きのふたごの姉妹がいました。じつは「きんさんぎんさん」にはかくれた妹がいて、その名は「どうさん」、という、しょうもないギャグが好きでしたが、とにかくこの二人、100歳をこえて国民的アイドル(?)でした。明治25年生まれなので、この人たちはたとえば伊藤博文と同じ時代の空気を吸ってるのですね。伊藤博文は当然吉田松陰と同じ時代の空気を吸った人です。そういう人と同じ時代の空気を吸っていると思ったら、「明治は遠くなりにけり」ではなかったのですね。でも、明治を「歴史」として認識しはじめた時代でもありました。

平成もそろそろ30年に近づこうとしているわけですから、昭和でさえも、もはや「歴史」なのかもしれません。戦後間もない頃のことを知らない人もどんどん増えてきています。そうすると、その頃当たり前だったこともわからなくなってきます。ごく身近な生活のことだって、ちょっと年月がたてばわからなくなります。たとえば「チャンネルをまわす」という言い方だって、今の人たちにしてみたら変といえば変です。初期のテレビのチャンネルはたしかにガチャガチャ回していたのですね。とれてどこかへ行ってしまったあと、残った芯をペンチではさんで回すということを体験した世代もいなくなりつつあるわけです。電話もダイヤル式だったことを知らない人がいるでしょう。萩の博物館へ行ったとき、「昭和の電化製品」が展示されていました。つい最近まで使っていたのに、と思うようなものが、すでに「歴史」になっているのです。「お宝鑑定団」で昭和のおもちゃがときどき出てきますが、すごい値段がつくこともあるのも当然です。「昭和は遠くなりにけり」ですね。

昭和生まれにとって、いやなのは呼称の変化です。「チョッキ」と呼んでいたものがいつのまにか「ベスト」になり、「バンド」が「ベルト」になり、「ズック」が「スニーカー」になりました。「Gパン」と言う人も少なくなり、「コール天」は完全に死語になりました。でも、そば屋の「出前」は「デリバリー」と言ってほしくないなあ。

2015年3月21日 (土)

またまた名前であそぶ

ペンネームであそぶのは、やはり推理作家が好きなようです。「佐賀潜」とか「嵯峨島昭」とかふざけた名前にしたり、「厚川昌男」のアナグラムで「泡坂妻夫」にしたり、というのも推理作家です。推理作家ではありませんが、色川武大が『麻雀放浪記』を書くときは、阿佐田哲也の名前にしていました。これは当然「朝だ、徹夜」の洒落です。

「二つ名」ということばもありますが、これがまたわかりにくい。本名以外の呼び名のことだと説明している辞書もあります。通称とかあだ名が一般的ですが、コードネームとか源氏名なども含まれそうです。ところが、そのものの特徴や性質をちょっと「文学的」に表した言い回しを「二つ名」と言うこともあります。「尾張の大うつけ」とか「東海一の弓取り」とか「越後の龍」「甲斐の虎」のように。織田信長、今川義元、上杉謙信、武田信玄を表していますが、通称やあだ名とはニュアンスがちがいます。「犬公方」は微妙かな。「…の…」のパターンでは「東洋の魔女」とか「フジヤマのトビウオ」とかいうのもありました。うーん、古すぎ。

でも、こういうのとはまたちがった「二つ名」というのもあります。「鬼平犯科帳」に出てくる盗賊などで、本当の名前の上にくっつける「呼び名」みたいなのがありますよね。夜兎の角右衛門とか狐火の勇五郎とか、風車の弥七とか、これは「水戸黄門」ですが。これ、ちょっとかっこいいですよね。旭将軍義仲とか独眼竜政宗というのも、これに近いようですが、「旭将軍」「独眼竜」のように単独でも使います。やはり、「○○の」という形ですね。「マムシの道三」は入れてもよいかなあ。「アホの坂田」はかっこよくないですね。このあたりになるともはや枕詞になってきます。「清洲の甚五郎」とか「生駒の仙右衛門」とか、これは地名ですかね。侠客の「清水の次郎長」「吉良の仁吉」は明らかに地名ですな。これは名字とはちがうのかなあ?

貴族はほとんどが藤原氏なので、屋敷のある地名で呼んだのですね。今でも親戚同士を区別するときに地名を使うことがあります。「名古屋はまだ来ないか」のように。こういうのが名字になっていったのでしょう。足利荘に住んでいる源氏だから足利の源尊氏、ちぢめて足利尊氏であり、新田荘なら新田義貞になります。たまに県名と同じ名字の人がいますが、県名も小さな土地の名前が代表として名付けられたことが多いので、そういう名字の人がいるのも当然でしょう。もちろん、さすがに北海道という名字の人はいませんし、「北海」でもなさそうです。東北では秋田、福島は名字としてよく見ます。「福島」は「くしま」と読むこともあります。地黄八幡北条綱成はもとは「くしま」と読む「福島」姓でした。青森、岩手という名字はあまり見ません。山形は多くはないけれどいますね。「山県」「山縣」と書くとまたちがうルーツになるのでしょう。宮城も少ないようですが、宮城道雄さんがいます。

関東地方は名字になりにくそうですね。東京は当然でしょう。人工的な名前で由緒ある地名ではありません。東京ぼん太という人がいましたが、芸名です。神奈川もなさそうだし、群馬、埼玉も聞いたことがありません。栃木は小学校の同級生にいました。茨城は少ないでしょう。茨木なら結構います。関東ではやはり千葉がとびぬけて多そうです。中部地方では石川、福井、長野はよく聞きます。富山は「とみやま」と読むことが多いでしょうね。新潟はなさそうです。静岡、山梨もなさそうだし、岐阜も人工的地名なのでいないでしょう。愛知は愛知揆一がいるので、ゼロではありません。 近畿も京都はいません。大阪は大坂ならいるでしょうが、大阪ではどうでしょうか。奈良は意外にいるような気がします。滋賀、和歌山は志賀、若山になるとかなりいますが、どうでしょうか。兵庫、三重はゼロに近そうです。四国は香川が多いけれど、徳島は少なそうです。愛媛、高知となるとやはりゼロに近いでしょう。中国地方は山口が全国ベスト30には入るレベルの多さですが、岡山、広島はぐっと少なくなるし、鳥取、島根は聞いたことがありません。九州は福岡、長崎、宮崎がそこそこ多く、熊本もいるでしょう。佐賀もいなくはなさそうですが、大分、鹿児島はどうかなあ。沖縄はまあいないでしょうね。旧国名で見ていくのもおもしろそうですが、ちょっと飽きたので、また今度。

外国人の名字も地名から来ているのでしょうか。大工のカーペンターなんてのがあります。スミスが鍛冶屋であり、ミラーが粉屋、テイラーが仕立屋というように、職業が名字になっているのが多そうです。ドイツに行くと、シュミット、ミュラー、シュナイダーですね。シェイクスピアなんてのは、「槍を振る」という意味ですから、何なのでしょうね、これは。日本で言えば「剣持さん」ですかね。スチーブン・キングなんてのは「王様」と関係あるのかなあ。トルーマンは先祖が正直だったのか、ワイルドはスギちゃんみたいな先祖なのか。アームストロングは腕っぷしが強かったんでしょうね。ブラウンは何が茶色だったのでしょうか。肌の色か髪の毛か。ヤングというのは、どの時点で名字になったのでしょうか。本人が年取っていたらオールドだったはずです。リンカーンはアメリカの町の名でもありますが、調べてみたら、これは大統領の名にちなんでつけられたとか。ところが、イギリスにもリンカーンという地名があり、「ケルト語起源のLindo(池)にラテン語のcolonia(植民地)がついたもの」と書いてありました。ということはリンカーンは地名からきた名字ですね。

マクドナルドのように「ドナルドの子」というパターンは、マッキントッシュ、マッカーサー、マッケンロー、マッケンジー、マコーミックのような、スコットランド・アイルランド系によくあります。ジャクソンのように、あとに「ソン」がつくものもあります。ジョンソン、ダビッドソン、ウィルソン、アンダーソンも「ジャックの子」パターンですね。アンデルセンの「セン」も同じでしょう。ウィリアムズ、ジョーンズ、デイビスなどの「~ズ(ス)」やオニール、オブライエンの「オ~」も「子供」という意味のようです。父親のファーストネームを名字にすることも結構あったようですね。ナポレオン・ボナパルトの甥がルイ・ナポレオンになっているのはそういう理由でしょうか。ケネディとかチャーチルは姓で呼びますが、ナポレオンは皇帝なので名で呼ぶのでしょう。フランスの王様がルイ何世とか呼ばれるように。そうすると、ナポレオンの血を継いでいるということで、甥は「ナポレオン王朝」の「ルイ」となったのかもしれません。山田ルイ53世はまったく血のつながりはありません。どうしているのかなあ、髭男爵。ルネッサーンス!

2015年3月15日 (日)

淀川河川敷散歩Ⅱ

入試分析会の告知第Ⅱ弾をばしっと決めようと思っていたんですが、いつのまにか終わってしまっていました。そこでタイトルを上記のごとく変更し、何食わぬ顔でどうでもいいことを綴りたいと思います。

冬は(とっくに春ですが)なんといってもお風呂でみかんを食べるのが至福のひとときです。湯船に洗面器をうかべ、そのなかにみかんを2つ3つ入れておき、お湯につかってゆっくり食べます。よい子のみんなはまねをしてはいけませんよ。行儀が悪いですからね。ましてや、お風呂の中で本を読んだりしたらダメですよ。目が悪くなるし、浴槽に本を落としたらすごいショックですからね。しかもその本が五千円以上もした本だったりすると(『関連性理論』という本ですね)ますますショックですからね。それはともかくそれにしても実は先日わたくしの誕生日で、◆十◇歳になったわけですが、子どものころは◆十◇歳のおとながこんなにバカで幼稚だとはまったく思っていませんでした。それがいちばんショックです。

先日も書きましたが、淀川河川敷を散歩するのも至福のひとときです。空が広くて気持ちいいので、はじめのうちは土手を歩いていましたが、もともと水辺が好きなので、だんだん河岸に近寄るようになったんです。先日はかなり痺れる光景を目撃しました。

ばーん。

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写真がボケボケで申し訳ありません、ガラケーなので許してください。でも、この朽ちたボートと大阪のビル群との対比がすごくかっこよくないですか?いや、かっこいいんです。映画のワンシーンみたいです。アングルがもうひとつかもしれませんが。もうちょっと空を大きく撮せばよかったかしら。まあ、こんなもんです、わたしの腕前なんて。

これは水辺ではなく土手ですが、こんなのも撮りました。

ばーん。

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これは「毛馬」の「閘門」です。淀川と旧淀川の分岐点にある水門施設ですね。なんですが、アングルが悪くておかしな感じになってしまいました。ちなみにこの毛馬というのは与謝蕪村の生地だそうですね。「春風のつまかえしてや春曙抄」でしたっけ? まちがえていたらごめんなさい、昔はそんな感じの土手だったんでしょう。今は、黄昏どきに行くと淀川大堰に照明がともり、とても綺麗です。ここもお気に入りの散歩コースですね。以前この付近を散歩していたら、ジャージを着た二人組のおじさんがウォーキングをしていました。背が低くて痩せたほうのおじさんは、もうひとりの恰幅のいいおじさんのうしろからちょこちょことついて歩いていましたが、携帯電話が鳴ると、さっと懐からとりだし、腰をかがめて、前の恰幅のいいおじさんに差し出していました。げ、そういう職業の人かと思って、そっと離れる私なのでありました。

川沿いを歩いていると、いろいろ目撃することがあります。夜、大川沿いを歩いていると、川をすーっと泳いでいる小動物を発見、ねずみにしては大きいが何だろうと思ってちかづくと、ヌートリアでした。ヌーはよく見ます。西宮北口教室南館の裏にある津門川(つとがわ)でも見たことがあります。そう、あの小さな川は津門川というのです。西宮在住の方でも知らない方が多いのではありますまいか。私は、あの津門川に沿って海まで歩いたことがあります。ひまなんですかね? 今津港には大関酒造ゆかりの今津灯台があり、なかなか良い雰囲気でしたよ。

入試分析会は終了しましたが、5月には学園長の教育講演会もあり、わたしもスタッフとして参加していると思います。国語について何かお訊きになりたいことなどございましたら、ご遠慮なくお声をおかけください。

2015年3月 5日 (木)

弾厚作は加山雄三

合格祝賀会の講師劇は毎年ネタを考えるのに苦労します。その年のはやりものなどを持ってくることが多いのですが、ジャンルとしてもできるだけ今までとはちがうものにしたいのですね。学園物、推理物、SF物、ミュージカルからアニメから…。ただ、歴史物・時代物はやりにくい。とりあえず、カツラも全員分用意しなければなりません。特にO村先生の分は不可欠です。もちろん、「おちゃらけ」ですから、別にその時代に忠実でなくてもよいのですがね。

そういえば「江戸しぐさ」を批判する本が出ていましたね。実はこの「江戸しぐさ」、灘中の入試に出ています。有名な「傘かしげ」なら、なんとなくあってもよさそうですが、それでもなんかわざとらしくて、かすかな違和感がありました。灘中で出た文章では「うかつしぐさ」というのがとりあげられていました。筆者の師匠とかいう人が、見世物小屋の口上「六尺の大イタチ」につられてはいってみたら、六尺の長さの大きな板に血がついていた。「六尺の大板血」というオチですね。でも、だまされた自分が「うかつ」だったのだから、うらみごとは言わない、これが「うかつしぐさ」だ、という文章でした。

ただ、どうみても、これは「しぐさ」ではありません。しかも「うかつしぐさ」と名付けてしまったら、その「しぐさ」自体が「うかつ」だということになりますから、ネーミングとしても明らかにまちがっています。灘でも「どのような態度か」という問題を当然出さざるを得ませんが、じつに答えにくい問題でした。「しぐさ」なのだから、動作らしく答えたいのに、動作ではなく「態度」になってしまうのです。そんな妙な日本語を江戸っ子は使っていたのでしょうかね。「江戸しぐさ」という言い方自体、なにか胡散臭い。江戸っ子が自分たちのふるまいをわさわざ「江戸しぐさ」と呼ぶとは考えにくい。よその土地の人が、江戸っ子はちがうなあということで呼ぶのならわかりますが。

そもそも、この「大いたち」の話は、たしかに昔からあるばかばかしい見世物らしいのですが、この筆者が、知らない人に紹介する口調で書いているのが不思議です。この人は落語を聞いたことがないのでしょうか? 落語のネタとして有名すぎて、師匠が自分の体験談として話すのも照れくさいというレベルです。「山から取れたて、近づくと危ない」なんてフレーズさえ落語にはあります。たしかに、板は山から取れたてでしょうし、立てかけた板は倒れたら危険です。大いたち以外にも「ベナー」なんてのを志ん生がやってました。なべを逆さにしているだけです。「源頼朝公のしゃれこうべ」というのもやってましたな。「かの源頼朝公のしゃれこうべでございます」「ちょいと小さいよ」「頼朝公ご幼少のみぎりのしゃれこうべでございます」というやつ。ほんとうに江戸しぐさが江戸にあったのなら、古典落語に出て来ないはずがないのに、まったく聞いたことがありません。おそらく、ことばとしても「しぐさ」としても存在しなかったのでしょうね。第一、この私が知らないことばです。そんなものは存在しない、と神は言った。

灘中もこんな文章を出してしまって、今頃後悔しているかもしれません。まあ、灘はわりと「はやりもの」を出してくるのでやむをえないでしょう。その年のベストセラーを意外によく出してきますし、「その年死んだ人」というのも狙い目です。今年は、まど・みちおや吉野弘が出てもおかしくなかったのですが、灘では出ず、吉野弘が神戸女学院で出てしまいました。希学園では対策をしていたので、予想的中ということになりましたが。ほかに宮尾登美子とか渡辺淳一もなくなったのですが、『鬼龍院花子の生涯』や『失楽園』『愛の流刑地』は出せんやろなあ。坂東眞砂子の『死国』はすごくおもしろかったのですが、これも出しにくい。森本哲郎や深田祐介は出ても不思議はなかったのですがね。深田祐介といえば、『スチュワーデス物語』の原作者ですが、最近はあまり名前を聞かなかったような。ほかに、やしきたかじんとか高倉健とか、これはさすがに出ません。高倉健のエッセイはむかし模試で使ったことはありますが。

赤瀬川原平なんて人もいました。「超芸術トマソン」で有名な人ですね。建築物にくっついている無用の長物というか、意味不明のものを「トマソン」と呼んでおもしろがっていました。電信柱にくっついている意味不明の階段とか。灘にも二階の壁に意味不明のドアがありましたが、あれはどうなっているのかなあ。「超芸術」というのは、その無意味さ、役に立たなさのせいで、芸術よりももっと芸術らしいという意味だそうです。トマソンの語源は、ジャイアンツのトマソン選手ですね。四番でありながら、三振ばっかりの元大リーガーの「無用の長物」ぶりが、もはや一種の芸術だったのです。赤瀬川原平の兄は直木賞作家の赤瀬川隼で、この人も最近なくなりました。隼の長女は『人麻呂の暗号』の著者「藤村由加」の一人です。四人の女性の名前から一文字ずつもってきて組み合わせたものをペンネームにしています。赤瀬川原平も「尾辻克彦」という別の名前を持っており、二つのペンネームを使い分けていました。

ペンネームの使い分けといえば、長谷川海太郎が有名です。この「かいたろう」さん、林不忘、牧逸馬、谷譲次の三つのペンネームを使い分けていました。「丹下左膳」を書くときは林不忘、犯罪小説では牧逸馬、谷譲次は「めりけんじゃっぷ」のシリーズで使っていました。昔、すべてのペンネームの本を持っていましたが、どこかに行ってしまったのが残念。エラリー・クイーンはバーナビー・ロス、コーネル・ウールリッチはウィリアム・アイリッシュ、E・S・ガードナーはA・A・フェアという別名を持っています。

クイーンは藤子不二雄と同じように、二人の人間が合作するときのペンネームで、しかも、クイーンは作中に出てくる探偵の名前でもあります。『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』はクイーンではなく、バーナビー・ロスの名で出しており、探偵もドルリー・レーンということになります。『レーン最後の事件』のあるトリックを効果的にするために、前の三部作が用意されており、そのために新しいペンネームと新しい探偵を作り出すという、凝ったことをやっとるわけです。クイーンとロスが覆面をかぶって公開討論したことがあるそうです。両者が「同一人物」であり、しかも二人合同のペンネームであることを秘密にしていたから成り立つ「二人二役」のトリックですね。わけがわかりません。

2015年2月22日 (日)

2015入試分析会1

ブログの更新を徹底的にさぼっているあいだに入試が終わり新年度がはじまり、入試分析会が近づいています。いや~、さぼったさぼった。気になっていなかったわけではないんですが、また今度ね、みたいな感じで後回しにしているうちに今日の良き日になってしまった次第です。

1月にはよく淀川の河川敷を散歩しました。激励のあととか、会議の前後とか、まあなんやかんやでちょっと空き時間ができるときがあって、そういうときにブログ書かずに(頭がぼんやりしているので文章なんか書けない)、十三教室を出て、阪急電車の高架下あたりからぶらぶら河川敷を歩くわけです。アンゲロプロス監督の『ユリシーズの瞳』というギリシャ映画がありますが、あれのサントラを聴きながら、どんより曇った空の下、鈍色の水面と枯れ草を眺め歩いていると、なんていうか、えもいわれぬ玄妙な気分でした。河川敷在住のおじいちゃんと立ち話をしたこともあります。ある日、このときは確かヤン・ガルバレクのソプラノサックスを聴きながら河川敷の小屋の前を通りかかると、大量の空き缶でぱんぱんになったぼろ布の袋を、自転車の荷台に載せようとして四苦八苦しているじいさんに、「手伝ってくれ」と声をかけられたんです。手伝ってあげたらにこにこと喜んでくれて、それからしばらく話をしました。小屋を取り囲むさまざまなオブジェに、いろいろな歴史上の人物の辞世の句を書き付けている、ちょっと興味深いおじいさんです。歴史と川端康成が好きなんだそうです。猫がいっぱい住みついているんですが、どれもけっこう美猫で、いいもの食ってそうな感じでした。自転車のかごに本が入っていて、『できる人の時間の使い方』という題でした。

べつの小屋の前を通りかかったときには飛び出してきた二頭の犬に前後をはさまれて吠えられ、血の気が引きました。あとでY原先生にこの話をすると、「うーん、まるで熊を襲う猟犬のようだ」と。つくづくクマに縁があるなあと感無量です。

またさらにべつの小屋の前を通りかかったときには、巨大なニワトリが迫ってきて、必死で逃げました。なぜこんなところにニワトリがいるんだあ! 

凄すぎるぜ、淀川の河川敷。

あ、忘れていました。入試分析会があります。

3月5日谷九

3月6日四条

3月11日西北

です!!

ぜひぜひみなさまお誘い合わせのうえ、お越し下さい!

2015年2月16日 (月)

「国語まにあっくす」サイトドメイン変更のお知らせ

いつも国語まにあっくすをご覧いただきありがとうございます。

この度、国語まにあっくすはサイトドメインの変更をいたしました。

誠に恐れ入りますが、「お気に入り」「ブックマーク」等にご登録いただいております皆様は新しいURLアドレス(https://nozomigakuen.lekumo.biz/)で登録し直していただけますようお願いいたします。

■新URLアドレス

https://nozomigakuen.lekumo.biz/  

※旧URLにアクセスいただきましても、自動的に新URLに転送されます。(2015年3月末まで)

希学園

2014年12月14日 (日)

12月

12月もすでに中旬ですね。寒いです。寒さのあまり、最近寝相がめっきり良くなっています。もともと寝相は悪くなくて、眠りに落ちたときの姿勢のまま目覚めます。だから、長時間眠れず熟睡できません。簡単にいうと、「眠ったまま寝返りを打つ」ということができないみたいなんです。寝返りが必要なタイミングになると目が覚めて、意識的に姿勢を変更して、そしてまた眠る、みたいな感じです。いや、もちろん、寝返りを打つときもきっとあるんだとは思いますが、明らかに少ないと思います。で、寒くなるとますますその傾向が助長されます。

なぜこんなことになったのか? 思いあたるのは大学生のときで、これは前にも書いたことがあるような気がしますが、友だちと一軒家を借りて3人で住んでいたときに、ひと夏過ぎたら、押入に放りこんでおいた掛け布団や毛布が黴びていたことがあったんですね。で、敷き布団の上で寝袋にもぐりこんで眠っていました。ご存じのように寝袋は狭いんです。それで私はまっすぐ上を向いて、手をからだの前で組み合わせ、まるでツタンカーメンみたいなかたちになって眠っていました。そのせいだと思うんです。実に劣悪な学生&プー太郎時代でした。

教育講演会があり、その実践編があり、僕にとってはなんだか怒濤のような10月11月でしたが、入試対策がはじまるこれからがほんとうの怒濤の日々です。毎年、入試が終わったら雪山に・・・・・・などと思うわけですが、最近めっきり寒がりになり、結局億劫で行きません。温泉にでもゆっくり・・・・・・などと口走ることもありますが、よく考えたらべつにそんなに温泉好きでもないので、それほど魅力的じゃなかったりします。ウィンタースポーツは、スキーもスケートもまったくできません。できないだけでなく憎悪しています。できないから逆恨みしてるんです。八方尾根から下山するときに強風でリフトが止まり、しかたなくスキー場を歩いて下りたことがありますが、横をスキーヤーたちがびゅんびゅんと滑り下りていき、とても怖かったことがあります。そんなこともあってますます嫌いになりました。冬とは関係ありませんが、カラオケも嫌いです。知っている歌が少ないし、だれも聴いてくれないからです。だれも聴いていないと知りながら歌いつづける・・・・・・なんだか立原道造の詩の一節みたいですね。「そして私は/見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を/ だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた・・・・・・」とかなんとか。

すみません、そんないいものじゃありません。歌ってるのも『ひょっこりひょうたん島』か『新造人間キャシャーン』ですしね。

それではみなさま、風邪など召さぬよう、気をつけてお過ごしください。つぎの更新はいつになるやら!

2014年11月 3日 (月)

イチゴパンツの変

世の中には「自慢したがり」がいます。みんなが知っていることがらについて、「あれは俺がやった」と自慢する人がたまにいますね。実際に多少はかかわったのかもしれませんが、全面的に自分のおかげでうまくいったかのように、「あれは俺がやった」と言う人は「アレオレ詐欺」と言われます。と言うと、「あの言葉は俺が作った」と言う人が出てきて、どこまで行ってもきりがありません。

遠藤周作の奥さんが書いたものをもとに描いたドラマをテレビでやっていましたが、遠藤周作が子どものころ通っていた学校の場面が出てきます。灘ですね。学校にロケに来ていたと、灘の生徒たちがうれしそうに言っていました。その中の遠藤周作のとなりで笑ってた子どもをテレビで見ていた灘の出身者が、「あっ、これ俺やがな」と思ったかもしれません。事実を元にしているわけですから、当然遠藤周作のとなりに座っていた人はいるでしょう。

こういうのは、ちょっと自慢できるし、その自慢もかわいいものですが、世の中には変な人がいて、「小説」の主人公が自分だと思ってしまう人もいるようです。で、作家にストーカーのようにつきまとうんですね。「私のこと書いた?」とか言われたら作家も困るでしょうね。これは北杜夫が書いていたのではないかな。たしか傘をさしながら電柱のかげから北杜夫の家をじっと見つめていたとか。そこまでいかなくても、作中の人物に実在のモデルがいるかどうかでもめることもあります。山崎豊子は結構あったのではないでしょうか。裁判になったのもあったはずです。これが歴史上の人物なら問題ないんですね。なにしろ相手はとっくの昔に死んでいるわけですから。むちゃくちゃ書いたってかまわない。信長が女であってもシェフがついていても。

そういえば、及川ミッチーが信長をやっていましたね。最初は笑っちゃいましたが、意外にありかなと思うようになりました。幸若舞の「人間五十年」は見ててちょっとはずかしかったのですが、本能寺ではイチゴパンツをはいて華麗にダンスでもしてくれるかなと期待してしまいました。でも、やっぱり高橋幸治やなと今ごろになって思います。秀吉が緒形拳であるように、信長は高橋幸治でしょう。「助命嘆願」が山ほど来たのもうなずけます。たしか朝ドラの『おはなはん』に出たときも「助命嘆願」が来たはずです。髙橋幸治は『太閤記』で信長をやったあと、武田信玄と源頼朝をやって、『黄金の日々』でもう一度信長をやっています。表向きは「静」で内面の激しさは感じられないようでいながら三白眼のあの「目つき」が何かすごみを感じさせました。最近大はやりのタイムスリップもので小栗旬も信長をやっており、「こんなん出ましたけど」という感じですが、悪くはありません。架空の人物は人それぞれのイメージがあります。松平容保は綾野剛、徳川慶喜は小泉孝太郎でいいと言う人も結構いるはずです。徳川慶喜は『龍馬伝』の田中哲司も眉毛のない無気味な感じでおもしろかったのですが。

アニメの実写版でも、ぴったりと思える人とうーんと言う人がいます。ルパンの小栗旬は許せても、「不二子ちゃーん」は黒木メイサやないで、と言う人が多かったようです。深田恭子のドロンジョ様は太すぎるという声もありましたな。小説のドラマ化でも、キャスティングは難しいようです。金田一耕助は石坂浩二で決まりというふうになってしまいました。山下智久ではイケメンすぎると文句を言う人もいます。まあ、同じ山下の一族としては「イケメンは一族の特徴なので許してくれたまえ」と言うしかありませんが。金田一は古谷一行も有名ですが、豊川悦司や稲垣吾郎もやっています。中井貴一、鹿賀丈史、役所広司のも見た記憶があります。変わったところでは中尾彬とか高倉健さん、なんと西田敏行や渥美清までもが演じていました。あの片岡鶴太郎もやっていますね。 同じ片岡でも千恵蔵となると、いまや知らない人のほうが多くなってしまったのかなあ。『本陣殺人事件』を原作とした『三本指の男』には原節子も出ていました。

千恵蔵は多羅尾伴内のほうが有名ですね、とはいうものの、みんな知らんやろなあ。「七つの顔の男」なんですけどね。「ある時は私立探偵多羅尾伴内、ある時は片目の運転手、またある時はインドの魔術師、しかしてその実体は正義と真実の使徒、藤村大造だ」という、ほら、あの有名な台詞。木久蔵がよく真似してたでしょ、ってそれも知らんやろな。千恵蔵さんは、その台詞のあと、着ている扮装をはぎとると、藤村大造の姿になるんですね。魔術師の服の下になぜか背広(スーツではない)を着込んでるのがオシャレ。ただ、別人に扮してはいるんだけど、どう見ても片岡千恵蔵なんですね。バレバレです。東京でインドの魔術師に化ける意味もわかりません。なんにも必然性がないんですね。で、一生懸命犯人に向かって事件の真相を解説するんですけど、「そんなん聞かんでもわかっとるわ」と犯人も言わないでおとなしく聞いてます。ところが解説終了後、予定通りではありますが、やはりなぜか銃撃戦が展開されます。警察が駆けつけるころ、ちょうど銃撃戦も終了して、正義と真実の使徒、藤村大造は姿を消しているんですね。この「正義と真実の使徒」は、最初「正義と真実の人」だと思ってました。「シト」とは聞こえるのですが、そのころはそういうことばも知りませんでした。江戸っ子の藤村大造は「ヒ」の発音が「シ」になるんだろうぐらいに思っていたのかなあ。

小説を読むときに、これがドラマ化されたら、配役はどうなるかなあ、と考えながら読む人って意外に多いようです。脳内キャストというやつですね。こんなのはお気楽ですが、わたしの場合は、毎年ほんとうにキャストを考えなければなりません。合格祝賀会の講師劇はすべて私の独断と偏見で配役を決めています。一部キャラクターを決められている先生(国語科のY原先生や算数のM山先生など)を除くと、とりあえず脚本を書いたあと配役を考えて、その上でこの先生ならこの台詞に変えようとか、この先生をこの役にしたからには、もっとはずかしい台詞を言わせようとか(どの先生かはナイショ。O方先生であるとは言えないでしょ)手直しをします。でも、実際に演技をさせてみると、思ったとおりのイメージにならない先生もいらっしゃるのがおもしろい。国語のN川先生が毎年予想通りになるのは、ありがたいことです(と言っておいて、次はひどい役にしてしまおう)。

2014年10月31日 (金)

国語教育講演会終了!

お越しくださったみ皆様、ありがとうございました。

谷九がいっぱいで、お申し込みくださったのにお断りせざるを得なかった皆様、申し訳ございません。

今月23日と24日(たしか)に、『国語の学び方・教え方の秘訣 実践編』を実施いたします。よろしかったらぜひお越しください!

講演会告知のために長々とブログを占拠して申し訳ありませんでした。山下ファンの皆様! お待たせしました。近日中に山下先生の記事公開!

2014年10月27日 (月)

国語教育講演会の告知その3

本日、標記講演会にお越しくださった皆様、ありがとうございました。当初は、まさか200名もの方々に聞いていただけるとは思っていなかったので、感謝感激です。予定どおり1時間半ですべての話を終わらせることができるか、ということを実は最も心配していたんですが、なんとか4分オーバーで切り抜けられ、胸をなでおろしております。リハーサルはおろか、自分で時間を計りながら話の内容を確認するということすらやっていなかったので、ちょっとドキドキでしたが、そこはさすが(自分で言うのも何ですが)授業時間をオーバーしない男、ぬかりはないのでありました。

次は10月30日(木)の四条と、10月31日(金)の谷九です。残念ながら谷九はすでに定員の100名を超えていて新しいお申し込みはできないそうですが、四条の方はまだ多少余裕があるとのことなので、よろしかったらぜひお友達とお誘い合わせのうえお越しください。ママ友といっしょに来て、そのままランチというのも楽しいですよね! え、大きなお世話ですか。そうですね、いいアイデアだと思ったんですが。

四条でランチというと、どこがありましたか(え、しつこいですか?)。御池まで行けばタルカがありますね。ちょっと遠いし南インド料理の店ですけど。じつは僕は基本的にそういう民族料理系の店が好きなんです。いわゆる、くさくて辛い系です。もちろん、この「くさい」というのはほめ言葉で、僕にとってはたまらなくかぐわしい香りです。エスニック料理にはまるかどうかの一つの指標が、香菜で、香菜を受けつけない人は、辺境中華とかタイ料理とかダメですよね。ええと、何の話をしてるんでしたっけ。あ、ランチの話でした。いや、ちがいました、講演会の話でした。

今日はいっしょうけんめい話したよな~おれ、なんて思って、自分へのご褒美としてジュンク堂に行って本を買ってしまいました。しかし、あと2回あるというのに、これはちょっと自分に甘すぎました。反省しています、本は返品しませんが。本を読みつつ気合いを入れ直して、あと2回、何としても「来てよかった」と思っていただけるような話をすべくがんばりますので、ぜひぜひお運びください。講演のあとは、そのあたりを所在なげにうろうろしていますので、何かご疑問の点やご相談などございましたら、お気軽に声をおかけください。

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