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2010年4月21日 (水)

納得いかない文章

 前回、山下先生が「話の送り手と受け手との間に共通の了解が必要」ということを書かれました。

 どんな文章を理解するにせよ、「前提となる知識」は不可欠です。何の知識もなしに読める文章というのはほとんどありません。

 接続語の授業でときどきする話。

今日の夕食はカレーだった。

だから、全部たべておかわりもした。

 この文章を、何の違和感というか引っかかりもなく読める、というアナタは、ご自分が意識していない「カレーというものは万人が好きな食物である」という前提でこの文章を読んでいたはずです。

今日の夕食はカレーだった。

しかし、全部たべておかわりもした。

 こちらの文章が変だ、成立していない、接続語をまちがっている、と感じたアナタは、先ほどの「カレーというものは万人が好きな食物である」という前提がかなり強固なもの、もはや「一般常識」となっているのではないでしょうか。

 後者の、「しかし」で結ばれた二文を読んで、「あ、そういう人もいるよな」と感じたアナタは、その際に色々なことを感じられたはずです。

・後者の文章は、「カレーをきらいな人」が書いたのだな。

・それなら、「カレーがきらい」ということを文章に入れるべきじゃないかな。

・どうも、ひとりよがりというか、「自分」の強い文だなあ。

 上のような感想をお持ちになったかもしれません。

先生が来たので、教室は静かになった。

 これも、何の違和感もなく読める文章で、「前提となる知識」など、いらないように思います。

しかし、

先生が来たので、教室は騒然となった。

 という文だって成り立つわけです。ただしちょっとだけ理解するのに「推測」が必要になります。

「先生」と「教室内の静かさ」は、親和性が高い二つの事柄だという認識が普通でしょう。

 それなのに、先生が来たことによって静かさが失われた、ということは何があったのか。

 もしかしたら、すごく人気のある先生なのだろうか。それとも、先生が変な髪型になっていたのだろうか。寝グセとか。いやいや逆に、すごく統率力のない先生なのか。

 などと考えて、その疑問を解消すべく、さらに前後の部分を読もうとしたり、自分の持っている知識を総動員して考えるでしょう。

 こういう「すぐに納得できない文や文章」の方が、読みを深める練習になるのかもしれないな。などと今考えています。もしかしたら読解力をつけるテキストのヒントになるかも。

 

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