2010年9月 7日 (火)

小学生のときに読んだ本⑥

ハイエルダール『コンチキ号漂流記』

世界最強といわれた日本人クライマー山野井泰史さんが、カヤックだかカヌーだかを漕いだときに、垂直の魅力にとりつかれている自分だけど水平の魅力も悪くない、どこまでも漕いでいきたくなると文章に書いていましたが、まさにそんな感じの魅力満載です。

筏で太平洋をわたるなんて憧れますねぇ。朝起きるとトビウオがたくさん甲板に落ちていて、それを拾って食べる、なんて書いてあるんです。もうたまらないです。しかし、彼らは西洋人なので、それをフライにして食べるのだ。もったいない! なぜ刺身にしないのだ!

こういうサバイバルな感じ、いいですねぇ。アウトドアの原型はサバイバルだ!

山に行くと師匠のY田M平先生が、「お、このキノコは食べられるキノコですよ、あとでみそ汁に入れましょうか」などと軽々しく言うのですが、こういう人が山で調子にのって笑いがとまらなくなったりするんでしょうね。

そういえば学生時代、金に困った友人が、食べるものがなくて、近くの空き地からよもぎを引っこ抜いてきて、みそ汁に入れて食べたーと言ってました。

僕も学生時代は相当貧乏して、ガスや電気を停められたことがありましたが、草は食べなかったな~。

今どこかの大学で経済学の先生になってる先輩は、タバコを買うお金がないので、落ち葉を刻み、それを辞書を破った薄い紙で巻いて吸ってみたと語っていました。ワイルドな人でした。黴のはえた餅を「三色餅~」とか言って食べてましたしね。青カビはともかく黒や赤はやばいんじゃないかな~と思うんですけどね。

でも、すごい勉強家でちょっと憧れてました、とうてい真似できないんですけど。大学の研究室に寝泊まりして、夜中の3時まで勉強し、朝は9時に起きてまた勉強してました。体がなまらないように、腕立て伏せをしながら本を読んでいるという噂もありましたねー。サークル室の黒板に「少年老いやすく老人死にやすし」という、何が言いたいんだかさっぱりわからない格言を書いたりしてました。

おっと、『コンチキ号』の話でした。毎度話がそれまくりです。

ハイエルダールは民族移動に関する自説の難点を解消するために筏で太平洋を渡るんですが、肝心のそのアイデアは現在ほぼ否定されているようです。

民族の移動って、ロマンですよね~。

僕は、印欧祖語の話にすごくどきどきしてしまいます。

インドからヨーロッパにかけてさまざまな言語が広く分布していますが、それらの言語の共通の「もと」になった言語があったとされていて、印欧祖語と呼ばれているんですね。で、その言語を話していた民族はどうもカスピ海の北辺あたりにいたんじゃないかと考えられているそうです。ただこれには異論もあって、どこにいたのか結構議論になっているとか。日本の邪馬台国論争みたいなものですね。その民族が、紀元前何千年だか忘れましたが、インド方面とヨーロッパ方面に分かれて移動していったと考えられているんです。なんかこう、ぞくぞくしてきませんか?

邪馬台国よりそっちの方に心惹かれてしまうのはなぜなのかなあ? やはり前世が中央アジアの遊牧民族だったんじゃないかな。そうだったらいいんですけど。馬に乗ったりしてかっこいいし。

そういえば中央アジアを旅行したときに、カラクリ湖というおそろしく美しい湖のほとりでキルギス人に「ラクダに乗らないか」と誘われ、ちょっと高山病が出てふらふら気味だったんですが、ラクダに乗る機会なんてそうそうないからな、こいつは乗っとかないと後悔するな、と思って乗せてもらったんです。

それが母ラクダだったんですね。僕を乗せた母ラクダが立ち上がると、子ラクダがさびしそうに一生懸命すり寄ってくるんです。

そうしたらキルギスのおっちゃんが大声で怒鳴りながら子ラクダをしばくんです。まわりの人たちが(といってもキルギス人ばかりですが)何だ何だみたいな顔でこっちを見るでしょ。

こ、これは、なんか俺、すごくいやな奴みたいな感じになってるのでは?

金にあかしてラクダ親子の間を引き裂く、金満大国日本からの旅行者、みたいな?

乗るんじゃなかったと後悔しました。

(西川)

2010年9月 2日 (木)

小学生のときに読んだ本⑤

とらとらねこちゃん  上崎美恵子・西村郁雄

結構印象に残っている話ですが、いつごろ読んだものやら?

低学年だったと思います。女の子に借りて読んだような微妙に甘酸っぱい記憶が・・・・・・。

主人公が女の子でした。僕は主人公が女の子の物語はあまり読まないので、なかなかレアなケースです。

なぜ女の子が主人公だと読む気が起きないのかなあ? 少女マンガはよく読んだのに。松苗あけみさんとか岩館真理子さんとかくらもちふさこさんとか・・・・・・少女マンガ全盛期でしたねぇ。女の子って、全然わしら男とはちがうんだのう、と勉強になりました。

『とらとらねこちゃん』は、主人公の女の子がネコを拾うところから始まっていたと思います。トラみたいな模様のネコなんですが、何かきっかけがあると(どんなきっかけかは例によって忘れました)トラに変身してしまうんです。そういう話です。しかもトラになると空を飛べるとか飛べないとか・・・・・・ああ、あやふやだ。そもそもネコを拾うんじゃなくてトラの姿でいるのを見つけるんだったっけ?

強い動物、あるいは速い動物をしたがえてるのって、憧れますよね~。

『バビル2世』のロデムとか。『海のトリトン』のイルカとか。

白土三平『カムイ伝』のカムイが鷹を腕にとまらせているのも渋かった。

白土三平といえば、昔『サスケ』がアニメ化されていて人気でしたが、後に原作マンガを読むとラストのあまりの悲惨さにびっくり。カラオケでよく『サスケ』の主題歌を歌いましたが(いまだにナレーションの部分から言える・・・・・・)、なんだか脳天気に盛り上がっていたのが申し訳ないぐらいの悲惨さでした。

村上春樹の短編に、結婚式に出ると眠たくなる主人公の話があり、居眠りをしてしまった主人公が「シロクマといっしょに窓を割って歩く夢を見た」と彼女に語るのを読んで、激しく「いいなあ」と思った覚えがあります。

シロクマというところが何となく村上春樹っぽいですね。僕だったらやはりヒグマかなあ。

ヒグマと肩を組んで飲み歩いたりしてみたいです。ふたりともべろんべろんになって、ゴミ箱けっとばしたりして。みんなヒグマが怖いから寄って来ないんです。で、酔いつぶれてヒグマにおんぶしてもらう、と。ヒグマはタクシーに乗ろうと思うんだけど、運転手に断られちゃうんですよね。「酔っぱらいとクマはお断りだよ」とか言われて。それで、僕をおんぶしたヒグマがとぼとぼ夜の街を歩いて帰るんです。たまんないな。二日酔いになって、縁側でヒグマの腹を枕に昼寝したりして。 

そういえば(と、とめどなく脱線していくわけですが)、以前に蛭子能収というマンガ家が、お葬式に出ると笑いがとまらなくなると不謹慎なことを言っていましたが、これはどういう心理なんでしょうね。結婚式で眠くなるのとはまた全然ちがうんでしょうね。たぶん、いつでも心がその場から半分はみ出しているというか、自分がいる場面を、外から見てしまうんでしょうね。異化作用というと立派過ぎるかもしれませんが、一歩も二歩もひいたところから、これはいったい何だろうと白紙の気持ちで見直してみると、いろいろなものがへんてこに見えてくるのと同じなのかなと思います。

たとえば、会社の行き帰りなんかに、いつもの見慣れた風景をちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、よ~く見るんです。はじめて見る風景を見るようにして。

すると、見慣れたはずの風景が、妙に新鮮に見えてきたりします。それとどこか似ているんじゃないかと思うんですけど。

これは確か太田省吾という劇作家が『劇の希望』という本に書いていたんじゃなかったかなあ。いつもの風景をちょっとだけよく見る、だったか、ちょっとだけ角度を変えて見る、だったか。太田省吾さんは、「いつもの」とか「見慣れた」とかいった枠組みでものを見てしまう、そういう心のあり方を問題にしていたように思います。

もちろん、「いつもの」「見慣れた」だから良いんだというとらえ方もあります。そういうふうに思えるのなら、何も問題ないわけです。

そうではなくて、「いつもの・・・・・・」「見慣れた・・・・・・」だから飽き飽きした、自分の生活には(ひいては自分の人生には)何もない、というとらえ方に傾いてしまうと、日常は生彩を欠いて苦痛なものになってしまいます。

それは、自分の生活や人生というものを「劇の視点」でとらえようとするからそうなってしまうんだと、太田省吾さんは書いていました(確か)。劇的なことが起こるのが当たり前である劇の視点、ではない視点で、日常を豊かに感じることのできるような視点でものを見ることができれば、それにこしたことはないように思います。

ああ、話がそれっぱなしだ・・・・・・。どうしたらいいんだろう。

さあ、そこで、『とらとらねこちゃん』!

「いつもの」「見慣れた」日常が苦痛なあなたに!

何の変哲もないネコがトラに!

そして、「とらとらねこちゃん」が最後に選ぶ生き方とは!

乞うご期待!

現在おそらく入手不能!!

(西川)

2010年8月28日 (土)

つじつまが合わない

またまた西川先生からパスが飛んできたのでここはしっかりつなげたいと思います。

「矛盾」の回の答えです。オチを説明するのは無粋なんですが。

>ところで栗原先生、前に書いてた「矛盾」の話の中の「矛盾」て何だったんですか?

「矛盾」ということば自体がこのエピソードで生まれたものなので、「お前の言っていることは矛盾している」と言うはずがないわけです。あしからず。

似たようなところでは、「地球は丸いのだ」なんかも、おかしいわけです。丸いということが一般的に知られるようになってから、「地球」という名になったはずでしょうから。

逆に、「英語は日本語や!」という一見矛盾した発言が正しいということもあります。

これは「『英語』という単語は日本語だ」と言い直せば矛盾していないのがわかりますね。

「矛盾」というと、

「貼り紙するな」という貼り紙

「静かにしろ!」という大声

「時間を大切に」という長い説教

なんてのもありますね。

ついでに、山下先生の書かれた6/30の回の「姓は安藤、名は慶三」なるタイトルで「?」となった方のために解説を。

これは、「自らことの姓名は、父は元京都の産にして、姓は安藤名は慶三、字を五光。母は千代女と申せしが……」という長い台詞の出てくる、「延陽伯」という落語からだと思います。やたらと漢語を使う女性をお嫁さんにもらうという話です。

こういう解説は「補足」ではなく「蛇足」というべきなんでしょう。再びあしからず。

2010年8月23日 (月)

強制終了

先入観や固定観念というものはだれしも持っているし、なかなか抜け出すことができません。ましてや「定説」などと言われると、無条件に信じ込むしかないのですが、「定説」って、ほんとに正しいのでしょうか。今まで「定説」とされていたことが、じつはまちがいでした、ということが何度もあったような気がするのですが。昔は「運動中は水を飲んではいけない」と言っていたのが、いつのまにか「飲まないといけない」に変わった、というようなレベルのものもありますし、自然科学や歴史の世界では枚挙にいとまがないのでは?

 むかし天声人語で「ほんとに地球はまるいのか」という内容のものがあり、あちこちの入試でよく出ていました。「学校で習ったのだから」という理由で地球がまるいと信じ込んでいるのは、「教会のえらい人たちが言っているのだから、地球はまるくない」と思っていた中世の人たちと変わらない、権威あるものを無条件に信じ込んで、いまでも「打倒ガリレオ」をやっているのではないか、という主旨の文章でした。では、教会の人たちにボコボコにされたガリレオは、そのとき何と言ったのでしょうか。「それでも地球はまわる」? いや、それもそう書いてある本を読んで信じ込んでいるだけでは? ボコボコにされたのだから、「いたい、いたい」と言ったという答えのほうが本当らしいような気もします。だいたい、有名人が言ったとされていることばはあやしいものが多いようです。ゲーテの死ぬ前のことば「もっと光を」は一見おっと思わせますが、じつは「暗ーい、カーテンあけてくれー」という意味だったとか。クラーク博士の「ボーイズ・ビー・アンビシャス」も「少年よ大志を抱け」は名訳過ぎるという話もあります。そのあとに「このおいぼれのように」と続くので、これは「おれのようなじじいでもがんばっているのだから、おまえら若いもんはもっとがんばらんかい」のレベルで訳すべきだとか。「板垣死すとも自由は死せず」は板垣退助が言ったことばではなく、新聞の見出しだそうですが、そりゃそうでしょう、刺された瞬間、そんなかっこいいセリフははけまへん、私だったら「いたーい、いたーい、医者呼んでくれー」とさけぶと思います。

なにか一つのことが発見されて昔はこうだったんだと決めつけるようなこともよくありそうです。たとえばなんらかの理由でいまの文明がほろび、とんでもなく時間がたって、たまたま発掘された私の部屋だけを見て、「どう見てもこの部屋に住んでいた人は『おっさん』のようだが、小学生用のテキストがやたらある。むかしの人は『おっさん』になっても小学校へ行って勉強していたにちがいない」と結論づけたら、どうでしょう。私の部屋以外に同時代のものが発掘されなければ、それが「定説」になるかもしれません。「思いこみ」や「先入観」はこわいものです。「おっさん」である私に「先生、年いくつ?」と聞く不届きな生徒がたまにいますが、私は「18才」と答えます。「えー、うそー」とみんな言いますが、そのあとに「と、360か月」と続けると、納得してくれます(すんません、ちょっと少な目に言いました)。「何才と何か月」という言い方をすれば、「18才」はうそではなくなるのですね。ということは11才や12才の6年生とそう変わらない感じになるから妙なものです。きっと、彼らもちょっと年上の「おにいさん」ぐらいに思ってくれているのでしょう、はっは。

げんに、そういう「おっさん」をつかまえて、「マーシー」とか「やまぴー」とか、わけのわからん呼び方をされたことがあります。「……やまピーって、山下智久かオレは……って、そんなえーもんか」というのは「一人のりつっこみ」に分類されるでしょうか…。耕平ならコーちゃん、正(ただし)でター坊はわかるが、「やまピー」の「ピー」は何なのでしょうね、Pですか、「のりピー」のピーとはちがうの、「かきピー」と同じではないはずですが。むかし「サユリスト」というのがありました。吉永小百合の熱狂的ファンということですね。「コマキスト」というのは栗原小巻(のぞみの先生ではありません)ファンです。「イスト」は「主義者」なので、いちおう納得ですが、時代がたって、安室奈美恵の真似をする「アムラー」というのが出てきました。「アナウンス」は「アナウンサー」、「キャッチ」は「キャッチャー」になりますが、「アムロ」を「アムラー」にするのは無理があります。「アナウンサー」は「アナウンスする人」ですが、「アムラー」は「アムロする人」ではないので、よいのでしょうか。「アムロ」になりきれない残念な人は「アララー」と呼ばれたはずです。で、「ラー」が人を表す接尾語になったのか、このあと「~ラー」がやたらにはやりました。「マヨラー」は「マヨネーズ」大好き人間でしょうか。「ゲリラー」は何なのでしょう。腸の弱い人? (こう並べると、人のさいふをぬきとる人は「スリラー」、うまい、ざぶとん一枚、なんて言いたくなるのは「おやじ」ですかね)

まあ、こういうのは芸能界から出てくるのでしょうか。「ヤバい」という、「かたぎの衆」が使わないことばを肯定的な意味で使っているのをはじめて聞いたのはスマップの番組でした。それ以前から使われていたのでしょうが、それ以降、若者ことばとして定着してしまいました。さらにその応用編とも言うべき「ヤバクね」ということばも一時期よく聞きました。「しまうらのろーたー」ははやりませんでした……。でも、「業界用語」にはみんなあこがれるのでしょう。希の中だけでしか通用しない「業界用語」も「かっこいい」のですかね。「復テ」なんて一般の人にはわからないだろうし、「6ベ」「NK」「公開」「最レ」「宿プリ」など、不思議なことばオンパレードです。パソコン用語も不思議ですね。「立ち上げる」「初期化」など、いきなり記述の答案に使ったら確実に減点されることばを数多く発明しています。コンピューターそのものがもともと理系のすごい人たちによって作られたからでしょう。こういう人たちの理系の力は天才的なものなのでしょうが、国語の力は「困ったなあ」という人が多そうです。灘中へ行く人たちを見ていれば、驚異的な算数力と「破壊的」な国語力を持った人がよくいます。ときどき画面に出てくる「不正な処理が行われましたので、強制終了します」というフレーズなどはむかつきますよね。こんな日本語を考えた人はどういうセンスの人なんじゃー……ちょっと暴走しそうなので、強制終了します。

2010年8月18日 (水)

N120プロジェクト

どんなに国語が苦手な子にも、灘中の入試で120/200点とらせる

というのが、①Nで国語を担当するようになって以来の僕の念願です。

それから、

希学園①N生の受験者平均点(国語)が、灘中全体の合格者平均点(国語)を超える

というのも。

ふたつめの目標についてはあと3点ぐらいのところまで到達したんですが、そこから先が高い壁です。

今年こそやってやる!

というわけで、国語が苦手な子用の対策。

作戦その1

 ××を徹底的に×××させる

 (伏せ字が戦時中のようですね)

作戦その2

 ××がひとつかふたつの文章を用いて××問題に対応する力を段階的に身につけさせる

 (やはりうちの塾生以外には公開したくないので)

作戦その3

 ×××××××や××××、××語の問題に限定してスパルタ形式で徹底的に文章を読ませる

(もちろん重要なのは××の部分です)

ところで、以上のように書いてきて思ったんですが、僕はどうも「徹底」という言葉が好きです。

「徹底性の精神」という表現をカントが使っているのを読んで、つぼにはまってしまったんです。

「徹底する」というのは、「極端に走る」ということではなく、

手を抜かない、中途半端なことをしない、一貫する、

ということかと思います。

よその塾から希学園に移ってきた僕の抱いた感想が、「とにかくやることが徹底しているよな」ということでした。

希学園の精神であり、文化であり、風土なんだと思っています。

(西川)

2010年8月13日 (金)

小学生のときに読んだ本④

三島由紀夫『美徳のよろめき』

何がなんだかさっぱりわからず。

そもそもなんでこれを読むことになったのかもさっぱり記憶になし。

その後も三島由紀夫はあまり読んでいません。なんとなく食指が動かなくて。

高校生のとき、『潮騒』という純愛小説の舞台になった、神島という島にテントをかついで行ったことがありますが、これも『潮騒』を読んで行ったみたいと思ったのではなく、椎名誠の『わしらは怪しい探検隊』を読んだのが動機でした。いやはや。

昔の椎名誠はおもしろかったんですよ。『哀愁の街に霧が降るのだ』とか、『さらば国分寺書店のおばば』とかね。椎名誠や新井素子が、書き言葉の世界を広げていました。こんな言葉づかいで文章を書いてもいいんだ、と新鮮な気持ちでしたね。橋本治が『桃尻語訳枕草子』を出したのもその頃でしたっけ。

三島由紀夫が嫌っていた太宰治は高校生以降かなり読みました。最近流行っちゃって『斜陽』とか『ヴィヨンの妻』とか映画化されているみたいですね。でも、太宰治は長いものより短いものがとてもおもしろいと思います。

小学生でもかろうじて読めそうなおすすめは、

『畜犬談』

『黄金風景』

『駆け込み訴え』

といったあたりでしょうか。もちろん簡単ではありませんが、読書の好きな子なら小5ぐらいから可能だと思います。

『畜犬談』は、犬が大嫌いな男の話です。

『黄金風景』は、昔いじめた女中が会いに来るという話。いったいそれがどうして「黄金風景」になるんでしょう? うーん、感動的。

『駆け込み訴え』は、これがいちばん難しいと思いますが、イエスを裏切ったイスカリオテのユダによる独白といういっぷう変わった短編です。とんでもない筆力だなと舌を巻きますよ。新約聖書の知識が多少なりともないとおもしろくないですが。

意外なことに、どれも読後感が悪くありません。『人間失格』を読んでどよ~んと落ち込み、二度と太宰なんか読まん!と決めている方がいらっしゃいましたら、ぜひ上記三篇をお試しください。ああ、小説っておもしろいなあと心から思わせてくれる三篇です。

(西川)

2010年8月 9日 (月)

小学生のときに読んだ本③

いよいよ本格的にシリーズ化された観がありますねえ!

今回はついに、

パール・バック『大地』

です。僕が読んだのは確か新潮文庫版で、中野好夫さんの訳だったと思います。

僕の記憶ではこれを読んだのは小学4年生のときなのですが、母の記憶では「小学6年生でしょ?」。あいだをとって小学5年生ぐらいかなあ? 6年生のときには司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を読み始めたはずなんですが、『大地』と『坂の上の雲』のあいだにはかなり開きがあって、そのあいだに『人物日本の女性史』なんかをつまみ食いしていたような記憶があるんだけどなあ。う~ん、ようわからん。

いずれにせよ、『大地』です。いや、これは相当おもしろかった!

みなさん読まれたことありますか?

革命直前の中国の話です。ワンロンという貧しい農夫が、妻をむかえる場面から始まるんです。この奥さんが実に賢妻で、さまざまな困難を乗りこえつつ、少しずつ豊かになっていくんですね。ついには、奥さんがもともと召使いをしていた大金持ちの土地もすべて手に入れて大地主になります。そして・・・・・・!

というような、ワン家三代のお話です。

『大地』という題にふさわしく、まさに中国の土の匂いがしてくるような、実在感のある話でしたねえ。安易なヒューマニズムみたいなものは感じられませんでした。これは異論があるところかもしれませんが、小説読むときに、そんな思想は邪魔なだけじゃないですかね。大切なのは、たとえばこの小説の場合には、土の匂いですよ。それさえきっちり漂ってくれば、それがいい作品てことなんじゃないかなあ?

手塚治虫の『ブラックジャック』が、すごくおもしろいけど、どこか今ひとつなのはそのせいじゃないですかね。ちょっと安直なヒューマニズム。手塚治虫さんが安直なヒューマニストだというんじゃなくて、それを作品の中に盛り込む手つきが安直といいますか・・・・・・。

ブラックジャックの中で僕がいちばん好きな場面は、ドクターキリコというブラックジャックのライバル?が登場する話なんですが、このドクターキリコってのがとんでもねえやつで、安楽死専門の医者なんですね。

で、とある患者を安楽死させるよう頼まれてドクターキリコ登場の運びとなります。例によってここでまた私の記憶が曖昧でどういう経緯だったか忘れましたが、そこにブラックジャックが現れて患者を治してしまうわけです。ブラックジャックが治療しようとしているところにドクターキリコが現れたんだったかな?

ま、それでめでたしめでたしかなと思っていると、なんとその患者が搬送される途中で事故かなんかに遭って亡くなってしまうんですね。

それを聞いてブラックジャックが衝撃を受けるわけです。せっかく治したのに何てことだ!

ドクターキリコが高笑いしながら去っていきます。

すると、膝を握りしめた(あるいは地面を叩きながら、だったかな、うーん忘れた)ブラックジャックがいうんです、「それでも私は治すんだ」。

これは良かったですねえ。ブラックジャックが人を救うのは、人助けじゃないんですね。人のためじゃない。自分のためなんです。そういうふうにしか生きられないというんでしょうか、そういうかたちでしか自分のアイデンティティーみたいなものを確立できない。そういう切羽詰まったものが感じられます。こういうのはとても良いなあと思いました。

でも、それ以外の話はここまで踏み込めてなくて、なんとなくヒューマニズムでまとめちゃうところがあります。手塚治虫の漫画はどれもかなりおもしろくて不合格作品はないけれど、自分の資質を超えるようなすごい作品は一つも描いてないような気がします。

漫画家も作家も、たまに自分の資質を凌駕するような作品をかくことがあると僕は思っているんです。たとえば、山岸涼子の『日出処の天子』とか。う~ん、古いね。

他にも、一作だけすごくおもしろい作品を残した人っているじゃないですか。『マノン・レスコー』を書いたアベ・プレヴォーとか。ポップスの世界にはたくさんいますよね、一発屋。(もちろん山岸涼子さんが一発屋というわけでは断じてありません。他にもたくさんおもしろい話を描かれています。ただ、『日出処の天子』ほどのものは・・・・・・)

いま、アベ・プレヴォーの「ベ」って「ヴェ」だったっけかとふと不安になりインターネットで調べてみたら、「ベ」でよさげでした。それはいいんですが、『マノン・レスコー』ってオペラになっているんですね。オペラに全然興味がないんで知りませんでした。プッチーニだそうです。

オペラには興味がないんですが、プッチーニの「レクイエム」はすごくいいですね。つつましやかで誠実な哀しみが伝わってきます。その点、モーツァルトのレクイエムはどうもなあ。「どうです、すごいでしょう!」みたいな感じでもうひとつな気がします。ま、好みの問題です。僕はレクイエムにはうるさいんです。電車の中でウォークマンを耳にうっとりしている僕がいたら、それはきっと、デュリュフレのレクイエムを聴いているか、宇宙一かっこいいSiberian Newspaperを聴いているかどちらかです。

話がそれましたが、とにかく、そういう「自分の資質を超える作品」、それが手塚治虫さんにはないような気がします。『きりひと讃歌』も、はじめは「おっ」と思ったけど尻つぼみだったし・・・・・・。

ま、いいや。『大地』の話でした。なんせ、安易なヒューマニズムみたいなものは感じられなくてええぞ、という話でした。大河小説なので、読後の充実感もひとしおですしね。

ま、塾生諸君は中学校に入ったら読んでみてください。

ところで栗原先生、前に書いてた「矛盾」の話の中の「矛盾」て何だったんですか?

やはり、あれですか。売れなかったら店じまい、の部分?

(西川)

2010年8月 4日 (水)

おこだでませんように

希学園のアニュアルイベント「七夕祈願」が始まっています。

進学塾なので、もちろん旧暦の七夕のタイミングです。

各教室に飾り付けられた笹には、

「○○中学校に合格できますように」

「※Pコースに来年入れますように」  

「※S1にあがれますように」    

※Pコース・S1 ……詳しくは希学園HPをお願いします。まあ、入れると、あがれると、とってもうれしいことなんだなと理解してくださればそれでもけっこうです。

など、塾生たちが書いた短冊をつるしています。

子どもの頃、七夕が大好きでした。星を眺めるのが好きだったせいもあります。

本題ですが、いい絵本をみつけましたので紹介します。

「大人が読むに耐える絵本」 というより「大人が読むべき絵本」だと思います。

あらすじを書いてしまうとつまらないのですが、かといって書かないと伝わらないので、

かいつまんで。

「ぼく」は、家でも、学校でも、いつも叱られてばかり。

かまきりを見せてあげようとしたばかりに、女の子を泣かせてしまって、叱られ。

妹を泣かせてしまって、叱られ。友だちに手を出してしまって、叱られ。

とにかく、自分の「理屈」が通じなくて、でも精いっぱい、愛されたいと願っている。

そんな「ぼく」は、学校で、七夕の短冊にいっしょうけんめい、えんぴつをかじりながら、

ていねいに、書いた。

「おこだでませんように」

(ここでぐっときましたね。やられてたまるか、と私は思いました。絵本ごときに泣かされてたまるもんかと)

そのあとの部分はぜひ、ぜひ、買ってお読みください。

本屋で立ち読みなんかすると、アレです。 私がそうでした。場所もわきまえず……です。

日頃、小学生と勉強していると、「叱る」という場面は避けられないものです。

あとでよくよく考えて「あれは理不尽なしかり方だったな」と反省することもしきりです。

私はどちらかというと、理不尽なしかり方をされて育ったので、父親を比較的うとましく思っていました。

でも、社会にでると、理不尽なことだらけなので、最近はよく「理不尽な父親のおかげで、自分は強くなった」的に納得していました。

そして自分の子どもにも、そして塾生にも「確信犯的に」理不尽なしかり方をしていたきらいがあります。理不尽に叱ることも必要だと。「この子のために」頭ごなしに叱ってやるんだと。

うーん。

この絵本を読んで、もう一度、自分の子どものころに感じたあの気持ちを思い出しました。

そして、ずいぶん反省しました。

「おこだでませんように」(くすのき しげのり著)

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%93%E3%81%A0%E3%81%A7%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB-%E3%81%8F%E3%81%99%E3%81%AE%E3%81%8D-%E3%81%97%E3%81%92%E3%81%AE%E3%82%8A/dp/4097263293/ref=cm_cr_pr_product_top

絵もすばらしくいいです! 絵の細部をよくよく見ていくと、文章にはしきれない、さまざまな文脈が見えてきます。

その詳しい話をいま書いてしまうと、「よし、買って読むぞ」と思われている方に申し訳ないので、次回くらいに。かみんぐすーん。

2010年7月30日 (金)

すしってタコよね

今を去ること十数年前、何人かの講師が集まって新しい塾をつくることになりました。で、どういう名前にするか、みんなで相談したのです。創立メンバーがいろいろあげた中には「サミット」なんてのもありました。大勢はそのおしゃれな名に傾きかけたのですが、前田卓郎前学園長は「学園長」という呼び方にこだわり、「○○学園」がよいと主張、しかも「○○」は漢字一字にしたいということで、「おまえは国語担当なんだから、何か考えろ」。命令を受けた私は新しい塾の名を考えることになったのです。

「夢学園」…授業中みんな居眠りしそうです。「幻学園」…はかなく消えそう。「風学園」…飛んでいってしまいます。「虹学園」…「へび学園」と読まれそうです。「骨学園」…男っぽいのか無気味なのか。「玉学園」「花学園」…音だけ聞くと某学園のパチモンと思われそうです。……意外に漢字一字で塾名にふさわしいものはないのですね。「傷」とか「腸」とか、使えそうもない字ばっかりです。漢字二字なら「希望学園」なんてよさそうだけど、でもなんか頭わるそうな名前だしなあ、と思っているうちに「希学園」か「望学園」で「のぞみがくえん」というのはどうだろうか、と考えたのです。ただし、前者なら字面はいいのだけど「のぞみ」とは読みにくい、後者は読みやすいが字面がイマイチです。二つのうち、どちらか選んでもらおうということで、結局「希学園」に落ち着きました。よかったですねー、「へび学園」にならなくて。ちょうど新幹線「のぞみ」が走り出したころで、タイミング的にもよかったのです。ときどき「のぞみ」が故障して新聞の見出しに「のぞみ、またストップ」とか書かれたこともあり、前学園長がよくぼやいていたのもなつかしい思い出です。

なんか、「今だから話そう」みたいな感じになってしまいました。幕末に活躍した若者が維新後何十年もたって古老と呼ばれるようになって昔語りをしているみたいです。子母沢寛という人が昭和になってから新撰組の生き残りの元隊士にインタビューしています。幕末なんてたかだか百五十年前ですから、そんなに昔ではないのですね。徳川慶喜でさえ、死んだのは大正です。私の死んだ母方の祖母が、「戦争が終わったとき、万歳、万歳と言って提灯行列したんじゃ」と言っているのを聞いたとき、何を言うとるんじゃと思ったのですが、あとで考えると日露戦争だったのですね。でも、そんなの驚くことでもなんでもない。子供の頃、役所に出す書類の生年月日の欄に「○で囲め」として、明治・大正・昭和だけでなく慶応というのもありました。慶応って、れっきとした江戸時代です。つまり、江戸時代生まれの人がまだ生きていたということです。そう考えれば、テレビの大河ドラマでやっているようなことも遠い過去の話ではなく、わりと身近なことなのかもしれません。

最近は「歴女」とかいう人たちも多く、歴史ブーム、とくに戦国時代ブームのようです。ゲームからはいって、武将もゲーム・キャラとしてとらえているのでしょうが、武将の本質も意外にふつうのおっさんだったような気がします。故郷の実家のすぐ前の小さな山が城山と呼ばれていて、その山の中にうちの家の畑もありました。べつに城があるわけでもないのに、なんで城山?って思っていたのですが、昔は城があったらしいんですね。南北朝時代にはすでにあったようです。戦国時代にはこの城を拠点として勢力を伸ばしていって、結局は豊臣秀吉に屈したものの、江戸時代にも有力大名として残りました。何年か前、山のてっぺんまで登ってきましたが、ゲームのキャラになっているあの人たちはここで生まれましたという案内と石碑(「誕生石」と書いてましたがなんだか妙です)がありました。大河ドラマなどでは、格調高いセリフまわしで、いかにも戦国武将らしく、重々しく描かれるのですが、うちの家のすぐ前に住んでたおっちゃんたちです。要するに、自分たちの土地を守るために武装した「百姓の親方」ですよね。「おーい。となりの権助がまた欲かいて、おらとこの土地をかすめべえって手ぇ出してきただよ。おっとう、どうすんべえ」「まーた、権助のやつかい、いっぺん痛い目にあわさんけりゃなんねえべ」「やるべか」「おう、わけぇやつら集めべぇ、こんだあ、がつんといわしてやるべ」…みたいな感じだったような気がするのですが、どうでしょう。

戦い方も、沼かなにかに軽石を敷きつめて地面があるように見せかけたところに敵をおびきよせて、みんなしずめてやった、と父親がまるで自分がしたことのように言っていましたが、本当だったのでしょうか。そんな間抜けな作戦では大河ドラマになりそうもありません。子供のけんかみたいです。

坂本龍馬にしても、あのイメージは本当なのでしょうか。司馬遼太郎の作った坂本龍馬という虚像がいつの間にか実像になってしまっているのではないでしょうか。じつは「やな奴」だったかもしれません。だれかによってつくられたイメージが一人歩きすることはよくありそうです。たとえば清少納言なんて、自分の頭のよさを鼻にかけるような「やな女」のようによく言われますが、そうだったのでしょうか。有名な「春はあけぼの」にしても、学校では「趣がある」という意味の「をかし」を補って「春はあけぼのをかし」としたうえで「春はあけぼのが趣深い」と訳すように教えるのですが、橋本治という人が、そんなことをする必要はないと言いました。これは、そのまま「春ってあけぼのよねー」と訳すべきだというのです。つまり、いまどきの若い女の子のしゃべり方そのままで訳せるし、そのほうが当時の「ギャル(死語ですね)」である清少納言の口ぶりにふさわしいという主張でした。そうなるとお高くとまった感じではなく、清少納言が身近に感じられます。その主張を紹介していたNHKのテレビ番組で清水ミチコが、その口調は「すしってタコよねー」というのと同じか、という鋭いつっこみを入れていました。さすがです。

2010年7月24日 (土)

小学生のときに読んだ本②

ダーウィンの伝記

出版社はおろか、もはや筆者の名前も正確な書名すらも忘れてしまいましたが、とにかくダーウィンの伝記です。けっこう字も小さくて中学生の読書にも耐えられるレベルだったような。 

これは個人的に影響が大きかったです。

大学生のとき、文学部にもかかわらずダーウィンの『種の起源』を読んでいたのは、小学生のときにこの伝記と出会っていたからですね。

『種の起源』の感動的なところは、ダーウィンが自説の弱点を包み隠さずに述べている点です。 これについては今のところ根拠がない、かくかくしかじかの化石が見つかれば・・・・・・というふうにごまかしのない誠実な書き方をしています。

当時、スティーヴン・J・グールドの、進化論についてのエッセイが流行って、僕も『ダーウィン以来』とか『パンダの親指』とかいくつか読みました。

ダーウィンの時代の人々にとって進化論(ダーウィンはこの言葉を使っていないようですが)がいかにも容認しがたい説と映ったのは、人間の祖先がサルであるなどと非常識なことを述べているから、ということではなく(そもそも『種の起源』ではそのへんには踏み込んでいない)、進化論が「唯物論」だったから・・・・・・と書かれていたように記憶しています。

また、グールドのエッセイによると、実際ダーウィンが発表を禁じたノートには、神というのは人間の脳髄が生み出したものだ・・・・・・と書かれていたとか。

まさに唯物論の時代だったんですねぇ。マルクス、ダーウィン、フロイト、みんなそうです。

「進化論」だけでなく「遺伝学」にも興味がわいて、医学部の友人から「遺伝学概説」みたいなテキストを借りて読んだりもしました。何かに役立てようという気持ちがまったくないですから、まさに純粋な興味、純粋な好奇心です。かっこよくいえば「知的好奇心」ですな。うひょー。

今でも、ときどき「進化論」関係の本を読みますが、何がおもしろいのかと訊かれてもうまく説明できません。小学生のときに植え付けられたんですね。

小学生のときは、ダーウィンに限らず伝記をよく読みました。他に印象に残っているのは、エジソン、源義経、野口英世といったあたりでしょうか。

エジソンは偉さが小学生にわかりやすいですね。その点、友人の読んでいた「良寛」は何が偉いのかよくわかりませんでした。いい歳した大人が子どもと遊んでばかりいてよう、なんて思ってました。

「源義経」は軍事的天才の華々しさみたいなものが小学生男子のハートをつかんだんでしょうね。後々、司馬遼太郎の『義経』を読むと、軍事的天才とは裏腹の政治的無能ぶりがえがかれていて、それはそれで面白かったですけど。その頃には源氏より平氏びいきになっていました。

源氏は兄弟で殺し合ったりしてちょっと陰惨過ぎる気がします。

平家物語なんて読むと、平知盛の最期の場面とかかっこいいですよね。「見るべきほどのことは見つ」なんて言っちゃってね。

自分というものを知らず、政治状況も理解しないまま、右往左往して滅びていく義経と比べると、何もかもわかったうえで滅びへと身を投じていく知盛は、やはりかっこいいですな。そういえば山崎正和でしたか、ギリシャ悲劇的な意味合いで真に「悲劇的」にえがかれた人物は日本では平家物語の平知盛だけと述べていましたね。

伝記の話でした。

野口英世は、今となっては業績のほとんどが否定されていて悲しい気持ちになります。昔、小室直樹が、「日本人は成り上がり者が嫌い」と言っていたけれど、野口英世の人生にもその悲哀を感じますね。一度はもてはやしますけれど、決してほんとうには成り上がり者を受け入れることはしないのが日本人だと思います。

もちろん、野口英世の業績が否定されているのはそのせいではありませんが、逆に、日本で受け入れてもらえないから、結果を出さなければいけないと焦ってしまったのかな、と思います。

伝記はおもしろいです。今でもたまに読みます。

比較的最近になって読んだのは、尾形亀之助という詩人の伝記ですが、この人はもう・・・・・・何といえばいいのか。野口英世とは逆に大金持ちの家に生まれ、はじめは画家を、次に詩人を志しますが、詩人として成功しようという気持ちをいつからかなくしてしまいます。そして、そのころには、実家も膨大な借金を背負って逼迫しているのです。

最後の詩集である『障子のある家』には次のような序文が載せられています。

自序

 何らの自己の、地上の権利を持たぬ私は第一に全くの住所不定へ。それからその次へ。
 私がこゝに最近二ケ年間の作品を随処に加筆し又二三は改題をしたりしてまとめたのは、作品として読んでもらうためにではない。私の二人の子がもし君の父はと問はれて、それに答へなければならないことしか知らない場合、それは如何にも気の毒なことであるから、その時の参考に。同じ意味で父と母へ。もう一つに、色々と友情を示して呉れた友人へ、しやうのない奴だと思つてもらつてしもうために。(すべて原文ママ)

これは相当に風変わりな人ですよね。なんといったらいいのか・・・・・・変です。

僕自身は、「それに答へなければならないことしか知らない場合」という部分が好きです。突き放すようで突き放しきれない感じが、なんともいえず優しく、哀しくて。

そんなふうに思うのは僕だけですかね?

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