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2010年7月19日 (月)

カミングスーン

「アマチュアでロックやってます」的な人たちが、外国人風のニックネームをつけてお互い呼び合っていることがありました。最近はさすがにそんなはずかしいことはなくなっているのかなあ。れっきとした日本人で、どう見ても「純和風」としか言いようのない顔立ちで、名前を聞かれもしないのに「おれトミー、そこんとこよろしく」とか「おれのことはジョンと呼んでくれ」とか。おまえは犬か、と言いたくなるような、「痛い」人たちが結構いました。「トミー」というのは苗字が「富田」とか「富井」なのでしょうか、それとも苗字は村山だけど名前が「富市」? 元の名前と関係なく、「ジョン」という音の感じにあこがれている場合もあるのでしょう。山田花子が「わたしのことはエリザベスと呼んで」という、あのノリなのですかね。

ところが不思議なことに、こういう場合の「外国人風」というのは欧米系で、アジア系やアラブ系はあまりありません。「おれムハンマド」「おれっちアブドーラ」とか「ゴータマ・シッダルータと呼んでくれい」とか言うやつはいません。当然、「おれ毛沢東」というひょうきん者もいないでしょう。ロックそのものがアメリカからやってきたのだから当然ではあるのですが、いまだに「欧米系はかっこいい」という鹿鳴館的感覚があるのかもしれません。歌詞に英語のワンフレーズを入れるだけでなく、発声のしかたも「て」が「つぇ」になるような「英語っぽい」感じで矢沢永吉あたりがやりだしたころはかわいいものでした。それが桑田佳佑になると、かなりオーバーになってきました。そして、そのような歌い方こそが「かっこいい」とされるようになり、しかもなんとなく、うまく聞こえるような気がするのですね。そこでほとんどすべての若手の歌手がそんな発音で歌うようになりました。さすがに演歌系はそうなりませんでした。「ファコネイファティリノオ、ファンズィロワウ」ではわけがわかりませんので。たとえばタ行は「ちゃ・てぃ・ちゅ・ちぇ・ちょ」になってきます。完全な赤ちゃん言葉で、もはやギャグの域に達しているグループもいました。「なになにしたい」が「なになにしちゃーい」になってしまっては、本人は「どうだ、かっこいいだろ」と思っているのでしょうが、「おまえは『でんでん』か」と突っ込みを入れたくなります。……なんのことだかわからんだろうなあ。でも、ふだんのしゃべりでは日本語で話せるのに、歌うと「赤ちゃん」になる人が、いまだに結構いるようです。

たしかに、英語の「音」って、「かっこいい」と感じることがありますね。平板な日本語に比べると抑揚があり、力強さが感じられることもあります。政治家のスピーチなどでは特にそれが目立つのではないでしょうか。日本の首相の話し方とアメリカの大統領の説得力を比べれば、なんとなく後者に軍配があがります。映画の予告も日本語ではだめですね。アメリカ映画の予告でしゃべるおっさんはなぜか超低音です。腹に響きます。タイトルを言ってちょっとタメがあったあと、しぶーく「カミングスーン」とか言って、ドラムで「ドゥーン!」とやられると、「見にいこ」と思ってしまいます。

しかし、そういう予告を見なければ、最近の映画はタイトルだけ聞いてもどんな映画なのかわかりません。カタカナになっているために、もとの単語が何だったのかわからないというだけでなく、そんな単語知りまへーん、というものが多いのですね。(むかし習ったのに、年のせいで忘れてるだけ? ほっとけ。)「プライベート・ライアン」も、「個人的なライアンさん」って、なに? 調べてみたら、「プライベート」は、この場合一等兵とか二等兵とかの意味らしいです。「かつては日本語の題名をつけるのが普通で、しかも元の題より心に残るものが多かった、たとえば『望郷』という邦題は……」という、よくあるジジイのぼやきをするつもりはありませんが、ここにもカタカナ崇拝が残っているのでしょうか。元のことばをただカタカナにするだけの題名は、やはりそれが「かっこいい」と思う感覚があるのでしょう。アメリカ礼賛がなくなり、カタカナ語のありがたみは薄れているはずなのに、根っこの部分では残っているのですね。

日本の伝統的(?)話芸、漫才のコンビ名でもそうです。昔は「やすし・きよし」のパターンが基本でした。「大助・花子」「ひびき・こだま」「くにお・とおる」とか二人の名前を並べるものです。もちろん、「かしまし娘」「コメディ№1」のような「ユニット名」もありましたが、少数派でした。それがいつのまにか、主流になってきています。「B&B」「ツービート」というのは当時は新鮮な感じがしました。その後も「ダウンタウン」「トミーズ」「ナインティナイン」…ほら、やっぱりカタカナが多いでしょ。って、こんなことを言うと、必ず例外があって、突っ込まれるんですね。「中川家」。これは兄弟だからなんとなくわかります。「雨上がり決死隊」…。わけがわかりません。

カタカナではなくても、ユニット名にするのが多くなってきたのは、むかしのように「弟子入り」をしなくなったからでしょうね。むかしは師匠の名をもらって、「海原なんちゃら・かんちゃら」と言っていたのが、いまは養成所から出てくるシステムに変わってきているようです。二人の名前を組み合わせる名前もありますが、むかしとは少しちがいます。「タカアンドトシ」のような形であったり、「ますだおかだ」のような苗字の組み合わせであったり。「おぎやはぎ」も後者で、漢字で書けば「小木矢作」ですが、知らないと意味不明です。「FUJIWARA」も「藤本原西」の省略形ですから、「コブクロ」と同じですね。あれは漫才コンビですか。そう言えば「オグシオ」というのもありましたね。最初は馬の名前かと思いましたが…。だれが付けたんでしょうね。まさか自分たちから言い出したとは思えませんが、売りだすためのブレインがいて、その発案かもしれません。

どんな名前をつけるか、ネーミングというのは大切ですね。イメージとかかわってきますから。企業でも社名変更をしてイメージアップを図ることがあります。男性化粧品の「丹頂」が「マンダム」に変わったのは有名です。人はまず名前からはいってくるのですね。それは塾でも同じかもしれません。では、なぜ「希学園」は、この名前になったのでしょうか、それは……次回につづく、カミングスーン!

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